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愛しき血に王子は触れる  作者: イツカカナエ
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2章「厄介な要人」

「ロゼさーん」

 アステの弱弱しい声が背中を越しに届く。

『またか』とロゼは苦虫を噛んだように、アステの方へ振り返る。ランタンを振らしながら進んだ道を引き返した。

「今度は、なに? 獣でも見た?」

 アステは、ぜぇぜぇと息を吐きながら頷く。

「ちょっと、休憩しませんか?」

「ダメよ。もう少し進んだ先に開けた場所があるから、そこまで頑張りなさい」

「そうなんですか? うーん、なんとか頑張ります」

「荷物が重いから、疲れるのよ。わたしの分まで持たなくていいから自分の荷物だけ運びなさい」

「そっ、それは、男として格好悪いです! 持つといった以上、最後まで責任を果たさせてください!」

 根気があるというより、強情だ。女性を前にして見栄を張りたい男の性というものか。変なところでプライドをもたれても、困るのはわたしだ。

「無理なら、無理って言いなさいよ。動けなくなって困るのは、わたしなんだからね」

 ロゼはやれやれと深くため息を漏らした。

 現在、ロゼたちは森の奥地へと進んでいた。

 本来、この道はロゼ一人で通る予定だった。足元は木の根と草に隔たれ、道中に獣が潜んでいる危険な道だが、自分だけならば、通るのは難しくはない。過去の演習を思い出せば、この程度は序の口である。

 問題なのは、連れがいること。護衛対象がいるのといないのでは、難易度は大幅に上がる。 他に城下外へ抜ける方法として、地下水路を通る事も考えた。しかし、あそこは空気が悪い。アステの軟弱ぶりを見るに、すぐに音をあげていただろう。条件的にこの道を通るしかなかった。

