4章「村の災難」
ロゼたちは、ダマス村へ進路をとっていた。
道中は木々が囲う道で視界の開きは悪く、デコボコと整理されていない悪路に、じわりじわりと体力を消耗していく。
さらに問題なのは、橋から落ちたさい、武器をすべて川へと流してしまっていた。そのため、道中はいままで以上に警戒を強いられている。日が出ている内はいいが、夜になると夜盗や野犬に遭遇する危険がある。村へ急ぐ必要がある。
しかし、相変わらずというか、アステは息切れおこし何度も足が止まってしまう。村までの距離はそう遠くないが進みは遅い。
二人は脇道に寄り、四回目の休憩をしていた。
岩の上に腰掛けていると、ダマス村の方面から数十人が並び歩く姿が見えた。
荷馬車を引く者、大きな荷物を背負うものと避難しているように思えた。
「村の人ですかね?」
「そうみたいね……何かあったのかしら?」
アステは腰を上げ、
「俺、聞いてきます!」
「あっ、待ちなさい!」
村人の元へと走り出そうとするアステに、ロゼは腕を伸ばした。
フード帽を掴み引きとめる。引っ張ったせいで首元を圧迫され、アステは「ぐぇっ!」と嗚咽を漏らした。
「くっ、苦しいじゃないですか!」
「軽率な行動はとらない! 手配書が回ってるかもしれないのよ」
アステは咳き込み、喉をならした。
「だっ、大丈夫ですよ。疑われそうになったら、王子に似てますが全くの別人ですって言えばいいんですから」
「あなたは、それで誤魔化せるかもしれないけど、わたしの方は人相付きの布令がでているの。言い逃れはできないわ」
「だったらなおさら、俺が聞きに行くべきですよ。自分の布令はあいまいな詳細ですし、何とかなります。ロゼさんは、ここで待っててください」
橋の検問の時とは立場が逆になった。アステは胸を叩き、颯爽と駆けだしていく。
不安だ。彼に任せていいのだろうか? 期待は薄い。子供を一人でお使いさせる母親の気分だ。
ロゼは、両手を握りながらアステの様子を見守る。
アステは気の優しそうな老夫婦に声をかけていた。アステは手振り身振りをまじえつつおおげさに体を動かしては、会話を試みている。
話し始め老夫婦は戸惑いを見せていたが、会話が続くたびに老夫婦の顔にほころびを見せた。
うまく話を聞き出せたのか、アステは頭を下げ老夫婦と別れ、手を振りながら引き返してきた。
「聞いてきましたよー」
アステは意気揚々とした様子で戻ってきた。
「あの人たちはダマス村の住民の方だそうです。村近くの遺跡から、凶暴な猛獣がでたらしくて、村長さんの指示で避難してるみたいですよ」
「猛獣がでた?」
ロゼは、首筋に手を触れた。古い遺跡に猛獣というワードにあるモノが連想された。
しかし、いまはそれを詮索する必要はないだろう。答えは、村に行けば分かるはずだ。
「村に人はいなの?」
「数人は残ってみたいです。ああ、あと食料が欲しいなら村長さんに話してみるといいと言ってましたよ」
ダマス村にいけば、食料はなんとかなる。問題は、そこに兵士がいるかだ。猛獣の討伐依頼としてアルマルタ国の兵を呼んでいるかもしれない。
「救援の要請は出てるのか心配ね……」
「あっ、それは大丈夫だと思いますよ。要請はまだしてないみたいです。なんでも、猛獣討伐を専門家が来ているみたいで、その人に任せてるとか」
その人物が何者なのかは気になる。ただ、専門を生業にするものは、基本的に国の軍所属の兵である可能性は低い。もちろん例外はあるが、慎重になる必要はないだろう。
「わかった目的通り、ダマス村に向かいましょう」
「はい!」
「……気のせいかもしれないけど、なんか元気そうね」
「そりゃあ、村から近いのがわかりましたからね。力がでますよ」
アステは足を弾ませながら先頭にたった。
「ほんと、あなたの性格がうらやましいわ」
日は陽炎な色へ変貌していく。
ダマス村にて、木柵の囲いの間を抜ける男女の姿があった。
「着いたー」
日が沈む前に、ロゼ達は村へ到着した。
山の頂上にのぼりつめた登山家のごとく、アステは両腕を空へ伸ばした。
「もう歩けない……」
