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愛しき血に王子は触れる  作者: イツカカナエ
3/8

3章「新たな契約」

水流の中、ロゼは手足をばたつかせ空を目指した。

 水面から顔をだし、口に入り込んだ水を吐いて。大きく息を吸い込む。

『生きてる』

 無事でいられたのは幸いだった。水の中を手足で漕ぎながら、頭を浮かせ周囲を見渡した。橋が遠くにある……だいぶ遠くに流されたようだ。

『アステは?』

 彼を抱きしめていたが、河川に落ちた衝撃で離れてしまったのか、周囲を探すもアステの姿はない。

『どこにいるの』ロゼの心に焦りが生まれる。

 ユラユラと揺らぐ視界に難航するなかで、ロゼは必死に視線を移していく。

「あれは……」

 下流側の方に人の背中が浮かんでいるように見えた。

 ロゼは、よく目を凝らした。浮き沈みしながらも、僅かに銀色の髪が見えた。アステに間違いない。

 ロゼは大きく息を吸い込み水中へ潜る。茶色に濁った視界の中潜水していく。水の流れにのり、一気にアステへと迫り、腕を伸ばした。

 腰に巻き付いたベルトを掴みあげ、アステの体ごと引っ張り急いで水面へ上昇する。

 水中から顔をだし、すぐさまアステを腹向けに反した。

「アステ!」

 声をかける。しかし、反応は無い。

 息をしているのか分からない。ロゼは河川から出ようと、アステを抱え、足が着く浅瀬を目指し泳いだ。

 ロゼはアブアブと水面から口をあげて息つぎを繰り返し、浅瀬まで泳ぎきった。

 アステを両手で抱きかかえ石辺に辿り着くと、ロゼは力つきたように膝を崩した。

 人を抱えたまま、泳ぐのは並大抵のことではない。全身の筋肉が悲鳴をあげている。体は疲弊し立つ体力もない。

 このまま、倒れこみたい。しかし、いまは我慢だ。ロゼは自分の唇を噛み、気合いを入れた。

 アステを石辺に寝ころばせて、彼の口元に耳を近づけた。

「ない……」

 息をしていない。いますぐ、蘇生処置をしなければアステは助からない。ロゼは、腕を伸ばし両手を重ね、アステの胸元に向かって押し当てた。

 何度もアステの胸元に両腕を押し付けた後、アステの頭部を上に傾けさせた。ロゼは息を吸い込みアステの唇と自分の唇を重ねる。胸に貯めた息をアステの肺へおくり込む。

『お願い! 吹き返して!』

 ロゼは懸命に蘇生を続けた。二回三回と何回も繰り返す。ロゼは頬に大量の汗が流しながら。

 ピクリと、アステの手が動いた。ロゼは唇を離し顔を起こすと、アステの体がビクビクと小刻みに震え、ゴホゴホと水を吐きだした。

「あっ、あっ……」

 意識が混濁して幻覚が見えているのか、アステはうわ言のように呟く。

「あなたは……天使さま?」

「違う、わたしはロゼよ。わかる?」

「ロゼ……ロゼさん?」

 アステはゆっくりと口を開け、「ロゼさん!」と大きな声で起き上がった。

 ロゼは驚きのあまり、両手を後ろについた。

「脅かさないでよ……もう、それだけ大きな声がだせるなら心配はないわね?」

「心配? 俺、なんか、心配させるようなことしました?」

「あなた、川に溺れて呼吸が止まってたのよ。蘇生が間に合ったから良かったけど、最悪はいまごろ天に昇ってたかも」

「あー道理で、橋から落ちた移行の記憶ないわけですか……えっ、それじゃあ、蘇生をしてくれたのは……」

「わたしよ」

 その他に誰がいるのかと、ロゼは肩をすくめた。

「ロゼさんが俺を蘇生してくれた。それってつまり唇を……いや、へへっ」

 アステは引きしりに自分の口元を触り、恍惚な表情をうかべる。

「なんで、うれしそうなのかしら?」

 命を落としかねない状況だったにもかかわらず、なせそんな表情ができるのか。気味が悪いとしか思えない。

「だって、ロゼさんにキスしてもらえたんですよね。これ以上の嬉しさはないですよ!」

「なっ!」とロゼは、声を裏返した。

 あっ、呆れた。蘇生されていた事を喜んでいたとは、もう呆れ以外の言葉が見つからない。普通は、生還したことに喜びを感じるべきだろう。

