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愛しき血に王子は触れる  作者: イツカカナエ
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5章「異形の者達」

「えっ、手伝うの?」

「彼がどうしてもと言い張って……」

「ふーん、そうなんだ。で、君たち戦えるの?」

「わたしは元アルマルタ国の兵士で異形の者討伐隊に所属してたの。実績はあるわ」

「討伐隊にいた? それは凄いね! じゃあ、あの有名なミーラ団長の指揮にいたのかな?」

「ええ、まあ……」

 ロゼは頬をさすった。

「やっぱり、そうかー。あの人は有名だからね。数々の武功もたてているし、何より容姿が綺麗なのもあって、民に人気だったよねー」

「ええ……あの人は凄かったわ」

「でも、君も凄いよ。女性なのに討伐隊に所属してたなんて。それは、力量がある証拠だよ。君がいてくれれば百人力さ」

 ユエルは唐突に口笛を吹きはじめる。笛の音は森の中へと響いた。

 ザワザワと木々がざわめきだす。

 カサカサと葉を擦る音が迫ってきた。

 木の葉が舞い散り、森の中から何かが飛び出す。

 ロゼは空を見上げた。森から抜け出したきたそれは、ロゼたちの頭上を旋回している。

 ロゼは目を凝らす。飛翔体には、翼のような物がある。鳥だろうか。 

 それは、一度大きく上昇すると、ゆるりと降下していく。地上に向かって落ちていき、大きな翼を羽ばたかせ、鉤爪を上げてはユエルの腕へと降りた。

「こいつは、ポエル。夜行性の鳥だよー」

 猛禽類系の鳥だ。ポエルと呼ばれた鳥は、頭部をグルグルと左右に回す。

 ロゼが近づくと、ポエルは顔を正面に止めて、挨拶とばかりに頭を下げた。

「村長さんには事情を伝えとかないとね。この子には、その内容を綴った手紙を送ってもらうよー。とりあえず、君とテントの中にいる彼の名前を教えてくれる?」

「わたしはロゼ。それと、彼はアステよ」

「ロゼにアステ君ね。了解」

 ユエルは懐から小さな紙を取り出した。そして、指先で紙をなぞりだす。

「ロゼ君とアステ君の両名も一緒に遺跡内へ向かいます。心配無用でいいかな?」

 紙からは白い煙があがっている。彼女が指でなぞった箇所から煙がでていた。

 魔法だろう。紙の上に茶色く焼きこげ、それは文字として綴られていく。

「よし。じゃあ、頼むねー」

 ポエルの足先に、紙を括り付け、ユエルが手で仰ぐとポエルは羽を大きく振りかざし、空へ飛び立った。

「さて、冒険の準備でもしますかー。とりあえず、お互いよろしくって事で握手しようか」

 ユエルはのんびりした動きで手を伸ばす。ロゼは、答えるように握手をかわした。

「そうそう。入る前に確認したいんだけど、君たち、武器はあるのかな?」

「武器?」

 あっ、とロゼは思い出したように声を漏らした。

 そうだ、剣は持っていなかった。川に全てに流してしまっていた。

「んん? もしかして無いの?」

「この村に来る前に、捨ててしまったのよ」

「捨てた?」

「剣の刃がダメになったのよ。村に向かう途中、夜盗に襲われてたの。追い返しはしたけど、戦闘中に剣を岩にぶつけて刃を折ってしまって……」

「そりゃあ大変な目にあってたんだねー。でも困ったな。さすがに、丸腰で遺跡には行かせられないよ」

 ユエルは、コツコツと指でこめかみを叩いた。

「君、剣は使えるんだよね? 得意、不得意とする剣はある?」

「片手で持てるなら、種類は選ばず使えるわ」

「そりゃ丁度いいや。君に扱えそうな剣があるよ」

 ユエルはロゼに向かって、手をつきだした。

「これを貸すよ」

 ユエルが手の平を握った瞬間、どこから出したわけでもなく、彼女の手には剣が握りしめられていた。

「この剣はね、特殊な材質と製法で作られているんだ。通称、不屈の剣。絶対に折れない強靱な剣さ」

 ロゼは、皿眼に剣を受け取った。驚いた理由はその剣の能力ではなく、なにもない無から有を持ち出したユエルの魔法にあった。

「転送魔法だよ。テントの中にある転移専用の箱から取り寄せたんだ」

「転送?」

「そう。前々から、魔法による物を空間転移はあったけど、ほとんど成功にはいたらなかったんだ。物が欠損してたり、潰れたりとかね。そこで、どうすれば、上手く物を跳ばせる考えたわけ。おおよそ、見当はついてたけど、物が空間移動する際、移動する通路は狭く小さくなっていくんだよ。だから途中で物は壊れてしまう。そこで、物を限りなく小さくしたらどうなるかと思ったんだよね。物を目に見えないほどに小さくさせて、その状態維持できる魔法具に収納する。そして、物を移動させた後に、倍化の魔法で物を元の大きさに戻す。するとその剣同様に」

 ユエルが片手を握りしめた瞬間、彼女の背丈程の大きさをした杖が現れた。

「この様になるわけだね。どう? 理屈はわかった?」

 知らぬ単語と、早口気味の説明では理解しきれず。ただ、すごい事をしているのは分かった。

「でも、欠点はあるね。使用できる距離が短すぎる。まだまだ改善が必要だよ」

「あなた……結構名の知れた魔法使いなのかしら?」

「さあ、どうかな? 学生時代は皆に異端の魔法使いだって避けられてたけどね。評価された覚えはないし、世間一般ではそんなに知られてはいないと思うよ」

 彼女がなぜ、異端と呼ばれているのかは気にはなるところだ。しかし、これはいま問うべきではないだろう。協力する以上、話に突っ込むのは悪手だ。関係に亀裂が入るのはご法度だろう。

「ちなみに、彼にも武器を渡した方がいいのかな?」

「あの子には必要はないわ。長い物を持たせると、わたし達側が逆に危険よ」

「ふーん、わかったよ」

 各人、仕度を終えて遺跡へ移動した。

「はーい、中に入るに前に確認をするね。まず、個人行動は絶対にしないこと。次に依頼の目的は異形の者の有無確認だけ。仮に遭遇した場合は、戦闘を避けて遺跡からすみやかに退避すること。以上、他にご質問は?」

