第二話«ようこそ、探し物は何ですか»
青々とした木々が鬱蒼と生い茂る、自然豊かな場所に今二人の始まりの物語があった。
其処は、森の中。確かに森の中だった。街中で偶々ばったり会って、だとか店先で席が隣になって。
そんないわば俗的な邂逅ではなかったのだ。
幾本もの大樹が乱立する森の中に、自然にできたとは思えない広い空間があり、そこに今少年と少女はいた。何があるわけでもない、ただただ広い丸い形の広場。
この幻想的な空間に、一つの質問が投げられる。
「あなた、誰?」
先に口を開いたのは少女だった。それもそのはず、少女はそもそも元からそこにいたのだ。
異分子とした入ってきたのは自分。ただ、そんなことも気にする余裕がないくらいに自分は目の前の少女に興味を持っていたんだと、今になって理解する。
鈴音を思わせる、綺麗な声が耳に届く。
目の前の少女の一挙手一投足から目が離せず、問いかけが自分に向けられたものだと気付くのに少々時間がかかった。
視線を向けられ、少年はハッとして答える。
「ぼく? 僕はリュネル。君は?」
素直に名前を答え、さらに少女に聞き返す。
「わたし、は」
少女は答えようとする。
すると、一際大きな風が吹いた。
強い風が、今やもう過去となった、彼らを凪ぐ。
夢の続きは、まだ。
また、思い出せなかった。
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「ねぇ」
ぼんやりとした頭で、どうにか音声を認識する。
聞きなれた声が、耳に届いた。
が、頭は回らず、まだ夢見心地で。
いつもの夢で、いつもの彼女に会えた喜びを噛みしめていると。
「起きろ!!」
「うっ」
声と共に、お腹あたりに重さがどっしり乗っかってくる。
ほわほわした気分から一転、意識は瞬間的に、強制的に覚醒へと向かう。
思わず苦悶の声を漏らし、重い瞼を開く。
「やっと起きた」
視界にはニヤッと笑うスーが、リュネルのお腹の上に座っていた。さらりと顔に流れる青色の髪と無邪気な笑顔に不覚にもドキッとしてしまう。
が、それどころじゃなく、普通に重いし、腹筋のないリュネルはおなかに力が入らず、声が出ない。
振り絞って、どうにか言葉を紡ぐ。
「あの、スーさん、重いです」
女性に向かってこの発言は失礼極まりないのだが、生憎リュネルは今彼のお腹に乗っている少女に気を使うほどの配慮は欠如しており、そもそも彼女のことを女性としても見ていなかった。
決して小学生の男の子みたいな心理で意地悪く言ってやろうとなんてしていない。
「はぁ?! あたしは全然軽い方だし! プリスより全然デブじゃないからね?!」
しかしやはり彼女、スー・ラノ・マルテアはその言動が気に入らなかったらしく、激しく抗議をしてくる。スーの顔が段々近くなり、整ったあどけない顔立ちが目の前まで接近するが、そんなことを気にしている場合ではなく、声を荒らげる度に増すお腹への重圧が、ひたすらにリュネルを苦しめた。
そろそろ限界も近く、優しく諭している暇はなかった。
強引に寝返りを打ち、スーを落とす作戦に出る。
「ぉっら!」
「うぉわぁ、っと?!」
背中から地面に倒されたスーは、驚きの声と共にひっくり返った。
スーの重さから解放された体を起こし軽く伸びをするも、疲労の残る体はまだ重いままだった。
「ちょっと何すんのよ!」
睨みながら威嚇してくるスーを無視して、ふと、周りを見る。
場所は、意識を失う前にいた、豪奢な造りの長い廊下のど真ん中だった。
鼻にツンとくる臭いが届き、顔をしかめる。
口元を抑えながら改めてその場の光景と、その原因となった気を失う前の状況を思い出す。
リュネルとスーの放った最後の魔導で、あの場にいた敵はいなくなっていた。
魔導行使の反動で意識を失ってからどれほど時が経ったのかは定かではないが、今の今までこんなにのんびり寝こけていたのだから、増援も伏兵もいないと考えていいだろう。
と、先ほどまで騒いでいたスーが静かになったことに気づきそちらを見ると、スーは既に立ち上がり、スタスタ歩き始めていた。
「お、おい待てって」
慌てて立ち上がり、着いて行こうとするが、立ちくらみで、少しふらつく。
やはり今のリュネルにはきつかったか。
スーはリュネルの呼びかけなど聞く耳を持たず、早足に行ってしまう。
ポニーテールが歩くにつれ左右に揺れ、機嫌の悪さをそのまま表しているようだった。
重い体を動かしてスーの背中を追う。
基本的にリュネルは体を動かすことが苦手だ。走るのだって早くないし体力も人並み。
だから散々走って、挙句の果てには普段使わない中級魔導の行使。こんなにも動いて
よく貧血で済んでいるものだ、前までのリュネルだったら動けすらしていないだろう。
と、足を引きずるようにして歩いていると何かがリュネルの足に当たった。
