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数え唄、巡転  作者: さよ
1/3

黎明・上

 



 君たちに、ハンデをやろう。

 このゲームを盛り上げるために。

 このゲームで踊らせるために。

 このゲームに参加したくなるように。


 君たちに、ハンデをやろう—————



 1


 眠い。とにかく眠い。

 まだ1時間目なのにもかかわらず、体は重いし頭は眠い。

 睡眠はしっかりとったはずなのに、大変不可解である。

 強いて言うならば、この英語の授業が原因だろうか。

「光梨、眠いの~? 起きろよ~~~、おしゃべりしようよ~~」

 後ろからツンツンつついてくるやかましい親友を放っておいて、睡眠体制へと用意を進める。

 大丈夫。この内容なら、寝ても問題はない。

「チャイムなったら起こして~。頼んだよ、渚~…」

「待って光梨、先生見てるってばねぇお願い寝ないで」

 焦る渚めがけて、助走付きのチョークが飛んでくる。

「こぉぉぉぉら平井! しゃべるな!」

「なんで私だけ言われてるの⁈」


「それでね、光梨! 昨日の歌番で自担が……って光梨きいてる?」

「え、うんごめん聞いてない」

「も~どっちだよって」

 ただいま10分休み。

 お互いの推しグルの話を聞きながら、私は別のことを考えていた。

 そう。先ほどの熟睡の間、夢を見たのだ。

 それも妙にリアルで、恐ろしい夢を。

 内容はよく覚えていない。

 覚えているのはただ恐ろしいという感情だけ。

 それがまた、底知れぬ恐怖を呼び寄せるのだ。

 無意識にお守りのブレスレッドを握りしめて、震えを鎮めようとしてしまう。

 それくらいには、恐ろしかった。

「どうしたの、顔色悪いけど」

「うん…実はね」

 そう切り出して、夢の話をする。

「私、うなされてなかった? 大丈夫だった?」

「いや…特に何もなかったと思うけど……。

 でも珍しいね。光梨、お化け屋敷もジェットコースターも怖がらないじゃん?」

「そうなんだよね……。なんか悪いことでもあるのかな。気を付けて過ごすようにしよ」

 身震いする仕草をしてから、授業の準備に取り掛かる。

「しゃーないなぁ。私が喝入れたげるから、背中こっち向けて。……そうそう。よし、がんばれ上坂光梨!」

 バシッ

「ありがと」

 小気味良い音で元気が出てくるし、なんならパワーを入れてもらえた気がする。

 まぁ若干痛いけど。

 しかし同時に、この後に続く教科たちを思い出して、絶望していくのだった。



 おかしいだろ、さすがに。

 1時間目の英語も2時間目の数学も、辛いことには変わりないが、時間割に書いてあったからまだ耐えられた。

 だが、なぜだ。

 なぜ私は今、数学を受けているのだ。

 しかも4時間目は保健体育。

 週明け月曜日の憂鬱を舐めているとしか思えない、由々しき事態である。

 極めつけは先ほどから視えている、謎の生命体たちである。

 最近部活が忙しかったせいなのか、ついに禁断症状が出たのだろうか。

 それにしても幻覚は、かなり笑えないのではないか?

 恐ろしいのが、謎の生命体たちと私は、触れ合うことが出来るという点である。

 まさか、そのまさかなのか……?

 まさか、イマジナリーフレンズ……⁇

 それにしては見た目のグロさとキモさが、いい感じに共存していて、虚しくなってくる。

 これが私の深層心理だったのか、と。

 もう一度寝たら治るのかと思い、睡眠をとってみたが結果は変わらず、絶賛意気消沈中である。

 とりあえず保健体育で教室から移動すればどうにかなるかもしれないし、昼食を食べれば何か変わるかもしれない。

 疲労が原因なら、適度に運動をして、栄養満点な食堂の夏野菜のカレーを食べれば、改善するだろう。そう、たぶんきっと。

 そうこうしているうちに、数学の授業は終わり、チャイムが鳴る。

「起立。ありがとうございました」

「ありがとうございました」


「次ってどこだっけ」

「おいおい体育係。しっかりしろよ~」

「うっさいわ光梨。う~~~んっと、たぶんグラウンド」

「え、サイアク。こんなクソ暑い中、何が悲しくてバレーボールをしなくちゃいけないんかなぁ」

 どこに行っても、謎の生命体はいるし。ほんとにサイアク。

「あーバスケ部の宿敵だもんね。てか光梨、マジ大丈夫そ?」

「ぬぁあにがコイビトだもんね、だよっ! ……え? 大丈夫そって何が?」

「だって顔、青白いよ? 顔面蒼白を絵に描いたような感じ」

 渚が、眉間にしわを寄せながら言った。

「大丈夫だって~。やばそうなら昼で早退するし」

 現段階で、教室にも廊下にもグラウンドにも、謎の生命体がいることが分かったので、再び絶望に浸る。

 夏野菜のカレーでもどうにもならなかったら、私はこの先、どうやって生きていけばよいのだろうか。

 不安の海に沈みながら、4時間目は幕を上げた。


 灼熱の太陽の中でも、謎の生命体は何の影響も受けないらしい。

 元気に木登りや、アクロバティックな動きをしている。

 どうやらこいつらは、私に近づいてくることはないらしい。

 まるで私に触れることが出来ないかのように、寄ってこない。

 いっそこの際、日焼け防止のために働いてくれればいいのに。

 まぁ、他の人たちには見えていないコイツらが、何者なのかわからない限り気色悪いが。

 その後も生命体たちは元気に活動し、私も元気にバレーボールを行った。



「光梨、だいぶ顔色良くなってきたね」

「え、そう? それなら良かった……かな」

「なんでそう不安げなのよ~」

 バシッと、比較的強めに背中を叩かれる。

 渚は小学生の頃にここら辺に引っ越してきたのだが、以前住んでいたところで武道を習っていたらしい。

 剣道とか合気道とか空手とか。今は近所でボクシングをやっているそうだ。

 つまり、どういうことかというと、結構痛い。

 特に不意打ちは、かなり痛い。

「ねぇだから! 痛いから一言言ってからにしてって言ってんじゃんか」

「あはは、」

 ごめんごめん、と続くだろうと思った言葉は、校内放送にかき消された。

『1年2組、上坂光梨さん。至急、職員室まで来てください。

 繰り返します。1年2組、上坂光梨さん。至急、職員室まで来てください』

「呼ばれてんじゃんウケる」

「提出し忘れとかはないと思うんだけど。え、こわ」

 無視して再び呼び出されるのも嫌なので、渚に先に教室へ戻るように言って職員室へ向かう。

 今日はツイていないことが多すぎる。

 私が通う都立成間高校は、6階建ての建物で職員室は5階にある。

 グラウンドから上るのは正直とても面倒くさい。

 思い当たる節は特にないし、気が気ではないことこの上ない。

 階段を上る途中、すれ違う生徒たちは、こちらをちらちら見てくるし。

 そんなに茶髪が珍しいかっての。

 たしかに全体的に色素が薄くて、黒とは言えない色をしているけれど。

 しっかり届出は出しているのに、好奇に満ちたこの視線は免れない。

 そのいたたまれなさに耐えられなくて、俯きがちに階段を駆け上がった。


 普段の何倍かのスピードで職員室まで辿り着き、扉を開ける。

「1年2組の上坂です」

「あぁ、上坂さん。そんな不安な顔しないで。実はさっき、あなたのいとこと名乗る人が、学校に来たの。あっちのソファに腰かけてらっしゃる方なんだけど」

「え?」

 私はいわゆる孤児だ。今も養護施設から通っている。

 幼稚園児のころ、ブレスレットだけを残して、両親は私を捨てていった。

 施設にいると、嫌でもその過去を思い出してしまうので、本当は1人暮らしをしたかった。

 しかし、責任者の欄に記入できる親族がいなかったため、お預けとなってしまったのだ。

 自称いとこの男性には、見覚えがなく、真偽が確かではない。

「初めまして、光梨ちゃん。って言っても覚えてないよね。

 もう高校生になったんだ」

「はぁ…」

 身長は170㎝くらい、黒い髪を後ろで少し束ねている。年齢は20代後半くらいに見えるが、帽子を目深に被っていて、さらにマスクもつけているせいで顔がよく見えない。

「ごめんごめん、自己紹介がまだだったね。

 僕は上坂祐樹。光梨のお父さんのお兄さんの子供っていえば伝わるかな?」

 嘘だ。だって、私の父親は1人っ子だったのだから。

 それによく考えたらおかしい点ばかりだ。

 だって、なぜ私が今ここにいるということが、分かったのだろうか。

 なぜ私の名前を知っているのだろうか。

 なぜ今になって私の前に現れたのだろうか。

 この人、知らない人です。

 そう言おうとして、口が思い通りに動かないことに気が付く。

 走って逃げようとしても、金縛りにかかったかのように体が動かない。

「あぁ、はいはい! 思い出したかもしれない!」

 違う。そんなことが言いたいんじゃない。

 まるで誰かに操られているかのように、言葉が紡がれていく。

「それなら良かった。施設の先生にはまだ挨拶できていないから、1緒に来てもらってもいいかな」

 違う。なにも良くないのに。

 先生が間に入ってくれればいいのに。

「でも早退しても大丈夫なの?」

 違う。早退なんかしたくない。この男と1緒にいてはいけない気がする。

「来た時に先生に確認してあるから、問題ないよ。

 荷物、まとめて下りてきてね。脱靴所で、待ってるから」

 嫌だ。

 思っているだけでは伝わらないのに、本当に操り人形にでもなったみたいだ。

 なんで。

 なんで。

 なんで。


 でもその言葉は、誰にも届かないまま消えていった。


 3階の1年生の教室に向かうと、もう渚は昼食を食べ終えたらしかった。

 どうも私が考えていたより、時間がたっていたみたいだ。

「あーやっぱ帰る感じ?」

「うん……。家でゆっくり寝てなさいって言われた」

「夏バテかなぁ…。お大事に~」

 ぱたぱた、と手を振られてお別れを告げられる。

 あーあ、あの正体不明の自称いとこになんて付いていきたくない。

 だが、この思い通りにならない口と、言うことを聞かない体では何も抵抗できず、1階の脱靴所へと向かってしまう。

 そのまま、校門の前に止められていた車に乗せられる。

 ドアロックが掛けられたあとで、やっと体が思い通りに動くようになった。

「手荒なことしてごめんね。本人かどうかだけ確認させて。

 えっと……茶色っぽい髪でしょ。長さも胸元あたりで記述通り。

 目も茶色っぽくて、記述通り。聞いてた通りだね、うん」

 じろじろ見られているのは、あまり気分がいいものではない。

「なんなんですか、あなた。通報しますよ」

 大丈夫。今なら、できるはずだ。

 そう思って、携帯に手を伸ばしたが、再び体が硬直する。

「うっ⁈」

 今度は腕が捻られるように、動き出す。

「大人しくしておいてくれるかなぁ……。やっぱり、サナに頼んで催眠をかけてもらうべきだったかも……。これも意外と消費するんだけど。ましてや、神坂(こうさか)の末裔が相手なんて」

 ん? いや私、コウサカなんていうけったいな苗字じゃないんですけど。

「コウサカじゃなくて上坂です、上坂光梨。」

 改めて名乗ると、自称いとこの男はこちらを振り向いて、瞬きをする。

 ぱちぱち、と。音が鳴りそうな瞬きを。

 そして、大きく頷くと、再び喋りだした。

「そっかそっか、今は存在してはいけない家だもんね。

 ところで光梨ちゃん。君はどこまで力を使えるのかな?」

 力、とは。

 握力のことだろうか、それとも腕力の方だろうか。

 どちらも私はあまり得意ではないのだが。

 ていうか〝存在してはいけない家〟とは、どういうことだろうか。

 私はここにいるというのに。

「そうですねぇ…。腕力のほうは分かりませんけど、握力は26ぐらいだった気がします」

「うん。えっと、そういう答えは求めてないかな」

 そっちから訊いたくせになんなんだ、この偉そうなヤツめ。

「じゃあこいつらは視えるかな?」

 そういうと、車のフロントガラスに張り付いている、謎の生命体を指さす。

「視えます……。今日突然、視えるようになって、イマジナリーフレンズかなって思ってたところなんです。

 このキモグロいのは何なんですか。ていうか、あなた。マスクくらい取ったらどうなんです? 名乗ってもないし、いくら何でも有り得なくないですか? そもそもいとこなんて嘘ですよね? 身代金なら他をあたってください」

 一息にそこまで言って、溜まっていた不満の量に気づく。

 うわぁ。光梨ちゃん怖~い。

「答えられる範囲でしか答えられないんだけど……。

 まず、こいつらについてだよね。こいつらは呪霊っていう、良くない生き物たち。

 それで、マスクを取ってほしい、だっけ? 別に構わないけど」

 そう前置きをして、男はマスクを取る。

 意外にも顔立ちは整っていて、塩顔ながらも中々のイケメンである。

 じゃなくて。

「名前は名乗れないかな…。とりあえず祐樹って呼んでくれればいいよ。

 それに目的は身代金じゃない」

「じゃあ何ですか。早く帰らせてください」

 そこまで言ったところで、再び口が動かなくなる。

「その感じだと、まだ完全に覚醒しているわけじゃなさそうだね。安心したよ。

 ………これで君をこちらの勢力に引き込みやすくなる」

 こちらの勢力? 最後の方はあまり聞こえなかったから、勘ぐりをしてしまう。

 そもそも覚醒とは、何に関してのことなのだろうか。

 訊きたいことは山ほどあるのに、口が動かないのでどうにもならない。

「おっと、そろそろタイムリミットだ。ここで戦うのは御免だからな」

 ちらっとバックミラーを確認し、背後を1瞥する。

 この車の後ろには、数台の黒い大きい車しかないのに、何か問題でもあるのだろうか。

「アクセル全開で行くから、舌を噛まないように」

 けたたましいエンジン音を鳴らして走るのは、私たちの車だけじゃなかった。

「なんでついてきてんのよ、後ろの車ぁ!」

 道交法という言葉をご存知だろうか。


 しばらく直進していくと、交差点へと差し掛かる。

 赤信号が変わり進もうとするが、車が動かない。

 今がチャンスだ。

 そう思って勢いよく扉を開ける。

「待て!」

 慌てて男も飛び降りて、車の外に出る。

 どうも、タイヤがパンクしたらしい。

「動くな、手を挙げろ」

 後ろから聞こえる声に振り向けば、銃を持った屈強な男たちがいた。

 銃刀法という言葉をご存知だろうか。

 しかし、よくよく確認すると、周りに通行人はおらず、歪んだ交差点や曲がりくねった信号が佇んでいる。

「ちっ。結界の中に入れられたか」

「その通りだ。さぁ、神坂の末裔を引き渡せ。ついでにお前にも来てもらう」

 屈強な男たちを前に、自称いとこの額に冷や汗が1筋流れ落ちた。

「それはできない」

「どういう意味だ」

「神坂の末裔を渡すつもりも、付いていくつもりもない、ということだ」

 銃を構えている男の1人が、突然その場に崩れ落ちた。

 1人、また1人、ぱたぱたと倒れていく。

「傀儡呪法か……。総呪力量はどちらが多いだろうな」

「さぁな。でもお前に戦闘能力はほぼないんじゃないか?」

 煽るように笑みを浮かべてはみるが、正直なところ、こちらに勝ち目はない。

 億が一にも、光梨が覚醒すれば勝率は大幅に上がるだろう。

 しかし、味方をしてくれる保証はないし、最悪の場合、この空間ごと破壊されかねない。

 傀儡呪法も、呪術師が相手では、そう長くは持つまい。

 動かせる人間だけ動かして、切り抜ける方法を考える。


 ———外側からの力で壊せないなら、内側から力を加えるんだよ。

 自分に生きがいをくれた、命の恩人の言葉が脳裏をよぎる。


 今まで頭上に挙げていた両手を胸の前で交差させ、顔の近くで構える。

 指のその先まで神経を研ぎ澄まし、敵の4肢を絡めとる。


 ———お前の仇を、教えてやろう。

 悲壮が、憎悪が、孤独が、俺を妖術師たらしめた。


 相手の手が銃を取り落としたのを見て、勢いよく奪い取る。

 右手には銃を、左手には傀儡を。


 ———ヘマは、するなよ。

 今日、組織の本部を出る時に、教祖様がかけてくれた言葉はこれだった。


 味方同士がお互いを殴り合う、地獄絵図のような空間が広がる。

 しかし外に戻るためには、結界の要となっている誰か1人を殺さなければならない。

 さて、どうするか。


 と、その刹那、背中に無機物が当てられた。

「術師、術に溺れるってな。……神坂の末裔はもらった。

 お前には2つ選択肢がある。1つ、このまま俺たち呪術師についてくる。

 2つ、独り寂しく、この結界の中で死ぬ。

 悪いようにはしない。俺たちについてこい——古き同胞よ」

 それを聞いて、吐き気がこみあげてきた。

 何が同胞だ。———お前たち本家が、分家を殺したくせに。

「どの口が言っている……!」

 溢れ出る感情は複雑すぎて、俺の心から全てを消した。

 憎しみも、生きがいも、目的も。

 こいつらに殺されるくらいなら、いっそ——————。


 正直なところ、俺の呪力はもうじき限界を迎えるだろう。

 このまま戦っても、無言を貫いても、殺されるのは時間の問題だ。

 幸い、手持ちの銃の装填弾数には、まだ余裕がある。


 後ろにいる人間は、たぶんまだ己の手を汚したことのない奴らだ。

 銃から伝わる震えが、人間を殺す恐怖と躊躇いを物語っている。

 ———大切に育てられた者なのだと、感じた。俺とは違うのだ、と。

 きっと、俺から黒幕の情報を引き出すように命じられているのだろう。


「そんなに情報を聞きたいか」

「黙れ」

 先ほどまで小刻みだった震えが、途端に大きなものに変わる。図星だ。

 こいつらでは俺を殺せない。

 しかしこちらも、情報を渡すわけにはいかない。

 確信を掴むと、振り向きざまに肘鉄を食らわせ、未だ伸びていない敵と向かい合う。

 なるほど、車に潜んでいたのか。無駄にデカかったのは、そういうことらしかった。


「知りたかったら、ついて来いよ」

 去り際に、携帯を置いて行けと言われたのは、このためだったのか。

 教祖様がどこまで未来図を描いているかは、知らない。

 俺たち幹部や信者には、それを現実にするために命を賭ける義務がある。


「あの世までなぁ!」


 パン!


