「クリスマスの秘密 ~サンタクロース代行人~」
サンタクロースも外注される時代です。
各章ごとにイメージソングを設定しています
<第一話>
21XX年、時は鎖家の時代。
鎖国の間違いじゃないかって?ううん。閉じているのは国じゃない。家なの。
大昔のこの国では、「鎖国の時代」と呼ばれた他国と一切の外交を絶っていた時期があったみたいだけど、わたしたちから言わせれば、そんなに贅沢に開かれた世界なんて、夢のまた夢だ。
今から100年くらい前、全世界で新型ウイルスが大流行した。感染力が異常に高くて、致死率も50%を超える恐ろしいウイルス。大気中に浮遊するそのウイルスのせいでたくさんの人が亡くなった。頭の良い人たちがどれだけがんばって研究を重ねても、結局、空気感染するそのウイルスの流行を止める方法は見つからなかった。
そこで、世界中の偉い人たちが集まって会議をして、地球一重要な決断をくだした。彼らは、全世界の誰もが家から出ないという未来を選んだのだ。
今、この時代を生きる人たちは、基本的に自分の家から出ることは許されていない。大抵の人は、生まれてから死ぬまで、閉ざされた狭い空間の中で一生を終えていく。
もちろん、友達や恋人に直接会うのだってご法度。対面するのは必ずバーチャル空間の中になる。
そんなんで恋だの愛だの生まれるかって?
それがね、意外と大丈夫みたい。バーチャライズシステムって呼ばれる装置ーーヘルメットタイプやスーツタイプ、手袋タイプとか色々あるーーを使えば、手が触れた時の感覚や、抱き合った時の温もりとかは遠隔でも伝わるから、問題ないんだって。まあわたしにはそんな相手いたことないからよくわからないけど。
そんな風にして愛を育んだ恋人たちは、結婚する段階になって初めて、直接顔を合わすことが許される。そこで彼らは決めなきゃならない。これまで生活してきた家を離れて、相手と、新しい家でこれからずっと一緒に生きていくのかどうかを。一世一代の大決心をして、晴れて同居が決まると、ほとんどの人にとって人生で最初で最後の外出となるお引越しを迎える。そうして、育ちの家を去っていく。
もしかしたら、この状況を昔の人はかわいそうって思うのかもしれないけど、わたしたちにとっては生まれた時からこれが当たり前なんだから別に違和感はない。移行期間を経験しているひいおばあちゃんたち世代は直接顔を見れた時代を恋しいって思うみたいだけど。
まあともかく、今はそんな時代。
でも、こんな世の中でも、家の外へ出ていくことを許された特別な存在がいる。それが、媒介者って呼ばれる人たち。彼らは、ウイルスの抗体を持ち、10万人に1人の確率で生まれてくる。何を隠そう、わたしも媒介者の1人なのだ。
*
「はーークルムはいいよねえ」
画面の中で、ユニとキコが声を揃えてため息をついた。
「なにがよ」
わたしは、ポテトをつまみながらーー正確には、画面の中にあるバーチャルポテトをつまむジェスチャーをしながらーー答えた。
ちなみに、画面の中のレストランで食事をしていてもバーチャライズヘルメットやバーチャライズスーツを通じて匂いや味、咀嚼した時の音などを感じることができるから、意外と虚しくない。もちろん実物じゃないから食感はないしお腹は膨らまないけれど。
「宅配していろんなお家回って、出会いに困らないじゃん」
「いやいやいや。あのね、男の人側もそう思ってるわけ。どうせ俺以外の男とも仲良くしてんだろって言われて振られた媒介者って多いのよ。わたしたち、全然もてないの」
ユニの言葉に対し、少なからず妬みも混ぜてわたしは反撃を繰り出した。
「だいたいさあ、2人は彼氏いるんだからいいじゃん!わたしなんて生まれてこの方誰とも付き合ったことないんだからね!もう18なのに!」
画面内の2人のアバターに向けてケチャップ付きのポテトを投げつけてやる。
「いやけどさ、生の男の顔見る機会なんて普通ないじゃん。わたしなんて、まだ彼氏のほんとの顔見たことないし」
キコが巧みにポテト攻撃をかわしてしれっと言った。
「え、キコまだ顔合わせてないの?もう2年くらい付き合ってるでしょ?そろそろいんじゃない?」
「いやでもわたし彼氏と会う時のアバター結構かわいい感じに盛っちゃってるんだよね。ほんとの顔見てがっかりさせるのはいやじゃん」
「キコ美人なんだから絶対大丈夫だよ、早く顔見せたほうがいいよお互い」
「いやでもやっぱこわいよ。初めて会った時、『アバターかわいいですね』って話しかけられたんだもん。今でもその言葉が頭から離れないの。わたしもユニみたいに全身スキャンして、この顔のままのアバターで出会っとけば良かったかな」
「んーそうねえ。でもアバターで惹かれ合ってるって、中身見てくれてるってことじゃん、そっちのが素敵だと思うけどなあ、わたしは」
ユニとキコの会話を聞きながらわたしはぶーたれたい気持ちになる。こっちからしたら彼氏の悩みがあるだけうらやましいっての。
「もうすぐクリスマスじゃん、このタイミングで顔見せちゃえば?キコ」
ユニのその言葉を耳にしてはっとした。そうか。もうすぐクリスマスか。急に仕事のことを思い出して憂鬱な気分になる。この時期はわたしにとって、一年で一番忙しい季節だ。
わたしは郵便配達員。抗体を持つ媒介者たちは、基本的に人に直接会う必要のある仕事に就くように定められているんだけど、医者をはじめとする医療関係者や、荷物を手渡しをする必要がある配達員になるのがわりと一般的。媒介者専門学校で一緒だった頭の良いエリートたちはみんな医者になったけど、わたしみたいなお勉強苦手勢は基本配達員をやっている。
50年ほどまでは、役者やスポーツ選手も媒介者の仕事だったけど、今はもうこういう人たちもバーチャルの世界でのみ生活している。運動神経には自信があるから、本当はスポーツ選手になりたかったのにな。残念。
正直なところ、配達員なんて宅配ロボットに任せればいいのにってわたしは思うけど、誰でもいいから直接人に会いたいって願う人はけっこう多くて、そういった人たちのために、今でも人間の配達員が残されている。医師の直診察が必要になるような大病やケガをしない限り、家族以外の人間と顔を合わすことのできないのが今の世の中だから、対面で人に会うっていう非日常をお手軽に、安全に味わいたいってことなんだと思う。わたしたち配達員は、人類最後の「誰でも会える生身の人間」ってわけなのだ。
「じゃあわたし、明日仕事早いからこの辺で落ちるね」
そう2人に声をかけて画面の電源を切り、バーチャライズヘルメットを外す。
1人きりの部屋でホットココアを飲んで一息入れてから眠りについた。
*
次の日の朝。いつも通り、眠い目をこすりながら郵便配達をしていると、仕事用の通信デバイスが振動し、電話がかかってきたことを伝えた。
表示された名前はアルダ。世界郵便局本部のG地区長だ。渋々電話を取る。
「…はい」
「クルム、あのね、ちょっと頼まれて欲しいことがあるのだけど」
「いやです」
「まだ何も言ってないじゃない!」
「アルダからのお願いって嫌な予感しかしないもん」
「じゃあ、お願いじゃなくて命令だからやってくれる?クリスマスのサンタクロースの代役」
「は?」
唐突なリクエストに思わず間抜けな声を出してしまった。