 時折、獣の遠吠えが聞こえた。

『森の中には、野犬が多くでるわ』と事前に説明したせいか、アステは不安に陥り周囲をめぐらしていた。

「ついたわよ」

 木々を抜けると、草地の小さな広場にでた。

「今日は、ここで休みましょう」

 折れた木の幹を椅子代わりに、ロゼ達は腰を下ろした。

 アステは息を切らしながら、草むらの上で尻もちをつく。

「つっ、疲れたー」

 アステは、大の字に寝ころび空を見上げる。息を整えていると、視界にロゼの顔が映りだした。

「はい、水よ」

 ロゼが、水筒を渡してきた。アステは体を起こし、水筒を受け取るなり、ラッパ飲みのごとくゴクゴクと水を流し込んだ。

 相当喉が渇いていたのだろう。あの体力ぶりをみれば仕方はあるまい。しかし、あまりにも体力がなさすぎる。この先が彼が旅の枷にならないか不安だ。

「全部飲まないでよ。水の補給場所は限られている。配分を考えないと後が大変よ」

 ロゼの忠告に、アステは慌てて水筒から口を離す。そのせいか、気管に水が入り込んでしまい、ゴホッ、コボッと咳を打ち鳴らした。

「ちょっと、大丈夫?」

 ロゼは、咳き込むアステの背中をさすった。まるで、慌ただしいい子供の世話係だ。

「急かしい性格なのかしら? 落ち着きなさいよ」

「すっ、すみまっせん!」

 本当に大丈夫なのかしら? どうにも、心配だ。ロゼの不安は積もる一方だった。

 アステの咳が治まるのをみて、ロゼは「小枝を集めてくる」と広場を離れていた。

 初めは、アステが拾いに行くと進言していた。しかし、彼に行かせるのは危険だと判断し、ロゼは即反対する。

「そこで休んでなさい」と母に説かれるように、アステは一人荷物番をしていた。

「俺、頼りないのかな?」

 アステは、星を見上げ自分だけの反省会を開いた。一体に何がいけないのか。張り切り過ぎているのが良くないのか。自問自答していると、近くから物音が聞こえた。

「なんだ、いまの音は?」

 アステは、聞き耳をたてる。物音は、なめし皮状の鞄から聞こえてきた。

「コレはロゼさんの鞄だよな?」

 目を凝らしてみると、鞄の中で何がモゾモゾと動いていた。

 アステは気になって鞄の紐を掴み引き寄せる。いざ、鞄の中を開けようとしたが、途中で手を引っ込めた。

「まてまて。女性の物を勝手に開けるなんて最低じゃないか? いや最低だ。下品な奴だ……だけどなー」

 ああ、ダメだ! 気になって仕方がない。欲求は理性を殴り飛ばした。 

「すみません、ロゼさん!」

 持ち主不在の中、鞄を開けた。

 ザッザッと草をかける音が、背後から聞こえる。

 ロゼが、戻ってきたのかとアステは素早く鞄を離し両手をあげた。

「すいません! つい出来心で!」

 アステは大きく息を吸い、ぎこちなく後ろを振り向く。

「中はまだ見てません……よ?」

 アステは目を丸くした。そこにロゼはいなかった。代わりに、森の中で何度も耳にした遠吠えの主が、草陰から顔を出して、アステを睨みつけていた。

「あっ……どうも、こんばんは」

 友好的な挨拶をするも、相手は完全に無視。あの目は完全に獲物を狙う目だった。

 獣と対峙したとき目を背けてはいけない。ある厳つい講師の授業が思いだされる。

 ここは弱気になってはダメだ。負けじと、アステは睨み返した。

 獣はソロリとした足取りで草陰からはい出てくる。

「あのー、俺を食ってもおいしくないですよ! 骨と皮しかないので」

 とりあえず説得を試みるも、当然無視。野犬は千鳥足でアステとの距離を詰めてくる。

 アステは両目を力ませ、野犬にガンを飛ばし続けた。異様なまでの睨みに、さすがの野犬も足を止める。

 アステはゴクリと息を飲んだ。顔を前に向けたまま、腕を背後にまわした。野犬が襲いかかった場合を想定して、武器を構えようとした。

『まだ来ちゃダメだぞ』

 ベルトにつけられたホルダーに指先が引っかかる。

『あれ? あれ!』 

 アステの顔は途端に曇りだす。予期せぬ事態に顔に脂汗が流れだした。

『探検がない』

「ウソでしょ!」

 焦るあまり、アステはつい顔後ろ向きにホルダーを見てしまう。

 獣から目をそらしてはいけない。視線を外すことは、背を向けて逃げるのも同じ。スキを見せた獲物に、ハンターは容赦なく狩りにくる。

 迫りくる足音。アステが正面へ戻すと、野犬は飛び掛かっていた。

 頭の中に走馬灯が流れる。迫りくる野犬の動きが、ゆっくりに見えた。時間は遅く流れていく。

『死ぬ?』

 地面に叩きつけられた後、喉元を噛みきられる。息はできずに窒息。息絶えた後は野犬のディナーだ。そんな未来が頭の中を駆け巡る。

 その刹那、野犬は「ギャウ」と悲鳴をあげ、地面へと転がり倒れた。

 四足をばたつかせ転がるように野犬は立ち上がり、怯えた様子で森の中へと逃げていく。

 何が起きた? アステは困惑していた。地面を見ると、野犬が飛び掛かってきた場所に、小石が転がっていた。

「無事かしら?」

 草を掻きわける音。ロゼが小枝を抱えて森の中から戻ってきた。

「野犬に襲われるなんて運がないわね。それとも、あなたがよほどおいしそうに見えたのかしら?」

「ロゼさん!」

 主人の元へち嬉しそうに駆け寄る犬がごとく、尻尾の代わりに手を振りながらアステはロゼに駆け寄った。

「さっきの石は?」

「わたしが投げたのよ」

「やっぱり! 凄いですよ、ロゼさん! まさに名手です。もう、本当に助かりましたよ。ロゼさんは、俺の女神です!」

 アステはこれでもかと、賞賛の言葉を贈る。

「女神は言い過ぎよ……怪我はしてない?」

「ピンピンです!」

 なんて元気なのだろう。つい先まで危険な目にあっていたというのに、怯えも恐怖ない。

 彼はきっと楽観的性格なのだろう。それはある意味でうらやましいことだ。悲観ばかり考えるわたしにとっては……。

「ん? ロゼさん、頬に何かついてますよ」

 アステに指摘され、ロゼは頬をさする。

 手の平を見ると指の腹に、赤い血がついていた。

「草木で切ったのかしら? 気づかなかったわ」

「傷! あああっ、いけない!」

 アステは血相を変え、顔を突きだした。アステの切迫した顔に押されて、ロゼは目を瞬かせる。

「すみません! お顔をおかりします」

 ロゼの頭がアステの両手に挟みこまれた。

「なっ、何をするの!」

「手当てします。動ないでください!」

「手当なんていいわよ! 大した傷でもないし自然に治るわ!」

「いますぐ治させてください! 美しい顔に傷跡が残るは嫌です!」

 自分がケガをしたわけでもないのに、なぜこんなに必死で手当をしようと訴えるのだろう。理由を教えてもらいたい。が、いまはそれどころではないだろう。彼に治療をさせてはいけない。

 アステの手を振り払おうと、ロゼは頭を揺すり動かした。

「動いちゃダメですよ!」

 アステは、ガッシリとロゼの頭を押さえてくる。細い腕なのに腕力は強く、ロゼは肩をあげた。

「放しなさい、手が汚れるわよ!」

「配慮ありがとうごさいます。でも、心配はいりません。俺は治癒魔法が使えますからね。傷口に触らずに治せますよ」

 アステは、誇らしげに胸を張った。

「治癒魔法? あなた、ウエスなの?」

「そうです。母がウエスの血筋なんですよ。ただ、父親はウエスの血筋ではないので、自分は半血ですけどね。でも、腕ではそれなりにあると自負します。任せてください」

 アステは治療魔法を使えるのか。この国では珍しい銀の髪と、ウエスの血筋は銀の髪が多いことから、信憑性は高い。しかし、それは問題すべきことではないだろう。問題は、治療をうけなければならない雰囲気にある。この状況をロゼは恐れていた。