 こめかみから、生温かいものが滴り落ちる。

 視界は、隅の方から赤く染まっていき、気付けば暗転していた。


 乾いた銃声だけが、もの悲しく木霊した。




 先ほどまでの摩訶不思議な空間から1転、気付いた時には現実世界にいた。

 私は、これが悪い夢であることを願っていたが、それが有り得ないことも知っていた。

 なぜなら、自称いとこの男の死体が車へと運ばれていく様を、見てしまったからだ。

 かく言う私も、銃口を向けてきた男たちに連れられて、車に押し込まれる。

「なんなんですか、家に帰りたいんですけど……っ⁈」

 ハンカチで口元を抑えられつけられる。

「これじゃあまるで、誘拐犯だな」

 ほんとだよ。自覚あるならやめろよ。

 噛みつこうとしたが、なぜか力は入らず、意識は暗い底へと落ちていった。



 目が覚めた時、私はよくわからない場所にいた。

 和風のライトが、1つ虚しく吊るされている。

 薄暗さに慣れてきたところで、周囲を観察すると、今この部屋にいるのは私だけだ、ということが分かった。

 誰かが来る前に逃げようとするが、立てないことに気づく。

 どうも鎖で、椅子に括り付けられているらしい。

 壁をよく見ると、文字なのか記号なのか蛇なのか、とにかく解読不能なものが書かれた紙が1面に貼られている。

 いわゆる〝お札〟というやつなのだろうか。気色悪いことこの上ない。

 そもそも華のJKを誘拐して、拘束している時点で趣味の悪さに反吐が出そうだ。

 とにかく逃げることは限りなく不可能に近い、と分かり絶望する。

 人生は絶望の連続である。これが、私の座右の銘になってしまいそう。


 ところで先ほどから、この部屋が薄ら寒い気がするのだが、どうしてだろうか。

 この部屋には窓がなく、空気の循環が悪いため、風邪でも引いたのかもしれない。

 おいコラ、慰謝料請求したろか、あぁん?

 1人で啖呵を切り、睨みをきかせる。視線の先には誰もいないが。

 ……薄ら寒い? いや、違う。

 これは悪寒だ。背筋から這い上がってくるような。

 そういえば今日、夢を見た。

 内容はよく覚えていないが、なぜか恐怖を感じる夢だった。

 この悪寒は、そこからくる恐怖だろうか。

 否、これは恐怖などではない。

 しかし、それなら何だというのだろう。

 深く考えてもわからないことなのに、こたえを求めてしまう。

 孤独は人を不安にさせる。

「もう慣れたと、思ってたのに」

 ずっと昔に、私を捨てた両親の顔が、瞼の奥ではじけて消えた。

 物理的に1人になると、自分には頼れる人がいないのだと、いやでも感じさせられる。

 親友の渚だって、施設の先生だって、ここには誰もいない。

 思考が果てのないマイナスに行こうとしたところで、ドアノブを回す音がした。

 無意識に全身の毛が逆立つ。

 ここにいては危険だと。本能が警鐘を鳴らす。

 分かっていても逃げることはできないし、仮に運よく逃げられたとしても、捕まってしまうような気がしてならない。

「気分はいかがですか」

 今日会ったどの男とも違う風貌の男が、人のよさそうな笑みを浮かべて声をかけてくる。

 私は学んだ。人を見た目で判断してはいけない、と。

「最悪だね。逆に、いいと答えると思ったの?」

「もしあなたがそう答えてくれたら……、僕は何の躊躇いもなく、あなたを殺せたでしょうね」

 ……ん? 今すごく物騒なこと言わなかったか?

 これって警察に通報したほうが良くない?

「あ、今、通報しようかなって思ったでしょ?

 意味ないと思うよ。国が〝こっちの世界〟に干渉してくることは、ほとんどないから」

 もしかして既に死んでいて、ここは現世ではないということだろうか。

「それも違うね。ここはれっきとした現世だ。東京の池袋」

 まるで、私の脳内を見ているかのように続ける。

「もう気付いていると思うけど、僕は君を殺すためにここに来た」

「初対面だと思うんですけど」

「そうだね。たしかに、僕と君は初対面だ。でも、そんなことは関係がない」

 そこまで言って、男は片手で印のようなものを組む。

 すると、突然、弓矢がどこからともなく出現した。

「だって、神坂家の人間は存在してはならないんだから」

 男が、私の眉間を的に矢をつがえる。

 ああ、ここで死ぬんだな。早い人生だった。

 もっとやりたいことはあったが、なかなかに楽しいものだったと思う。

 死んだら、自分の両親がどこにいるのか、上から見つけ出してやる。

 そして、文句をたくさんくれてやろう。

 なんで捨てていったんだ、と。

 なぜブレスレットだけを残して去ったのか、と。

 目をぎゅっとつむって、矢が刺さるその時を待つ。

 瞼に現れたのは、渚や施設の子たちと過ごした日々だった。


 死にたく、ない。


 矢が風を切る音が響く。

 願っても、もう手遅れかもしれない。

 それでも私は、死にたくない。

 こんな素性の知れないやつに、動機の分からない奴に、殺されたくない。


 パリン。


 ブレスレットにひびが入る音が、私を現実に引き戻した。

 そういえば、いつまでも意識が途切れないのはなぜだろう。

 私とあの男との距離から考えるに、もう私がこと切れていても何もおかしくはないはずなのに。

 恐怖で閉じていた目を、そっと開く。

 すると眼前では、例の男が信じられないという表情をして、矢を放った姿勢のまま固まっていた。

 目線を眉間のあたりへ向けると、矢が体に届く寸前で止まっていることが分かった。

 恐る恐る身じろぎをすると、ブレスレットがことりと落ちる。

 男はそれを一瞥したあと、目を大きく開き、笑みを浮かべた。

「殺したくば勾玉を壊せ、ということか」

 胸元から銃を取り出し、私のほうへ構えながら、落ちたブレスレットを拾い上げる。

 しばらくそれを観察し、こちらに視線を向ける。

「これは誰からもらった」

「誰って……両親よ。顔も覚えていない、ね。

 返してくれる? それ。肌身離さず持つことって、置き手紙までされてたものなんだけど」

 男は再びブレスレットを観察し、先ほどと同じようにこちらに視線を向けた。

 1回目より幾分か冷めた視線を。

「ならばなお、壊さないといけないらしいな」

 突然、右腕をゆらりと上げると、それを振りかぶって床に叩きつけた。

「やめて!」

 私の制止の声など、聞こえていないかのように、ブレスレットを踏みつける。

「お願い! やめて! ねぇやめてってば!」

 自分が想像していたのよりも、ずっと引きつった声が喉をついて出る。

 私は意外にも、両親との唯1の繋ぎ目を大切にしていたらしかった。

 見るも無残なブレスレットの装飾部を見て、頬を1筋の涙が伝う。

 それに反して、背筋を寒気が這い上がる。

「どうした」

 私は、無意識に身震いをしていたようだった。

 男が不審そうにこちらを見て、慌てて銃を構えた。


 ばーん、というけたたましい爆発音が鳴り響く。


 その拍子に、私を縛っていた鎖も切れたのかもしれない。

 私は窓から投げ出され、どこかに落ちた。



 2


 あと3コールしたら出よう。

 あいつのことだ。きっと、こちらが意図的に無視をしていることには気づいているだろう。

 そう思って床に顔をうずめていた。

 うずめていたのに。

「颯~、起きてるよね? 電話に出ないなら、ドアくらい開けてくれないかな? そうじゃないとお前の居場所を……」

 ドンドンと叩く向こうで、あいつがニコニコと笑っている姿が容易に想像できる。

 バンッとドアを開けて、ギュイッとあいつをうちへ引きずり込む。

「外で颯とか呼ぶなーーーーー!」

 ここ数週間分のストレスを叫び声に乗せて喚く。

「うるっさ…。その声のほうがよっぽど居場所を知らせているんじゃないか」

「黙れ。こちとら寝てたんだよ」

「午後まで睡眠なんて体に悪いよ。3十はすぐやってくるんだから、健康に気を使ったほうがいい。まぁ、玄関先で寝てる人間に言えることではないか」

 ずかずかと俺の家を闊歩し、冷蔵庫からジュースを取り出している奴が言えることでもないと思うのだが。

「おい勝手に漁るな」

「どっちが飲みたい? オレンジとリンゴがあるけど」

「それくらい知ってるわ、リンゴ」

「さすが甘党~。ていうか颯、朝ごはん食べてないでしょ」

 ややげっそりしながら言い返す。

「お前が電話なんか寄越したせいだぞ、嵐馬。せっかくの睡眠を邪魔しやがって」

「ごめんごめん、急用で。……あ、ここにある食パン、賞味期限切れてるよ」

「あー……冷蔵庫ン中に1本満足と10秒チャージとカロリーメイト入ってから、それ食べるわ。ちょーだい」

 昨日までの過酷な仕事のせいで、最近はまともな食事がとれていない。

 つい10年くらい前までは、もっとマシな生活をしていたのに。

 ソファにドカッと腰かけて、天を仰ぐ。

 あれからもう、10年も経つのか……。

「ていうかさ、床で寝るのやめた方がいいって。体痛くならないの?」

「体が痛くなるとかそれ以前に、家に付いて、気付いたら床の上なんだって」

「それ、睡眠じゃなくて気絶だよ」

「そう思うんだったら、面倒な案件を積極的に俺に回すのをやめてくれ」

 投げられた朝ごはんたちを、シャツを受け皿にしてキャッチし、いそいそと開封する。

 最近の発見と言えば、10秒チャージは、本当に10秒で飲めるということだろう。

 まったく、大人ってのは忙しないもんだねぇ……。

「まぁ、お前が来た時点で予想はできてる。……今回の依頼はなんだ」

 ダイニングテーブルで、優雅に2人分のリンゴジュースを注いでいる嵐馬のもとへ向かう。

 そこらへんから適当に取り出したクッキーを俺の席に用意し、座るように促した。

 お互い座って、ある程度むしゃむしゃ食べたところで、嵐馬が切り出す。

「神坂の末裔が、発見された」

「え?」

 カロリーメイトを開封していた手を止めて、嵐馬を見つめる。

「本物なの?」

「さぁね、さすがにそこまでは分からなかった。

 ……でも、確保へと動いているくらいだから、何か証拠は掴めているのかもよ?」

 嵐馬がごそごそと本棚を漁る。

 そして、『呪術基礎ⅰ』と書かれた本を持って、こちらへと戻ってくる。

「えーっと……あ、あったあった『項目5. 神坂家とその罪』んーっと、『神坂家はかつて』」

「『その血筋の長さで、呪術界の頂点に君臨していた。』」

「よく覚えてるね、颯」

「もちろんこの続きも言える。確か、『しかし、明治初期に起きた、特別指定呪物強奪事件の犯人が、神坂家の当主だと分かると、呪術界から非難の目で見られた。その後、数回にわたり術師界への謀反の罪に問われ、1946年に追放命令が出された。』だったよな。この先は知らん」

 嵐馬がクッキーのごみを捨てにいく。

 こいつなんで、俺の家のものを食べてるんだ?

「教科書によると、『神坂家の者には、謀反の可能性及び復讐や反乱が考えられるため、呪力を察知した場合直ちに死刑に処す』だとよ。考え方が古いねぇ~」

 うぇーと舌を出しながら言う様は、とてもじゃないけれど28歳独身男性には見えない。

「んで? お前からの依頼は、その神坂の末裔らしき者の暗殺か? それなら断る。人殺しは他を当たれ。掃除は苦手なんだ」

 舌を引っ込めて、こちらを振り返る。

 そして嵐馬は突然立ち上がると、洗面所へと足を向けた。

 こいつなんで、俺の家のつくりを知ってるんだ?

