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魔王の妻はどこへ

「相変わらず質素なお住まいね」

「暖衣飽食って言葉がありましてね、そういう暮らしをしていると物のありがたみがわからなくなってしまいまして」

「清貧って言うことかしら」


 お付きの侍女が座面を拭き高級なハンカチを敷いた椅子にやっと腰かけた令嬢は、薬屋の室内を見回しながら悪びれもせずに言った。

 彼女は喉が弱く、子供の頃から高名な医者に診てもらっていたがなかなか改善せず、3年前に人づてに噂を聞いた魔女の薬を求めてやってきた。体調のことだけなく世間話や世の噂話などを忌憚なく話すことのできるこの店を気に入ったらしく、令嬢なのに自ら足を運んで薬を買いに来るようになった。


「喉の調子はどう? 薬飲んでる?」

「まあまあね。良くなってきたら減らしてもいいって言ってたから、朝の分をやめて夜だけにしたわ」

「そう、それで大丈夫?」

「夜ゆっくり寝られるからかしら、昼間は調子いいわ」


 魔女はカルテもどきに簡単にメモをする。医者ではないので本当にメモ程度だ。眠れるようになって体力が少しずつ戻ってきたのかもしれない。


「ねえ、魔女は結婚しないの?」

「なあに、藪から棒に」


 めずらしく魔女は動揺した。と言っても、メモしていた手を止めた程度だったが。扉の前で控えていた侍女がわざとらしく咳ばらいをする。余計な事を言うな、ということらしい。令嬢は横目でちらりと侍女を見たが、話を続けた。


「だって、魔女だっていい年でしょう。結婚しないの?」


 魔女は持っていた羽ペンを置いてため息をついた。


「相手がいたら、するかもね」

「じゃあ、いないってことね」

「そう言うルネッタはお相手がいるの?」

「当然じゃない。私は侯爵令嬢よ。生まれた時から婚約者がいるわ」

「へえ、生まれた時から!」

「そうよ。まだお会いしたことはないけれど。16歳になる来年、顔合わせがあるのよ」

「素敵な人だといいわね」

「そうね。侯爵家の長男らしい立派なお方らしいわ」


 舞花だった時も、魔女になってからも、彼氏がいたことがないから婚約とか結婚とかはよくわからない。生まれた時から婚約者がいるなんて、なおさらイメージもつかない。


 そういえば、舞花だった時に水野という男に告白されたことがある。雨の日だった。大学の先輩で、駅かどこかで待ち合わせをして彼に告白されたのだ。好きではなかったが嫌いでもなかったので、どう返事をしたものかと考えていたら、近くの水たまりに突然引きずり込まれ、この異世界に落とされた。

 告白した相手が突然目の前から消えて、彼はさぞかしびっくりしたことだろう。もう顔も忘れてしまったが、かわいそうな人だなと思う。


 古い思い出に浸っていたら、ルネッタがじっとりとした目で魔女を見つめていた。


「ねえ、魔女はどんな人が好き? 私はねえ、魔王様みたいな方と結婚したいわ」


 魔女は思わず頬杖をついていたひじをがくりと滑らせた。


「へ? 魔王に会ったことあるの?」

「ないわ」


 ルネッタは偉そうに腕組みして見下ろしてくる。侍女が激しい咳ばらいをしているが完全無視だ。


「だって、魔王様ってもう20年以上もお妃様のお戻りを一途に待っているんでしょう。この世界で一番強くって美しくって、すっごくモテるはずなのに。絶対的権力を持ちながらもお妃様一筋なんて素敵よ。私もそんな風に想われて嫁ぎたいわ」


 うっとりとまだ見ぬ魔王に胸ときめかせているが、その魔王は奥の台所でせっせと晩ご飯を作っていると知ったらどんな顔をするだろうか。


「魔王様のお妃様ってどこに行っちゃったのかしらね。魔女は会ったことある?」

「ないわ。私がここに来た時には、もうお妃様はいらっしゃらなかったから」

「ふうん。どんな方なのかしらね」


 思う存分しゃべり倒したルネッタは薬を受け取ると機嫌よく店を出て行った。侍女が胡乱気な顔をしながら代金を払い、その後を追う。

 魔女はルネッタがお土産にくれた高級なクッキーをかじりながら、窓の外を見た。令嬢を乗せた豪奢な馬車が走り去るところだった。


「ん? あれは、もしや」


 遠くなっていく馬車の砂ぼこりの中から、見覚えのある姿が見えてきた。

 すらりとした体躯を洒落た騎士服に包み、はちみつのようなベージュ色の長い髪をなびかせながらゆっくりと歩いてくる。窓から魔女が見ているのに気が付いたのか、軽く手を上げた。

