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読んでくれたらちょっと嬉しい

ぺてん詩と散々文

作者: 阿部千代

 なんだかんだ詩というものを考え続けている。詩ってなんだ。こいつは難問だ。

 詩と散文は違う。ここまではわかる。そこから先がよくわからない。散文詩なんてものまでありやがる。いい加減にしろ、と言いたい。だが文章表現としては詩の方が先輩だ。詩と散文。詩とそれ以外の文章。それらを隔てているものは? 詩とは一体? 今回はそのあたりを深く掘り下げてみたい。え、誰? そう思った方もいるかもしれない。ご心配めされるな。いつもの阿部千代です。なめんなよ、ヨロシク。


 おれの書く文章ってのは、まあ言ってみりゃ、出鱈目なおしゃべりだ。適当なことをべらべらと、早口でまくしたてる。詐欺師のやり口みたいなものだ。だから、おれの文章はいくら文字数を重ねても、なにも語ってないに等しい。実際に語りたいことなどはなにもないのだから仕方ない。是非とも伝えたいことなどなにもないし、主張したいことだってない。お得な情報を流せるわけでもないし、ライフハックとか抜かすやつはおれの目の前にいてほしくない。唯一の例外は、おれがむかついた時。むかついたら文章にその時の感情を乗せる。だがあれは八つ当たりだ。サンドバッグを殴りつけているようなものだ。それでもなるべく、読める八つ当たりにしようとは思っている。せめてもの罪滅ぼしって意味でね。


 なぜ人は、なにか意味のあることを、意味があると自分で思い込んでいることを、語りたがるのか。

 そりゃ気持ちいいからだ。おれだって時と場合と酔い具合によっては、憚りながら語らせてもらうこともある。確かにあれはなかなかの快感だ。ハマってしまうやつの気持ちもわかる。だが素面で語るやつの気持ちはどうしてもわからない。こいつは真面目な顔でなに間抜けなことを抜かしてるんだ? という気持ちにしかなれない。実際のところ、傾聴に値することを語っているやつなんて見たことがあるか。どいつもこいつも勝手に気持ちよくなって、勝手に絶頂しちまって、それじゃぼくはこのへんで、なんていってさっさと消えてしまう。

 やつらには、人を楽しい気分にさせようっていう尊い精神がないのだろうか。それとも、本気で、人はあんなもんで喜ぶ、そう思っている……? いくらなんでもそんなわけはない。おれはそこまで人間が愚劣な存在だとは思いたくない。おれは人間の良心を信じている。そんな下らないやつが存在するなんてことは……あってはならない。


 自分語りというものもある。聞きたいか? おれのこと。好きな色とか好きな食べ物とか、好みの女のタイプに足のサイズ、爪は週に何回切って、シャンプーはなにを使っているのか……。聞きたいか? こういうシチュエーションではおれはこういった行動をしがちで、次に機会があったらおれはこう言ってやるんだ。そうしたらあいつはきっとこう言ってくるから、おれはこう返してやる! 聞きたいか? おれの初恋はいくつのときで、こんなことがあって、結局そのコとはそれ以来会ってないんだけど、おれはいまでもそのコのことを思い出すと、胸がきゅっと痛むんだ……。聞きたいか? 

 幸いおれに興味のある人間はいないので、おれも節度をもって文章を書くことができている。とは言え、たまに自分のことだって書くよ。けれどもそれは最後の手段だ。本当になにも書くことがないとき、文章がどうしても進まないとき、仕方なく自分のことを書く。なるべく自分にとってどうでもいいことを。


 さて。ここまでで、おれがなにか中身のあることを書いただろうか。これまでの文章で読み取れることは、おれがとてつもなく嫌なやつだということくらいだろう。だがまあまあ読めたはずだ。お望みならば、まったく逆の内容でだって書けるよ。今日はこんな気分だったってだけの話だ。露悪的な気分。誰だってあるだろう、そういうときが。おれはちょっとその頻度が人より多めかもしれないが。

 ひとつだけ。どうか憧れないで欲しい。確かに調子のいいときのおれの文章はカッコいい。それは認めざるを得ない。だがこれだけは覚えておいてくれ。おれは口から先に生まれた男だ。付き合った女性からは例外なく、詐欺師の才能があると言われてきた。まるで申し合わせたかのように。そういう男が書いた文章だということを肝に銘じておいて欲しい。おれの言うことはなにも信じるな。


 散文ってのはこんな感じだ。多くの文字を使って、なにも語らないということができる。むしろ下手な内容を入れるくらいなら、全く中身のない文章の方がましだと思わないか。


 詩は全く逆だ。なるべく少ない文字で、多くのことを語らなければならない。詩に中身がないなんてことは許されないのだ。詩はそれらしい雰囲気だけの文字列では決してない。もうはみ出るくらいに、これでもかと中身を詰め込まなければならない。おれは詩がわからないと言ったが、むしろ詩を理解しようとするなんて無駄なことなのではないか、とすら思えてきた。そんな濃厚で癖の強いものを咀嚼できる気がしないからだ。

 迫力のある詩と、貧弱過ぎる文字の列を隔てているのは、詰め込んだ中身の量の差なのではないだろうか。そう考えると合点がゆく。が、そうだとすると、おれは詩を書いている人たちには残酷なことを告げなければならない。もちろんおれだって例外じゃない。つまり、詩と呼ばれているものの、そのほとんどが、いやほぼ全てが詩としては不良品なのではないだろうか。あなたの書いた詩はなにかを語っているだろうか。あらゆる角度から眺められても、その全てに違う答えを返せる雄弁さを持っているだろうか。おれはとてもそうは思えない。たったひとつの視線にすら耐えられない、しどろもどろになっちまうような、そんなものをあなたは詩と呼んでいるのではないか。

 どうだろう。おれの考えは間違っているだろうか。おれはなかなかいい線ついてるんじゃないかって気がしている。もしおれの考えが正しいのであれば、詩ってやつは限られた人間にしか書けない代物だ。かなり危険なやつだと言っていい。おれはそろそろ手を引こうと思ってはいるのだが……。

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