アステはヘナヘナと折れるように地面へ膝をつけた。
一方のロゼは、一息もつかず、目を光らせながら周囲を見渡した。
木造建ての家が数件、中央の井戸を囲うように並んでいる。人影は見当たらず、物静かな雰囲気が漂っている。
老夫婦の話では数人が残っていると聞いている。よくよく見渡してみると、遠目に一軒、明かりの点いた家があった。
人はまだいる。ロゼは、安堵の気持ちで足を踏みだす。
「うっ……」
視界が大きく揺らぎだした。立ち眩みだ。膝がガクつき、足は体を支えきれず、ロゼはその場に倒れこんでしまう。
緊張を解いたせいだろう。気が抜けて、体に力が入らない。瞼は、ワナワナと震える。目を開けていられない。
「ロゼ……ロゼさん!」
アステが呼びかけてくる。わたしの名を何度も何度も呼びつけていた。次第にその声も小さくなっていく。もう、何も聞こえない……。
ダメだ。意識が遠のいていく。ロゼの瞳は瞼に隠された。
瞼を通して、淡い光を感じた。その光は、わたしを眠りから目覚めさせた。
瞳に映る光景。初めて目にしたのは、女性の顔だった。
心配そうな眼差しで、彼女はわたしを見下ろしていた。
彼女は、わたしの手を握った。冷えた手の内に、肌のぬくもりが広がっていく。
彼女は何かを語りかけていた。何を伝えようとしたのだろう。わたしはその言葉をよく覚えていない。
彼女は、わたしを起き上がらせた。そして、労るようにわたしの頭を撫でた。
彼女の指先は、わたしの頬へと滑り流れ、愛おしそうに唇を指でなぞった。
彼女は安心したのか、わたしに笑みを見せてくれた。
わたしの胸は高鳴りを打つ。わたしは初めて生を感じた。
「お母さん……」
目を開くと、そこは見知らぬ場所だった。
ロゼは瞳に留まる涙を拭い、目を凝らした。天井に吊された蝋燭の灯がユラユラと揺れている。
夢? 懐かしい夢だったような気がする。どんな内容だったろう。思いだそうとするも、ぼやぼやとした煙に覆われてしまう。夢の記憶はあっという間に消えていく。
それよりも、ここは一体どこなのだろうか。意識を失う前の事は、なんとか覚えている。村にたどり着いて、その後に意識がとんでいた。
「ベッド……誰かが運んでくれたのかしら?」
ロゼは体を起こした。視線の先に、木造状の階段が見える。ここは二階らしい。
耳を澄ましていると下の階から、笑い声が聞こえた。それも二人。男性と女性の声だ。
ロゼはフラフラとした足取りで階段に近づき、下の階を覗きこんだ。
女性の後ろ姿が見える。この家の住人だろうか。
ロゼは片足をゆっくりとおろした。一段踏むと、ギイギイと家鳴りがひびきだす。その音を気づいたのか、女性は談笑を止め階段の方へ振り返った。
顔を見上げロゼと目が合う。若い娘だ。顔からして歳は十代後半といったところか。
ロゼと顔を合わせるなり、娘は三つ編みを揺らしながらニコリとほほ笑みを見せた。
彼女は朗らかな表情のまま階段をあがってくる。出迎えるように両手を伸ばし、ロゼの手をやさしく包み込んだ。
「おはようございます。御身体は大丈夫ですか?」
彼女の柔い肌と、温もりがロゼの手へと伝わる。その行為は、自然とロゼの緊張は和らげさせた。
この娘に危険はない。ロゼの直観がそう思わせた。
「ええ、大丈夫よ」
ロゼは柔和な態度で返す。
「良かった。どうぞ一階に下りてきてください。アステさんがお待ちです」
娘の手に連れられて、ロゼは階段を下りる。
一階に着くと、食卓のテーブル席にアステが座っていた。
「ロゼさん!」
ロゼを目にした瞬間、アステは木の椅子を飛ばしながら、立ち上がった。
「落ち着きなさい。行儀が悪いわよ」
「すっ、すいません!」
アステは照れ照れと頭をかきながら椅子を起こした。
「アステさん、すごく心配されてましたよ。先ほどまで、ロゼさんの傍にいたんですから」
傍にいてくれた? ロゼは目を瞬かせる。
「そうなの?」
「はい……とはいっても、俺がしたのは見守ることしかできなくて……役に立たずで、すみません」
