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愛しき血に王子は触れる  作者: イツカカナエ
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6章「天からの使い」

 夜が明ける。日の出が三人を出迎えた。

 遺跡の外にて、太陽の光を背後に手を振る人影が見えた。

「皆さん、お帰りなさい!」

「ミミさん!」

 真っ先に、彼女の名を叫んだのはアステだった。

 アステが手を振り返すと、ミミは足早に三人へと駆け寄った。

「やあやあ、ミミさん。どうして、ここに?」

「ユエルさんの手紙に、ロゼさんたちも同行すると書かれてましたので、ここで待っていました」

 ミミは、憂いながら各人の様子を窺った。アステ、ユエルと視線を流し、ロゼと目が合うとミミは一驚した。

 ボロボロに破れた服装。おぼつかない足取りに、多数の怪我のあと。

「どうしたんですか、その傷は!」

 ミミは、ロゼに迫り説明を求めた。

 ロゼが躊躇していると、代わりにユエルが事情を話してれた。異形の者が遺跡の奥地にいたこと、討伐を終えたことを伝える。ただ、翼の騎士については伏せていた。

「異形の者は駆除しきれたと思うよ」

「そうでしたか……皆さんありがとうございます」

 討伐を終え、村への危険は去った。それにも関わらず、ミミの顔は晴れない。ロゼの手を握りしめ、不安そうにロゼを見つめていた。

「無理にお手伝いしてもらい怪我負わせてしまうことになるなんて……本当に申し訳ありません」

「謝らなくていいわ。自分で決めたことだもの。この傷は自業自得。致命的な傷もないし、安心して」

「それならよいのですが……急に痛みがてでくるかもしれません。皆さん、安静のために一度私の家に戻って休んでください」

「実はワタシもお願いしようとしてたんだよね。もう、体がヘトヘトなんだー」

「俺もです。眠気が限界です……」

 アステはごしごしと瞼をさすった。目下にはうっすらとクマができている。

 ロゼとしては、早めの出発を考えていた。今日か明日の内にもダマス村に手配書がまわる可能性はある。

 しかし、いまの体調では無理だろう。自分の体は自分が一番知っている。万全を期すために休みは必要だ。

「お世話になってもいいかしら?」

「はい!」

 ミミは屈託のない笑みで迎えた。

 一行はミミの家へと引き返した。家に着くなり、三人は泥のように眠りについた。

 大禍時、ロゼとユエルは、差なく同時に目を覚ました。

 興奮状態が続いていたせいか、眠りの質は悪い。ロゼは、何度も小あくびかく。

 ユエルはというと、寝ぼけているのか、ブツブツと一人で説法を唱えていた。

 一階から美味しそうな匂いが迷い込む。その匂いにつられてお腹が鳴ると、ミミが二階上がり、夕食ができたと伝えにきた。

「凄い食欲ね……」

「ふぇっ、ひょうかな?」

 席に着くなり、ユエルはテーブルに置かれた料理をぺろりとたいらげていく。見た目と裏腹に胃は大きいのだろうか。ユエルの食いっぷりにロゼは唖然とさせた。

「ゆっくり食べたらどう? のどに詰まらせるわよ」

「平気平気。早食いは得意だから!」と話しかける間も、ミミは食べ物を口に詰めていく。

 トントン。

 窓ガラスを叩く音が聞こえた。窓の外を見ると、ポエルが羽先で窓ガラスを叩いている。

「あなたの鳥じゃない? 口先に何か挟んでるわよ」

「んー、手紙かな?」

 ユエルは家の窓を開けポエルを中にいれる。手を差し出すと、口にくわえた手紙を渡した。

「この押印は……ああ、嫌な予感がするね。なんのようかなー」

 ユエルは気乗りしない様子で封を切り、ざっと手紙の内容を見た。

「あー、やっぱり! もう、ふざけんなよ!」

 ユエルの息まく声に、ロゼとミミの視線は彼女へと引き寄せられた。

「どうかなされました?」

 ティーポットを手に、ミミはよそよそしく尋ねる。

 ユエルは眉を寄せ、頭をさすった。

「ああ、驚かせてごめんよー。実はさ、召集がきてしまってね」

「召集ですか?」

「うん、魔法教会から。それで、いまから出発ないといけないんだよ」

 ミミはちらりと外を覗い、

「もう少し休まれていけませんか?」

「うーん。そうしたいのは、やまやまだけど、早急に来いってて書いてあるし。遅れると何を言われるかたまったもんじゃないからね。どやされるのは嫌だから急ぐよ」

「そうですか……では、約束の報酬を用意しますね」

「お金はいいよ。遺跡の調査もできたし、一泊食事付でお世話になってるしね。それだけで十分さー」

 荷物をまとめてくると、ユエルは食卓をたった。

「そうそう、君も二階に来てよ」

「わたし?」

「うん。渡したいものがあるんだ」

 二階の部屋へ上がると、ミミは不屈の剣を持ってロゼに手渡した。

「君に貸した剣だけどさ、手伝いのお礼として譲るよ」

「譲るって……貴重な品ではないの?」

「いいさ。自分が持っていても、宝の持ち腐れだしね。それに、その剣は君が所持すべきと言っている」

「所持すべきって……誰がそう言ったの?」

「星が告げているのさ。その剣は君を助けるとね」

 自分は占星術も得意で、まあまあ当たるのだと自負した。

「……本当にいいの?」

「うん、頼むよ。あと、こいつも渡しとくね」

 四つ折りにされた紙を渡された。

「その手紙には、ワタシの住所が書いてある。君だけが読める特別製だよ」

「どうして、わたしに?」

「君とこれっきりなのは、惜しいからね。ワタシは君に興味がありありだからさ!」

 ユエルは目に星を光らせ、言い寄るようにロゼへと顔を近づける。

 ロゼは顔を引いて、

「興味って……」

「ああ、違う違う。性的な意味じゃなくて人間性としてだよ。君は何かこう不思議な感じがしてね、また再会した時に色々とお話を聞かせてもらえると、良い閃きがうまれそうな気かがするんだ」

