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愛しき血に王子は触れる  作者: イツカカナエ
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1章「旅立ち」

なぜ、こんな場所に少女が眠っているのだろう。

 石で形づくられた祭壇の上で、少女が横たわっている。少女の容体は腐敗もせず、人の形を保っていた。

 私は酷くうろたえていた。ここは、遺跡の奥底だ。人が近寄る場所ではない。

 なのになぜ……この少女は生きた姿でいられるのか。

 私は固唾をのむ。いつになく、緊張していた。

 この場所は、魔物が潜んでいると噂されている。実際に、ここにくるまで私は魔物の強襲を受けていた。

 予感がした。いいや、その可能性の方が十分にあるだろう。

 この少女は、少女の姿を模した化け物ではないのかと……。

 恐れていた。おのずと私の手は、腰かに掛けた剣の柄を握っている。

 この少女は、まだ眠っている。仕留めるならば、いましかない。

 鞘から剣先を抜き出し、両手で強く握りしめる。

 自らの心音が高まる。顔ははりつめて息が苦しい。

 迷っている。この判断は正しいかのと。躊躇しているのだ……この少女の存在を。

 何度も何度も考えた。しかし、出口のない迷宮をさまよ続け、ついには答えは見いたせずにいた。

 目眩がした。息をするのを忘れただひだすら決断への糸をさぐろうとしていた。

 次第に理性は消え失せる。意図しない行動に疑問を抱かず、剣を頭上にのばし少女の首を裁断にかけた。

 私は、振り下ろした手を止める。極限にまで高められた緊張のなかで、私の目は僅かに反応した少女の指先を捕らえていた。

 少女の瞼が震えている。うっすらと開かれていく瞳は、私へと送られる。

 恐れるでもなく、驚くような目でもなかった。それは……私が女だからか。

 母性を望む子供のような顔をしていた。

 いつの間にか、緊張が消えていた。

 私は剣を捨て……そして、少女を強く抱きしめた。


 銀に輝く髪は、漆黒へと帰る。



 長きにわたる戦乱。アルマルタ国と隣接するアスティア国の戦争は数十年と続いた。兵の浪費に、物資の枯渇、国民の貧困化。両国は互いに疲弊していた。

 終わりの見えない両国の戦いに、アルミラ法王庁が仲介へと入った。

 法王は語る。これ以上の戦争が続けば、神は両国に対して罰を与えるだろう。それは、未来永久終わりのない苦しみとなろうと。

 戦いの終わり所を見いだせなかった両陣営にとって、まさに神の一手だった。平和を望む大義名分として、アルマルタ国とアスティア国は、アルミラ法王庁圏にて和平を調印。長く続いた戦争が終わった。

