第九話 ~カリム~ 一縷の望み
戦闘警戒とは敵の出現に対して発せられる号令のことだ。相手が友好的存在という可能性もあるため、この号令が戦闘開始を意味するわけではない。
ただ、これが発せられたときは戦いがあるものとして準備をはじめる。盗賊は伏兵攻撃が可能な身を隠す場所を探し、神官はすべてを見通せる場所を確保する。
そして魔法使いは戦士の邪魔にならない距離を保ちながら魔法を撃つ隙をうかがうものだ。
――なんだけどよ。
「魔法使いが前に出るな!」
なんと勇者様はセオリーをやぶって自分が前へと飛び出しやがった!
素人かよ! このバカ! と突っ込みたくなった俺だが、そうだった素人だったと突っ込みは自分に向けた。
勇者様は魔法使いだった。それもかなりの使い手だ。この部屋を隔てていた壁も魔法でぶち抜きやがった。しかも呪文詠唱なしで。なんでお前にそれができる?
だがおそらく迷宮は始めてだったのだろう。初心者がやりがちな、ありとあらゆる失敗もやらかしてくれやがった。
「ティオ!!」
勇者が叫ぶ。
石造りの部屋、その先にベッドみたいな台座があった。
いやがった! ティオだ! 身体を起こしてこちらを間抜け面で見てやがる! だが生きてる!!
そりゃ勇者が飛び出すのもわからんでもない。だが状況を見ないで飛び出すのは自殺行為以外のなにものでもない。
なにせティオの隣になにかがいる!
ティオの身体が陰になって光が届かないが、そいつはローブ姿のようだ。
「〈炎上塵〉!」
勇者の呪文が完成する。
轟音と共に、ティオの隣にいた何者かがバチバチと燃えさかる炎に包まれた。
しかしそいつはその場から一歩下がった。ただそれだけで炎を免れている。
悪寒が総身を駆け抜けた。
やばい! 魔法使いだ!
「異術厳戒!」
魔法あるいは神跡といった異術に対する警戒――その上にあたる厳戒を宣告する。
魔法使いは強力だ。ゆえに敵に回ったときは非常に危険な存在となる。なにしろ剣の届かぬ遠方からこちらを火だるまにできるのだ。そんなもん、真っ当な手段では防ぎようもない。だから対魔法使い戦には定石がある。
「オーモ! 〈聖囁〉を……!」
そこまで言った瞬間。
ぐにゃり、と目の前が歪んだ。
これは!? と思ったときには目の前に地面があった。
かろうじて手をついて身体を支えられたのは俺が相応の経験を積んでいるからだ。
〈昏睡風〉だ! この魔法は人間を瞬間的に失神させる。しばらく意識を失う。
「オ、オーモ……頼む!」
効果が発動した後の対抗手段は神官の神跡しかない。だが、オーモの反応がない。あいつは最後方を陣取ったはずだ。ということはそこまで届いたってことになる。
くそ! 魔法の影響範囲が広すぎる!
せめて、じいさんが伏兵攻撃で敵を仕留められれば――
「ヤグ……!」
だが、じいさんの方も反応がない。最悪の状況だった。
がくんっと世界が暗転しかける。俺を支えているのはただの気合いだ。
寝台の上でティオが仰向けに倒れていた。あいつにも昏睡がかかったのだろう。
だが、敵の前に立ちふさがってる野郎がいた。
勇者様だ。
あいつは魔法に抵抗できたのか。
くっ! まさかあんな奴に最後の望みを託すことになるとは。
だが、四の五の言ってられねえ。
あとは頼んだぞ! 勇者様!!