 後を追って、俺も洗面所へと向かう。

 こう見ると、嵐馬ってなかなかのイケメンだよなぁ。

 肩まで届くくらいの髪をハーフアップに結わえる姿は、結構かっこよかったりもする。本人には絶対言わないけど。

「櫛、買ってくれたんだね。ありがとう」

「なぜかお前が家にいることが多いからな」

 若干身長が高いのをいいことに、上から見下ろす。

 ひとしきり嵐馬を見下ろしたあと、口を開く。

「俺の問いに答えろ。今回の依頼はなんだ」

 少しドスの効いた声で問えば、大抵の奴は答えを吐く。

 しかしその技は、昔からこいつには通じない。初対面のころから、そうだった。

「親友の家に来るのに、依頼はどうしても必要か?」

 自分の髪型に満足したのか、今度は服装を鏡でチェックし始める。

「金持ちにタダ飯食わせる気はねーよ。金! 依頼! 両方!」

「颯ちゃん、汚い人間になりまちたねぇ~。出会ったばかりのころは、あんなに純真無垢で素直だったのに」

 ゴミを見るような目で見つめてくる。

 これはもしや、ガチのマジで依頼がないやつでは……⁇

 まぁ別に、生活に困ってるわけではないんだけど。

「依頼はないよ。でも颯、守りたくなっちゃうでしょ?」

 嵐馬が、ポケットから車のキーを取り出して、笑ってみせる。

「別にそんなんじゃない。未来ある呪術師を死なせたくないだけだ」

「そのワケは?」

「俺の労働環境の改善」

「汚ぇな、お前。たまに疑いたくなるんだけど、颯の出自」

 部屋にかかっていた、任務用の黒服を適当に手に取り、着用する。

 この目立つ白髪と碧眼を隠すために、黒い帽子とサングラスも必須だ。

 よっし、準備完了。

「俺の出自?———三名傑が1つ、五行家の長男、だ。今は縁を切られてるけどな。あ、神坂の末裔に関する情報、全部送ってくれ。車は自分のを使う」

「……分かったよ。くれぐれも無茶はするなよ」

 俺の言いたいことが分かったらしい。

 ため息をつきながらも、出かける準備をしているあたり、こいつもこいつなりに動くつもりだろう。

「またな」

「あぁ」

 鍵を閉めて、嵐馬を見送る。

「さてと」

 1人でやる。

 それが今回、俺が出した結論だった。

「面白そーじゃん」

 エンジンを蒸かしたまま、アクセルを踏み込む。

 夏なのに、外では蝉が鳴いていなかった。

 スマホの音読機能を使って、嵐馬から転送されたメールを確認する。

 どうやら最新のものだけを送ってくれたらしい。有難い。

【このメッセージは、全国術師連盟に登録されている呪術師へ一斉送信されています。このメールアドレスにご送信されましても、返信はできませんので、あらかじめご了承ください。】

 そんなことはどうでもいいんだよ。

【2021年7月12日13時30分、対象:神坂光梨を捕獲。

 現在、池袋拘置所にて監禁中。

 目覚め次第、取り調べを行い、死刑を実行する】

「クソッ!」

 今は13時45分だ。

 現在地が新宿であることから考えて、目的地まで軽く20分はかかるだろう。

 これなら飛んだ方がまだ間に合うのに。

 しかし、現実問題、身長190㎝を超えた男、しかもこの暑さの中を長袖長ズボン、全身黒となると、飛ぶのにはいささか不利である。

 やはり車が1番なのだろう。

 道交法ギリギリくらいのスピードを出しながら、ナビを設定した。



 術師連盟の本部や呪具倉庫など、呪術界の要となる部分は、基本的に強力な結界で覆われており、非術師は中に入れないようになっている。

 また、建物自体もかなり頑丈な作りを為されているうえに、呪力などで強化されているから、簡単に壊れることはない。

 もちろんこれは、池袋拘置所も例外ではない。

 そう、例外ではない。

 ないはず、なのだが。

「なんで跡形もなく粉々になってるわけ?」

 現在時刻14時7分。予想よりも少し時間はかかったが、目的地は予想を超えた姿に変貌していた。

 そう。跡形もなく、粉々になっているのだ。

 これ以外の形容の仕方が分からないくらいに。

 強いて言うなら更地、あるいは灰、といったところだろうか。

 何か激戦が繰り広げられたのか、と思ったが、自分の呪法を使ってもここまでの被害は出せない。

 となると、おそらく原因は、神坂の末裔だろう。

 しかし神坂家の伝承術は、超攻撃特化型とかではなかった気がする。

 むしろ攻撃性の高さでいったら、俺の呪法のほうが上なくらいだと思う。

 とはいってもなぁ…『裂苛』の可能性もあるしなぁ……とりあえずけが人がいないかだけ確認しとこうかなぁ…怪我人の治癒もやっときたいけどなぁ…呪力使ったら残滓で辿られてやだなぁ…うーん、なにかに使えるかもだから土だけちょっとほしいなぁ……。

 なんだかんだ言いつつも、目の前で人が死んだりするのはもう見飽きてるので、ちゃっかり怪我人の治癒を行う。

 人数が多すぎて、全員を癒すことはできないだろうけど。

 それでも、手を差し伸べられる距離にいる人を、見捨てることはしたくないのだ。

 そうやって、目の届く範囲にいる術師たちの治癒をしていたときだった。

「誰だ」

 背後に感じる気配。

 その殺気立つ様から予想するに、おそらくは——。

「《アスカ》の気配を感じとるとは、さすがは五行颯」

「ほめてくださりどーも」

 ゆらりと振り返り、答える。

 こいつらと戦うこと自体は大した労力ではないのだが、いかんせん場所が悪すぎる。

 いくら更地に近いからといっても、〝動〟の力を使えば、周りの建物や無関係な人々を巻き込みかねない。

「さぁ、今日こそお前の首を取ってやる……っておい! 消えたぞ!」

 バカな奴らだな。俺はすぐ真上にいるってのに。

 唇に小さく嘲笑を乗せると、速度を上げて空を駆け出した。

「お?」

 探し物は、俯瞰してみると見つかるらしい。

 池袋拘置所が元々あった場所から少し入った裏路地に、1人の影を見つけた。

 どうやら寝込んでいるらしく、ぴくりとも動かない。

「これはビンゴでは?」

 目的の場所から少し離れた所めがけて、着地する。

 さすがに、空から降りてきたら怪しまれるだろう、という自分なりの気遣いだ。感謝してほしい。これでも、空気は読めるようになった方なのだ。


 少し歩いていくと、目的の人物はすぐわかった。

【茶髪で胸元あたり。髪は下ろしている。】

 嵐馬から送られてきた、メールに記載されていた通りの特徴だ。

 もしかしたら死んでるかも、と思い、慌てて脈を確認する。

 気絶しているだけらしい。

 我ともなく、ため息を吐き出す。よかった、生きていて。

 とりあえず、ここにいては危険だ。自分も、彼女も。

 見てみると、まだ幼さの残る顔立ちをしているし、精神的な不安も大きかっただろう。

 とはいいつつ、少女からは呪力がプンプン漂ってくるので、とりあえず呪力を止めなくては。

 起こすのが妥当だよな、きっと。

 壁に背を預ける体勢にしてあげてから、声を掛けよう。

 そう思って手を伸ばした。

「よいしょ」

 年だろうか。まだ28なのに、疲労がたまりすぎているのかもしれない。

 帰宅したら寝よう。

 姿勢を変えてあげて、辛そうじゃないのを確認し、肩を掴む。

「おーい起きろー」

 ぶんぶんと揺さぶるが、起きる気配は1向にない。

「おーい、起きろってばー」

「んん…まだ寝る……」

 意識は覚醒してきたらしい。

 こちらとしても寝させてあげたいのはやまやまなのだが、追手がいつ来るか分からない。

 うーん……。仕方ない。ここは力ずくで起こすしか。

「わっ!」

「うわびっくりしたぁ…。ていうか誰? 不審者はもう足りてます」

「ひどい! この子、俺のこと不審者って言った! ひどい!」

 少女は立ち上がって、白い目でこちらを見た。

 それに合わせて、俺も立ち上がる。

「だって……」

「だって?」

 上から覗き込むように腰を折り、目線を合わせる。

「だってアンタ、全身黒じゃない! しかも帽子にサングラスよ⁈

 今日会った男の中で1番不審者っぽい見た目してる! 来るな!」

 言われてみれば、たしかにこの格好は怪しいかもしれない。

 でも、指さして退きながら言わなくてもよくない?

「大丈夫大丈夫。俺、そんな怪しい人じゃないから」

「誰が信じられるか! 私は今から、施設に戻るんだ!」

 駆け出そうとする彼女の手首を掴んで、引き留める。

「離して! 私はまだ死にたくない!」

 ああ、そういうことか。

 拘置所で死刑実行寸前まで追い込まれたのだろう。

 しかし何かが引き金となり、呪力が炸裂したのだ。

 そして未だ抑え込めていないことから考えるに、《アスカ》が来るのも時間の問題だ。

 つまりここで争っている暇はない。1刻も早く、彼女の存在を隠す必要がある。

 例えば、呪力が漏れないように結界で覆われている、俺の家で暮らす、とか。

 あるいは、抑制する術を身に着けてもらう、とか。

 何か呪術的価値のあるお守りを身に着けてもらう、とか。

 とにかくこの場を抜け出さないことには、どうにもできない。

「ああもう!」

 車まで戻るのは、リスクが高い……しゃーない、飛ぶか。

 そう思って、彼女の首根っこを掴んだ時だった。

「いたぞ!」

「チッ」

 なんでこんな時に来たんだよ、っざけんな。

 少女が、心なし息をのんだ気がする。

 怯えさせんなよクソが。

「さぁ神坂の末裔を寄越せ」

「いやだから、私の名前は上坂だって」

 律儀に訂正を入れているあたり、真面目な性格なのが伺える。

「ややこしくなるから、お前は黙ってろ」

 少女を自分の後ろに隠し、右手でサングラスを外す。

 この目の色は、相手への威嚇にも使えることを、最近になって知った。

 空いた利き手を広げて、末端まで神経を張り詰める。

 先ほど頂戴した土を、さっそく活かすことになりそうだ。

「なっ⁈ 地面が盛り上がった⁈」

 驚愕に満ちた声が、後ろで上がる。

「おのれ颯……!」

 そのまま浮いた体を風に乗せ、池袋拘置所の跡地目指して投げ飛ばす。

 あいつらが怪我を負おうが、この際どーでもいい。

 今は、神坂の末裔と自分の身のほうが大切だ。

「おい」

「なに? ……ってえ? 待って待って待って。離して、ちょっと何なのよ! え? うわぁぁぁぁぁ!」

 再び首根っこを掴まれ、騒ぐ少女をそのまま無視し、空へ駆け出す。

「なんで空飛んでんのよぉぉぉぉーーー!」



 3


「初めての空中散策は楽しめた?」

「全く!」

「え、なんでよ」

 私は、よく分からない男に空を飛ばされたあと、これまたよく分からない場所にいた。

 眼前に広がる一軒家は、彼のものだろうか。

 ぱっと見、20代前半くらいだが、もしかしてどこかの御曹司だったりするのかもしれない。

 と、考えたところで、ないない、と首を振る。

 ここまで来る途中で、彼の精神年齢が低いのは理解したつもりだ。

「なに突っ立ってんの。早く入りなよ」

 いつの間にか、長身男が玄関の鍵を開けて中に入っている。

「え待って、誘拐?」

「違うって」

「うわっ」

 無理やり手を引かれて、家の中へと入れられる。

 勢いあまって転びそうになったところを、男に片手で支えられる。

 もしかして、意外といい人……?

 いや確かに、高身長イケメンで心惹かれるけど。

「なに見てんの」

 やっぱりダメだ。早く逃げなくては。

 鍵を開けようと手を掛けたところで、男に肩を掴まれる。

「逃げないでってば」

「いやです。警察呼びますよ」

「なっ……それは困る」

 本気で困っていそうな顔でいうので、同情心がくすぐられる。

 今日会った誘拐犯に比べて、比較的理性があるっぽいし、何より気絶していたところを助けてもらった恩がある。

「わかりました。とりあえず名前と目的を教えてください」

「え、名前言わなきゃダメ?」

「ダメです」

 男が、冷蔵庫で冷やされたジュースを注ぎながら、話す。

「オレンジでいいよね」

 なんで、いいよねって上から目線なんだろうか。

 まぁ彼の(らしい)ので、文句は言えないが。

「俺の名前は、五行颯」

「ゴギョウハヤテ?」

「数字の五に行く、で五行。立つ風って書いて、颯」

 珍しい苗字だな、と思う。聞いたことがないな、と。

「目的は?」

「目的? う~~~~ん……、特にない」

「今すぐ帰らせて」

「待ってよ」

 席を立ったところで、慌てて止められる。

「急いで目的考えるから待って」

 考えるものじゃないと思うのだが、そこらへんは突っ込まない方がいい気がしてきた。

「強いて言うなら、君の保護と育成……かな」

「ん?」

 ホゴトイクセイ?

 この人は、私を殺すつもりでここに連れてきたわけではない、ということか?

 いやいやいや、騙されるな光梨。

 世の中の不審者の大半は、初めは甘い言葉を吐くものだ。

「ちょっと確認させて。アンタは私を殺そうとした集団の仲間じゃないってこと?」

「アンタって言うな年上だぞ」

「じゃあ、なんて呼べばいいのよ」

「颯って名乗ったでしょ⁈ てゆーか、君も名乗りなさい」

 ああ、そういえばまだ、名乗ってなかった。

 なんかこの人、私の名前知ってそうだし、名乗る必要性感じないけど。

「上坂光梨。上の坂に光る梨。今日会った不審者たちは、なぜか私のことをコウサカって呼ぶけど、間違えないでね……って、颯? 聞いてんの?」

 そんなふうに、え?って顔をされても困るんだけど。

「……あぁそういうことか、っておい。颯って、俺のこと呼び捨てなんかい」

「だって精神年齢は私よりも下っぽいし」

「ひどい! ひどすぎる! 年上は敬いなさい!」

 年上……ねぇ…。言動の節々から幼さを感じるので、一旦無視しておこう。うんうん、我ながら得策だ。

「ま、いいや。……俺は、今はあの人たちの敵だ」

「今は? 昔は味方だったってこと? ていうかなんで私が追われなきゃいけないわけ?」

「矢継ぎ早に質問すんな」

 気分が落ち着いてきたのか、イライラが爆発する。

 そもそもなんで私は、死刑だのなんだのと、言われなきゃいけないのだろうか。

 颯はきっと、その理由を知っているはずだ。何か教えてもらえるかもしれない。

「え~と、なんだっけ? 昔は味方だったか? ……そうともいう、ね。

 10年くらい前の話だけど」

 ということは、私は颯をある程度信用してもいいわけだ。なるほど。

「で? 私はなんで追われてるわけ? ていうかコウサカって誰なの?」

「イライラしないの。とりあえずジュース飲みな。糖分摂れるよ」

 オレンジジュースぶっかけてやろうかな、と思って止めた。私には理性がある。

「まぁそれはおいおい分かるよ」

「それじゃあ困るんだけど」

 グ~

 虚しく響いた音の発生源は、私だった。

「し、仕方ないでしょ! まだお昼ごはん食べてないんだから!」

 数回瞬きをした後、颯は人の悪い笑みを浮かべた。

「俺まだ何も言ってないんだけど」

 …………。コイツ~~~~~!

「何? おなかすいたの? え、意外とかわいいとこあんじゃん」

「黙れ」

 ぶっきらぼうに言葉を吐いて、冷蔵庫の中を漁る。

 何もないじゃないか。

 ジュースとカロリーメイトと10秒チャージと一本満足はたくさんあるのに、肝心な主食はない。

 机の上にある食パンを確認してみると、消費期限が切れているし。

 颯本人は、誰かと電話をしているみたいだし、何か食べるものを買わないと。

 そう思い、玄関のドアを開けようとした時だった。

「わっ」

 ドアが引かれて、誰かが入ってくる。

 まさか追手……?

「あ、ごめんごめん。びっくりしたよね。颯~、食材買ってきたよ」

「お、サンキュー…って、こら。外に出ちゃダメ」

「私はラプンツェルか」

 もう1人、黒服の男が家に上がってきた。

 颯と親しい人らしく、こちらも見た目の怪しさに反して、なかなかのイケメンである。

 黒い長い髪をハーフアップにまとめており、伸びかけの前髪はセンター分けで綺麗に流されている。

 身長は颯のほうが少し大きそうだが、おそらく二人とも、日本人の成人男性の平均身長よりは高いのだろう。威圧感が半端ない。

 類は友を呼ぶ、というのは、こういうことなのかもしれない。

 長髪男の後を追って、リビングに入る。

「颯。俺は友人として忠告しようと思う」

「は?」

「未成年に手を出すのはやめた方がいい」

「……は?」

 颯も私も声を上げる。

 こちらの男性は、何か勘違いをされていらっしゃるようだ。

「そこにいる女の子、まだ学生だろう? そろそろお前も、自分がアラサーであることを認めたらどうなんだ? 確かに見た目は20代前半、人によっては高校生くらいに感じるかもしれないけど」

「おいちょっと待て。どさくさに紛れてアラサー言うな」

「え、颯ってもう30なの? 信じられない」

「そうだよ。今すぐここから逃げた方がいい。交番ならそこの角を曲がってすぐだよ」

 料理用エプロンを着ながら言われても、なんというか説得力に欠けている気がする。

 ていうかもしかして、この男もアラサーなのでは……?

「嵐馬。なにか勘違いしてるっぽいから教えてやる。こいつは神坂の末裔だ」

「だーかーら! コウサカじゃなくて上坂だっての!」

 今日だけで、何回したか分からない訂正を入れる。

「……知ってるよ。ごめんね光梨ちゃん、悪ノリして」

 うん、なんで私の名前知ってるの?

 そんな申し訳なさそうに言われても怖いよ?

「なんで俺には謝罪しないんだよ。笑えねー冗談はやめろ」

「いや、別にいいかなーと」

「やんのかコラ」

「構わないけど」

 一触即発の雰囲気を放つ二人を横目に、台所に入る。

 長髪イケメンは、料理もできるらしい。どうやら、なにか美味しそうなものを作っている。

 いやそれにしても、眼福。タイプの違うイケメンが2人もいる!

