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思わぬ罪

作者: 樋山紅葉

 もし僕がもう少し冷静だったのなら、こんな事にならなかった。

 そして、僕に勇気があったのなら。

 

 ――僕は、罪を犯した。



 六月ももう末。夏の暑さは日に日に強くなり、近頃ではアスファルトも蜃気楼のようにゆがみを見せている。夜も寝苦しいほどに暑いし、本当にこの季節は嫌になる。そんなことを考えながら僕は雨戸も閉め、設定温度は二十五度で効かせた自室で制服に着替えていた。

 正直なところ、こんな暑さのなか学校に行くなんてことは嫌だ。しかし、学校では優等生を演じている僕に『サボる』なんてことは出来ない。学校生活に厳しい両親も、そんなこと許してくれないだろう。

 仕方なしにいつも通り、僕は学校へ行く。

 よくもまあ、毎日学校に通うもんだ、僕も。親に反抗することも出来るだろうに、怒られるのと何かこれからの家族関係に支障が出たら嫌だと、僕は結局、反抗することを諦めてしまうのだ。

 着替え終わりリビングに出ると、僕はひとつ、忘れていたことに気がついた。ダイニングには一枚のメモ用紙。そうだ、確か昨日の夜から両親は夫婦水いらずで旅行に出ているんだった。ということは、もちろん朝食も用意されていないわけで、僕は料理が出来ない。どうやら食パンすらきらしているようで、これは、どうやら朝食抜きで学校に行かなくてはならないかもしれない。

 そうため息をつきながらテレビをとりあえずつけてみた。朝食がないのならば、時間をどうにかつぶさなくてはならない。最初に画面に映ったのはローカルのニュース番組だ。右上に表示された文字を見る限りでは本日未明、火事が起きたらしい。それも、僕の通っている高校からあまり遠くない場所だ。

「なんだか物騒な話だな」

 そうも言いながらも、実際のところそこまで心配になども思っていない。

 僕はチャンネルを回し、他の局の番組を映し出す。しかし、なんだかどれもこれも面白くない。携帯電話を開き、僕はネットにつないで一通りサーフィンしたあと、アプリゲームでもやろうともしたが気が乗らずにすぐにやめた。一つため息をつき、少し早いが家を出ることにしよう。

 ああ、何か面白いことや事件のひとつやふたつ、起きればいいのに。


 外はうだるような暑さで、僕はやはりというか、学校につく頃には相当のやる気をそがれていた。ああ、もう家に帰ってしまいたい。

 今年から完備された教室ごとのクーラーは、学校の方針なんだか単なるケチなんだか知らないけれど、二十八度以下には設定しないらしい。これではあんまりにも意味がない。その証拠に、僕のクラスの窓は全てが全開している。

 それにしても、と、僕は思う。

 早めに家を出たからだろうか、いつも以上に教室に人が少ない。僕以外に四人しかいない。その四人も、別段仲がいいわけでもないのだろう、各自が携帯やら文庫本を手に取り、自分の世界に入っている。

 ――きっとこんな景色も、なにかきっかけがあれば変わるのだろう。

 ふと、そんなことを思った。自分でも何故そう思ったかは、明確な理由は分からなかった。

 僕はカバンの中から一冊の文庫本を取り出すと、挿んだ栞を探し出し読み始める。一ページ、二ページ。少し前から感じていたことだけれど、やっぱり、この本は面白くない。

 僕は本を閉じると大きくため息をついた。それとほぼ同時に、教室の扉が開いた。

 教室に入ってきたのは僕の友達、大木元也だった。

「おお、何で薫がもういるんだ? いっつも遅刻ぎりぎりの時間に来る人間が、めずらしー」

「……朝っぱらから失礼なヤツだな。はじめに『おはよう』の一言もないのか」

「ああ、そうだな。おはよう」

 投げやりな言い方だが、一応形だけでも挨拶をするところがこいつらしい。

 僕は手に持った文庫本をカバンにしまうと、もう一度こいつに声をかける。

「それにしても、お前は朝からテンションが高いな。こんなに暑いというのに」

「あ? 暑さに負けてたら高校生としてどうかと思うぞ、俺は」

 半袖のワイシャツの袖をめくり、肩まで真っ黒に日焼けした肌を見せて元也は言う。根っからの遊び人の元也は、インドア派の僕とは違って、すでに海やプールに結構な数行っているようだ。

