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第八話 ~ティオ~ 子供

 目を開けると青い光に照らされた天井が見えました。

 どうやら夜のようです。そういえば昨日は勇者様とお出かけしたんでした。楽しかったな。

 一日お洗濯をサボってしまったので、今日は大量の洗濯物が待っているはず。

 この月明かりの強さなら、晴れるでしょう。ふふふ。待ってろよ汚れたシーツどもめ。

 ……おや? なにか忘れてるような……。

 …………。


「おしっこ!」


 私は跳ね起きました。

 そうです、おしっこです! 私は神殿の壁際でおしっこをしていたんです。だけど壁を背にしていたはずなのに後ろに倒れて――そこから記憶がありません。私はいったいどうしてしまったのでしょう。


「それにここは……」


 ようやく意識がはっきりしてきました。

 そこは知らないお部屋でした。

 床も壁面も綺麗に磨かれた石材が敷き詰められ、独特の厳かさを感じます。

 一方は長い廊下のようになっていて、私は部屋の端にある石造りの台の上に寝ていたようです。


「ここは施療院」

「きゃああっ!」


 突然の声に私は悲鳴をあげてしまいます。

 私のすぐそばに誰かがいる!!

 もしかして幽霊? 夜遅くまで眠らない子をさらってしまうという……。

 私はしがない洗濯婦(ランドリーメイド)ですからどうかお見逃しを! ウユニ姉さんならどこでもたくましく生きていけると思うので、ターゲットはどうぞそちらに!

 しかし冷静になってみれば、声には聞き覚えがあったような気がします。

 部屋を照らす青い光がその人物を浮かび上がらせました。


「おはようティオ。またあったわね」


 アトースさん!? 意地悪カリムと一緒にいた魔法使いの女の人です。


「よく眠れたかしら?」


 日中、深々とフードを被っていた彼女ですが、今は完全に顔を晒していました。

 端正なお顔立ちですが、どうも精気というものが感じられません。

 しかし、ほのかな青い光の中で彼女の目ばかりがらんらんと赤く輝くのです。


「ところで施療院って……」

「昔、この神殿では怪物を生み出す施術が行われたの。この部屋はその跡地」


 怪物? 施術? そんなところにどうして私がいるのでしょうか。

 そんな私の疑問を先回りするようにアトースさんが私を、いえ、私の胸元を指したんです。


「それが反応したのよ」


 うつむくと光が目に飛び込んできました。

 アミュレットでした。黒い金属の文様の中に埋め込まれた石が、青く輝いているのです。

 お部屋が青く照らされているのはこのためでした。


「これって、お昼ご飯のあとに草むらで拾った……」


 思い出しました。ウサギを追いかけていったその先で拾ったもの。勇者様が革紐をつけてペンダントにしてくださったんです。


「それは小狼王ワーディナを讃えるアミュレット。ここでの通行証みたいなものだけど、それって強い霊性に反応するの。もしかしてと思ったけど案の定だったわ」


 もしかして? 案の定? それってどういう……。

 不思議がる私をよそに、赤い目が足音もなく私に近づいて来ます。

 そしてとても白い手で私の頬に触れたのです。


「ねえ、ティオ。あなた何者なの?」


 ぞっとするような冷たさがありました。それは血が通う手ではありません。

 この人は死者だ!

 黄泉の国から帰ってきた魂が死体を操っている。そのことが直感的に分かりました。


「あらゆる命はね、肉体と霊、それに魂を持ってる」


 彼女の掌が私の肩と腕をなでさすります。

 そこではじめて私の身体がぶるぶると震えていることに気づきます。

 勇者様に触られるときはあんなにも嬉しい気持ちが込み上げてくるのに、この人からは恐怖しか感じられません。


「でもあなたの霊は、人の大きさをしていないのよ」

「な、なにを言ってるんですか?」


 本当になにを言ってるのか分かりません。

 霊? 大きい? 私がおかしいのでしょうか。


「なにかがあなたの中に入ってる。凶悪な御霊(みたま)が。それがなにかは分からないけれど、あなたは使える」

「使えるって……なにに……?」

「偉大な魂を降ろす憑代として」


 アトースさんの言うことは私には理解できないものでした。

 でも、それが私を犠牲にしようとしている意味であることはわかります。


「その代わり、あなたを」


 彼女がすっと私の髪をたくし上げました。


「死者にしてあげる」


 耳元で声がします。

 ひっ! 私は首をすくめました。

 でもあることに気づいて、怖気が背筋を走り抜けます。

 息があたってくすぐったくなる距離なのにそれがありません。

 つまり、彼女は息をしてないのです!