 治療させたとして、何かの間違いで血を触れさせてしまったら取り返しがつかない。しかし、拒否したところでアステの性格上、執拗に迫ってくるに違いない。

 彼の目には「治療をさせろ」と訴えている。

 頬の傷口から流れている血の量はさほどなく、ほとんど固まりかけていた。

 アレを知らなければ、不幸にはならないだろうか。これ以上の断りは変に怪しまれる。さっさとやらせてしまった方が良いとロゼは判断した。

「絶対に傷口には触れないのね?」

「神に誓って。なんなら、俺自身で試してみますか?」

 アステはロゼの剣を指さした。

「そいつで、俺の腕で切ってください。ちなみに軽くで、お願いします。傷が深いと、治療どころではないんで」

 アステは裾をあげ腕を差しだした。

 実例を見せてまで、治させたいのか。彼の本気な態度に意図が読めず、ロゼは負けたと顔を俯かせた。

「いいわよ、そんなことしなくても」

 無防備な人間を切るなどできない。たとえ、懇願されようとお断りだ。

「治療してくれる?」

 ロゼは、震えた口調で頼んだ。

「まかせてください!」

 アステは気合いをいれるがごとく、胸を叩く。ああ、不安だ。

「じゃあ傷をこちらに見せてください」

 言われた通り、顔を横に向かせた。

 アステは切り傷の上に両手を重ね、ゴニョゴニョと呪文を唱え始める。

「風よ、この者の痛みを和らげよ。癒やしの風」

 アステの手の内から緑色の光が現れる。魔法が発動した。

「んっ」

 傷口の辺りがムズムズとする。ピリピリと弾ける音とともに、傷口が頬を伝って塞がっていく。

「よし。上出来!」

 治療はほんの数十秒で終わった。アステは重ねた手を離し、満足げに笑みを見せた。

「どうです? 傷口が綺麗に消えたでしょ?」

 ロゼは傷口の場所を指でさする。凸凹とした感触はなく血のべたつきも痕もない。

「痛みは少し残るかもしれませんけど、触らず一日放置しとけば完全に治りますよ」

「そう……ありがとう」

 お礼を言うと、アステは照れた様子で頭の後ろを撫でた。

「ただのお気楽者と思ってたけど、あなた凄い力があるのね」

「いやー、そんなに褒められるようなものじゃないですよ。純血の人ならもっと早くパパッと治せますしね……俺は半端者です」

「ご謙遜ね。それでも十分よ。治癒魔法が使えるだけで、万人に喜ばれる……うらやましいわ」

「そっ、そうですかね! ロゼさんがいうなら、そう思っていいのかな?」

「自信を持ちなさい。それは、誇れることよ。いっその事、情報屋を辞めて治療にかかわる仕事に就いたらどう?」

 アステは顔を俯かせ、

「……まあ、難しいと思いますけど考えてみますよ。あっ、火は俺が点けます、ロゼさんは休んでください」

 アステは、気合いを入れんと腕をまくる。嬉遊とばかりに小枝を重ね、灯石で火をつけにかかった。

 ロゼは黙ったまま見守る。しかし、枝に火は移らず。下手なのだろう。何度も挑戦するアステを見かねて、ロゼが火をつけることになる。

 ロゼが火を点ける傍らで、アステはシュンと気を落としていた。



 馬車に乗っていたときだ。

 別国で用をすませ、国を帰ると途中だった。

 峠道で落石があった。

 石は馬車と衝突し、大きく横転する。

 衝撃のあまり、少しの間意識が飛んでいた。

 目が覚めたとき、馬車は酷い有様だった。

 馬と綱引きの使用人は直接大岩にぶつかったのだろう即死だった。

 自分は馬車から放り出されていた。幸い、擦り傷の片腕の骨が折れたたけで済んだ。

「いない……」

 周りを見渡す。しかし、もう一人荷馬車に乗っていたはずの女性は見つからなかった。

 自分は慌てて、半壊した荷馬車へと走った。

 扉を壊し、中を見る。そこに、もう一人の乗車人がいた。

 その人は、うなだれるように顔を伏せていた。僕か何度も彼女の名を叫ぶも目は覚めない。

 僕はすぐさま彼女の息を確かめた。僅かながら、脈はある。

 彼女を馬車から離れさせようと、体に触れた。そこでようやく、彼女の容体が重傷であると知った。

 座席は赤い血の池が貯まっていた。彼女の腹部には木材の断片が突き刺さっていた。

 血を止めなければならない。必死だった。自分ができる限りのことをした。

 でも……自分の手は真っ赤に染まっていた。

 彼女が最後に呼びかけてくれた名を最後に、彼女は息を引き取ったのだ。

 僕は、母を失った。僕が半端者がゆえに、死なせてしまったのだ。

 僕は、役にたたない人間なんだ……。



 朝の訪れは、男の悲鳴と共にやってきた。

 ロゼは起き上がり、叫び声の主を見る。

「なっ、なんだ、お前!」

 アステは足を大股に開き腰を引かせている。

 ロゼは目をこすり、アステの足元を見た。

 黄色い両目に黒い容姿。シミリアが逆毛をたてながら、アステを威嚇している。

「どっ、どっから湧いてきたんだお前は!」

 アステと、シミリアは両者ともに睨み合いを続けていた。

 早朝から何をしているの。ロゼが呆れた様子で諦観した。

 シミリアがお尻を上げ、アステの胸元めがけて跳びかかる。

「うお!」

 シミリアの突進を受け止める。しかし、跳びかかった勢いのある突進に負け、アステは仰向け倒れた。

「おわっ! こら、服に入るな!」

 続けざまに、シミリアはアステの体に張りつき、服の中へともぐりこむ。じゃれるがごとく、アステの全身をまさぐりだす。

「くっ、くすぐったい! あはは! やっ、やめろ! あはは!」

 アステは足をばたつかせ、笑いこけていた。

 朝から元気な人だ。ロゼは、目の前にいる一人と一匹の戯れを止めにはいる。

「おはよう。眠れたかしら?」

「あはは、ロゼさん、はは、これなんとかしてください!」

 笑い交じりのせいで、アステの声がうまく聞き取れない。たぶん、助けて欲しいと言っているのだろう。

 ロゼは、「失礼」とアステの服の中へ腕を潜らせた。

 アステの笑い混じりの悲鳴をあげる。ロゼは黙々とアステの服の中へと手を潜らせ、シミリアを捕らえた。

 服の中からシミリアを引きぬく。アステの笑い声が止まり、地面にあげられた魚のようにぐたりと倒れた。

「捕ったわよ」

 アステは瞳に涙を浮かばせ、息を荒らげる。これだけで、今日一日分の体力は使い果たしてしまったのでないか。ロゼの心に雲がかかる。

 アステは呼吸を整え、フラフラと起き上がる。

「ろっ、ロゼさん!」

「はい、朝食よ」

 ロゼは、ビスケットを手渡した。アステは流れるように受け取り、

「あっ、ありがとうございます。丁度お腹が減ってて……じゃなくて、そいつは何なんですか?」

「シミリア」

「はい?」

「この子の名前よ」

 シミリアを両手で持ち上げ、アステに見せつけた。

「こいつ危険じゃないですか? 俺のことをいきなり襲ってきましたし……」

「無害よ。この地方じゃ、愛玩動物として飼われているの」

「えっ? じゃあ、こいつはロゼさんが飼っていると?」

「そうよ。この子が迷惑をかけてしまったわね。ごめんなさい」 

 ロゼが飼っている聞き安心したのか、アステはシミリアへと顔を近づけた。

「あー、よく見ると愛敬がありますね。特にこの大きな黄色の目が、かわいいような……」

 親しみのある顔から、訝しげな顔へと移り変わる。アステは、シミリアをマジマジと見始めた。

 まさか、シミリアの正体に気づいた?