「それって何、サンタクロースのコスプレをして配達しろとかそういう」
「ばかねえ、違うわよ。サンタ一族のサンタクロースとしてクリスマスイブに世界中の子供たちにプレゼントを届けてほしいのよ」
「はあ?!」
ますますわけのわからない話にすっとんきょうな声をあげてしまう。
サンタ一族。毎年12月24日のクリスマスイブに子供たちにプレゼントを届ける媒介者の一家。赤いコスチュームを身にまとった彼らはサンタクロースと呼ばれる。サンタ一族は血縁を大切にするらしく、代々一族の人間しかサンタクロースにはなれないっていう噂。その正体は割と謎に包まれている。
一族が全員で何人いるのか。どうやって一日で世界中を回っているのか。一族全員が媒介者になんてなれるものなのか。普段どうやって生計を立てているのか。
その辺りは誰も確かなことを知らない。
「いや、無理でしょそんなの。だいたいサンタクロースってサンタ一族の人間しかなれない決まりって言われてるじゃん」
「サンタ一族が後継者不足に陥ってるってことは聞いたことあるわよね?」
「はあ、それはまあ。」
「人手不足が深刻化してきて、今年初めてサンタクロース業をアウトソーシングすることになったらしいのよ」
サンタクロースも外注する時代か。どこもかしこも人手不足は深刻な問題だ。
「それで、白羽の矢が立ったのがあなたってわけ」
「はあ?なんでよ」
「けっこう体力使う仕事みたいだから若いほうがいいって」
「やだよ絶対そんなの」
「それに、うちの支部でクルムが一番飛行能力長けてるじゃない。」
アルダが言う飛行能力というのは文字通り、配達員の空を飛ぶ能力のこと。たいていの配達員は車やバイク、船を使って移動するんだけど、広い範囲をスピーディーに回るためには、空を飛べる配達員が必要になってくる。もちろん人間がそのままで空を飛ぶことはできないので、ジェットスーツっていう飛行用の特殊なスーツを着るんだけど、こいつがなかなかのくせモノ。これを着てバランスを取り、30センチ浮くのを1分間続けられるようになるまで、だいたい1年かかるって言われてる。
ただ実務上では上空3メートル程度を半日以上飛べないと話にならない。たぐいまれなバランス能力や反射神経のほか、高さ耐性とスピード耐性も持ち合わせている必要があるから、飛行型は全配達員の中でもほんの一握り。
そんなたぐいまれな能力を持っているうちの1人がこのわたし。媒介者専門学校時代、勉強は全然できなかったけれど、ジェットスーツコントロール試験ではいつも一位だった。
「サンタクロースってみんな空飛べるの?」
少し顔を覗かせた競争心からそう聞くと、
「そうなんじゃない?昔の書物にはトナカイが引っ張ってるそりに乗って空を飛んでいるイラストがあるじゃない」
とアルダは答えた。
「なにそれ、超アスリート集団じゃん」
「興味出た?じゃあお願いね」
「やたやだ。わたしクリスマスイブは家でぬくぬくするって決めてるの」
「だめ。これは命令です。もうサンタ一族に履歴書送っといたから」
有無を言わさぬ圧力。
「このプロジェクトを成功させたら大出世間違いなしよ!」
そう高らかに声を張り上げたアルダの声を聞いた時のわたしの顔は、「苦虫を噛み潰した」と表現するのにふさわしいと思う。
*
「そーゆーことでクリスマスイブは海外勤務することになった…もーやだーー」
愚痴に付き合ってもらおうとユニとキコをバーチャル空間に呼びつけたわたしは、カフェの机、もとい、自宅の机に突っ伏した。
「えーいいじゃん海外なんて!」
「そうだよ、海外の外の世界、写真撮ってきてよね」
わたしのテンションに反するリアクションが2人から返ってきて、不服。
「いや、絶対バーチャルの世界の方が昔の街並みが残されてて異国情緒あるよ?どうせもう今はどこもロボットに管理されてるから見た目なんてこの辺と大して変わらないって」
わたしそう言うと、キコは、
「いーのいーの、海外の外の世界がどうなってるかみてみたいの」
と言う。
「だいたいさ、24日だけ勤務するんだったら百歩譲ってまだ許すけど1か月もサンタクロース研修やるって何?!その間休日ないんだよ?ブラックすぎない?!」
「いやむしろ1か月でサンタクロースってなれるもんなんだね」
キコが妙に感心している横で、ユニがはしゃいだ声を上げた。
「ねえねえ、わたしが子どもの時に来てくれたサンタクロース、まだ現役かな。もし会ったらよろしく言っといて」
2人とも人ごとだと思って完全に楽しんでる。コノヤロウ。
「サンタクロースなんて人によっちゃ一生記憶に残る存在じゃん。そんな大役の代理なんてやりたくないよわたし」
大昔は子どもたちが寝ている間に忍び込んでこっそりプレゼントを置くっていうのが風習だったみたいだけど、ここ数十年で、防犯上の観点から、サンタクロースは昼間に子どものいる家を訪ね、手渡しでプレゼントを渡すことになってる。
「いーじゃん、かわいい子どもたちと触れ合えるんだよ?超うらやましい。ちょっとくらい研修で苦しめばいいのよ」
キコが無慈悲なことを言ってのける。ほんとに人の気も知らずに勝手なんだから。
結局、2人からはなんの共感も得られず、愚痴り会は消化不可に終わった。
<第二話>
1ヶ月にわたる怒涛の研修生活が始まった。サンタクロース一家が住んでいるという北の国に世界中から集められたのはわたしを含めて300人。飛行能力の高い選りすぐり集団てことらしい。
さすがは北の国で、とにもかくにもめちゃくちゃ寒い。ダウンを着ていても歯がガチガチと鳴る。
だけど、そんなことを言っていられたのは1日目の午前中、オリエンテーションの時だけだった。
1日目の午後から始まったのは地獄の訓練。なんだかとっても重たい器具をつけて筋トレをしたり、地上での20キロ走や空中での100キロ飛行走をしたりすることもあれば、山に篭って自足自給の生活を強いられたり、砂漠を3日間歩かされたりすることもあった。
運動がかなり得意なわたしでも、さすがに倒れそう。もう寒さなんて一瞬も感じなかった。
サンタクロース業、スパルタすぎる。
なんでこんなことしなきゃなんないんだと参加者たちがいい加減ボイコットしたくなってきた頃、事務局のおばさんから、「サンタクロースの秘密について教えてあげましょう」と集合がかかった。疲労困憊した一同の視線を受け、赤い服を着たおばさんはこう説明した。
限られた人数で地球中の子供たちにプレゼントを配る。それは、サンタ家秘伝のウルトラ移動術をもって可能になる。時間軸を操作し、何通りもの24日を何度も繰り返す。これには、身体に負担がかかり、体力も消耗するので、充分な訓練が必要になる。この移動術はサンタ家の秘密なので他言しないように。
彼女の話を簡単にまとめると、そういうことだった。ウルトラ移動術の仕組みは難しくてよくわかんなかったけど、ともかく、わたしたち一般の配達員が使っている方法とはまるで異なる方法でプレゼントを運んでいるということらしい。
そんな説明をされたからと言って訓練を続けるモチベーションが上がるわけはなかったけれど、少なくとも訓練をクリアできないとサンタクロースになれないということはわかった。