「はい」

 アステは手をあげた。

 ユエルは自分の背丈ほどある杖を斜めに傾けさせる。頭部にはめ込まれた水晶玉を指針にアステへと向けた。

「何かな?」

「仮に遺跡ではぐれてしまった場合はどうしたらいいですか?」

「いい質問だねー。その時は……」

 ユエルは肩掛けの鞄に手を潜りこませ、中から六角状の水晶石を三つ取り出した。

「こいつは、共振石と呼ばれているよ。共振石同士を近づけると光を放つ特性があるんだ。距離が近いほど光が強く、遠いと弱くなる。あまりにも遠いと、光は発しない。はぐれた人は、共振石の光り具合で仲間との位置を把握してから行動すべきだね。光が無い時は、その場から動かず救助が来るのを待つのが賢明」

 ユエルは、ロゼとアステに共振石を手渡した。

「近くに同じ石があれば光るんですよね? まったく反応がないですけど……」

 アステが不思議そうに共振石を眺める。

「手で握りしめてごらん」

 ユエルに言われた通りに、手を握りしめてみる。すると、手の内から白い光が漏れ出した。

「光はちゃんとでてるみたいだね。こっちの確認はいいね。もう一つ渡す物があるよ」

 ユエルは鞄の中をまさぐり、今度は丸い石を取り出した。

「これは、残留石という物だよ。これは、君に貸しとくね」

 ユエルは残留石をロゼへと差し出した。

「わたしに?」

「そう、君が持つの」

 ユエルから石を受け取る。コロコロと手の平で転がし、残留石の形を見る。色は透明な赤色で、石の表面はツルツルと滑りやすい。手から落としてしまいそうだ。

「どういう特性があるのかしら?」

「霊的な存在が放つ念を感知して発光する石だよ。異形の者にも似たような念を発っているからね。その石が知らせてくれるはずさ」

「使い方は?」

「共振石と一緒だよ」

「そう」とロゼは試しに握ってみた。

「あっ!」

 石を握ると、残留石はすぐに反応を見せた。握った手の隙間から、赤い光が放たれている。

「あれ? おかしいな?」

 ユエルは中腰に、ロゼの手をまじまじと見つめる。

「なんで光が放ってるのかな? この近くは一回見回ったけど、その時は光ってなかったはず……」

 ジーと残留石を見つめるユエルに、ロゼは緊張気味に生唾を飲んだ。

「姿は見えないけど、もしかしたらすぐ近くにいるのかな? 二人とも気を引き締め方がいいよー」

 ユエルの視線が退いたのち、ロゼはゆっくりと手を開いた。石を鞄の中に落とし込み、気にかけるように鞄の外を撫でた。

「俺の分はないんですか?」

「ごめーん。残留石は一個しか持ってないんだ。この三人の中で戦闘に長けているのは彼女みたいだし、代表して持っててね。ちなみに、その石は貴重だから絶対無くさないでよー」

「……」

「ん? どこかうわの空だよ。大丈夫かい?」

「えっ、ええ承知したわ」

「うーん?」

 ユエルは眉を上げ、ロゼを一瞥した。

「まあ、いっか。ではでは、明かりをつけましょう」

 ユエルは杖先を地面に落とし、コツコツと叩いた。

「闇を照らす光の根源よ。我が杖に宿れ」

 ユエルが呪文を唱えると、頭部の水晶玉が青く光を帯びはじめた。その光はランタンの光とは比べられないほどに明るく、照らす範囲も広かった。

「じゃあー行きますかー」

 ユエルはのらりくらりとした様子で、遺跡へ進行する。

 三人は縦に隊列を組んだ。先頭を照明と案内係のユエルが、真ん中に戦闘要員と周りの警戒担当のロゼが、その後ろには予備照明係としてランタンを手にしたアステと並び、遺跡へと踏み入れる。

 石垣状の壁は木の根が生えわたり、床は青いコケが茂っている。空気は湿りをおびてカビの匂いがツンと鼻を刺した。

「ここ、なんだか肌寒くないですか?」

 アステは身を震わせるように腕をさすりだす。

「んー、確かに。日は届かないし、熱も帯びにくい構造の遺跡だからねー。こういう寒くて暗い環境は、霊的物たちにとっては好環境なんだよ。警戒は怠らずに頼むよー」

 そうは言うが、ユエルの声には緊張の一文字も感じられなかった。

 そもそも、この団体の警戒心を高めているのはロゼ一人であった。ロゼは常に周囲に目を配らせ警戒を続けている。他二名はというと、ユエルに関しては、緊張感のないノホホンとした顔で、欠伸をかいている。アステに至っては、見知らぬ場所での探検を楽しむ、危険を恐れぬ子供のように心を躍らせていた。

「あっ、そうだ!」

 急に声をあけだアステに、ロゼはすぐさま振り返る。

「いたの!」

「えっ? あー違います。ちょっと思い出したことがあって」

「思い出した?」

「はい。実は気になってたことがあって、ロゼさんに質問しようとしてたんです」

「質問って……何事かと思ったでしょ!」

「驚かしてすみません」

 アステは、ぺこぺこと頭を下げた。

「まったく……それでなにを訊きたいの?」

「異形の者についてです。この国に来てから初めて耳にしたんですけど、結局そいつらは何者なんですか?」

 いまさら過ぎる質問だ。ロゼは眉間を寄せた。

 アステの問いは、ユエルの耳元に届いていた。興味をしめしたように、足を止め話の輪に混ぜってきた。

「あれれ? 君、知らないで手伝ってるの?」

 ユエルは『どうなってるの?』と言いたげに、ロゼを一瞥する。それに対し、ロゼは沈黙したまま視線をそらした。

「……まあいいいや。ワタシが説明してあげるよ。えーとね、数年前にアルマルタ国全域に黒い化け物が突如として現れたれたんだよ。体は四足、二足に六足もいるね。容姿も様々。色々な外見をしているから、異形の者と呼ばれてるよ。そいつらは、村とか町を襲い大暴れしたから、さあ大変。アルマルタ国は総力をあげて討伐にあたるんだ。それで……」

 ユエルは「あれ?」と何かに思い出したよう、黙ってしまった。

「なんか鳴き声しなかった?」

「そうですか? 俺には聞き取れなかっですけど……」

「……わたしも」

 ロゼは、ギュッと鞄の端を握った。

「んー空耳だったかな?」

 ユエルはやや納得していないようだった。しかし、異形の者にたいしての話が気になっていたアステは、続きを語って欲しいと催促したことで有耶無耶になった。

「きっと気のせいですよ。それより、その後どうなったんですか?」

「ああ、うん……歩きながら話そうか。足を止めていては、帰るのも遅くなるからね」

 ユエルはフラリと左右に揺れながら歩みを再開する。

「それで討伐隊の活躍もあってか、アルマルタ国内にいた異形の者は駆逐され、外に出てくることはなくなった。だけど、この遺跡のように人がいない、洞窟や廃墟化しした場所には、いまだに隠れ潜んでいるそうだよ」

