第二話「星に願いを」
第二話「星に願いを」
頬を薙ぐ風に、草木の香りが雑じり、熱を孕んだ陽光注ぐ虚空を仰げば、碧く澄み渡った空。
腰まで届く葉緑の間に間に立つ足には大地の感触。
これがすべて仮想世界だというから、人間の飽くなき創造への渇望は、極まるところまで極まってきたものだ。
“Reincarnation”におけるわたしの精神の依り代たるアバター。
意思の通りに360度のターン。視界は一巡して戻る。
わかったことは、遥か彼方まで連なる起伏豊かな草原。
見える範囲には、人の姿も、異形の姿も、なかった。
以前立ち読みしたゲーム誌によれば、初回ログインでプレイヤーが出現するポイントは乱数で決まるらしい。
運が悪いと開始数秒でたまたま傍にいたレイドボスにぬっころされて、めでたくファーストロストを記録されてしまうのだ。合掌。
「…見られてるな。隠してるつもりだろうが、人間特有の湿った視線でバレバレだね」
もちろんテキトーに吹いてるだけ。
誰もいないのをいいことに、つい強キャラロールプレイに奔ってみたくなっただけだ。
うわ…恥ずい…ッッッ!
羞恥に口を手で覆い、気づいた。
あ、なんということ!マスクをしていない!
“ベアトリーチェ”の容姿はすなわち“金合歓零”の容姿。
小学生の時分、『猛禽類』などと男子に徒名をつけられた由縁の鋭い瞳と尖った鼻が、大気に露となっているではないか!特に鼻!
「何か隠せるものはないか?そうだ、装備変更を…」
手を掲げると空中にメニュー画面がポップした。
ゲーム歴自体はそれなりにあるから、各項目の意味は所見でも理解できる。
結論としてこのアバターは「初期・オブ・初期」。
HP「100」で他はすべて「10」という初期パラメーター、コモンのみ保有でしかも習熟レベル「0」という初期スキル構成。
そして何より残念な初期装備“村人の服”“村人の帽子”“村人の靴”、所持アイテムなし。
「ハァ…どうしろってんだ、この状態で」
『ジョブを選択してください☆』
「うぉあっ!?」
ナビキャラ“エントマちゃん”の声だけが直接意識に届き、遅れて本体が地面から湧いて出た。心臓に悪いわ!
なるほど、チュートリアルはまだ続いてたか。
さぁて、選ぶか!…と意気込んだわたしであったが、早々に打ちのめされる。
選択肢が多すぎる。
画面いっぱいに並ぶジョブ名。
スクロールして最後に行きつくまで10頁。
体系的に分化されてるわけでもなく、しかもひとつひとつ開けてみないと詳細がわからん仕様。
バイアスをかけずにプレイヤーの自由意思に任せようというのか。
エントマちゃんは何も答えてくれない。
……。
どうせ後で変えられるならアレだ。
顔を隠せるものが精製できるスキルを覚える…あった!“裁縫師”!