「それは、喜ぶべきかしら?」

「気があることはいいことだと思うよ。興味がなく無視される方が嫌だろう? 暇があったら気軽に寄ってよ」

 ユエルは、ゆるりと背を向けた。

「ではでは、お元気で。それと、そこで寝ている彼にもね」



 朝の訪れを告げにるように飼い鳥が鳴きだす。

 アステは大きな欠伸をして目を覚ました。両目を擦り、空腹の腹を宥めて一階へ下りていく。

「アステさん、おはようございます」

 洗濯カゴを抱えたミミが挨拶をする。彼女の眩しい笑みに、アステの眠気は一気に吹っ飛んだ。

「おはようございます!」

目がハッキリと冴えたところで、もう一人の美女にも、

「ロゼさんも、おはようございます!」と煩いばかりの挨拶を返した。

 何とも呑気に挨拶できるものだ。卓の席に座っていたロゼは、呆れたとため息をついた。

「寝過ぎよ」

「えっ?」

 ロゼは、表情を変えずちぎったパンを口に放り込み、

「外を見てみなさい」と、ロゼは窓を指した。

 アステはのっそりとした足取りで窓に近づき、外の光景を目にする。

 空は、青色と橙色に二分して染まっていた。

「日が暮れてる?」

「逆よ。日が昇ってるの」

「昇ってる? えーと確か寝たのが日が出てきた時だから……」

指折りに数えると、

「俺、丸一日寝てたんですか!」

 ロゼはコクンとパンを飲み込んだ。

「怖いくらい寝てたわよ。体を揺すっても、頭も叩いても起きないし」

「ははっ……いやまったく、気づきませんでした。自分は昔っから寝坊やさんで、心配かけてすみません」

 アステはワシャワシャと後部を掻きながら頭を下げた。

「体調はどうですか?」

 ロゼが気兼ねなく尋ねると、アステは、ぐっと両腕にコブを立たせる。

「たっぷり寝たんで、元気ハツラツです! ああでも、お腹はぺこぺこです……」

 アステの腹はグーグーと泣いていた。

 ミミはクスッと一笑し、

「では、すぐに食事を用意します」

 用意された朝食をアステは何度もお代わりした。

 計五杯のスープとパン五個を胃におさめ、アステは満足とばかりにお腹をなでている。

「あなた、それで動けるの?」

 アステは自身のお腹を見る。膨れた腹を確認しては、

「あー休ませないとダメですね」

 悪びれる様子もなく、ケロリとと答えた。

 ロゼは額に手をあてた。頭が痛くなる。

「だから配分を考えなさいと言ったでしょ!」

「いやー面目ないです」

「まったく……弟が遠慮もなく、すみません」

 ロゼは、アステに代わってミミに多謝した。

「あんなに、美味しそうに食べて頂いたんですでから、こちらとしても嬉しいです」

 ミミは嫌な顔をひとつせず、食器を重ねていく。

「お二人は、今日ご出立する予定ですか?」

「ええ、弟のお腹が落ち着いてからになるけど……」

ロゼは冷めた目で、アステの膨らんだ腹を見る。

「休ませては頂けるかしら?」

「構いません。村の人たちは明後日に帰ってきますので、出立はゆっくりしてからでいいんですよ。差し支えなければですが、どちらへ向かわれるのですか?」

 ミミに向けられた視線に、ロゼは避けるように顔を下げる。ここはあまり余計な情報を伝えるべきではないだろう。彼女に迷惑をかけぬ回答を考えていた矢先、

「アスティアとアルマルタの国境付近を目指してます!」

 ロゼの発言を待たずして、アステは馬鹿正直に答えた。

 アステは隣の席に座るロゼへと合わせ、ゆるやかに問う。

「そうですよね、ロゼさん!」

 それはもう、無垢でにこやかな表情で促してきた。

 修正不可能。ここで、変に否定すれば怪しくなるだけだ。

「そう、そうね……」

 ロゼの心身に灰色の雲が立ち込める。眉のあたりにシワがよりだした。

「国境付近ですと、だいぶ距離がありますね。経路は決まっていますか?」

「初めての遠出なので場所はあまり詳しくはないわ」

「そうですか……少々お待ちください」

 ミミは二人を待たせ二階へ上がる。

 ガタガタと二階から物音がしたかと思えば、ミミは束ねられた地図を手に階段を下りてきた。

 卓に筒状の地図が広げられる。

 その地図は尺度が大きく国境沿い付近が詳細に描かれていた。ロゼが持っていた地図よりも、道の状況が分かりやすく到達までの距離が判断しやすい。

「国境付近へ向かう道としては、おおまかに二つあります」

 ミミは地図を指しながら、ロゼたちに説明する。

 一つめは街道に沿って進む道。二つ目は森側を抜ける道だった。