 その短い髪は染めてもいないのに日焼けで色あせていて、大分茶色くなっている。元也は正義感も強いし、多分、この学校一の好青年だろう。

 僕はそんな彼に言い返す。

「今時の高校生は暑さに負けるのが普通なんだよ、フツー」

「へ、軟弱野郎め」

 なんとでも言えばいい。僕は今時の一般的なインドア高校生なんだ。面白みは無いけれど、僕は行動派でなくて、ただの観客でいるのが好きなんだ。

 ふん、と僕は鼻を鳴らし、そしてまた一人教室に入ってくるのが見えた。僕はそいつを一瞥してから、廊下側を背にした元也にもう一度言葉を放つ。

「……僕より軟弱なヤツがいるじゃないか」

 あえて、僕は名前を伏せる。

「ああ、言えてる。恭平のひょろっち差は異常かも」

「……誰がひょろっちいって?」

 元也は真後ろからした声に肩を跳ねさせる。僕から見ると丁度元也を挟んだ真正面に恭平はいた。さっき教室に入ってきたのはこいつだ。

 銀縁の眼鏡を光らせて、元也に凄む姿は怖いようなそうでないような風格で、正直なことを言うと、こいつは根暗なオタク君、という表現をしたほうがいいような容姿だ。別に、根暗なわけでもないんだけれどな。

 僕は陽気に挨拶を交わすと、恭平も返す。

「で、二人で誰がもやしだって言ってたのかな?」

 誰もそんな事は言っていないのだが、とは返さずに僕は上手くはぐらかす。

「ん、何のことだ? そういえば元也がなんか言っていた気がするけれど、僕は知らないな。」

「あ! 薫、お前なんて薄情な」

「なにが。僕は一言も恭平の名前なんて出してないよ?」

 そこで一発、平手が元也の頭に落ちた。

 その光景に僕が噴出すと、恭平も続いて笑い出した。叩かれた元也まで笑い出す。いまいち、どう表現していいか分からないけれど、僕達は一応、仲良し三人組なのだろうか。

 一通り笑いあうと、恭平が思い出したように、話題を振り出す。

「そういえばさあ、朝のニュース見た?」

「ニュース?」

 元也がいきなりなんだと言わんばかりに眉を寄せた。

「そう、昨日の火事を報道したやつ」

「ああ、それなら僕、見たよ。たしかこの付近で起こったやつだろう」

 僕は今朝見たニュースの内容を挙げる。あまり興味がなかったけれど、恭平には何か気がかりなことでもあるのだろうか。

「それがさ、僕、あの火事の予測、というか予言めいた記事を見てさ」

「はあ、なに言ってんだ?」

 僕の思いも代返するように元也が問いただす。

「だからさ、予言だよ、よ・げ・ん! あの火事が起こることを前もって知っていた人物がいたんだ」

 そう言い、恭平はポケットから携帯電話を取り出した。キーを操作して少しすると、出した画面を僕達に見せる。

 表示されていたのはネットの掲示板だ。ただ、その見た目はあまりいいものではなく、真っ黒い背景に赤い線や文字で統一されていて、掲示板のトップには『学校裏サイト』の文字があった。

 恭平は僕達に画面を見せたまま、慣れた手つきで携帯を再び操作する。画面が一通りスクロールして画面が変わった。

「ここ、このうちの学校のスレッドに予言があったんだ」

 僕と元也はその小さなディスプレイを真剣に覗き込む。そこには、一昨日の日付でこう書かれてあった。


 預言者: 明日、この学校の近くの民家で火事が起きる


 相変わらず真っ赤な文字で、ファンシーな絵文字も顔文字もない単調なレス。僕は恭平に断りをいれてから携帯を受け取り下にスクロールさせ、続きを表示させる。


 名無し: は?