「ウルトラ移動術を習得し、今年のサンタクロースの仕事を無事終わらせた暁には、みなさまに有給を90日分プレゼントさせていただきます」
おばさんの最後のその一言でわたしたちの心は決まった。3ヶ月間働かなくてもお金がもらえるなんて。
ここまで来たらやりきってやろう。お互いをそう奮い立たせて24日を迎えた。
*
朝日が昇るよりも早く、わたしたち新米サンタクロースの24日は始まった。わたしは今日、1万人の子どもたちにプレゼントを届けなければならない。通常は一日1000人ほどに配達をしているから、それを10回分やらなきゃいけないってことだ。実質10連勤。いや、訓練を含めたら1ヶ月と10日間の連続勤務か。嫌になる。
とっても憂鬱な気持ちで始まったプレゼント配りだったけど、やっていくと案外楽しくなってきた。プレゼントを渡した時の子どもたちの笑顔を見るのは悪い気はしないもん。
普段宅配便を受け取るのは決まって大人たちだから、媒介者のわたしでも生身の子どもに会う機会はあまりない。もともとそこまで子ども好きってわけじゃないわたしでも、小さな子どもたちが全身で喜んでいるのを見たら疲れが吹き飛んで行っちゃう。子どもたちが持っているパワーって絶大だ。
そんなこんなでサンタクロースの仕事にやりがいを感じ始めたわたしは、2回目の24日を迎えていた。その日は、ある王子さまのもとを訪ねることになっていた。
「こんにちはー、サンタクロースです。プレゼントのお届けに参りました。ポーくんはいますか」
映画でしか見たことないような大きなお城がわたしを出迎えている。わたしは恐る恐るその豪華すぎる装飾の呼び鈴を鳴らした。すると、見るからに重たい門が開いた。長い通路を抜けてお城の入口まで歩くと、黄金の扉の隙間から8歳くらいの小さな男の子が姿を現した。質のよさそうなネイビーのニットで身を包んでいる。
「サニエルじゃないの?」
その小さな王子様は、わたしを見上げると一言目にそう言った。
サニエルって誰だろう・・・と一瞬思ったけれど、前任者のことではないかと思い当たらい、通信デバイスから過去データを確認すると、やはり前任はサニエルという人のようだった。
「サニエルは今年から育児休暇を取っているみたいだよ。」
そう伝えると、ポー王子は目をふせてつぶやいた。
「そっか・・・今日会えるの1年間楽しみにしてたんだけどな。サニエルは僕のたったひとりの友達だから」
ほかの子たちと同じように、プレゼントを受け取ってはじけるように喜ぶ顔を想定していた私は、彼のさみし気な表情に戸惑ってしまった。
「え…友達?」
「うん。サニエルは、毎年僕のところに来てくれて、いつも楽しい話を聞かせてくれたんだ。外の世界はどうなってるとか、僕と同じくらいの年の子たちはどんな遊びをしているのかとか」
ポー王子は悲しそうに少し笑ってこう言った。
「そんなことを教えてくれる人はほかに誰もいなかったから」
その一言からこの小さな男の子が抱えている孤独を垣間見た気がした。これだけ立派なお城に住んでいても、いや、住んでいるからこそ、強く感じてしまう種類のさみしさなのかもしれない。
「サニエルに伝えておきたいこと、ある?」
思わずそう聞くと、まっすぐな目で彼はこう答えた。
「僕、大きくなったらサニエルに会いに行ける国を作る。クリスマスだけじゃなくて、いつでも好きな時に会える世界にする。それで、サニエルの子どもと一緒に遊ぶんだ。だからそれまで待ってって、そう伝えてくれる?」
「うん、わかった。必ず伝えとくね」
彼とそう約束してお城を後にした。
ポー王子が大人になるころには、世界はどうなっているのかな。さみしい思いを抱える子どもが今よりも減っていてほしいな。人と隔絶された生き方が当たり前になって久しいから、そんな簡単に世界が変わるとは思えないけど、さっきのポー王子のまっすぐな目を見たら、やっぱり未来は明るいんだって信じたくなる。
それにしても、サニエルって人は、いったいどうやって業務を回していたんだろう。私は担当の子どもたちにプレゼントを渡すのだけで精一杯なのに、子どもたちと仲良くなるほど会話までしていたなんて。どこにそんな余裕があるんだろう。信じられない。
*
5日目の24日。さすがに疲れも溜まってきていて、一晩ぐっすり寝ても若干身体が重たい感じがする。ここが折り返し地点だって自分を奮い立たせて勤務を開始した。
夕方、わたしは23日に生まれたばかりの双子の赤ちゃんの家を訪ねた。昨日その2人が生まれてから、わたしは5回目の今日を迎えているってことだ。頭がおかしくなりそう。
白塗りに明るい青の屋根がかわいい小さなおうちのドアをたたくと、20代後半くらいの女性が出てきた。
基本的にプレゼントの受け取りは、子どもたちに直接渡すことになってるけど、自分で歩くことのできない赤ちゃんたちのプレゼントは、代理人の受け取りが認められている。
「昨日の今日でプレゼントがもらえるなんて思ってなかったわ。ありがとう。」
お母さんらしき人はプレゼントを受け取ると、ベビーベッドの中で寝ている2人の赤ちゃんに向かって愛おしそうに呼びかけた。
「ほらクク、ルル、良かったねえ、プレゼントよ」
小さい二人は、天使みたいにすやすや寝息を立てている。こんなにちっちゃいけど、ちゃんと生きてるんだ。赤ちゃんを見慣れてないから、ちょっとどきどきしちゃう。
「わー、かわいいですね」
「そうでしょう?ククはパパ似でルルはわたしに似たのよ。…あ、そうだ。わたしあなたに聞きたいことがあったんだわ」
プレゼントを靴箱の上に置きながら、お母さんは思い出したようにそう言った。
「わたしに?」
「ええ。ルルは媒介者だって昨日お医者さんに言われたの。周りに媒介者の人なんていたことがないから、どうやって育てていけば良いのかしらって思って」
そうか。この子は媒介者なのか。本人が望もうとも望まなくとも、たくさんの人に出会うことになる人生をこれから歩いていくんだ。
「そうなんですね。わたしも両親は媒介者ではなかったので、親はけっこう大変だったみたいです。わたしが初めて外に出たのは3歳の時ですけど、その年で親より広い世界を知ってしまうわけですから」
どんどん知らない世界に一人で行っちゃうから親としてはちょっとさみしかったわ、と母に昔言われたことを思い出して言った。
「でも、そんなに心配することないと思いますよ。子どもの見てる世界と自分の知ってる世界が違って不安に思うことももしかしたらあるかもしれないですけど、媒介者本人たちはわりと自分の状況を素直に受け入れてるので。わたしも、なんかすごいくじひいちゃったなーくらいにしか思ってなかったと思います。単に免疫がないってだけで媒介者も普通の人間ですから」
「そっか、そうよね。なんだかちょっと安心したわ。ありがとう」
若いお母さんはそう言ってほっとしたような笑顔を見せた。そして、相変わらず天使のようなククちゃんとルルちゃんに視線を移す。この子たちの寝顔を目に焼き付けてわたしはあと5日がんばろうと思う。
この子たちがわたしの年齢になる頃には、もっとたくさんの可能性が媒介者に与えられるようになると良いな。今みたいに、郵便配達員と医療関係者だけじゃなくて、媒介者として生まれた者たちが自由に夢を見られる世の中になってほしい。媒介者であるがゆえに生き方を狭められるなんて釈然としないもん。