 アルマルタ国外の者で異形の者を知る人は少ない。異形の者による被害は、アルマルタ国内だけで起きたこともあり、国外ではあまり知られてはいない。

 さらに、実際に異形の者の姿を見た者は、討伐担当の兵士を除いてはごく一部だけ。特徴を細かく知っている者は圧倒的に少ない。しかし、アステは情報屋。もしかしたら、異形の者についての情報を持ち得ているのではないか。

 話をきりあげようと、何も無かったようにロゼはシミリアを鞄の中へ潜り込ませた。

「食事を終えたら、これから道順を説明するわね」

 ロゼは鞄をアステの目に入らぬように遠ざけた。

 アステは、ビスケットを齧り食べているものの、シミリアが気になるのか鞄に視線が集まっている。

 とっさの嘘は一時的に効果はあるが、長くは騙せない。国境に着くまで、シミリアについて話題にならぬように気をつけようと心に決めた。

 食事を終え、ロゼは鞄から地図を取り出した。

 地図を広げ今日の目標地とする道のりをアステに説明する。

 ロゼの説明に対して、最初の方はうんうんとアステは頷いて聞いてはいたが、道が荒れている、勾配がある、距離が遠いと知るなり、頷きは減り笑顔が消え、渋い表情へと変貌していく。

 説明を終え、アステの様子を見るなり、ロゼは予感した。これは、道中幾度となく休憩をはさむことになるだろうと。



 日は真上へと位置づけ、道を急ぐ民を照らした。

「ロゼさーん」

 ほら、またきた。城下を離れて以降何度目だ。アステは女々しい声で呼びかけてくる。

「なにかしら?」

「もう結構歩いていますけど、あとどのくらいで町に着きます?」

 さきほども似たような問いを聞かされた。今度は何と答えるべきだろう。

 ロゼたち一行は街道を進んでいる。出向当初からいままで『まだ遠い』と答えたていたが、そろそろ見える成果を示すべきだろう。アステの気力が落ちてしまう。残りの距離を視覚的に分からせるため、ロゼは遠方を指さした。

「あそこに橋があるでしょ。そこを渡たれば目と鼻の先よ」

 アステは足を止め、遠い目で差した方向を見る。

「あのー橋なんてありますか?」

 ロゼの指さした方向を見渡すも、橋らしきもの姿はない。見えるのは広大な草原と山脈だけだ。

「あるわよ。ここから、少し遠いけど」

「俺の視力じゃ、見えませんよ……」

 アステは、弱音を漏らし背中を丸める。橋があるのかは分からない。ただ、道のりまだまだ遠いという事実に、足取りが重くなる。

 道中、ロゼたちに会話はなかった。話がのらないというわけではなく、あえて会話をしなかった。会話をすることで気を紛らわす効果はあるが、その分彼の体力が消耗してまうと思い、結果的アステにかけた言葉は、励ましの言葉だけだった。

 小休憩を数回と交えながら、一行は街道を進み続けようやく橋が拝める距離まで近づいた。

「待った。誰かいる」

 ロゼは、橋を注視する。

「どうしたんすか?」

「兵が検問してるわ」

「検問?」

「あの兵装は……アルマルタ国の兵じゃないわね」

 橋の上になびく旗の文様は青色だ。その色を背景色に竜の文様が描かれている。あれはアスティア国の旗だ。

「変ね……」

 アルマルタ国領域内で、なぜ他国の兵士か検問を行っているのか。普通ならありえないことだ。

「……普通じゃない?」

 国旗とは別に他国への通行の許可を示す旗が見える。あの旗は外交へ行く際に掲げられている。となると、あれはアスティア国の来客者に付き添っていたのは直属の護衛兵ではないのだろうか。

 より一層深まる疑問。さらなる疑問に、ロゼは頭を悩ませた。

 何かしらの理由で、アルマルタ国が許可を出しているのか。仮に許可をだしているのなら、その内容を知る必要性はある。この先にも検問があるとなれば、その対処を考えなければならない。