 名無し: 何言ってんのこの人

 名無し: 預言者とか言って笑える。放火予告か?

 

 などと茶化すものもいれば、


 聖職者: このような書き込みをなさったということは、もし、翌日本当に火事起き、それも放火だった場合、これは放火予告としてみなされると思われます。その場合、警察のお世話になることを知っての上でのことなのでしょうか?

 

 と、正論を盾に噛み付くような意見を述べる人もいた。確かに、この『聖職者』の言うとおりかもしれない。

 いや、重要なのはそこではない。実際にこの預言者の言うとおり火災が起きたということが何よりも重要なことだろう。

 元也が問う。

「で、実際どうだったんだ、この火事」

「どうって、何が?」

「だから、放火だったのかって話だよ」

 恭平はその言葉を聞くと一度目を丸くしたが、すぐに笑顔で答えた。

「もちろん、放火だよ。火元は燃えるようなもののないガレージの辺り。幸い、その家の車は外食で出かけててなかったそうだね。近所の人が火災を発見、通報って話」

 へえ、そうだったのか。と僕は思う。朝は途中できってしまったからそこまで聞いていなかった。

 僕にはまだ、学校の近所で火事が起こった。という意識しか湧いてこない。

 二人の討論をぼんやりと聞きながら、僕はまた画面をスクロールさせて書き込みを見ていく。ひとつ、ふたつ、実際に火災が起こったことに対しての書き込みが見えてきた。この辺から先は今日の日付になっている。その中に、また『預言者』の書き込みがあった。


 預言者: 今日の夜、またこの学校の近くで火災が起きる


「なあ、おい、これちょっと見てみろよ」

 僕はその書き込みを二人に見せるよう携帯を向けた。

 恭平はそれを見ると歓声をあげ、興奮した様子で口を開く。

「またまた犯行予告! しかもまた近くだって? これはもう、今夜巡回するしかない。二人とも、今夜大丈夫?」

「は?」

 突然何を言い出すかと思ったら、そんなことを口にした。そういうことは警察の仕事で、僕達のやることじゃないだろう。それに、あまり目立ったことをやると、こっちがつかまってしまうかもしれないじゃないか。僕は補導なんて受けたくないし、放火犯と思われて事情聴取をされたくもない。いたって健全な高校生でいたい。それに、あんまり興味もないしね。

 元也も同意見のようで、二人で恭平にその節を伝えると、恭平はすねたように言う。

「……じゃあいいよ。僕は一人でもいくからね」

「ああ、つかまらないように気をつけろよ」

「ふん、だ、まったく、面白い事は待っていてもやってこない。自分から行動を起こして、初めて出会えるものなのに。二人とも損するからな」

 恭平の悪態と格言とともに、一限目を告げるチャイムも鳴り響いた。



 あくる日、僕はまだ両親の帰らぬリビングで朝食をとっていた。昨日のうちに買ってきた食パンをトーストしただけのものだけど、ないよりましだろう。

 そして、ふと気になり僕はテレビをつけた。

 まわしたチャンネルはローカルニュース番組。昨日起こった事件に関してのニュースを報道していた。そして、僕は一行の文字に目を留める。

 


「今朝のニュース見たか?」

 一限目が始まる前の休み時間、教室内がまだざわついているこの時間に、元也は僕に聞いてきた。意外だ、昨日はあまり興味のなさそうな雰囲気だったのにこんな話を振ってくるなんて。恭平もいるのかと思って教室を見回したが、どこにもその姿を確認する事は出来なかった。今日は欠席だろうか。