そう願いながら双子の赤ちゃんが眠る家を出た。
<第三話>
10回目の最後の日。体力が限界に近付いてきているのは薄々感じているけど、ここさえ乗り切ればあと3か月間は休んでもお金がもらえる天国が待っている。夢の有給生活のために絶対やり切ってやる。最後の闘志を燃やしてゴールまであと少しって時のマラソン選手もこんな気持ちなのかもしれない。
その日、担当エリア中で一番外れの地域を訪れると、辺りは一面、銀世界だった。粉のような雪が降っている。
そして道中、わたしは驚くべき光景を目にした。真っ白な雪景色の真ん中にぽつんと現れたのは、二つ重ねられた雪の玉。雪が溶け始めていて、全体的に下へずれたような形跡があるけれど、その雪の塊には顔がついていた。上の方の玉には石の目玉や人参の鼻がつけられていて、下の方の玉には手に見立てた枝が刺さっている。
一体誰がこんなものを。配達員の媒介者が気まぐれで作ったんだろうか。
怪しく思いながらその物体に近づくと、雪の塊の周りに消えかけの足跡が残っていることに気がついた。足跡は見えなくなるまで真っ直ぐに先へ続いている。
配達員の仕業じゃない。こんな距離をバイクも車も飛行も使わずに徒歩で歩くことなんてない。じゃあこれは一体どういうことなんだろう。
足跡をたどっていくと、雪に覆われて真っ白になった一軒家が見えた。昔ながらの庭付きの家だ。心の中で不安がざわざわと揺れる。鳥肌がたってきたのは、きっと寒さのせいだけじゃない。
何か聞こえる。人の話し声だ。
家に近づいて思わず目を疑った。信じられない光景を目にしたからだ。庭に数人が集まって談笑している。みんなお年寄りだ。隣の人にもたれかかっている人までいる。
なんで。どうしてそんなことができるの?ウイルスに感染して死んでしまうかもしれないのに。何より国際法違反だ。
通報しなくちゃ。混乱しながらも、とっさにそう思った。
免疫を持っていない人間が家の外に出て他人と会うなんて、この世の中では決して許されていないことだ。配達員になるときに最初の研修で、もしも万が一、外の世界で一般人を見かけたときは、即通報するように教えられた。通報された人たちは、まず施設で感染していないか入念に確認された後、数か月から数年の間、隔離された収容所の狭いカプセルに入れられると習った。もちろん、そんなリスクを冒してまで外に出たい人なんていないと思っていたけれど…。
急いで通信デバイスを取り出して操作をする。ええっと確か、緊急連絡のアイコンをタップすれば通報できるはず…
「待って!」
鋭い声が飛んできた。しまった。気づかれた。
「通報しようとしてるんでしょう?お願い。待ってちょうだい」
声の主は、毛糸の帽子をかぶったおばあさんだった。すがるようにこちらへ向かってくる。
わたしは困惑して言った。
「どうして外に出てるんですか。国際法違反なのはわかってますよね」
「…わかってるわ。だけどね、年に一度だけ、こうして友だちと会って話して食事をするのがわたしたちの生きがいなの…。お願いよ。見逃してもらえないかしら」
おばあさんは至極真剣に訴えた。
「そんなこと言ったって。もし空気中に紛れているウイルスから感染したらどうするんですか。」
わたしがそう言うと、
「あなたはサンタ一族の人間ではないのよね」
おばあさんが唐突に言った。わたしの赤いサンタクロースの制服を見つめている。
「え…そうですけどそれが何か」
「道理で見ない顔だと思ったわ。今年からサンタクロースの外注を始めたんですってね。わたしの主人はサンタ一族の元サンタクロースでね。ほら、あそこに座っているでしょう」
おばあさんが庭の方を指差す。白い毛糸のマフラーを首に巻いたおじいさんがひらひらと手を振った。
「あの人、現役のころは技術開発担当だったの。今のウルトラ移動術を開発したうちの一人なのよ。」
おばあさんが少し誇らしげに言った。
「引退してサンタ家を出てここに引っ越してきてからも、趣味で開発を続けていてね。外気中のウイルスをシャットアウトする感染防御装置を作ったの。その装置を利用して年に一度クリスマスイブの日にだけ、こうして集まっていたのよ。このことはサンタ一家も承知の上でこれまでは目をつぶってくれていたのだけれど、外の人に世代交代をしてきているというなら、もう潮時なのかしらね」
おばあさんが心底残念そうに言った。
サンタクロースに技術開発担当がいたなんて、そんな話は初めて聞いた。それに、ウイルスの感染を防げる装置が開発されていたなんて。それにしたって、いくら外れの地域でこっそりと忍びながらとはいえ、外の世界を楽しんでいるなんて、そんな身勝手な行動を世の中が許すはずない。
「サンタ一族が許しても世間が許さないと思うけど…」
わたしがそうつぶやくと、白いマフラーを首に巻いたおじいさんが庭から出てきてわたしをじっと見つめた。さっきこちらに手を振ったおばあさんの旦那さんだ。
「きみは、外の世界を媒介者たちだけで独占してしまって良いと思うかい?」
「良いも何も、免疫のない人が外に出たら空気感染で死んじゃう人がまた出ちゃうことになるでしょ。仕方ないよ」
「本当にそう思うかい?」
「え?」
おじいさんが大きく開いてわたしを見つめた。雪をかぶってさらに白くなった白髪の眉毛が上がる。
「私たちが外に出ているのは、何も自分たちだけが外の世界を楽しみたいからではないんだ。どうやらその様子だと納得していないみたいだから、特別に教えてあげよう。」
おじいさんがわたしを家の中に招き入れた。迷ったけれど、暖をとりたかったのと、純粋に強く興味をひかれてお邪魔することした。
おじいさんはわたしをテーブルに案内し、コーヒーを出してくれた。ユピテと名乗った彼は、こう切り出した。
「一度冷静になって考えてみてほしいんだ。この100年で技術は大進歩した。人と直接会わずともまるで隣にいるかのように感じられるようになったし、人が生身で空を飛ぶことだって可能になった。だけど、どうしてウイルスに有効な薬や対処法だけはいっこうに現れないんだろう?」
「言われてみれば…」
これまで考えたこともなかったけど、確かに今の技術水準を考えればウイルス対策なんてとっくにできていてもよい気がしなくもない。
「おかしいだろう?サンタ家に至っては時間軸を自在に操作する方法まで見つけた。そんな技術をもってして、ウイルスの一つも何ともできないなんてそんなことがあると思うかい?もっと言えば、サンタ一族の全員が10万人に一人の確率で生まれてくる媒介者だなんて、遺伝のことを考えたってあまりに不自然じゃないかい?」
「それって…まさかサンタ家には、ウイルスを撃退する方法がもうあるってこと?」
ユピテは深くうなずいた。
「そう、そのまさかだ。じゃあ、どうしてその方法をみんなに知らせずに隠しているんだろう?」
「どうして…」
本当にあるというなら、間違いなく世界を一変させるウイルス撲滅の方法。ユピテは、それをサンタ一族が隠しているといっている。
「人が外にでない方が都合がよい理由があるからだろうね。サンタ家にとって」
「どういうこと?」