 それから二十年。両国の和平は続いた。互いに貿易や経済協定を結び、国の利益と両国の安全保障を確立させた。今では共になくてはならない友好国となった。

 アスティア国は海沿いにある国で航海を通じ、島国から持ち帰った品物を貿易品の要とした。

 一方アルマルタ国は、鉱山が多い土地柄にある。鉱山から産出される鉱物を加工した金属品類を主に他国への貿易にあてている。

 鉱山のアルマルタ国にとっては、重要な命綱。故に、鉱山の事故や異常等があれば、アルマルタ国直属の兵士が出動することも少なくない。 

「暗いわね」

 アルマルタ国所有の鉱山の一つ、セラ坑道の入り口にて、女性が坑道の中へ顔を潜らせた。

 彼女の名はロゼ・エミール。ある対象の討伐任務のために連れられた。

「ここね」

 ロゼは坑道の奥を遠目に見る。光の見ない穴のトンネルからは、コーとうごめくような音が微かに聞こえた。

「アナタたちはこないのかしら?」

 ロゼは振り返り、メイルプレートを着こむ二人の兵士に問いかけた。

「いやいや、俺たちは、ここで待つよ」

 小太りの男は、さげずむような目を送ると、傍らにいた痩せ細い兵士はウンウンと頷いた。

「そうそう、だいいち俺らの仕事は坑道前までの道案であって、討伐は仕事にはいってないからなこういうのは、あんた一人に任せるよ」

 その通りだとばかりに、小太りの男は拍手を鳴らした。

 ロゼは目を細めた。この二人は、ワタシを小馬鹿にしているのだろう。あの態度を見れば、そう思うしかない

「ああ、そうだ。聞いた話によると、この先にいるのは何でもあの黒い怪物なんだとよ」

「ええ、あの黒い化け物が!」

 小太り男の話に、痩せ男はわざとらしく受け答えた。

「そんな黒い化け物に遭遇しちまったら、怖くてションベンちびっちまう」

「まったく情けないなー。まあ、でも安心しろよ。なんたって、ここにその化け物討伐の専門家がいるんだ。俺たちが、ここで待ってても、

簡単に討伐して帰ってくるよ」

「ああ、それはなんなとも頼もしいことだー

 痩せ男は両手を握りしめ、ロゼへと薄汚れた希望の眼差しを向ける。

 ロゼは侮蔑した目で答えた。

「期待の言葉ありがとう。もう十分聞いたから、その減らず口を閉じてもらえるかしら?」

 男たちは、「おや?」とした顔をお互いに突き合わせる。一方の口が僅かに震えるなり嘲笑が空へとはばたいた。

「おいおい、何を笑ってるんだよ。失礼だろ」

「あははははっ、いやお前だって笑ってるよ。失礼だって」

 二人の馬鹿笑いを前にして、ロゼは無視するように靴先を坑道へとむけた。

「もう、行くわ」

 つき合う価値もない。こいつらと一緒にいては、心身を脅かす。ロゼは、坑道の中へと足を踏み入れた。

「気をつけなー。次の朝まで、帰ってこなかったら、ちゃーんと報告しとくからよ」

「あっ、ちなみになんて報告するんだ?」

「化け物退治の精鋭は、同類によって戦死されました。これしかないだろう」

「おお、言い得てるなソレ!」

 男たち笑い声が坑道へと流れていく。ロゼは耳を塞いだ。煩わしい騒音が消えるまで、ひたすら耐えるように……。

 松明を片手に狭い通路を進んでいく。次第に外の光が見えなくなり、松明の火が暗闇を照らす唯一の光となった。

 坑道は道別れが多く、帰り道が分かるように、ロゼは貝殻を岩壁に擦って白線を残していく。

 坑道内へ進むごとに空気は薄くなり息苦しさを感じる。頭がクラクラし、ロゼは目頭を押さえた。

 加えて、坑道の中はムシムシと暑い。額からは大量の汗が流れていく。

 暑さ対策として軽装備で揃えてみたものの、体に身につけた防具のプレートが肌に密着しているせいで風通しは、最悪。全身は汗まみれだった。

「長くはいられないわね……」

 早く目標を見つけよう。長くいれば、それだけ体力が削られてしまう。ロゼは、足を急がせた。

 奥へ進むと、広がりのある空間へと出た。目の前には4つに分岐した通路がある。

「大きく分かれ道……ここかしら?」

 ロゼは腰掛けの鞄から坑道の地図と依頼書を取り出した。

 両膝をたたみ、地図を広げる。その上から松明の灯りをかざし文章を読み上げる。

「セラ坑道にて黄色の光を目撃。場所は、材質の異なる鉱石がある通路……」

 どの道を指しているのだろうか? 発掘作業者ならまだしも、鉱石の違いも分からない、素人同然のわたしには、不十分すぎる情報だ。

 ロゼは舌打ちを鳴らす。

「ワザと書かなかったのかしら? 下劣な性格ね」

 依頼書と地図を届けに来た兵長の顔を思いうかぶ。あの威張りくさった顔面に拳を送ってやりたい気分だ。暑さのせいもあって、余計にイライラがつのる。

「……ここで、文句を言っても仕方がないわね」

 討伐対象はアレだ。気を抜けばこちらが殺される。ロゼは、深く息を吸った。

 地図と依頼書を鞄へ戻し、他に手掛かりはないかと地面を擦ってみる。

「痛い!」

 地面に手をついた瞬間、チクリと指先に痛みが走る。

 手を退かすと鋭角状の石ころが落ちていた。

 ロゼはその石をつまみ、灯り火をあてる。

「綺麗……」

 目をパッチリと開く。その石は青色の輝きを見せていた。

「入り口に転がっていた石とは違うわね。材質が違う鉱石って、これのことかしら?」

 道中に転がっていた鉱石は、赤茶色のものばかりで手触りもザラザラと粗い。一方の青色石は、研磨したわけでもないのに滑らかな表面をしている。

 ロゼは石を握りしめる。道標を見つけた。これなら道を絞れるわ。

 先に進む道には四つの通路に分かれている。そのうち、青い鉱石が転がっているのは二つの通路だけ。

「二つに一つか……」

 どちらの通路を選ぶか。違いがあるとすれば、路幅の差位しかない。

 いくら目を凝らしても正解は見つからず。ロゼは、一枚の硬貨を取りだした。

「表なら、狭い道。裏なら、広い道」

 運に任せよう。その場で硬貨を飛ばした。

 クルクルと回り落ちる硬貨を甲の上で受け止める。被せた手を離すと、コインは裏を示していた。

「行きましょう。神様の言う通りにね」

 硬貨の導きに従い、再び前進する。



「大型の獣位の大きさ……視認してもおかしくないわよね?」

 通路を抜けると、また広がりのある空間へとでた。

 松明の火を頼りに、周囲を回ってみる。しかし、目標は確認できず。新たな通路も見当たらない。

 この道ではなかったか。ロゼは来た道を引き返そうとした。

「うん?」

 パラパラと砂が目の前へと流れ落ちてきた。

 自然に落ちてきた? それにしては違和感がある。砂は同じ等間隔で何度も落ちている。

 耳をよく澄ませる。わずかだか、音がした。

 経験とは、その先の未来を教えてくれる。

 ロゼは、天井を見た。

 ぎょろりと、黄色の光球が暗闇の中で踊る。球の中に住まう黒点がロゼを捕らえた。

