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第20話 トリシュ

「妖精の世界?迷い込んだ!?・・・え?・・・え?・・・」


 エマはトリシュの言った言葉に理解が追い付かなかった。

 妖精は、冒険者の間では『確かにいる』と言われている。しかし目撃したのはごく少数で、しかも見える人と見えない人がいるらしい。そうなると当然信じない人もいるのだ。

 なので妖精がいると正式に認められてはいない。

 そんなある種架空の話である妖精のことを、トリシュはさも当たり前のように言っている。


「えっと・・・その・・・」


 戸惑うエマにトリシュは微笑む。


「いきなり言われても信じられないのも無理は無いわ。じゃあちょっと妖精さんたちを呼んでみるから。この世界に来られたのなら、あなたにも見えるはずよ。」


 そう言うとトリシュは少し上の空間に視線を向け、エマには聞き取れないくらいの声で何かをつぶやいた。

 すると、小さな光が2人の間に現れたのだ。


「!」


 その光はおよそ10cmくらいの小さな丸い形をしており、空中をふわりふわりと漂っていた。

 そしてその光はさらに1つ、2つと増え、合わせて3つの光がエマの前に現れた。


「これが・・・妖精!?」


 エマがつぶやくように言うと、その言葉に呼応するかのように3つの光は上下左右に揺れながら、エマの周りをまわりだした。


「あらあら、あなたは妖精さんに気に入られたようね。いつもより楽しそうだわ。」


 トリシュは楽しそうに妖精を見ている。

 周りを舞う妖精に戸惑っていたエマだが、光は目の前で舞っている。『妖精って本当に居たんだ。私、妖精の世界にいるんだ。」と、エマはようやく現実として受け入れた。受け入れざるを得なかった。


 やがて妖精は気が済んだのか、窓の外へとふわりと飛んで行った。


「妖精を見ることができたなんて、信じられない・・・。」


 妖精たちが見えなくなり、エマはようやく落ち着きを取り戻してトリシュに質問した。


「トリシュさんは、妖精と話ができるんですか?」

「そうねえ、そうとも言えるかな。私の言葉はわかってくれるし、妖精さんの気持ちも何となくわかるわ。なにせここに来て30年は経っているから。」

「30年!?そんなに長い間・・・。」


 トリシュはそれほど長くこの世界に住んでいるという。それを知ってエマはある心配が浮かんだ。


「あの、トリシュさん。この世界は別の世界ってことですよね。あの、私、元の世界に戻れるんですか?」


 エマはこの不思議な世界に迷い込んでしまったため帰れなくなるんじゃないかと思ったのだ。

 それを聞いたトリシュは小さく微笑んだ。


「大丈夫よ。ここには居たい人はこのままいることができるし、戻りたい人はキチンと妖精さんが元の世界に送ってくれるわ。私が来てからこれまで何人かこの世界に迷い込んできたけど、みんな戻って行ったわよ。」


 この世界に迷い込んだ人はエマだけではなく、みんな元の世界に戻っていると聞いてエマはほっと安心した。と同時に、あらたな疑問が浮かんできた。


「あの、トリシュさんは戻らなかったんですか?元の世界に・・・」


 それを聞いたトリシュは、少し考えたように間を置き、そしてゆっくりと答えた。


「私はね、元の世界に戻りたくなかったのよ。元の世界よりこの世界にいた方がいいと思った。だからここに住んでいるの。」


 そう言ったトリシュは、笑顔は変わらなかったが少しさみしそうな雰囲気を漂わせた。そしてやや目を伏せて、自分の過去を話し続けた。


「私がここに来たのはまだ8歳のころ。私の家庭はね、母は物心ついたころにはいなかった。幼いころに亡くなったって聞いたわ。そして父は働かずに酒浸りで、いつも私に暴力を振るっていたわ。

 そのころの私はあちこち傷だらけで、ロクに食べ物も食べられずに、それこそ飢え死に寸前の状態だったわ。

 ある時私はそれに耐えきれなくなって、街の外に逃げ出して森の中に足を踏み入れたの。」

「そんな・・・8歳じゃ森は危険じゃ・・・」

「そうね。でもその時は私はもう死んでもいい、なんて考えてたわ。だから森に入ることに何のためらいもなかった。ただ父から、あの家から逃げたい。それだけしか考えていなかったわ。」

「・・・」

「私は魔物にも合わずにこの泉のほとりにたどり着いたわ。今思えばとても幸運だったようね。魔物に襲われてもおかしくなかった。だけど私は生き延び、そしてこの世界に迷い込んだの。」


