1-8 イヴォーク王国
ロゼリアから語られたそこまでの話を聞いて、思っていたよりもこの世界の状況は切迫していることを知らされた。
しかし先程から馬車の外に見える街並みからは、そこまで世界が悪い状況になっているとも思えない。
石と木が融合した造りの建物が比較的多いこの町は、整頓された綺麗な見栄えの良さが際立っている。暖色の煉瓦を組み合わせた建物は西洋建築のようにも思えるが、先程の森にあったものと同じ独特の色が映える木材がカラフルな印象を与えていた。
「けどこのイヴォーク王国はあまり魔王の影響を受けてる様には思えないですね」
浮かんだ疑問をそのまま口にしたのだが、ロゼリアはそれを難しい顔で否定する。
「このイヴォーク王国は魔王の支配地域からはかなり離れていて、直接的な侵攻は確かに受けていません。人々はこの国がある地域を『人類最後の楽園』などと呼ぶ程度には平和であると言えるでしょう」
魔王の力に対抗できる大国であり侵略の手が直接及ばないとあればそう思うのも当然かもしれませんね、とロゼリアは力なく笑った。
「しかし影響がないかといえばそうではないんです。何かに気付きませんか?」
そうしてロゼリアに窓の外を見る様に促されたので目を向けるが、特別変わった事は何もない様に思えた。
「特になにも…… 綺麗な街並みにかなりの数の店もあって、とても静かな……?」
そこまで口にした時にある違和感に気付く。
先程上から見た時も感じたが町の規模としてはかなりのものだった。それに加えて立ち並ぶ店も多い大通りであれば、人で溢れかえっていてもおかしくはないはず。
しかし外に見えるのは数々の閉ざした店らしきものと、疎らに歩く人々がいる程度だった。
心なしかその人々の表情も曇っていて、商人が客を呼び込む声や人々が話す笑い声などは全く聞こえてこなかった。
「……静かすぎる?」
そう呟くと、ロゼリアは静かに肯定した。
「魔王との戦時中とはいっても市民の生活を制限しているわけではないのですが、戦争によって他国から来る食料などの輸入品も手に入らない状況が続いている為に町全体が活気を失ってしまったのです」
「それに加えて魔王の裏工作によりベルトの様な魔王派が勢いを増し、最前線に近い国の国境には到底受け入れ切れない規模の難民が押し寄せているのが、この国に限らず今の人類の現状ですね」
ロゼリアの説明に付け足す様に、アイリスは苦々しい表情で言った。
おそらく異世界に来たのだろうとわかってから気楽に観光とかありきたりなことを考えたりもしたのだが、どうやら世界規模でそんな場合ではないらしい。
馬車の中に溢れる重い空気が流れようとした時、そういえば……とアイリスが何かを思い出した様子で言った。
「先程の小さくて可愛らしい動物ってどこへいったのでしょう? あの尻尾が二つあったあの子」
その言葉を聞いてあのウサギもどきを完全に忘れていたことに気付く。確かに先程の森で会ったあのウサギもどきは、俺達が空に投げ出された時には一緒にいた風にも思える。
「ここに来た時にはもういなかったですね……まあきっと森に帰ったんでしょう」
消えたり現れたりと不思議な生き物だったが、森の中で出会ったのだからきっとあの場所に住んでいるのだろうと単純な考えしか持たなかった。
そんな当たり障りのない話をしていると、ふいに馬車の揺れが止まったのを感じた。
「あ、着いたみたいですね。それでは降りましょうか」
ロゼリアにそう促されるままに外に出るとその目の前には、視界の殆どを占める巨大な城が存在していた。
「いや凄過ぎない……?」
その城は外壁が全てが白くなっていて、太陽の光で照らされて輝いている様にさえ見える。形は西洋の城というイメージそのものだが、何よりその大きさは自分が知っているものとは桁違いだ。
しかしその大きさ故に大雑把に作られているのかというとそうではなく、細部にまで工夫された意匠や装飾物なども見える。節々に見て取れる変色の跡は、この建造物がどれだけの時を刻んできたのかを教えている様だ。
降りて直ぐにあったその城の景色に驚きすぎて口を開けて固まっていると、横から嬉しそうな声がかけられる。
「今回は裏口から入ったので城の裏側が見えていますが、正門側からの景色はもっと美しいですよ」
アイリスは少し誇らしそうにしている。しかし、その言葉の中にあった裏口というのが少し気になった。
「裏口っていうのは……あ、もしかしてここは王族の人達専用の入り口なんですか?」
そう聞くと、ロゼリアは静かに首を振った。
「いえ、そういうことではなくて……」
すると少しだけ顔を近づけてきて、声の大きさをかなり落として言った。
「実は魔王派が姫様を襲ったというのは、混乱を防ぐためにまだ一部の者しか知らないのです。ハルカも、くれぐれも口外しないようにお願いします」
近くに迫った美人が真剣な表情を作ると、かなりの迫力を持っていた。ロゼリアのそんな迫力を前にすれば、俺に取れる選択肢なんて首を縦にしか振る事しかないだろう。
「ありがとうございます、では行きましょう」
そんな俺を見て直ぐに笑顔へと戻ったロゼリアは、そう促して先頭を歩き始める。それに続いてアイリスと俺も城の中へと入っていった。