テッテレー♪『ベアトリーチェは“裁縫師”になった!』
「おめでとうございます。これであなたは、この世界を征く資格を得ました」
おざなりな祝辞を最後に、エントマちゃんは黙り込んだ。
今度こそチュートリアルは完了か。次はスキルだな。
お!ジョブと同時に“裁縫”スキルが取得されてるな。
「早速作るか。“裁縫”ッ!」
『素材が足りません』
膝を着き、項垂れる零。無情な告知。
“Reincarnation”に降り立ったばかりの彼女のアイテム袋には、何もない。
「い、いや、幸いスキルポイントはまだ振ってない。何かあるはずだ」
“裁縫師”の取得可能なスキルリストをスクロールしていくとソレはあった。
「あった、いいものが。…ポイントのみで無条件で取得できる」
零は反射的に選ぶ、所持ポイントのほぼすべてを使って。
“小さき者の傲慢な掌”
素材の等価交換を可能とするそのスキルの効果で、零の初期装備“村人の服”“村人の帽子”“村人の靴”は、“揺蕩う民の服”“揺蕩う民のフェイスベール”へと生まれ変わった。
「ほぅ…いい感じだな」
くるり、くるりと転身。
着心地を確認する。口元を触れば、しっかり鼻まで覆う布もあった。
よし!っと拳を握る。
心の平穏を取り戻したことで見えてくるものがあった。
先刻は流すだけだった周囲の景色。
全方位に丘陵が続いているのかと思ったが、そうでもないらしい。
起伏の向こう、少し勾配のある先に水がある。
慎重に近づいてみる。
ただの水じゃない。広大な湖の端だ。
光の反射率が恐ろしく高く、天をありのまま反転させた鏡面世界に、フェイスベールで素顔を隠した“ベアトリーチェ”の姿もあった。
「お…これが“わたし”か。ちゃんと全身で視れた。…悪くはないな」
幻想的な景色と異国の装束の自身は、零にファンタジー世界に降り立っている実感をもたらす。
だが限りなく近いものに思い至る。
世界の絶景特集の常連、ウユニ塩湖。
いつか行きたいと思っていたが、半分夢が叶ったな。
恐る恐る指をつけてみる。
ステータスに変化はない。
「毒」だとか「麻痺」だとか、バステの心配はなさそうだ。
一歩、二歩と、静かな波しぶきと共に踏み出す。
柔らかな水と、素足に触れる細やかな砂が心地いい。
…ここが仮想世界だと、忘れそうになるな。
遠くの空を望んでみれば、ファンタジーの王、ドラゴンの姿があった。
…………。
繰り返す。ドラゴンの姿があった。
「ッッッ~~~…!?」
ヤバい。あれとエンカウントしたら、間違いなく“ロスト(し)”ぬ!
なんでいきなりドラゴン。
ゴブリンとかスライムとか山賊盗賊ABCだろ、普通は。
文句をしたため振り返るが、エントマちゃんは役目を果たしたつもりか、とっくに消えていた。
…そういえば掲示板で噂があったな。
初回ログインに限り、小数点以下の確率でとんでもないエリアに飛ばされるって。
よりによってわたしが当たったか。さて、どうする?
わたしの手には何がある?
初期パラメーター、毛並みの違うだけの初期装備、戦闘の役に立たないスキル、アイテムなし。
問題外。戦ったら秒殺瞬殺で終わるわ。
わたしは勇気と蛮勇を履き違えたノミとは違うのだよ、ノミとは。
ヤバい。美味し(ヤバ)いじゃなくて危機い。
ポイントはほぼ全部使っちゃったよ。
こんな…こんなはずじゃ…畜生ォ。持って行かれた………!
返せよ!大事なポイントなんだよ!
ホント今こんなスキル要らないから戻して!
戻った。
「…は?」
半ばヤケで弄っていたスキルポイント割振画面で、使用したはずの分を所持ポイントへと還元できた。
と、同時に、取得スキルから“小さき者の傲慢な掌”が消える。
…これか。あの男が言ってた“チート”って。
再配分。あくまで所持してる分の中だから、ドラゴン相手にTUEEできるようなスキルには届かないけど、街まで逃げるには何か使えるか。
フィールドスキル…探索系スキル…。
“日進月歩”…移動力に比例して跳躍力を得る(非戦闘時のみ)。これはどうか。
けど初期パラメーターの移動力じゃ意味が……
ん?待てよ…。
もしかしたら、という予感。
スキルポイントと同じことを、パラメーターにもできないか?
果たして、できた。できてしまった。
最大HPを、移動力へ。
最大MPを、物理攻撃力を、物理防御力を、魔法攻撃力を、魔法防御力を、斬撃耐性を、刺突耐性を、火炎耐性を、氷結耐性を、敏捷性を、器用を、…、…。
表示されるありとあらゆるパラメーターを「1」だけ残して全てを移動力へ、ついでに存在を忘れていたパラメーターの初回割振分までも極振りした。
どうせドラゴンの前じゃ1でも100でも同じだから構わない。
奴がこっちに気づく前に、戦闘に入る前に。
ドクン…ドクン…。
湖からゆっくりと足を抜き、草原へとあがる。
脅威に背を向けて、屈む。
あちらに町があるかは賭けだけど、やるしかない。
もしも空中で追いつかれれば終わりだ。
振り向けば、ドラゴンは何かに気を取られてる。今だ!