「街道側はいったん山を迂回する道になります。距離が伸びる分、時間はかかりますが、経路としては比較的安全です」

「この×マークは何かしら?」

「これは、検問所です。アスティア国とアルマルタ国の人が多く利用する通り道になりますので、必然的に検問が多く連なっています」

「こっちの森側は?」

「国境沿いへ、真っすぐに抜けらます。最短で到着できるとは思いますが、道が狭く、盗賊や獣がよく出るそうです。人通りもほとんどありません」

 良い点があれば悪い点もある。どちらの道を選ぶにしても、危険はある。

「道に詳しいののね。外に出ることが多いのかしら?」

「私ではなく父がよく旅に手でいたものでして。道中の詳細など地図に書いて残してくれてたんです」

「へえー、ミミさんのお父さんって冒険家だったんですね」

「各地域にある珍しい品物を集めるのが趣味だったんです。あまりにも外にでるもので、母に迷惑をかけたと反省はしていたようですが」

「でも男にとって、旅は好奇心そのもの。分かる気がしますよ……羨ましいな」

 しみじみと語るアステに、ミミは不思議に思ったのか小首を傾げだ。

 ロゼはその僅かな変化を危惧して、コホンと空咳を鳴らした。

「さて、どちらの道にすべきかしら……」

 口下に指の背をあて考える。しかし、それはあくまでフリだ。悩んでいるように見せてはいるが、道はすでに決まっていた。

「どちらの道を通ったほうがいい?」

 アステに問う。一応の相談は必要だろう。答えは見えているが。

「ロゼさんが決めた道でかまわないです。俺はどこにでもついていきますから!」

「だったら、森側を抜ける道にしましょう。時間が惜しいわ」

「森側ですか……」

 ミミは、手を握りしめている。こちらの道は、あまりお勧めしたくはないようだ。しかし、当方としてはなるべく人目は避けたい。故に多少の危険は承知だった。

 ロゼはミミに許可を求めるように無言のまま頷き見せると、

「わかりました。いまから、日数分の食料を用いたします」

 ミミは、席を離れ台所へと急いだ。

「さて、わたしたちも、急ぐわよ」

「何をです?」

「出発の準備よ。早急に荷物をまとめなさい」

「えっ、まだデザートが」

「もう、十分食べたでしょ!」

「デザートは別腹ですよ」

 ロゼは卓上のバスケットからパンとリンゴ一つずつ拝借する。

「食べながらやりなさい」とアステの口にリンゴを押しこませる。

「ふごごった(わかりました)」

 二階に上がり、アステはリンゴを齧りながら、慌ただしく荷物を整理する。その隣で、ロゼがベット脇に置いていた鞄を開き、中に住まう者の様子を覗う。

「はい、食事よ」

 拝借してきたパンを小さくちぎり、それを鞄の住人に与えた。シミリアは、バクバクと小さな口を動かし、パンを食べている。

 荷物の整理を終え、二人は外に出た。

 村を囲う柵の前にて、

「ミミさん、またいつか遊びにきますね!」

「はい。ぜひ会いにきてください」

「迷惑をかけたわ。本当にありがとう」

「村の皆が帰って頂けるのも、お二人の力添えあってのことです。こちらこそ、ありがとうございました」

 ミミは、ロゼ、アステとそれぞれに握手を交わした。

「道中はお気をつけて……」

 二人を見送るように、ミミは小さく手を振った。

 ロゼたちの姿は遠のき丘の遮蔽と隠れると、ミミは祈るように両手を握り空を仰いだ。

「どうか彼らにご加護を……」



「ミミさん、素敵な人でしたね。料理は上手だし、やさしくて、美人で!」

「あなた、美人なら誰でも良い人と思ってない?」

「そりゃ、当然ですよ。美人に悪い人なんていません。美術品は人を傷つけません。むしろ感動と安らぎを与えてくれるじゃないですか」

「……あなたの思想にとやかくは言わないけど、すぐに決めつけるのは尚早じゃない?」

「それは大丈夫です。俺、こう見えても人を見る目はありますから。ミミさんに関しては間違いなく善人ですね」

「自信ありげね」

「百発百中間違いなしです! それより、ロゼさん。歩くの早くないですか? これじゃあ、すぐにバテちゃいますよ?」

「それは貴方のほうでしょ」

 出発の予定が一日以上遅れている。その間にも兵たちの探索領域は広くなっているだろう。この森の道を押さえられるのは時間の問題だ。

「無駄話をしてないで、急いで森を抜けるわよ」

「まっ、待ってくださいよ!」

 ロゼに早足に離されまいと、アステは腕を振り追いかけた。