 これはJK冥利に尽きるとしか、言いようがない。渚にも共有したかった。

「まぁ決着は後でつけるとして」

 長髪イケメンが、調理に戻る。

 どうやら、喧嘩はしないことになったらしい。つまらん。、

「颯は光梨ちゃんに、どこまで説明したの? 神坂を上坂に訂正しているあたり、大した説明してないんじゃない?」

「だってそれは、コイツが逃げるから……」

 颯は、長髪イケメンには敵わないようで、言い訳が尻すぼみになっていく。

「はぁ……とりあえず、俺がパエリア作ってる間に会話しときなよ。

 あ、そういえば光梨ちゃんって苦手な食べ物ある?」

「いや特には……。あでも、アボカドが無理かも。

 それと、訊きそびれてたんだけど、あなたの名前は?」

 今のところ、私はこの人のことを長髪イケメンと呼んでいるが、さすがにそれでは無理があるだろう。

「そういえばまだ、言ってなかったね。俺の名前は、秋庭嵐馬。あきばのばは、庭って書くんだ。よろしくね」

 名乗ってくれるなんて、めちゃめちゃいい人やん!

 私は彼に、結構ほだされているらしい。イケメンとは恐ろしいものだ。

 ……ん? 颯もイケメンだろうって? 颯は精神年齢の低さが、顔よりも前に出てきちゃって却下だ。

 そんなこんなで嵐馬さんに流されるままに、颯が待つダイニングテーブルに座る。

「なんで颯たちは、私のことをコウサカって呼ぶの?」

「あー…それはだなぁ……」

 立ち上がって、本棚へ向かう颯を見送る。

 しばらく吟味をして、数冊の本とメモ用紙、そしてボールペンを持って戻ってきた。

「まずこの世には、呪術師と呼ばれる人たちがいて」

 お、おう? なんだか話が壮大だなぁ。

「まぁその人たちは、普段は一般人と同じ日常生活を送ったりしてるんだけど、呪霊っていうキモグロいのを見つけたときは、それを祓ったりしてるわけ」

「でも別に、それ私に関係なくない?」

 そこで、颯がメモ用紙とペンを用意する。そして、『呪術師』と『呪霊』と書いた。

「でも君、キモグロいやつら視えるでしょ」

「えぇ今朝から視えるようになりましたよ」

 加えて何やら、お化けみたいな絵を描く。

 本人にとっては、呪霊のつもりなのだろうが、こちらからするとかわいいお化けにしか見えない。神様は颯に、絵心も与えなかったようだ。

「んで、呪術師が呪霊を祓う時に使う力、それを呪力と呼ぶんだけど」

 颯は『呪力』という文字を書き加える。

「呪力の有無は大抵の場合、遺伝的なものだ。もちろん、一般人の両親から呪術師が生まれることもあるし、その逆——つまり呪術師の両親から、一般人が生まれることもある」

「なるほどね」

 意外にも颯の説明は分かりやすく、すんなりと耳に入ってくる。

「そして、遺伝されることが多いのは呪力の有無だけじゃない。

 有名なものだと、見鬼、呪法、呪力量とかだな」

 続けて『見鬼』、『呪法』、『呪力量』と書く。

「見鬼は霊感に近いもので、ある程度は後天的に身に着けることが出来る。

 でも、呪力の有無や呪法は一部例外を除いて、先天的なものだ。

 呪力量もそんな感じ。ここまで理解できてる?」

「なんとなくは」

 そして颯は、メモを裏返す。

「だから呪術師にとって、家柄っていうのは結構大切なの。

 いわゆる名門とかって呼ばれる人たちがいてね、」

 メモ上に、並列して『五行家』、『岩巻家』、『氷凍家』と書かれる。

 上部に空白があるのが謎だが、そんなもんか、と勝手に納得する。

「この3つが術師の名門『三名傑』だ。まぁ昔は、『精鋭五家』なんて呼ばれてたりもしたらしいけど。

 それは置いといて。なんでこの三つが名門と言われるのかと言うと、それぞれ伝承術—つまり、代々伝わる呪法—を持っていて、呪力量もそこそこあるからなわけ」

 ん? 『五行』って聞いたことがある気がするんだけど?

 あれ? そういえば、目の前でリンゴジュースを堪能しているこの男の名前って、『五行颯』じゃなかったっけ? え?

「光梨ちゃん。その気持ちよく分かるよ。俺も初めは信じられなかったもん」

「いや私、まだ何も言ってない……」

「きっと五行家と颯の繋がりに困惑してるんでしょ?」

 どうやら嵐馬さんも、同じことを思った経験があるらしい。

「困惑もなにも」

 颯は、『五行』、『岩巻』、『氷凍』と書き加え、それぞれの下に何か文字を足す。

「俺は五行家の長男だよ。……ここに書いてある『五行翔』って人の子ども。

 んで、こっちの『律』ってのは腹違いの弟。ちなみに、五行翔は全国術師連盟のトップ。

 役職名は……なんだっけ? 嵐馬、知ってる?」

 ちょっっっっと待って情報過多なんだけど。え、待って、颯ってもしかしていいとこの坊ちゃまなの⁈ てゆーか、腹違いって! 腹違いって何⁈ ここ令和だよ⁈

「えーとたしかねぇ……蔵人術師とかじゃなかった?」

「それそれ。まぁ等級は俺のほうが上だけど」

 たしかにねー、と笑いながら、嵐馬は調理を続ける。

「なにか分からないことがあったら、この見た目だけはいい颯に訊きなね。

 こいつ、呪術の英才教育を受けてきてはいるはずだから。……たぶん」

「いろいろツッコミたいんだけど」

「まぁ別に、俺に訊いてくれても構わないよ。たぶん颯は、気分が乗らなかったら説明しないだろうし」

「ねぇ俺の話聞いてた? それどころか今、けっこーひどいこと言ったよね?」

「気のせいじゃない?」

 嵐馬さんも、颯と似た者同士だと思うけど、というツッコミはしないでおく。その方が身のためだ。たぶん。

「…………」

 ほーら見ろ。颯がジト目で嵐馬さんを睨んでいるじゃないか。

 一方、睨まれている嵐馬さんは、どこ吹く風で躱している。ノーダメージなの、マジでウケる。

「……まぁいいや。あいつのことは無視しよーね、光梨」

「アンタのこと無視しようかな」

「ひどい! ほんっとひどい! 颯さん泣いちゃうもん! うえ~ん嵐馬ぁ、光梨が俺をいじめるぅ~~」

 颯(28歳190超え男性)が泣きまねをしながら、嵐馬さん(28歳180超え?男性)に助けを求めて近寄る。

 しかし颯は、何かにはじかれたかのように、台所に入ることが出来なかった。

「あ、ごめんごめん。結界解くの忘れちゃってた」

「おーまーえーなぁぁぁぁ! わざとだろ! 絶対わざとだ!

 もういい! さっきの分も合わせて、ズッタズタのボッロボロになるまで叩きのめす!」

 さすがにいじめすぎたかな、と思いつつも、なんだかんだ反応が面白いのでいじってしまう。なんと可哀そうな。

「もうすぐパエリア出来るから許して」

 きゅるん、という効果音が付きそうな雰囲気で、許しを請う。

 嵐馬さんって意外と面白い人だな。

「ふふっ」

「え?」

 二人が驚きに満ちた瞳で、こちらを見る。

「なに、よ」

 急にドタドタと駆け寄ってくるなんて、どうしたの。パエリア大丈夫なの。燃えても知らないわよ

「笑った!」

「え?」

 今度は私が驚く番だった。

 確かに笑ったけど、それだけでそんなに幸せそうにするかぁ?

「笑った! 光梨ちゃんが笑ったよ、颯!」

「お前意外とちゃんとJKだな! 今日はケーキだ!」

 やった~~! わ~い!

 本来一番喜ぶべきであろう私が、話の輪の中に入れていないのはなぜだろう。ハイタッチまでしてるし。

「………もしかして、気付いてないの?」

「何に?」

「お前、さっきのが初めてだろ」

「だから何が?」

「俺たちの前で笑ったの」

 颯の言葉に、そうかもしれないな…と思う。すごい今更だけど。

「ていうかさ、一番大事のことまだ言ってないじゃん。なんであなたたちは、私のことをコウサカって呼ぶの?」

「それはね、君の祖先の苗字が神坂だからだよ」

 嵐馬さんが、メモの上のほうの空白に『神坂』と書き込んだ。

 このひとは、颯よりも丁寧な角ばった字を書くらしい。

「神坂家が受け継ぐ呪法は『写映呪法』。相手の呪法をコピーする呪法だ」

「それチートやん」

 そんなにすごいんか、うちの祖先。

 いつの間にか説明役が、颯から嵐馬さんに代わっているが、この人の話もすんなり入ってくる。

「まぁ、呪法の発動条件とか再現率にもよるだろうけどね。

 事実、君の言う通り、神坂家は三名傑を抑える強大な権力を持っていた」

 過去形なのは、なぜだろうか。

 嵐馬さんは颯から本を一冊借りると、あるページを開いて見せた。

「ここに書いてあるのを読むのが分かりやすいと思うよ」

「やーい、嵐馬が説明を放棄したー」

「君は成長をしないのかい?」

 バチバチやっているのを放っておいて、私は『呪術基礎ⅰ』という名の本を読み始めた。

 嵐馬さんが開いておいてくれたページには、なぜ私が―—延いては神坂家が死刑と言われているのかが、事細かに記載されていた。

 他のページまで遡ってみると、呪術用語の解説や呪力の根本説明などがされている。

 また別のページには、三名傑についても言及してある。


「『呪術とは、論理的思考に基づいた神秘である』……」


 声に出さずにはいられない語呂の良さ。

 そして一文の中に詰め込まれた矛盾。

 この言葉に、今にも喧嘩を始めそうだった……いや、すでに殴るために腕を振り上げていた二人がこちらを見る。

 いやいや殴り合いの喧嘩なんて、今時の小学生でもなかなかやらんだろ。腕下ろせや。

「その一文って初めのほうに載ってるやつでしょ?」

 ついさっきまで、首をゴキゴキ鳴らして威嚇していたのとは異なる、平然とした態度で颯が声をかけてくる。怖いよ、その切り替えの早さ。

「すごいインパクトあるよね。とてつもない矛盾を感じる」

 この人もさっきまで、指を鳴らしてた気がするのだが。そんなにこにこしないで、背筋が凍る。

「でも颯の呪法とか見れば、内容の意味が分かるよね。呪術って意外と数学的だったりする」

「もしかして俺って賢いんじゃね?」

「誰もそうとは言ってないだろ」

 二人に白い目で見られても飄々としている、コイツの精神状態が心配になってくる。

 絶対に関わっちゃあかん感じの人間やった……。

「ていうか嵐馬さん。パエリア大丈夫なんですか」

「ちょっと待って。なんで嵐馬は嵐馬さんなの?」

「……あと数分ってところだね。教えてくれてありがとう」

 颯は、話を素通りされることにツッコむのを諦めたのか、何も言ってこない。

 これを不安に思うくらいには、私は二人を信用し始めていた。

「さぁ気を取り直して……。なにか訊きたいこととかある?」

「めっちゃある。まず、嵐馬さんの呪法ってなんなの?」

「それは本人に訊いてくれ」

 答えないんかーい。

 それなら仕方がない。ご飯を食べている間にでも、嵐馬さんに尋ねよう。

「あと、『三名傑』と『精鋭五家』は何が違うの?」

「あー……それはだなぁ…」

 颯は再びペンを手に取ると、『三名傑』と『精鋭五家』と書いてみせた。

「一つ目の違いは、括られている家の数だな。それに付随して、括られている家も異なる」

 三と五の部分に丸をつける。

「二つ目は、名称が使われていた時代だ。比較的最近になって使われるようになった『三名傑』に対して、『精鋭五家』は平安中期から江戸の終わりまで使われていたらしい」

 最近の範囲に、明治を入れるのはいかがなものかと思うが、由緒ある家ではよくあることだとテレビで観た気がする。ツッコミを入れるのはよそう。

「『精鋭五家』には『三名傑』の家柄に加えて、賀茂家と安倍家が含まれていたが、神仏分離の影響を受けて、陰陽道と呪術もしっかりと分けられることとなった」

 賀茂と安倍は、うっすら聞いたことがある気がする。

「理解できた?」

「うん。颯って意外とわかりやすく教えてくれるよね」

「そりゃどーも」

 そうやって不貞腐れてるから、精神年齢があーだこーだとか言われるんだよ、この28歳児が。

「あ、あとさ」

「なに?」

「颯たちはなんで、私を匿ってくれてるの?」

 これは純粋な疑問だった。

 連盟のトップの息子なら、しっかりと私を突き出すべきだと思うのだが。

 これこそ謀反として、死刑になってしまいそうではないか。

「それは……」

 初めて颯が言い淀んだ。

 わずかな静寂が流れる、

「颯も光梨ちゃんと同じような立場だから。………違うかい、颯」

 沈黙を破ったのは、嵐馬さんだった。

 その言葉に疑問が浮かぶ。

 私と同じような立場、とはどういうことだろうか。

「強いが故に、死刑を言い渡されている。

 颯も光梨ちゃんとおんなじ、追われる側の人間なんだ」

「え? 強い? コイツが? てゆーかそこじゃなくて、この人も死刑?」

「光梨ちゃん、声に出てる」

 苦笑まじりに、嵐馬さんがこちらへくる。

 パエリアの良い香りを添えて。

「まぁ食べながらでも会話はできるし。少しは仲良くなれた?」

「お前は俺の親かっての……」

「だって颯、子どもっぽいじゃないか」

 颯はひと睨みしただけで、言い返したりはしなかった。自覚はあるんだ。

「いただきます」

 三人の声が揃う。そして、私は問うた。

「颯って強いの?」

 絶賛もぐもぐタイムのこの男に、強いという言葉は似合わない気がする。

「ふぅふぉいふぉ」

 いやごめん。何言ってっかわからん。

「強いよって言いたそう」

 通訳の嵐馬さんによると、そういうことらしかった。

「そうそうそれが言いた……んんっ」

 口いっぱいに詰め込んだものを飲み込むために水を飲んだら、今度はそれでむせたらしい。なんというか、そそっかしい人だ。

「全く強そうに見えないけど、実は現代においては最強だったりするよ。いや〜ギャップ萌えってやつ?」

 嵐馬さんが言うなら信じても良いのかもしれない。そういえばコイツは、どんな呪法を扱うのだろうか。

「二人はどんな呪法を使うの? 颯の家の伝承術?は分かったんだけど、それを使ってるの?」

 嵐馬さんに背中を摩ってもらって落ち着いたのか、颯が話し始める。

「そ。俺が使うのは五行操術」

「五行操術って具体的にはどんな感じなの?」

「どんな感じって………。なんつーか、ばーん!みたいな感じ」

「ばーん?」

 呪術とは、論理的思考に基づいた神秘ではなかったのか?