途中、ぬめる床に足を取られそうにもなった。そのたび、強く床を踏みしめ、はねてくる液体にいら立ちが募った。
「邪魔だよ」
吐き捨てるように言い、足元に落ちている何かを強引に蹴飛ばす。反動でずっこけそうになるが、どうにか体勢を立て直す。
そしてまた足元に転がっていた別のものをつかみ、
「お前らは邪魔しかできないんだな」
侮蔑的な目で見、投げ捨て、壁に叩きつけられたそれは、ベチャッという音と共に壁にへばりついた。
見向きもせず、再び歩き出す。
先でスーが自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
だから、気持ち早足になって、歩を進めた。
道中にもまた邪魔なものがあったので、蹴りつけながら歩いた。
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…リュネルの後方では。
死臭が漂い、散らばる四肢がぐちゃぐちゃになって腐臭を放ち、元が何だったのかすらわからない肉塊には靴跡がついていた。
すでに虫が湧き、羽音を立てて其処ら中を飛んでいた。
リュネルの後方、しいてはリュネルの放った〔零の波動〕が直撃した空間。
スーの放った〔白の明滅〕を受けたバラバラ死体とは打って変わって、ここらに散らばるものはある共通点が見られた。
それは、体の一部がごっそりそのまま無いこと。
ある死体は下半身が無く、またある死体は頭蓋の鼻から上だけが綺麗に欠如していた。
酷いものだとその場に足首だけが立っているものもあった。
さらにその断面は、まるで精密機械で撫でられ、寸分違わず切分けられたかのようなものだった。と言っても分けられた片部分は消えてしまってもう既に無いのだが。
〔零の波動〕は。
その名の通り『零』を放つ。触れたものを『零』にする。リュネル・ラノ・バーラスの災厄の魔導は、こうしてまた零を重ねる。あの日あの時から、結局何も変わらずに。
グチャッ。
誰かが投げ飛ばした体の一部が、というか人間の頭部が原型を維持しかね、壁から落ち、内臓物が床を赤く穢した。
赤黒い液体が床に伸びていく。
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「お疲れ様でございます、リュネル様にスー様。転移陣は準備できております。」
スーの呼びかけを聞き長い廊下を歩き終わると、そこには顔を布で隠した小柄な男たちが膝をついてリュネルを待っていた。
うちの団の専属の従者たちだ。
「じゃ、あたしたち先帰るから。」
「承知しました」
スーが軽く手を挙げ「後片付けよろしくー」と言う。
膝を立てしゃがんだまま頭をたれる男たちは厳かに返答する。
ぱっと見でも年齢がスーやリュネルよりも一回りも二回りも上でありそうな男たちだが、一応リュネルらのほうが地位は高いのだ。最初こそ年上の人間、ましてやまだまだけつの青い子供が父親くらいの年の大人にため口を使ったり指示を出したりとなれない部分もあったが、今はもう慣れてしまった。
「結構派手にやったから片付けが面倒かもしれん。すまん。」
この通りすっかり口調は砕けた。
男たちもそれに嫌な顔一つせず、
「いつものことじゃないですか、それよりお疲れでしょうから早くお帰りになって休んでください。」
先頭のまとめ役がそう言うとそれが我々の総意だといわんばかりに皆うんうん後ろで頷いていた。
正直これほどまでに自分たちがよいしょされているのはリュネルの役柄なんだろうが、それを忠実に守っているこいつらにも、少し気味が悪くなるのを抑えられなかった。
ただ、ここにいてもやることもないし、いいことも特にないのでお言葉に甘えて早々に帰らせてもらう。
どちらかといえば気分が悪くなって嫌な思いをするだけだ。
いそいそと転移陣に入り、先にいたスーがそれを見て詠唱を唱える。
「〔転移〕」
首につけているチョーカーに埋め込まれた魔導石が淡い光に包まれ、リュネルとスーをまたも水色の、今度はみずではなく風が、二人を包み込む。
同時に激しく脳を揺さぶられる感覚に襲われる。
ぐらっと視界が揺れ、思わずスーの肩をつかむ。
「なに」
横目でスーが睨みながら聞いてくる。
「あ、いや、ちょっとふらついて」
すまん、と肩に置く手をどけながら謝る。
するとスーが「はぁ」とため息をつき黙って水を顕現してくれ、手や服を洗ってくれた。
「悪い、助かる」
為されるがまま顕現された水をかぶり、スーが指を鳴らすとそれもすぐに乾いてしまった。
もう少し気の利いたことを言えないのかと自分を呪ったが、今更どうにかなるものではなかった。
「普段使わない中級魔導なんて使うからじゃない。あたしはこの通りピンピンしてるわ。」