 夜鳥の声がこだまする。ロゼたちは木々の囲いの真ん中で焚き火をしていた。

「うう、足がパンパンだ」

 アステは片足を伸ばし寝転んでいる。

「貧弱すぎよ。もっと体力をつけなさい」

 その隣で、ロゼは三角座りになって火の中へと小枝をくべていた。

「返す言葉もありません。城にいる間も体力をつけとくべきでした……」

 道中における休憩回数は多く、進み具合が悪い。いや、最初に領地を抜けた時よりも悪化している。

 ロゼは地図を広げた。現地点から森の出口までの距離を計算し、かつアステの体力の配分を加味して、日数を算出する。

「あと、どれ位かりそうですか?」

「明日までに森を抜けれるか怪しいわね。あなたの体力しだいでは、もっと変わるかも」

「うっ……なんとか頑張ります」

 アステの体力がいますぐ増えるわけではない。森を抜けるにしても、一日で抜けるのは難しい。少なくとも、二日以上と考えた方がいいだろう。

 ロゼが頭を悩ませていると、

「そういえば、アレってどう意味だったんですか?」

「アレ? アレって何のこと?」

「言ってたじゃないですか。治療はするなって……」

 遺跡……ロゼは思い出しように顔を上げた。

 どうしよう。答えをまとめきれていない。胸の鼓動が高鳴る。

 ロゼは、震えるように息を吸った。ゴワゴワと背中が張り、肩が狭まる。

 彼には真実を伝えたくない。恐いのだ。いまの関係が崩れるのを、否定されるのを。

 嘘を教えればいいのでは? いつまでも、一緒ではないのだから。少量の血を浴びた位では、さほど体に影響はない。

 それでも、ロゼには嘘をつけなかった。

「呪術を知ってるかしら?」

「もちろん。 不幸、幸運、縛り、制約、死。相手を縛りつける術です」

 詳細答えたアステに、ロゼはやや気負けそうになる。

「ええ……その随分と詳しいのね」

「治療関係を学ぶうえで、そちらの知識も触れてましたからね」

「そう……なら話が早いわ。わたしは……わたしの血は呪われているの」

「へっ?」

 アステはパチパチと目を瞬きした。

「あれ? 呪が作用する条件は、基本的に術者に呪術をかけられる。または、穢れを封じられた物に触れると呪われるはずですよね。ロゼさんは、なんらかの呪いをかけられたんですか?」

「違う。わたしの血に、先天的に呪いが備わってるのよ」

「血に呪いですか? それは初めて聞きました。凄いですね!」

 何が凄いのか。そして、なぜ彼は興奮しているのだろう。

 ロゼは当惑した。予想していた反応とあまりにもかけ離れていたからだ。

 彼は事の重要さを理解していないのか? それとも衝撃的事実に頭が現実逃避をしているだけなのか……。

「それで、一体どんなの呪いなんです?」

 アステはは嬉しそうに尋ねた。その様子に、ロゼは一種の怖さを覚える。

「き、聞いて後悔はしない?」

「全然。むしろ、教えてくださいよ!」

 アステは目を輝かせ急かしてくる。

 なぜ楽しそうなんだ。しかし、アステの発言を思い出すと、「ロゼさんは女神」と称していた。もしかしたら、『ロゼさんの呪いは、良い呪いだ』と根拠のない期待をしているのかもしれない。だとしたら、真実を知ったときの落差は大きくなる。

 ロゼは胸元を握る。胸の鼓動は忙しい。唾を飲みこみ、普段より小さい声で、

「寿命が削られる。長くは生きられない。それが、わたしの持つ血の呪いよ」

 言ってしまった。ロゼは強く口を閉じた。強い緊張と後悔に胸が苦しくなる。

 恐る恐るアステの顔を見ると、予想通りというべきか、目の輝きは消えていた。そこに笑顔はなかった。

 彼は、いま絶望に浸っているはすだ。そして怒りが芽生えてくる。わたしをどう思うのだろう。

 息が苦しい。眩暈がする。いますぐにでも、この場から逃げ去りたかった。

「それだけですか? 寿命が減るだけで、他には何かないんですか?」

「他にって……」

「寿命以外に、他に体とか精神への影響はないんですか?」

 迫り問いただされ、ロゼは弱々しく答える。

「あっ、あとは死が近づくと、体の衰弱が起きるの。日に日に体力が落ちて、寝たきりになるかもしれない……」

 アステは首を傾げ、

「他には?」

「……それだけよ」

「なーんだ。寝たきりなら問題ないですよ。それに、俺はヨボヨボの爺さんになるまで長く生きたいと考えてません。死ぬなら若いうちがいいです。あっ、でも死ぬ前に結婚しときたいですね。愛を分かち合い、寝たきりになったあとも毎日慰めてもらって……ああ、考えただけで、えへへ」