「なるほど。なんとなく概要はつかめました。凄くわかりやすかったです!」

「そりゃあ、どうも。ねぇ、君ってこの国の人じゃないの?」

 ユエルの問いに、アステは思わず「えっ!」とは声を漏らした。

「アルマルタ国の人なら異形の者を知ってるはずだしね。逆に知らないのは別国の人達くらいだよ」

 ユエルは歩く速度を落とした。

「逆にワタシから質問。普段は君らは何をしている人たちなのかな? 旅人って感じではないし、冒険者にも思えない」

 ユエルはその場で止まり、足を後ろに引いては振り返りロゼの正面に立った。

「これを、尋ねるのは野暮かな?」

 ロゼは憮然とした表情で目線を切った。

「そこの階段は下りられるのかしら?」

 話を切り上げるように、ロゼは下りの階段を指した。

「そうだねー。君らの心が恐がってなければ降りれるかなー」

 ロゼの背後から、アステがひょっこりと顔をだす。

「どういう意味です?」

「感じるんだよねー。この下に何かいる。だから、心の準備ができているのか、訊いてるんだよ」

「戻るなら今のうちってことね……」

「俺は行けますよ! お二人がいれば問題なし!」

 アステは親指を立てた。ああ、その自信たっぷりなのが不安だ。

「君たちおもしろいねー」

 ユエルはククッと不気味に笑いだす。そんなユエルの態度に、ロゼはキッとした視線を送り返した。

「そう睨まないでくれよ。詮索はしないからさ。色々事情があるんでしょー」

 ユエルはニヤリと唇の端を上げ見せ、光を照らす仕事に戻った。

 一同は階段を下っていく。

 段を下りていくごとに、通路の幅がどんどん狭くなる。両肩が壁にすりだし進みづらい。

「ここで襲われたらまずいねー。前も後ろも身動きできないし」

 その通りだ。こんな狭いところで剣は振り回せない。行動が制限されている以上、前後の二人に任せるしかない。ただ、前にいるユエルはいいが、後方にいるアステが心配だった。敵が襲ってこないことを祈るしかない。