「死を恐れなくていい身体にしてあげる」


 彼女の言葉が震える私の心に静かに忍び寄りました。


「ただその代わり百年後、人間が寿命で死ぬ頃になったら、あなたの身体と霊性をもらうわ」


 ようやく彼女の言いたいことを理解しました。

 私は絶対に死なない身体で、自由に暮らす権利をもらえるというのです。

 百年後、自分を差し出す代わりに。


「大丈夫。この施術台は痛みを和らげる呪力を孕んでいるの。だからなんの痛みもなく死者になれる」


 痛みも苦しみもなく、今なら手に入る。


「好きなことをするといいわ。もう誰もあなたを縛らない」


 生きることは苦しいです。

 人は毎日食べ物を確保することを考えて生きていかなければなりません。

 たとえ食べ物を得られたとしても、事故や病気で命を落とすことだってあるのです。

 死者になるという誘いはある意味、魅力的なものなのでしょう。

 死を恐れなくなる。それは本当にすごいことなのかもしれません。


「かわいそうに、あなたもいずれ娼婦にさせられるのでしょう?」


 アトースさんの言葉が私の心に入り込んできます。


「男たちの慰みものにされてしまう。穢らわしいお人形にされてしまう」


 それは死者の甘いささやき。


「でも死者になれば、そんなことをしなくとも過ごしていける」


 命を持たぬ者だけが語れる甘い夢。


「あなたは自由になれる」


 それは大変魅力ある取引でした。

 どうせ人間なんていずれ寿命で死んでしまうのです。

 百年後に遺体や霊体だのをどう使われようが、どうでもいいじゃないですか。

 それまで食べなくても生きていける身体が得られるのなら、大もうけというものです。


「あなたに勇者と呼ばせている男だってそう」


 彼女は勇者様のことにも触れました。

 私を冒険へと連れ出す彼に。


「幼いあなたを使って、自分の欲望を満たそうとしている」


 ああ、そうですよね。


「あなたは彼に利用されている」


 そうなんですよね。


「でもそれももう終わり」


 ええ、もう終わりにします。


「だからね? 死者になりましょう」

「要りません」


 静かに、確かに、私は答えます。

 そしてアトースさんの方に向き直ります。

 赤い瞳が私を不思議そうに見つめていました。

 大人のあなたにはわからないんですね。

 もうずっと昔のことすぎて、忘れてしまったんですかね。

 死者として長く生きすぎたのかもしれません。


「ど、どうして決めつけるんですか」


 私の声が震えていました。

 これはずっと私の胸の奥底に澱んでいたもの。

 大人による無邪気な正義によって私の心に降り積もっていた感情でした。


「子供の言葉に価値はないと、どうして決めつけるんですか」


 アトースさんとはじめて会ったときを覚えていますか?

 私が勇者様と呼んでいることに、あなたは『そう呼ばされている』と言いました。

 私が自分から望んで呼んでいることをなぜ認めなかったのですか。


「私は無考えに従ってるというんですか」


 私はいつも『させられている』のですか?

 意志を持たない存在なのですか。


「私を、お人形のように扱っているのは、あなたではないのですか?」


 目から涙がこぼれます。

 子供だからこういう場面で泣いちゃうんです。

 でも最後まで言わなくちゃ。

 がんばろう。


「私は、いつだって、自分の意志で決めてますよ」


 情けない涙声が静かな部屋に響きます。

 そりゃ子供なんていろいろ間違ってしまうかもしれません。

 大人みたいに正常な判断ができないかもしれません。

 でもだからって最初から間違ってるって決めつけないでください。


「子供を……」


 涙があふれました。嗚咽が言葉をふさいでしまいます。

 でも、これは言わないといけないと思いました。

 だから顔をあげてはっきりと。

 言うんだ。


「子供をバカにしないで!」


 アトースさん。

 かつてはあなたにもこの気持ち、あったはずですよ。



   *



 耳をつんざくようなすさまじい轟音が鳴り響きました。

 直後、砂混じりの突風が吹きつけてきて、髪が顔に張り付いてしまいます。


「マジかよ! 開いたぞ!」


 長い石室の反対側から声がしました。


「戦闘警戒! ってバカ! 魔法使いが前に出るな!」


 この声は――カリム!?

 慌てて髪を払いのけます。

 もうもうと舞う砂煙。

 その中に。


「ゆ……」


 立ってたんです。


「勇者様!!」


 私のロリコン勇者様が。


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