 黒き容体は四足を伸ばし、壁へ張り付いて待ち構えていた。

 獣ではない。長い手足を持つソレは、畏怖すべき容姿をしていた。

 人でも動物とも似つかない異様な容姿から、彼らはこう呼ばれている。

『異形の者』と。

 ロゼは、地面を蹴り壁際まで走って後ろを振り返り、腰かけの剣を引き抜いた。

 異形の者が天井から降り立ち、砂埃を纏った風を起こした。その風によって松明の火が消えてしまう。

「……まっくら」

 目を開けると視界は闇に覆われていた。

「頼りは、あの目だけね」

 火をつける余裕はない。ロゼは松明を投げ捨てた。

 暗闇の中、黄色に輝いた目が、松明を追っている。

 目の光を頼りにロゼは間合いを計り、ロゼは大きく横へ跳びだした。

 異形の者がロゼに足音に気づき、ロゼが立っていた場所へ拳が飛んできた。

 地響きが鳴る。拳は地面へと激突した。

「まともに受けたら、お終いね」

 再び風がなびいた。ロゼは二度目の攻撃をしゃがみ避ける。

「耳はいい。でも、隙が多いわよ」

 ロゼは剣を振りかざした。奴の腕が引き戻るよりも早く、剣で切り裂いた。

 異形の者の奇声が轟く。

「すぐに終わらせてあげるわ」

 反撃をくらわぬようその場を離れつつ、ロゼは自らの手の平を剣で切りだす。

 切り口からは、ドロリと血液があふれた。

「ここね」

 血を刀身へなぞり剣を赤く染める。同時にロゼは足を踏み切り、真っ直ぐ異形の者へ突貫した。

 風の音が耳に届いた。攻撃の気配だ。異形の者は、無傷の片腕を振り回してきた。

 ロゼはその場で前転する。ブオンと荒々しい音が頭上を過ぎ遠のいていく。

 いまのは危なかった。ロゼは息を吐いて、すぐさま立ち上がる。

 また、風を纏った轟音が近づいてきた。

『早い!』

 異形の者はたて続けに腕を振り回してきた。

 回避が間に合わない。直撃する。防御の姿勢をとった瞬間、足元に何かが絡みついてきた。

「きゃっ!」

 ロゼは足を滑らせ尻餅をついた。その直後、異形の者の腕がロゼの頭部スレスレを通りすぎる。

「いまのは……」

 弾力がありヒンヤリとした感触だった。小動物でも踏んだのか? いや、今はそれを考える状況ではない。

 黄色い閃光が宙を舞っている。ロゼを見失い探しているようだ。

 反撃の好機だ。ロゼはシズカに立ち上がる。気配を悟られぬよう、姿勢を低くしつつ音を立てぬよう近づいた。

 焦るな。ゆっくり。息を止め、剣の間合いに入る。

『ここだ!』

 異形の者にめがけて剣を突き刺した。

 剣は肉を貫く。遅れて、悲痛な叫びが広がる。

 耳をふさぎこむほどの絶叫だった。ロゼは目を閉じ、声が消えるのを待った。次第に異形の者の声は薄れ、静寂が訪れる。

 終わった。ロゼは剣を引き抜いた。

 刺した箇所からは、メラメラと白い炎が広がっていく。

 炎は異形の者の全身へと広がり、覆いつくした。

 火が引くころには、異形の者の体は黒く焦げていた。

 ロゼは剣の先で軽く突くと、屍はサラサラと音もなく崩れた。

「任務終了ね……」

 ロゼは顔を仰いだ。上下に膨らむ胸に手をあて呼吸を整える。

 首元に流れる汗をぬぐい、鞄から種火石を取り出した。残り燃えている白火の明かりを頼りに、投げ捨てた松明を見つけた。

 ロゼは腰をおろし、松明に向かって火種を飛ばす。

 石を打ちつけているさなか、ザッザッと地を引きずるような音に気づいた。

(何かいる?)

 火種が飛び、松明が灯りだす。ロゼは松明をかかげ、剣を引き抜いた。

 ロゼは目を凝らし、音の正体を探す。松明を揺らしていると、明かりの内に影が通った。

「誰!」

 ロゼは影に目掛けて剣を突いた。

「……あら?」

 ロゼは剣を制止させる。剣先へ視線をおろすと、異形の者が小さく縮こまっていた。

 見た目は、さきほど討伐した異形の者と似ている。ただ、小動物並みに小さい。

「異形の者は一体だけよね?」

 剣先を下げ、異形の者へと差し向ける。異形の者は怯えているのか、体をブルブルとふるわせ、後ずさりしている。

 なんだか、弱いものいじめをしているようだ。攻撃の意思がない相手に、剣はふるえない。ロゼは剣を納めて、首を傾げた。

 さて、この異形の者の処遇はどうするべきだろう。

「ねぇ、足に絡んできたのは、あなた?」

 ロゼの質問に対して、異形の者は答えず。それもそうだろう、言葉が通じているわけがない。黄色の両目は、剣を睨み続けている。

「答えはないのね……仕方が無いわ」

 ロゼは、異形の者の首を掴みあげた。



 アルマルタ城下町にて、

 依頼を終えたロゼは、城下にある露店街へ足を運んだ。

 野菜を売る小店の前で立ち止まり、商品を眺める。いくつも並ぶ野菜を見ては、指で指した。

「これ、もらえるかしら」

「いらしゃい……ああ、はい。銅貨六枚、代金はそこの木箱の上に置いてくれ」

 品物は勝手に持っていけと言わんばかりに、店主は親指を立てて木箱を指さした。

 店主は迷惑そうな顔をしていた。しかし、別の客が声をかけると、店主はすぐに振り向き、愛想顔で応える。

 ああ、まただ。ロゼは何も言わず、手に取った品物を皮袋の中へと放り込み、そっと代金を木箱においた。

 店を離れ、住居の並ぶ道を進む。住人らはロゼを見かけるなり、道を譲るように大きく避けていく。まるで、除者のように。

 道脇からは、コソコソと陰口が聞こえる。住民たちの冷たい視線がいやおうなしに向けられた。

 ロゼは、目を閉じる。いつものこと、気にするな。目を閉じ、自分に言い聞かせては逃げるように、細い路地裏へ曲がった。

 住居に隔たれた壁の間を通っていく。兵舎から少し遠回りになるが、この道なら人に会うこともない。視線と声を避けるなら、人から離れればいいのだ。

 路地裏を通り抜けると、正面の方向から夕日が迎えた。

 眩しい。橙色の光を手で遮ると、ロゼの足元に皮を継ぎ合わせたボールがコロコロと転がってきた。

 ロゼは、しゃがみこみこんでボールを拾いあげる。すると、前から男の子が走り寄ってきた。

「これ、あなたの?」

 ボールを掴んで見せると、男の子は人差し指を口にあて頷いた。

「はい」

 ボールを返すと、男の子はロゼの顔を見合わせる。無垢な瞳で、

「ありがとう、おねえちゃん」

 感謝の声に、ロゼは唇を緩ませる。心に綱かれた錘が軽くなり、心に晴れが差したように感じた。

 しかし、現実はすぐにやってくる。男の子の母親だろう。自分の子がロゼと一緒にいる姿を見るなり、慌てて走り寄ってくる。

「こら、危ないでしょう。離れなさい!」

 母親は、ロゼから少年を引き離した。

「危ないって、なにが?」

「あの人に触れると、命を奪われるのよ! ほら、家に帰りましょう」

 母親は子供の腕を引き連れて離れていく。

(まただ。また、あの目でわたしを見る……)