「ああ、でも惜しいことししまた。初めてのキスが意識ない時だなんて、残念過ぎます。俺がもっとしっかりしてればなー」

 アステの楽観的姿勢にはついていけないと、ロゼは溜め息をついた。

 なんだろう、どっと疲れがやってくる。本当に疲れたわ。

「ロゼさん。さっきからため息ばっかりですね。お疲れですか?」

「ええ、誰かのせいで。まったく……橋から落ちるなんて、正気の沙汰じゃないわよ。危険だと思わなかったの?」

「いえ、全く!」

 アステはケロリとした顔で答えた。

 そうスッパリと言える理由を知りたい。どのような思考をしているのだろうか。リスクの見積もりをしていたのかも疑わしい。それを尋ねてみるも、

「ロゼさんがいれば、何とかなる気がした」と自慢げに言い返された。

「わたしは幸運のお守りじゃないわよ」

「いやいや、お守りなんて失礼ですよ。幸運の女神です!」と恥ずかしげなく親指を立てみせる。

 返す言葉が見つからない。照れを感じなければ、嬉しいとも感じない。脈絡なく突然女神と呼ばれても、ロゼは唖然とするしかなかった。

 アステと一緒にいて分かったことがある。それは、彼の思考はよくわかないということだ。いままで出会った人の中で、本心が読めない。

 ロゼはくしゃりと濡れた前髪をかきあげ、

「それはそうと、説明してもらいたい事があるのだけど。わかってるわよね?」

 重大な問いを投げた。しかし、アステは、お惚けた顔ではぐらかそうとする。

「なっ、何のことですか?」

「逃げてもダメよ」

 仏頂面で迫るロゼに観念したのか、アステはその場で胡坐をかいた。

「黙っていてすみません。俺は、情報屋でもないし、アステという名でもありません。本当はアスティア国の第三王子、アスティア・フレイヌと言います」

 本人からの証言。やはり、聞き間違いではなかった。

「わたしに教えた情報は全て嘘ということかしら?」

「そうなります……申し訳ない」

 アステは、深々と頭を下げる。それも額に地に着くほどに。

「誠意は伝わったから、顔をあげてもらえない」

 ロゼのなだめに、アステはパッと顔をあげ、笑顔で返した。

 おでこを強く押し付けていたのだろう、額が赤くなっている。

 あいかわらず、気が抜けている。

 性格や行動に気品らしさは感じられない。唯一王族らしいとあげるなら、そこらにはいないであろう、美形な顔をつき位だろう。

 まあ、わたしの知識が浅いがゆえに王族にも色々いることを教えられたのだと、とりあえず心内に納得させた。

「先日にアルマルタ国に招待されたのは、あなただったの?」

「ええ、そうです」

「どうして、城を抜け出したのかしら?」

 アステは、落ち着いた声で説明をした。

 昨日、アルマルタ王国とアスティア王国との国交回十年目の記念として、アスティア・フレイヌが客人として招待され、アルマルタ城へとあがった。

 その晩、祝賀会の途中、気分が悪いとアスティアは宿泊用の部屋へと戻った。

 しかし、それは仮病だった。荷物に忍ばせていた縄を窓から投げて、城を抜け出しとのこと。

「用意がいいわね……」

「はい、その日を狙って前々から計画を立ててましたから。問題はその後どう逃げるか考えてませんでしたげとね。本当に、ロゼさんには感謝ですよ」

「あなた以外と大胆なことするのね……それで、抜けだした理由は何かしら」

 アステは口を結び、硬い表情を見せた。

 アステが王子という位にあることから、国に関する重大な何かがあったのかもしれない。おいそれとは教えてもらえないだろう。

「無理に言わなくてもいいけど……」

「いや、いえ、言いますよ。俺とロゼさんは、もう他人ではないですからね」

 アステは強く頷いた。確かに、わたしと彼の間には依頼主と請負人の関係にはある。しかし、そこまで強い関係にないとロゼは思っていた。

「一言で言えば自由が欲しかったからです!」

「……えっ?」

「自由の身になりたかったんです。王子としての職務が嫌になったんですよー。書簡の作成とか、貴族との社交とか、他国の地位ある貴族との晩餐会……毎日毎日城に拘束されて、もう疲れましたよ。俺はもっと外にでて色々な事に触れたかったんです! そう、自由奔放に旅人のように!」

