第3話
「先輩、頭のそれ......」
陽は瑞樹の問いかけには答えず、早歩きで彼女の脇を通り抜け、図書室へ向かう。慌てて荷物をかばんに突っ込み、席を後にする。
廊下に出たとき、やはりというべきか、瑞樹と鉢合わせた。
「先輩、あの......」
彼女の戸惑いがちな声かけにも全く耳を貸さず、無視して横を通り過ぎる。
「成瀬先輩、もし良かったら」
「何も言わないでくれ」
心に大きなもやもやを抱えたまま、瑞樹が図書室に戻る。陽がいた席に近づき、椅子に優しく触れる。そこにはまだ、陽が座っていた時の体温の温もりが残っていた。
階段下の一件が起きて以降、陽と瑞樹には心の壁のようなものが生まれていた。陽が瑞樹に見せる態度に表面上の変化はない。だが、どこか以前よりも距離を感じてしまう。
部活でも陽は一見すると普段通り瑞樹に懇切丁寧に裁縫を教えてはいたが、より態度が硬化している様子を見て瑞樹は陽のことを心配していた。
中間テストが後一週間まで近づいて来た頃、瑞樹はもう一度陽を勉強に誘った。陽は難色を示したが、なんとか頼み込んで無理やり図書室へ引きずりこんだ。
「吉原さん、何回も言ってるけど、基本的に勉強は自分でやるものだからね?」
「まあまあそう言わずに。おかげで今回のテストかなり良い線いけそうなんですから。先輩本当にありがとうございます! 」
「俺だって作品作ってその合間に勉強してることを忘れてないよな? 」
「え? 先輩って、時間を無限に増やせるんでしょ? 」
「そんな訳ないだろ......」
「ふふ、流石の先輩でもそれは無理ですよね。ところで......」
瑞樹の雰囲気が少し変わった。恐る恐る足を踏み入れる。
「先輩、私で何か手伝えることありますか? 」
「ない」
「えっと、そこまで直球だと流石の私もショック受けるんですが......何か困ってることとかないですかね」
「あったとしても吉原さんに言うことじゃないよ」
「うーん......解決にはならなくても、話すだけで楽になるかもしれないじゃないですか」
「そうやって干渉されることが俺にとっては迷惑なんだよ! 」
無意識に声を張り上げていた。周りにいた生徒全員が陽の方を盗み見る。その目線で少し冷静になり、大きく息を吐く。
「ごめん、悪かった。問題は解けた?」
「えっと、ここが分からなくて......」
そこから先はどこかギクシャクした雰囲気のまま、2人は勉強を続けることになった。
翌日、内心こそ動揺はあったが、何事もなかったかのように教室に入る。そして自分の机に座ろうとしたとき、声がかかった。
「成瀬、昨日図書室で後輩を怒鳴ったんだろ? 恵まれてる人間は自分がそうだってことに気づかないからな。お前がその例だよ。」
「お前らに関係ないだろ」
「そうやってごまかすなよ。ちょっと頭が剥げたってだけで情緒不安定になるとか、ガキじゃないんだから」
その言葉を発したクラスメイトを、陽が憎悪の目で睨みつけた。手に力を入れすぎて、持っていたシャープペンが折れていた。
感情を抑えきれず立ち上がったとき、丁度教師が入って来た。場の険悪な雰囲気に薄々気が付いたのか、生徒に早く席に着くように指示を出した。それでクラスの生徒が渋々席に戻り、ピリピリしたムードの中授業が始まった。
「陽くん、作品の進み具合はどう?」
「はい、少し遅れていますけど、大丈夫です」
「吉原さんのことで困ってることあるの?だったら私たちも力を貸すよ?」
「いえ、彼女とはうまくいっています。心配してもらってありがとうございます」
違う、そうじゃない。あの事があったとはいえ、基本的に瑞樹とはうまくいっている。問題なのは、陽以外に男子がいない事だった。常に緊張が心に付きまという。先輩や同級生も良い人ばかりだから、かえってそのことがより悩みを増大させることに繋がっていた。今日の授業前の口論から、陽は自分自分を見失っているような気がしていた。
「先輩、成瀬先輩! 」
呼ばれたことに気がつきそちらの方を見ると、瑞樹が手に裁縫途中のハンカチを持ったまま陽の顔を覗いていた。
「あ、ごめん。吉原さん、どうした?」
「大体完成したので見てもらうと思ったんですけど、先輩考え込んでたみたいだから......」
「ごめん、なんでもない。出来たやつ見せて?」
「......先輩、ちょっと来てください」
瑞樹はハンカチを机にそっとおいた後、陽の手をとり駆け出した。部室からすぐ近くにある階段を、陽を引っ張りながら昇っていく。
屋上にたどり着き、日の当たらない涼しい位置へと移動し、陽と向き合う。何か嫌な予感がした。
「先輩、今悩んでいること、私に話してもらえませんか?」