7章「血の覚醒」
「うっ……」
アステが意識を取り戻す。
「痛い!」
額のあたりがズキズキと響いていた。
一体どれくらいの時間、気を失っていたのだろうか。
痛みを覚える額に手をあて、体を起こした。
ヒクヒクと瞼を徐々にあげて目をあける。ぼやけた視界に、淡い光が見える。
雲に隠れていた月が顔をだし、影を照らす。
月の照明は、二つの影をとらえた。その影絵はアステの目に映りこむ。
「あれは……」
アステは何度も瞬きをした。
影の正体があらわになる。一人は大剣に突き刺されたロゼの姿。移って、その大剣を握る騎士の姿が見えた。
翼の騎士は、ロゼの胴体を突き刺した大剣を頭上にかかげ勝どきをあげている。
「そんな……ロゼさん!」
力なくダラリと垂れたロゼの腕に生気は見えない。
彼女は、生きているのか。強い不安と心配に、胸が一杯になる。
翼の騎士は大剣を振り下ろしロゼを振り払った。
乱暴に投げたされたロゼの体は、草むらの地面を二転三転し、そのまま仰向けに倒れる。動く気配はない。ロゼは目は深く閉じたままだ。
絶望。アステは顔を強張らせた。全身の力が抜け、恐怖による逃避が頭をめぐる。
常人ならば、逃げ出してもおかしくはない状況だった。
もしかしたら次は自分が襲われるかもしれないのだ。自分の身を守るために、誰を犠牲にしなければならい時がくる。
しかし、アステはその感情を留めた。彼は逃げる選択を手放したのだ。
約束を破ることは絶対にしない。彼女に誓った。
「こいつ!」
アステは騎士に向かって短刀を投げつけた。
短刀は頭部の冑にあたり、空しい音をたて弾かれる。
翼の騎士はこちらを見向きもしない。騎士の足取りはロゼへと向かっている。
完全に無視されている。どうすればいい。
必死に頭を回すが案が一向に浮かばない。思わず頭を叩いていると、すぐ横で物音が聞こえた。音はロゼの鞄から鳴っていた。
「ロゼさんの鞄……」
そうだ。用意周到なロゼさんのことだ。なにか、武器になる物があるかもしれない。アステは構わず鞄を拾い、手を突っ込んだ。
「うんっ?」
柔らかい感触が指先にあたる。ムニョムニョと弾力があってツルツルしたこの感じは、何度か触れた覚えがある。
アステはそれを掴み、鞄から取り出した。
「シミリア?」
黄色の目玉が、きょろきょろと動いている。何かを探しているのか、忙しく視線を移していた。
「お前、目が……」
シミリアの両目の色が変化していく。片目は赤く、もう片方は青い色へと変貌した。
「あっ、おい、馬鹿! 暴れるな!」
アステの手から逃れようとシミリアは体をジタバタと暴れだす。
ロゼの元へと行きたいのか。しかし、ここで外に出たらあの騎士にやられてしまう。無駄な犠牲はだしたなくい。
「痛つつ!」
鞄の中へ戻そうとすると、シミリアは手に噛みついてきた。
アステは痛みのあまり拘束を解いてしまう。その瞬間、二体の黒い物体がアステの手元から離れた。
「へっ?」
シミリアが増えた? アステは、目をこすりもう一度見る。
地と空に存在する二つの影。間違いなく二体いる。
正確には、元のシミリアから赤目と青目の半分に別れたと言った方がいいだろう。
半分に分かれたせいか、体は元の半分の大きさになっている。目もそれぞれ単眼。赤目の方は、背中から黒い羽をはやし宙を飛ぶ。青目は四足を身体から伸ばし、地面を走り出した。
翼の騎士は大剣を振りかぶり、ロゼの首を狙いさだめていた。
大剣が振り下ろされる……その時、翼の騎士の目の前を赤目が横切った。
高速飛行で、騎士の周り巡りかく乱する。そして、赤目は自身の口から針をとばした。
赤目の奇襲に、翼の騎士は体をよろめかせ足を後退させる。大剣はロゼの頭部の隣に落とされた。
騎士が身に着けていた鎧が黒く染まりだし、白い煙があがる。
赤目のとばした針には物を溶かす作用があるのか、鎧はドロドロと爛れていく。
赤目は空を旋回しながら何度も針をとばし、翼の騎士を攻撃していく。
騎士の注意は赤目にむいている。憤るように大剣を振り回し赤目を追いかけていた。
赤目が攻撃している間、青目は素早い動きでロゼへと駆け寄る。
アステもその後を追った。
「ひどい……」
青紫の打撲のあとに深い裂傷。傷は体のあちこちにできていた。
この程度の傷は治癒魔法で治すことはできる。
問題は腹部から背中にかけての刺し傷だ。裂かれた箇所からは大量の血が流れでていた。
アステはロゼの胸元に耳をあて脈を確認する。耳を澄ませると、ドクドクと心臓の鼓動が聞こえる。
まだ心臓は動いている。まだ彼女は生きている。
希望はあった。が、到底喜ぶことはできない。アステは、強い不安を抱いてしまう。
治療を施し、傷を塞いだとしても大量に血を失っている。
また助けられないの? 治しても、結局は死なせてはまうのではないのか……。
不安を煽るように、過去の経験。アステの耳元で彼女が囁く。
『彼女はきっと助からないわ。そう助からない。どうせなら、このまま死なせてあげなさい。治療したら……あなたは、後悔する』
なにを言いたいの?
