第3話 迷宮の外ってどんなトコ?
「あふぅーーーーーー……。」
温泉に浸かり、思わず気の抜けた声が漏れた。
乳白色のお湯を掬い、バシャッと顔を洗う。
「はぁ~~……、極楽極楽。」
ここは迷宮内の温泉。
すぐ近くに、十個くらいの違う泉質の温泉が点在する。
しかも、温泉が湧いているだけではなく、なぜか泉質の説明が書かれた立て看板まである。
今入っている温泉は硫黄や炭酸などが含まれるらしい。
立て看板にそう書かれていると、レミファが教えてくれた。
「呆れるくらい何でもあるよな、迷宮。」
ボロいが脱衣所に使える掘っ立て小屋みたいな物もあり、天然温泉そのものである。
そして、なぜ迷宮内にこんな温泉があるかといえば、それは勿論歪んでいるから。
空間が歪むと、こんなことも起きるらしい。
よく分からんが。
「随分と気の抜けた顔をしておるの。 そのまま魂まで抜けそうじゃぞ?」
隣で温泉に浸かっていたレミファが、俺にしな垂れかかる。
ちらりと視線を斜め下に向けると、立派な谷間は見えるが、大事な部分が乳白色のお湯で隠れていた。
(ちっ、見えない。)
まあ、ちょくちょく御目見してますけど、やっぱりこういう所でちらっと見えるのも乙なもの。
雅というものだ。
たぶん。
「そのうち、ボウリング場とかビリヤード場とかもできるかもなあ。 ていうか、もうあるか?」
「ぼーりんぐ?」
この迷宮は、とてつもなく広いらしい。
【歪み】を自在に操り、様々な場所に行ったレミファですら、すべてを見てきた訳ではないという。
なので、すでにある可能性もある。
つーか、ラウン〇ワンとか丸ごと流れてこねーかなあ。
俺はもう一度温泉でバシャッと顔を洗う。
(きっと迷宮はできる子だ。 俺は信じてるぞ。)
そうしてしばらく温泉に浸かり、レミファと一緒に居住空間に戻った。
「なあ、レミファ。」
「何じゃ?」
地面に何やらマットを引いて、レミファが熱心にヨガをやっている。
つーかそれ、ヨガマットか?
「迷宮の外ってどうなってんの?」
「外?」
レミファが「戦闘をやめた戦士のポーズ」のまま、首を傾げる。
俺はこの迷宮に流れ着いて二年ほど住んでいるが、実は外に出たことが一度もない。
迷宮の中には外のような場所がいくらでもあり、自分が本当の外に一度も出たことがないことに気づかなかった。
「よくよく考えたら俺、外に出たことないんだよ。」
「別に外も中も大して変わらんぞ?」
「まあ、そうかもしれないけどさ。」
陽光がさんさんと降り注ぐ場所もあるのだ。
わざわざ外に出るまでもないと言えば、その通りではあるのだが。
「行ってみるかえ?」
「いいの?」
「別に構わんの。 まあ、然して見るものもないじゃろうが。」
あっさり、外に行く許可が出た。
「レミファは行ったことあるのか?」
「そりゃ行ったことくらいはあるがの。 大して面白いものもなかったぞ?」
レミファは「鳩のポーズ」をとりながら、本当に興味なさそうに言う。
「おお~~~……。 街だ。」
迷宮の入り口から少し離れた高台で、眼下に広がる街並みを眺める。
迷宮の入り口は洞窟そのものだ。
その入り口を補強するように石造りのパルテノン神殿もどきを建て、その神殿から扇状に街が広がっている。
神殿の周りは広場になっているようだ。
「少し見ない間に随分変わったのぉ。」
「そうなの?」
レミファも興味深そうに街並みを眺めている。
ちなみに、なぜこんな迷宮の入り口から離れた場所にいるかと言うと、どうも入り口で迷宮に入った者をチェックしているらしかったからだ。
俺たちは当然迷宮に入った記録がないので不審思われる。
それが嫌で、レミファに離れた場所に【撓み】で連れて来てもらった。
「前はあんな石造りの建造物なんぞ、なかったぞ。」
「……それ、前来たっていつよ?」
「そうじゃな。 かれこれ七~八百年振りくらいかの。」
そりゃ変わるよね。
ていうか、レミファって何歳よ?
レミファと並んで街中を歩く。
この世界では、移動にまだ馬が使われているようだ。
街並みは綺麗だが、地面は舗装されていない。
普通に土のままだ。
俺は念のため剣士装備をしていたが、街を歩く人たちと特に違和感ない。
こういう恰好が普通の世界のようだ。
そして、なぜかレミファはナース服を着ていた。
そういうお店にしか見えないからやめれ。
子供たちが追いかけっこをしているのか、俺たちの横を通り過ぎていった。
道には他にも買い物途中のおばちゃんなどもちらほら見える。
この街の人たちや、その祖先なんかはみんな世界の歪みに落っこちて、流れ着いた人らしい。
落ち着くような、懐かしいような、何とものどかな光景だった。
「なんか、いい匂いがする。」
「あそこじゃないかの? 食堂のようじゃ。」
すぐ近くに食堂があった。
「あー……、なんかお腹減ってきたかも。」
「食べて行くかえ?」
「いいの? って、お金持ってないでしょ。」
俺がそういうと、レミファがにっこりと笑う。
「お金くらい持っとるわ。 そう心配するでない。」
「え? まじ?」
迷宮で拾ったのだろうか?