「ここいらで一度確認してみようか?」

 ユエルは頭を後ろに反らした。

「何をかしら」

「君に預けた残留石さ。さっきは、入り口付近で光ってただろ。だいぶ中に進んだし、気配が強くなってかもしれないよ」

「……確認してみるわ」

 ロゼはユエル達に見えぬように、鞄に手を忍ばせる。鞄からはださずに、中で残留石を握った。

「どうだい?」

「光は……ないわ」

「少しも?」

「ええっ、まったく」

「ふーん、そうか。予想が外れたね」

「接触は避けたいでしょ?」

「まあ、それはそうだけどねー」

 ユエルはカリカリと頬をかいて、正面へ振り戻る。

 ロゼは、静かに息を吐いた。

 実際には、石は赤い光を放っていた。しかし、ユエルたちには伝えなかった。いや、伝えられないのだ。理由は明白。残留石が光る原因をロゼは身につけているからだ。

 ロゼは鞄から手を引いた。そして、中のアレを気にするように鞄の外をさすった。

「鞄の中に大事なモノでも入ってるのかな?」

 突然の指摘に、ロゼはギュッと手を握った。

 気づかれた? しかし、彼女はチラリとも後ろを見てはいない。

「壊れやすい物でもあるのかな?」

「……実はそうなの」

「へぇ、そうなんだ。それなら、遺跡に入る前に置いてきたほうが良かったんじゃないかなー」

「忘れてたのよ。いま、思いだしたの」

「ふーん、それは仕方ないね。いまから引き返してもいいけど?」

「戻る必要はないわ。鞄の奥に入れとけば大丈夫だから」

「それならいいけどさ。ちなみに、どんな物が入ってるのかな?」

 言い逃れが苦しい。すでに彼女は気付いているのではないか? 遺跡に入る前、残留石が光を放っていた。あの時点でおおよその発信元は特定していたかもしれない。

 だが両手を上げるのはまだだ。かまをかけているかもしれない。

 ボロをだすな……しかし、それは無意味だと知らされる。彼女は忘れていた。彼が近くにいることを。

「鞄の中に動物を飼ってるんですよ。ね、ロゼさん!」

 アステの暴露発言に、ロゼの顔はみるみるうちに強ばりはじめた。口元はピクピクと引きつりだす。

「動物? ああ、物は物でも生物のほうか。こんな辺鄙場所につれてきたら、そりゃあ心配だね……それで何て動物なんだい?」

「えーと、黒くて、そんでもって――」

 これ以上口を開かせてはいけない。ロゼは両肩をスリながらも強引に後ろを振り向いた。気迫に迫る勢いで、アステの口を両手で塞いだ。

「んごごっ!」

「押しつけ過ぎじゃない。苦しそうだよ?」

「これくらい、たいした事ないわ!」

「たいしたことがない? 普段はもっとひどい事をしてるの?」

「そういう意味じゃないわ!」

 ロゼの荒い声が階段の底まで響いた。

「少し落ち着こうよ。大声は自分たちの位置を教えてしまうしね。それに——」

 ピキリ。ロゼの声とは別の音が混じりだす。その音はロゼは足の方から聞こえた。

 ロゼは自分の足元を見る。僅かたが石段にヒビかできていた。

 元々、ヒビが入っていたのか? ロゼは恐る恐る石段から足を上げた。

 ピキリ、ピキリ、ピキリ、ピキリ。ヒビは前後の段へと広がりだす。

 違う。ヒビは、この刹那にできたのだ。

 ロゼは、アステの口から手を離し、

「離れて!」

 アステの胸元にめがけて両手を突き出した。

「うわっ!」

 アステは後ろに突き飛ばされ、尻持ちをつく。それが石段に止めを刺した。

 稲妻のように一気にヒビが走りだす。

 石段が崩壊した。



 闇底。光の届かぬ世界にロゼはいた。

 のどが痛い。全身が熱い。

 苦しい。意識を取り戻して最初の感想だった。

「何も見えない」

 体は起こせるだろうか。体に力をいれる。

 痛い! 背中に激痛が走った。体を起こそうとするたびに鋭い痛みが伴う。

 歯を食いしばり痛みに耐えながら、なんとか上半身を起こしあげる。

 しかし、立ちあがるのは無理だろう。起き上がるだけで精一杯。痛みに耐える体力はまだ戻っていない。

 ロゼは息を落ち着かせ、腰側に手をかけた。

「……ない」

 あるはずの鞄がない。落下したさいにどこかへ跳んでしまったのだろうか。

 一緒に落ちたのなら、そう遠くまでとんでいないはず。

 両手で探りだしながら、床面を触れていく。粉々になった瓦礫の欠片に砂のジャリジャリとした感触が続く。

「ん?」

 指先にもにゅっとした柔い何かに触れた。手でまさぐっていくと、それはブルブルと震えていた。

「これは……」

 ロゼは、ソレを両手で覆って内に引き寄せる。掴み持ち上げるとソレはチカチカと黄色の光を点滅させていた。

「シミリア?」

 名前を呼ぶと、ソレはワタワタと手足をばたつかせた。

「無事だったのね……あなた、わたしの鞄を見てない?」

 シミリアは左右に頭を振る。それはロゼへの返答ではなく、単に周り確認しているようだった。

「聞いても分からないか……でも、あなたを連れてきて良かった」

 異形の者特有の黄色く光る目は、照らす範囲は狭いものの、鞄を探すのには十分だった。

 シミリアの目をランタン代わりに鞄を探しだす。

 ぐるりと周囲を照らしていくと、鞄の端がチラリと映った。

 鞄は少し離れた場所に落ちていた。ロゼは腕を伸ばし鞄の紐をつかもうとするが遠い。

「楽はさせてもらえないのね」

 シミリアをお腹にのせ、両手足で這いながら鞄へ近づく。

 体を動かすたびに、痛みが走る。声を漏らし、ふぅーと深い息を吐きながら休み休み進んだ。

 痛みに耐えながら、手の届く位置まで進み鞄を引き寄せる。

 鞄の中から共振石を取りだし、ロゼは強く握りしめた。

「近くにいないわね」

 光は発していない。無反応のままだ。二人との距離は離れているのだろう。結構な深さまで落ちてしまったのかもしれない。