 ロゼは、ポカンと口をあけた。幼稚な理由に肩透かしをくらった。

「自由って……裕福な生活を捨ててまで、自由を選ぶ価値はあるの?」

「あります。断言できます。俺は自由でこそ、人生に意味を見いだせると思ってます!」

 人生に意味を見いだせる。それは、楽観的妄想でしかないだろう。

 外の世界が、常に良き日々を過ごせるわけではない。時に残酷な仕打ちに遭うこともある。現実は甘くはない。

 だが、その理想はロゼの心に強く響いた。

「あなた変な人ね」

「たまに言われます。不肖な王子だとか、怠け者の王子なんて呼ばれる時もありますね」

「随分な言われようね。怒らないの?」

「いやー事実なんで何も言い返せませんよ」

「そう……わたしは、自由を得ようとする気持ちは分かる気がする。でも、あなたの行動が多くの人たちに迷惑をかけているって気づいてるかしら?」

「城から逃げたことですか? それは……うん、みんな心配してますよね。だけど、俺がいなくなっても問題ないじゃないですか? 兄弟はいますし、王位の継承は自分には巡りませんしね」

「問題はそこじゃないのよ。あなたが、いなくなった事が問題なの。仮にも、あなたは王子様でしょ。それが、別国に滞在中に行方不明だなんて、外交問題よ。責任を取るのは警備を厳かにしていたアルマルタ国側にあると追求されるわ。責任はアルマルタ国にあるとね」

「それなら大丈夫ですよ。部屋に手紙を置いときまきしたから。自由に暮らしたいので、出ていきます。探さないでください。これは俺自身の行動であり、アルマルタ国には関係ありませんって、ちゃんと筆にしましたから」

「その手紙の内容を誰が信じるの?」

「一緒に来た執事が信じるんじゃないですか。俺の字は見慣れてますし、証言してくれますよ」

「誰かが筆跡をまねた偽装工作でないかと疑うかもしれないわね。王子が勝手に逃げたように見せかけた誘拐とか。アスティア側は、そう思ってるかもしれないわ」

 現にアルマルタ国は兵士を派遣して捜索に追われている。アスティア国の責任を追及され止む無く共同捜索を許可したとも考えられるからだ。

「仮にあなたが見つからないとなったら、いままでの友好関係も終わりね。最悪、また戦争なんてことも考えられるわ」

「戦争になるって、そんな大げさですよ」

 アステは笑って言い返す。一方ロゼはキッパリと否定した。

「なるわよ。歴史がそれを物語っている。先の戦争の発端も、王子の行方がわからなくなったから起きたのよ」

「えっ……俺ってそんなに影響力あるもんですか。たかが一人の王子に?」

 ロゼは黙って頷いた。

 ようやく事の大きさを理解したのか、アステはアワアワと唇を震わせた。

「ロ、ロゼさん、俺、どっ、どうすればいいんですかね?」

 助けを求めるか弱い声と、切望の眼差しがロゼへと向けられる。

 きっと、自分の身をわきまえず行動していたのだろう。

 いまにも泣きそうなアステに、ロゼはやれやれと頭をふった。

「解決方法はあるわ」

 ロゼから救いの手に、アステは活気を取り戻す。餌を待ちわびる犬のように今か今かと、ロゼに熱い眼差しを送ってきた。

「どうすれば!」

「あなたの返事次第ね。契約は覚えてる?」

 内容は、国境付近までの護衛であった。しかし契約の効力は、アステが情報屋としての頼みであり、いま目の前にいる彼はアステ王子である。契約者がいない以上、果たすべき責はないとロゼは説明した。