「じゃあ、食べて行こうか。 何気にこの世界の料理って初めてかも。」
いつもは迷宮で調達して、適当に食べてるだけだからな。
「決まりじゃな。 好きなだけ食べて良いぞ。」
「え、ほんとに?」
レミファは結構お金を持っているようだ。
食堂に入る。
「はい、いらっしゃい! どこでも好きな席座りな!」
元気のいい女将さんというか、肝っ玉母ちゃんみたいな女性が笑顔で声をかけてくる。
どこにでもいる、普通の定食屋のおばちゃんだ。
俺とレミファはテーブル席に向かい合って座った。
「メニューは……あそこに掛けてあるのがそうか?」
壁に木札でいろいろ書かれているが、読めなかった。
「どれにするかの?」
「レミファ、読めるの?」
「当たり前じゃ。」
さすがは年の功。
読めるらしい。
ドガッ!
いきなりテーブルの下で足を蹴っ飛ばされた。
ブーツ履いてるから何ともないけど。
「今、何か失礼なこと考えてなかったかの?」
「……滅相もない。」
すっとぼけた。
「レミファ、適当に頼んでくれる? 俺読めないから。」
「何じゃ、トーシロー。 読めないのか?」
そりゃ、異世界の言語ですから。
異国の言語すら分からないのに、世界が変わって分かる訳がない。
「ほれ。」
レミファが腕を伸ばし、俺のおでこをツンと指先でつく。
「もうよいぞ。 見てみい。」
レミファがそう言って、メニューの木札を指さす。
『ハンバーグ?定食』
『スタミナ?定食』
『酢豚?定食』
『焼魚?定食』
『食べるな危険!!!』
先程まで読めなかったメニューが読めるようになっていた。
「あれ? 何で?」
「妾の眷属なのじゃぞ? 権能を授ければ済むことじゃ。」
レミファすげー。
「そもそも、これまでどうやって妾と会話していたと思っておるのじゃ。」
「どうって、そりゃ……。」
日本語?
あれ?
「レミファ、日本に行ったことは?」
「ある訳なかろ。 どこじゃそれは。」
だよね。
よく分からんが、自動翻訳機能を授かったらしい。
俺はメニューを改めて見る。
「何か、見慣れたメニューばっかなんだけど。」
異世界だろ、ここ。
何だよ焼魚定食って。
「ていうか、メニューにみんな『?』が付いてるぞ。」
「それはトーシローにとって近似の物に置き換えて認識しておるからじゃな。 実物を見ればはっきりと認識するから、『?』も取れるじゃろ。 違う名称に置き換わるかもしれんがの。」
よく分からん自動変換機能が搭載されているらしい。
(………………………………。)
あえて触れないでいたが、『食べるな危険!!!』って何だ?
近似の物には『?』が付くとして、『!!!』ってめっちゃ強調してんですけど。
もしかして、俺にとっては食べたら確実に死ぬとか、そういう系?
妙に気になるが、まあ今回は普通にいくか。
「決まったかい?」
おばちゃんがテーブルにやって来る。
「俺は『スタミナ?定食』。 レミファは?」
「そうじゃなあ、『食べるな危険!!!』にするかの。」
ぶっ!?
「ちょ、レミファ!? そんなの食べて大丈夫なの!?」
「何を言うておる、トーシロー?」
レミファが不思議そうな顔する。
どういうこと?
「はいよ、『スタミナ?定食』と『食べるな危険!!!』ね。 すぐに出せるよ。」
メニューを復唱して、おばちゃんが奥に引っ込む。
そして、数分でおばちゃんが料理を持って来た。
「はい、こっちが『スタミナ?定食』で、こっちが『食べるな危険!!!』ね。」
そうして置かれた料理は、確かにスタミナ定食っぽかった。
細切れ肉をタレで焼き、盛りに盛った、まさにザ・スタミナ定食。
中々美味そうだった。
タレも非常に食欲をそそる匂いだ。
というか、普通に白米のご飯とみそ汁が付いてるんだけど何で?
箸も置かれてるし。
レミファの料理は、キノコのソテーっぽい料理だった。
どこが『食べるな危険!!!』なんだ?
メニューを見ると、『スタミナ定食』『毒キノコ?のソテー定食』に書き換わっていた。
どうやら、最初に『食べるな危険!!!』と見えたのは自動翻訳のせいらしい。
これも親切機能なのか?
まあ、危ないと教えてくれているのだから、親切なのだろう。
「どうした、トーシロー。 食べないのかえ?」
「いや、食べるよ。 いただきます。」
手を合わせ、さて実食。
「うん、旨い。」
「『毒キノコ?のソテー定食』も中々イケるの。」
そうして、久々のスタミナ定食を堪能する。
「はぁー……。 美味かった。」
「妾も満足じゃ。」
しばしの休憩。
「では、そろそろ行くかの。」
「ご馳走様。 お勘定お願いね。」
「うむ。」
俺は店内を見回し、どこで会計するのか探す。
すると、おばちゃんが席に来てくれた。
どうやらテーブルチェックらしい。
「はいよ、お勘定ね。 二人で千七百パルだよ。」
この世界の通貨はパルというらしい。
レミファは値段を聞き、ポケットに手を入れる。
そうして、牙が八本結び付けられた紐を取り出し、テーブルに置いた。
「………………。」
「………………。」
俺とおばちゃんは黙って、その牙がついた紐を眺める。
何だろう?
アクセサリーかな?
レミファは紐から牙を一本外し、残りをポケットに仕舞う。
「釣りはいらんぞ。 取っておくが良い。」
そう、にこやかに言うのだった。