「ここからは僕の仮説だけど」とユピテが前置きをして話し出したのは、あまりにも衝撃的な内容だった。
今、外の世界を知ることができるのは世界に数万人いる媒介者たちだけだ。その中でも、全員が媒介者であるサンタ一族は、世界で最も統率のとれた媒介者集団である。そして、毎年世界中の子どもにプレゼントを運んでいる彼らは、世界で最も外の世界の状況を把握している集団でもある。この知見を活かして力をつけ、その優位性を保ちたいというのがサンタ一家の思惑だろう。
年に一度クリスマスイブにだけ働くサンタ一族の人間がどうやって収入を得ているのかというと、政界や研究機関、企業などに外の世界の情報を売って稼いでいるのではないかと思う。外の世界とのパイプ役を名乗り上げ、自分たちに都合の良い情報のみを流し、世界をコントロールしようとしている。外の世界のことを知るためには、サンタ一家を通すしかない。そういう仕組みを作ってしまうことで、世界を牛耳ることのできる権力と地位を確立しているのではないか。
ユピテはそう語った。
「世界中の子どもたちに幸せを届ける仕事だと思ってたのに…そんなのひどすぎる」
拳を握りしめると、震えた声が出た。
「もちろん、そう思って真面目に働いてる人が大半だろうさ。だけど、一部のお偉いさんたちの腹の中は真っ黒だよ。僕がサンタ一族の屋敷を出てここに住んでいるのは、表向きは引退してのんびりしたいからということにしてるけれど、本当は、こんな腐った仕組みをぶち壊すチャンスを窺うためだ。」
彼は力強く、噛みしめるように言った。
「ここにいる僕の妻や友人たちには免疫がない。だから、ウイルスブロッカーという僕が開発した装置を使って外気中のウイルスから守っている。この装置を身に着ければ、半径50メートル内の大気夕のウイルスを排除できる仕組みだ。毎年クリスマスイブに友人たちと集まるという体で、こっそり外気の調査を行ってきた。僕がサンタ家にいた15年前と比べて、大気中のウイルスは少しずつ減ってきているんだ。これなら、免疫力の低いとされる我々のような老人でも装置を使えば問題なく外で生活できるとわかった。…これで通報しないでくれるかい?」
こんなことを聞かされて通報なんてできるわけない。
「もちろん。それで、どうやったらサンタ一族の腐った仕組みを壊せるかわかったの?」
「ああ。サニエルというサンタ一族の青年と協力してこの数年、サンタ家の内部を探ってきた。やるべきことはもう見えているんだ」
サニエルって、ポー王子の前任の配達員だ。育児休暇をとっていると聞いているけど、もしかして、それも現場を離れて内部を探りやすくするために計画して行ったことなんだろうか。
「わたしにも何かできることない?こんなの絶対許せないよ。」
わたしがそう言うと、
「きっとそう言ってくれると思っていたよ。今外部の君が協力してくれるのは非常にありがたい」
ユピテはまるで少年のように目を輝かせて言った。そして続けた。
「勇気ある妻と友人の協力のおかげで、ウイルスブロッカーの有効性は証明できた。だけど、自由に外の世界で生活するためには、世界中の人が免疫を獲得しなきゃいけない。それが可能になるワクチンがサンタ家にはあるはずなんだ。これを見つけてきてほしい。」
ワクチンを見つける。サンタ家の屋敷に忍び込むってことだ。
「でも、それってわざわざわたしが侵入しに行くよりユピテかサニエルが行った方がばれにくいんじゃ」
わたしが疑問を口にすると、ユピテは静かに首を振った。
「きみにしかできないんだ、この任務は」
ユピテがわたしの肩を掴んで訴えるようにいう。
「僕らはサンタ家で生まれて直ぐワクチンを打って免疫を獲得したけれど、もともとは媒介者でもなんでもない。このワクチンは生粋の媒介者でないと立ち入れないように生体認証ロックされた隠し部屋に隠されているんだ。」
なるほど。それは確かにわたしじゃないとだめだ。だけど、そんな厳重に管理されているロックをわたしひとりで突発なんてできるんだろうか。そもそもサンタ一族の家にどうやって潜入すればいいんだろう。
そう思っていたら、わたしの表情を読み取ってユピテは言った。
「サンタ家の屋敷の内部のことは僕とサニエルから教える。きみの進入を悟られないために必要なものは全て僕が開発する。きみは、今日聞いたことは知らないふりをして、引き続きサンタ家と連絡を取り合ってほしい。」
ウルトラ移動術を開発したユピテからしたら、サンタ一族に気づかれずに家に忍び込むことなんてたやすいことなのかもしれない。
「わかった」
わたしは力強くうなずいた。
決行の日は一年後の12月24日と決めた。それまでの1年間は、仲間づくりの準備期間にあてることにした。媒介者で配達員のわたしができる仲間づくりとは、配達先のお客さんとの信頼関係を深めることだと思う。だから、サニエルが1人1人との絆を大切にしていたように、わたしもお客さんに荷物を手渡す際には密にコミュニケーションをとるように心がけた。もちろん、サンタ家直伝のウルトラ移動術を活用して効率よく配達することも忘れなかった。
<第四話>
この1年間で、本当にたくさんの人と出会った。いや、もともとわたしの担当エリアのお客さんだったのには変わりないけど、わたしにとって、これまではたくさんいる配達先の1人でしかなかったお客さんたちの一人一人にそれぞれの生活があって、それぞれが思い思いの絵の具を用いてその日を色付けて生きているんだって知った。
7地区のレイリアさんが1人息子を持つ靴職人だってことも、35地区のサキールさんが来年結婚する予定だってことも、51地区のナイクさんがわたしの好きな本の挿絵を描いていたことも。
全部、今まで知らなかった。知ろうとしなかった。
媒介者でいて良いことなんてないと思ってた。選んで媒介者になったわけじゃないのに、生まれた瞬間から、人と人の間に挟まって生きる道しかわたしには選択肢がなかった。だけど、わたしたちはそういうもんなんだって自分を納得させて状況を受け入れていた。
だけど、媒介者って良いかもしんないって、今、たぶん初めて思ってる。
そして、それが、この運命に終わりが見えているからこそ感じられるものだということも。
もう、わたしたちは特別じゃなくなる。そう、この計画が全てうまく進めば。
不思議とプレッシャーは感じなかった。みんなが心の奥底で望んでいた未来がもうすぐ手に入る。
*
12月23日、クリスマスイブのイブの日。わたしは、ユニとキコを呼び出した。いつものように画面の中のカフェでチーズケーキセットを注文して2人と向き合う。
「もしもさ、外を自由に出歩けるようになったら、どうする?」
そう切り出すと、キコとユニは怪訝な表情をした。
「えー…考えたことなかったな」
「外の世界に興味はすごいあるけど、出られるなんて想像したことないや」
2人は少し考え込むように腕を組んだ。
「でも、もしもそんなことができるようになったら、わたしは旅行に行ってみたい。外国の景色がどんなになってるか見てみたい」
キコがそう言うと、
「わたしは、キコとクルムに直接会ってみたいな。クルムは宅配の時に会えるけど、3人で本物のカフェで本物のチーズケーキ食べてみたい」
とユニが言った。
「でも、なんでそんなこと聞くの」