 アステは恍惚の顔を浮かべていた。

 どうして、そんな顔を浮かべられるのか。かけの心情を理解できない。

「なんで……」

「はい?」

「そんな呑気でいられるの?」

「それは、特段気にする必要性がないからですよ。むしろ夢が叶えられてラッキーて思ってますし」

「……死が近づくのよ。何の落ち度もないのに、理不尽にも、わたしの血のせいで命を削られるのよ! どうして、怒らないの!」

「ロゼさんを怒るなんてできません。美しい女性を怒るなんて、俺の意志に反します。それに、契約した仲じゃないですか。痛みも不幸も請け負うのは当然のことです」

 ドンとアステは胸を叩いた。 

「……わたしを責めないの?」

「なぜです?」

「気味が悪いと思わないの?」

「塵なみに思いません。だから、ロゼさんが負い目感じる必要はないです。それにほら、ロゼさんは俺の寿命を延ばしてくれた恩人じゃないですか。獣に襲われた時とか、川に溺れた時とか。あそこで一生を終えてたかもしれませんしね」

 アステはそっと、ロゼの手に触れた。

「そういうわけでいつもの、キリッとした顔に戻ってくださいよ。俺はその顔が大好きです!」

 彼は笑っていた。その嫣然たるさまを見て、体が熱くなる。

「アステ……」

 ロゼは、頬を緩ませ懸命に笑みを浮かばせた。

「あなたって、おかしい人ね。本当に、不思議なくらい……」

 重ね縛られていた胸の鎖が緩んでいく。

 心に、縛り付けられた枷がはずれていく。

 救われた気分だった。

 感じる。わたしの心に生を感じると。



 ユラユラと揺らめく火柱。その踊りが長く突くようにロゼは小枝を放り込んだ。

 彼女の傍らでは、アステが寝息を立てていた。

 時折、変な寝言を言ってはロゼを笑わせた。

 自然に笑みを浮かべられたのは久方ぶりだった。

 アルマルタ国の兵となってから、笑うことは殆どなかった。

 常に単独での任務。一人で異形の者と戦う日々だった。

 討伐を終えても、語りかける相手も、励まし合う仲間もいない。迎える者のない兵舎へと戻る毎日。

 人と馴れ合うことのない生活に、喜びという感情は抜け落ちていた。

(でも)

 ロゼの唇の端を吊り上げ、自分で自分を笑った。

「……わたしは、まだ笑える」

 笑みは人間だけか持つ感情と母から聞いていた。もし、笑みがきえたとしたら……それは、人の心を失っているのだと。

 月が真上に昇るころ、ロゼはひとつ欠伸をかく。

 長く警戒すめなで疲れによる眠気が襲う。コクコクと頭が下がりだした。

 寝てはいけない。そう自分に言い聞かせるも、生理現象には抗えない。

 眠りの深みにはいる。少しだけ、少しだけ眠ろう……。



 静寂だった森に嵐が起きる。

 森の奥から木々の葉を突き抜けるような荒々しい音が耳に届いた。

 ロゼは顔をあげた。

(何かが近づいている)