 どこへ行った、論理的な思考。

「陰陽五行思想が根底にあるんだけど、そこまでは分かる?」

 論理的思考で解説をしてくれる嵐馬さん。とてもありがたい。

「あれでしょ? たしか………全ての物質は木火土金水の五つで構成されているっていう」

「そうそれ。五行家の大半の人間は、その中の一つを自由に使いこなせるんだけど、そこにいる颯は全てを司ることができる極々稀な存在」

 一つを使いこなすだけでもすごいのに、その全てを使えるのはとてもすごいのではないだろうか。

「もちろん長い歴史の中には、颯みたいに五行全てを使える術師、正式名称で言うなら、突然変異型五行操術師と呼ばれる人もいた。その中には妖術師、五行憂も含まれている」

 妖術師……。さっき読んだ本で説明されていたような。

 呪術師に相対する者。

 非術師に仇をなす者。

 つまるところ、敵。

 そんなチート能力を持った人が敵なんて、考えただけで恐しい。

「あいつは歴代最強の術師だ。正直、俺でも敵うかどうか怪しいくらいには。その死灰は、中に宿る呪力が強すぎて特別指定呪物とされて保管されていた」

「でもそれを、私の祖先が盗んだってことね。でも何のためだったんだろ」

 また一口、パエリアを食べる。くどすぎない味付けが、緊張を癒す。

「さぁね。それは俺の知り得ないこと。……でも目的がなんだったにしろ、封印されていたものを持ち出したことには変わりない。そしてそれは、完全なる罪だ」

 颯がはっきりとした口調で言う。

「でもでも、だからって子孫まで殺す必要ある? 祖先の問題は今に関係なくない?」

 一人のせいで私にまで命の危険が及ぶとは。なんと傍迷惑な当主だろう。

「祖先を殺された復讐、独自の教え、嫉妬その他エトセトラが、理由として考えられる」

 それらの理由を突きつけられると、納得はできなくても理解せざるを得なかった。

 ていうか、自分が死刑対象であることに納得したら、負けな気がする。

「ちなみに突然変異型五行術師は、鍛錬を重ねると発展系の技も使うことができるんだ。俺には理解できなかったから、機会があったら颯に訊くといいよ」

 よくわかんないけど、なんか強そう。そして難しそう。

「嵐馬さんの呪法は? どんな感じなの?」

 未だ、答えてもらっていない疑問を再度投げかける。

「俺のは颯と違う、超守備型の呪法だよ。だから、聞いてもあんまり面白くないと思う」

「まーた始まった。嵐馬ってさ、呪法訊かれたら大抵そう答えるよね」

「だって俺の呪法、颯の後に言うと弱く聞こえるもん」

 パエリアを口いっぱい運びながら答える姿は、まるで駄々をこねる六歳児のようだった。

「じゃあ俺が言っちゃお♪ 嵐馬の呪法は、本人も言う通り超守備型。……そう、結界術だ。痛い、つねるな」

 言われるのが相当不快なのか、颯の頬をつねり、悪あがきをする。

 ……あまり効果はないみたいだけど。

「テキストにも載ってたと思うけど、有名な家系の一つに『時節四家』っていうのがあるのよ」

 よくもまぁ、こんな覚えにくそうな名前をつけたものだ。

「『時節四家』に分類される家柄は、名前の通り四つ、さらに二つずつの前衛と後衛に分類できる。

 まず前衛――言い換えるなら攻撃型に当たるのが、榎と柊。そして後衛、つまり守備型は椿と楸。詳しい呪法の説明は省くけど、この四つの家の決まりとして、『分家には、本流の苗字の旁を入れる必要がある』というものがある。……ここまで言えば、なんとなく分かるかもしれない」

 苗字に旁を入れる?

 春夏秋冬の文字をそれぞれ入れなくてはならない。でもそれが、なんだというのだろう。

「はぁー…鈍感だねぇ。嵐馬の苗字は『秋庭』だよ」

「秋! 楸の分家ってことか!」

「そういうこと。ちなみに、『時節四家』は神坂家に仕えてたらしい」

 ということは、私の祖先は嵐馬さんの家の本家の雇い主ってこと……⁇

 よくわからん。どうやって接すればいいんだろう。

「まぁ、分家って言っても、分家の分家のその分家くらい遠いから、特に気にしなくていよ」

「そーそ。実質、一般家庭みたいな」

 なるほど………⁇ あんまり分からないけど、気にしなくていいらしいから、ありがたくお言葉に甘えさせていただく。

「話を戻すよ。楸家の伝承術は、結界術だ。正確に言うと、己の命を代償に強大な結界を張る力。

『時節四家』の特徴に、『強い力を使う代わりに、己の命を差し出す』というものがある。そして、その特徴ゆえに神坂家当主に気に入られた」

 命の代わりに、強大な力を得る。

 その発想は、私にはよく分からない。

 そこまでして、強くなる必要はあるのだろうか。

 私の先祖は、『時節四家』の人たちに、神坂家のために命を捨てることを求めたのだろうか。

「光梨ちゃん」

 嵐馬さんに声をかけられて、ハッとする。

「そんな深く考えなくても大丈夫だよ。だって、使えることを選んだのは、四家の人間なんだし。

 それにほら、祖先の問題は今に関係ないって、君自身が言ってたじゃないか」

 そういえば、そんなことを言った気がする。

「俺の呪法は、楸家とは違って、命を犠牲にはしないし」

「命という代償を捨てる代わりに、結界の効果がどーのこーのってやつでしょ。

 あ、これは少し難しいから、いろいろ勉強してから教えるね」

 どうやら私は、呪術に関する勉強をさせられるらしい。

 論理的思考、ムズカシイ。

「俺お腹いっぱい。ごちそうさまでした」

「食器は下げておいてっていつも言ってるよね?」

「今からやる予定だったんですー」

 うだうだ言いながらも言うことをきく姿は、まるで小学生を見ているようだった。

 ある意味、本当に強いのは嵐馬さんなのかもしれない。

「ちゃんとできて偉いね。なでなでしてあげようか」

「お前酔ってんの? くすぐったいから触んじゃねぇ」

「こっちの疲れも癒してくれ。あー…ふわふわしてて最高」

 颯は、褒められて伸びるタイプらしい。

 なんだかんだ言いながらも、しっかり撫でられているところを見ると、意外と子どもなのかもしれない。

「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「そう言ってもらえて嬉しいよ。またいつでもご飯作りにくるね」

「お前暇なのかよ」

 歯磨きをしている颯が、悪態をつく。

 頼むから、口に何か入ってる時は喋らないで。

「今はちょうど任務がないからね。それに、颯に任せてるとしっかりとしたご飯にならなそうだし」

「俺だってご飯くらい作れる」

「なんでもいいけど私も歯磨きしたい」

 洗面所にいる颯に声をかける。

 自分も食べ終わったのか、嵐馬さんは食器洗い中だ。

「あ」

 そういえば、と近くにある棚をごそごそする。

「ごめん。俺たちが使ってるのとおんなじ型ならあるけど……」

「却下」

 絶対間違えられるじゃん。無理なんだけど。

 てゆーか、嵐馬さんの歯ブラシも置いてあるの謎すぎない? え、なんで?

「今すぐ買ってくる」

「絶対に光梨は外に出るな。俺が行く」

 珍しく緊迫した表情で、颯が言う。

 歯ブラシを咥えているから、威圧感には欠けるけど。

「なんで同じ死刑対象なのに、颯は良くて私はダメなんですかー」

 理不尽だと思う。もちろん、理由があるなら、まだ理解できるけど。

「だって光梨は、呪力を放出してるじゃん。

 俺は呪力を止める訓練してるから、残滓で気付かれることがほぼない。

 でも光梨はそうじゃないでしょ。だから、それができるようになってからじゃないと、外に出ちゃダメ。これは、お互いの安全のためなの」

 呪力を放出してる?

 呪力を止めておく?

 言ってる意味は分からないけど、颯が言うからそうなのだろう。

 私はまだ呪術に関しては、素人といっても過言ではない。むしろ、それが正しい。

 だから、詳しいことは颯や嵐馬さんに任せるしかない。

 味方が少ないことはよくわかったつもりだ。

 ここは一旦、この二人を信じて身を任せよう。

 そう決めた。

「分かった。じゃあ買ってきて。安全のためなら、二人が言ったこと、守るから。……でも」

「でも?」

 ピッ、という無機質な音が響く。嵐馬さんが、食洗機をかけたのだろう。

「早く日光浴したいから、いろいろ教えてよ。…………最強の術師さん」

 ウィンクもしようと思ったけど、失敗すると癪なので辞めておいた。

 颯は、玄関に置いてあった帽子とサングラスを装着して、靴を履く。

 そして、フッと鼻を鳴らして、そのまま外へ出ていってしまった。

 やっぱ、最強の術師、なんて付け加えるべきではなかった。

 今更ながら、後悔が襲ってくる。

 でも、悪い気持ちはしないから、これでいいのかもしれない。



「俺に負けないくらい、強くなってみせてよ」

 颯のつぶやきは、虚空を漂って消える。

 今日は珍しく、夕立が降っていなかった。



 4


 嵐馬さんが帰って30分ほど経つと、空は次第に暗くなってきた。

 生活力皆無な颯のために、夕飯の作り置きまでしてくれたらしい。

 あまりにも申し訳なさすぎて、これからは私がご飯を作ります、と言ってしまったくらいだ。

 それじゃあお願いしちゃおうかな、って笑いながら言うなんて、どれほどイケメンなんだろうか、この人は。

 その優しさを、これにも見習ってほしい。

 そう。私の目の前の席に座ってスマホをいじっている、これ。

 生活力皆無、ズボラ、精神年齢6歳児。そのくせ、なぜだか最強とかいう、絶対顔だけで生きてる系の男。

 たしかに顔だけで言ったら、颯のほうがかっこいいかもしれないけども。

 白髪碧目という、めちゃくちゃ目立つお顔立ちをしていて、驚異の身長190㎝超え。

 目にかかるくらいの長さの前髪は、正直すごく邪魔そうだし、首くらいまで届く後ろ髪も少し暑そうだ。白だから、そうでもないかもしれないけど。

 この髪型は、ミディアムレイヤーカットというらしい。ありがとうGoogle。

「光梨」

「なに」

 明日の朝ご飯は米でも炊こうかな、なんて考えていたので、急に話しかけられてびっくりする。

「偽名決めよう」

「は?」

「戸籍の偽装は、嵐馬に協力してもらうとして、」

「ちょっと待って。いきなり何言ってんの?」

 呪術界に法律が適用されていないらしいことは、よくわかったつもりでいた。

 でもまさか、戸籍の偽装までやるとは。嵐馬さん何者なの。

「何ってだって、神坂なんて論外だし、上坂光梨もアウトでしょ」

「それはそうかもしれないけど、別に私、この家からしばらく出ないんだし良くない?」

 できれば犯罪に加担したくない。

 ここは、丁重にお断りするのが得策だろう。

「何言ってんの? ある程度、呪力のコントロールができるようになったら、あとは実戦あるのみだよ。髪と目をどうにかすれば、意外とばれないと思う」

 正直、颯に『何言ってんの?』なんて言われるのは、不快なことこの上ないが、深呼吸して理性を取り戻す。

「実戦って?」

「その説明まだしてなかったわ。えっとねー、全国術師連盟に登録されている術師たちは、メールで任務を命じられるんだ」

「メールなんだ。先進的だね」

「基本、術師なんて面が割れるのを嫌がるしね。教材だって、自宅に送ってもらえるよ」

 わーおオンライン。もっと保守的な世界だと思ってた。

「だから、実戦をするためには、連盟に氏名とか住所とかを登録する必要がある。

 ちなみに、青年保護の観点から中学生は実戦に参加することが出来ない」

 なるほど。私は高校生だから、どうにかセーフってことね。すごい嫌だけど。

「同じ理由で、未成年の間は単独で任務を遂行することができない。

 原則『保』単位で活動する必要があるし、任務には監督がつく。……まぁ俺の『保』にはいなかったけど」

 今、さらっとヤバいこと言わなかった? 大丈夫なの?

「とにかく、活動するには連盟に氏名と住所を登録しないといけないわけ。

 名前も見た目も、今のまんまじゃ死刑対象とばれて即刻アウト。……生きるためには、名前を変えないと厳しいよ」

「……分かった」

「ちなみに、親族同意欄のところには俺の偽名を使うから安心してね♪」

 そんなウキウキで言うな。さっきまでいい感じに決まってたのに、なんでそう余計なことをするんだろう。哀れすぎる。

 …………ていうかちょっと待って。私、コイツの娘とか妹とかなんかそこら辺の立ち位置になるってこと……⁈

「ねぇ、親族って嵐馬さんじゃダメ?」

 このクズみたいなやつと、関わりがあるっていうのも知られたくないのに、ましてや親族なんて絶対に嫌だ。

「なんで嵐馬のことそんな慕ってんの? あ、もしかして俺がイケメン過ぎて恥ずかし」

「んなわけあるか。だって颯も死刑対象なんでしょ。足がついたらまずいんじゃない?」

 バカだね~、なんて言いながら、立ち上がる。

 喉が渇いたのか、ジュースを取ってきた。私の分もやってくれるのはありがたいけど、マンゴージュースに砂糖を入れるのは余計だと思う。

「嵐馬が死刑対象を匿っているとばれたら、あいつはどうなると思う?」

 ジュースを一杯飲み、こちらに視線を向けて問う。

 この透き通るような青い瞳に見つめられたら、吸い込まれてしまいそうだ。

「嵐馬さんも追われる身になる……?」

「その通り! 俺が光梨を匿っていたほうが、リスクが低いってわけ」

 この人は、見た目の軽薄さによらず、意外と深く物事を考えるらしい。

「そういうわけで親族同意欄に書くのは、俺の名前だからね! さすがに親子は信じてもらえないだろうから、兄妹って関係性にしとこ」

「13歳差の兄妹も信憑性に欠けると思うけどね」

「俺の弟だって今16だし」

 お前んとこは腹違いだろ。はぁ、ツッコむのが辛くなってきた。

「え、待って。お父さん今何歳なのよ」

「あーそういえば謎だわ。俺が18のときに40歳だったから、今は……50とか?

 でもあいつ、めちゃくちゃ童顔だから年齢とかあんまわかんない」

 中空を見つめながら考えているあたり、本当に覚えていないのだろう。

 もっと他者に関心を持った方がいいと思う。

「別に俺の父親の年齢はどうでもいいでしょ。どの『保』に入るかは、基本ランダムだけど、どうにかして律のところにしてもらうから」

 どうにかしてってどうするんだろう本当に。

「嵐馬に頑張ってもらわないとな~……。光梨も訓練がんばって。

 座学も体術もビシバシやるから、そのつもりで」

「外に出れないのに、どうやって体術やんのよ。ていうか颯はなんで一軒家に住んでるわけ? 家賃えぐくない? 呪術師って給料良いの?」

「この家は嵐馬の友人の友人に建ててもらったんだけど、2階が運動できるようになってんの。空手からボクシング、さらには懸垂まで出来ちゃう。すごいでしょ」

 ドヤ顔で言われてもなぁ……。

「給料は別に、良くはないかなぁ……。俺が18年間貯めてきたお小遣いと、五行の名前と人望でやってもらったからさ。アパートだと、アスカが来た時に迷惑がかかるでしょ」

 そういえば路地裏で対峙した人たちのことも、アスカと呼んでいたような。

「アスカってなに?」

「その説明もまだだったっけ? まぁいいや。アスカは蔵人術師に絶対の忠誠を持つ対術師専門集団のことだよ。主な仕事内容は暗殺」

 暗殺、ねぇ……。

 真昼間から大っぴらに追いかけてきたけれど、それでも目的は暗殺らしい。

 よくわからん。

「とりあえず明日からは、起床して朝ごはんまでに筋トレ。朝の支度してから、昼ご飯までは座学。午後は体術をやって、お風呂あがってから寝るまでは、もっかい座学やるからね。慣れないと大変だろうから、今日ぐらいゆっくりしなよ」

 わーおスパルタ……。この人の新しい側面を知った。

 でも、今日ゆっくりしてもいいのは、すごくありがたい。

 いろいろなことがありすぎて、普段の数十倍は疲れた。

「あ、偽名決めた? まだなら俺が勝手にやっちゃうけど」

「やめてください。今考えてます」

 颯に任せたら変な名前にされそう。絶対に花子とかにすると思う。却下!

「参考程度に訊くけど、颯の偽名は?」

「そろそろ今使ってる、月嶋礼斗って名義がそろそろばれそうだから、これを機に変えようと思ってる。うーん……今井北斗とかにしようかな」

 名づけのセンスはあるらしい。北斗の妹か……、それなら。

「なら私は、今井七星に決まりだね」

「いいね、その名前。幸せになれそう」

 心の底から笑う颯は、本当に幸せに見えた。



「はい、起きる!」

「⁈」

 耳元で手拍子の音がして、跳ね起きる。

 そんな荒業、しないでほしい。

 だからって丁寧に扱われても、それはそれで驚くだろうけど。

「目覚ましのスヌーズは一回までって昨日言ったよね?」

「でも5時半起きはきつい……」

「言い訳しない! 昨日10時には寝たでしょ。健康的な七時間睡眠だよ」

「はい、すみません」

 与えられた寝室は、颯の隣の部屋。

 施設の部屋に比べて広かったため、少しびっくりしてしまった。五行家の看板、恐るべし。

「じゃあ顔洗って軽く歯磨きして髪の毛結んで着替えまでやったら、二階に来てね。服はソファに置いておいたから」

「は~い…」

 颯はもう朝の支度が終わっているらしく、白いTシャツにジャージというラフな格好で立っていた。

 服を着替えて、洗面所に向かう。

 ヘアゴムもここに置かれていた。昨日買ってきてくれたのだろうか。

 さすがに下着は新調していないらしいから(買ってこられても嫌だけど)、昨日のものを着る。不快だ。早く外に出れるようになりたい。

 うがいをして、気分をさっぱりさせてから、2階へと続く階段を昇る。

 するとそこに広がっていたのは、高い天井と運動器具の数々。

 さながら、SASUKEに出る人たちの訓練場みたいだ。

 私、これやるの……? 無理だよ絶対。颯ってもしかして、服の下にボディービルダー並みの筋肉を隠してるのかな。私そこまでは目指してないしなぁ……。

「あーここら辺においてあるやつはほとんど使わないから、そんなに緊張しないで。

 はーい深呼吸~、吸って~吐いて~。そうそう肩の力抜きなよ」

 颯は、私の肩をトントンと叩いて、そのまま隣の部屋へと向かっていった。

 それぞれの部屋を隔てる壁には扉がついており、そこを使うことで自由に行き来できるらしい。有能。

 私もついていくと、そこは先ほどの部屋とは違い、なにも置いていなかった。

「今日のトレーニングは、ちょ~簡単! 柔軟と腹筋とプランクと腕立て伏せで~す!