 慣れているはずなのに、どうして負い目を感じるのだろう。

 この世は、わたしを嫌っているのだろうか。

 幸せを感じてはいけないのだろうか。

 これは罪なのだろうか。

「……わたしは何者なのかしら」

 辛いはずなのに、苦しいはずなのに、涙は枯れていた。



 城下の離れに一軒の兵舎が建っていた。

 その周りには兵舎以外の建物はなく草原と林に囲まれている。

 人気のないこの兵舎こそが、ロゼの住居だった。

 ロゼは木扉の施錠を解き扉が開ける。淡い赤色の光が兵舎の中を照らし影を払った。

「ただいま」

 帰りを待つ人はいない。当然、返事はなかった。

 石積で建てられた兵舎は涼しく、物静けさが漂っている。

 ロゼは、兵舎の中へ入り荷物と装備品を卓上に置く。身が軽くなったことに、一息ついた。

「……」

 さっさと、報告書を書いてしまおう。ロゼは、身に着けていた物を脱ぎだした。

 下着だけを残し、装備品を持って保管部屋へ足を向かわせる。

 それぞれの装備品を定位置の場所に戻し、持ち帰った土産を檻かごへとしまった。

 卓へ戻ったロゼは、椅子の上と腰をおろした。

 報告書を広げ、ペン先にインクをつける。さて、どう書こうか……。

 ロゼは頬杖をかきながら、経緯を浮かべながらペンを走らせる。

「坑道内にて、目撃者が見たと思われる異形の者を発見。数は……」

 ロゼはペン先が止めた。顔をあげて、独り言のように呟きだした。

「誰も見てないし、いいわよね」

 異形の者数は一体のみ。依頼書の内容と一致。容姿は四足型。大きさの分類は中型。接触時に討伐済み。

「任務遂行者、ロゼ・エミール」

 報告書の最後にサインを書き綴り、手を休めた。

「ふぅー」と軽く息をつき、椅子の背にもたれる。肩まで伸びた髪がユラリと垂れ下がる。

「これで終わり……」

 椅子に座ったまま眠りこけてしまいそうなほどに、疲れを感じていた。しかし、このまま寝てしまっては風邪をひくだろう。

 ロゼは肩を鳴らし、席をたった。

 肌がベトベトしていて気持ち悪い。水を浴びよう。

 ロゼは下着姿のまま兵舎の外へでた。無防備な状態で、兵舎の裏手を回り井戸へたどり着く。

 ロゼはその場で下着を脱いだ。白く眩しい裸体があらわになる。

 井戸の滑車に括りつけたロープを滑車で巻き上げ、桶にたまった水を持って頭上から浴びせた。

 水は髪にまとわり下方へと垂れていく。ロゼはフルフルと顔を払い、地に雨を降らした。

 (冷たくて、気持ちいい)

 井戸の囲いに腰をおろし、日光浴でもするかのように体を夕日へと浴びせる。

 透き通った白い肌は淡い橙色に染まり、黒色の長髪は虹色へと輝いていた。



 水浴びを終え、ロゼは兵舎へ引き返そうとした。

「ん?」

 取っ手を掴みかけたとき、中から物音が聴こえた。

(誰かいる)