 強烈な向かい風が顔に吹き付ける。

 目を開けられないほどの突風が地をかき乱し、焚き火を一瞬にしてかき消した。

 ただの突風ではない。この風の性格に覚えがあった。

 風が吹き止むと、ロゼは立ち上がり鞘から剣を抜いた。

 ロゼの頭上に影が射した。

 ロゼは、反射的に剣を構え、空を仰ぎ見る。

 翼の羽ばたく音。上空からハラハラと銀金の羽がユラユラと舞い降りる。

 月を背に、翼の騎士がキラキラと輝く翼を羽ばたかせていた。

 その姿は、天よりの仰せられた天使を思いたたせる。

 翼の騎士は、ロゼを見下ろしている。

 目元から発する赤い光が攻撃の意思を伝えると両翼を羽ばたかせ、ゆっくりと地上へ降りてきた。

 地面へ降下し、少し距離を残した高い位置で、そのまばゆい翼を閉じた。

 着地の瞬間、ドンと大きな地響きが広がる。木々は揺れ、森に住まう動物達は一斉に逃げだしていく。

「なっ、なんだ!」

 大きな揺れに、アステは飛び起きた。

「アステ!」

 ロゼは叫んだ。

「ここから離れなさい!」

「えっ、あの、いったい何が?」

 状況をのみこもうとアステは慌ただしく視線を移した。

 地面に映る大きな人影に気づくと、

「あっ、あいつ!」

 緊急事態と察してか、手を遊ばせながら短剣を構える。

「なっ、なんで、あいつがここにいるんですか!」

「いきなり現れたのよ。いいから、逃げなさい!」

 翼の騎士は、巨大な剣を振り下ろす。空を切り、砂埃が舞い上がった。

 あの大剣にたいして、こちらは細身の剣だ。はたして受けきれるだろうか。

 ロゼの両手は汗で滲む。

 いや、どう考えても力負けする。押し飛ばされる未来しか見えない。

「パテル・ホスティス!」

 翼の騎士は怒声をあげる。

 遺跡で聞いたあの言葉だ。

 父の敵。神に反する敵だと教えられたが、その真意は分からない。理由を聞きたいところだか、どう見ても本人訊ける状態ではない。

 翼の騎士は背を反らした。上半身に反動をつけ体の重心を前に倒すと、勢いよく猛進してくる。

 突きだされた巨大な剣がロゼへと襲いくる。

 ロゼは素早く横へ転じた。翼の騎士の進行は、ただ真っすぐに突貫し通り過ぎていく。

 ドスンと大きな音ともに、大量の木の葉が舞い落ちる。

 大剣は木の幹を貫通していた。

(化け物……)

