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異世界で魔女様と呼ばれて

 この異世界には、人間界と魔界とその中間の半魔界がある。


 人間界は人間が住み人間の王が治める場所、魔界は魔物が住み魔王が治める場所。人間と魔物は元々いがみ合っていたが、長い年月を過ごすうちにそれなりに仲良くなる者も現れ、そうなれば必然的に恋に落ちる者も現れ、人間と魔物の間の子が生まれるようになった。その子供は半魔と呼ばれた。人間にも魔物にも馴染めない半魔が住む場所、それが半魔界。

 人間界と魔界に挟まれた半魔界はどちらからも厭われた場所であったが、聡明な人間の王と寛容な魔王の治世が続いた結果、現在では人間も魔物も半魔も自由に歩くことのできる特区として様々な店が立ち並ぶ栄えた街となっていた。


 その細長い半魔界の一番奥、裏に大きな山を背負った小さな小屋があった。

 ごつごつとした堅い丸太で建てられた小屋には真緑色の蔦がぐるぐると巻きつき、遠くから見ると裏山と同化してしまい見落としてしまいそうであったが、ようく見れば玄関扉を隠すように立っているナツメの木の枝から「くすりや」と手書きの簡素な看板が下がっている。


「魔女様ー。いつもの薬もらいに来たよー」

「はーい、どうぞー」


 重くきしんだ音のなる扉から、背中に羽根の生えた子供が顔を覗かせた。壁一面の色落ちした百味箪笥、机の上に置きっぱなしの本や薬包紙。室内は整頓はされていないが清潔で、消毒と薬草の匂いがした。

 奥の部屋から黒いワンピースに黒い三角帽をかぶった女が手ぬぐいで手を拭きながら姿を見せる。

 魔女様、と呼ばれる彼女は、手慣れた様子で引き出しを開け薬包を取り出した。


「じゅう、にじゅう、……さんじゅう、と。はい、ひと月分ね」

「代金はまた、いつものでいい?」

「いいよ、いつ来れる?」

「あさって! 学校が早く終わるんだ!」

「わかったわ、用意しておくからよろしくね」

「うん! いつもありがとう!」


 子供は嬉しそうに羽根をばたつかせて帰って行った。外に出たらすぐに飛んで家に帰るのだろう。

 先ほど渡したのは、子供の母親の為の薬だ。母親は人間で、妖精との間に子を儲けた。しかし気まぐれな妖精は子供が生まれるとすぐにどこかに行ってしまい、母親が一人で半魔界で子供を育てている。誰の援助もなく苦労して子を育てている母親は、朝から晩まで働いて体を壊してしまった。それでも、彼女は稀に帰ってくる父親をまだ待っている。

 魔女は貧しい者からは代金はもらわない。お金は持ってる者からもらえばいい。代金の代わりに食べ物や日用品を持って来てくれる者もいるので、それほどお金は必要なかった。先ほどの子供も代金の代わりに、小屋裏の薬草畑の収穫の手伝いをしてくれる。羽のあるあの子がいると遠くの刈り取りがとても便利なのだ。


 魔女は引き出しの中の薬包の数を確認し、次に準備しておく薬の算段をつけた。これくらいなら畑から薬草を摘んでこなくても在庫で何とかなりそうだ。


 お湯を沸かしている間に、急須に似たポットに茶葉を入れ台所に置きっぱなしにしていた湯呑を洗った。熱いお茶をふうふうと吹いて冷ましながら奥の部屋の縁側に移動し、座布団に座った。

 この小屋は、以前の記憶を辿って作った和風の小屋だ。忘れないように、手間はかかるけれどなるべく忠実に再現したつもりだ。


 魔女には日本人だった記憶がある。

 魔女はこの異世界に来る前は、井滝舞花(いたきまいか)という日本人だった。20才だったある日突然、首根っこを掴まれて引っ張られ、ばしゃんと池に落とされた。ずぶ濡れで顔を上げれば、一つ目の大鬼が池の縁から舞花をじっと見つめていた。その池は魔界と半魔界の境目にあり、大部分が魔界寄りなので辺りを魔物がうろうろしていた。


 どうして突然異世界へ落とされてしまったのかはわからない。これが転移なのか転生なのかもわからない。なぜなら舞花は黒髪黒目の日本人から、金髪碧眼、色白美少女に姿が変わってしまっていたからだ。胸も大きく腰はくびれ、まさにナイスバディ。日本で死ぬような目には会っていないはずだが、姿は雑誌のモデルのような理想通りに生まれ変わっている。


 薬学部の大学生だったせいか、異世界の薬草に関するチートが働いていたようで、知るはずもない薬草を見ただけで扱い方や効能などがすぐに分かった。それを生かして今では半魔界の隅っこで薬屋を開店して20年になる。

 魔界寄りに落ちたせいか舞花は魔物だったようで、全く老けない。薬を作れるチート以外はごく普通なのではあるが、老けない見た目と年中薬草をぐつぐつ鍋で煮ている姿からいつの間にか、魔女様、と呼ばれるようになった。

 三角帽に黒いワンピースはハロウィンの魔女のコスプレを思い出して用意した。せっかくのナイスバディなので、舞花だった時に着たいけど手を出せなかったゴシック調の黒いワンピースを思う存分着ている。


 扉の開く鈴の音がして、魔女は湯呑を縁側に置いたまま店に出た。


「こんにちはー、魔女様。見てよ、またなんだ」

「あらあら、まあ。これまたえらくむくんだわねえ」

「そうなんだあ。また薬頼むよ」


 魔女は引き出しから薬草を取り出し、薬研で細かく砕く。下の方の引き出しから取り出した薬包を開き中身を乳鉢に入れ、砕いた薬草と混ぜ合わせた。それを3等分して再び薬包紙に包んだ。