 ロゼは腕で胸元を隠し、空いた方の手で、ゆっくりと扉を押し進める。

 音をたてぬように少しずつ扉を開け、わずかな隙間から中の様子を覗った。

 大きく膨らんだ荷袋を担ぐ人影が見える。格好を見るに農夫のようだ。

「食料だけ置いとくか。久しぶりに来たのによ留守とわな……たく、それにしても鍵をかけないのは無用心だぞ!」

 男は重荷をテーブルに降ろし腰をトントンと叩いた。背伸びをして、ブツブツとぼやいている。

 聞き覚えのある男の声に、訪問者が誰なのかすぐに気づいた。

 ロゼは扉を押し切る。そして、背後から声をかけた。

「シズ?」

 ロゼの呼びかけに男は振り返る。

「ん? おお、ロゼ!」

 シズと呼ばれた男性は、喜びをあらわすように両腕を広げた。

「久しぶりね。今日は何用かしら?」

「作物が豊作でな。おすそ分けに来たんだが……まあ、とりあえず服を着てくれ。目のやり場に困る」

「いまさらね。裸なんて、何度も見てるでしょ?」

「だとしても、人前で裸をさらすのはどうかと思うぞ」

「そう? わたしは気にしないけど」

「なあ、ロゼよ。もういい歳なんだから、少しは恥じらいってもんを持て。うちの娘だって、お前より年下だがその辺は心得てるぞ」

「努力してみるわ」

 そうは言うものの、ロゼは肌を隠さず裸体のままシズの横を通り過ぎた。

 シズは、やれやれと両目をつぶり椅子に腰かけた。そんなシズを見て、ロゼはクスリと小さく笑った。



「相変わらず、女気のない服だな」

 着替えを終えたロゼの衣装に、シズは呆れていた。

 男性用のタイツに、男性用のシャツ。ロゼの服装には、女らしさがひつとも感じられない。

「服装は人好き好きでしょ。わたしは、この格好が気にいってるの。動きやすいし」

「機能性を重視するのは分かるけどよ。それにしたって、もっとな……いや、いいや。そういえば、今日はやけに警備の兵が城下に出回ってた。何かあったのか?」

「アルマルタ国の、お偉いさんが来てるみたいよ。和平記念日だったかしら? まあ、わたしには関係ない話よ。それより、お酒でもどう?」

 鉄製のコップを二つ指ではさみ、振り子のように揺らし見せる。もう片方の手には、葡萄酒が入った水筒を見せた。

「おっ、いいね! 最近嫁に禁酒されててよ。飢えてたところだ」

 シズは目を輝かせ、両手で早くこいこいと手招きした。

 ロゼはシズの向かい席に座り、水筒の蓋をあける。コップに酒を注ぐと、芳醇な香りがたちはじめた。

「はい、シズ」

 コップを手渡すと、シズは浮き立つような顔で笑った。

「へへっ、うまそうな香りだ。ほれ、乾杯しようぜ」

「何に乾杯するの?」

「ん? そりゃ、アレだ。お前の誕生日祝いにだ」

「もう、一か月前の話だけど」

「いいんだよ、そんな細かいこと。とにかく乾杯だ」

「調子がいいわね」

 ロゼは、結んだ唇を緩ませ、コップを上げた。

「乾杯」

「おう、乾杯だ!」

 コップを突き合わす。カンとコップを打ち音を鳴らし、ロゼは微笑みながら口へと運んだ。



 夜空に月が浮かぶ。

「そしたらよ、イビキがうるさいから外で寝ろとか言うんだぜ! ひどいよな?」

 酔いが回っているのだろう。シズは顔を赤らめ嫁への愚痴話を続ける。以前にも何度か聞かされた話だったが、ロゼは黙って相槌を返した。

「あー、もうずっと喋ってたから喉が渇いたぜ。もう一杯くれ」

 シズは空になったコップ振り、酒のおかわりを催促する。

「五杯目よ。これ以上は飲み過ぎ。体に悪いわ」

「はっ! 俺は酒に強いんだ! 兵士時代は、十杯でも二十杯でも平気で飲めてたぞ!」

「昔はでしょ。今は農業者。奥さんも娘さんもいるんだし、健康に気をつけないとダメじゃない」

「今も昔も変わらん! 俺の体と胃は頑丈なんだ。だからあと一杯だけ、一杯だけでいいから頼む!」

 飲まない方がいいと促すも、シズの耳には届かず。頼むと懇願するばかりだ。

「これが最後よ」

 仕方なくシズのコップに酒を注いだ。

「わかってる」

 シズはチビリチビリと大切そうに酒を飲んでいく。

「ロゼよ、お前元気か?」

「……どうしたの急に?」

「お前さんの仕事は危険極まりない。そんでもって、待遇の悪さ。いつかぶっ倒れるんじゃないかって心配でな」

「わたしを心配してくれてるの? どんな風の吹き回しかしら」

「なに、言ってんだ。俺は、昔からお前を心配してたぞ。お前は俺にとってもう一人の娘みたいなもんだ。気にかけるのは当然だろ!」

「それは、団長に頼まれたからでしょ?」

「それ半分、もう半分は本心だよ」

 シズは顔を背け、コップに残った最後の一滴を口の中へ垂らした。

 照れ隠しなのだろう。シズの気持ちは、よく理解していた。

「……ねぇ、シズ」

「どうした?」

「わたし軍を辞めようと思うの」

「辞める? 許可がもらえたのか!」

 シズは、前のめりに立ち上がった。その反動で卓が揺れだし、コップが倒れそうになる。

 ロゼは傾きかけたコップを支えた。

「許可はおりてないわ……でも、今日の任務を最後に軍を抜けようと決めてたの」

 ロゼはシズを落ち着かせようと、彼の両肩を押して席に座りなおさせた。

「一月前に、母の部屋を掃除してたの。それも、普段片づけてない箇所念入りにね。その時、本棚からあるものを見つけたの」

 それは、母の日記だった。日記は戦場での戦況や、異形の者の討伐、部下の様子などつづられていた。そして、ロゼについても書かれていた。

「中を見て驚いたわ。わたしが、本当の娘ではないことは知ってた。けど、わたしが廃墟になった遺跡で拾われてなんて……シズは知ってたの?」

 虚を突かれたのか、シズは唇を内につぼませ、顔を俯きに黙り込んでしまう。

「やっぱり知ってたんだ」

 ロゼは、軽く鼻で笑った。

「わたしは怒ってないよ、シズ。わたしを傷つけさせたくないために、隠してくれてたんでしょ?」

 シズは沈黙の後にチラリと視線を預け、観念したように顔を上げた。

「ロゼ……悪いな黙ってて」

「薄々は気づいてた。わたしは他の人と違う。それはたぶん人の子ではないから……」

 シズは両手でテーブルを叩いた。

「いや、お前は人だ! それ以外の何者でもねぇ! 人を助けられるのは、人である証拠だ。間違いねぇ!」

「でも、わたしが拾われた遺跡は、人が立ち寄らない危険な場所なんでしょ? その近くには人里もない。本当に捨て子なのかしら? 人であるかも疑わしいと思わない?」

「そんなことは……」

 シズは、その先の言葉を繋げられなかった。

 ロゼは憂いの目で、

「わたしね、その遺跡に行ってみようと思うの。そこへ行けば、わたしが何者なのか……人なのか分かるかもしれない」

「なっ、ちょっと待て! あの遺跡は国境を越えないといけないぞ。一人で大丈夫なのか?」

「それは、シズが一番よく知ってるでしょ? わたしは、大丈夫。それに一人の方が、気が楽だしね」

 元から孤独の身だ。一人は慣れている。それに他の誰かにリスクは負わせたくないのだ。

「そうかもしれないが……その場所に行った後はどうするんだ? 身を投げ出すとか言わないよな?」

「わたしはそこまで、死にたがりじゃないわ。その後は気ままに旅を続けてみようと思う。世界を回って、安寧の地があるならそこに住めばいいし」

「それはいいが……旅ってのは何が起きるかわからないぞ。それに一人じゃあ助けもないんだ……」

 心配してくれているのだろう。心配してくれる人をわたしは大切にしたい。本音は、シズを心配はさせたくはなかった。それでも、わたしは、覚悟は決めたのだ。

 ロゼの目には決意があふれていた。

 これ以上は止める言葉もないと、シズは窓側へ顔を反らした。

「拠り所がなったから、俺たちの村に来いよ。いつでも歓迎するぜ」

「シズ……感謝するわ」

「それで、いつ出る予定なんだ?」

「近々でも。準備はもうしてあるの」

「俺が今日ここに来なかったら、黙って行くつもりだったのか?」

「最初はね。でも、最後に会えてよかった」

「薄情な奴だぜ……寂しくなるな」

 シズは寂しそうな顔で、空になったコップを口づけた。

 ロゼは顔を俯かせ、小さな声で告げた。

「ありがとう」



「じゃあな、ロゼ」

 シズはランタンを手に外にでる。

「泊まっていかなくて大丈夫? 足元ふらふらよ」

「なーに、平気だ。こんくらいどうってことない! それに、城下町に宿をとってるからなー。前払い済みだしもったいねー」

「気をつけてよ」

「ああ、お前もな」

 シズは、背を向けながら手を振った。

 あたりはすっかり暗くなっていた。月光が闇夜を照らしていた。

 シズの姿が見えなくなると、ロゼは兵舎の中へ引き返した。

 卓上を照らす蝋燭皿を持って、装備品を保管する部屋へ向かう。

「おとなしいわね」

 部屋に入り、樽の上に置かれた檻カゴへ灯りを近づけた。

 蝋燭の火はカゴに住まう生物を照らす。ロゼは腰を屈め、中の様子をうかがうと、カシャンとカゴが揺れだした。

「干し肉が無い……おいしかった?」

 黄色の眼光が、ロゼの目を見つめている。

 カゴに閉じ込められた生物の正体。それは、坑道に潜んでいた、小さな異形の者だった。

 ロゼは柵の隙間に人差し指を通す。すると、異形の者は指に飛びつき、あんぐりと小さな口をあけて、指をカジカジと噛みだす。

 痛くはない。むしろ、くすぐったい。

 ロゼは、目じりを緩ませ、異形の者をじっと見る。

 どうして、自分は異形の者を連れてきてしまったのだろう。ロゼは自分自身に問いかけた。

 その場で処分しなかったのは、異形の者が小さい故に、害がないと思ったからだろうか。 しかし小さいからといって、危険性が無いとは言い切れないだろう。小動物とて、凶暴な動物もいる。