 まずはじめに、柔軟からやってこ~! そこにあるヨガマット出してくれる? あ、俺も一緒にやるから二つね」

 とりあえず、そんなに辛そうなメニューじゃなさそうで安心する。

 これなら部活でやってたし、どうにかなりそうだ。

「んじゃ、オーソドックスなのからやってみよう」

 そう言って颯は、両足裏をつけて胡坐をかく。そして、膝をぱたぱたと数回床につけたあと、上体を前に倒した。

「こんな感じでやってみて~。ヨガみたいな感覚で!」

 ひょいっと上体を起こして、意気揚々と話す。

 私は、颯がやっている姿を参考にして上体を前に倒した。

「光梨、背筋は伸ばしたまま。一旦、身体を起こしてみて」

 言われるがままに体を起こす。無意識のうちに、姿勢が悪くなっていたようだ。

「頭のてっぺんを糸でつられている感じ。……そうそう、その姿勢のまま、前に倒す」

 すーっと体を倒し、額を床につける。5秒くらいして顔を戻してくると、私に真似をするよう促した。

 頭を上からつられてるような感じで、その姿勢のまま……。

「そうそう! 吞み込みが早いのはいいことだよ。これは3回ぐらいやれば、それでオッケー」

 言われた通り、3回繰り返す。颯は膝が床につくのに、私はついていない。悔しい。

「次は、開脚! 目指せ180度開く脚!」

 私は自他ともに認めるくらいには、身体が硬い。正直、180度開くとか人間じゃないとおも…

「あれ? 光梨って身体硬いの?」

 あーあ。出たよ、軟体人間。これでも開くようになった方なんだって。

「柔軟性は運動の基礎だよ」

「わかってるもん!」

 135度は開くようになったんだ。あともう少しさ、今に見てろよ。

「そしたら膝におでこをくっつけるよ~。右に向かって~、そうそういい感じ!

 脚は曲げないようにして、手の届く無理のないとこで大丈夫。ゆっくり深呼吸を2回したら、左側~」

 伸びてる~って感じがする。朝のストレッチ、意外と気持ちいい……。

「最後に前に倒すよ~。脚はのばしたままで、手は痛気持ちいところで床につけちゃっていいよ。はーい深呼吸~……」

 余裕綽々と、前にぺったり倒れてみせる颯に、理不尽な怒りが込み上げてくる。

 むかつくから、寝る前に自主トレしよう。

「そんじゃ、長座体前屈もしますか~」

「え」

 そうして朝は幕を上げた。


「はい、お疲れ様。先にシャワー浴びてきなよ。汗かいたでしょ」

 ほんとだよ。どうしてくれんだよ着替え。

「あ。光梨、ちょっと待って」

「なに?」

 不機嫌丸出しで、応答する。二度寝できそうなくらいに運動した。

「はい、これ」

 手に乗せられたのは、勾玉が一つあしらわれたネックレスだった。

「これをつけてれば、外に呪力が漏れだすことはほぼないと思う。多少なら、俺がどうにか制御するから大丈夫。だから、今日は買い物に出かけよう」

 朝の筋トレ、頑張ったもんね。これは俺が実家でやってたフルコースだよ。お疲れ様。

 そう言って下へ降りていく颯の背を見つめながら、私はネックレスを身に着けた。


 シャワーを浴びて、リビングにいる颯に声をかける。

 この人がいない間に、朝ごはんを作っておこう。

 これからは事前にお米を炊いておくようにして、今日は嵐馬さんが買ってきてくれたパンを食べようと思う。

 颯、甘党なのか知らないけど、しょっぱいものを全然食べないから、ピザトーストにでもしようかな。

 手際よく調理をして、パンをトースターに入れる。

「いい香りがする~」

「身体ちゃんと拭いてきて」

 頭を勢いよく振って、髪を乾かそうとすな。犬か、お前は。

 一瞬でもいい人だな、とか真面目だなとか思ったのが間違っていた。

 こいつはそんな人間じゃない。ていうかもはや、人間じゃないのかも。

「いいじゃん別に。あ、ピザトーストなの? おいしそう~」

 水滴が若干滴っている気がするが、注意しようとしてやめた。押し問答は面倒臭い。

 そんなこんなで、チンという音が鳴る。

 軽く作ったおかずを添えて、朝ごはんにした。


「準備はできた~? これから、授業を始めるよー!」

 なんでこの人はこんなに楽しそうなんだろう。

「重要事項を八割覚える感じでいいから、そんな身構えないの。まずは、『呪術基礎ⅰ』の目次を開いてみて」

 八割も覚えさせられるのか……。私、なんでこんなことしてるんだっけ。

「ここに書いてある内容からだいたいの予想はつくと思うけど、この教科書の内容は『歴史』、『呪法』、『本質』の三つで構成されている。

 でもまぁ正直、歴史とか全然使わないから、飛ばしていいや。光梨に知ってもらいたいのは、『どんな呪法があるのか』と『どんな使い方をするのか』ってことだから」

 隣に座っている颯が紡ぐ言葉が、単語として体内に蓄積されていく。

 ごめん、なに言ってるかわかんない。

「なんでその二つを知ってもらいたいの?」

 すべての物事には理由があるはず。それが分かれば、颯の言葉、さらには思考回路も少しわかるかもしれない。

「じゃあまずは、身近な人の呪法で考えようか。例えば光梨自身。昨日少しだけ話した気がするけど、覚えてる?」

「覚えてる! あれでしょ、『写映呪法』とかってやつ。相手の呪法をコピーするみたいな」

 チートやん、と思った記憶があるから、これで間違いないだろう。

「そうそう! 性能まで覚えてるなんてさすがだね~」

 ルーズリーフのタイトルに、『①写映呪法』と書き込む。

「これは神坂家相伝の呪法なんだ。コピーの方法と再現率は各々で異なるらしいけど、今までの当主たちから考えるに、相手に触れることでコピーできる可能性が高いね」

 タイトルの下に、『相手の呪法をコピー。神坂家相伝』と追加する。

「等級換算で対象が二つ以上下の階級なら、無条件で完全コピーが可能らしい。でも、自分と同じくらいの等級、あるいはそれ以上だった場合は、コピー率が低下し、最悪の場合、自滅に陥る」

「自滅って……」

 冗談でしょ、という声を出すことはできなかった。

 どこか冷めた目でこちらを見つめる颯を前にしたら、嘘じゃないんだな、と分かってしまった。

「ていうかなんでそんな知ってるのよ。フツー呪法とか相手に言わないようにしない?」

「それは俺が、五行家の出身だからだね。いやほんと、感謝してよ~?」

 さっきまでの冷ややかな瞳とは真逆の、いつも通りの明るい颯に戻る。

 どこか緊張していた気持ちが、解けていくような感覚がした。

「俺の実家には、そういう資料を保管しておく部屋みたいなのがあってさ。そこにあった資料に書いてあったの」

「へぇ~そうなんだ。家って広いの?」

「わっかんない。少なくともこの家よりは広いよ」

 この家も十分広いと思うけど。五行家は相当お金持ちらしい。

「光梨の呪法に関して説明するのは、これくらいかな……。あとは使ってみてわかってくと思う。次いこ」

 そう言われて、ルーズリーフを裏に返す。大して書いてないけど、今後書き足すかもしれないから、いいや。

「メジャーなとこからやるか~。今日は三名傑まで出来たら上々かな。じゃあ復習。三名傑に含まれる家は?」

「五行でしょ、えーっと岩巻?だっけ。あと一つはたしか…………氷凍?」

「そう正解! 三名傑は苗字と呪法が関係してるから、セットで覚えるといいよ」

 メモメモ。聞きなれない単語は、しっかりと意味を書いておく。

「五行家は、伝承術の五行操術がそのまんま由来になってるの?」

「正確に言うと少し違うらしいけど、だいたいそんなとこ」

 よくもややこしいことをしてくれたな、と思う。いちいち分かりにくいんだよ、呪術界。

「平安初期に現れた一人の術師が、それまであった五つの家を潰して、五行家を作ったんだ」

「つまりそれ以前は、五行家は存在しなかった……?」

「そういうこと。今までは、それぞれの物質に対応する家ごとに子どもを取引して、使い手を育成していた。木の力を司る『東殿』、金の力を司る『西殿』、火の力を司る『南殿』、水の力を司る『北殿』、そして土の力を司る『央殿』」

 新出単語が渋滞してる……。記憶が追い付かない。

「ごめん書いてくれる?」

 書くことを潔く諦め、颯に頼む。嫌がらずにやってくれて、ありがたい。

「その術師の名前を『五行憂』という。こいつの呪法が分かった時点で、五つの家は無くなり五行家という一つのものに統合された。ちなみにこの人は色々なことをやってて、良い意味でも悪い意味でも有名」

 五行憂……。名前の通り、って感じだ。そういえば昨日、聞いたような。

「まず良い意味について。昨日も言ったけど、この人は、史上初の突然変異型五行操術師、つまり俺と同じ呪法だ。しかも五行操術を扱う上での諸注意や、発展技などもまとめた体系的なマニュアルを作った。それだけではなく、独自に研究を進め、呪霊がなぜ生まれるのかということにも明確な答えを見つけた」

 そういえばまだ、なぜ呪霊が生まれるのか教えてもらってない。あとで訊こう。

「悪い面は妖術師になって、多くの一般人を殺したことだ。五行家に関する説明は、いくらでもできるけどやったところで何にもならないだろうから、省くよ」

「ねぇなんで呪霊って生まれるの?」

「知らん。教材にも書いてなければ、誰も教えてくれない。もしかしたら知られたくなくて隠しているのかもかもしれないし、憂以外に知ってる人はいないのかも。……はい、そんな陰気臭い話、終わり! 呪法の内容について話そ!」

 パチン、と手を叩き、暗い空気を浄化する。脳の靄が払われたような、そんな感覚に近しい。

「五行操術は、単体でも応用させることが出来るんだ。例えば風や雷。この二つは、『木』に属していると考えられる。だから、『木』を司る呪法なら、発展形として風や雷も使えるんだ」

 風が自由に使えたら、空とか飛べそうで楽しそうだな……。そういえばコイツも飛んでたけど。あれは最悪の経験だった……。

「でもね、この呪法が一番力を持つのは、複数で存在するときなんだよ」

 そう言って颯は、私のルーズリーフに五行図と数直線を書き込んだ。

「五行思想には『相生』と『相克』がある。この図だと、外側の円が相生で、内側の星が相克を表してるよ」

 時計回りに、木火土金水と書かれている。隣り合うものは相生の関係にあり、一つ飛ばしに相克の関係を持つそうだ。

「例えば、木生火。この二つを掛け合わせたものを『動』といい、これは自分を起点とした破壊技だ」

 数直線上の正の数部分に印をつけ、『動』と加えた。

「逆に、火克水みたいに、相克に当てはまるものは、足し合わせることでその力を発揮する。『静』と呼ばれるこの力は、敵の攻撃を吸収する、ある種の結界技だ」

 今度は、数直線上の負の数部分に書き込みをする。

「呪力とは負の力なんだ。だから負の数に当たる、と考えると分かりやすいよ。

(マイナス)×(マイナス)=(プラス)となって、力は前に進み、その副産物として破壊をもたらす。そう考えると、『静』を発動させたいときに足し合わせる理由も分かるよね」

「(マイナス)+(マイナス)=(マイナス)……」

 数直線が書かれた意味を、やっと理解する。論理的思考と言われていた意味も。

「その通り。でも、呪力を足し合わせることは、すごく難しい」

「なんで? それに量を調整して(マイナス)−(マイナス)=(マイナス)じゃダメなの?」

 引かれる数を調整すれば、その方法でも『静』を生み出すことは可能ではないか?

「呪術とは、論理的思考に基づいた神秘っていうのは知ってるよね?」

「もちろん」

「じゃあ、その神秘を攻撃手段として用いるためには、事象として存在させる必要があるよね。その場合、自分の中のイメージに具体性が強い方が、具現化しやすいんだよ。

 つまりね、分かりやすい方が術の精度を上げられるんだ。……ここまで説明したら、分かるんじゃない? なぜ、引き算をしないのか」

 マイナスの引き算を自分の中で、概念的に想像することは、とても難しい。

 そう考えると、(マイナス)+(マイナス)によって『静』を作り出すという手法にも、納得できる。

「ねぇ颯。掛け合わせるのと足し合わせるのは、どうやってイメージに違いをつけてるの?」

 私のルーズリーフに落書きをしてた颯が、顔を上げる。理解不能なイラストを描くんじゃない。

「う~ん……言葉にするのは難しいねぇ……。俺の場合、呪力を足し合わせるという行為は融合、みたいなイメージで、掛け合わせるときは化学反応って感じかも」

 説明されてもよく分からない。聞かない方が、ゆっくり睡眠をとれたかもしれない。

「そんで、あともう一つ力の使い方があるんだけど……。それは内緒にしておこう♪」

「気になるんだけど! 教えなさいよ、ケチ」

「ケチってひどくない⁈ 一応、五行家の中でも秘匿性が高い情報だし……。

 それに、使ってるの見ないと、力の使い道が意味不明過ぎて狂うよ」

 真剣な声音で言われると、黙るほかなくなってしまう。普段の明るくて軽薄な印象との、ギャップだろうか。

「五行操術ばかり説明してても面白くないしね! ぱぱーっと、あと二つも終わらせちゃおう! そしたらお昼作って~」

 自分で作る気はないのね、わかった。

「はいはい」

「じゃ、五行に次ぐ強さを誇る岩巻家について話そうか。伝承術は『大蛇操術』。名前から想像つくと思うけど、大蛇を自在に操る。同時出現は七体が限界。八体目を出したら、その術師は自我を失い錯乱状態に陥るとされている。

 名前の由来は、昔、とある村で崖崩れが起きたとき、大蛇を使って巨大な岩をどかし、村民を助けたことからきているらしい。

 この呪法での大蛇の使い方は『相手を拘束すること』、『直接攻撃をすること』、『雨や雷を引き起こすこと』の三つ。ちなみに雨は、色によって効果が変わるんだよ」

 滔々と語られる情報を、大急ぎで書き留める。まさに回転寿司のようだ。

「最後に氷凍家。この家の伝承術は、名前の通り氷を使う呪法。

 空気に含まれる僅かな水蒸気を、呪力を介して氷に変化させる。自分の呪力から氷を作り出すことも可能ではあるらしいけど、消費量が凄まじいらしくて、好んで使う術師はいない。細かい呪法はあんまり覚えてない。ごめん」

「イヤダイジョウブデス……」

 これ以上のものは覚えられる気がしない。書くのもギリギリだし。

「まぁ互換術の一種だと思ってくれればいいかな。さ! お勉強おしまい! ご飯作って!」

 作って、って貴方は作る気ないの? なんで?