「生きているだけ運がいいのかしらね……」

 ユエルが忠告した通り、二人が来るまで待つことにした。

 とにかくいまは休もう。外にでる体力は残しておかなければならない。次に目が覚めた時、共振石に変化がなければ自ら移動しよう。

 ロゼは目を伏せ、一時の眠りについた。



 過去と記憶。

 あれは、洞窟での討伐依頼だったろうか。あの時は、母も、仲間もいた。

 わたしは、予定されていた討伐時間よりも早く、単独で洞窟へと進んだ。

 自分一人で討伐できれば、母も仲間の皆も、わたしを一人前として認めてくれるはずだ。そう思っていた。

 しかし、それは浅はかな考えだった。

 暗く細い通路道で、わたしは足を踏み滑らせた。はやる気持ちに、悪路における足元の注意を怠っていた。

 下り坂を転がり落ち、体は平坦な床へと打ち付けられた。

 全身は打撲と傷だらけ。痛みにうなされ、手と足もまともに動かせなかった。

 そんな状況で大型の異形の者に接触してしまう。

 剣は握れず、戦うすべなく異形の者に殴り飛ばされる。口や、体のあちこちから血が流れた。

 わたしの体は血で染まる。

 それが始まり。不幸への始まりだった。

 わたしの血に触れた異形の者は悲鳴をあげた。

 もがき苦しむ姿に、わたしの血は異形の者に効果があると気づいた。

 ナイフを取り出しては、赤く血に染まった手のひらを刃へと塗りだくり、全身の力を振り絞って、異形の者にナイフを投げつけた。

 異形の者の腕に刃が突き刺さる。

 刺された個所からは、小さな白い火があがりだした。異形の者は錯乱し、その場から逃げていった。

 わたしは、窮地を脱した。緊張がとけ、全身から力が抜ける。

 立つ力は残っていない。出血と痛みに、意識が遠のいていた。わたしはその場から動けず座り続ける。

 助けはくるのだろうか。これは無断で行動した自分の責任。自業自得。そんな、わたしを誰が助けてくれるのだろう。不安と後悔に、わたしの心は悲壮の霧におおわれる。

 死を覚悟した。意識を失いかけた……その時、わたしの目に小さな光が届いた。

 目を開ける。そこには、わたしの母がいた。母が部下連れて、救援へときてくれたのだ。母はわたしを目にするなり、真っ先に駆け付けてきた。

 母は叱咤し、涙ぐみながらわたしを抱きしめてくれた。

 わたしは、小さな声で謝り続けた。

 母の温かさにすがろうと、抱きしめ返す。大量の血が母の体に触れたていると知らずに……。

 母の体調に異変が現れ始めたのは、それから一年過ぎたころだろう。

 母は時折、物をよく落とすようになった。最初は歳のせいだと母は笑っていたが、日に日に体力の衰えが目にみえていき、三ヶ月も経つと、手足が思うように動かせずベッドの上から起き上がることさえ、できなくなった。

 医者は、初めて診る病状に困惑をしていた。原因が分からなかったのだ。しかし、母の隊に所属する団員が、原因はロゼにあると疑った。

 団員の数人が、わたしの血の特殊性を知っていた。異形の者に対して必殺。その効果はすさまじいとともに、人にも影響があるのではと噂されていた。しかも、ロゼが傷を負ったときに、治療を施していたのはいつも母だった。

 母は誰よりもロゼの血を多く触れている。それは強い嫌疑へとなる。

 人を使った実験は倫理上問題があると、医者たちは、げっ歯類、イヌ科類でロゼの血を触れたさいの、体調の変化を見た。

 結果はクロ。動物たちは、ほぼ同時期に全て死亡した。

 それからだろう、仲間内にも、国の者達から忌み嫌われるようになったのは……。

 母の死を前にして、わたしは後悔と悲しみで心がはちきれんばかりに膨らみつづけた。 わたしは自ら死を選ぼうとした。死ねば償いになるだろうと。

 だが、母は言った。

「恨みなどない。後悔もしていない。あなたが、私の子で本当に良かった。どうか、私のぶんも長く生きて……」

 その言葉に、わたしは死を選べなかった。生きることを命じられ、死ぬことを許されなかった。

 わたしは苦しみを抱きながら、いまを生きている。

 わたしは一体、何のために存在するのだろう……。



 夢が終わる。目が覚め、意識は闇の層へと帰ってくる。

 共振石の反応はあるだろうか。鞄を開き石を握った。

「これは……」

 ロゼは声を失った。彼女の握った石は、共振石ではない。

 握りしめた石からは赤い光が放たれていた。警告を示すように、残留石は真っ赤な光を帯びている。

 ロゼは、顔をあげ周囲を見渡す。心臓の鼓動は早まり、顔が険しく張り詰めた。

『近くにいる!』

 緊張が走りだす。遠目に黄色の発光が見える。二つ四つ、六つ……周囲のあちこちから光がパチパチと点滅を繰り返している。

 数は二十以上はいるか。群れた異形の者達が、ロゼへ迫ってきている。

 光の円は徐々に大きくなり、地を踏みこむ不気味な音が明確に聞こえてきた。

 本能が逃げろと叫んでいる。しかし、立ち上がれない。脚に力を入れれば激痛が伴う。足は耐え切れず、地面へと膝をついてしまう。

 座り込んだまま、ロゼは手足で床を這いながら後退していく。必死に逃げようとするも、距離は離れず黄色の光に詰めらていく。

 トンと、張った手が壁にあたる。

 行き止まり。すぐさま横へ移動しようとするが、すでに異形の者達によって逃げ道は封鎖されていた。

 もう、逃げられない。ロゼは唇を振るわせ肩を落とした。

 目が暗闇に慣れはじめ、異形の者達の輪郭が見えくる。群れの先頭にいた人型が、我先にと、ロゼへと詰め寄る。

 金切り声をならし、ロゼへと手を伸ばしてきた。

 (ここまでね……)

 ロゼは強く瞼を閉じた。



 のっぺりと粘着のある感触が頬に触れる。肌との温度差に、ロゼは思わず身を震わせた。

 (顔を触っている?)