ベアトリーチェは虚空へ向けて、大地を蹴った。
“移動力”
細分化された“Reincarnation”のパラメーターの中で、それはこう呼ばれている。
「敏捷性の完全下位互換のフレイバーパラメーター」と。
このゲームでの役割は、文字通り移動の速さを上げることだ。
フィールドで、街で、ダンジョンで、ホームで。
初期値「10」で始まり、これは現実での成人の平均歩行ペースを「歩く」で実現する程度。増加による影響は加算的。
装備品のウエイトや種族、ジョブ特性など、様々な要素で影響を受け、遅くも早くもなる。
プレイヤーレベルの上昇でも、10ごとに「1」加算される。
数字そのものを上げる方法はそれ以外では初回ログイン時またはレベルアップボーナスの割振ポイントと、一部の装備品の特殊効果のみに留まる。
ここまでは前提。
肝要な点は、“移動力”は非戦闘時にしか効果がないことだ。
つまり、拠点から離れたフィールドへ遠征に出たとして、モンスターに遭遇した瞬間、普通のスピードに戻るわけだ。
しかも、敏捷性…アジリティとも呼ばれる戦闘時の速さに影響を与える件のパラメーターを上げると、“ついでに”移動する速さも上がるのだ。
敏捷性「100」に対して「1」といった程度だが、それでもかなりゴキゲンなことになる。
さて、総じて何が言いたいかというと…。
そんなお荷物パラメーターに他の全てを排して極振りする“愚行”に及ぶプレイヤーなど、サービス開始以来誰もいなかったのだ。
荒野を土煙が奔っていた。
継ぎ目すら聞こえない地を叩く連続音。
その主は、追っていた。
否、遥か遠い空に目視した瞬間からその進行方向へ加速を始めるも、追い縋ることさえ困難だった。
ソロで遠征中であった“彼女”こそ、最初の目撃者となる。
「なんだ、アレ!?…あたしが、追えもしない!」
全プレイヤー中でもトップクラスの敏捷性を誇る、“メルクリウス”の二つ名で呼ばれるコットン・レオパルトは、追跡を諦めて足を止めた。
急停止の余波で前方につむじ風が起こる。
「…暗黒大陸特有のモンスターか?それとも、新イベントの前兆かな?」
真紅の髪に指を這わせ、巨大なトランクケースを渇いた大地の上に降ろし、天を一筋の光となって斬り裂いていく流星を見送った。
その日、攻略掲示板は謎の飛来物の目撃談で沸いた。
曰く、希少レイドモンスター。
曰く、ただの自然現象の演出。
曰く、目撃が条件のイベント発生フラグ。
曰く、バグ。システムエラー。
かなりのプレイヤーの目に触れたものの、正体を確認できた者はいなかった。
その町の名は“モーニンググローリー”。
宿、酒場、神殿を始めとした、冒険者…プレイヤーにとって欠かせない施設のほとんどを擁した、大陸“ブランクラント”に幾多存在するホームタウンの一つ。
ビギナーは最初に復活拠点をこの街に設定されている為、もし零があのドラゴンに挑んでいればここの神殿でおはようしていたであろう。
初心者御用達の町。その近くの森に、ベアトリーチェは着地した。
「……生きてる。助かった…ハァ…ハァ…ッ」
現実であれば、大陸を跨ぐほどの跳躍に体が耐えられるはずもないが、スキル“日進月歩”によるジャンプであるため、ノーダメージだ。
泉の畔。さしたる規模ではないが森の深部である。
息を殺して周囲の木々の隙間に視線を配る。
モンスターも人もいない。
「…今の内だな」
さっさと“移動力”なんてクソパラメーターから振り直さないと。
まずはHPだな。ちょっと多めに「200」まで戻して。
次に…
ガササッ!「!?」
物音の先に、緑色の小鬼。
「ゴブリンか?何だ、ゴブリンか」
…って、ヤベェわ!
まだHPしか振り直してないのに、どう戦うんだよ。
すでにロックオンされ、バトルフィールドが展開され、三匹のゴブリンが木々の間から現れる。
移動力は無意味と化し、戦闘は開始された。