ロゼが倒れたとき、アステはどうすればいいかと、その場で慌てふためいていた。そんな状況で、丁度良く村の見回りをしていたが彼女に見つけられ、家まで連れてきてくれたと説明された。
ロゼは「そう」と頷き、恩人へとあらためて顔を突き合わせる。
彼女はやんわりとした笑顔で、
「お名前がまだでしたね。私はフローラ・ミミと申します。どうぞ、ミミとお呼びください」
丁寧なお辞儀を見せた。彼女の言葉使い、人との対応の良さを勘定すると、村娘とは思えないほどに気品があるように感じた。
「わたしはロゼと言います。ミミさん、この度は助けていただきありがとうございます」
「困っている人がいたら、助けるのは人として当然のことです。どうか、気になさらないでください」
ああ、なんと寛容深い娘なのか。彼女の後背からは、淡い光が差し眩しく感じた。
若いのにしっかりしている。それに比べてと、アステの方を見やると……。
どうにも光が鈍い。色々と抜けているせいか、曇が被っている。ミミと年齢の差は、そう違わなそうなのに。
ロゼは、頬に手あて小さくため息をついた。人の性格はそれぞれ異なる。成長にも差はでてくるもの。それなりに年を重ねれば、それなりに落ち着いてくれるのかもしれない。
「あの、どうかなされましたか?」
「少し考え事を……なんとなく、子を持つ母親の苦労がわかった気がするわ。それよりアナタ、ミミさんに迷惑はかけてないでしょうね?」
疑いの目を持って、アステに問う。
「なっ、なにもしてませんよ!」
「本当?」
アステは、ミミに真偽を求める。ミミは、クスリと笑いながら頷く。
「ロゼさんが、心配するようなことはないかと思います。ご安心ください」
ミミは否定するが、どうにも信憑性があやしい。彼女の性格を判断するに、懐が大きく、人に嫌な行為をされたとしても許してしまうように思えた。
「あのー、ロゼさん。もしかして、まだ疑ってます?」
アステが怪訝そうに尋ねてくる。彼が嘘をついている証拠がない以上、疑いをかけるのは止めるべきだろう。
「一応は、信じてあげるわ」
「本当に何もしてないですからね! 信じてくださいよー」
そんなロゼとアステのやり取りを見て、ミミは朗らかな声で間に割った。
「皆さんも喉が渇いていませんか? お茶を用意しますので、どうぞ席に座ってください」
ミミの誘いを断る理由はない。二人は横に並ぶように席へと着いた。
席で待つこと数分、ミミが湯の入ったポットを手にして戻ってきた。
「数種類の薬草とハーブを合わせ煎じたお茶です」
ポットの口から金色の液体が流れ、コップへと注がれる。白い湯気か立ちあがると同時に、豊な香りが広がった。
「どうぞお召し上がりください」
ロゼは「いただきます」とコップを持って口へ運んだ。
苦い。薬草というからには苦いのは当然だ。
ロゼは我慢しながら、一気にお茶を飲み干した。
「苦い!」
アステは、舌をだした。渋みは苦手か、舌はまだまだ子供のようだ。
「残さずに飲みなさいよ。せっかく頂いたんだから」
アステは顔をしかめ、コップの中をのぞき込む。飲みたくないと言いたげな顔が、緑色の湖へと映り込んでいた。
それを見てか、ミミは「無理をせずに」と配慮の声をかける。
「いや、飲みます!」
女性らを前にして、ナヨナヨした所は見せたくないと、アステは息を止め、薬膳煮を口の中へ注ぎ込んだ。
「ぜっ、全部飲みしまたよ!」
アステは具合の悪そうな顔で、ニヤリと歯を見せつけた。
「それが普通なの」
二人の様子を見て、ミミはクスッと笑いを漏らした。
「すみません。お二人を見てつい……とても、仲が良いのですね」
「そう見えますか? 実はそうなんですよ。ねっ、ロゼさん!」
アステは自分の両手をソワソワと揺すりだしている。ロゼの口から、アステが期待している言葉を待っているように見えた。
ロゼの心中としては、仲が良いかと問われて、『はい、そうです』と即決で答えられるほど、そこまで親密な関係だとは思っていない。が、それを素直に口に出さない方がいいだろう。返答によっては後が面倒になるかもしれない。
ロゼは日和見で、
「さあ、どうかしら」とお茶を濁し、この話を続けさせまいと、お茶のおかわりを催促した。