 その手は冷たく、生気を感じさせない。

 ビクビクと、ロゼは顔をひきつかせる。まもなくして、人型の手が反対の頬にも触れられた。

 なぜ、すぐに攻撃してこない? 生死でも確認しているのか。

 ロゼは息を止め、恐る恐る瞼を開いた。

 視界は黄色の目に埋めつかされていた。目の前には人型の手が間近に見えている。

 人型は手を静かに引き戻し、ロゼへと視線を落とす。

「セア……セアペディ」

 人型の両目は大きく膨らむ。その瞳は黄色から青色へと変貌した。

 怪しく輝く青色の目に、ロゼは魅入られてしまう。目が離せない。視線が引き寄せられていく。

 瞬きも忘れ見続けていると、目の前の景色が白に染まりはじめた。

 意識が徐々に遠のく。

 目が伏せた……その時だった。突如として大きな地響きがなりだす。

 ロゼは、はっと目を開けた。

 二度目の地響き。音は以前よりも増して大きく、揺れは次第に強くなっていく。

 異形の者たちが一斉に天井を見上げた。

 ドンと三度目の地響きをあとに、天井が崩れる。

 瓦礫が落ちて間もなく、白き発光体が真上から降ってきた。

 天井下にいた異形の者達は宙へと吹き飛ばされる。全身をくるくると回転させ、地面や壁に叩きつけられる。

 天井の穴から、月の光が差しこむ。月明かりは、地上に降りし使者を照らした。

 分厚い鎧と巨大な剣を背負いし者。

 重装備で身を包むその姿は、どこかの国に従する重騎士に見えた。

 しかし、その者は人ではない。人には無い物を身に着けていたからだ。

 ハラハラと白い羽が舞い散る。その者の背中には、白き両翼が生えていた。

 異形の者の視線は、翼の騎士へと向けられる。威嚇するように、黄色の発光は点滅を繰り返した。

 翼の騎士は片膝を伸ばし、悠然と立ち上がる。背中に背負う巨大な剣に手をかけた。

 大剣が正面へと振り下ろされる。強い風圧のと同時に、地が揺れた。

 叩きつけられた地面には、大な凹みができている。強烈な一撃。あれをまともに受ければ、五体満足ではいられないだろう。

 騎士の怪力に、異形の者たちは臆して怯みだす。後退する姿勢から、恐怖を帯びるているようだ。

 翼の騎士は大剣を肩に置きのせた。無防備な状態、余裕のあらわれだろか。隙を見せている。

 それを挑発とみてか、数体の異形の者が飛びかかる。それを火種に、臆していた異形の者たちも後へと続いた。

 全包囲からの一斉攻撃。逃げるスペースはない。騎士は慌てる様子もなく、両手で剣を持ち構える。そして、矢継ぎ早に巨剣を横へ振り回した。

 すさまじい剣圧がロゼの顔へと吹きつける。

 その大剣の威力はすさまじかった。襲いかかった異形の者の体は、四肢をバラバラにされながら飛ばされていく。

 大砲の一撃に匹敵するかもしれない。その暴力的な力をまえに、異形の者たちの攻勢が止まる。

 翼の騎士は、躯を踏みつけ前進していく。

「プレイジディオ!」

 人型は声をあげた。それを合図に、異形の者たちが騎士へと突貫していく。

 しかし、数の差をあざ笑うかのように、大剣の一振りで異形の者達は薙ぎ払われる。

 多くの異形の者が散った。四肢が欠けた虫のように這いずる者。胴体を真っ二つ引き裂かれた者。

 翼の騎士は大剣を払いあげ。「フー」と大量の息を漏らした。

 この場は、亡骸で埋め尽くされた。

 騎士は顔を上げ、ロゼへ視線を注ぐ。兜の視界開きから、赤い光がこもれだしていた

 騎士は両手で剣を構え、雄叫びをあげた。

 地を這う異形の者を蹴り飛ばしロゼへと迫ってきた。

「パテル・ホスティス、パテル・ホスティス!」

 同じ言葉を叫び繰り返し、その足を速めていく。

「オムネース・スペース」

 群集の中で唯一生き残った人型がロゼを見つめ、長い両腕を垂らし、大きく横に振り払いだした。

 ロゼはその腕に払われ、投げだされる。

「ぐっ!」とロゼへと地面に手をついた。ヨロヨロと腕を立たせ、顔をあげた瞬間、目の前に黒い影が落ちる。

 影はコロコロと転がってきた。青色の眼光が二つ。それはあの人型の頭部だった。

「……どうして」

 なぜ、わたしを庇ったのか。その行動原理はあまりにも不可解であり、理解ができなかった。異形の者が人を助ける道理などない。奴らは、常に人に害を与えてきた……なのに、

 シュと小さな影がロゼの視界を横切る。

 ロゼはその影を目で追った。

「シミリア?」

 シミリアは人型の頭を囲うようにグルグルと回りだす。

 隠れていればいいものを、なぜこの場に出てきた。ロゼは逃げろと手で払う。

 しかし、シミリアはしつように戻ってくる。じっと人型の両目を見つめたまま動こうとしない。

 耐えかねたロゼは手を伸ばし、シミリアの首筋を掴んだ。

「逃げなさい!」

 騎士から遠ざけるため、ロゼは片腕を上げる。ミシミシと肩が鳴らし、力いっぱいシミリアを投げ飛ばした。

 ブラリと腕が落ちる。渾身の投げだった。もうこれ以上の力はでない。

 体を支えていた腕がガクリと挫け、ロゼはうつ伏せに倒れた。すぐ後ろから強い殺気を感じた。

 迫り来る鉄の擦れる音。ロゼは息を飲み、振り返る。瞳には翼の騎士が映る。

 白く光る両翼を羽ばたかせ、ロゼを見下ろしている。

 翼の騎士は大剣の頭上へとかかげ、今まさに振り下ろそうとしていた。

 逃げられない。運命を変える力はない。大剣の行方を見続けることしかできなかった。

「パテル・ホスティス!」

 剣が振り下ろされる。ロゼの頭部に向かって凶悪な鉄の刃が襲いかかった。

「火よ、集き放て!」

 階層に響き渡る声。騎士の真横から火の小球が飛んできた。

 火の球は頭部へと直撃し大きな音を鳴らし爆発した。

 強烈な一撃だった。翼の騎士は体をよろけさせ、壁へと盛大に激突し壁を崩しながら倒れた。

「いやー危機一髪だったねー」

 声の源を辿る。石の階段上から闇を照らす光が見えた。

 そこには、二人の姿があった。

「やあやあ、間に合ってよかったねー」

 危機感のない声で、ユエルは左右に杖を振って合図を送っている。

 その彼女の後ろには、「いま助けに行きます!」と何年も会えずにいたわが子を迎えんとばかりに、アステが階段から飛び下りようとしていた。

「ちょと待ちなよ。下まで結構高さがあるし、このまま降りるの危ないよ。それに君は、まだ動かない方がいい」

 ユエルは、瓦礫の山をじっと見る。

「まだ動けるみたいだよー」

 瓦礫の山がゴトゴトと震える。山の頂上から腕がつき伸び瓦礫を飛び散らした。

 瓦礫の中から、翼の騎士が這い上がり戻ってきた。

「傷一つないとは、随分と頑丈だねー」

「呑気に言ってる場合じゃないですよユエルさん!」

「わかってるよー」

 ユエルは、杖を構えた。

「もう二、三発増やしてみようか?」

 杖の頭部を騎士へと合わせ、再度詠唱をはじめる。

 しかし、翼の騎士は待ってはくれない。背中の翼を広げ、羽ばたきだした。

 鳥の羽ばたきのように両羽を揺らし、空気を回し粘りをつくりだす。やがて、空気は重みを増して風となる。

 風の勢いは強い。異形の者の残骸、砂や塵を飛ばしてきた。

 風が止むころには……騎士の姿はすでになかった。

 天井の穴からは、銀色の羽がハラハラと揺れ落ちてくる。

 ユエルは、目の前に落ちてきた羽をつまんだ。 

「どうやら、逃げたみたいだね」

 ユエルはコキコキと首を鳴らした。

「まあ戦わずに済めば、血を見ずに済むからいいけどさ」

 ユエルは息を吸い込み、杖の頭部にかかる火柱へ息を吹きかけた。火はかき消され、水晶玉は白い光が発せられる。光は部屋の全てを照らしだす。

「ロゼさん!」

 我先にとアステは階段をまたがり飛んで駆け寄る。

 アステは膝を下ろし、ロゼの背中を支えた。

「無事ですか!」

「あちこち傷だらけね……でも無事よ」

 アステはロゼの手をとり握りしめる。彼の瞳は潤んでいた。

「無事でよかった……本当によかった!」

 彼は何度も安堵の声を告げた。

 こんなにも、心配してくれたのは何時ぶりか……。

 どうして彼は、ここまで心配してくれるのか。身内でもないこのわたしを、どうして気にかけてくれるの。どうして、そこまで見てくれるのか。

(彼の気持ちを知りたい)

「手が痛いわ。強く握り過ぎよ」

「すっ、すみません! ロゼさんが心配で心配で、ヤキモキしてしまってつい力が……」

 ロゼは、やれやれと目をつぶる。相変わらず大げさすぎる。まったくと、呆れる程に。

 でも、彼の思いは嬉しかった。

「いやー、再会にできてよかったよー」

ヨレヨレとした足取りでユエルがやってきた。

「それにしても、この躯たちは何だい? 君がやったのかな?」

「この数を相手にするのは、わたしでも無理よ」

 ロゼは、天井に空いた穴を見上げた。

「まあ、そんな感じはしてたよー。あの大剣なら、納得できる。完全な虐殺だね」

 ユエルは「わーこれは、これは」や「ひどいなー」と声にだしては検証していた。

「それにしても、ロゼさんを襲ったあいつは、何者なんですか? 翼が生えてたみたいですけど……」

「んー、噂に聞く翼人かもしれないよ」

「翼人? あの聖典書とかに載っている、天からの使いのことですか?」

「そう、それ」

「あれは、架空の存在だと聞いてますけど?」

「そういわれてるね。でもね、空を舞う人を見たっていう目撃情報が度々あるんだ。まあ、実際に見たことはないから、あれが翼人かは分からないけど。君はどうかな?」

 ユエルの問いに、ロゼは「ない」と首を振った。

「残念。情報がない以上、あれが翼人かは断定できないね。直接聞くしかないよ」

「こちらとしては、二度と会いたくないわね」

「そうですよ、ユエルさん。女性に手をだすとか、絶対ロクな奴じゃないですよ。それより、早く地上に戻りませんか? あのデカ物が、戻ってくるとも限りませんし」

「そうだね。でも、帰るのはまだ。仕事が終わるまで待ってくれないかなー」

 ユエルは、ロゼ達の背後にある壁を指した。

「遺跡の調査。ワタシのお目当ては、そこの壁に描かれた太古の絵さ」

 ロゼは壁を見た。一見すると平坦な石壁があるだけで、絵や文字などは見当たらない。

「人の目では見えないかもね」

 ユエルは、杖を突き出した。頭部の水晶玉が、緑色の光を放つ。

「これなら、君たちにも見えるよね?」

 ロゼは目を凝らした。まっさらな壁の表面に、うっすらと削り掘られ跡がみえる。

 これは、人を現しているのだろうか。何人もの人がこぞって手を繋ぎ輪を作っている。その囲いの中心には、人ではない何かが描かれていた。名状しがたいそれは、頭部に二つの大きな丸で描かれている。それは、どことなく異形の者を連想させる。

