小人の噂
「ねえ、ゼミの課題、もうやった?」
昼時で賑わう大学の学食。三浦がうどんを食べていると、向かいの小林がカレーライスを食べながら聞いてきた。
「やべっ、忘れてた。小林はもうやった?」
「うん、取りあえず『サークル棟の七不思議』が新入生にどのように伝播したのかを調べたよ」
三浦と小林が所属している社会心理学ゼミの教授は、普段は優しいのだが、課題の未提出には厳しい。
先日、教授から出された「噂の伝播について調べてまとめる」という課題の提出期限は2週間後だ。
「三浦君はどうするの?」
少し心配そうな顔で、小林が三浦に聞いた。
忘れっぽい三浦は、既に別の課題の提出を忘れてたことがあった。今回の課題を出さないと、ゼミの単位はもらえず留年確定だ。
「そうだな。俺はネットの都市伝説でも適当に調べてみようかな」
うどんを食べ終わった三浦は、腕組みをしながらそう呟いた。
† † †
その夜。下宿のベッドに寝転んだ三浦は、ネット上の様々な都市伝説を読み漁った。
ネットでは、有名な「口裂け女」をはじめとした様々な都市伝説が書き込まれていたが、すでに研究されていたり、その伝播を調べるのが難しそうだったり……課題にまとめられそうなものは中々見つからなかった。
「くそ、いいのがないな。誰かが噂を流し始める現場を押さえられればベストなんだが、そんな都合のいいことなんて……」
そこまで呟いた三浦は、少し考えた後、ベッドからガバッと上半身を起き上がらせ、声を上げた。
「そうだ! 俺が自分で噂を流せばいいんだよ。俺って天才!」
三浦は、さっそく自分で流す噂を考え始めた。
誰かを傷つける内容だと後味が悪いし、最悪、名誉毀損で訴えられてしまう。とはいえ、当たり障りのない内容だと、誰も気に止めてくれない。
三浦が悩んでいると、ふと、以前に大学で受講した一般教養の講義を思い出した。
その講義は、江戸幕府の政治体制に関するもので、幕府の「目付」という役職について取り上げていた。
「目付は、広範な職務を行っていましたが、そのひとつが監視・監察です。特に目付の支配下にあった『徒目付』や『小人目付』は、今でいうスパイのような活動も行っていたと云われています」
「忍者などの伝説もありますし、昔の日本は案外スパイ大国だったのかもしれませんね」
講義終了時刻間際、老教授がテキストを閉じながらやる気のない顔で話していたのが、たまたま三浦の頭の片隅に残っていた。
「小人目付が現代にも生き残っているって、面白そうじゃない? 真っ赤な嘘だから誰にも迷惑かけないし……」
そう独り言を言いながら、三浦は適当に見つけたネットの噂話の掲示板に新しいスレッドを立て、書き込み始めた。
『「小人」のことは誰にも話してはいけない』
『日本には、江戸時代から続く秘密組織があって、諜報や暗殺等の裏の仕事を行っている』
『その秘密組織には名前がない。裏の仕事を行う者は、単に「小人」と呼ばれ、その実態を把握しているのは政府の極一部に過ぎない』
『その秘密保持は徹底されていて、今まで一度もバレたことがない。その秘密をバラそうとしたものは、全て消される。だから、小人のことは誰にも話してはいけない』
「……こんなところかな。そんな組織の秘密が掲示板に書き込まれるなんて矛盾もいいところだけど、ま、いいか」
三浦は、ひとり苦笑しながらスマホをベッドに置くと、シャワーを浴びに立ち上がった。
翌朝。三浦がスマホで昨晩書き込んだ掲示板を見ると、「小人」の話で盛り上がっていた。
『日本では現代でも忍者が暗躍している。それが小人だ』
『小さいおじさんの都市伝説って、もしかしてこの小人のことじゃないの?』
「おお、話が膨らみながら伝播してるなあ」
三浦はニヤニヤしながらしばらくネット掲示板を眺めた後、スマホを片付けた。
結局、その日は居酒屋のバイトが忙しかったこともあり、忘れっぽい三浦は、いつの間にかその書き込みのことを忘れてしまった。
† † †
数日後、いつものように三浦が小林と一緒に学食で昼食を取っていると、隣の女性グループの話し声が聞こえてきた。
「ねえねえ、サークル棟の七不思議なんだけど、実はもうひとつあるって知ってる?」
「知ってる! あれ、ヤバいんでしょ? 興味本位に『八つ目』を調べた人が行方不明になったことがあるって、先輩が言ってたよ」
女子グループの会話に耳をそばだてながら、三浦が小林に小声で言った。
「小林の調べたサークル棟の七不思議って、今も拡がり続けてるんだなあ」
「僕らが新入生の頃と比べて、どんどん話が膨らんでるみたいだね」
小林が苦笑しながら話を変えた。
「そう言えば、三浦君の方はどう? ネットの都市伝説でいいの見つかった?」
「あっ、そうだった」
小林の話を聞いた三浦は、慌てて自分のスマホを取り出し、数日前に書き込んだネット掲示板を表示した。小林がそのスマホを覗き込む。
