第1話 異世界とお姉さんと眷属の日常
いつも、この瞬間は眩暈のような錯覚を覚える。
ふわっとするような、くらっとするような、そんな感じ。
だが、踏み出した足にはしっかりとした地面の感触がある。
そして、俺はそこを潜り抜けた。
眩しい光に、目を細める。
そうして目が慣れてくると、見慣れた光景。
目の前には草原が広がり、すぐ近くに森林もある。
森林というよりは、果樹園か?
そう思うくらいに豊富な果実が一年中採れる。
ここは迷宮の中。
何で迷宮の中がこんなに明るく、草原や森林があるのか。
それは、この迷宮が歪んでいるから。
まあ、そのおかげで…………というか、そのせいでこの迷宮ではいろいろな変なことが起きる。
「今日は何を採ろっかなあ。」
俺は森の中に入り、手近かな黄色い果実を一つもぎ取る。
ずっしりとした重みを手に感じた。
服でごしごしと皮を擦り、果実の甘い匂いを胸いっぱいに吸い込む。
「いっただきまーす。」
そのまま果実にかぶりつく。
「んん~~~~~っ!」
たっぷりの水分に、甘みとほんのり酸味。
瑞々しい果実に、思わず唸る。
「うっめーーっ!」
俺は夢中で果実にかぶりつき、あっという間に食べ切ってしまう。
手の中に残った芯の部分をぽいっと投げ捨てる。
「うん。 今日の朝メシはこれにしよう。」
俺は六個の果実を採ると、持ってきた雑嚢に入れる。
そうして、周囲を見回す。
ぐるっと見回すと、森の中の少し先に、もやもやとした青い薄っすらとした光が立っているのが見えた。
姿見のような感じで、そこにある。
俺はその青い光に向かって歩き出す。
「おっとっと、危ない。」
よく見ると青い光の手前に、細い赤い線が斜めにあった。
「やべえ、やべえ。」
俺は赤い線を避けるように、遠回りして青い光に向かう。
遠回りする時も慎重に。
あの赤い線も、青い薄っすらとした光も、この迷宮ではどこにでもある。
もやもやした青い薄っすらとした光は、空間の【撓み】。
この迷宮では、この【撓み】を利用して移動することができる。
そして赤い線は、空間の【断層】。
一見するとただそこにあるだけのように見えるが、実は【断層】を挟んで空間が分かれている。
そうすると何が起こるか。
気づかないでそこを通ると、触れた部分が切れる。
仮に気づかないで首が【断層】を通過したら、歩きながら気づいたら首が落ちている。
あ、そうなったらもう気づかないか。
つまり、超危険。
なので、避けて通るが吉。
俺は【断層】を避けて【撓み】に着き、一息つく。
そして、【撓み】にゆっくりと触れ、すっと【撓み】の中に入る。
そうして辿り着くのは我らが楽園。居住空間。
家主が名称にこだわりがないのか、ただ居住空間と呼んでいた。
一瞬だけ眩暈のような感覚を覚えながら、俺は居住空間に足を踏み入れる。
居住空間は直径五十メートルくらいある、岩肌が剥き出しのドームだ。
完全に隔離された、【撓み】を使わないと行き来できない、泥棒が入って来れない空間。
出入口も窓もない、密閉空間。
完全に密閉された空間なら、酸素が枯渇すれば人は生きていけない。
なぜそんな所で生活できるのか?
それは、この迷宮が歪んでいるから。
草原のあった地帯に光が溢れ、一定の温度を保ち、風が吹いて空気が循環するのも、すべて迷宮が歪んでいるからだ。
厳密には、歪んでいるのは迷宮だけではない。
この世界。
いや、この世に数多ある世界、すべてがちょっとずつ歪んでいる。………………らしい。
俺も教えてもらっただけなので本当かどうかは知らない。
ただ、運が悪いとそうした歪みに嵌り、この世界に落っこちることになる。
俺みたいに。
「レミファー。 ご飯だよー。」
誰もいない居住空間に、俺の声が空しく響く。
ぐるっと見渡せば、俺以外には誰もいないのは一目瞭然。
だが、家主は呼べばすぐにやってくる。
「………………。」
あれ?