 都合良く考えるなら、彼らの生態を知るために連れてきた……いや、それも違う気がする。

「わたしは、自分を知らないのね……」

 ロゼは柵内から指を引っ込ませ、カゴの取手を持った。

「一緒に寝ましょう。寂しい者同士でね」



 兵舎内の通路奥に寂れた井戸が存在する。この井戸は、外にある井戸よりも前につくられたもので、元々水脈が少なかったせいか、貯蓄された水はすでに枯渇している。

 使い物にならないと取り壊す話はあったのだが、前兵長から残すよう命があり、いまでも放置されている。

 使う者のいない井戸。しかし、この井戸を好む者がいた。

 ロゼは、寝苦しい日があると、部屋の寝床を離れ井戸の底を寝床として使用していた。

 縄はしごを使い、井戸底へと足をつける。布を床に敷いては、その場で横たわる。

「静かな所が好きなの。あなたと一緒でね」

 傍らに置いた檻カゴを開け、手を差し伸べる。異形の者の首元をつかみ、胸へと引き寄せた。

 異形の者の毛は短く、ワサワサと硬い感触をしている。体温は低くヒンヤリと冷たかった。

「さて、寝ましょ」

 ロゼは、ふっと蝋燭の火を吹き消した。

「お休み。えっと……」

 そういえば、この子には名前がなかった。なんと呼べばいいかしら? 異形の者では味気ない。名づけるなら、固有の名前をつけるべきだろう。

 なるべく、ふさわしい名前を考えた、口々に思いついた名前をげるも、中々浮かばず。

 半幅、夢と現実の境を行きする手前で、ようやく良い名を見つけた。

「シミリアにしましょう。あなたの名前はシミリアよ」

 シミリアを腹部によかせて、毛布で覆いかぶせた。

 瞼を閉じる。今日の出来事が夢うつつと駆けめぐり眠りを妨げる。うなされながらも、体温が徐々に低くなり、深い眠りの余波がおしよせてきた。

 夢の世界へと足を踏み入れる……が、その手前で水が差される。カツカツと靴底を鳴らしたような音が耳に飛び込んできた。

 気のせいか? ロゼは耳を澄ませる。再度カツカツと音が聞こえた。それも、明確にハッキリと。胸の緊張を引き金に、ロゼは急ぎ起き上がる。

「あっ……」

 クラリと立ちくらみが襲う。揺らぐ視界の中、井戸の上から明かりが見えた。

 ロゼはふらつく足とりで、井戸の枠側へと背中を張って身を隠した。

 侵入者がいる。しかし、一体誰が入ってきたのだろう。

 一般の兵士は、わたしを気味悪がって、この兵舎には近づこうともしない。訪れるとしたら、嫌々と依頼を伝えに来る兵長だけだろう。

 ロゼは息を殺し、耳に集中する。

「これ井戸かな? へぇー、舎内にあるなんて珍しい……人が住んでるのかな?」

 若い男の声だ。しかし、聞いたことのない声だ。

 夜盗かしら? だとしたら、まずいわね。この場に、武器になるようなものはない。夜盗となるとナイフ等の武器をもっている可能性は高い。対峙した場合圧倒的にこちらが不利だ。

 先制で打って出るか? それも難しい。相手が一人ならいいが、何人いるかは分からない。 複数人隠れている可能性を考慮する必要がある

 ロゼは、最適な行動を模索した。そして導かれた答えは一つ。相手に見つらぬように井戸の中で身を潜めることだった。

 金目になるような物は、この兵舎にはない。それを知った、盗人はきっと諦めて引き上げてくれるはずだ。

 ロゼは願う。どうか、井戸の中をのぞき込みませんようにと。

「喉が渇いたな……この井戸は水がくめるのかな?」

 ドキリ! ロゼの心臓が脈打つ。これは、まずい。

「桶がないな。中に落ちてるのかな?」

 ロゼは息を止め、背を丸めた。

 井戸の中に光が差す。ランタンから放たれた光が、ロゼの背をとらえた。

「誰か入る?」

 ロゼはしゃがみこみ、シミリアを閉じこめていた檻カゴを手で引き寄せた。

 男が井戸の中を覗き込む。頭が見えたと同時に、ロゼは男の顔めがけてカゴを投げ上げた。

「ふがっ!」

 カゴは、男の顔面に見事に命中。不意打ちによる驚きと、痛みを伴う声があがった。

 男はフラフラと足をよろめかせ、体をへの字に曲げて、井戸の枠へと被さるように倒れた。

 ロゼは、降り戻ってきたカゴを掴み、男の様子を覗う。

 男は井戸枠にかかったまま、沈黙している。動く気配はない。

「……生きてるわよね?」

 悲鳴を上げて逃げてもらう予定が、とんだ計算違いだ。この場合の対処方は考えていない。

 ズルズルと何かが引きずられるような音が続く。それは、男の体が井戸の内側へと少しずつ引きこまれていく予兆だった。

 傾きは上半身側が優勢となる。男の足が地から離れた結果、男の体は重力に従い井戸の中へと落下する。

 暗闇のせいで判断が遅れた。頭上から迫る男にロゼは避ける間もなく、

「きゃっ!」

 ぶつかった。ロゼはその場から大きく弾かれ、井戸の壁に肩を打ちつけながら倒れた。

「痛いじゃない」

 ロゼは、ぶつけた肩をさすり体を起こした。一緒にとばされたシミリアが、ロゼの傍へと寄り添い、心配そうに鳴き声をかけた。

「シミリア……うん、これくらい、どうってことないわ。それより、あなたの目を貸してくれる?」

 黄色く発光したシミリアの目は灯り代わりになる。ロゼはシミリアを両手で持ち上げ、蝋燭と火種を探した。

「あった」

 近況を知るべく、ロゼは火打ち石を打ち付け蝋燭に火をつけなおす。

 明かりが周囲を照らすと、うつ伏せに倒れる男の姿をとらえた。

 ロゼは男の意識を確認すべく、男の頬を軽く叩いた。

 二度三度……反応が無い。落下したさい、打ちどころが悪く、亡くなっている可能性が浮上した。

 ロゼは焦りの影を浮かべる。しかし、まだ亡くなったとは断定できない。ロゼは、冷静になるべく深呼吸をした。

 男の生死を知るべく、体を転がし仰向けにさせる。胸部と口に手をあてる。胸は上下に動いており、手には生暖かい吐息を感じた。どうやら、息はあるらしい。

 ロゼは安堵の息を吐いた。

 人殺しをせずに済んだと胸を撫でおろす。

「さて、顔を見せてもらうわよ」

 ロゼは蝋燭の火をもって、男の素顔を拝見した。

 若い青年だ。顔つきは中性的で、目、鼻筋、口は綺麗に整っている。ロゼの目から見ても、そこそこの美男子顔に思えた。

「知らない顔をね。何処の盗人かしら?」

 男が武器を身につけているか確認すべく、ロゼは身体検査をはじめた。男の体をまさぐり、服の中まで確認していると、腰のベルトに括り付けられたホルダーの中から刃物を見つけた。