 少し戸惑いと疑問を抱きながら、僕は答えた。

「見たよ。連続放火のやつだろう」

 僕は朝のニュースで目に留めた四字熟語をそのまま元也に言う。

「ああ、あれ、やばくねえか」

「なにが?」

 なにがやばいと言うのかさっぱり分からなかったので、僕は率直に問う。それが御気に召さなかったのか、元也は若干憤りの色を見せながら続けた。

「だからその連続放火だよ」

「だからそれの何がやばいんだって言うんだよ。確かに危険な事件だけれど、死傷者はでていないっていうじゃないか」

 そう、昨日の放火でも被害者は軽傷者一人としてでなかった。火災が起きたのは予告どおり僕らの通う高校の付近の民家。距離としては五百メートルくらい離れた位置にある一軒家だ。昨日は、その家の庭から火がでた。誰かが火をつけた新聞紙を外から放り投げたのだ。幸い、辺りに燃え移る前にパトロールをしていた自治会の方々が見つけ、消火活動を行ったそうで、あまり被害はでなかった。

しかしながら、犯人の姿を目撃したものは誰一人としていなかったという。

「いや、それが、その……」

「なんだよ」

「いや、うん、……悪い、なんでもないわ」

 そう言い、元也はすごすごと立ち去っていった。

 ――今の元也の様子は、普通じゃなかった。いつもはもっと率直に、素直にものを言う人間だ。こんな風に何かを言いごもることなんてしないようなやつなのに。

 もやもやとするものを抱えたまま、僕は午前の授業を過ごした。どの時間もなんだか身が入らず、ただただ、だらだらとした時間ばかりが過ぎていった。授業の合間にある休み時間にも、元也は話しかけてくることもしないで、そればかりか授業が終わるなりすぐに教室を出て行き、僕に話をする暇すら与えない始末だ。

 恭平も昼になっても姿をみせず、僕は一人むなしく中庭で昼食をとることになった。

購買で買ってきたコロッケパンにかじりつく。朝も思ったけれど、一人むなしい気分で食事をとるときほど味気ないものはない。なんだか砂か粘土でも食べている気分だ。

 僕の思考をめぐっていくのは、先ほどの元也の行動のことばかり。

 いつも意志が強く、自分の言いたい事はしっかりと言う元也があんな態度をとるなんて何かあったに違いない。でも、それは一体なんだろう。

 元也は連続放火事件について話を振ってきた。そして、あいつ曰くあれはやばいことらしい。いや、確かに放火は危険なことだ。でも死傷者はでていない。ただの偶然かもしれないけれど、僕はなんとなく、これは偶然じゃないと思う。

 火元はガレージと庭だ。もし、僕が放火するならこんなところには火を放たない。こんなことをしても面白くないと、僕は思うからだ。やるなら徹底的に、派手にやるのが犯人の心情じゃないだろうか。

 そう考えると、犯行を行っている人間はその心情に反して行動している。つまり、家に火を放つ気は無いんじゃないかと僕は考える。

 ああ、でもエスカレートしないとも考えられないか。

 僕は張り詰めていた気を緩めるようにため息をつく。肩からすっと力が抜けて、全身に酸素がめぐるような気さえする。見上げた空が青い。今夜も暑い夜になるだろう。

 突然、僕のポケットが震えた。携帯電話が鳴り出したのだ。僕はそれを取り出すと画面を睨む。どうやらメールを受信したらしい。

 メールボックスを開き、僕はその内容を確認する。送信先は元也の名前になっていた。

『さっき話そうとしたけれどやめたことをやっぱり話す。もう昼休みも終わるし、放課後、時間あるか?』

 絵文字も何もない、真っ直ぐな文章。こんな真面目な感じに送られたら、断るのも悪い。それ以前に、僕に断る理由なんてないのだ。もやもやした気分を晴らしたかったし、なにより、僕は元也を信頼している。

『わかった。時間もある。それじゃあ放課後、教室に残っていればいいか?』

 そう僕はメールを送り携帯を閉じると、ふと僕は気になり、確認することにした。

 もう一度電話を開き、ひとつの掲示板を表示させる。学校裏サイト。僕は自分の通うこの高校のスレッドをクリックし、下へスクロールしていく。そこで、僕はまたこの名前を見た。しかし、昨日のものとは違い、日付は今日のものになっている。