アステは、不満そうに頬を膨らませる。納得がいかないのか、別な視点から質問を投げた。
「そうだ! ミミさんから見て、俺とロゼさんはどんな関係に見えます?」
「お二人の関係ですか?」
ミミはどんぐり眼で、ロゼとアステに目を配った。
「そうですね……ご兄弟ではないのでしょうか? ロゼさんがお姉さんで、アステさんが弟さん?」
ミミの答えにたいして、二人は異なる反応を見せた。アステは『違う!』と言いたげに、唇の端を尖らせていた。ロゼはというと、フッと笑い吹き、声が漏れぬように手で口を塞いだ。
「違いました?」
「えーと、ミミさん。残念ですけど本当は――」
ドスリとアステの脇腹に衝撃が加わる。ロゼが肘で小突いてきた。
アステは、「ぐふっ!」と声をあげては何度も咳を鳴らす。
「正解です。良くわかったわね」
「ああ、やはりそうでしたか! 実は互いの関係を推察するのが、得意なんです。あの人はあの子の事が好きだとか、恋人同士なのかとか。結構当たるんですよ」
「良い観察眼を持ってるのね」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
ミミは照れたように、両手で頬を寄せた。
「ところで、お二人は何用で村にいらっしゃったのですか?」
こちらから話そうとした話を、ミミからふってくれた。ここは、慎重に言葉を選ばなければなるまい。相手に不審を得ぬように、ロゼは事情を伝える。
「はい。実はわたし達、国の地形調査を行う仕事をしていまして」
「地形調査……地図等作成などの事業をしている感じでしょうか?」
「ええ。それでこの近くの周辺地域の調査にあたっていたのですが、道中事故がありまして、持っていた食料を全てにダメにしてしまい、このままだと職務が継続ができず困っているのです」
「まあ、それは大変!」
「丁度その時、ダマス村の住民の方にお会いしました。話を聞いたところ村長さんに掛け合えば譲ってもらえると。お恥ずかしながら、村に寄った訳で……」
「そうだったんですね。事情はわかりました」
ミミは、合いの手をうつと、
「でしたら、この家にある食料をお譲りします!」
ミミは、眩しいばかりの笑みを見せた。
「いやいや、ミミさん。そりゃ、さすがに悪いですよ!」
アステは脇を押さえながら顔を左右に振った。
彼にも遠慮と配慮はあるようだ。まあ感心するのはいいとして、これ以上ミミに甘えるのは宜しくない。
「そこまではしてもらいますと、尾を引いて……」
「いいえ、遠慮なさらないでください。 だって私はこの村の村長ですから」
彼女の口から明かされた言葉に、ロゼとアステは「えっ?」と声を揃えた。
「村長って、このダマス村の?」
「はい、私が村長です」
アステは、信じられないとばかりに口を大開した。
ロゼは幾度が瞬きして、
「村長にしては、随分とお若いのね……」
「そう思われるのも、仕方はありません。こんな小娘が村長だなんて冗談にしか聞こえませんから……」
ミミはかしこまったように、事の成り行きを話した。
「私が村長になる前、父が村長をしていました。とても、気さくな方で、皆からは大変慕われる人で……村の仕事で忙しいにも関わらず母のいない私を、男手一つで面倒を見てくれた、とても尊敬できる父でした」
ミミの神妙な表情に、ロゼは心底は労わりの気持ちを感じ取っていた。
「その……お母様はお亡くなりに?」
「はい、私が物心つく前に。でも、父がいてくれたから決して寂しくはありませんでし」
親が傍にいてくれること。自分を愛してくれる人が近くにいることは、どれほど彼女が愛されていたか想像できる。同時に、辛さも知り得た。
「それが、一年前に父は突然不治の病にかかり、それからは二度と外を歩くことはありませんでした」
ミミはしんみりとした様子で窓を見つめる。向かい側に座るロゼとアステは、膝の上で拳をつくり話の続きを待った。
「次の村長を誰に任せるべきか……村の大半の方々が私を推薦しました。最初は、お断りしたんです。成人にもなっていない娘が皆をまとめることはできないと」