「颯が作ればいいじゃん」

「あー……」

 ウザいほど長い脚を投げ出し、天を仰ぐ。なんで見た目だけはいいんだよ。

「別に作ってもいいんだけど……。なぜか嵐馬に止められてて」

「察したわ。作らなくていいよ」

「別に作れないわけじゃないし、十分おいしいと思うんだけどね。申し訳ない」

 うん、きっと美味しいと思ってるのは貴方だけよ。

「いや大丈夫」

「じゃ、お願いね! 俺は部屋にいるから!」

 皿ぐらい出せよ、と思ったが、コイツに対して苛つくのは労力の無駄だと知っているので、自制する。我ながらいい子だ。



 5


 さて、光梨が昼食を用意してくれてる間に、俺は俺のやることを終わらせよう。

 午後の体術の具合を見てだけど、筋トレの様子から考えるに、きっと運動神経はいい方だ。

 早ければ2ヶ月後には、『保』に参加できるかもしれない。

 身のこなしだけじゃなくて、呪力の扱い方にも慣れてもらわないといけないから、少し大変かもしれないけど、まぁどうにかなるだろう。

 昨日の夜は、ネックレスを探したりしてたせいであんま寝れてないけど、喜んでもらえたし……悪くない、かも。


 携帯を確認すると、メールが一通来ていた。嵐馬からだ。

 神坂光梨の逃亡に、五行颯が関係しているとばれたらしい。

 情報源は予想がつく。……厄介な奴らめ。

 手を貸したのは、昔の自分に似ていたから。ただそれだけだ。

 別に謀反なんかじゃない。

 身体から溢れるほどの呪力は刃と化し、他者だけでなく己の命にさえ切っ先を向ける。それは俺が一番よく知っていることだ。

 だから、ひとりにはさせられなかった。

 強者が孤独である必要は、ない。

 そんなことはどうでもいい。今は一刻でも早く、光梨が強くなれる方法を考えないと。

 思考を整理しようと、そこらへんにあったノートを手に取る。

 報告書とか任務の反省点とかを、まとめていたやつだ。

 懐かしい。

 そう思い、ぱらぱらとページを捲る。

 静寂の中に、紙の擦れる音だけが響き渡る。

「っ…………」

 音が止まり、再び静寂が訪れる。耳鳴りがしそうなほどの、静寂が。

「紫苑——…………」

 くしゃり、と。紙を握りしめる。

 見たくないのに、ページを捲ることが、目を逸らすことが、出来ない。

 気付けば、握りこんだ拳からは血が溢れ、ノートに跡を付けている。

 忘れるな、とでも言うように。

「……て、き……る? …やて、……颯」

 光梨がドアをノックする音によって、意識は浮上した。

「ちょっと? 寝ないでよ、開けていい? てか開けるよ」

「あ、ちょ、ま」

 慌ててノートを戻す。これは見られたくない。

「大丈夫? 顔色悪いよ? あ、血出てんじゃん。何やってたのよ」

 厄介そうな目線で見つめられる。

「あー、ちょっと擦っちゃって」

「部屋で暴れんな」

 冷た~。ポケットに手を突っ込みながら、階下へと向かった。

 美味しそうな昼食の香りがした。


「いただきます」

「いっただっきまーす!」

 さっき部屋に行ったときとは別人のようだ。私はそう思った。

 人間誰しも裏表があるとはいえ、さすがにこれは変わりすぎだろ……。

「おいしーね、このフレンチトースト」

「そりゃどーも」

 そういえば、この人が甘党なのは薄々気付いていたけれど、好物は意外と知らないかも。

 今度訊いてみよう。

「午後は体術だから、食べ過ぎは禁物だよ。てゆーか光梨って、もしかして運動部だった?」

「え、なんでわかったの?」

 もぐもぐ食べてる人に、食べ過ぎは禁物とか言われても。この人は動かない予定なのかもしれない。

「だって運動神経いいもん。朝の筋トレ見てて思ったけど、ちゃんと自主練とかするタイプでしょ」

「うわきっしょ……。的確に言い当ててくるやん」

 お前のほうが運動神経良いけどな? 自覚ある?

「ひど……。勾玉返して」

「なんでもないです」

 今はこの人に、弱みを握られてるからなんとも反論できない。辛い。

「でもその調子なら、2カ月くらいでいけるよ」

「マジ? 呪力の制御のほうはできる気がしないけど……」

「うん。君の場合、まだ完全に覚醒しているわけじゃないから、呪力を制御するのはすごく難しい。限りなく不可能に近い」

 思案しながら、フレンチトーストを口に運ぶ。やっぱり、我ながら上出来だ。

「だから完全に制御するのは、諦めた方がいい。そこで俺は、思いついたのですっ!」

 ピンと人差し指を立て、どこか芝居がかった振る舞いをする。そもそもこの人自体が、胡散臭いのもあるけれど。

「はぁ」

「フィジカル強化のために呪力を回そう!」

「ふぃじかるきょうか」

「そんで、呪力の無駄遣いを防ぐために、『必要な時に、必要なだけ』のスタンスで行こう!」

「ひつようなときに、ひつようなだけ」

 オウム返ししか出来ていないことに、気付いていないかのように颯は続ける。

「フィジカル強化に使われていない余った呪力を、必要な分だけ残して、残りはその勾玉に込めておく。

 そして、いざ戦闘!ってなって、手持ちの呪力じゃ足りない…ってときに、勾玉を介して呪力を受け取る」

「はぁ」

「だから今日から光梨がやるべきことは、呪力を移動させることなんだ。これは、すごく基礎的ですごく難しいことだからね、できるようになると呪力を『概念』ではなく、『形』として捉えることができるようになる」

 呪力って目に見えないし、概念でしかなくない?

「分からなそうだけど、やってるうちに分かるよ。二カ月後には実戦を目指して頑張ろう!」

 実戦ということは、本物の呪霊を祓うということだ。

 いつ死ぬか分からない世界に、足を踏み入れなければならない。

 それまでに、強くなろう。

 死なないくらい強く、負けないくらい強く、胸を張れるくらい強く。

 神坂光梨が、生きることを肯定されるように。

「絶対に理解してやる。そして、誰よりも強くなってやる」

 最後の一口のフレンチトーストを食べる。

「ごちそうさま!」

 手を合わせて、挨拶をする。颯はまだ食べている途中のようだ。

「練習しよ、颯!」

「ちょっと待って。まだ食べてるから」

 颯が少し、笑った気がした。



 私はいま、哲学に向き合っていた。

 呪力を全身に巡らせるとは、どういうことだ?

 とりあえず、拳に呪力を付与することはできた。

 でも、それ以外の箇所に回りはしない。ホワイ?

「一旦ストップ」

 颯から制止が入る。かくいうコイツは、懸垂したりトランポリンしたりボクシングしたりしていた。

「光梨。拳に呪力を込めるときは、どんな感じでやった?」

 正座によって痺れた足をさすりながら、答える。

「どんな感じ……? 何て言うんだろ……、うーん…なんとなく、かなぁ…」

「なんとなくじゃダメ。それは偶然でしかないんだから。自分がどういう風にやったら出来るのか、明確にしておかないと」

 体育座りする私を真似て、颯が隣に腰を下ろす。

「目的の箇所の神経を、末端まで研ぎ澄ます感覚。拍動と呼吸が耳の奥で木霊し、体内で収束し発散する。浮遊しているような意識の中で、自分の核を感じとる。そして、呪力が宿る」

 正面を向いたまま、颯が呟く。視線は中空を彷徨い、颯本人が空気と同化してしまいそうなほど、弱々しく感じた。

 ……神経の末端まで研ぎ澄ます感覚は、あった。拍動と呼吸も、感じてたかもしれない。

 でもそこから先は、何一つ覚えていない。

「もう一回やってごらん。今言ったことを意識するんじゃなくて、自分の動きと照らせ合わせていく。感じ方は、人それぞれなんだから」

 颯が隣にいる分、先ほどよりも緊張するが、『なんとなく』を辿りながら、その手順を確かめていく。

 目に映る呪力は、燃え盛る炎のようだ。拳が白んだ炎に、包まれている。

「どう?」

 問われて、熟考する。自分が踏んだ段階を、言語化して落とし込む。

「……目的の箇所の神経を、末端まで研ぎ澄ます感覚。拍動と呼吸に意識を傾けると、しばらくして浮遊してるような感じがした、たぶん。そしたら、呪力が体の内側から、手に移動していってこうなった」

「うん。よくできたね。じゃあもう一回、全身にチャレンジしてみよう! ところで光梨、アクロバティックな動きとかって出来たりする?」

 突然どうしたんだろう、といささか不思議に思いながらも、答える。

「多少は、ね。中学の時は体操部に所属してたから、ある程度はできるよ」

「なるほどね、ありがとう」

 本当に突然だったな、と思いながらも、再び意識を研ぎ澄ませる。

 手順は先ほどまでと、あまり変わらない。

 目的地が『手』から『全身』に変わっただけだ。そう考えれば、気が楽だった。

「こんな感じ?」

 全体的に、活力がみなぎっているような感じがする。

「できてるよ、光梨! さすがすぎる、やっぱ俺が教えただけのことはある!」

 否定のしたいのはやまやまだが、颯が教えてくれたおかげでイメージが出来たのは事実だし、認めざるを得ない。

「なんでそう、不満げなの」

「なんか、ムカつく」

「光梨さー、俺に対しての当たり、強いよね。悲しいんだけど」

 別に悲しそうに見えないから、あまり気にしていない。

「ま、いっか。フィジカル強化もできたし、せっかくなら身体動かしてみよ?」

「…………何する気なの」

「こっから、飛び降りてみよう」

 …………。は?

「は?」

「大丈夫大丈夫。ヤバそうなら、俺が風で支えるし。それにほら、成功してたじゃん」

 ニヤニヤした顔で続ける。

「池袋拘置所の死刑執行室は五階だよ」

「え」

 思わず、そんな声が出る。窓一つない部屋が、そんな高い位置にあったなんて、という驚きもあるが。それ以上に。

「私、目が覚めたら路地裏にいたよ……? 傷一つなかったよね?」

 もしかして無意識にやってたってこと?

「そこら辺の理由は、俺も分からない。でもまぁ、出来たなら出来るよ」

 グッ、みたいに親指を立てながら笑顔で言われても。

「さぁさ、そこの窓から行ってみよー! ちなみに俺は、フィジカル強化なしで5〜6階なら飛べるよ」

 お前には! 風が! あるだろうがっ!

 イライラしながら、窓枠に手を掛ける。早く外に出るためだ。やむを得ない。

「えいっ」

 勢いに任せて、身を投げ出す。そのまま受け身を取って着地した。

 以前、パルクールの動きを渚から教わっていて良かった。やっぱり、持つべきものは良い友だ。

「できてるよー! 明日から『保』に参加してもいいんじゃなーい?」

 2階から呑気に手を振りながら叫ぶ颯を睨みつけて、玄関へ向かう。

 扉を開けるとそこに颯がいたことに、やや驚きつつも思ったことを伝える。

「連盟に登録したの? 嵐馬さんにお願いすることもあるんでしょ」

「あーたしかに……。1カ月後くらいかな、そしたら。ていうか上手だね、光梨。

 運動神経、良すぎ」

「昔、友人に教わってたからね。こんなところで役に立つなんて、渚も思ってなかっただろうな」

 元気にしてるかな~なんて、呑気に言い、颯の様子を伺う。

「友だちは大切にした方がいいよ」

 喉から絞り出したような声は、私の奥底に澱となって溜まった。

「……渚っていうんだ。平井渚」

 もう会うことのないであろう友人の名前を、唱える。

 颯は黙ったまま、聞いていた。

「小学生のころ、引っ越してきて、それからずーっと、おんなじ学校。

 周りから孤立していた私にも、優しく話しかけてくれて、世界は温かいって、ひとりじゃないって、教えてくれたの」

 少し、視界が滲むだ。条件反射で下を向く。

 颯も前を向いたままだった。何もない白い壁を、ただ見つめていた。

「でも、また、ひとりになっちゃった」

 言葉は涙とともに、ぽとりと落ちて散った。

 一粒では、終われなかった。

 だってここには、誰もいない。

 渚も施設の子も、味方さえもいない。

 颯と嵐馬さんでは、まだこの穴は埋められない。

 私は強くない。みんなが思うほど、大人じゃない。

 だから。

 だから、

「さみしいよ……」

 どうにもならないことほど、言葉にしたくなるものだ。

 颯が息を呑む気配がして、慌てて目元を拭った。

 隠しておきたかった。こんなふうに、幼い自分を。子どもっぽい側面を。

「泣けるときに、泣いておきなさい」

 颯が頭を撫でた。小刻みに震える手から、温もりが伝わる。

「この世界で、光梨がひとりじゃないって思えるまで、俺はずっと傍にいる。

 もちろん嵐馬だって、そうだと思うよ。たぶん」

「たぶんってなによ……」

 さりげない颯の気遣いが、嬉しかった。

「……もっと大人に頼ることを覚えたほうがいいよ」

 それは、感情を昇華し尽くした声だった。



 6


 遂にこの日がやってきた。

 颯と出会った日から、一カ月と半分くらいの月日が流れた。

 嵐馬さんのおかげで、私たちは無事に新しい戸籍を手に入れられた。大感謝だ。

 今日から私は、『今井七星』になる。髪も黒く染めたし、カラコンも入れて、特徴的な目の色を隠してある。

 そして『保』に参加する。

「あれ? 光梨、緊張してる?」

 あの日、颯の胸に巣食う闇が、ほんの一瞬だけ垣間見えた気がしたが、特に何も触れず過ごしている。私がそう思っているだけで、颯に闇などないのかもしれないけど。

「緊張なんてしてないし。ねぇ服装、変じゃない?」

「変も何も、任務用の黒服なんだから関係なくない?」

「着こなし方とかいろいろあんだよ!」

 誰だって、おしゃれくらいしたいだろ!と牙をむく。

「あーはいはい。いーんじゃない、似合ってるよ。はい、これ手土産ね」

「……」

 ジト目で非難する。適当に言うな。

「ってこれ、とらやの羊羹じゃん!」

 高級和菓子店として超々有名な。とらやの羊羹をさも当たり前かのようにさらっと渡すなんて、この人の金銭感覚はどうなっているんだ、本当に。

「これくらいやっとかないと、最強の名が廃る」

「はぁ」

 ただの意地かよ……。まぁ想像通りだけど。

「それに弟に顔向けできないでしょ」

 さーさー、行った行った~と私の背中を押す。

 待ち合わせ場所はハチ公前なので、時間的にそろそろ出た方がいい頃合いだ。

 颯のちょっかいに返事一つせず、手土産を持つ。

 事前連絡では、持ち物は特にないと言われていたから、スマホとお金さえあれば大丈夫だろう。よし、忘れ物ないね。完璧。

「行ってきます」

「いってらっしゃい」

 ひらひら手を振る颯が見えなくなるまで、手を振り返した。


『保』のメンバーは、私を含めて四人。

 名前しか知らないが、その中には颯の弟である五行律もいた。

 こうなるように調整したのは嵐馬さんらしいが、一体あの人は何者なんだろう。

 今、私が住んでいる家にちょくちょく顔を見せる謎の人物。

 頻度はまちまちで、毎日のように来ることもあれば、二週間顔を見せなかったこともある。呪術師は忙しいのかもしれない。

 いろいろ考えているうちに、新宿駅に到着した。ナイスタイミング。

 ここから渋谷は、そんなに遠くない。せいぜい多く見積もって、十分というところだろう。遅刻の心配はない。

 颯言うすべく、「五行家の人間は五分前行動の五分前を躾けられてるから、九時五〇分に着けば、問題ない」だそうだ。なんと大変そうな。朝ぐらいゆっくりさせてほしい。

 来た電車に乗り込んで、スマホを開く。

 浮かれ気味なのか、颯から大量のLINEが来ていた。大切そうなやつにだけリアクションして、適当に流す。嵐馬さんからも、相当な量のメッセージが来ているが、こちらにはしっかり目を通す。内容は二人ともスタ連だったけど。しかも同じようなスタンプ。

 そんなこんなで、電車は渋谷のホームへ入っていった。こんな平日の昼間から、学生が一人で電車に乗っていることを怪しむ人も数人いたけれど、それが気にならないくらいには、私は新しい友人と出会えるのを楽しみにしていた。

「変わってないな〜」

 外国人観光客が多いのも、雑多なのに調和が取れている感じも、私が普通の高校生だった頃と変わらない。

 無事にハチ公前に到着し、メールを確認する。

 女の子が迎えに来てくれるらしい。たしか、外見の特徴は………。

「ポニーテールにサングラス……。呪術師ってサングラス好きなの?」

 颯も外に出る時は、大抵サングラスをつけてるし。まぁいいや。今はその子を探そう。

 ………………いた! あの子だ! めちゃくちゃ服のセンスいいなぁ、身長も私より高いし。呪術師なんていう胡散臭いものよりも、モデルのような感じの子だ。本当に本人なのか?