掲示板では、小人が『御小人様』と呼ばれるようになり、様々なことが噂されていた。
その噂によると、御小人様とは、江戸時代の小人目付をルーツとする日本政府の秘密組織の構成員で、諜報や暗殺等を行っているらしい。
その具体的な活動は長らく秘密のベールに包まれていて、その名前を口にするだけでも命の危険があるそうだ。
「こんな都市伝説初めて聞いたよ。どうやって見付けたの?」
「はは、実は俺が最初に書き込んだんだ。どんどん拡がってるみたいだな」
驚く小林に三浦は笑いながら答えた。2人はスマホに写し出される様々な噂話を読み進めた。
『御小人様はガチ』
『御小人様の話をしていた知人が行方不明になった』
『御小人様のことを誰かに話すと、尾行されたり無言電話が来たりするらしい』
「はは、都市伝説って、こんな風に拡がっていくんだな。まさに噂の独り歩きだ」
満足そうな顔でスマホを眺める三浦に、小林が心配そうに声をかけた。
「こんなに拡がるなんて……早く火消しをした方がいいんじゃない?」
「ははは、これくらい大丈夫だよ」
心配そうな小林に、三浦は笑いながらそう答えた。
† † †
その夜、居酒屋のバイトを終えた三浦は、下宿へ向かう路地を一人で歩いていた。
すると、いつの間にか前にスーツ姿の壮年の男が立っていた。
「三浦君かな?」
「誰ですか?」
三浦が怪訝そうな顔で答えた直後、三浦は何者かに後ろから羽交い締めにされ、首筋に何かの注射をされた。その直後、三浦は意識を失った。
三浦が意識を取り戻すと、知らない部屋の中央に置かれた椅子に座っていた。両手両足は拘束されていて、身動き出来ない。
「目が覚めたようだね。三浦君」
三浦の前には、先程のスーツ姿の男が立っていた。中肉中背。特徴のない顔立ちと声色。目の前にいるのに、存在感がない。
「だ、誰だ!」
「君が噂を流した小人だよ」
「え?!」
男の答えに、三浦は絶句した。
男が微笑みながら話を続ける。
「驚いたよ。この百数十年、一度も漏れたことのない小人のことが、こうもあっさりと世に出てしまうなんて」
「あ、あれは作り話で……」
三浦がそこまで話した直後、男は三浦の腹部を殴った。
「誰から聞いたのかな?」
「聞いたんじゃなくて……」
男が再び三浦の腹部を殴った。男は、泣き叫び嘔吐する三浦を何度も殴り続ける。
「苦しみ抜いて死にたくなければ、正直に話した方がいいよ?」
男が微笑みながら言った。三浦が泣きながら叫んだ。
「ど、どうか信じてください。本当に、本当に単なる作り話なんです!」
三浦は必死に経緯を説明した。ゼミで噂の伝播を調べる課題が出たこと、その一環で、偶然「小人」の話を思いつき、ネットに流したこと、実際に小人が存在したなんて知らなかったこと……
「ふむ、嘘は言っていないようだね」
「嘘じゃありません! ど、どうか信じてください!」
「そうか。さて、どうしたものか」
泣きじゃくる三浦の前で、男が腕組みをした。
「消しますか?」
三浦の背後から、誰かの声がした。それを聞いた三浦はありったけの声で泣き叫んだ。
「お願いです、どうか、どうか殺さないで!!」
男は腕組みをしたまま少し考えると、三浦に優しく話しかけた。
「今後、我々小人のことを一切口外せず、我々のちょっとした仕事を手伝ってくれると誓うなら、今回は助けてあげようかな?」
「誓う! 誓います!」
三浦は必死に叫んだ。男が笑顔で頷いた。
「では、三浦君のことを信じよう。我々小人はあらゆる場所にいる。三浦君のことをいつも見ているからね」
男が三浦に近づき、ハンカチを取り出すと、三浦の涙に濡れた顔を優しく拭いた。
その直後、首筋に痛みを感じた三浦は、再び意識を失った。
† † †
三浦が目を覚ますと、下宿のベッドの上だった。すでに朝になっていた。
三浦は慌ててベッド脇に置かれていたスマホを手に取ると、小人のことを書き込んだ掲示板を開いた。不思議なことに、小人に関する書き込みはひとつも残っていなかった。
大学へ向かった三浦は、いつものように小林と一緒に学食で昼食を取ることにした。
「どうしたの、お腹壊したの?」
小林が心配そうに三浦に聞いた。まだ少し腹部が痛む三浦は、無意識にお腹を擦っていたようだ。
三浦は慌てて小林に答える。
「あ、いや、何でもない」
「ふーん。あ、そういえば、例の小人の都市伝説はどうなったの?」
小林が定食を口に運びながら三浦に聞いた。三浦がドキッとしながら答える。
「え、あ、あれね。あんな嘘の話を取り上げるのはよくないし、別の都市伝説を課題にすることにしたよ」
「そっかあ」
そう呟いた小林が顔を上げ、三浦の顔を見つめた。
「それは良かった。小人はいつも三浦君を見ているからね」
小林が微笑みながら三浦に言った。