チーズケーキを頬張ってキコがそう聞いた。
「実はさ…」
わたしが話し始めると、2人は目を丸くして、画面越しでもわかるくらいに身を乗り出して耳を傾けた。
*
そして迎えた24日。去年に引き続きサンタクロースに任命されたわたしは、朝、ユピテと待ち合わせ、サンタ一族から支給された通信デバイスを彼に手渡した。今日一日は彼がわたしの代わりに配達コースを回り、サンタ一家に潜入するわたしに指令を出す。これで今日、わたしがどんなに勝手な行動をしてもサンタ家がわたしの行き先を追跡することはできなくなった。
ユピテからは、彼とサニエルとの連絡用のイヤホン型の通信機器と、鍵を開くためのロックオープナー、そして消音機能の付いた透明スーツを受け取った。
「絶対成功させようね」
わたしが言うと、ユピテは「任せたよ」とわたしの肩をポンとたたいた。
ユピテと別れた後にすぐ、屋敷へ向かった。場所はサニエルがイヤホン型を通して指示してくれた。彼の声に導かれ、わたしはサンタ家の裏門に回った。
裏から見てもわかる。赤いレンガ造りがどっしり構えた立派なお屋敷だった。
わたしは、ユピテが開発したロックオープナーを門にかざしてサンタ家へ侵入した。カチャリと音が鳴ったけど、消音機能付きの透明スーツで抑えていたから、わたしにしか聞こえてないはずだ。
裏門には見張りの人間は配置されていなかった。サンタ一族の屋敷の場所なんて誰も知らないし、誰も外を出歩かない現代においては、警備も必要ないということか。さすがに防犯カメラは設置されているってサニエルから聞いてるけど、透明スーツを頭から覆っているわたしの姿は誰からも見えない。
とはいえ、息を潜めながら屋敷の中へ忍び込み、高級そうな赤いじゅうたんの上を歩く。壁に飾られた絵画や戸棚に飾られた陶器の壺とか、そのへんにあるものがいちいち全て高そうだ。
イブの日だからサンタ一族の屋敷に住んでいる人はほとんどがプレゼント配達に行っているようで、あまり人と遭遇することはなかったけれど、屋敷の掃除をしている人とすれ違った時はさすがに冷や汗が出た。
だけど幸い大きなトラブルはなく、ワクチンの隠された部屋の扉の前に行き着いた。屈まないと入れないくらい小さな扉だ。
「そのドアノブを3秒間握ればロックが外れるはずだ」
ユピテから指示が入った。
言われたとおり、いくつもの歯車が組み合わさったデザインのドアノブを握る。そのまま3秒キープ。
1秒、2秒、3秒。
あれ。おかしい。反応しない。
気を取り直してもう一度握り直す。
ドアノブはうんともすんとも動かない。何も起きなかった。
なんで。どうしよう。
もう一度、強く握りなおす。そのまま3秒、10秒、30秒…
と、その瞬間。
ジリリリリリリ。
大きなベルの音が辺り一面に響き渡った。
同時に、ドアノブをつかんでいた手のひらに鋭い痛みが走った。とっさに透明スーツの両袖でドアノブを覆い、音を消そうと試みたけど、もう遅かった。向こうのほうから足音が聞こえる。
どうしよう。
「ごめん、失敗しちゃった…ドアノブ開かなかった…本当にごめんなさい…」
ユピテとサニエルに謝ると、涙で視界がぼやけた。
その時、ガチャリと大きな音を立てて隠し部屋の扉が開いた。
「なんの騒ぎなの?」
赤いサンタクロースの制服を着たサンタ一族の人間と思われる数人を引き連れて扉の向こうから姿を現したのは、よく見知った顔だった。
「なんで…」
そこには、世界郵便局本部G地区長のアルダがワクチンの入った小瓶を持って立っていた。
<第五話>
どういうこと?どうしてここにアルダが。なんでワクチンを持っているの?
混乱していると、イヤホン越しにサニエルから指令が入った。
「僕の部屋に来てくれ」
バタバタと走ってくるサンタ一族の人たちの流れに逆らって、指示された通りにサニエルの部屋へ向かう。
「やあ、クルム。直接会うのは初めてだね。早く入って」
そう言ってサニエルはわたしを迎え入れた。
「きみのデジタルコンタクトレンズ越しで状況は把握したよ。まさか先客がいたとはね」
両目につけているデジタルコンタクトレンズを通して、わたしの視界はサニエルとユピテに共有されていた。
「…あの女の人、わたしの上司なの。アルダっていう世界郵便局本部のG地区長」
「…郵便局員…」
少し考え込むようにしていたサニエルがはっとしたように顔を上げた。
「そういうことか」
「何かわかったの?」
「ああ。俺たちはサンタ一族の一部の人間が企んで世界を掌握しようとしていると思い込んでいたが、そいつらを裏で動かしてたのは郵便局本部だったってことだ」
「サンタ一族が郵便局側に脅されていたってこと?」
「おそらくな。いつから癒着していたのかはわからないが、何かしらの弱みを握られていると考えるのが妥当だろう。世界がこんなになるずっと前から、サンタ一族の人間はみんな、世界中の子どもたちに幸せを届けるっている自分たちの仕事にプライドを持ってきたはずなんだ。僕も、ワクチンを隠し持つなんてサンタクロースの信条に反することを一族の人間がするんだろうかと違和感は何度も感じていた。堕ちるところまで堕ちてしまったと思っていたが、第三者に動かされていたと考えれば説明がつく。」
サニエルが服の上から手早く消音機能付き透明スーツを着てそう言った。
「アルダたちは一体何のためにそんなことを…」
「世界中の配達員とサンタ一族を取り込めれば、それこそ外の世界を一握できる。全世界を網羅する配達員と情報を所持しているとなれば、全世界を支配することだって難しくない。ワクチンが本部の手に渡るまでに取り戻さないと大変なことになる」
サニエルが顔を険しくする。
「わたし、そんな人たちのためにこれまで働いてきたのか…」
心に黒く大きな穴が空いた気分だ。信じたくないという気持ちを置き去りにして、これが現実なんだということは脳みそが冷酷にも理解していた。
「サンタ一族としては、人手不足で24日に子どもたちにプレゼントを配り切れなくなってしまう事態はなんとしても避けたかったはずだ。そこで郵便局本部は、郵便局員を派遣する代わりにワクチンの在り処を教えるよう迫ったというところなんだろう。サンタ一族が後継者不足で弱体化してきているこのタイミングを狙ったんだ。向こうが混乱に乗じてワクチンを奪ったのだから、僕らも反撃するなら相手の隙をつける今しかない。急ぐぞ」
その時、ユピテから指令が入った。
「こっちは準備できた。君たちは早くアルダの後を追ってくれ」
「了解」
「わかった!」
わたしとサニエルはそう答えて部屋を飛び出した。
*
「あっちだ!」
裏門に向かうアルダの背中を見つけたサニエルが指さした。赤い服のサンタ一族の人間に囲まれて歩いている。
「待って、アルダ!」
その背中に向かってわたしは叫んだ。透明スーツを脱ぎ捨てる。周りのサンタ一族の人間が振り返って目を見開く。
「誰だ?!」「侵入者だ!」
どよめく彼らには目もくれず、ゆっくり振り返ったアルダがわたしの顔を見つめた。
「クルム…どうしてここに」
わたしはアルダの目を睨んで手を差し出した。
「…アルダ、そのワクチン返して」
「それはできないわ。これ本部に持ち帰ることが今回のわたしの任務なのよ」
「…昇進のため?」
アルダはわたしの質問には答えず、そのまま歩き出そうとする。