「要するにどういう事ですか?」

「わたしの仕事はここで終わり。これからは自由にさせてもらうわ」

「ここで、お別れですか! それは困ります! 俺を一人にしないでください!」

 子供が親へ、せがむようにロゼの腕へとしがみつき、『離れたくない!』とわめきだす。

 ああまったく、小さい弟をあやす姉の気分だ。

 自由になるとは、孤独にもなること。他人に助力を求めるのならば、最初から自由になりたいと思うべきではない。覚悟を決めたうえで、旅をすべきだ。だか、ここで説教しても意味はない。言葉にするのは全てが終わってからだ。

「落ち着きなさい。まだ、話には続きがあるの」

 なぜならば、アルマルタ王国はロゼを王子誘拐犯だと決め付けている。お尋ね者として布令が回っている以上、行動の制限は大幅に制限されてしまう。さらに、自分に関わりのある人達に迷惑をかけるのは見過ごせない。

「そこで、新たな契約よ。アスティア王子として、わたしが提示する契約を認可して欲しいの」

 第一に国境付近までの護衛を行う。これは、前の契約と同じである。それに加えて、もう一つ、追加の条件を加えた。

 アスティア国に訪れ、アスティア王子が父親である王の前で、逃げた理由を釈明すること。

「えっ! それって国に戻れってことじゃないですか。嫌ですよ!」

「外交問題を解決させるには、これが最善策なの。あなたの口から伝えれば、すべての疑いが払拭される。それは、わたしの為にもなるよ」

「そうなんですか? でも何を伝えれば……」

「あなたの声で、ロゼ・エミールは誘拐犯ではないと説明するのよ」

 筋書きはこうだ。アルマルタ国とアスティア国を再び戦争させるため、アスティア王子の誘拐は国同士の対立を誘発するための計画であった。主犯格はとある国の権威者。アスティア王子に誘拐犯を差し向けるが、命からがら王子は逃げだした。誘拐犯から逃げるさい、偶然入った兵舎に住んでいたロゼに保護してもらった。さらに護衛してもらいながら、密かにアスティア国へと向かっていた。

「こう説明してもらえば、わたしの罪は取り消されるはずよ」

 アステは頭で整理するように頭を揺らした。数分後、手の平を叩いた。

「ああ、なるほど! それなら、言われようのない罪も消えますね。でも……」

 アステの晴れ顔が雲がかかる。

「俺、城に戻ったらまた幽閉されるんじゃないですか?」

「その時は、お父様に告げなさい。旅をさせてくれって」

「許しがもらえなかったら?」

「アルマルタ城から逃げた時と同じようにすればいいでしょ。今度はあなたの国で起きたことだから、他の国の迷惑にはならないわ」

「うーん、とはいっても城を抜け出すのは難しいかと……」

 気難しい顔から一変、アステは何かを思いつき指を鳴らした。

「そうだ! ロゼさん、俺が城から逃げるさいは手伝ってくださいよ!」

「はい?」

「俺一人じゃ、心もとないんで。もちろん、報酬ははずみますよ。いいですよね?」

「そんな事をしたら、今度は本当のお尋ね者になってしまうわ」

「大丈夫ですよ。もし捕まっても、俺がちゃんと弁明しますから」

『凄く』 不安としか言いようがない。正直なところ、ロゼから見てアステへの信頼力は低い。逆に心配を煽られているのだ。

「その時になったら考えさせてもらうわ。うん。それはそうと、契約の更新はするの?」

 アステの返答によって、この先の運命が大きく左右する。まあ、大方予想はついているが……。

「ロゼさんのためですからね! もちろん、契約します!」

 アステは握手を求めるように、手を差し出した。何時ぞやの兵舎内で起きた時のように。

 ロゼは、応じるように手を握り返した。

「ご依頼承ります。全力をもって、任につかせてもらいます。アスティア王子」

「いやー、またロゼさんと一緒にいられるなんて、俺は幸せ者ですよ! ちなみに、俺が王子だからといって態度は変えないでください。堅苦しいのは嫌ですもん」

「そうさせてもらうわ。敬語は苦手なの」

「ああ、それと呼び名はアステでお願いします。俺、こっちの略称の方が結構気に入ってるんで」

「わかったわ、アステ」

「はい、よろしくお願いします。ロゼさん!」

 アステは、握った手を嬉しそうにブンブンと振った。それも、嫌というほどに。

「あっ、そうだ。言うか迷ってたんてすけど、このさいです。聞いてもいいですか?」

「何?」

「ロゼさんは、どうして国を抜けようとしたんですか?」

「えっ?」

「ほら、最初の契約の時に言ってたじゃないですか。ここには戻らないって」

「それは……」

 胸の内を誰かに打ち明けるべきだろうか。ロゼは迷っていた。自分の事を知られるのは、好きではない。ずっと心を閉塞していた影響のせいか、心にしまい続けて置きたい気持ちが強い。