そう思うのは、仕方がないことだろう。なにせ、自分より歳の差のある大人たちを若年者がまとめあげられるとは思えない。
「何度も断り告げました。それでも、皆さんは強く推し進めて……不安ではありましたが、父の弔いも込めて村長を務めることを決意しました」
彼女には魅力があった。それに加えて、彼女には人を安心させ、皆を団結させる力がある。ミミならば、村長の器として十分な力量があるだろう。なればこそ村民は、勧めたのだ。もし、わたしがこの村の住民なら、彼女を勧めている。
「村長になって間もないころは、皆の期待に応えられるのか不安でした。でも、今は、それほど気苦労は感じていません。困り事や、悩んでいる時、村の皆さんが何度も助力してくれて、そのおかげで村長としての務めをなんとかこなせてます」
「ミミさんのためら、誰だって言うことを聞きますよ! なんたって、優しいし美人さんだし。手を貸さないんて絶対にありえません」
ミミは、フフッと笑いをもらした。
「お世辞が上手ですね」
「いえいえ事実ですよ。ロゼさんもそう思いますよね?」
ロゼは、間をとって頷いた。
彼女の性格に表裏ない。彼女のその朗らかで優しい性格と、幼さが残るあどけない素顔に、助けなければならいと親心がくすぐるのだ。
「そう言われると、少しばかり気恥ずかしいですね」
ミミは頬を赤く染めていた。
「食料は後日、お渡しでよろしいでしょうか? 外は暗いですし、今日はここに泊まっていってください」
「……お邪魔ではないのかしら?」
「部屋は空いてますので、ご心配なく。二階のお部屋をお使いください」
女神の微笑みとも言おうか。ミミから放たれた光背はまぶしかった。断りなどしたら、逆に悪い気がする。
「お言葉に甘えて、泊めさせて頂くわ」
ミミに会えたのは幸運だろう。食糧の問題は解決し、さらに宿まで許してくれた。これは、もう運がいいとしか思えない。
しかし、ロゼにはひとつ気がかりがあった。
「村に猛獣がでたとお話を聞いていますが、本当なのですか?」
ミミの顔に陰がかかった。緊張が走り、彼女はぎゅっと両手を握りだした。
「この村の外れに古い遺跡があります。その近辺にすむ住民の方が、夜畑の見回時に目撃したそうなのです。黒い容姿に黄色の両目を持つ獣を……」
特徴を聞いて、ロゼはピンと親指を立てた。
「もしかして、異形の者?」
「はい、そうではないかと……」
「以前からも出没の傾向はありました?」
「いえ、今回が初めてになると思います」
「村の外から侵入した可能性は?」
「目撃した方が、遺跡の方向へと逃げたと言っていましたので、外からではなく遺跡から現れたと思います」
遺跡に入れば災いがあると昔から村に伝えられていた。それもあって、村の誰一人として、遺跡に近づく者はおらず、遺跡についての実態を知れることはなかった。それが、まさか異形の者が隠れ住んでいたとは思いもよらず。緊急を要すると、ミミはすぐさま住民を避難させたとのこと。
「軍などに討伐の要請は?」
ミミは、「いいえ」と否定した。
「村人の見間違いの可能性もあります。きちんと確認してからでないと、兵の方たちにご迷惑をかけることになりますので」
軍に要請していないとなると、恐らく手配書はまだ回ってはいないはずだ。現状、村長であるミミが、ロゼの素性を知らずにいる。このまま泊めてもらっても心配はないだろう。 不安要素はない。しかし、異形の者が現れたとなると、何もせずに悠々と休むわけはいかないだろう。
「丁度この村に、異形の者に詳しい考古学者の方が村に訪れてまして、その方に一度調査してもらうようにお願いしています」
ミミは、「あっ」と手を小さく叩いた。
「忘れてました。そろそろ、その方にお食事を持っていかないと」
「それなら、俺がやりますよ!」
アステは挙手した。
「お客さまに、そんなことをさせるのは……」
「女性一人だけで夜道を歩かせるのは危険です。こちらはお世話になる身ですし、わたしも、この不肖の弟とついていきますので、どうか待っていてください」