 ロゼは息を飲んだ。あの大剣に突き刺されたらどうなるか、避けていなければ串刺しだろう。

 騎士は力任せに、大木から大剣を引き抜く。大木は幹を裂かれ体勢を失い、メキメキと鳴き折れだした。

 人の背丈以上はあるだろう巨大な剣を軽々しく振り回す力。それに加えて、巨漢から到底思えぬ、俊敏な動き。

 並の人間ではとても対処など無理だ。ユエルの魔法でさえ効かない相手に、どう戦えばいいのか。

 ロゼは立ち上がり、剣を構えなおす。翼の騎士を注視しながら、まだこの場にとどまっているアステを見た。

 化け物じみた力を目にして、その場から動けず呆然と立ち尽くしている。

「何をしているの! 早く逃げなさい!」

 アステは魚のように口をパクパクと動かしたままロゼを見ようともしない。

「アステ!」

 ロゼはこれでもかとばかりに、大声で叫んだ。

 声は届いた。アステはピクリと我に返ったように口を閉じると、頭をブンブンと振り回しロゼを見た。

 恐怖で足がすくんでしまっているのか。もしくは、翼の騎士を警戒して動けないのか。どちらにせよ、翼の騎士からアステを遠ざける必要がある。

「こっちよ!」

 ロゼは自ら囮になるべく騎士の正面へ立つ。

 騎士の目的はわたしにあるはずだ。視線を誘導したいまなら、アステは逃げられるはずだ。

 しかし、アステは予想しえぬ行動に出た。短剣を手に、翼の騎士の背後へと回りだす。

 身を低くし騎士の後ろへと抜き足、差し足で近づいていた。

『何をしているの!』

 アステの思いもよらぬ行動に、ロゼは焦りだす。

『引き返しなさい!』

 ロゼは身振りで訴えるも届かず。アステの集中先は、甲冑の首元の隙間。唯一装甲されていない弱点を狙っていた。

 アステは短剣を突き立てる。そして、ここだとばかりに走り出した。

 ガンと鉄が弾きぶつかり合う、キーンと音が響いた。

 短剣は翼の騎士には届いていない。騎士が振り上げた手っ甲に防がれてしまった。

「あれ?」

 翼の騎士は裏手でアステを払いだす。

 アステは、両腕で顔を庇った。メキメキと腕に衝撃が加わり、ふわりと体が宙へと浮きだす。

「うわっ!」

 石ころを投げ飛ばされたように、アステは飛ばされていく。

 僅かな間にアステの体は空を舞う。そして地面へと不時着して、ゴロゴロと後転し倒れた。

「アステ!」

 ロゼが叫ぶ。しかし、アステは倒れたまま反応はない

 息はあるのか。不安がはやりだす。

 だが翼の騎士が壁となる。対峙した状態では、とてもアステに近づけない。

『彼をおいて逃げる?』

 ふと、悪魔が囁いた。

 ロゼは、歯を噛みしめた。アステを見捨てることはできない。彼が死ねば、生存の道は絶たれてしまうのだ。一人で逃げる選択はとっくに振り捨ていた

 ロゼは走り出す。騎士が動きだす前に、間合いを縮め懐へ潜り込んだ。

 これだけ間合いを狭めれば大剣は振れないはず。しかし、こちら細身の剣では鎧を打ち破るの無理だろう。