「相変わらず手際がいいねえ。ブヒッ」


 どっからどう見ても豚獣人のこの客はアレックスといい、本人いわく紛れもなく人間らしい。確かに茶色の髪に人間の耳を持っているが、顔や体形、特に腹回りはまさしく豚である。むくみやすい体質らしく、水分代謝を良くする薬を買いに来る。とんでもないむくみ方をするので、彼の場合は薬草の量を多くして渡しているのだった。


「ねえ、大きくなったのはむくみだけじゃないようだけど」

「ブヒヒ、わかっちゃった? 先週南の国の商人から買った見たことない動物のお肉が美味しくって、毎日食べ過ぎちゃうんだあ」

「さっすが食のために家出するだけあるわ」


 魔女は未知の動物の肉なんて食べる気が起きないのだが、アレックスは違う。彼は高貴な生まれらしいが、昔から食欲が旺盛で、世界中の美味しい物を食べてみたい、と家出してたくさんの国を旅してきたらしい。現在は人間界にある宿屋の娘に恋をして、その宿屋で住み込みでバイトしながら娘を口説いている最中なのだ。


「ほら、マッサージしてあげるから腕出して」

「魔女様のマッサージ痛いけど効くんだよねえ」


 アレックスは腕まくりして素直に両腕を机の上に置く。指先からよくほぐし、むくみとぜい肉でぶよぶよした腕をぎゅうぎゅうと力を入れて揉む。


「いててててて」

「あー、生姜焼き食べたくなってきたー!」

「僕を見て言わないで!」


 少しだけすっきりした腕をさすりながら、アレックスは帰って行った。横腹が揺れる後ろ姿を見送り、魔女は看板を裏返して『閉店』にし扉に鍵をかけた。

 実はアレックスのマッサージを続けている最中から、台所からいい匂いがしてきていたのだ。

 小走りで台所に向かうと、長い銀髪を後ろで束ねた背中が見えた。


「やっぱり生姜焼きだわ!」


 エプロンをしてフライパンを揺すっている銀髪が振り向いた。血の気の無い色白の肌に切れ長の鋭い目。全体的に色素の薄い美丈夫は、その冷たい容貌に反して嬉しそうににっこりと笑った。


「食べたいって叫んでたから」

「ありがとう! 嬉しいわ!」


 魔女はその彼の背中に勢いよく抱き着いた。


「こら、火を使ってる時は危ないから」


 窘められたって平気だ。がっしりとした背中はそれくらいではびくともしないことを知っているから。


「さ、食べようか」

「いただきまーーす」


 ちゃぶ台に並べられた生姜焼きにはきちんとサラダが添えられている。魔女はキノコのお味噌汁を一口すすり、すぐに肉にかぶりついた。


「美味しい!」

「そりゃどうも」


 そっけない言い方ではあるが表情はとても嬉しそうな彼は、実は魔王である。魔界を治めている、あの魔王である。


 突然池に落ちてきた舞花を一つ目の大鬼は貴重品を運ぶように両手のひらに乗せて歩き出した。自分の2倍はある大きさの大鬼の手のひらの上で舞花は、どこへ連れて行かれるのだろう、と震えていた。どこへ行くの、と聞いてみても大鬼は答えない。そもそも顔の真ん中に目が一つあるだけで鼻も口もないのだから答えようがなかった。

 連れてこられたのは魔王城だった。豪華絢爛とは言い難いが、古めかしく堅牢で、しかしどこか気品のある大きな城にはこの銀髪の美しい魔王がいた。

 震える舞花に同情したのか、優しい魔王はしばらく魔王城で彼女の世話をし、この世界の理を説いた。薬の知識を生かして独り立ちしたい、と言った時にも、今のこの森に隠れた小屋を斡旋してくれた。

 薬屋が街に定着してきた頃、魔王は一人でふらりと小屋を訪れるようになった。

 始めの頃は奥の部屋で魔女の仕事が終わるのを待っていたのだが、暇だったのか簡単な料理を作ってくれるようになった。それならば、と魔女が舞花の知識の料理を少しずつ教えているうちに、懐かしいお母さんの味を再現できるほどの腕前になった。


「ごちそうさま、美味しかった」


 魔女はごろりと床に寝ころび、お腹をさする。目を細めてそれを見ていた魔王が腕を広げた。


「おいで、マイヤ」


 魔女は顔だけあげて魔王を見る。そして、寝ころんだままずりずりと床を移動した。子供にするように両脇に手を入れて持ち上げられ、魔王のあぐらの上に座らされる。後ろから抱きしめられると、彼の体はとても暖かくていつも眠くなってしまう。


 今では誰も覚えていない魔女の名前を、魔王だけは呼んでくれる。それでも舞花という発音はむずかしいらしく、どうしてもマイヤになってしまうようだ。


「……あの豚にはいつもああして触っているの」

「アレックスは豚じゃないし、あれはむくみを取るマッサージだから」

「あの呪われた豚がいいのか」

「ふふ、妬いてるの?」

「……他の男にはあまり触れるな」


 一緒にご飯を食べた後は、たいていこうして二人でじゃれ合って他愛もない会話をして過ごす。

 肩の上で自分のゆるいウェーブがかった金髪と魔王のさらさらの銀髪が混ざるのはとても美しく、面映ゆい。

 きっとこれからも続く長い寿命の中で、こんな温かい時間を彼と一緒に過ごせるといい。

 魔女は心からそう思うが、決して口には出さない。


 なぜなら、魔王には妻がいるからだ。



お読みいただきありがとうございました。

ネタバレにはならないはずですが、不倫の話ではありません。


毎日更新予定です。

引き続きよろしくお願いいたします。

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