 重大な事件が起きていると想定はできる……が情報がたりない。

 危険だが、行動に移すべきだろう。

「とにかく情報を集めないと……ん?」

 そういえばと、ロゼは振り返る。アステは前屈みに座り、荒い呼吸をあげる。

 ああ、思いあたるフシがある。それも、ものすごく近くにいるのを……。

 ロゼの視線に気づいた、アステが疲労の顔を浮かばせながら目線を上げた。

 目と目が合う数秒の間のうちに、アステは左右に見渡してから、自分の顔を指さした。

「もしかして、俺のせいですかね?」

「そうかもしれないわね。あなた、アスティア国にも追われているの?」

「いや、アスティア国に追われるなんて、それはないと……ああ、いや、まっ、まあ情報屋ですから。色々な国の情報を持ってますんで、追われますね。たぶん」

 アステは他人事のように笑う。こちらは、笑い事ではないのだが。

「でも、俺を探してるとは限らないですよね。何で検問してるのか聞いてみましょうよ」

「バカ! 自ら首を差し出してどうするの。捕まりに行くき?」

「あっ、そっか。じゃあ、橋を渡ってきた人に聞くのはどうです? 兵士に何を聞かれたのかって」

 アステの提案は妥当だろう。ロゼたちは兵に見られぬよう橋から距離とり、人が来るのを待った。

 数人と橋を通り過ぎていく。ロゼは声をかけるべき相手を決めていた。

 狙いは商人だ。

 ほどなくして、積み荷をつんだ馬車がやってくる。

「来ましたよ」

 身をのりだそうとするアステに、ロゼは手で制止させた。

「フードを被って顔を隠してなさい。わたしが訊いてくる」

 アステを待機させ、ロゼは道の真ん中へと出た。

「すみません。止まってください」

 道の脇から手を横切らせ、商人へと声をかける。

 商人は馬の手綱な引き、馬を止めた。

「何ですかな?」

 口ひげを生やした商人は、道を急いでいるのか、不機嫌そうに応えた。

「時間をとらせて、申し訳ございません。橋の方で聞かれたと思いますが、ここでもう一度、確認をさせていただいています」

「ん? あんたも兵士なのか?」

 商人は眉をひそめる。ロゼの身なりを上から下へと眺めた。とても、兵士には見えない。

 恐らく商人はそう思っているだろう。

「ええ。外回りの調査をおこなっている者でして、急な召集でこのような軽装な身なりになっております」

 商人は顎下の髭を撫でながら、ロゼを見る。怪しいと感じてか警戒はしている。

 しかし、時間という枷が商人の思考を拒んだ。

「先ほど聞かれた風貌の男に見覚えはない」

「そうでしたか。あちらの方では、お伝えしてない容姿の追記がありまして、金髪の男を知りませんか?」

「ん? さっきは銀髪といっていなかったか?」

「もう一人いるんですよ。二人組で……銀髪の男と金髪の男が。容姿が似ているそうでして」

「ふむ……知らんな。金髪の男も、銀髪の男も覚えは無い。それで聞くことは終わりか? 日が暮れる前に、この荷物を領主様に運ばなければならんのでな」

「はい、確認はこれで終わりです。ご協力ありがとうございます。なお、ここでの事はご内密にお願いたします」

「橋の上でも、同じ事を言われたよ。アスティアとアルマルタが共同で捜査しているんだろう? まあ、ワシにはどうでもいいことだ」

 商人は手綱をあげ、もう行ってもいいかと視線を送る。

 ロゼは、道の脇へと避けた。商人はすぐさま、手綱を叩き馬車を進ませた。

「困ったわね……」

 検問の兵士は、人を調べている。しかも、アステを探している可能性が高い。

「ロゼさん、どうでした?」

 商人が離れるのを見計らい、アステが寄ってきた。

「人を捜査してるみたいね。詳しい容姿は聞けなかったけど、髪の色は銀髪をしてるらしいわ」

 アルマルタ国及び、他の国全体を通して見ると髪の毛の色は金か茶色の者が多い。銀髪の者は少数派だ。アステの髪は銀髪。対象に当てはまっている。

 ロゼは、首筋をさすった。次の一手に頭を悩ます。

 難儀な顔を浮かべるロゼに、アステは手助けしなければと案をだした。

「迂回できる道を通るのはどうですか? 多少の遠回りには覚悟します」

「別道があればね。残念だけど、この橋以外で国境越えられる道はないわ」

 鞄から地図を取り出した。

「いま、わたしたちかいるのはここ。そして、アルマルタ国からアスティア国の国境沿いはここよ」

 地図の上を指でなぞっていく。指し示した場所には、アルーヌ橋と表記されていた。

「国境へ向かうには、どうしてもこの河川を超えないといけない。それで唯一この河川を越えられるのが、その橋ってこと」

「……」

 アステは地図を眺めたま、反応がない。

「ねぇ、聞いてる?」

「えっ、あっ、もちろん聞いてますよ! 一番近い国境はアスティアなんですよね。こっちのメバル国側には行けませんか?」

「メバル側の道は天候の変化が激しいの。それに山を登らないといけない。いまの手持ちでは、到底無理ね」

 アステの身を守る以上、危険性が高い道を通るわけにはいかない。ロゼは即座に拒否した。

「とりあえず、この橋から離れましょう」

 近くの町で引き返し、宿をとってから作戦を立てようと提案する。

「町までどのくらい距離がありますか?」

「結構長いわよ。日が落ちる前につければいいわね」

 息を荒らげ、クタクタに歩く姿でも予想したのか、アステの顔はどんよりと陰る。

 ロゼは、気合いを入れなさいとアステの背中を叩いた。

 二人は来た道を引き返しにかかる。

 しかし、悪魔の嫌がらせか、計画は頓挫し始めた。

 ロゼの目に人が映りこむ。通ってきた街道沿いを、馬に騎乗した兵らが前進している。進行先は橋の方だ。こちらに向かっている。

「間が悪すぎよ」

 疫病神に取り憑かれているのか。どうにも、悪い方へと進んでいる気がしてならない。

「今度はアルマルタ国の兵士よ。こっちに来てる」

 こちらとの距離はまだ遠い。視認はよくできないだろう。だが、それも時間の問題だ。半時には見つかってしまうだろう。

 このままでは橋側との挟み撃ち。退路が断たれてしまう。ロゼは歯を噛みしめた。

 考えるに、いますぐここから逃げるべきだろう。しかし、この場所は平地。不用意に動けば、目に留まり追いかけてくる可能性がある。馬が相手では、走ってもすぐに捕まってしまう。

「ロゼさーん」

 ロゼの横脇からアステが呼びかける。しかし、ロゼは思考するので精一杯。耳に届いていない。

「ロゼさん!」

 アステの声が左耳から右耳へと通り抜ける。ロゼはつま先をたてて、

「いきなり大声をあげないで! 耳鳴りがしたわ!」

「すみません。でも、早くアレを伝えないと思って……」

「アレ?」

「はい。兵士がこっちに来てます」

「わかってるわよ。それをどうするか、いま考えてるの!」

「そっちじゃなくて、あっちです」

 アステは、橋の方を指さした。一人の兵士が怪訝な顔を見せながら、ロゼたちの方へ向かってくる。

「災難続きね……」

 アステを座らせ、茶色のフードマント帽をかぶらせた。

「帽子は脱がないように。それと、コレを顔に巻き付けておきなさい。いますぐ!」

 ロゼは鞄から包帯を取り出し、アステの手に渡した。

「相手をしてくるわ」

「まさか、剣を交えるんですか!」

「場合によってはね。最悪、強行突破もありえるわ」

 ロゼは、胸に手をあて深呼吸をした。

 悠然と怪しまれぬように冷静な顔つきで、兵士と対峙する。

「そこの者」

 兵士が呼びかけると、ロゼは落ち着いた声で対応する。

「なんでしょうか?」

「さっきほどから、そこで何をしている?」

「すみません。橋を渡ろうとしていたのですが、連れの者の体調が悪くなり、休ませていまして……」

 兵士は小首をかしげ、ロゼの後方を指さした。

「あの者のことか?」

「はい。いまは、だいぶ落ち着いてきたので大丈夫かと。お騒がせて、すみません」

 ロゼは目を伏せ、頭を下げた。

「そうか……いや、ただ不審な動きをしていたように見えたのでな」

 ロゼは顔をあげ、兵士へと乞うような瞳を送った。

 無自覚。意識はしていないのだが、その仕草は妙に男の胸をドキリとさせた。美形な顔立ちもさりながら、妖艶な魅力がロゼにある。初対面の相手には効果覿面だ。

 兵士は顔をそむけ、空咳をうった。

「少々聞きたい事がある。この者をみたことはないか?」

 兵士は手配書を見せた。

 人相は、描かれてはいない。文章によるの記載だけだ。ざっと見るに、アステと似つかわしい容姿の詳細内容が書かれていた。身長に、容姿、目の色、顔立ちとほとんどが当てはまる。