 預言者: 今日もまた火が放たれるだろう。次はもう少し離れた市境のあたりに少し大きく煌めく。


 その書き込みを見たその直後、僕の携帯が再びメールを受信した。

『それでいい。ただ、恭平が今日学校に来なかったらの話だ。もし来たら、またメールする』

 


 ホームルーム終了のチャイムが、学校中に鳴り響く。クラスメイト達はそれぞれ違う行動をとっていた。そそくさと教室を出て行くもの、友達と会話を楽しむもの、それに未だ眠りこけているやつなんかもいる。そんな中で、僕と元也は手ごろな机に腰をかけた。

 結局、恭平は今日学校で一度たりとも姿を見せていない。つまりは欠席した。だから僕達は、ここで話し合うことにしたのだ。

 しかし、はじめのうちは話し合いになどなりもしなかった。元也から話があると聞いていたので、僕は自分が話したいことを端に置いといて元也の話を聞くことにした。だが、元也はなかなか口を開けずにいた。

 さて、どうしたものか。どちらも口を開かないまま、葬式みたいな空気の流れるこの空間で僕は先に話を切り出そうか。教室からは人も大分減り、僕がそう思いかけた頃、ようやく元也が口を開きだした。

「……あのさ、恭平のことなんだけど」

 思わぬ話の切り出しに僕は少し戸惑う。放火の話に関して切り出してくるかと思ったのだ。

 そんな僕の心情を知ってか知らずか、気が重そうに元也は続ける。

「俺、昨日見ちまったんだ」

「何を」

「……放火現場」

 またも思わぬ言葉に僕は眉を寄せる。

 僕のその顔を見て元也はもう一度、言葉にする。

「昨日、見たんだ。恭平が放火をしているところを」

 僕の心臓の音が高鳴りだした。徐々に徐々に、胸の鼓動は早くなり、今にも全てをぶちまけたい。そんな気にさえなりもする。

 そこから僕は一言も発さず、ただただ静かに、吐き出すように話す元也の言葉に耳を傾けた。

 目撃したのは昨日の夜十一時頃。これは、丁度放火が発見された時間帯とかぶる。元也はその時間、日課であるランニングをしていたらしい。ただ、いつもとは走るコースを変えたそうだ。昨日の恭平の言葉が気になり、もし途中で見かけたら家に無理やりでも帰らせるつもりだったらしい。

「あいつ、性格上ちょっと危ないことに首を突っ込みそうだからさ、そうならないうちに発見して、家に帰らせるつもりだったんだ」

 そして、元也は恭平を見つけた。帽子を目深にかぶっていたが、一目で恭平だと感じたらしい。その手には液体の入ったペットボトルと新聞紙、極め付けにマッチを手にしていたらしい。そのあまりの格好の不自然さに、元也は声をかけるのにためらった。

 彼を後ろからつけて歩くと、ひとつの民家の前で立ち止まった。明かりのついていない、無人の住宅。恭平は新聞紙にペットボトルの液体をかけ、火をつけたマッチと一緒にその庭に放り投げた。

「俺、なんか恐くなってそこから逃げ出してきちゃったんだ。だってそうだろ? 親友が罪を犯している現場を見て、そいつに何て言えばいい!」

 今が放課後で、教室に誰もいなくなっていてくれて本当に良かった。

 声を張り上げた元也は、嘲るような顔をしていた。おそらく、どうすることも出来ない自分に対して、憤りや無力感を感じているんだ。

 そんな彼を、僕は励ますことしか出来ない。

「まってよ元也。それが恭平だって、まだ完全に決定したわけじゃないだろう。帽子を目深にかぶってたっていうし、人違いかもしれない」

「……そう、だといいんだけどな。でも、あれは間違いなく恭平だったと思う」

 そこまで言われてしまったら、僕は一体どうすればいいんだ。

 無言の時が流れる。元也は深く顔を落とし、周りからも音が聞こえなくなるくらいにこの場の空気は死んでいた。

 恭平がこの連続放火の犯人である。そんなことを言われても、僕にだってどうすることも出来ない。彼をかばう事だって、警察にこの事を言うのだって、どちらも選ぶことなんて出来やしないじゃないか。

