第1話 麗しき乙女の花園を棲家とする偽りの偶像
この聖クライズ女学園は、豊かな自然に囲まれた山の中に建っていて、文明にまみれて忙しない外界とは隔絶された穏やかな雰囲気をまとっています。
初等部から高等部まで同じ敷地内に建っているので、その土地は広大。
まるでひとつの村のようです。
少女たちが日々の生活を送るこの由緒ある学園は、大正の時代に華族の令嬢のために創設されたそうです。
西洋文化の影響を色濃く映す校舎は目にするだけで歴史の深さを感じずにはいられません。
木造の風情ある廊下を歩いていますと、窓ガラスに制服姿の私が映り込みます。
落ち着いたグリーンの生地で、赤いリボンタイと白い襟が目立つワンピース型の制服は、創立以来ずっと同じデザインを保ち続けているそうで、着ているだけで先輩方の想いを背負っているようで身が引き締まるというもの。
そうこうしていると、目覚めに耳にする小鳥のさえずりのように生徒たちが噂するのが聞こえてきます。
「見て。鞠栖川さまだわ」
「蓮奈さまはいつ見ても目立つお人ね。豊穣を司るような黄金の髪色に、たゆたう河のような長い髪……顔立ちは名匠が手掛けた彫像のようですし、体つきも女性らしくて羨ましいですわね」
「それだけじゃなくて、本当にお淑やかですわ。見て。歩いているだけで天女が奏でるハープの音色が聞こえてきそうですもの。神は鞠栖川さまに二物も三物もお与えになったのね」
「楽しみね。『聖母祭』ではいったい誰が鞠栖川さまのお姉様になるのかしら?」
私――鞠栖川蓮奈が入学して一ヶ月。
毎日のように、こうして学友からの評判を耳にします。
褒められるのは少し照れくさいですが、不自然に謙遜するのはかえって嫌味というもの。
みんな私を見て噂しているわけですから、こそこそせずに堂々とすることにいたしましょう。
「ごきげんよう、みなさま」
私は、彼女たちが望むような……いえ、幼い頃からの教育で身につけた気品が自然と出るように意識して笑顔を振りまきます。
わっ、と賑わう少女たち。
それでも、盛り上がりは一瞬です。はにかむような笑みを返すことはあっても、上品な彼女たちは群がって取り囲むようなことは決してしませんから。
初等部時代から淑女になるための教育を受けているので、こうして上品に育つのかもしれません。
私は、彼女たちに恭しく一礼をすると、歩みを進めます。
この頃の学園内では、『聖母祭』の話で持ち切り。
創立の頃より続くこのイベントでは、とある特別な儀式が執り行われます。
『姉妹の契り』です。
ご存知の方もいるかもしれません。
いわば、『姉妹』になるための儀式なのですから。
上級生と下級生が、学園設立の精神である聖母像の前で契りを交わし、在学中の仮初の姉妹として密に過ごす契約を行うのです。
『姉妹』として学園生活で苦楽を共にすることによって、お互いを思いやる豊かな人間性を育もうという学園の考えから、このようなシステムが生まれたと聞きます。
『姉妹』の契りを交わすことができるのは、高等部から。
ですからきっと、初等部から学園にいるみなさんはこの瞬間を待ち望んでいたのでしょうね。興味が集まるのも理解できるというもの。
入学してからというもの、私は一年生でも最高のお嬢様という評判をいただいて、何かと注目を浴びてしまう身の上。
けれど私、決してみなさんから思われているような立派な淑女ではないんですよ?
今も、淑女らしくないことをしてしまわないか気を付けて歩いているくらいですから。
ですから私は、時折休み時間になると人気のない中庭へと向かいます。
ご両親の豊かな財力を背景に何不自由なく育っている善良な少女たちのあまりに無垢な視線から逃れるために。
ときには自分らしくいることだって大事ですから。
そう。
どんな人にだって、表の顔と裏の顔があります。
大事なのは、その使い分け。
オンとオフは適度に切り替えないといけませんもの。
こんな硬っ苦しくて面倒な話し方、いつまでも続けていたくありませんものね。
★
そんなわけで中庭へ逃げてきたあたしこと鞠栖川蓮奈は、そこにある唯一のベンチにどかっとお尻を落として、だらしなく脚を広げながら空を見上げた。
「あ~~~~~、外の空気うまぁ~」
あたしは初めて外へ出たような気分になって、深く深く、深呼吸をした。
お嬢様たちの目がない場所だったら、自由になった小鳥のようですわ~、とかそれっぽい言い方をしなくていいからとても気が楽だ。
「やっぱお嬢様のフリするのは心と体に負担掛かるわー……」
態度に気をつけようとするあまり変に力が入って凝り固まった肩をぐるぐる回す。
この聖クライズ女学園に外部生として入学してから一ヶ月とちょっと。
あたしは、この学園でも指折りのお嬢様として知られるようになっていた。
でも、本当のあたしはお嬢様なんかじゃない。
今の家は金持ちかもだけど、それにはちょっと訳あり。
中学生の頃までは、そこらのありふれた公立中学に通っていた。
適当に授業を受けて、いっぱい遊んで、自分がみんなから憧れられるように振る舞おうなんて考えてもいない呑気な中学時代だった。
本来のあたしっていうか、あたしが一番楽な感じでいられる自分はもっとギャルっぽい感じ。
みんなが思うお嬢様とは正反対っていっていい生き方をずっとしてきたってわけ。
学年一のお嬢様の正体はガサツなあたしでした。
「すまん、みんな」
この場にいないみんなに向けて、その場で手を合わせる。
後ろめたい気持ちはある。
というのも、別にあたしは学園のみんなを嫌っちゃいないから。
ていうか、あたしが中学まで過ごした外界の人たちよりずっと素直で善良で、言ってみればいい人たちだ。
だからこそ、逆に絡みづらいっていうか……。
なんか、うっかり下手なこと言って傷つけちゃったらどうしようって気になる。
本当はお嬢様なんかじゃなくて、ママと二人で安アパートで暮らしていた方が長いドのつく平民だって知られたら、それだけでみんなあたしから離れて行っちゃいそう。
本当のあたしなんて、きっとみんな受け入れてくれない。
それでもあたしには、理想的なお嬢様として学園生活を乗り切らないといけない理由があるのだ。
負けんぞ。
なんて手でグーを作ってこっそり気合を入れて見るんだけど、目前に迫った『聖母祭』は目下のところのお悩みである。
「『姉妹』はちょっとなぁ……勘弁してほしいかも」
『姉妹』はリアル姉妹以上に姉妹らしく、オンでもオフでも何かとワンセットで過ごすそうな。
少なくとも、学園内で結構な数見かける『姉妹』はそうやって過ごしている。
つまり、お姉様なんてできようものなら、こうやって一人になれる機会が減っちゃうってこと。
そうなったら絶対どこかでボロが出るに決まってるし、ギャルみを隠し通さないといけないストレスでヤられちゃうかもしれない。
聖クライズ女学園ならではのこの『姉妹』ってシステムだけど、そこは別に強制じゃないらしいし、よりよく学園生活を過ごすための一つの方法として提示されているだけ。
だから、極端なことを言えば『お姉様』をつくらなければそれで解決……ではあるんだけど。
「……でも、お姉様がいない人を理想的なお嬢様だとは思わないだろうしなー」
学園ならではのシステムにハマっていないアウトサイダーになっちゃったら、みんなから変な目で見られちゃいそうだ。
「ああ~、どうしよ……」
休み時間の終わりを知らせるチャイムが鳴るまで、あたしは中庭で頭を抱えて過ごすのだった。