第三話 ~ティオ~ 赤い瞳
「おう、勇者様! どこに行くんだ?」
勇者様との週に一度の冒険が始まろうとしていた矢先、後ろから声をかけられます。
あ、この声は……。
振り向くと長身の男性が立っていました。その腰には頑丈そうな皮のベルトが巻き付けられ、物々しい剣を支えています。見るからに冒険者といった風情です。
彼の名はカリム。
今、この町の冒険者でもっとも実力を持っていると評される若者です。
「今日は東側の滝の調査です」
勇者様はだんまりを決め込んでらっしゃるので、代わりに答えます。
「あんなとこ行ってどうする。こっそりウサギでも狩るのか?」
「冒険です!」
ムキになって反論する私ですが、カリムは鼻で笑い飛ばすんです。
「ふぅん? 迷宮ってそっちにあったっけ?」
そんなこと分かってますってば!
このカリムは今一番波に乗っている冒険者です。そういう人は得てして自信過剰になるように、この人もまた調子という高波にざばざばと乗ってしまっているわけです。
だから新米の私たちを見かけるとすぐにこうして嫌みを飛ばしてくるってわけ。
「どうしたのカリム」
背後から女性の声がしました。ローブを着込んだ大人の女性です。フードを深めに被っているのでよく見えませんが、顔に見覚えはありません。
新顔さんですかね。
冒険者は外から流れてくることがよくあります。怪物はどこにでもいるわけですから、ノキロウル神殿のような場所は他にもあります。廃城や使わなくなった塔に巣を作ってしまうんです。そういった化物を退治するのが冒険者の仕事というわけで、彼らは町から町へ、迷宮から迷宮へと渡り歩くのです。
「おう、アトース。紹介しよう、こっちの小さいのは魔法使いのティオだ」
ああ、またそういう意地悪を。
「え? こんな子が? あなたすごいのね」
「いえ、そうでもないんですけど……」
カリムの言葉を信じ切ったアトースさんの眼差しを正面から受けきれなくなって目を反らします。
しかしそこは意地悪カリム、すかさず追撃の矢を打ち込んできました。
「そういやティオ。お前、字は読めるようになったか?」
「うっ、それはその……今勉強中で……」
消え入るような小さな声で答えます。
冒険者はならず者ではありますが、意外と高度な知識を要求されるのです。
特に読字技術は必須です。迷宮の中では他の冒険者が文字を残して危険を知らせることがあるのですから。
そしてなにより魔法使いは古書を読む専門職でもあります。文字が読めない魔法使いはいないのです。
ただ、字は洗濯婦にはちょっと荷が重くて。
「ああ、そういう……」
さっきまで期待に満ちていたアトースさんの表情がしら~っとしたものに変じていました。
うう、情けない。
「そしてこちらのお方が誰あろう」
カリムは大仰な仕草で両手を広げながら今度は私のパーティメンバーに近づいていきます。嫌みを言う彼は攻撃の手を絶対に緩めません。ねちっこい性格なのです。このときばかりは迷宮のモンスターたちを気の毒に思いました。
「勇者様だ」
しばらく沈黙が支配しました。
アトースさんの顔が複雑な笑顔のまま固まっていました。おそらく意味が分からないのでしょう。
「勇者……って?」
彼女の口からようやく出て来た言葉はそれでした。ええ、ええ、そうでしょうとも。かつては私もそうでした。
「知らねーよ。こいつが自分一人でそう言ってるんだから」
「わ、私もそう呼んでますよ!」
「そう呼ばされてるのね……」
「私が! 呼んでるんですって!」
必死にフォローを入れる私でしたが、アトースさんの目がなにかを哀れむものに変わっていくのです。なんで?
「これから東の滝の攻略に挑むらしい」
「東の滝?」
「あんだろ、神殿の東側の渓流に。ちょっと段差があってちっこい滝みたいになってるところが。あそこまでお弁当を持って冒険に行くんだと」
「そうですよ」
麻袋を抱きしめながらうなずきます。
なるほど渓流の滝でお弁当ですか。いいですね。今日の冒険にさっそくワクワクしてしまいます。
「そう……」
ですが喜ぶ私をよそに、アトースさんは悲しそうにうつむいてしまうのです。な、なぜ……?
「道中、ウサギやリスなどの凶悪な魔物が出るかもしれない。そのときはその剣でティオを守ってやるんだぞ」
カリムがニヤニヤしながら勇者様の腰を指します。
その先を目で追ったアトースさんの口が「あ」という形に変じました。
勇者様の腰にはカリムと同じく皮のベルトが巻かれていますが、そこに吊り下げられているものは剣ではありません。鉄片が打ち付けられた、ちょっと曲がってる棍棒と、刃のない糸鋸の二本なのです。たぶん鉱山のお仕事道具です。剣は高いですからね。
「カリム」
彼の言葉をアトースさんが制しました。口を真一文字に結びながら、頭を横にフルフルしています。
どうやら彼女の中では私と勇者様はかわいそうな人扱いになった模様です。ひどい……。
彼女は慈愛に満ちた顔で私に向き直ると、おもむろにしゃがみ込みました。
あ、来るぞ、これは来るぞと、心の中で身構えます。
「ティオ、だったかしら」
優しげに瞳を覗き込んできます。
「あのね、遺跡は危ないの。怪物の巣なの。やつらは地下に籠もって地上には出てこない。でもその保障はないのよ。この神殿にはまだ分からないことがたくさんあるんだから」
出ました! 子供扱い! 私がこの世でもっとも嫌いなもの!
実際に子供だから言い返せないのがくやしい! 実にくやしいです!
「連れてこられちゃったのかもしれないけど、もうちゃんと自分で判断しないと。遊ぶ相手は選びなさい」
アタイを子供扱いするんじゃないよ! くらいのことは言ってやりたいのですが、そこはやっぱり十歳児。大人に諭されると涙目でうつむくことしかできません。
「あなたも」
彼女は勇者様を見上げつつ咎めるように言葉を締めました。
一方、勇者様は無言のまま腕でバツ印を作っていました。
「なにやってんだ? 勇者様は」
わかりません。
アトースさんの言い分には反対するという意味なのですかね?
正直、私も言い返したいこともありますが、子供では反論もままならないので黙っていることにします。どうせ言い負かされるのがオチですし。
「――――」
ところがそのとき彼女はもう一度、視線を私に戻すとじっと見つめてきたのです。
フードの奥からやや赤みがかった瞳が覗き込んでいました。でもなにか違和感を覚えます。それが具体的になにかはわからないのですが。
ただ彼女の瞳を見ていると、なにかがのそりと動き出すような、そんな不思議な感覚が走りました。
「世界はさまざまな神秘で満ちあふれている!」
大仰なカリムの言葉に我に返ります。
「さまよえる塔の隠者、竜眸の魔人、夜光蝶の剣士、雷鳴の杖使い!」
彼は勇者様の肩に腕を回しながら、最後のダメ押しとばかりに声を張り上げます。
「さあ、君もこの伝説の勇者様と一緒に冒険に繰り出そう!」
「やめなさいって。ほら行こう」
「はっ、あばよ」
アトースさんがカリムを強引に引っ張っていきました。
はあ、これでようやく静かになる。
しかし少し気になるのはアトースさんが最後までちらちらと私をうかがっていたこと。勇者様ではなく私をです。心配してくれたからでしょうか。それとも別の意味があったのでしょうか。
ただ私にはあのフードの奥に潜む赤色の目がどうしても不気味に感じてしまうのです。