 どれほどの時が経っただろう。そんなに経っていないはずなのに、この重苦しい空気が時間を長く感じさせる。

 窓の外は夕闇に飲まれていっている。真っ赤に染まりゆく空は、まるで燃えているように夏の暑さに揺らめいている。それを見て、僕は自分が話そうとしていたことを思い出した。

 渇いた喉から搾り出すように、僕はその言葉をつむぐ。

「なあ、そういえばまた予言があったんだ。今夜、市境のあたりで放火があるらしい。……それを、確認しに行かないか」

 俯いていた元也は力なくゆっくりと顔を上げ、その顔をみせた。目は大きく見開いているがその目には輝きが見えない。奥底に期待よりも恐怖の色が見えている。それでも、元也は首を縦に振った。

 重く冷たい汗が、僕の額を伝い落ちた。



 僕と元也が学校から別れた後、僕らが次に顔をあわせたのは夜の九時をまわり始めた頃だった。学校の校門前にお互い身一つで集合した。自転車やバイクで移動するより、このほうが動きやすいだろうと考えたからだ。

 そして、僕の考えの通りに目的地を目指して歩き出す。

 僕達の通う高校は、市の東側に位置している。市境との距離は一キロほど。西側の市境だと十キロ近く離れている。『預言者』の言葉では少し離れた、とされている。前回の放火が起きた家と学校までの距離は五百メートルだ。せいぜい離れても一キロ程度だろうと僕は考え、東側の市境に目標を絞った。

 交通量の減り始めた大通りを会話もなく歩き続ける僕達。正直、会話をするほど心に余裕がなかった。友人の犯行なのかもしれないという不安に押しつぶされないように、気持ちが折れないように、僕達は必死だった。

 歩き始めてから数十分。直線距離で考えて学校から一番近い市境に僕達は到着した。それでも、この辺りに火の点けられそうな民家はあまりない。集合住宅の多いこの近辺では放火は起きないだろう。僕はそう思い歩を進めようとすると、元也が急に立ち止まりだした。

「……なあ薫、やっぱりやめないか」

「なに言ってんだ。ここまで来てそれは無いだろ?」

「じゃあ、もし本当に恭平だったら、お前はどうするんだよ」

 元也から、重い言葉が発せられる。僕はその言葉を強く受け止めた。

「……どうしていいか分からないけど、なんとかする。元也、お前らしくないぞ。お前は間違った事はしないやつだと僕は思ってる。恭平が誤った方向に進んでいるのを黙ってみているのは、答えとして間違いじゃないか?」

 自分にも言い聞かせるように、僕はそう言い返した。本当は、僕自身がそうして欲しいんだ。

 沈んだ闇夜に沈黙が流れる。夕方の時のように何も聞こえない本当の沈黙。夏の夜だというのに虫一匹鳴きもしない。代わりに僕が泣きたい位だ。

 そんな気分に陥った頃、元也が小さく、それでも心は強く一言、

「悪かった」

 と言い、歩き出した。その目にはもう恐怖の色はなかった。

 僕達はもう一度歩き始めると、まず北を目指した。本当は南北に分かれて行動をしたほうが効率がいいのだけれど、一人でいて、もし恭平に出会ってしまったらどう行動していいのか分からなくなってしまうのでは無いだろうか、そういう不安があったから、僕達は行動を共にした。

 やはりまた言葉は無い。それでも、さっきよりは少しばかり心の持ちようが変わった気がする。少なくとも僕はそうだ。目的が加わったことでこんなに変わるとは、思いというものは大事なものなんだと、改めて実感した。

 辺りの風景が変わってきた。集合住宅は一軒家に、多かった街灯は徐々にその形を見せなくなっていた。

 歩き続ける僕らは、行き止まりにあたった。なれない町にいるとよくあることだ。仕方なくもとの道に戻ろうと振り返ったその刹那、僕らの足は止まる。

 ――いた。

先ほど通ってきた道を、帽子を目深にかぶった男が通り過ぎたのだ。

 鼓動が早くなる。それでも、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。あいつを見失わないように僕は静かに駆け出した。