 トリシュの独白はひどく重い話だった。小さいころから家庭でDVを受けていて8歳でも家から逃げ出さなければ耐えられない状況だなんて、孤児であるエマよりひどい境遇だった。


「ごめんなさい。いやなことを思い出させたみたいで。」

「エマさんが気にすることなんてないわ。私が勝手に話し出したことなんだから。今はもう、苦しかった記憶なんて薄れてしまっているのよ。」


 トリシュはそう何でもないかのように言うが、まだ心の傷は完全には癒えてないんじゃないだろうか。そう思うとエマはやはり申し訳ない気持ちになった。

 トリシュはそんな雰囲気を打ち消すように少し明るい口調で続けた。


「そこでお腹が空いてもう動けなくなって、そこの泉のほとりで倒れていた時、お爺さんに助けられたわ。」

「お爺さん?」

「ええ、お爺さん。その人は、私が来る前からこの妖精の世界に住んでいた、つまり私の前の住人ね。」


 トリシュの前に『お爺さん』がここにいたという。

 そのお爺さんの名前はトリシュも知らないらしい。名前を聞いてもニコニコしたまま答えてくれなかったという。だからいつも『お爺さん』と呼んでいたらしい。


「お爺さんは私と同じで、元の世界に戻りたくなくってずっと妖精たちとここに住んでいたそうよ。名前を言いたくなかったのも、何か理由があったんじゃないかしら。」


 それからトリシュは懐かしそうにお爺さんを語っていった。その顔は、明るく楽しく、まるで少女のころに戻ったように見えた。


「お爺さんは私の命の恩人。優しくて、あったかくて。行き倒れの私を介抱してくれて、そして私が元気になってからも、ずっとここに居てもいいって言ってくれた。私にとって本当の家族って言える唯一の人だった。」

「そのお爺さんは・・・」

「私がここに住んでから10年くらいあとに亡くなったわ。」


 トリシュはそう言うと、悲しそうな顔でうつむいた。心なしか目が潤んでいるように見える。

 しんみりとした雰囲気の中、エマは何も言えずにただ黙ってトリシュを見ていた。トリシュを見ていればどれだけお爺さんを慕っていたか感じられた。


「ごめんなさいね。せっかく来てもらったのにこんな話をしちゃって。」


 やがてトリシュは慌てたようにエマを見やった。


「いえ、いいお爺さんだったんですね。私もお爺さんに会ってみたかったです。」

「フフ、お爺さんも喜ぶわ。・・・そうだわ。」


 トリシュがふと思いついたように言った。


「エマさん、もしよかったら、お爺さんのお墓に手を合わせてくれないかしら。」

「はい、もちろんです。私で良ければ。」


 トリシュの墓参りの提案に、エマは否もなく頷く。


「お墓はどこにあるんですか?」

「家の裏庭よ。」


 お爺さんのお墓参りのため、2人は席を立って家の裏庭に向かった。


「わ、すごいです。」


 扉の外に出たエマが感嘆の声を漏らす。

 その裏庭には様々な植物が植わっていた。それはトリシュが作り、手入れしている家庭菜園、花園だった。

 緑色や赤、紫などの野菜、白や黄色、青や赤の様々な花が所狭しと、しかしきれいな調和を保ってまっすぐ育っている。


「ここでは植物が良く育つわ。妖精さんのおかげかしらね。」


 トリシュはニッコリ笑って言った。妖精の力もあるだろうが、この裏庭の景色はトリシュの力も大きいはずだとエマには感じられた。


 その色とりどりの裏庭の中を通る小道をトリシュとエマが歩いていく。やがてある場所で立ち止まった。

 そこには1m四方の少し盛り上がったマウンドがあり、その中心には長さ30cmくらいの楕円形の石が立てられていた。


「ここがお爺さんのお墓よ。」


 そう言うとトリシュは手を合わせ、エマも同じように手を合わせた。

 静寂が、しばし2人をつつむ。

 しばらくして、手を下ろしたトリシュがエマを見て言った。


「エマさんが来てくれて、お爺さんも懐かしいって思ってくれてるでしょうね。」

「懐かしい、ですか?」

「そう。ちょうど私があなたくらいの歳の時にお爺さんは亡くなったわ。だからお爺さんが私の昔の姿を思い出してくれてるんじゃないかって、そう感じるの。」


 そう言ってトリシュはニッコリと笑う。


「そうだといいですね。」


 エマはトリシュとお爺さんがそう思ってくれるのなら素敵だなと思い、トリシュと同じようにほほ笑んだ。

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