 ロゼは考える素振りを見せてから答えた。

「わたしの知る限りでは、見覚えはありません」

 兵士はロゼを一瞥し、

「そうか知らないか……」

 兵士の目つきが柔らかくなる。警戒が薄れた。

 ロゼは、静かに息を吐いた。顔は平然を保っているが、内心は強い緊張を強いられた。

「上からの命でな、橋を渡る者は顔を全て確認するように言われいる。連れの体調が悪い所すまないが、顔を拝見させてもらってもよいか?」

 顔の確認は絶対か。ロゼは唾を飲みこんだ。

「構いません……ただ、ある事情であまり長い時間は顔をだせないのです。そこは、ご配慮をお願いします」

 ロゼの意味深な発言に兵士は気をとめながらも、何も言わず彼女の後をついていく。

 アステが座り待つ場所から離れた位置で、ロゼは立ち止まった。

「事情を話してきます。ここでお待ちを」と、兵士を待たせた。

 駆け足でアステに近づき、中腰に屈みこんでは耳元で言を伝えた。

「巻き終わった?」

「はい。でも、即興で縛ったので、ちょっと緩いです」

「顔が隠せているならいいわ」

 ロゼは腰をあげ、兵士を呼びよせた。

「悪いが顔を見せてもらうぞ」

 アステはコクリと頷き、自らフード帽を脱いだ。

「なんと……これは」

 兵士は口を開き唖然とした。

 アステの顔は何重にも包帯が巻かれていた。目元と口元が僅かに見える程度で、顔の判断はつかない。

「ケガでもしたのか? それとも病気か?」

「彼は生まれつき重度な疾患もちでして。体の病弱に加えて、肌の荒れはひどく、特に顔は爛れてます。介護をしているわたしでも、直接目にするのは堪えます」

 ロゼは目を伏せて、頭をふった。兵士は、指で唇を拭った。その様子を見て、ロゼは確信した。兵士の感情に釘が刺されたと。

「接触による感染の可能性もあると医師に言われております。それと、日の光は浴びると病状が悪化すると……包帯はすぐに巻き直させてもよろしいでしょうか?」

「あっ、ああ、いや、包帯はとらなくていい。顔が分からなければ確認する意味がないからな。落ちついたら、橋を渡りなさい。他の者には顔を確認したと伝えておく」

「重ね重ねのご配慮、ありがとうございます」

 ロゼは頭を下げた。兵士は気まずさを感じ、おとなしく回れ右をして引き返していく。

 峠は越えた。ロゼは胸をなでおろす。胸に手をあて落ち着きを取り戻そうと、ゆっくりと息を吐いた……が、先の兵士の元に別の兵士が走ってきた。

 嫌な予感がする。それは間もなく、やってきた。あとにきた兵士の手には手配書のようなものが見えた。それを先の兵士の前で広げ、何かを説明している。

 説明の途中、先の兵士がチラチラとロゼたちの方を伺いだした。

「なんか異様にこっちを見てません?」

 ええ、そうね。おそらく、あの兵士は疑っているに違いない。先ほどとは打って変わって兵士の目つきは鋭角に変わっている。その視線はロゼに向けられていた。

「わたしを見てるみたい……」

「ああ、それはわかります。ロゼさんは美人ですからね。何度も見返したくなりますよ」

 アステはうんうんと緊張感もなく嬉しそうに頷いていた。

「どうやったら、そう思えるのかしらね……走る準備をしなさい」

 この状況、無事に通過するの無理だ。ロゼは、マントの内に隠していた剣を確認する。いつでも引き抜けるように準備をした。

 二人の兵士が仰々しい顔つきで戻ってくる。ロゼの前に立つと、

「再度確認したいことがある。いいか?」

 先ほどの兵士が高圧的に尋ねてきた。

「どうなされました?」

 ロゼは態度を変えず、落ち着きのある声で返す。

「ロゼ・エミールという者の名を知っているか?」

「……ロゼ・エミールですか?」

 ロゼは、言われた名を読み返す。目先をあげ考えるそぶりをした。即返答は疑惑感を持ち上げてしまう。あくまで冷静に、怪しまれぬように呼吸を常に整えようとする。

 しかし、ロゼの行為は意味をなさなかった。後ろにいたアステが、「えっ!」と声をあげ、不自然なほどに体を揺らしてしいた。

 ロゼは歯をかみしめ、『この、大馬鹿者!』と心の中で叫んだ。

 ああ、もう頭を抱えたい気分だ。兵士らの警戒心はよりいっそう上がっていく。

「そうか……なら、この顔に見覚えはないか?」

 兵士は手配書の両端を引っ張りロゼに突き付ける。ご丁寧にも今度の手配書には、人相画付きだ。

 不愛想で、目に光がない。静かに怒っているようにも見える。傍から見ると、わたしは、こういう顔をしているのね。

 誤魔化しようがない。ロゼは諦めたように顔を俯けた。

「無断による職務放棄、及び誘拐容疑でアルマルタ国から布令が届いている。拘束させてもらうぞ」

 兵士はロゼの片腕をつかんだ。ロゼは抵抗する様子もなく、顔を下げたまま片腕を引き上げられる。

 兵たちは互いに見合わせた。後から来た兵士が頷き、ロゼのもう片方の腕を拘束しようと、手を伸ばした。

 ロゼは視線を上げる。

(まだ、諦めてはいない)

 掴みかかる兵士の腕を、ロゼは逆に掴み返した。

「貴様、何を——」

 兵士のは前屈みに体勢を崩した。ロゼは掴み返した兵士の腕を手前に引き込み、途中で手を放した。

「うぉっ!」と兵士は足をもたつかせ、盛大に地面へと口づけをする。

 一瞬の出来事に、もう一人の兵士は呆然と立ち止まっていた。

 その隙を、ロゼは逃さなかった。掴まれた腕を、懐に寄せては兵士の下に潜り、空いた腕を兵士の脇下からかち上げ、ロゼの背中を超すように投げ飛ばした。

「おおっ!」

 兵士の足が地から離れる。体は宙を回り、背中から地面へ叩きつけられた。

「走りなさい!」

 ロゼは手を払い『進め』と、アステに促した。

 ロゼが先頭を走り橋を渡たる。続いてアステがロゼの後を追う。

「ロゼさん……速いです!」

 ロゼとの距離がどんどん離されていく。アステは追いてかれまいと、懸命に腕を振った。あまりにも必死だったのだろう。顔に巻き付けた包帯が徐々にほつれている事に気づいていなかった。