 物陰に隠れながら一度も経験したことのない尾行をする。くそ、離れていて暗いために顔が良く見えない。

 男はきょろきょろと視界を回しながら町角を曲がる。おそらく、人のいない家を探しているのだろう。今までの犯行がそうだったように、今回もきっと誰もいない家を狙うはずだ。

 ひとつ、またひとつと角を曲がっていく。元也もはじめは僕の後ろにいたが、やはりこいつのほうが運動神経がいいからか、道の角を三つほど曲がった頃には元也のほうが僕の前についてくれていた。

 数分間歩き続けると、回りまわって一度見たことのある道に帰ってきていた。

 ……あえてもう一度通るということは、もう放火する場所が決まったのだろう。

 そう考え始めると同時に、男はひとつの民家の前で立ち止まった。

 明かりのついていない、人の気配のない白い家、庭は小さなもので火の点けられそうな場所は……。

 ――あった。今はもう亡くなっていないのか、それともつれて外出中なのか、小さな犬小屋がぽつんとひとつだけ。男もそれに目をつけた。

 男は右手に持っていたペットボトルのキャップを開けると、その犬小屋めがけて透明な中身をぶちまけた。風に流されて匂ってきた感じからすると、あれは間違いなくガソリンだ。

 やめろ、それ以上はやっちゃダメだ。

 男はそのズボンのポケットから何かを取り出そうとした。しかし、

「やめろ!」

 叫ぶが早いか、元也が男に向かって駆け出していた。

 その声に男もこちらに気がつき、走り去ろうとする。だが、反応が遅れた。ポケットに手を突っ込んでいたことが犯人の仇となったのか、逃げる前に元也に一発、右の拳を顎に決められていた。

 人の骨を打つ鈍い音が聞こえ、男がよろけ倒れる。その拍子に、目深にかぶった帽子が外れた。

 響くうめき声、僕はその一部始終を見て絶句した。

 まさか、ウソだろ。

 細く長い腕、銀縁眼鏡、そして、忘れることもあるはずのない、親友の声。

「……恭平」

 倒れこんだ男の顔は、僕達の良く知る親友のものだった。


 

 夏の明るみのある夜空は黒さを増し、もう夜中であることを告げていた。それでも僕らは家に帰らず、もしものことを考えさっきの民家からかなり離れた公園のベンチに、三人で腰をかけていた。

 今にも泣き出しそうな声で元也は問いただした。

「なんで、なんでこんなことをしたんだ」

「……退屈だったんだ」

 恭平の声は感情もなく、冷たさもなく、ただそこにある言葉の羅列として聞こえてくる。

「僕は退屈だった。こんななんにも起こらない町で、毎日を過ごすことが耐え切れなかったんだ。……そこで見つけたのがあの『預言者』の言葉さ。でも、結果的にはその日のうちには何も起こらなかった。冗談だったんだよ、枠しかないただの言葉。その枠に、僕は肉をつけたんだ。

 楽しい事や面白い事は待っていてもやってこない。自分で行動しなくちゃ出会えない。いつも自分で言っている言葉を思い出したよ」

「それで、火を放ったのか」

「うん、そうだよ。だから初日は予言した日に放火されなかったんだ。翌日になってたからね、僕が火をつけた頃には。でも、楽しかったよ。特にたいしたものを燃やしたわけでもないのに、放火ってだけでみんなが反応するんだ。ニュースにもなるし、ホント、愉快だったよ」

 口にはそう出すが、恭平の言葉はやっぱり無感情だ。

「二回目の書き込みがあったときは、僕は感じたね、これは僕に対する指令なんだ。多分、これにしたがってやればもっと楽しくなるんじゃないかって思えてきた。

……でも、もう終わりにしなくちゃ。二人にばれちゃったしね。僕はこれから、警察にでも行くことにするよ。ふたりに迷惑はかけたくない」

 静かに立ち上がる恭平。僕達はその姿を止めることも追いかけることすら出来なかった。ただただ、みっともなくその場に座り込んでいる、それしか、出来なかった。

 僕の心に、後悔と悲しみの念が僕の心を渦巻く。

 それを晴らせる方法なんて、あるわけがない。だって……。

 恭平をこんな風にしてしまったのは僕だ。『預言者』こそが僕だったのだから。

 