『逃げる選択を捨てる必要はないだろう? それに言ってたじゃないか。治療はするなと。彼女の血は呪われているんだ。迷惑をかけたくない、彼女の気持ちを踏みにじるのか?』
「それは……」
アステは歯を噛みしめた。
「うるさい、馬鹿!」
ロゼさんを見捨てられるわけがない。契りを結んだ相手との心中は覚悟のうえだ。
アステは手を握りしめ、心の中で自らを鼓舞する。
その傍らで、青目はロゼの顔を見続けていた。
青目はギャウと弱々しい声で何度も泣き続ける。主人を目覚めさようと……。
青目の健気な様子に、アステは声をかけた。
「お前のご主人様は、かならず目を覚ますよ」
アステは息を整えた。
治療に専念しろ。他のことは全て頭から消し去れ。
アステは詠唱を始める……その時、後方から断末魔があがった。
後ろを振り返る。アステの正面を赤い閃光が過った。視線を下ろすと、そこには胴体を真っ二つに引き裂かれた赤目が、無残にも草むらの上で潰れていた。
翼の騎士は剣を払い、雄叫びをあげた。
鼓膜が震えるほどに、その勝ち誇ったような声がこだまする。
赤目がはやられてしまった。ロゼを守れるのは、もう自分しかいない。
アステはロゼの手を開き、彼女の握っていた剣をとる。
刀身はロゼの血で染められていた。
「絶対、絶対に守りますからね!」
アステはロゼの頬をやさしくさすった。悲しげな目を閉じ、大きくい息を吐いた。
両手で剣を構え立ち上がる。足の震えはない。不思議と、緊張も消えていた。
恐怖が抑えられている。きっと、心の指針が振り切れたせいだろう。いつにもなく冷静だった。
剣を握りしめ、アステは走り出す。
無謀とも取れる突貫。無茶と分かっていても、他に術はなかった。
騎士の間合いにさしかかると、脇の方向から大剣が襲いくる。
アステは大剣が横切るタイミングを計り、刃が横切る寸前で前転した。
大剣はアステの頭上を通りすぎる。
うまく回避できた。アステはそのまま前転し続け、騎士の横を通過するのを見計らい転がりを止める。
騎士の背後をとった。アステはしゃがんだ状態から、地面を強く蹴った。
翼の騎士へと飛び掛かる。弱点である、うなじの隙間を狙って剣を突きだした。
「えっ……」
アステは思わず目を見張る。
視界から翼の騎士が消えていた。
どこへ行った? 顔を振ると、すぐ目の前に羽が落ちてきた。
「いつの間に……」
なんて強靭な跳躍力なのか。騎士は空にいた。足の跳躍と翼の浮力で、一気に頭上へと飛んでいる。
アステは口を開けたまま、空を見続ける。
騎士は両翼を滞空し続けるのかと思いきや、自らの羽を閉じアステの頭上に向かって落下してきた。
潰される! 大砲の玉が落ちてくると同じだ。当たれば木っ端みじん。アステはその場から投げだすように跳びだした。
大きな音と衝撃波が砂埃が散乱させる。アステは砂丘にのみこまれ宙を回った。
止まらなければ。回転を続ける体を止めようと、アステは指先で地面を引っ掛ける。
「うおっ!」
しかし転がる体を制御できず、アステは背中を地面に叩きつけてしまった。
痛い! 涙がでる。
口に入り込んだ砂を唾とともに吐き出し、両目を拭う。
幸い、体はまだ動く。痛みを我慢して、いざ立ち上がろうとした。
「あっ……」
アステの周囲を影が覆いつくす。敵はすでに目の前にいた。
絶望の時。死がよぎる。
指先一つ動けなかった。ただ、騎士の動きを眺めることしかできない。
大剣が真上にかかげられる。暗夜の中、騎士は力をこめるように声をあげ、大剣を振りおろした。
『わが主よ』
白く塗りつぶされた世界に声が渡る。
『わが主よ。目覚めなさい』
――誰?