 橋を渡りだしてすぐに、後方から汽笛が鳴りだす。先の兵士らが笛を吹いたのだろう。早い対応だった。

 ロゼは、後ろへ振り向いてアステを見る。片目を半幅に閉じ、苦しそうに走りながらも何とかついてきている。

「後ろから追ってきてる。頑張って!」

 アステの後方からは、槍を装備した兵士が憤怒の顔で追いかけてきている。随分とお怒りのようだ。タダでは許してはくれないだろう。

 再び正面を見ると、橋の中央付近に三人の兵が横並びに道を塞いでいた。

 強行突破しかない。ロゼは走りながら剣を引き抜いた。

「止まれ!」

 前方の兵士が槍を突きだし待ち構える。

 だが、止まる気はない。ロゼは剣を強く握る。

「どきなさい!」

 機敏な動きで槍と槍の間をすり抜ける。

 ロゼは背を屈め槍の持ち手を狙い剣をあてつける。弧を描くように剣を横へ押し流し槍を払いのけた。

 一人の兵が大きく足をよろけさせ、隣の兵士へとぶつかっていく。連鎖するように、また隣の兵士へとぶつかり、段々と横倒れになった。 

 ロゼは、遅れるアステを待った。アステは息をつまらせながらロゼを追う。加速する力はなく、いまにも倒れこみそうな状態だった。

「アステ、頑張って」

 激励を送り、ロゼは再び走り出す。

 アステは歯をくいしばり、積み倒れている兵士の山を飛び越えようと足を踏み切った。

「あっ……」

 飛距離が足りない。着地点には、兵士の手がある。

 宙を飛んでいる状態からの方向転換はできない。

 グキリと足がくじきながら、兵士の手を踏みつけてしまった。

 踏みつけられた兵士は絶叫をあげ、アステは転び顎を打ちつけた。

「何をしてるの!」

 倒れたアステを見て、ロゼは急いで引き戻る。

 アステは、顎を撫で急いで起き上がろうとした。

「ん?」

 足首に圧迫感がある。アステは自分の足を見ると、先ほど踏みつけた兵士がアステの足首を掴んでいた。

「はっ、放して!」

 アステは兵士の手を振り払おうと足をばたつかせる。しかし、兵士も負けじと両手でがっちりと掴み返してくる。そうこうしている間に、他の兵士らが立ちあがりの気配を見せた。