 胡乱げな視線を送ると、彼女が私に気づいた。手を振ってくれているから、たぶん本人なのだろう。

「もしかして、今井七星?」

 呼び捨てにされているが、そこは何も突っ込まずにおく。そういう性格なのだろう。

「はい、そうです。あなたはえっと……」

「私の紹介はあとででいい。待たせてるから早く」

「あ、ちょっと待って」

 彼女の足がとても長いせいか、気を抜けばすぐに置いていかれそうになる。

 表情の変化に乏しく、口調も良く言えば簡潔、悪く言えば素っ気ないような感じだ。

「うわっ」

 さっきまであんなにすたすた歩いていたのに、急に止まるから、躓きそうになってしまった。

「静かに」

「え?」

「静かにって言っただろ。そこに〝いる〟のが視えないのか」

 眉間に皺を寄せて、こちらを振り返る。いや、そう言われても、貴方に隠れて微妙に見えないんですけど。

「下がれ。こんな雑魚、〝私一人〟で十分だ」

 そう言うや否や、彼女は裏路地に生えている雑草を適当にむしり取ると、勢いよくそれを投げつけた。

 その拍子に、何が〝いる〟のか、視認した。

 呪霊が、いる。

 どろどろとしたスライムのような形状で、数多くある職種を不気味に動かしている。

 彼女が横一文字に手を薙ぎ払うと、呪霊は瞬く間に消えていった。

 そして、なんでもないかのように踵を返し、再び歩き始める。

「二人が、待ってる」

 私は慌てて追いかけた。


「カラオケですか」

「ああ。部屋はここだ。……もう入っていいか」

 後ろからそっと、中の様子を伺う。防音設備のはずなのに、ドタバタと騒がしい。

「待って、あと三〇秒! 三〇秒ちょうだい!」

「それ以上は待たないからな」

 いーち、にー、さーん……。

 彼女が数を数え上げる。そういえばまだ自己紹介をしていない。

「にーじゅご、にーじゅろく、にーじゅしち………にーじゅく、さーんじゅ!」

 バンッ、とノックなしに扉を開ける。

 中へ足を踏み入れると、パーンというクラッカーの音が鳴り響いた。

「はじめまして~」

 いつの間にか私の背後に回っていた男子二人が、声を揃えてそう言う。

 気配に気づけなかったなんて、颯にばれたら何と言われるか。考えただけで胃が痛い。

「あんまり驚かせすぎるなよ。とりあえず、座ったら?」

「確かにそうだね。自己紹介はしたの」

 うなじの辺りで髪を一つに結っている、男の子が言う。私と同じくらいの年齢のはずなのに、すごく落ち着いた雰囲気だ。

「りっちゃん、実緒がそんなのするわけないでしょ。俺たちの『保』が人気ないのも、きっと実緒のせい」

「人のせいにすんじゃねぇ」

 一つ結びの男の子は、律という名前らしい。私の記憶が正しければ、律は颯の弟だ。

 そして、ここまで私を案内してくれたのは、女の子はミオさん。なるほど。なんとなく分かったかも。

「ブチ切れてる実緒に変わって、僕が司会進行を務めよう。初めまして、僕の名前は櫻井竜樹。気軽にタツキって呼んでくれると嬉しいなー」

 マイクに向かって意気揚々としゃべる竜樹は、小洒落た身なりをしている。高校生というより、大学生くらいに見える。

「この女たらし襟足野郎。しゃべるのやめろ」

「えー、こんな風に僕を罵っているのは相川実緒ですー。実緒ちゃんって呼んであげると喜ぶん……かはっ、首締ま、離せ実緒!」

「いい加減にしてください。初めて会う人にそんな姿見せて、恥ずかしくないんですか」

 律が置いてあったもう一つのマイクを取り、それを通して二人を叱責する。

「…………」

 その言葉に、実緒は竜樹の首を解放する。

「俺はいいんですよ、慣れてるから。でも、この子は違いますよね? しっかりして下さい。貴方たち年上でしょう、これでも一応」

 慣れてるんだ……。その情報は聞きたくなかったかもしれない。

「わかったら、もう一回、真面目に自己紹介してください。まず実緒さんから」

「指図すんな」

「じゃあ、どうやって統率をとればいいんですか」

 ていうか本当に颯の弟なの⁈ いくら腹違いとはいっても、さすがに性格違いすぎでしょ。五行家の教育方針、変わったのかな……。あー有り得なくはないかも。あんなのが育ったらヤだもんね、うんうん。

「………相川実緒、一七歳。普段は都立高校に通ってる。二年生。よろしく」

 律に叱られて、ご機嫌斜めらしい。

 会った時と変わらない無表情に、僅かな苛立ちが見える。それにしても足細っ!

「はいはーい、僕は櫻井竜樹だよー! 気軽に竜樹って呼んでね。そこの実緒とは中学の同級生なんだ。よろしくね。君の名前は?」

 対してこちらは、気にしていないらしい。先ほどと変わらないテンションで話している。

「今井七星、高校一年生です、よろしくお願いします」

「そんなキンチョーしないの! いずれは背中を預け合う中になるんだからさ。ね?」

 りっちゃんも自己紹介しなよー、とぶんぶん手を振る。もしかして、竜樹さんの方が年下なんじゃないかと疑うほどに、この人は無邪気に振る舞う。

「五行律。あなたとは同い年です」

「ななちゃんって呼んであげなよ、りっちゃん」

「離せ。りっちゃん呼ぶな」

 だる絡みなのか、竜樹さんにほっぺたをぷにぷにされている。律のほうが小柄なため、子ども扱いされやすいみたいだった。

「僕たち君のこと、何て呼べばいーい?」

 ぷにぷにするのに飽きたのか、今度は髪を撫でまわす。いや、かき混ぜているといった方が正確かもしれない。

「なんでもいいです。呼び捨てでも、なんでも」

「うん。じゃあ、七星って呼ぶね」

 二人のやり取りを冷めた目で見つめている実緒さんに、視線を送る。

「なんだよ」

 足を組んで座っている姿は、すごく写真映えしそうな感じだ。

 会った時から思っていたが、この人めちゃくちゃイケメン属性が強い。スタイルとかも圧倒的イケメンだけど、呪霊を祓うのも手際が良くてかっこよかったし、本当にすごいと思う。憧れる。この人と一緒に行動できたら、技術の向上速度が上がりそうだ。やーばい、オタク魂が叫んでる。

 ……颯は、出来ることが当然だから見取り稽古ばかりで、あまり上手くできない。まぁ説明もしてくれなくはないけど、なんかイマイチ分からない、時もある。

「何て呼べばいいかなって」

「別になんでも。呼びたいように呼べば」

 ソファの背に頬杖を付いて、顔を横に逸らす。なんとなく手元を見ると、クッションを握りしめていた。

 ク~~~ッッッ! ツンデレかよ! いやデレてないかもだけど!

「実緒さんって呼びます!」

 勢いよくそう言うと、実緒さんは目線だけで私を見て、その目を大きく開けると、再び横を向いた。

「なんでもいいって言ったろ……」

 それに目ざとく気付いた竜樹さんが、律をそっちのけにこちらへ来る。

「実緒が照れてる~~~!」

 パシャパシャ、とスマホで写真を撮り始める。

「照れてねぇし!」

 続く、撮んな!という声を上げながら、手にしていたクッションを投げつける。

 狭い部屋で追いかけっこを繰り広げる二人を、もはや律は窘めなかった。

「いつもあんな感じなの? あとこれ、渡し忘れてたんだけど、手土産」

「うん。任務の時はまだ大人しいけどね」

 律が手土産をごそごそと開封する。中身が何か分かると、ほんの僅かに目を輝かせた。

「ありがとう。どうしてこれを、選んでくれたの」

「どうしてって言われても、私が選んだものじゃないからさ」

 よく分からないんだー、と颯の存在を伏せて話す。

 すると突然、私を真っ直ぐ見つめる律の目が、急に鋭くなった。

「そのネックレス、」

「あ、これ? かわいいでしょ。お兄ちゃんにもらったの」

 あいつをお兄ちゃんと呼ぶのはとてつもなく不快だが、本人がいないだけマシだと思えば、どうってことない。

「名前」

「え?」

 明らかに律の様子がおかしい。何かを思い出そうとしているような感じだ。

「お兄さんの名前、なに」

「北斗だけど……。もしかして律にも兄弟がいるの?」

 さりげなく探りを入れる。すると、驚愕した表情を浮かべて言った。

「知らないのか」

「え?」

「いや、なんでもない。俺には兄がいた。もうあんまり、記憶に残っていないけれど」

 颯が死刑対象となったのが十年前であることから考えて、あまり覚えていないのも納得がいく。

「いちおう言っておく。実緒さんに同じ質問をするのは、やめておけ」

「なんで?」

「…………お前が知るべきことじゃない」

 そう言って、律は二人のもとへ向かった。

「あ、ちょっと待ってよ、律」

 本当に背中を預けられる仲になれるのか、不安だった。



「……ていう感じでした! 久しぶりに弟くんの話が聞けて、幸せですか~」

「弟? あー、律か……。別に。もう十年以上も前のことだし?」

 今日は珍しくポテチの気分らしい。この人が、しょっぱいものを食べるなんて。

 明日はまさか、天変地異の予感……⁈

「それに」

「それに?」

 腕に抱えたポテチの袋の中を見つめる。少し、影を落としながら。

「……忘れてた方が、あいつにとっても良いだろ。さ、光梨。今日はパーリナイ♪」

 た~んとお食べ、と言って颯が出したケーキは、巷で噂の超激甘高級ショートケーキだった。明日、胃もたれになる覚悟を決めた。



 この家は、広い。そして、都内にあるとは思えないほどの自然と風情がある。

 例えば、庭。これは枯山水という庭園様式だ。

 例えば、池。大した広さや深さはないが、橋までしっかり架かっている。

 例えば、部屋。典型的な和室、書院造だ。この建築様式は、本館に限るが。

 俺は今、書院造の部屋にいる。眼前には〝四方之海〟と書かれた掛け軸が、堂々と飾られている。

「ただいま戻りました」

「うん。お帰り」

 父はこちらをじっと見つめて言った。

「これ、どうぞ。食べきれなかったので、持って帰ってきました」

「頂き物かい? 中には何が?」

 この人は、中身が分からないものを拒む。

「新しく加わった方から、手土産にと。中には羊羹が入っています」

「……とらやの羊羹か。良かったじゃないか、律。

 それにしても、しっかりした子なんだね。律と同い年と聞いていたけれど」

 珍しく、他人に関心を示した。意外に思いながらも、平静を装い答える。

「はい。数え年は、同じです。あと、その甘味は兄が選んだと」

「そうか。……その子とお兄さんのお名前は?」

 告げるべきか逡巡する。が、嘘は見破られると知っているので、本当のことを伝える。

「今井七星と、北斗だそうです」

 父は俺のことを、じっとみた後、部屋を出ていった。

「五行翔が、挨拶をしたいと言っていたと、伝えておいてくれ。……もちろんお兄さんにも」

「なぜ、わざわざ」

「お前に伝える必要はない。これは私たちの問題だ」

「ですが」

「なんだ」

 振り向きざまに、再度こちらを見た父の目は、怒りに染まっていた。この瞳を見たのは、いつぶりだろうか。

「…………なんでもないです。俺が言うべきことでは、ありませんでした」

「わかってくれればいいんだよ、律。こちらこそ、厳しい言い方をして申し訳なかった」

 頭を撫でられそうになったので、俺は慌てて身を捩る。行き場をなくした父の手は、さりげなく引っ込められ、着物の袖へと隠れた。

「じゃ、私は用事があるから。……それと、律。お前は一人称を私にした方がいい」

「いやだ」

「……人前とか、公的な場面とかで使ってるうちに慣れるさ」

 ひらひらと手を振りながら去っていく姿は、誰かに似ている気がした。

 誰の姿かは、思い出せなかった。

 

 初めて『保』のみんなに会ってから、十日くらい経った頃だろうか。

 連盟から直々に、任務の依頼が持ちかけられた。

 私にとっては、誰かと共同で祓う、初めての経験だ。

 颯に言われて、お遣いみたいなノリでやらされたことはあるけど、大抵の場合、単独での行動だったし、付いてきたとしても颯か嵐馬さんだった。この二人は、見守っているだけだったので、共同とは言えないだろう。

「光梨。明日のことなんだけど」

 いよいよ明日、任務へ向かうとなった日の夕食後、颯がそう切り出した。

 ここに座るよう手招かれたので、私もダイニングテーブルに腰かける。

「明日は、俺も仕事がある」

「珍しいね。いつも家にいるイメージがあった」

「俺を何だと思ってるわけ? 最近、家にいることが多かったのは、嵐馬に仕事の調整を頼んでたから。光梨が、任務をこなせるまでは仕事しないって」

 ただのサボりな気もするが。きっとこの人がやらなかった仕事は、全て嵐馬さんが片付けたのだろう。最近、家に来ない理由がなんとなく分かった。ご愁傷様、と胸中で手を合わせる。

「しかも今回は面倒なことに、東北までの出張だ。だから、光梨の呪力をセーブする手伝いが出来ない」

 東北か……。場所によるけれど、東京にいる私まで意識を向けるのは大変だろう。

 二カ月近い期間の訓練の成果か、ある程度は呪力の扱い方に慣れたはずだ。今も、ネックレスの中の呪力の制御など、少し颯に頼っている部分もあるが。

「だから、絶対にネックレスを外さないこと。これだけは約束して」

「……私、もう大丈夫だよ?」

 その言葉に、颯は天を仰ぐと、大仰に溜息を吐いた。

「あのねぇ……。君、自分の中にどれくらいの呪力量があるか、分かってないでしょ」

 この人の、透き通るような碧い瞳には、私の呪力量が視えているらしい。

「ざっくり言うと、制御なしで嵐馬に匹敵するくらい。ネックレスを外してご覧よ。呪力から君の正体がばれてジ・エンド。まさか、そのネックレスは何のために着けているのか、忘れたわけではないよね」

 疑いを伴った視線で問われれば、慌てて返答するしかない。

「そんなことない。ネックレスを着けるのは、正体を隠すため。そうでしょ?」

「だいたいそんなとこ。そのネックレスを取れば、いま光梨の中にあるものの何倍にもなる力が手に入る。でもその代わり、死ぬ確率は爆発的に上がる」

 死にたくは、ないかもしれない。生きるために、こんないけ好かない男の家に住んでいるのだ。

「……それを取るのは、誰かを助けたいときにしなさい。いいね?」

 差し出された小指に、私のそれを重ねる。

「わかった」

 私は言質を取られたのだと、気付いた。



 光梨が寝てから、数時間後。俺はやっと、ベッドにあり着いた。

 一日が長いと感じるようになったのは、いつからだろうか。

 カバーをつけ忘れた枕の上に寝転がり、天井を見つめる。

 光梨がネックレスを取れば、俺の元にも衝撃波が届くだろう。あれには、俺の呪力も籠っているのだから、なんらかの影響はあるはずだ。

 そもそも取らないように言いつけたし、明日の呪霊はそんなに強くないはず。

 だから何も、心配することはない。

 何かあっても、すぐに向かえばいいだけだ。

 大丈夫。俺はもう、一人でも最強なのだから。

 通達書



 2021年9月4日 火曜日


 東京都下、北多摩エリアで、呪霊の仕業とみられる誘拐事件が多発。

 事件概要から、呪霊の階級はそこまで高くないと考えられる。

 よって、第14号連盟公式保所属、相川実緒、今井七星、五行律、櫻井竜樹の4名を適正と判断し、調査及び任務へ遣わすことをここに記す。

 監督には、68番を任ずる。




 報告書

 記述日:2021年9月6日 木曜日


 2021年9月4日、第一四号所属の四名(以下記載)は、西東京市で多発している誘拐事件の調査に向かった……——。


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