『いまこそ目覚めのとき。目をあけなさい』
呼びかける声に従い、目を開けようと試みる。しかし、目は開けられない。瞼は重く、痛みが伴った。
――ダメだ。
『諦めてはならない、我らの希望よ』
白色の世界は徐々に黒く染まりだす。全てが闇に覆われた。
遠方から揺らめく黄色い光が、瞼をこして網膜を刺激する。
次第に光が強く感じられる。同時に外の世界が脳の中へと映しだされた。
翼の騎士が大剣を振りかざす。大剣は、いままさにアステへ襲いかかろうとしていた。
――アステ!
『我らの敵。滅せよ』
心臓の鼓動が、強くうち鳴らす。
瞼にかかる重みが和らぐ。彼女は目を開けた。
全身に力がみなぎってくる。苦も無く、彼女は立ちあがる。
突き刺された腹部を撫でた。刺された箇所に痛みはない。出血も止まっている。
この湧き出るような力はなんだろう? どこからみなぎってくるのか……。
考えても理解はできまい。これは人間の範疇越えた力なのだ。
旅の目的。わたしが何者なのか、まさかこんな形で知れるとは皮肉なことだ。どうやら、わたしは人ではなかった……。
そんな自分を悲観すべきかしら。いいえ、本心は薄々気づいていたはずよ。ただ、わずかな望みを持っていたの。
だが、その望みは潰えた。
むしろそれで良かったのかもしれない。わたしの心はすで解放されたのだから。
もう、どうでもいい。いまは、このどうしようもなく込み上がる怒りと憎しみに応えるだけだ。
自身の心が訴える。
『失いたくない』
その欲望を力に変え、解放するだけだ。
黄色き瞳が騎士の背中を刺した。
『ごめんなさい、ロゼさん』
アステの顔に大剣が襲いくる。
アステはぎゅっと目をつぶった。
「……んっ?」
アステは目を開ける。
大剣の刃はアステの鼻先に触れる寸前で止まっていた。
なんだこれは? 死間際になると景色が遅くなる走馬燈に陥っているのだろうか?
いや違う。剣はわずかながら左右に揺れている。途中で止まったのだ。
大剣はアステの顔から離れるちと、翼の騎士は後ろへと振り返った。
騎士の後方から得体の知れない空気が流れてきている。
その空気は冷たい。アステは思わず身震いをした。
殺気をまとった気が、この場を支配している。
その源を探ろうと、アステは体を反らし、騎士の後方を眺めた
雲に隠れていた月が姿を現す。
月光がその人物を照らし映した。
銀色の長い髪を揺らす女性の影。逆光で素顔を見えぬが、怪しくも光る黄色の両目が、こちらを伺っている。
アステは彼女に釘付けになる。
似ている。あの人に似ているのだ。
彼女の背後にいる影に目を奪われた。
翼の騎士は肩を震わせる。カタカタと大剣を踊らせ、大声で唸りだした。
騎士はアステをおいて、目の前の脅威へと襲い掛かる。
猛追する翼の騎士にたいして、彼女は避ける様子もなく、ただ両腕を前に伸ばした。
大剣が振り下ろされる。渾身の一振り。空気を裂く音ともに、大剣が彼女を切り裂こうとする。
「ノロマ」
パンと彼女両手で叩き、大剣を挟み受け止めた。
「それが全力?」
ロゼの煽りに、騎士は前のめりに踏ん張り押し切ろうとする。
一方、彼女は平然とした表情で、大剣を受け止め続けていた。あの細い腕にも関わらず、力を込める様子なく、眉一つ動いていない。
「次はわたしの番よ」
攻守交替と彼女は足を前に踏み出した。大剣を挟み込んだまま、騎士を押していく。
翼の騎士は負けじと押し返すも、ジリジリと足は地面を引きずり下がっていく。