 狙いは決まっていた。アステが狙っていた弱点。騎士の首元、甲冑との隙間を狙って剣を突き放つ。

 剣先は鎧の表面を滑り、甲冑の隙間へと潜る。

『入った』

 その直後、ぐるりとロゼの視界は回りだす。騎士の頭は下に、足は上にと逆さまの世界。ロゼは、その異様な光景を察した。

 自分の体が宙を回っていると。

 刃が届く直前に、騎士は翼を大きくはためかせた。翼から放たれた風は、剣の突きを制止させ、ロゼの体ごと宙へ吹き飛ばしたのだ。

 このままでは頭から地面に落ちてしまう。ロゼは片腕を伸ばし手で地面を払った。体の回る方向をうまく制御し、側転するように足元から着地させた。

 翼の騎士はロゼをけん制するように、大剣を振りかざしては構える。

 どうすればいい? 距離を詰めれば風で飛ばされる。間合いが遠いと、大剣の餌食になる。

(打つ手がない)

 ロゼは中腰に剣を構える。互いに相手の出方を見るうに、一歩も動かずに睨み合いが続いた。

 月に雲が差し掛かり、地に影が広がる。先に動き出したのは、翼の騎士だった。

 今度は、騎士の方から間合いを詰めてくる。

 リーチ差は騎士の大剣の方が長い。

 大剣が横切るようにロゼへと襲いくる。

「くっ!」

 ロゼは脇を締め、大剣が切る方向に合わせてはね飛んだ。大剣の力を受け流すために、器用に剣と剣を吸いつかせるように引かせていく。

 騎士が大剣を振り切ると、グワッと強い押しがやってきた。足は浮き立ち、カンと鉄を打ちならし、ロゼは再び空へと転じた。

 ロゼの体は一本の樹木に向かって飛ばされる。背中は幹にぶつかり、木の枝を大きく揺らした。

 ぶつかった衝撃は強い。体は激痛を発して悲鳴をあげる。

 吐き気がこみあげ、口元から血を吐き出した。

 咳が止まらない。気管に血が入り込み息ができない。

 朦朧とする視界。意識を失いかけた。

『ダメだ。ここで倒れてはいけない。気を失ったら、二度と目を覚ますことはない』

 ロゼは歯を食いしばり懸命に手足を立たせる。

 しかし、敵は待ってくれない。足音はすぐそこまで来ていた。

 ぼやけた視界に、騎士の足先が見えた。ロゼは懸命に顔を起こすと、翼の騎士は片足をあげていた。

 その行動が何を意味するのか。その未来は容易にわかる。

 ロゼは息を止め、腹と背中に力を入れた。

「ぐはっ!」

 背中に雷が落ちる。翼の騎士は、ロゼの背中を踏みつけたのだ。

 強烈な痛みが押し寄せる。体内に残っていた空気を全て外に吐き出される。

 呼吸が止まった。

 失神寸前、戦闘不能。

 翼の騎士は、何度も「パテル・ホスティス」と告げる。

 なぜ、わたしを狙うのか……もう、永遠に知ることはないだろう。

 翼の騎士は剣先を下に向け、ロゼの背中を狙う。

「パテル・ホスティス」

 大剣はロゼに向かって突き下ろされた。


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