「値打ちのありそうな短剣ね。どこかの富裕層の家からでも盗んだのかしら? 悪いけど、身元が判明するまで、これは没収ね」

 武装解除を終え、ロゼは床に敷いた布をちぎりはじめた。男の両手を背中に回し、身動きできぬように、長めに破いた布で腕を縛りあげた。

 やることは、全てやった。あとは男が起きるのを待つだけ。ロゼは膝を立たせた座り込む。シミリアを腹の内に抱いて、顎を膝にのせた。

「早く起きてほしいわね……」



「んあー?」

 男はだらしない声をあげて目を覚ます。

「うーんと、寝てた?」

 男は顔を起こして、目を何度も瞬かせた。

 目の視点は蝋燭の火に移る。蝋燭の丈は短くなって、ほとんど溶け切っていた。

「ん?」

 視線を横の方へと移すと、膝を抱えて眠る女性の姿があった。

「この人は誰だ? それに、ここはどこ?」

 男は辺りを見渡したのち頭を傾げた。円筒状に広がる空間を見て、

「もしかして、ここは井戸の底か? あっ、頭が痛い……」

 急に額が痛みだす。反射的に痛む箇所を手で触れようとした。

「あっ、あれ?」

 手が動かない。背中側を見ると、両手は布らしきもので縛られていた。

「なっ、なんで縛られてるんだ? ねぇ、そこの人、起きてよ!」

 声を張りながら、目の前で寝息をたてている女性を呼びつける。すると、女性の頭がガクンとくずれ、ウトウトした様子で目を開いた。

「ん……あら、起きてたの?」

「起こしてすみません。あの申しわけないのですが、この両手に縛ってる布を外してくれませんか?」

 ロゼは頬を擦り、小さな欠伸をかいた。

「それは、できないわ。わたしはあなたを知らない。知らない人が、勝手に家に入りこんできたら、警戒するのは当然。拘束もやむなしよね?」

「それはごもっともです。ですけど……ん?」

 男は、ロゼの顔をジーと正視しだした。

 ロゼは眉をひそめ、

「わたしの顔に何かついてる?」

「お姉さん、すごい美人さんですね!」

「……はい?」

「名前を教えてください! ちなみに俺は、アステって言います!」

 この青年は何を考えているのか。唐突に名前を教えて欲しいだなんて、この状況下で尋ねるものではないだろう。それよりも、尋問する前に自分から名乗りだすとは何をしたいのだろう。この不可解な行動に、ロゼは困惑した。

「その前、にこちらから質問させてもらうわよ。なぜ兵舎に入ったのかしら?」

「えっ! ここって兵舎だったんですか?」

「まさか、知らずに入ったの?」

「いやー、無我夢中で逃げていたもので……」

「逃げてきた?」

 最近世間を騒がせていた盗人が、牢獄に入れられたと聞いている。まさか、その牢から脱走した囚人ではないだろうか。

 ロゼは眉を寄せて、青年に逃げてきた理由を問い詰めようとした。しかし、それを邪魔するように兵舎の外扉から、ドンドンと荒々しい音が拒んだ。

「ロゼ・エミール! 中にいるか!」

 大きな怒鳴り声が遠くからでも聞こえた。この声は、兵長のものだ。

「こんな時間に何の用かしら……」

 ロゼは、ウンザリとばかりにため息をつく。アステに見つからぬように、シミリアを布の中へ隠し、

「上に戻るわ。そこで、大人しくしてなさい」

「あっ、待ってくださいロゼさん!」

「……馴れ馴れしく名前を呼ばないでもらえるかしら?」

「すみません! いま素晴らしい名前を知ったので……あっ、あの、お願いがあります!」

「お願い?」

「はい! その、俺がここにいることを、外の人たちに言わないでください!」

 何かと思えば、命乞いか。

「どうしてかしら? わたしからしたら、不法侵入者にたいして、兵士に引き取ってもらうのが、正常な行動と思うけど?」

「それは、ごもっとも。だけど理由を聞いてからでも、遅くはないでしょ?」

 訳ありか。ロゼは、青年の目を見る。彼のは真っ直ぐとロゼを見続けている。逃げる様子はなく、保身のために嘘をついているようにみえない。

 一応、聞くだけ聞いてみよう。

「手短に話しなさい」

「ありがとうございます。実は俺――」



「ロゼ・エミール! いるなら返事をしろ!」

 兵舎外の木扉を、兵長が矢継ぎ早に叩いている。中々出てこないロゼに苛立ち、叩く音はより乱暴になる。

 兵長が再び拳を突き立て、腕を振ろうとした瞬間、ようやく扉が開かれた。

「こんばんは。あまり乱暴に叩かないでください。扉が壊れてしまいます」

「エミール! いるなら、なぜ早く出てこない!」

「討伐後の疲れで、熟眠していました。その耳がつぶれそうな怒鳴り声も、全く気づきませんでしたわ。それで、こんな夜更けに何か?」

 兵長の後方に、三名の部下が篝火を持って待機している。討伐の依頼に来たわけではなさそうだ。

「近頃、兵舎内に兵士以外の者が、上の許可無く招き入れてると連れてこられていると報告があった。注意喚起および、抜き打ちの見回りをしているところだ!」

「そうですか。随分と軍規がみだれているようですね」

 兵長は青筋をたて、

「それはどうでもいい! この兵舎にお前以外の者が入り込んではいないだろうな?」

「そんな人はいませんよ」

 ロゼは、おとぼけた表情で首を傾げ見せる。

「本当か? 一人だけなのをいいことに、男でも連れ込んでいるんじゃないのか? どうだ、正直に答えろ!」

 兵長は歯を食いしばりながら顔を近づけてくる。その態度に。ロゼは鼻で笑った。

「何が可笑しい!」

「おわかりでしょうけど、この兵舎に入ろうとする人がいますか? なんなら、後ろの部下の方に、中を確かめさせても構いませんよ? もしかしたら、兵舎のどこかで、こっそり隠れてるかもしれません」

