第六話 ~カリム~ 古代遺跡ノキロウル神殿
「ここか」
俺たちはティオが吸い込まれたという現場に来ていた。
時刻はすでに夜。たいまつであたりを照らし出す。
燃えさかる炎に映し出されたものは、いつもの神殿の長壁。石切場から切り出してきたであろう人の身長を優に超える石材が垣として積んである。
この石が突如として消えるということはあるのだろうか。
「どうして坑夫の与太話に付き合わなければいけないんですか」
不平を漏らしたのは神官のオーモ。神事に従事するこいつらは朝が早いのでお冠なのだ。とはいえこの件は重要な話になりそうな匂いがするので付き合わせた。
「アトースが見つからなかったんでお前に聞くが、このサイズの石を消したり出したりする魔法に心当たりはあるか?」
「聞いたことありませんよ。そんなことが可能なら、迷宮の攻略はもっとイージーになるではありませんか」
ごもっともな模範解答ありがとうよホモ野郎。
とはいえこいつの言うことはもっともだ。魔法ってのはなんでもできるわけじゃない。連中は古書を読みあさり、そこに書いてある呪文しか使えない。せいぜい言い回しを組み合わせて多少のアレンジを加える程度。それは目の前を燃やしたり、小さな稲妻を走らせたりするもので、重さ十トンを超えるであろう切石をひょいひょいと持ち上げる魔法など耳にしたこともなかった。
「おい、勇者! 本当にここなんだろうな?」
青ざめ顔の自称勇者はうんうんと首を縦に振る。
だがティオが消えたという痕跡が見つからない。オーモなどは「奴隷商に売り飛ばしたのを、神隠しのせいにしてるんじゃないですか?」などと端から勇者を疑りにかかっていた。
まさかそれはないと思うが、不手際で殺してしまった責任から逃れようとでまかせを吹聴している――そんな可能性は考えられる。他の冒険者が取り合わなかったのも、そう見当をつけたからだろう。
だが、俺は引っかかりを感じていた。
この勇者様がここまで必死になるということに。
「確かにこの石は一度消えた、あるいは浮いたな」
それを言ったのは壁にへばりついていたヤグじいさんだった。
老いた盗賊は石の下を覗き込んでいる。
「これを見ろ」
じいさんが指し示す先に目をこらす。
しかしそこには雑草が生えているだけだ。
「草が石に噛んでるじゃろ」
言われるがままによくよく目をこらした俺の口から驚嘆がこぼれた。
石壁と石床の接する角に堆積したわずかな土。そこに雑草が生えている。ほんの一センチくらいの背丈の小さな草だ。そのわずか一、二ミリ程度の一枚の葉が、石の隙間に挟まってる!
なるほど。この石は一度、浮いたか消えたかしたんだ。葉が入る隙間ができなければこうはならないのだから。
盗賊ってやつは実に目が利く。連れてきて正解だった。
「石は鉤状になっていて、壁中央にある空洞の栓になっている、そんなところかの」
じいさんの声が上から降ってきた。
見上げれば石壁の上に立ち、指をL字に曲げているヤグがいた。どうやら上から見て石材の形状を把握したらしい。
さらりと言っているが、この壁は高さ三メートルある。一瞬でこれをよじ登ったわけだ。単独で。俺も気づかぬうちにだ。
盗賊は敵に回したくねーな。しみじみとそれを思う。
ともあれヤグじいさんのおかげで状況はわかった。
この石垣の壁。おそらく内部には1メートル四方程度の空洞がある。その穴を鉤状の石が引っかかる形で塞いでいる。
どういう仕組みかはわからないが、ティオが拾ったお守りに反応して石が消え、彼女はその穴へと落ちてしまった。
となれば、まず考えなければならないのは穴の深さだ。この石のすぐ真下に浅い空洞があって、ティオはそこにいる可能性も考えられる。
「ティオの悲鳴を聞いたのは勇者だな。お前、この石の一、二メートル下にティオがいると思うか?」
勇者様が何度も首を横に振る。長い悲鳴だったと彼は言う。
なるほど。どうやら穴は地中深くへと続いているらしい。できれば土を掘ったすぐそこに居て欲しかったが。
「ヤグじいさん。どうよ?」
「地図で検証したいのう」
まあ、そりゃそうか。
一方、勇者様は青ざめた顔のままじっとなにかを考え込んでいた。
坑夫やってるこいつのことだから仲間を雇ってツルハシでこの石を破壊しようなどと考えているんだろう。
だがその手段は使えない。それは素人の俺でもわかる。
鉤状になった石。その鉤部分を破壊すれば、残りの石塊が落下する。下のティオを圧殺するだろう。
それを防ぎつつ石を取り除く工法もあるだろうが、しかしそれはかなり時間を要するはずだ。ティオが飢え死にする方が早い。
いくら考えても正解は得られない。
ティオのいる場所にいたる手段はただ一つだ。
*
居酒屋に戻る頃には深夜になっていた。厨房が閉まる刻限を過ぎているせいか、店内にいるのは俺たちだけだ。
