1-10 ウサギもどき
「その人の名前はハルカ、何かしらの手段で『界渡り』した異世界人です。そして何よりも……クリスミナ王家の結晶魔法が使えます」
アイリスが放ったその一言は、その部屋の空気を一瞬で静寂へと作り替えた。
クリスミナ王家は先程馬車で移動しているときに聞いた話の中で出てきた、絶対的な力を持っていたものの三年前に滅んだ国の王家のことだったはずだ。
確かにベルト達魔王派の魔法を砕いた時には一瞬だけ結晶の様なものになっていた気もするが、国を亡ぼすとさえ聞かされた結晶魔法とはどうしても結び付かなかった。
しかもその魔法はクリスミナの血を受け継ぐ正統なる王族だけが使えると言っていたのに、魔法すらない世界で学生をしていた俺に何の関係があるのだろうか。
俺がそんな考えを何度も頭の中で繰り返しながら思考の迷路で彷徨っていると、フロガはその静寂を破って話し始める。
「……アイリスの言葉を疑いたくはないのだが、そんなことはありえないはずだ。我が盟友にして先代のクリスミナの王であったイレイズルートは三年前に魔王に殺された」
フロガは何かを思い出す様に歯を食いしばり、その寄せられた眉に作られた皺から悔恨の色さえ感じ取れた。しかしなおも言葉は溢れる様に彼の口から出てくる。
「イレイズルートと血の繋がった者は一人を除いて全員の死亡が確認され、その唯一であり息子の第一王子アトラも行方不明のままだ。しかしハルカがアトラ王子とは同一人物でないことはわかる……」
するとフロガは、何かを考えるように俺を見ながら固まった。ほんの十数秒の事なのだろうが、瞬きもせずに見続けられれば何分にも長く感じられる。
しかしその有無を言わせぬ圧力を前にしては、止めてくださいなどと言えそうにもない。
「すまないが……ハルカ」
漸くその沈黙を切ってフロガが話し出したかと思えば、それは何故か俺に対する謝罪だった。
「なんでしょうか……?」
「我はいま、其方を何者か判断する材料を持たない。しかし、この状況でアイリスが嘘を言うとも考えにくい」
話しを続けるフロガの表情からは少し余裕がない様にも感じられた。
「だから……」
そう呟くとフロガは一度深呼吸をして目を閉じる。
同時に彼から発せられた得体の知れない圧力を感じて、全身を悪寒が駆け抜けていくのがわかった。
この感覚は、森の中でベルトが魔法を放つときに感じたものと同じ。しかしその感覚の濃度は比べ物にならない程だった。
「おい待つんだフロガ! その威力をここで撃つのは不味い!」
「お父様!?」
「陛下! どうかお待ちください!」
奥にいた男も立ち上がり、何かをしようとするフロガに叫んだ。アイリスやロゼリアも驚きの表情を浮かべながらも止めようと手を伸ばす。
しかしそれよりも早くに、フロガは動いた。
「だから……試させてくれ」
そう言葉を発したと同時に、目を開くのさえも躊躇う程の眩い光がフロガの手元から爆発した。
しかしその瞬間に俺の頭の中には、心臓の辺りを眩い光を持った豪炎が貫いた、と錯覚するような映像が流れ込んでくる。
半ば反射的にその位置を庇うように手を交差させると、その直ぐあとにフロガの手元の光から吠える様な炎が真っ直ぐに心臓の部位目掛けて飛んできた。
その時、またしてもあの声が聞こえる。
『それなりに先が視えたか……今回も魔力の調整ぐらいは引き受けてやろう』
炎がそのまま俺の腕へと触れたと思ったその時、炎はまるで遡る様に空色の結晶へと姿を変えていった。その勢いは前よりも速く、気付いた時にはフロガの手の周りまでを結晶が覆っていた。
「なんというっ……!!」
フロガが上げた驚愕の声が響いた後、その結晶は剥がれ落ちる様に砕けていき空気の中へと溶けていった。
「これではまるで……本当にクリスミナの……」
「なんと……」
呆然といった表現が一番当てはまる表情で言葉を漏らすフロガと共に、奥にいた男や初めて見たロゼリアでさえも驚き、声が出てこないといった状態で固まっている。
あまりのことに全員が言葉を発せずにまたしても流れ始めた沈黙を破ったのは、意外な場所からの声だった。
「懐かしい魔力を感じたから出てきたらやはりお前か、フロガ」
その性別や年齢すらも感じ取れない不思議な声は、丁度俺の真上から聞こえたように思えた。
しかしそのまま見上げようとした途端に、頭の上にずっしりとした重さを感じて固定される。
「この男、ハルカは間違いなくクリスミナの血を継ぐ者だぞ。ついでに言えばイレイズルート王の実の息子だったりもする」
頭の上に乗っている何かがそう言うと、フロガは目を見開いて俺の頭上へと視線を固定した。
「お前は確か……イレイズルートの使い魔か!?」
すると頭の上の何かは首を伝って俺の右肩の辺りまで移動した。
「いかにも、イレイズルートの使い魔にしてこの世界にこの子を連れてきたのが私だ」
その言葉に驚いて視線を向けるとそこには白い体毛に長い耳を生やし、狐の様な尻尾を二又に振りながら佇む動物がいた。
「確か森にいた、ウサギもどき……」
このウサギもどきが言っている内容はぶっ飛び過ぎて中々頭に入って来ないが、それよりも今気になるのはそこじゃなかった。
「お前、喋れたのかよ」
ウサギもどきは、誤魔化す様に首を傾げていた。