ミミは、心配そうに見つめている。ロゼは大丈夫だと言いたげに頷いて見せた。
「わかりました。ロゼさん、アステさん、お願いします。夕食は温めて待ってますね」
ロゼとアステは、林道を歩いていた。
アステは食べ物が積まれたバスケットを運び、ロゼはランタンを手に先導する。
「アレかしら?」
林道を抜けた先に、テントが張られていた。中からは灯りがかかり、人影が動いている。
ロゼたちはテントの前で立ち止まる。布製でてきたテントは、さほど大きくはない。二人も入れば、一杯になってしまうだろう。
アステは中の住人に向かって声をかけた。
「ユエルさんいますかー」
返事が返ってきたのは、何秒か遅れてのことだった。
「はーいー」と気が抜けた声が返ってくる。
テント口の垂れ幕が割かれ、そこからニョキリと腕が伸びだす。その手は、こいこいと招いていた。
「いま、たてこみちゅうだ。中に入っててくれないかなー」
ロゼとアステは顔を見合わせる。
「どうします?」
「入れと言ってるのだから、入りましょう。わたしが、先に見てくるわ」
ロゼはテントの幕を上げ、中へ入る。テントの中は狭く、背を屈めながら進まないと、テントを崩しそうだった。足元には、本やクシャクシャに丸まった紙が散らばり、踏み込む場もない。
「とりあえずー、座っててー」
テントの住人はこちらを見ず背中を向けたまま、羽付きのペンをせっせと動かしていた。
「せまい!」
後からやってきたアステは、中の有様に驚いていた。バスケットをむりやり入れ込みながら、ロゼの隣に座る。
狭い。無理に二人も入り込んだせいか、互いの頬が密着しそうなほどに窮屈だった。動く余裕はない。ぎゅうぎゅう詰めの状態だ。
「顔が近いわ。もっと離れられないの?」
「すみません。動きようがないです」
「せめて、頭を反対の方に傾けられない?」
「内側の方しか空いてないので、勘弁してください」
互いの肌の温度を感じる。気にはなるが、動けぬ以上我慢するしかない。
「書き終えるまで待っててねー。もう少しだから」
テントの住人は『もう少し』とは言っていたが、二人は数分と待たされることになる。
「よーし、終わったー」
テントの住人は「くぅー」と声をだしながら背伸ばし、筆を置いた。
ようやく終わった。ロゼたちは一刻も早く、テントの外へ出たかった。もう手足が痺れ始めている。
テントの住人は足をすりながら二人の方へと振り返る。
ボサボサと跳ねた銀髪。前髪は目元まできており、顔が隠れてしまっている。
「ごめんねー。待たせちゃって」
「終わってから、中によんで欲しかったわね」
「ん? そんなに待たせてしまったのかな? それはゴメンよ」
テントの住人はいまにでもうたた寝をしそうな顔でコクリと頭を下げた。
「あのー、ユエルさんですよね?」
アステが尋ねると、
「うん、そうだよー。で、君たちは誰? 何用?」
「ミミさんからの使いです。食べ物を持ってきました」
アステは、体をねじらせながらバスケットを見せた。
「あーそりゃ、ご苦労さん。丁度、お腹がすいてたんだよねー」
ユエルは眠そうな目でバケットを受け取った。細長いパンを手にして、ぱくりと齧りつく。
「うん、うん、おいしいね、このパン。材料がいいのかな? 焼き方も上手だねー」
味の感想を述べながら、もくもくとパンを口にする。彼女の食べるペースは速く、パンを次々と胃へ収められていく。
「凄い食べっぷりですね……」
「うん。昨日からずっと報告書を書いてて、何も口にしてないんだー」
お腹がすいている理由は分かった。それにしても食べるスピードもさることながら、食べる量も多い。バスケット入れていたパンの量は、一人分では余るほどだ。ユエルの恰幅は痩せているが、体に似合わず大食いだ。
「あなた、学者よね?」
「んー、ひょうだよ。古代遺跡等の調査とか研究してる……ああ、それともう一つ。兼業もしてるー」
「兼業?」
「んー。ワタシね、幻想・霊物討伐の請負もしてるんだー」
霊的存在を相手にできる者はそう多くない。単なる傭兵程度の力量では太刀打ちできない。なぜなら、物理的な攻撃が通らない相手がほとんどだから。対処方はおおよそ魔法系統しかない。