いつもは呼べばすぐに来るのに。
俺は肩に提げていた雑嚢を下ろすと、テーブルの上に置く。
「レミファーー。 どこいったー?」
俺は壁際に置かれたベッドに近づく。
岩肌剥き出しの居住空間に天蓋付きのベッドとか、シュール過ぎるが文句を言ってもしょうがない。
ここにあるテーブルも椅子もベッドも、すべては歪みに落っこちて漂着してきた物ばかり。
迷宮の中からレミファが拾ってきた物らしい。
俺はベッドの布団を捲るが、寝ている訳ではなかった。
「どこいった?」
「何がじゃ?」
急に後ろから現れたレミファが腕を回し、俺に抱きついてくる。
レミファの長く艶のある黒髪が、さらりと首筋に触れくすぐったい。
背中に当たるぽよぽよしたものが気持ちよかった。
「果物、採ってきたよ。」
「そうか。 ご苦労じゃったの。」
そう言いながらも、レミファが離れない。
ちらっと後ろを見ると、レミファは【撓み】から上半身しか出していなかった。
(…………これ、後ろから見たら断面はどうなってんだ?)
ちょっと嫌な想像をしてしまった。
「レミファ。 離して。」
「何じゃ、嬉しいくせに。」
そう言ってレミファが、俺の身体をまさぐる。
「ちょちょちょ!? レミファ!?」
「何じゃ今さら。 いつもしておるじゃろ。」
「う……。」
そうです。
実は、レミファとはそれなりにやることをやってしまっています。
だって仕方ないじゃないか。
綺麗なお姉さんと二人っきり。
しかもウェルカムとなれば、俺の迸るパトスはっ……!
レミファに押され、俺はベッドに倒れ込む。
レミファも【撓み】から、すぽっと出てきた。
構図としては、「押し倒された俺」といった感じ。
「あー……、ほんとに、するの?」
「何じゃ、うじうじと。 いつものトーシローらしくないのぉ。」
「いやー、ほら、朝っぱらじゃん? まだご飯も食べて――――。」
「ごちゃごちゃと煩いわ。 【勃て】。」
「ぎゃあーーーーーーーーーーーーーっ!?」
レミファの命令により、俺の息子が強制的に臨戦態勢をとる。
そう。
俺はレミファに逆らえない。
なぜなら、眷属だから。
「ほっほっほっ。 すぐに済むわ。 天井の染みでも数えておれ。」
「天井も染みもねーし! 天蓋で見えねーよ! つーか、どこでそんな言葉憶えてくんだよ!?」
俺はレミファにひん剥かれ、朝の運動をすることになった。
この世に数多ある世界は、ちょっとずつ歪んでいる。
そして、運が悪いとごく稀に、その歪みに落っこちる人や物がある。
俺みたいに。
そうして落ちた人や物は、ここに辿り着く。
あらゆる世界から零れ落ちた物のごみ溜め、吹き溜まり。歪みの終着点となる最果ての世界
大抵は生きて辿り着くことができる。
ただし、運が悪いとごく稀に命を落とす者がいる。
…………俺みたいに。
俺、秋月刀司郎は、ごくごく低い確率で運悪く世界の歪みに落ち、ごくごく低い確率で運悪く命を落としてこの世界にやってきた。
どんだけ運が悪いんだ、俺?
その日、俺は大学受験に向かった。
向かうはずだった。
だが、家の玄関を開け、一歩踏み出したら落っこちた。
世界の歪みに。
そして、その後の記憶は一切ない。
気がついたら、この迷宮でレミファに膝枕されていた。
だから、これらはすべてレミファから教えられた情報だ。
レミファが言うには俺は命を失ったが、レミファの眷属となることで再び命を得た。
俄かには信じられなかったが、信じざるを得ない事実がある。
それが眷属を従える魔法だ。
普段、俺は好きにやらせてもらっている。
レミファもそれは構わないらしい。
だが、いざという時は、俺はレミファに逆らうことができない。
魔法で強制的に従わせることができるからだ。
そんな飼い殺し生活をすでに二年も送っているが、実は然程不満はなかったりする。
レミファは綺麗なお姉さんだし、それなりに楽しい夜…………毎日を過ごしている。
何より、無理矢理に従わせられるとはいえ、レミファがそんなに理不尽なことを命令して来ないからだ。
俺がレミファに反発することもあるが、そうして反発するのを見てるのも楽しいのだとか。
なんか、飼い犬がちょっと吠えたり、飼い猫がちょっと引っ掻いたりするのを見てる、飼い主の余裕に思えるのは俺だけだろうか。
まあ、そんな訳でたった二人だけの迷宮暮らしだが、実はそれなりに元気に楽しくやっている。