 しかし、アステなら、彼なら、話してもいいかもしれない。そんな、いい加減な気持ちで、ロゼは打ち明けた。

「強いて言えば、自分が何者であるか知りたいの」

「何者であるか知りたいって……ロゼさんはロゼさんでしょ?」

「それはわたしに宛てられた名でしかないわ。人格や社会的な地位とかじゃない、わたしが、一体何のために存在しているのかを知りたいの」

「うーん、俺って教養がそこまで良くないんで、ロゼさんの真意をキチンとくみ取れないかもしれないですけど、それは生を受けた意味を知りたいってことですか?」

「そうよ」

「それは難しいですね。自分がどんな役割を持って生まれたかなんて、知りようがないですもん。そもそも、なろうと思えば大抵は何者にもなれます。人の運命は、誰にも決め用がないといいますしね」

「王は王族の血筋でしかなれないでしょう。誰しもがなれる者ではないと思うけど?」

「まっ、まあそうかもしれませんが……それでも可能性は無限にあると思います」

「可能性……そこは同感できるわ。でも、それは人ならの話よ」

「えっ?」

「わたしは自分の過去を知らない。わたしが本当に人である証明がないの。人でなければ生きる意味もないのよ……」

「人でなければ? 何を言ってるんですか? ロゼさんは人ですよ?」

「その確証はあるのかしら? いまと同じ質問を訊かれたら、あなたはどう答える?」

「いや、間違いなく人ですよ。父か母、もしくは、出産に立ちあった人たちに聞けばいいわけですし」

「それなら、あなたは間違いなく人ね。証人がいる。わたしには、それを証明できる人がいないの。わたしは拾われた子だから」

「証明する人がいなくても、それ気にする必要はないですよ。人に見えれば人なんですよ。俺はロゼさんを人だと思ってます。もし、人じゃないなら、天から落ちてきた子供ってところですかね。神の子か、天使の子が妥当です」

 アステはニヘラと笑った。

「随分と楽観的ね……」

「悲観的じゃあ、何も進みはしません。辛くても、良くなるって思ってたほうが楽しいですもん」

「そういう、あなたの性格がうらやましいわね」

「ロゼさんに言われると照れちゃいます」

 嬉しそうに笑うアステに、ロゼの悲観が薄れた。

「要は何処で生まれたのか、その証拠が欲しいんですね。うーん、それは結構大変な旅になりそうですよね。ロゼさんの生みの親を探すか、ロゼさんの出生知っている人を見つけるしかない……」

 少なからず、その人達は存在しないとロゼは思っていた。彼女が発見された場所は、人が寄らない廃墟となった遺跡の奥地。はたして、その場所まで子を捨てに行く者がいようか。