 玄関扉が開き、美麗な騎士が店に入ってきた。


「ルカ! 久しぶりね。一年ぶりくらいかしら」

「そうだね。魔女様は相変わらず息災のようだね」


 低くもなく高くもないやわらかい声を響かせて、ルカがほほ笑んだ。


「運がいいわね。たった今、高級なお菓子をもらったところよ」

「へえ。でも少し取っておかないとだめじゃないか? あの豚、まだ豚なんだろう?」

「ふふ、まだ、豚よ」

「一年ぶりにこの町に戻ってきたけど、さっそく彼を見かけてね。せっかくだから彼の宿に一泊したんだ。真面目に働いていたよ」

「そう、あんなに一生懸命働いているのに、どうしてやせないのかしら」

「……そりゃ、それ以上に食べてるからだろう」


 ルカは小さな椅子にバランスよく腰掛け、長い足を組んだ。魔女が淹れたお茶を一口すすってクッキーをかじる。


「しばらく見かけなかったけれど、町にいなかったのね」

「町に、というか、この国にいなかった。ずっと北の方の国で内戦があってね。雇われ兵としてちょっと稼いできたんだ」

「へえ。無事でなにより」

「ありがとう。おかげで傷薬の在庫がなくなってしまったんだ。またいくつか頼めるかな」

「いいわよ。材料は畑に植えてあるから、そんなにかからずに用意できると思う」

「そう。じゃあ来週あたりにまた来ようか」


 ルカはフリーの騎士で、期間限定で雇われては日銭を稼いで暮らしている。魔女がこの薬屋を開いた頃からのお客さんで、騎士につきものの小さな傷に塗る傷薬をいつも買って行ってくれる。戦地を見つけてはふらりといなくなってしまうので、今回の様に一年会わない、などということもざらにある。それでも大けがしているところを見たことがないので、多分こう見えて相当腕の良い騎士なのだろう。

 ルカは正直なところ、年齢も不明、性別も不明だ。中性的な容貌で背も高くもなく低くもなく、出会った20年前から見た目は全く変わらない。魔王に聞いてみても、ルカは魔物ではない、ということしかわからないらしい。


 一度こう、体をちょこっと触らせてもらえれば性別くらいはわかりそうだが。局部はともかく、腰のあたりとか、骨格の違いを確かめさせてはくれないものか……。


「ちょっと、どこ見てんの……」


 貞操の危機を感じ取ったのか、ルカは足を組みなおして上着の乱れを直した。

 魔女はちらりと奥の台所を見遣り、誰もいないことを確認した。

 男でも女でもなく人間でも魔物でもない、何とも得体の知れないルカだからこそ、魔女は誰にも言えない相談をしてみたくなった。


「……ねえ、ルカは魔王のお妃様がどうしていなくなったか知ってる?」

「えっ?」


 ルカはめずらしく驚いたように目を見開き、手にしていたカップをカチャリと音をたててソーサーに置いた。


「お妃様の失踪の理由ねえ。さすがにそれは私も知らないなあ。だって、ほら、魔王様とお妃様は、名前を呼ぶことも憚られるようなお方だし。そんな込み入ってそうな事情、公表されないでしょ」

「でも、いろんな国をまわっているルカなら聞いたことあるかと思って」

「まあねえ。いろんな噂はあるけれど、所詮噂だね。夫婦喧嘩だとか、お妃様が男作って逃げたとか。でも、お二人はとても仲睦まじかったし。ほら、涙池ができるくらいでしょ」


 涙池というのは、魔女が日本からこの異世界に来た時に落ちてきた池のことだ。最愛のお妃様の帰りを待つ魔王が流した涙が溜まってできた池、と呼ばれている。


「あの池、100年くらい前からあるって聞いたわよ」

「そう言えばあったね」


 ルカは面白そうに笑った。


「まあそんな逸話ができるくらい仲良しだったってことさ。現に、さっきも魔王様がひとりで涙池を覗いていたよ」

「ほんと?」


 魔王は、この国とは反対側に魔界に隣接している国の様子を見てくる、と言ってしばらく姿を見せていなかった。涙池にいたのなら、もしかしてここへも来るかもしれない。だったらルカにはそろそろ帰ってもらったほうがいいだろう。魔王はけっこう嫉妬深い。


「お妃様の失踪の理由は知らないけど、30年前の終戦直後にいなくなったんだから、あの大戦がきっかけではあるだろう、と私は思っているけどね」

「ああ、あの王弟の戦いね」


 30年前、魔女がこの異世界に来る10年前ではあるが、現在の人間界の王の弟が魔界に宣戦布告をし大きな戦争が起きた。まだ王が王太子だった頃の話だ。なかなか善戦したそうだが、やはり人間が魔物に勝つはずもなく、王弟は魔王に討たれた。この戦いがこの国で最近起きた一番大きな戦だ。


「……君みたいな、金髪碧眼の美しい人だったよ」


 魔女は両手で持った湯呑に映る自分の顔を眺めた。


「そう」


 ルカは静かに立ち上がり、上着の裾をぱっぱと直す。


「このままだと豚の彼の分も食べてしまいそうだから、そろそろ帰るよ。私はこの度第一王子の騎士団に雇われることになったから、しばらくはこの国にいるよ。また来る」

「じゃあ、来週までには薬を用意しておくわ」


 さらりと髪をなびかせて、ルカは帰って行った。魔女はあまり立ち上がる気がしなくてそのままぼんやりと湯呑を手の中で回していた。

 久しぶりに会ったせいか、余計な事を話しすぎて聞きたくないことまで聞いてしまった。


 魔王は今でもお妃様を待っているの?


 魔女は湯呑を置いて、傍らに置いてある水晶に手をかざしてみた。水晶のつやつやとした表面は少しも変わらず、ただただ透明なガラスのままだった。当然である。魔女は本当の魔女ではないのだから。



魔女の持ってる湯呑は様々な魚の漢字が書いてあるアレです。

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