得意げに、右腕を挙げて力こぶを見せつけてくる。しかし袖口からは女性らしい華奢な細く白い腕が顔を出していた。
馬鹿にされたので、反論しようとそちらを見たら、だ。
性格もどちらかというと男勝りでおしとやかさなど肩に担いで放り投げるような奴だが、こういう時ふと女性らしさが出ると、そのギャップに不覚にもドキッとしてしまう。
リュネルは少しチラ見した程度にしか思っていなかったのだが、無意識にかなり長い時間スーの腕を見ていたようで、腕に力を入れてどや顔をしていたスーもリュネルの反応がないことに気づき、そちらを見る。
いまだ腕から視線を外そうとしないリュネル。
頬が紅潮している。茶化そうと言葉を考えるも、良い言葉が思いつかなかった。
ずっと見られていることに気づき、そっと腕を下す。頬が熱くなって、紅潮していることに気づき、慌てて視線を逸らす。
リュネルはというと一連のスーの動作を見ていたにもかかわらず、何にも気づくことはなくようやく視線を外す。
と、初々しい男女の絡みもつかの間、転移陣と二人を覆っていた風が霧散し景色は先ほどの豪奢なつくりの城とは打って変わって、簡素な食堂のような場所になる。
正面に厨房、手前には大きなテーブルに、椅子が五個。
リュネルはこの場所に見覚えがあった。というか、もう何年もここに住んでいて、慣れ親しんですらあった。
「はー、やっと着いたー。じゃ、あたし寝るから。」
「ん、おう」
隣にいたスーが伸びをしながら食堂を後にしようと歩を進めると、向かっていた方向の扉が開き、何かがこちらにやってきた。
「すーーーーーーーーーーーー!!!」
「す」を伸ばして三千里、とうとう母親を見つけたのか、スーのお腹にダイブして、その旅は終わりを告げる。
「わぁっと。」
スーは突進してきた何かを軽々と受け止めると、ひょいとわきに手をまわし持ち上げ、抱きかかえる。
「レノ、走ったら危ないでしょ? リュネルに突っ込んでたら多分こいつ吹っ飛んでたよ?」
「いやそんなに軟弱じゃないからな?!」
必死に抗議するもどちらにも相手にされなかった。
「すー、おそかった。」
たどたどしい口調で話すのは、スーが抱きかかえる少女。イノシシの頭を模したフード付きの服を着ており、ぷにぷにのほっぺを膨らませてスーを見る。
うちのマスコット、レノだった。
「ごめんねレノ、この馬鹿が全然起きなくて遅くなっちゃった。」
スーがレノの不満に素直に謝る。いや素直ではないか。
「りゅねるがばかなのはいつものことだから、ゆるす。」
「その許され方はちょっと抵抗あるなぁ。」
スーが抱えられるサイズ、ということからもわかる通りレノは幼い、そして小さい。と言ってもそれは見た目や話し方だけで、実年齢はリュネルの一つ下。スーはリュネルと同い年。
年の近い女子なだけあって二人は仲がいい。
「りゅねる、どうだった?」
レノがスーに聞く。言外に『任務、足手まといじゃなかった?』というニュアンスをリュネルは感じっとった。さすがリュネル! メンタリストも夢じゃないわ!
「うん、すっごいかっこつけてたよ。『___アスタロト(きりっ』って!! しょっぼい中級魔導打つためによ?!」
スーがプヒューと訳の分からない擬音で笑い、レノがこちらをちらちら見ながらクスクス笑っていた。
盛り上がっているようで何よりだった。リュネルはそれをにこやかに見守っていた。そして静かに決意する。
よし、後で殴ろう。お前もウルテミュラ言ってただろうが。
ちなみにそんなレノだが、こう見えて子供じゃない、と意外な部分はそれだけじゃない。
頭は切れるし指示も忠実にこなしてくれる。ただ時々見た目相応のわがままを言う時もあるが。
そして一番意外なのは。
実は彼女は、
「あら、もう帰ってたの。」
女子トークが盛り上がり、リュネルがこいつらをどう懲らしめようかと考えていると。
レノが入ってきた食堂の扉の方から別の人物の声がした。
話し声はいったん止み、自然とそちらを見る。
視線を向けると、柔らかな佇まいの女性が扉にもたれかかっていた。
背は高め、170cmくらいのリュネルと、ヒールを履く彼女の背丈は同じくらいだった。顔立ちは美人寄り、おっとりとした目に高い鼻がすっと通っていて、口元には微笑が添えられていた。
体の肉付きもスーとは対照的に大人びており、その体に見合った優雅な立ち振る舞いや身にまとうドレスからは、息をするのさえ忘れそうなまでの美しさがあった。
「リュネル。」
「っへ、は、はい!」
その女性に突然自分の名を呼ばれ、明らかに動揺してしまう。心臓の音が、気持ち早くなるのを感じる。
長く綺麗な桃色の髪が肩から落ち、色っぽい表情で、女性はつかつかとこちらに歩み寄り、リュネルに話しかける。
艶やかな唇がゆっくりと、言葉を紡ごうと開かれる。
「私の毛抜き知らない?」
「知らねえよ。」
即答だった。