「もう、終わり?」
彼女は無表情なまま首を傾げる。
静かな反応。しかし、彼女の目には殺意が込められていた。
その光景を目にしてアステは、唾を飲んだ。
『あの人はロゼさんなのか……』
ロゼは、大剣を挟みながら時計方向にひねりこませた。
回転の力関係から柄側持つ方は簡単に回されてしまう。ただ力が強ければその優位性は打ち消せるが、その両方を持ち得た彼女に勝てる道理はなかった。
騎士の足が地から離される。その巨体は宙を側転し地面へと叩きつけられた。
「さっきまでの威勢はどうしたの?」
地面に這いつく翼の騎士の姿をロゼは卑しめの目で見下ろす。
「その武器、借りるわね」
ロゼは大剣の腹を蹴り上げた。
騎士の手から剣が引き剥がされ、大剣はクルクルと空を回り落下していく。ロゼは片腕を上げ、柄をつかみ取った。
「ちょっと重いわね」
僅かばかり体をよろけさせ、大剣を頭上へとかざした。そして、騎士の胴体めがけて、振り下ろした。
ハンマーの打ちつけのように高音を鳴り響かせる。
打ちつけては、再び大剣を上げ振り下ろす。
繰り返し繰り返し。翼の騎士は起き上がろうとするが、ロゼはそれを許さず。
容赦なく何度も何度も大剣を振り下ろした。
幾度となく叩かれた鎧には大きな凹みができ、騎士は諦めたように、起き上がることを止めてしまう。
ロゼは大剣をその場に投げ捨て叫んだ。
「イプセパテル!」
身を隠していた青目が草むらから抜け出し颯爽と走りだした。
青目は赤目の残骸へ近寄り奇妙に体を揺らす。青目の体はドロドロと液化し赤目の残骸を飲み込んだ。赤目と青目は融合する。丸い塊に一体化し、シミリアの姿へと戻った。
「イプセラミーナ!」
ロゼは、月へと手を伸ばす。それを合図に、シミリアの背中から漆黒の両翼を生えだした。
颯爽と空へと舞い上がり、反転し下降した。
シミリアは、地面に転がった不屈の剣を四肢で掴んだ。
剣は赤く染まっている。シミリアはロゼの頭上を旋回し剣を離した。
落ちてきた剣をロゼが掴むと、柄の部分をクルリと回し逆手に構える。
間髪いれずして、騎士の首元へ剣を突き降ろした。
針穴を狙うがごとく甲冑の間に剣先が入り込む。刃は鎧の内に侵入し体表面を越え、喉を貫いた。
騎士は「おおっ!」と濁り声を鳴らす。絶叫を飛び交わせては、バタバタと暴れだした。
「さよなら」
ロゼは、剣を素早く引き抜いた。剣先が鎧から脱すると、騎士はビクリと体を跳ねた。
声が止まる。バタリと腕を地に叩きつけ、絞めた魚のように騎士は静まりかえる。
甲冑の隙間から、光を発した粒子がユラユラと浮遊してきた。
無数の粒子達は空へと帰っていくと、騎士の鎧は途端に黒ずみを帯びだし灰となった。
灰はゆるやかな風にのって粉々に飛び散った。
戦いは終わった。
それを告げるように、ロゼは膝元を崩しその場で座り込んだ。
頭髪は銀色から黒色に、黄色の両目は輝きを失い、元の瞳へと変わる。
「ぐっ!」
腹部から、ドプドプと生暖かな液体が流れていく。
腹部から血があふれだしていた。
「あっ、あっ、あっ……」
息ができない。心臓の鼓動は弱まり、目の前が暗くなり始める。
体は凍え、意識が薄れていく。体幹を支えきれず、ふらりと地面に倒れた。
彼女は悟った。わたしは死ぬとる
同時に、死に対して受け入れることを決めていた。もう後悔はないから。
『自分は化け物。この世に存在すべきではない。生きていてはダメなのだ。人ではないから……』
ロゼの視界は闇へと潰えた。