「ここにいると邪魔かしら?」

「ごめんね。きちんと調べたいし、脇に外してもらえると助かるよ」

 ロゼは、壁から離れるため足に全体に力を込めた。

「くっ!」

 立ち上がりの瞬間、ズキリと足に激痛が走った。途端に膝を崩してしまう。

「ロゼさん、俺の肩につかまってください!」

「これくらい、平気よ」

「いやいや、平気には見えませんって。無理はしないでください」

 アステはロゼの脇下に肩をくぐらせ、体を支えた。

「……面倒をかけるわね」

「助け合うのは、人として当然ですからね。ミミさんも、言ってましたし」

 アステはニッと歯を見せつけた。

「んじゃ。ささっと解読するよ。そう時間はかからないから、待っててよ」

「俺はロゼさんの手当をします」

「うん、頼むよ」

 ユエルは鼻歌を交えては、壁の検分を始めた。

 ロゼはアステに介護されながら、安静な場所へ座る。

「傷を確認します。肌に触れますけどいいですか?」

「ええ」

 ロゼは、アステに検診を任せた。

 足、腰、お腹の順に上がり、背中、腕、顔へと一通り確認されていく。

「これはひどい!」

 ロゼの顔にランタンの光が間近に迫る。

「顔が傷だらけじゃないですか!」

 ロゼは頭部をなでる。ペチャリとした生暖かい液体が指先へと付着していた。

「血がてでたのね。気づかなかったわ」

「あちこち痛んで感覚が鈍っているんですよ。治療しますね!」

 アステは両手を重ね頭部の傷口に近づける。そして、ごにょごにょと小さな声で詠唱をはじめた。

 アステの手の内側から緑色の光が放たれる。

 頬の傷を治してもらった時と同じ光だ。最初はムズ痒さもあり、苦手に感じていた。しかし、二回目となっては慣れたのだろう、逆に心地よさを感じていた。

 ロゼはついウトウトと眠りの境界線に入りかける。

 頭部の傷口はふさがり、腕と足にできた傷の治療へと移りだす。

「よし、これでばっちり!」

 全ての治療が終わり、アステは満足げに両手を開いた。

『終わった?』

 ロゼは虚ろな目でアステの指先を追う。彼の指先は、赤黒く染まっていた。

『血』

 血の気が一気にひいた。

 死線を越え、緊張が緩んでいた。わたしは、なんて馬鹿なのだ。

 血を、わたしの血を彼に触れさせてしまった。  

「手を見せなさい!」

 ロゼはアステの手を掴みあげる。

「どっ、どうしたんです?」

「いいから、手を見せなさい」

 アステは困惑した顔で、手を広げ見せる。ロゼは切迫した顔で指先を確認する……血の跡はもうない。

「あなた、血は?」

「血? ああ、ロゼさん血ですか」

「……触らなかったの?」

「そりゃ、触りましたよ。もう、べったりと。治すのが遅いと傷跡が残ってしまうと困るので、直接触れて治療しました。もしかして、手が汚れると心配してたんですか? 俺、そんなの全然気にしませんから平気ですよ」

 アステはケタケタと笑う。

「それに治療した相手の血は、治療側にとっては勲章的なもんです。特にロゼさんの血は特別で……って、あれ?」

 アステは自らの指先を見て首をかしげた。何度も、「あれ?」と繰り返し、手を見返す。

 当然の反応だ。当人は血に触れており、指には血が付着したままだ。水なので洗い流すか、布で拭くなどしないかぎり、血は残ったままだ。なのに、血の跡は消えている。

「……ごめんなさい」

「へっ?」

 なぜ謝られたのだろうと、アステの頭上に『?』マークを浮かばせていた

「どっ、どうしたんですか、いきなり謝るなんて……」

 ロゼは、ユエルを一瞥した。彼女は、古代の壁画に執心している。こちらを気にかけている様子はない。

 今、伝えるべきだろうか。いや、ここで話す必要はないだろう。二人になれる時はまだある。心の準備をしてから話そう……いまのわたしには、勇気がない。

「訳は後でかならず話すわ。その上で、一つお願いしたいことがあるの」

「お願い?」

 ロゼは、深く息を吸い込む。

「次にわたしが傷を負っても、治療をしないで」

「どっ、どうしてですか! もしかして、治癒魔法に不手際が……すみません、もう一度治療をさせてください!」

「違う! あなたは悪くないの。悪いのは――」

「あー、取り込み中に失礼」

 ユエルは首を伸ばし、ロゼとアステの間に割り込んできた。

「なんだか、慌ただしく見えたけど何かあった?」

 ユエルは、食い入るような目を送ってくる。変に話を聞かされてはならない。ロゼは一度瞳を伏せ、ゆるりと目を開けた。

「たいした話じゃないわ。この先についてどうするか、話をしてたのよ」

「ふーん、そうなんだ」

「調査はいいの?」

「所々文字が潰れてて読めなくてね。解読できる箇所があまりなくてね、打ち切りさ。どんな内容か説明してあげようか?」

 おとぎ話を孫たちに聞かせる老婆のように、ユエルはゆっくりとした口調で語りだした。

「えーとね、だいぶ昔の昔。人が存在始めた時、黒い者がこの地上を治めていた。黒き者は、地上に住む人との共存を望み、人に知識を与えたんだ。黒き者から与えられた知識より、人の繁栄が始まり、人は黒き者を神と崇める。しかし、黒き者の統治は、外からの飛来者の侵略によって終わる。黒い者は地下へと逃げ、深き底に身をひそめ……その先は読めなくてね、そんな感じの内容さー」