「あなた、魔法が使えるの?」
ユエルは、パンを口に挟みこんだままコクコクと頷いた。
魔法が使えるのなら納得できる。それにしても、彼女は個人で請け負っていると見るに、相当場慣れしているのだろうか? 並程度の魔法使いでは、単独での討伐は難しい。前衛となる者が少なからず必要だ。個人で対処できるのは、一般的魔法使いとは違い稀有な特殊な能力を持っているか、高位の魔法を使える者のどちらかだろう。
「遺跡から異形の者の影は見つかったの?」
「まだ、中には入ってないからなんとも。けど、目撃された周辺には異形の者が通った痕跡はあったよ。いるのは、間違いなじゃーないかな」
ユエルはゴクリとパンを飲み込んだ。主食を完食すると、ローブにこぼれたパンカスを払い、バスケットの中からデザートのリンゴを取り出した。
しゃくりと齧り、
「しぃかも、足跡は一個体だけじゃないね。複数の痕があった……数はそれなりにいるねー」
「複数相手に、一人だけでは危険だと思うけど……」
「うーん。大きさによるけど四体、五体同時に襲われても何とかなるかなー。それ以上の数はさすがに厳しいね」
ユエルは両手を合わせ、「ごちそうさま」と合唱した。
「さてさて、腹ごなしに外にでますか。ちょーと、そこを空けてー」
ユエルは腰を曲げながら立ち上がる。そして無理やり、ロゼとアステの間に足を入れ込む。ぎゅうぎゅうとテントを泣かせながら、外へと出て行った。
テントの中に残されたロゼとアステは、空いた空間に移動し腕と背を伸ばした。完全に手足が痺れてしまった。
ロゼは両足を伸ばし休ませていると、アステが遠慮気味に挙手をした。
「ロゼさん……あの、提案があります」
嫌な予感がする。嫌々ながらアステに目を合わせた。
「何?」
「俺らで、ユエルさんの手伝いをしませんか?」
「手伝い? 何の?」
「異形の者の調査ですよ」
ロゼは瞼を閉じ、目をつぶった。
「……あなた、異形の者のが何なのか知ってる?」
「恥ずかしながら、全く」
「でしょうね。はっきりいわせてもらうと、素人では対処は不可よ。盾にさえならないわ」
「でも、ユエルさんが一人調査に行ったまま戻らない事になったら後味が悪くないですか。それに……」
アステはテントの入り口を見た。
「顔は見えなかったですけど、口元と鼻筋をからして、あれは間違いなく美人さんです!」
「はっ?」
「美人はこの世の宝なんです。見過ごせませんよ!」
彼は何を言っているのだろう。ロゼは首を傾げた。
「……つまるところ、あの人が単に美人だから助けたいと?」
「俺の信条なんですよ。美しい人は世界の宝です。宝は守らないといけません! ああ、もちろんロゼさんも対象ですからね!」
意味が不明だ。彼の心情が読めなくなってきた。理解できないのは、単にわたしの頭が固いせいだろうか? それとも、混乱しているだけ?
ロゼは疲れた顔で、
「落ち着きなさい。そして、よく聞きなさい。わたしは、あなたとの契約でアスティア国まで無事に連れていきたいの。それは、覚えてる?」
「はい、もちろんです!」
「なら、わたしが何を言いたいか分かるわよね?」
「ロゼさんは優しくて、気遣いのできる人ってことですよね。でも、契約上、護衛について詳細な条件はなかったはずです。国に着くまでロゼさんは俺を護衛する。つまり、俺が行くとこ、行く場所に関係なく守ってくれる。ロゼさんはけっして約束を破る人ではないと信じてます。どこに行こうと絶対に守ってくれる。だから、お願いです。一緒に手伝ってください」
アステはロゼの手を握り、希望の眼差しで伝えてきた。
一方、ロゼは目を丸くし、開いた口を閉じた。
契約の不備をつかれたの? いや、屁理屈を並べて言っているだけではないか。
しかし筋は通っている。正直なところ、ロゼはアステの言い分に驚いていた。
ここで反対しても、平行線を辿りそうだ。仕方がない。村には礼がある。それに、契約を破ることはしたなくない。嘘は嫌だから。
「……話をつけてみるわ。そこで待ってなさい」