「もし、父に旅の許可をもらえたら、俺は親探しの手伝いしますよ」

「手伝う? 自分探しの旅はどうするの?」

「それは、ついでで構わないです。困っている女性をほっとくなんて、紳士としては見過ごせません」

 紳士とは、いったい誰のことだろ。悪いが、いまの彼にはその称号はないだろう。ただ、行動においては本気でやりかねない雰囲気だ。

 アステの心意気に、ロゼは思わず微笑した。

「俺、なんか変な事いいました?」

「いいえ。まあ、期待しないで待つわ」

「もう、そんなこと言わないでくださいよ。少しは期待してください!」

 その後、二人は同時にクシャミをした。二人共全身水濡れなのを忘れていたのだ。

 ロゼたちは濡れた衣服を絞り、適当な岩の上へと広げた。

 日の照りは強く、服が乾くのは早いはずだ。素肌を見せぬよう、お互い離れた位置で背を向けていた。

 衣服が乾くまでの間、ロゼは荷物を確認する。

 食糧のビスケットは水でふやけてしまい、とても食べられる状態ではない。乾燥食品も泥臭さが混じりも口には入れられない。もったいないが捨てるしかなかった。

 当面の問題は、食糧か。旅をするにしても食べ物がなければ続かない。食糧を確保しつつ、アスティア国への進行路を決める必要がある。

 ロゼは地図を確認しようと、再度鞄に手をいれる。

「ん?」

 鞄がブルリと震えた。ロゼは恐る恐る手を忍ばせた、クニャリと弾力のある何かが、指先が触れる。それが何かすぐには気づけなかった。こんな感触をした物を入れた覚えはない……が、記憶の波が押し寄せた。

 ロゼの頬に冷や汗が流れた。慌てて鞄を開き、中からシミリアを引き上げる。

 今日までに起きた波乱な事象によって、シミリアの存在をすっかり忘れていた。

 寒さでブルブルと身震いをするシミリアに、ロゼは背中をさすり抱きしめた。

「ごめんなさい。バタバタしてて忘れてた……」

 シミリアは小刻みに震えパチパチと目を開けて答えた。

 容態は安定しているようだ。ロゼは、胸をなで下ろした。

「ここで温まってなさい」

 シミリアを胸元で抱き。あいた手で水塗れの地図を取り出した。

 平らな表面上の岩に広げてみると、あちこちシワがてきでいた。辛うじて絵と文字は消えずに残っている。なんとか読めそうだ。

「橋から落ちた所の場所からして……今はこの辺かしら?」

 下流に沿って、地図上を指でなぞる。指先が止まった先に、村の名前が表記されていた。

「ダマス村。ここが一番近いわね……手配書が回ってなければいいけど」

 ロゼは空を見上げ、太陽の傾きを確認する。入相まで、あと三時間ほどか。

 急くべきだろう。干していた衣服を着て、ロゼは出発の準備にとりかかった。

「あれは、もう返したほうがいいわね」

 鞄の中からある物を取り出した。それを持って、アステの元へ行く。

「支度はいい?」

「準備万端です! ただ、服が泥臭いのが気になりますね……」

「それはわたしも一緒よ。ねぇ、これはあなたの持ち物よね?」

 アステが兵舎へ侵入したさいに、押収した短剣を見せた。

「それは……ロゼさんが持ってたんですか!」

「井戸の中で気絶してる時に押収したのよ。綺麗な装飾が施されているわね。貴重な物なのかしら?」

「はい。その短剣はだいぶ昔に作られたそうで、何でも契りを交わした際の儀式用として使われてたみたいですよ」

「契り?」

「契約の履行を約束させるために、互いにこの短剣を手にする。約束を破った者は短剣の刃にて絶命すべし。そういう決まり事があったんです」

「随分と厳しいのね」

「まあ、実際には命を取るような事はなかったようです。いまでは、誰もそんな契りは結ばないので、こいつの役目は終わってます」

「そう。でも、古くから伝わる物ですし大事にしなさい」

 ロゼは前屈みに座り、短剣を返した。

「ありがとうごさい……ん、んんっ?」

 アステは眉を寄せた。

 視線は、ロゼの胸辺りで止まっている。それは男の性ではなく、否応なしにロゼの胸へと目が移ってしまう。なぜならば、普段よりも異様に胸が膨らんでいるからだ。

「何?」

「あの、その、なんでもないです」

「えっ?」

「いやー、その何というか……ロゼさんの胸ってそんなに大きかったかなーて」

「胸? ああ、これはね」

 ロゼは服の胸元を伸ばした。膨らみがモゾモゾと動き胸部を上がっていく。そして、ひょっこりとシミリアが顔をだした。

「うわっ!」

 胸元から飛び出てきたシミリアに、アステは叫んだ。

「おっ、お前かよ……びっくりした」

「寒さで震えてたから、服の中で温めてたの」

「そうだったんですか。それにしてもこいつ、けしからん奴です。ああ、もううらやましいです!」

 アステは親指を加え、恨めしそうな顔でシミリアを見ていた。

「どうしたの?」

「いいえ、なんでもありませんよ」

 アステはチッと舌打ちを鳴らした。

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