第7話 盾の偽物
アステミス地方、とある街。
ここは富裕層の家が建ち並ぶ閑静な住宅街である。
富める者がいれば、その隣に貧しき者がいるのは必然。
昼間はマダムたちが優雅に交流していた広場の片隅のベンチに、年老いた老人が腰を下ろしていた。
「ぐじゅ、ぐじゅ」
みすぼらしい老人の咀嚼音が、住宅街の広場に響く。
具材はよくわからないが、とにかく温かいらしいスープをひと口すすって、老人は白い息を吐いた。
ベコベコに変形した器を持つ手は枝みたいに細くて、髪やヒゲはぼさぼさで何日洗っていないのかわからない。
彼のそばには大きな台車。街中を歩き回ってかき集めてきた鉄くずがこんもりと積まれている。
今なっている音といえば、老人がスープを嚙み締める音だけ。
だがその静寂は突如破られる。
老人の手元にどこからともなくゴムボールが降ってきた。
ゴムボールが吸い寄せられるように軌道を描いて、スープの入った鍋をひっくり返した。
「おーじさん」
「こんばんは~」
どこからともなく、上等な服に身を包んだ無邪気な少年たちが集まってきた。
「何してんの~?」
「なにもしてねえんだろ」
理由も説明もなく、少年の1人がおじさんの手を蹴り飛ばす。
スープの器が宙を舞うのと、別の少年がおじさんの台車をひっくり返したのは同時。
同時多発した暴力は、老人にとって初めてではなかったのだろう。
身体をギクシャク動かしながら立ち上がって、少年たちから離れようとする。
だが、すでに取り囲まれてしまった。
「どこ行くんです、か!」
近くの木にぶら下がった少年がおじさんの肩を両足で蹴りつける。
バランスを崩しそうになるものの、おじさんは足を止めない。
「おらぁ」
別の少年がボールを思い切りおじさんにぶつける。
まるで競い合っているかのように、少年たちが暴力をふるっていく。
その顔には恨みも悲しみもなかった。ただ無邪気に楽しんでいるようだった。
「おっとっとっと~」
あからさまなつまずいた演技をして、一人の少年がおじさんにタックルを食らわせる。
おじさんはよろめいてこけた。暗い夜に押し倒された老人に、器用な受け身などとれない。
「この野郎…!このボンクラども…!」
口の中に広がる血と土の味を噛み締めながらおじさんが呟く。
自分の身に起きていることを受け入れたわけではないが、身体がついていかないのだ。
「ん~~~~。とぉ~!」
花壇の上から少年が老人めがけてジャンプする。
少年の両足はおじさんの側頭部に直撃。足の裏と石畳に頭蓋骨が挟まれるゴシャっという生々しい音が響いて、老人は動かなくなった。
「はぁ~あ。じゃ、俺帰るわ」
「俺も~」
「お疲れ~」
動かなくなったら急にシラケてしまったらしい。
少年たちは家路についた。
彼らが帰る家では家族が夕飯を作って待っている。
「ただいまー」
先ほど老人を集団で痛めつけていたというのに、少年はけろっとした顔で家に入っていった。
すると家中に明かりがともり暖かな感じがする。
少年が帰ってから数分。
とある男が少年の扉をノックしていた。
「はい」
扉を開けた夫人の前に立っていたのは、中肉中背の中年男性だった。
刺青が入っているわけでもしかめっ面をしていたわけでもない。オシャレなわけでもイケメンなわけでもない。
月並みなスーツを着て社交的な笑みを浮かべる男だった。
けれど、その目は黒く、そしてとても凶暴な影がちらついていた。
「息子さん帰ってきましたね。自分の部屋ですか」
「あの、どちらさまで?」
「王立騎士団のクロードです。ちょっと息子さんと話を」
丁寧な物言いだが、男の行動には有無を言わせない強引さがあった。この会話をしている時にはすでに玄関に上がり込み、先ほどの少年がいる2階への階段のもとに向かっていたのだ。。
「あの!息子が何か……」
「あぁ、いえいえ。ちょっと2人で」
関わろうとする夫人を制して、男は少年の部屋の戸をノックした。
「うるせえな」
返ってきたのは鬱陶しそうな少年の声。
どうやら母親がノックをしていると勘違いしているらしい。
男は少し間を開けた後、再びノックする。
「ったく。なんなんだよ~」
ようやく扉を開けた少年の前にいたのは、やさしい母ではなく、黒い氷の目をした男だった。
えっ、という声を出す間もなく、少年は男に横っ面をぶん殴られた。
「???????」
男の拳は硬かった。
頬に感じる重い痛みに思わずしりもちをついた少年。
一体何が始まったのか全く理解ができなかった。
男は、作業でもするみたいに、少年の髪を掴んで顔をあげさせ、もう1発殴り飛ばした。
とにかくやばい。そう思って少年が後ずさるも、今度は男にサッカーボールキックを浴びせられる。
とっさに腕でガードすると、今度はその腕ごと踏みつけられた。
革靴が少年の身体を踏みにじっていく。少年は今まで誰にも叱られたことさえなかった。
サッカーボールキックと踏みつけが角度を変えて繰り返される。
気づけば部屋の隅にまで追いつめられた。
男は蹴るのを辞めて、少年に向かって顔を近づける。
睨みつけるわけでも、泣いているわけでもなく、ただ冷酷に少年を見つめている。
「明日、仲間連れて騎士団に自首しなさい」
「お、おおお、俺なんにもやってね…」
騎士団と聞いてとっさに出た嘘は最後まで言えなかった。
言い終える前に男に裏拳でぶん殴られたからだ。
「明日、仲間を連れて騎士団に自首しなさい」
「……どうせ自首したって、パパが何とかしてくれる」
ピクッっと男の身体がこわばった。
そうか。この騎士団を名乗る男は、僕のパパがどれだけ偉いのか知らないのだ。
そう心に余裕を持ったのもつかの間。
「そうか。お前も何とかしてもらえるのか。じゃあな……」
「これも何とかしてもらえ!」
男はそう怒鳴りながら、少年の右ひざを思い切り踏みつぶした。
少年の泣き叫ぶ声と1階から聞こえる夫人の声と駆け付けた本物の騎士団。その全てをあざ笑うかのように、男は窓から夜の中に消えていった。
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