第12話 とまどい
「なんでこうなった……?」
帰宅したあたしの手には、金色の文字で描かれた厨っぽいデザインの黒いチケットが一枚あった。
呆然とベッドに寝転んだまま、帰り際のことを思い出す。
いらないって言おうとしたんだよ。
でも、伊佐谷雫じゃなくてホルスの表情をしたあいつが、指先でピン留めするみたいにチケットをあたしの胸に押し付けると。
『この日はオマエのためにだけ歌うから』
耳元で囁くように、伊佐谷が言ったわけ。
もちろん!
もちろん! わかってると思うけど! そんな殺し文句的なアレをまんまと鵜呑みにしたわけじゃない。
「でもあそこで行かなかったら、もっともっとあいつに主導権握られそうだし……」
会場に行けないくらい照れてる、とか思われたらどうするよって話。
「ちょっとでも想像するとめっちゃ腹立つ!」
これ以上、あいつに付け入る隙を与えたくない。
「だからもらっちゃったんだけどー」
あたしの手元にあるチケットは一枚。
「よく考えたらヤバくね? あたし一人での参戦じゃん」
今回は、梨々華がいないのだ。
「……一人でライブなんて行ったことないんだよなぁ」
これは困った。
バンギャルの子だらけの完全アウェイに一人で乗り込まないといけないなんて。
「あ~~~~、どうしろっての、もうわかんないし!」
ベッドでうつ伏せになって、手足をバタバタさせていたときだ。
壁からドン! という物音が響いた。
隣は、あたしの義妹の部屋。
文句があるなら直接言いに来いや、という気分にはならない。
初めの頃はそういう気持ちもあったけどさ。
でもあの子、小学三年生なのに母親を亡くしてるんだよね。
今も母親への想いは残ってるだろうし、そんなときに得体のしれない母娘が突然やってきて、勝手に自分の家に住むことになったら、すぐウェルカムな気持ちになれるはずもないってことは理解できる。
一応家族なんだし、仲良くやっていきたい気持ちはあるんだけど、向こうにその気はないみたい。
「……ま、あたしは居候の身だよ」
今は静観。
あたしのうかつな行動で、ママの立場を悪くするわけにもいかないから。
「そういえば、NI≒KELLってYouTubeに動画アップしてるとか言ってたな」
気を取り直して、スマホを手に取る。
ライブ動画で雰囲気を掴めば、一人で会場に行かないといけない不安も和らぐかもしれない。
あたしは、YouTubeを開くと、NI≒KELLと検索して動画を探す。
「結構あるなぁ……」
伊佐谷が言うには、NI≒KELLはトリビュートバンドらしい。
あたしにはよくわからんけど、元ネタのアーティストを世界観から楽曲まで完コピするのが目的で活動するタイプのバンドだとか。
メジャーデビューしていたり、オリジナルの音源を出してるわけでもないから、再生数は三桁が精々だ。元ネタの方を観る人の方がずっと多いわけだしね。
でも、『バンシーズ』で演ったときは、熱心なファンがめっちゃ付いてたし、たんなるアマチュアのトリビュートバンド以上の人気がありそうだ。
「あ、これこの前のライブでもやってたやつ」
『スロウ・ダンス』なる曲名の動画を開くと、結構いい感じの評価がついていて、コメント欄には、同志を見つけたとばかりに熱いメッセージを残す人が何人も目についた。
こういうコメントを見ていると、伊佐谷がまるでプロのバンドのボーカリストで、ひとかどの有名人みたいだ。ここまで来るとプロ・アマ、コピー・オリジナルも関係ないんじゃない? なんて思えてくる。
あたしはノリの良し悪しはわかっても、バンドの演奏の上手い下手は全然わかんないから、ライブを見ても「なんか凄い」程度の感想で終わっちゃってたんだけど。
「……そんなホルスが、あたしのために……?」
一瞬絆されそうになるんだけど、慌てて首を振って正気を取り戻す。
「違う違う、あたしはファンだから観に行くんじゃないし! あいつが必死に歌っても、あたしにはぜーんぜん届かないで、直立不動の地蔵になってあいつをがっかりさせてやるのが目的なんだから!」
目的を再確認したあたしは、ベッドに立ち上がって気合を入れるんだけど、またまた隣から壁ドンサウンドのレスポンスが来た。
あたしん家の壁、薄くね?