 黒い者。ロゼは壁の絵を見る。あの絵の中心にいる何かを、人が称え崇める姿を描いているのか。

「どう? この世界の真実を垣間見る内容だったんじゃないかなーて、思うけど?」

 ユエルは二人に目を配らせた。

 ロゼは壁の絵に、ご執心で返答はない。

 アステは、興味への脈はなく、「へぇー」と返すだけだ。

「ふーん、面白くなかったかな? まあ、興味がなければ仕方ないけど」

 ユエルは杖を横に振り、水晶玉から放たれた緑光を白色へと戻した。

「二人に頼みたいんだけど、さっきの話は他言無用で。だれにも、話しちゃだめだよ。ワタシの実績として報告したいからさー」

 ユエルは、くるりと背を向けた。

「さてさて。そろそろ地上に戻ろうか」

 ユエルは先に、階段へと向かっていく。

「俺たちもいきましょう」

「ええ……あっ、待って」

 ロゼは周囲を見渡しシミリアを探した。

「どうしました?」

「シミリアが見当たらないの。この階層にいると思うのだけど」

「そうなんですか? 一体どこに……」

 アステはキョロキョロと視線を移していると、

「んっ? 何か横切ったような……ちょっと見てきます」

 アステは、駆け足で離れた。

 ロゼはアステを戻るのを待っていると、

「あー、ごめんごめん」

 先行したいたはずの、ユエルが引き返してきた。

「どうしたの?」

「実はね、君に聞きたいことがあったんだ」

「地上に戻ってからではダメなの?」

「うん。いますぐ聞きたいね。戻ってからだと忘れそうだし」

 ロゼはユエルの瞳を見るも、その真意を読み取ることはできない。

「わたしは構わないけど……」

 ユエルは満足そうな笑みで、

「良かった。えーとね、君を襲った翼の騎士なんだけどさ、何か言葉とか発してなかったかい?」

 言葉? ロゼは騎士に襲われた時の事を思い出す。わたしに向けられた言葉で唯一聞き取れたのは、

「パテル……ホスティスだったかしら? そう聞こえた気がするわ」

「パテル、ホスティス?」

 ユエルは思案するように、顎を撫でた。

「そう言ってたの?」

「恐らく……意味がわかるの?」

「訳すと、父の敵だね」

「父の敵?」

「うん。太古に使われていた言葉さ。でも、それが事実なら随分と面白い事になるね」

 一体に何が面白いというのだろうか。ユエルは不敵な笑みをみせる。

「あなた、顔が怖いわよ」

「あー、ごめんごめん。興奮すると思わず顔がニヤけてね」

「そっ、そう……」

「仮に君を襲ったアレが本物の翼人だとすると、彼の父は神になる。その敵ということは——」

「わたしが神様にとっての敵ってことかしら? 天を咎めるような覚はないけど」

「まあ、あくまで仮定の話だけどね。もしかしたら、たまたまそう聞こえただけかもしれないし。妄想程度に思ってればいいさ。とにかく、貴重な情報をありがとう」

「あまり気分が晴れないわね」

「ならこの子を見て元気をだせばいい」

 ユエルはごそごそと、フードの内側に手をいれる。

「階段のとこで見つけたんだけどね。この子、君のでしょ?」

 ユエルの手にはシミリアが掴まれていた。

「生きてはいるけど、全然反応しないね。疲れてるのかな?」

 ユエルはシミリアと顔を合わせて笑った。その顔は興味津々の心境を見せていたが、それ以上踏み込んだ話はせず、ロゼへと手渡した。

「……この子が何か知ってるの?」

「もちろん。テントに内に仕掛けてた結界に異形の者の反応があったからね」

「やっぱり知っていたのね……じゃあ、あの質問攻めはわざと?」

「完全な確証を得るために君の口から答えてもらうつもりだったのさ。でも驚いたよ。まさか本当に異形の者を飼ってるとはね」

 ユエルを警戒して、ロゼは咄嗟にシミリアを胸内へと隠した。

「……消す気?」

「そんなことしないよ。人様のペットを殺生するなんて、さらさらない。それにね、何ていったらいいかな。その子は、何か特別な気がするんだよね」

「特別?」

「そうなんだよ。変な話なんだけどね、初めて会ったはずなのに、どうもどこかで会った気がするんだ」

「似通った異形の者を見ただけじゃないの?」

「うーん。それはないかな。ワタシは記憶力はいい方でさ。人や獣とか精霊類の姿は個別に覚えてるんだよね。記憶が正しければ、間違いなくその子は初めて見た」

「それなのに、初めてでないと?」

「そうなんだよねー。そこが、なとも不思議なんだよ。なんたが、頭がモヤモヤするよー」

 ユエルは指先で自分の頭を突き、小首を傾げた。

「ロゼさん、すみません。どうやら、俺の勘違いだったみたいです……」

 アステは手ぶらのまま、しょげた顔で戻ってきた。

「気にしなくていいわよ。もう見つけたから」

 シミリアを見せると、アステは眉をひそめた。

「こいつ、どこにいたんですか?」

「階段のとこで見つけたんだよー」 

 ユエルはシミリアの頭をポンポンと軽く叩いた。

「この子珍しい動物だよね」

「そうですよね! 全身真っ黒で大きな黄色の瞳なんて初めて見ましたし……」

 品定めするかのように、シミリアをマジマジ見つめだす。次第にアステは首を傾げ、その角度は大きくなった。

「こいつ、異形の者に似てません?」

 勘の鈍い彼でも気づいたようだ。

 ロゼは事情を説明しようとすると、

「うん。確かに異形の者に見えるね」

 ユエルが口をはさんできた。

「でも、この子は異形の者じゃあないよ」

「そうなんですか?」

「容姿は似てるけれど、種族は違う動物さ。あちこち旅をしていた時に、この子と同じ動物が飼われているのを見た事があるんだ」

 ユエルは説明口調で話し始める。

「一昔前までは、異形の者に似てるからと駆除の対象にされてたみたいでね。それから何年か経って害がないと確認されてからは、野生動物好きの愛好家や、珍しい動物を好む人らに飼われるようになったんだ」

「へぇー。なんとも難儀な時期があったんですね。それにしても、ロゼさんに飼われてるコイツは幸せもんですよ」

 アステは、人差し指を突き立てシミリアを触ろうとする。

 それに対し、シミリアはアステの指先へと噛みついた

「痛たた!」

「やめなさい、シミリア!」

 ロゼはシミリアの口をこじあけ、アステの指を解放させる。

「なんで、俺には攻撃的なんだよ」

 アステは、赤くなった指先に息を吹きかける。

 その間に、ロゼはユエルへと近づき耳打ちする。

「どうして、嘘を言ったの?」

「ん? 知らない方が、君にとって都合がいいと思ったからさ。彼に感づかれるのを嫌がってたみたいだしね。もしかして、余計なお世話だったかな?」

 ロゼは目を見開き、唇をギュッと結んだ。

 ユエルは口の両端をと尖らせ、

「なぜ、助け船をだしたのか。それは、単なる気まぐれさ。なんとなーく、助けてあげようと思っただけ。では、お先に」

 ユエルは、フラフラと左右に体を揺らし、ロゼの元を離れていった。

「ユエルさんと何を話してたんですか?」

 赤面した指を振りながらアステが尋ねた。

「自己紹介をされたわ」

「自己紹介?」

「そう。彼女は気分屋さんらしい」

「ははあ、なんとなくのんびり屋さんに見えますよね。俺も、ああいう風にいられたら気楽でいいんでしょうね」

どの口が言うのだ。つい声に出そうになるも、ロゼは「そうね」と言い終える。

「で、ロゼさんは、どう答えたんですか?」

「その話、まだ続けるの?」

「いや、なんたってロゼさん自身がどう思ってるか、気になりますし」

「わたしは答えてないわ。性格を答える義務はないもの」

「私見ですが、ロゼさんは正義感と信頼できる素敵な人って思いますけどね」

「色眼鏡はよしなさい」

「誇張なんかじゃないですよ。ロゼさんは本当に素晴らしい人です!」

 アステの賞賛の声に、ロゼは気恥ずかしさで思わず顔を背けた。

「おーい、二人とも、そろそろ行こうよー」

 ユエルが階段に片足を駆けて杖を振っている。

「あっ、いま行きまーす!」

 アステはロゼに手を差し伸べる。

「さあ肩に掴まってください。歩くの手伝います!」

 アステの悩みのない笑顔を送られて、ロゼは手を差し伸べた。

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