「これはじいさんのとっておきだが、てめぇには特別に見せてやる」
テーブル中央に明かりが灯され、一冊の手帳が置かれていた。ヤグじいさんの地図だ。
迷宮に潜る冒険者だが、そこでは地図の作成が重要となる。ただし、魔物が出る中でちんたら計測している暇はないので、歩幅を使ったものとなる。当然こんな芸当ができるのは盗賊の連中しかいない。地図作成は彼らの役割だ。
ではこの地図の所有権は誰にあるのだろうか。それは当然、地図を作った当人のものだろう。パーティのものではないのだ。
ゆえに優秀な盗賊を雇い、正確な地図を作成してもらいながら、迷宮内を案内をしてもらうことが全滅を回避する最優先事項となる。そしてその地図は他人に見せることのできない機密文書として扱われる。連中の飯の種だからな。信頼できるパーティメンバーすら、かろうじて横から覗き見ることが許されるというレベルだ。
今回、外部の人間である勇者様は地図を見ることは許されないが、まあ、子供と遊んでるだけの坑夫なので、無害と判断して地図を見せることを許可されていた。
「さて」
俺は切り出す。
勇者にはきつい話になるかもしれない。
「あの場所から下に落ちたらどこにいくか」
勇者様がはっとした顔をした。
当然の反応だわな。しかし絶望はこの後だ。
「この神殿はおかしいのです」
おしゃべりうんちく垂れのオーモが口を挟んできた。俺の説明が省けるんで放っておくことにする。
「聖堂は上に伸びるものです。高い建物を造り、神の威光を人々に見せつける、それが宗教というもの。しかしこの神殿は地下に伸びています」
古代遺跡ノキロウル神殿。
二十五平方キロメートルの敷地の中に巨大な丸石と瓦礫が転がっている遺跡。地上部分にはそれだけしかないが、この遺跡には地下が広がっている。
おそらくかつては地上と地下に建造物があったのだ。しかしあの丸石群がどこからともなく飛来して、地上部分の神殿をことごとく潰した。結果、地下だけが残り、怪物の巣となった。
まあ、その理屈はわかる。だが。
「地下十層建てっておかしくありませんか?」
オーモの言葉にパーティメンバーがうなずく。
地上に施設があったというなら、おそらく併設される地下施設はその予備となるべきものだろう。先ほどオーモが語ったとおり、地上にこそ高い建物を建てて当然なのだ。
なのにどうして地下に十層も必要なのか。
「地下第一層は通称〈礼拝堂〉。大きな通路が真ん中に走り、まわりに大部屋が並んでいる構造です」
おそらく信徒たちの礼拝や儀式に使われていたんだろう。ノキロウル神殿は多神教なので主殿で祭りきれなかった格落ちの神像をこっちに置いたのだと思われる。
「地下第二層。あるのはおびただしい数の小部屋。当時の神官たちの作業空間、あるいは居住区だったと考えられています」
忌々しい魔物どもが背後から急襲してくるやっかいな場所だ。
「そして地下第三層です。非常にじめじめとした空間となります。石櫃が並んでいることから、墓地として使用されていたんでしょう。構造に無計画さが垣間見えるのですが、死者が増えるごとに拡張したからだと考えれば辻褄はあう。この階は〈墓場〉と呼ばれています」
まあ、ここまではわかる。
おそらくこの第三層までが古代神殿の本当の地下だ。
だが迷宮はここからさらに続く。
「問題はこの下です」
「地下第四層〈蟻の巣〉だな」
ここからは突如として洞穴となる。つるはしで掘り進めたような道が縦横無尽に続いている。しかし坑道というにはいささか無軌道だ。鉱山の穴蔵なんて入り組んでて当然のものだが、そうじゃない。明らかにわざと迷路にしているとしか思えない作りになっている。
「迷わせるための構造物ってなんの意図があるのでしょうか」
誰かが従来の地下施設をさらに下へと掘り進めていったのだ。拡張工事の途中だったのだろうか。だがそれにしてはわざわざ迷路にする意図が不明だ。
そして迷宮はここからさらに下層へと続いていく。すでに戦死した先達たちの残した情報によれば、地下第九層からさらに下へと降りる入口が発見されている。すなわち現状、地下十層まで存在していることとなる。いったい全体どうして神殿地下のさらに下にこんなにも謎の階が必要となるのか。
「この迷宮は得体が知れない」
明らかになんらかの意図がある。だが、それがわからない。
「未知の部屋がまだまだ眠っている可能性がある。俺たちはそれを探している」
人の意図が込められているのなら、そこには必ず表向きのものと、真の企図が込められた裏向きのものがあるはずだ。その裏を暴き、迷宮のお宝を頂戴する。それが俺たち冒険者の目的だ。
おっとおしゃべりが過ぎた。本題に戻そう。
「で、じいさん。ティオはどこまで落ちたと思う?」
息を呑む音、続いてうめく声が勇者様からあふれた。
十層もある深い迷宮。
ティオは第一層に落ちた保障などないのだ。