 ロゼは外の兵に聞こえるように、大きな声で言い放った。耳にした兵士はそろいもそろって、首を左右に振りだす。

「お前ら……この軟弱ものが!」

「遠慮などしてなくもいいんですよ。兵長、あなたが中に入っては?」

「なんだと!」

 兵長は、険しい目でロゼを睨みつける。

「この……いや、いい! 新調した鎧が汚れるのは勘弁だ。ここには、誰も来てないんだな!」

 兵長は指を突き立て、ロゼに確認を促す。

 ロゼは顔色を変えずに、

「ええ。わたしが、寝ぼけてないなら」

 ロゼがあしらい返すと、

 兵長はご立腹な様子で、鼻息をたてる。

「フン! 邪魔したな!」

 兵長は、大股歩きで部下を連れて引き上げていった。

「人を探しているのは、本当みたいね」

 ロゼは、扉に施錠をかけ兵舎の中へ振り返る。

「もう、出てきてもいいわよ。追い払ったから」

 通路脇に隠れていたアステが顔をだした。まだ警戒しているのかあたりをキョロキョロとうかがっている。

 ロゼは手招きをして、誰も居ないことを再度告げる。アステは安堵した様子で駆け寄ってきた。

「ロゼさん! ほんとっ、ありがとうございます!」

 アステはロゼ両手を握る。ブンブンと腕を上下に振っては感謝の言葉を何度も続けた。

「気持ちは十分受けとったわ。だから、手を放してくれない。少し乱暴に振りすぎよ」

「あっ、すんません」

 アステは慌てた様子で手を放した。

 ロゼは、解放された腕をさすり、ため息を漏らした。

 少しばかり後悔していた。本当に彼を助けてよかったのかと。のちにこの選択が、彼女の未来に影響するとは、ロゼはまだ知らない……。

 時は遡る。

 井戸の底にて、アステはロゼを説得すべく自身の素性を明かした。

 アステは各地を回り情報を売る情報屋らしく、ある国家の機密情報を耳にしたせいで、大きな事件に巻き込まれたのだと、鳴きそうな声で語った。

 先日、情報元の提供者が拘束され、アステに情報を売ったことをばらされてしまった。情報の流通を防ぐため、アルマルタの兵士に追われるはめになり、現在の状況に至るとのこと。

 アステは、何度も繰り返し助けて欲しいと、ロゼに懇願してきた。それも鬱陶しいほどに。

 彼の対応に見かねて、ロゼは困り果てていた。

 普通ならば、彼を兵士に引き渡すべきだろう。しかし今のわたしは、アルマルタ国に貢献する気はない。なにせ、逃亡を企てている不届き者なのだから。

 国への忠誠心の低さと、彼のしつこさに免じ、ロゼは見逃すことを約束した。

 もっとも、この事が知れたら、わたしは牢屋行き確定だろう。不安の種ではある。

 しかし、それほど深刻には思わなかった。どちらにしろ、国を抜け出すのは決まっている。 それが早まるだけのこと。踏ん切りをつけるには、丁度いい機会だった。

「ロゼさん、手を出してもらえますか?」

 アステは、ロゼの腕を引き、手の平に二枚のコインを握らせた。

「約束のお礼です。受け取ってください!」

 ロゼはコインを一枚摘みあげ、裏表を見る。

「双竜の模様。あなた、アスティア国出身なの?」

「えっ?」

 アステは声をうわずり、

「あっと、違いますよ。情報屋として色々な国を周ってますからね。その金貨はアスティアに滞在していた時に得た金貨です」

 明日照りきまりの悪い言い方に、ロゼは不信を感じる。

「本当に貰っていいの?」

「はい。俺ができる最大のお礼です。貨幣替え屋で交換してください」

「……」

 一般人なら、飛び跳ねて喜びをあげるだろう。しかし、ロゼは黙ったまま金貨を眺める。

「手をかしなさい」

 ロゼはアステの手を引っ張り、彼の手に金貨を返した。

「えっ?」

 アステは、目を丸くする。

「返すわ」

 ロゼは報酬の引き取りを拒否した。しかし、アステは食い下がる。

「受けとったものを返しちゃダメですよ!」

 アステは再びに、ロゼの手を掴み金貨を渡そうとする。

「俺のプライドが許しません! 受け取ってください!」

「プライドって……少し考えてみてなさいよ。別国の金貨を持って質屋に行ったら変だと思わない? それも地位の低い一般の兵士が持っているなんて、さらさら疑わしいわ」

「だったら、他の国で交換すればいいんですよ!」

「そう簡単に国を抜けられないわよ。遠出には準備と申請が必要なの。きちんと考えて――」

 言いかけた口が止まる。アステとの取っ組み合いを止め、手を離した。

 ロゼは両腕を組み、考え始める。

 いま、兵たちは慌ただしい状況にある。自分が兵舎を抜け出したとしても、兵士らの目はアステに向いている。わたしが逃亡したと気づくくには、多少なり時間はかかるはずだ。

「どっ、どうしました?」

「ねぇ、聞いてもいいかしら?」

「はい?」

「ここから逃げたいのよね。行き先はあるの?」

「特に無いです。この国から出ようと思ってますけど」

「目的とする場所はないのね。ちなみに、抜けだす算段はあるのかしら?」

「恥ずかしながら全く。どうしたらいいですかね?」

 アステは、困ったとばかりに頬をかいた。

 彼はそれほど頭がよろしくないようだ。情報を生業とする者ならば、もっと慎重に、逃げ道を構築しているはずだ。本当に情報屋なのか怪しい……が、そこをはあえて考えないことにしよう。

「わたしを雇う気はない?」

「雇う? ロゼさんをですか?」

「そうよ。国境付近まで道案内をするわ。報酬はその金貨で。これなら、お互いに納得した取り引きになるでしょ?」

「道案内で、金貨を渡せる……すごく助かりますけど、ここを不在にしてもいいんですか?」

「わたしは、もう戻らないからいいのよ。あなたを国境に連れて行くついでに、旅に出るつもりなの」

「旅?」

「そうよ。それで、雇ってはもらえるの?」

「お互いに納得できてますし、ぜひお願いします!」

 アステが、円満な笑みで握手を求めてきた

 彼の笑顔を前に、ロゼは唇を結んだ。照れくさそうに、手を握り返した。


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