 ――はじめはほんの軽い気持ちだった。火事がある、と予言と言う名目でデマを書くだけで掲示板が騒ぎ出す。そんな小さなきっかけで人はあわてたり、団結してその言葉に反発したりする。それが快感だった。

 ただ、僕が予言したことが本当になるとは思いもしていなかった。だから少しの期待が出た。でも、僕の想像よりも火は小さく、放火というにはあまりにも小さいものだということに苛立ちも感じていた。

 だから僕はもう一度書き込んだのだ。次はエスカレートしてもっと大きなものになるかもしれない。見知らぬ誰かにそう期待して。

 知らない相手が僕の言うことをきいて行動する。そのことに、あまり罪悪感もなにも感じていなかった。だからこそ、元也が犯人の姿を見たというとき、重く冷たい氷の矢が、心臓に突き刺さる思いがした。僕が、親友を犯罪者にしてしまったのだ。

 罰を受けるべきは僕だ。

 

 翌日、また誰もいない家で僕はニュースをつけた。連続放火犯自首。その文字が僕を殺すように締め付ける。

 恭平は『預言者』は自分の書き込みで、すべて自作自演で行ったのだと証言した。そのことが、さらに僕の首を絞める。どうして、そんなことをしたんだ。

 ――二人に迷惑はかけたくない。

 その言葉が頭をよぎる。もしかしたら、彼は全て知っていたんじゃないだろうか。僕が書き込みをしていたことも、大きな騒ぎになることを期待していたことも、全部。

 いや、単なる思い過ごしかもしれない。それでも、もう僕にはそう考えることしか出来なくなっていた。彼は全部悟っていたんだ。

 その日、僕は学校に行かなかった。

 身体が冷たく震えが止まらなかった。布団にもぐり温まろうとするが一向に身体は温らない。それなのに額からは氷のように冷たい汗は出てくるのだ。身体の中に重い氷の塊が入っているようだった。がたがたと震える身体を抱え込みながら、僕は警察がいつかこの家にやってくるんじゃないかという恐怖に呑まれていた。もう、動ける気がしない。

 勇気のない自分には、恭平をかばいに行くことなんて出来やしなかった。

 

 楽しみを求め、始めた小さな出来事、僕はそいつで親友を犯罪者にしてしまった。

いや、僕自身も犯罪者だ。

 僕は、罪を犯した。






 こんにちは、樋山紅葉です。

 『思わぬ罪』を一読していただき、誠にありがとう御座います。


 この作品は、私が一度本として出させていただいた(無料配布でした。同人誌……と言うのですかね(汗)はじめての作品でございます。(少々修正をしましたが(汗)


 記述トリックを使いたかったのですが、あんまり上手くできなかったかなあと、自分の実力のなさが悔やまれます……。


 

 この作品を読んでくださった方、そして、どこかでこの作品を収録された本を手にとっていってくれた方、本当にありがとうございました。

 これからも頑張りますので、樋山紅葉を宜しくお願い致します。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 読みやすかったです。最後まで読んでいても飽きることがない文章でした。中編くらいの長さでも読んでいたんじゃないかと思います。
2009/10/28 01:29 退会済み
管理
[良い点] トリックとかはないんですけど、 すごくおもしろかったですよ♪ 文法もわかりやすかったです。 [気になる点] 後半ほど、読みやすくなっていますが、 前半の表現が少し淡々だと思います。 [一…
[良い点] 先を読みたくなる展開と、思わぬ真実に驚き、とても楽しく読めました。 砂を食べているようだ、の表現がすごく好きです(笑) [気になる点] 最後はちょっと物足りないな、と思いました。 やや展…
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