「待ってよ!」
わたしはとっさに後ろからアルダの背中をつかんだ。
「わかってるでしょう?これがあれば世の中の人が100年前と同じように家から出て普通に生活できるんだよ。自分たちの権力とか私益を守るためだけに隠し続けるなんて、絶対に許されることじゃない。目を覚ましてよ!」
アルダの深い黒色の目に訴える。アルダはわたしを一瞥してすぐに目をそらして静かに言った。
「力の強いものが頂点に立つのは自然界の摂理よ。弱肉強食ってそういうことでしょう。弱いものは、強者が作り上げた世界で自分が弱者とも気が付かずに一生を終えていくの。この100年間で、戦争やテロは起きなかったじゃない。みんながみんな等しく不便で不都合な世の中なら、争いや問題は起きないの。」
「そんなの絶対おかしい。みんなの自由はどうなるの!」
わたしが叫ぶと、アルダは表情一つ変えずに言った。
「正しい人間が上に立っているおかげで、何も知らないまぬけで幸せな民衆たちは守られて生きていけるのよ」
曇りなき黒く澄んだ瞳。アルダにわたしの言葉は届いていない。
「…じゃあ民衆が歯向かってきたら?」
ふと隣でサニエルがそうアルダに聞いた。
「そんなばかなことあるわけないでしょう」
アルダが鼻で笑ったそのとき、耳をつんざくサイレンの音が屋敷中に鳴り響いた。
『緊急事態発生!緊急事態発生!民衆が屋敷の周りを包囲。警備班、直ちに出動せよ』
その放送を聞いてアルダとその周りのサンタ一族たちは窓際に駆け寄った。
数百もの人々が屋敷の周りを囲んでいた。数多の目がこちらを睨んでいる。その中にユニとキコもいた。
二人とも、来てくれたんだ。
キコやユニだけじゃない。わたしの配達先のお客さんたちがみんな集まってくれていた。目頭が熱くなる。
アルダたちにユピテとサニエルとわたしの3人だけで真っ向勝負をしても勝ち目はない。そんなことは端からわかっていた。
だから、わたしはこの1年間、仲間を作って信頼関係を深めることに尽力してきた。今日という日に、一緒に戦ってくれる仲間をつくるために。
とはいえ、正直不安だった。
ウイルスブロッカーを身に着ければウイルスに感染する危険性はなくなる。でも、いくらユピテの技術力の高さが本物とはいえ、今まで一歩も外へ出たことのない人がその言葉を信じることはとても難しかったはずだ。
外に出たら空気感染で死ぬかもしれない。そんな風に教わってきた彼らにとって、わたしたちの言葉を信じて危険な世界に飛びこむことはどれほど恐ろしかっただろう。
それでも、私たちを信じてそのはじめの一歩を踏み出してくれた。全人類の自由を取り戻すために。
そう、これは、自由を取り戻すための革命だ。
「なんで…あんたたち死ぬわよ!」
アルダが窓から彼らを見下ろして叫んだ。
「心配無用!」
群衆の中から、ユピテが現れて声高らかに言った。
「あれは元技術開発局長のユピテ殿!」「どうしてあんなところに」
サンタ一族サイドが再びどよめく。
「彼らは僕の開発したウイルスを無効化するウイルスブロッカーを所持している。これがある限り、彼らが感染することはない」
隣のユニが腰に巻き着けたウイルスブロッカーの装置を指さし、ユピテが声を張り上げた。
「ばかな…警護班、さっさとこいつらを捕らえて!」
アルダが命令した。彼女の指示を受け、警備班と思われる大柄な赤服の男たちがみんなを取り囲もうとする。だけど、この100年間、屋敷の警備なんてろくにやってきていないであろう彼らの動きは統制がとれていないと素人目に見てもわかった。
「アルダ。今の立場や権力を守りたいなら、あんまり乱暴なことは考えないほうが良いよ。」
わたしはアルダにそっと耳打ちした。
「今、わたしの視界はユピテの技術によって世界中にリアルタイムでシェアされてる。政府や企業のお偉いさんたちもくぎ付けになって見てるはずだよ。アルダがわたしたちに攻撃なんかしたら、彼らどう思うかな。」
「そんなまさか」
アルダが慌ててわたしの目を覆おうとするけど、地区ナンバーワンの飛行能力を持つわたしの反射神経を舐めないでほしい。彼女の手を簡単にかわして言ってやる。
「もう遅いよ。…まあ、ワクチンを隠してた郵便局本部の立場や権力なんてとっくにどこにもないと思うけどね」
アルダが顔をゆがめて歯噛みした。警備班の動きを制す。
「じゃあ、ワクチン渡してくれるよね」
そう言うと、アルダは黙ってワクチンを差し出した。
この先を生きていく中で、自分にとって有益となるのはどちらか。郵便局本部のトップからの指令と世界中からの視線を天秤にかけて、とっさに判断したんだろう。驚きの変わり身の早さだけど、さすがの判断力というのは認めざるを得ない。
50本ほどの小瓶の重みがどしりと腕に伝わる。ここに人類の未来が託されていると思うと、無意識に手のひらに力がこもる。
するとアルダは小さくこう言った。
「このままだとわたしたちだけが悪者みたいじゃない。ちゃんと説明させてくれなきゃ納得できないわ」
わたしの両目を睨みつけて彼女はつづけた。
「そもそも、百年前世界中を恐怖に陥れたウイルスの発端はサンタ一族だったのよ。クリスマスイブの日、ある一人のサンタクロースが偶然、運悪くウイルスを持ち込んでしまったの。そして、彼がプレゼントを届けた家の人々から全世界中にあっという間に感染が広がってしまった。サンタ一族の人間はサンタクロースが感染源になっているという事実を隠したがった。」
初めて聞く話だったのか、サンタ一族の取り巻きたちが驚いた様子を見せた。アルダは続けた。
「その事実に気づいたのが世界郵便局本部の人間だったの。郵便局本部は、事実を黙認する代わりに、世界を外と内で分断させ、外側の世界の管理に手を貸すように求めた。全世界に急激に広がるウイルスの感染拡大を食い止めるためには人とのつながりを隔てる必要があったため、サンタ一族はこの提案に乗った。一方で、この感染を根本的に食い止める責務があると考えたサンタ一族は、ワクチン開発局を立ち上げ、短期間でワクチンを作り上げた。彼らは早急にそのワクチンを全世界に配布すべきだと主張した。外の世界を管理することで力を強めたいと考えていた郵便局本部はこれに反対した。結局、サンタ一族はわたしたちにワクチンを決して譲ろうとしなかった。」
最後に彼女は目を伏せた。
「郵便局本部もサンタ一族もどちらが悪いなんてことはなくて、どちらにも反省しないといけない点があった。人類の未来のためを思っていたのはどちらも一緒よ。ただ目指す方向が違っただけなの。」
世界郵便局本部側の面子を完全にはつぶさず、サンタ一族およびわたしのコンタクトレンズの向こう側にいる人々に自分たちだけが極悪非道な人間なわけではないとアピールする。とっさのこの状況の中でも立ち回り方がうまい。
だけど、これ以上アルダの言い訳めいた戯言に耳を傾ける気はなかった。いくら偉くて賢い人が上に立って世界を平和に導いているっていっても、勝手に人々の自由を奪うなんてことが許されるわけない。
早くユピテにワクチンを渡さなきゃ。それで、世界中の人に届けられるように大量生産してもらおう。
ワクチンを胸にしっかり抱え、走りだそうとしたその時、足先に引っ掛かりを感じた。
え?