「あーしつこいよ!」

 兵士の手を振り払おうと、アステは無我夢中で体を跳ね揺らし続けた。

 しかし、この行動は悪手だった。体の揺れは、頭部へと及ぶ。巻いていた包帯がハラハラと離れ、すべて橋の上へ流れ落ちてしまった。

「動くな!」

 一人、二人と倒れていた兵士が加勢してくる。アステは両肩を掴まれ、膝を地面へと着かされると、無理やり上半身を起こされた。

「おとなしくしろ! この――」

 アステを取り押さえた兵士は、口をあんぐりと開けたまま言葉を見失った。

 石化の目を持つ化け物を見てしまったかのように、声を失い、「あっ、あっ」と短く声を鳴らした。

「あっ、あなたはアスティア王子!」

 兵士が発した名称は、他の兵士へと伝染し、その場にいる全員が動きを止めさせた。

 まるで時が止まったかのように、誰一人として動かない。いや、動きようがなかった。

 アステ救出に駆けつけていたロゼの目には異様な光景が映っていた。

 兵士達の様子がおかしい。ロゼは奇怪に思うも、好機と割り切り、兵士の背後に向かって当て身をかました。

「放れなさい!」

 ロゼは剣を振り回し、次々と兵を払いのける。アステを拘束していた兵士を遠ざけると、ロゼはアステの手を握って、一気に引き起こした。

「足を止めない!」

「は、はい!」

 兵士らの士気は冷めていた。動きが鈍くなっている。何があったかは知らないが、とにかくこのすきに、橋を突破するしかない。

 数秒遅れて、また後方から汽笛が鳴る。橋の三分の二を通過すると、出口側の方から兵が迫ってくる。

 あと何人の兵がいるのか。一度対処できるのは、五人が限界だ。それ以上の数相手だと、無傷での突破は難しい。

 幸運にも前方にいる兵数は四人だ。対処できるギリギリの範囲だ。

 ロゼは、突進するように足を速めた。

「ちょ、ロゼさん。速すぎ!」

 ロゼの足取りに合わせられずアステの足が浮き立った。

 浮き沈みの繰り返し。靴先が何度も地面を擦っていく。

 ロゼは、気にも留めずアステを引きずり続ける。

 しかし、その状況を気にすべきだった。橋の表面は全て平らにはなっていないのだ。

 アステの靴先が、段差へと引っかかる。急速停止による反動でロゼの体は後ろへと反れだす。

 アステに引っ張られるように、ロゼは空を仰ぎながら倒れる。同時に、アステは顔をうずめるように不時着した。

 二人が立ちあがる間もなく、兵士達によって包囲された。

 胸元に青い羽が付けた兵士が、一歩前へ出る。倒れたロゼ達の前で、手配書を広げ大きな声で読み上げた。

「ロゼ・エミール、王子誘拐の容疑でお前を拘束する!」。

 告げられた内容に、ロゼは戸惑いを覚えた。

 自分を追うべき罪は無断脱走に対するもの、または、手配中の男を逃がす手助けをしたため。そのどちらかと、思っていたからだ。

 王子とは誰を指しているのか。その対象は一人しかいない。ロゼはその人物に顔を合わせた。

「あなた、王子なの?」

 ロゼの目に追われて、アステは逃げるように視線をそらした。

 返事が無くとも、その行動は「はい」と答えているようなものだ。

 アステは情報屋ではない? 本当は王子だった? ロゼは混乱していた。理性と感情が脳内で喧嘩する。全身の力が抜けていく。動悸も激しくなる。視界も揺らぎだしていた。

 なお、混乱していたのはロゼだけではなかった。兵士らも互いに顔を見合わせ、動揺していた。彼らも、布令の実情を知らされていなかったのだ。

「どういうことですか隊長!」

「聞かされてませんよ、そんな事!」

「布令の人物は国家犯罪者ではなかったのですか?」

 騒ぐ部下らに、隊長は「落ち着けと!」と一声した。

「事を泡立てぬよう、アスティア王子誘拐については一部の者しか知らされなかったのだ。とにかく、王子は見つかった。その女を引き離し王子の保護にあたれ」

 兵士らの困惑は拭え切れず、オドオドした様子で動き始めた。

「その、あの、ロゼさん、実は……」

 アステは、弱弱しい声をかける。

「俺は――」

 アステの言葉を待たずして、ロゼは握りしめたアステの手を放した。

「ごめん」

 俊敏な動きでアステの背後へと回りこむ。そして、背中側からアステ押し倒した。

「うわっ!」

 ロゼは、アステの背中に馬乗りをした。

「あっ、あの、これは一体——」

「顔を動かさない!」

 ロゼの怒声に、アステは「はい」と子犬のよう身を縮ませる。

 ロゼは懐からナイフを取り出し、刃先をアステの首元に近づけた。

 不意を取られた兵士たちは、慌てて武器を構える。

「動くな!」

 ロゼは兵士たちにナイフを向けて警告する。その場は緊張に包まれた。

「道をあけなさい。いますぐに!」

「なっ、なんと不敬な!」

「そんなことをしても無駄だ。大人しく投降しろ」

「武器をおろして、王子を放せ!」

 有象無象の声。聞く耳なし。ロゼは、アステの首筋に刃を触れさせる。

「聞こえなかったの? 道をあけなさい!」

 ロゼは目じりを吊り上げ、強い眼光で兵士を睨んだ。

 その気迫に押されて、隊長は片手をあげた。兵士達に道をあけるように指示を送りだす。

「えっ、あの、ロゼさん?」

 アステは、自分が置かれた状況を理解できず混乱していた。

 ロゼはアステを立ち上がらせ。耳元に向かって囁いた。

「ここを突破するわ。感づかれないよう、わたしに合わせなさい」

 個々の兵士達の動きに注意しつつ、足取りを進めていく。

 王子を人質にとられた兵士らは脇へ避けるしかない。しかし、目でのいがみ合いは続いていた。

 あと少し、あと少しで兵士の包囲網をぬけられる。橋を渡り終えたさきに、馬が綱がれている。ロゼは、あの馬を奪って逃げようと考えていた。

 しかし、神は手を突き放した。

 横から強い突風が吹き出した。埃をのせた風が、ロゼの両目を襲ったのだ。

 目が痛い。我慢できず、ロゼは、瞼を擦った。

 その僅かな間、アステの首元からナイフの刃が離れる。当然、兵たちはそれを見逃さなかった。

『いまだ!』とばかりに、一人の兵がロゼに飛びかかった。

(しまった!)

 ロゼは、ナイフで払い兵士を牽制する。兵たちの足を止めつつ距離を離していく。

 十分な距離をとったところで、アステを後ろへと突き飛ばした。

「先に行って!」

 兵たちが一斉に槍を構えロゼへと突貫してくる。

 ロゼは剣を引き抜いた。剣とナイフの二刀を匠に扱い、槍の波状をはじき返す。

「つっ、強いぞこの女!」

「一人で相手をするな、数人で攻撃をしろ。第一班は、そのまま戦闘を続行、第二班は王子の保護にあたれ!」

 戦闘に加わらない兵士が、ロゼの横を掻い潜ろうとしてくる。

 アステを捕らえる気か。

「行かせない!」

 突き出される槍をかわし、アステを追う兵士の足を蹴り転ばさせた。

 攻防を上手く切り返していくロゼだが、さすがに多勢に無勢だ。徐々にさばき切れなくなる。

 槍攻めの連続。ロゼは橋の脇側へと追い詰められてしまった。

 ロゼは、足元を一瞥した。橋には落下防止用の柵はなく、膝下程の塀があるだけ。橋の下には、底深い河が待っている。

 前に出ないと落とされる。だが、槍相手では、間合いが詰められない。

 視線を戻した瞬間、顔にむかって槍先が飛んできた。

「くっ!」

 受けが遅れる。剣は弾かれ足元がふらつき後退していく。

「あっ!」

 片足を橋から踏みはずした。膝が伸きりロゼの体は後方へと引き寄せられていく。

「ダメ!」

 体勢を前へ戻そうと足を踏ん張る。しかし手遅れだ。重力に従うがまま、体は橋の外へと吸い込まれる。

『落ちた!』

 その場にいた全員が予感した。兵士達が棒立ちに正視するなか、兵達の間を走り抜ける者がいた。

「ロゼさん!」

 ロゼの体は宙で止まった。頭は河川の方を向いている。逆さまの状態で顔を見上げると、アステがロゼの片足を掴み支えていた。

「大丈夫ですか、ロゼさん!」

 アステは、顔を真っ赤にしてロゼの脚を引いている。

「……何で引き返したの」

 ダメだ。アステの力だけでは、わたしを持ち上げられない。彼なりに精一杯引いているが、逆に橋の下へ引きずられていく。

 アステは、腕力のなさに後悔した。座学だけではなく、もっと体力も鍛えておくべきだったと。

「放しなさい。あなたの力じゃ無理よ」

 このままでは、二人共々河川に打ちつけられてしまう。

「それは……男として拒否します!」

 ガクンとアステの腕が大きく伸びきる。彼の上半身は、橋の外へと出ており手を離さなければ、共に落下してしまう寸前まできていた。

「だったら、男としてわたしの願いを聞きなさい。ここで助けられても、わたしは兵に捕まってしまうわ。牢屋行きは確実よ。わたしはそれを望まない。だから、ここで落としなさい!」

「そっ、そんな……」

 アステは苦悶の表情を浮かべ、「でも、いや、しかし、でもでも」と否定を繰り返し戸惑っている。

 そうこうしているうちに、さらに下へと引きずられていく。

「早くしなさい!」

 ロゼの強い口調をまえに、アステは両目をつぶった。

「……わかりました。ロゼさん」

 決心がついたのか、アステは目を開き真剣な顔を見せた。

「俺も一緒に落ちます!」

「……えっ?」

 彼は何を言っているのか。予想もしない回答に、ロゼは目を見開いた。

 上から支える力はフッと消える。重力による自然落下が始まる。

 ヒューと静かに落ちていく感覚に、背中がピリピリと痛んだ。

 空気の抵抗を身に受けながら、ロゼは膝を屈伸させアステを引き寄せた。

 彼の腕をつかみ自らの懐へと近づける。アステの身を守るように、自らの体を下に強く抱きしめた。

 河川に水柱がたった。


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