目の前に地面が迫ってきているのを見て、自分の体が前に倒れかけていると気づいた。とっさに片手で全身の体重を支えた。
次の瞬間、ガラスの割れるいやな音が響いた。
見ると、左手に抱えた小瓶のうち半分ほどが割れ、中身が床にこぼれ出ていた。
割れた小瓶の隣に黒いエナメルのパンプスがあった。
「あなたは昔から詰めが甘いのよ。こうしていれば、あなたの視界には割れたワクチンと床しか映らないでしょう。あなたが勝手に転んだように見えるわ」
頭上からアルダの声が降ってきた。彼女が手で私の頭を押さえつけている。
アルダが足をひっかけてわたしを転ばせたんだ。さっき観念したように見えていたのはパフォーマンスだったのか。
信じられない。怒りで頭に血が集まってきているのを感じる。
「クルム!大丈夫か」
駆け寄ってくるサニエルの足音と声が聞こえた。
「ワクチンが無くなれば、誰も郵便局本部には逆らえない。サンタ一族の人間にばれないように本部で破壊する予定だったけどまあいいわ。ワクチンを失ったサンタ一族なんて怖くないもの」
アルダが無事だった小瓶にハイヒールのかかとを乗せた。私の目の前で、ぱきりと音を立て、小瓶が割れた。
「…!」
信じられない。アルダがここまで自分本位な人間だったなんて。
悔しくて涙が出てきた。視界がぼやける。
これじゃ向こうの思うつぼだ。
唇をかみしめたその時、
「いい加減にしろ!!」
怒号が響いた。
頭の上に乗っていたアルダの手がびくりと動いた隙に顔をあげると、取り巻きのサンタ一族のうちの一人、長く白いひげを蓄えたおじいさんが青筋を立てていた。
「アルダ殿、もういい加減にしないか。わからんか、もうあなたたちの時代は終わったのじゃ」
白髭のおじいさんの言葉に合わせて残りの取り巻きたちがアルダを取り囲み、動きを制した。
「パウ長老…いまさら何よ、あんたたちだって同じじゃない!」
アルダが肩を震わせて叫び返した。
「無論、我らが犯した罪は消えん。我らサンタの人間は一族の誇りをかけてこの罪を償っていく所存じゃ。我らが責任を持って全世界の人々全員に必ずワクチンを届けることを約束する」
パウ長老と呼ばれたおじいさんはわたしの両目を見つめて世界にそう呼びかけた。
「そんなこと今さら言ってどうするのよ。世界が開いたらあんたたちの立場なんて一瞬で墜落するわよ」
アルダが息を切らして叫ぶその隙にサニエルが素早く残りの小瓶を回収した。
「まだわからんか。もはやそんな小さなものに縛られる時代ではなくなったのじゃよ。このお嬢さんや、外にいる大勢の人たちによって今、世界は再び扉を開こうとしている。100年間この場に凍り付いて変われなかった我らの代わりに、世界を変えてくれたのじゃ」
パウ長老がわたしに微笑みかけた。口元にくしゃくしゃのしわが集まる。
「今後目まぐるしく変化していく世界の濁流を前に、我らなぞただの無力な人間の集合体に過ぎぬ。それであれば、せめて罪滅ぼしをさせていただきたいというのが我らの願いじゃよ。そうじゃろう?」
パウ長老がそう呼びかけると、周りにいる赤い服のサンタ一族の人間たちは強くうなずいた。味方がいないことを悟ったアルダがその場に崩れ落ちた。
「みんな、急ぐのじゃ、サンタ一族をあげてワクチンの量産に取り組むぞ」
パウ長老の一言で、サンタ一族の人たちが慌ただしく動きだした。
「クルム」
小瓶を手にもったサニエルがわたしに声をかけた。
「君のおかげでサンタ一族がまだ芯までは腐ってなかったとわかった。これで僕も一族を憎まずにいられるよ。本当にありがとう」
サニエルがわたしに向かって頭を下げた。
「こちらこそありがとう。わたしもサニエルのおかげで、配達の仕事も悪くないなって思えるようになったし、たくさんのお客さんと仲良くなれたの。…あ、そうだ。」
わたしはポー王子のことを思い出して言った。
「去年のクリスマスイブ、ポー王子がサニエルにすごく会いたがってたって言ったでしょ。早くワクチン届けて、赤ちゃんの顔、ポー王子に見せに行ってあげなよ」
「はは、そうだね。会ったなかったこの2年できっとポーも大きくなってるんだろうな。その時はクルムも一緒に行こう。」
「うん」
「じゃあ、急いでワクチンを作るよ」
サニエルはそう言い残してほかのサンタ一族の人々と一緒に走り去っていった。
*
屋敷の外に出ると、キコとユニが駆け寄ってきた。
「クルム!ほんとにお疲れ様!」
「キコ、ユニ!来てくれてほんとにありがとう」
「外の世界ってこんなに寒いんだね…さっきから鼻水止まんないのよ」
両腕をさすりながらキコがそう言うと、吐いた息が白く舞い上がっていった。
「そうなの。冬の配達、ほんと死にそうなくらい寒いんだよ。上空はもっと寒くなるし。」
わたしが唇を尖らせると、
「キコが鼻水垂らしてるのって寒さだけじゃないよ。さっきここからクルムの雄姿見て感動して泣いてたんだもんね。」
とユニが言い、キコが「余計なこと言わなくていい!」とユニを小突いた。
「でも、クルムたち媒介者だけが配達員になる必要はもうなくなるんだもんね。わたしが外に出て荷物運んだっていいわけだもんね」
ユニがしみじみと噛みしめるように言った。
そうか。もう媒介者は特別でも、特殊でも、選ばれた者でも、外れくじを引いた者でもなくなるんだ。わたしも自分の好きに仕事を選べるようになるんだ。
「これからどうなってくかな」
「楽しみだね」
ユニとキコがそう言って笑った。
「てゆーか、生キコは想像の10倍きれいだった。何なのこのつるつるのお肌」
ユニがキコのほっぺたをつついた。
「ちょっと!冷たいじゃん」
二人がじゃれあうその先に、白い帽子のユピテを見つけた。奥さんと一緒だ。
「ユピテ」
わたしが声をかけると、ユピテはすぐに気づいた。
「クルム、ありがとう。本当に本当に、ありがとう」
「これで、お友達と好きな時に好きなだけ外でお茶できるようになるね」
感謝の言葉を伝える奥さんに何度も手をぶんぶんと振られながら、わたしがそう言うと、ユピテはそっとわたしを抱き寄せた。
ユピテの腕の中は暖かかった。人と触れ合うって、こんなに安心することだったんだ。
人肌のぬくもり。わたしたちはついに愛する人と抱き合う権利を手に入れたんだ。
あたりを見渡すと、人々がそれぞれ思い思いに、自由を勝ち取った喜びを噛みしめているように見えた。
*
その年の12月31日は、"媒介者"の最後の日となった。全世界の媒介者が総動員でワクチン配布に当たり、ついに一人も残すことなくワクチンを届け切ったのだ。こうして世界中の誰もが自由に家の外から出ていけるようになった今、かつて媒介者と呼ばれていたわたしたちは外の世界にちょっと詳しかったり、ちょっと空を飛べたりするただの人になった。
世界が開かれて3年。かつての世界郵便局本部は解散し、今は各国にそれぞれの郵便センターができた。一族経営を廃止したサンタ一族は、今もクリスマスイブには世界中の子どもたちにプレゼントを届けている。
サニエルは育児にかかりっきり。家の外を自由に走り回るわが子が危なっかしくて困ってるよ、とぼやくものの、めろめろみたいだ。
ユピテは開発者の手腕を買われて、新しい世界を築いていく戦略を立てる国際世界構築連合のアドバイザーに就任した。いろいろなものを作って何やらまた忙しい日々を送っているらしいけど、休日は友人とのんびり食事会を楽しんでいるそう。
ユニとキコとは相変わらず。変わったことといえば、ガールズトークを繰り広げる場がリアルなお店になって、食べ物も実際に味わえるようになったことくらいかな。
わたしはというと、この春からプロの飛行バスケットボール選手になることに決まった。飛行バスケットボールとは、飛びながら行う新スポーツだ。今のところ飛行能力に長けていた元媒介者の選手が多いけど、そうじゃない人たちからも有力選手がどんどん成長してきてるからうかうかしてられない。
今日は公式選デビュー前の最後の練習試合。さっき仲間と円陣を組んで気合を入れたばっかりだ。いつだってこの瞬間には胸が高鳴る。
笛の音が鳴った。試合開始だ。
わたしはボールを追いかけ、高く飛んだ。