どこにでもある日常、どこにもない感情
どうも カンパチと申します
「君は目が死んでいるな」
「あなたは死んだ目を見る顔をしていますね」
「そりゃそうだ。死んだ目を見て話しているのだから、そんな顔をしているに決まっているだろう?」
「疲れませんか?見ていて」
「疲れるさ。だからそんな目をするのはやめてくれ、いや、そんな顔をするのはやめてくれ、だな」
「どちらでも構いませんよ。目でも顔でも。」
「いいや、気にするさ。大人だからな」
「僕は子供だから気にしません」
「そうするといい。私もそうする」
こんなやり取りを何度繰り返しただろうか
数えるのも億劫になる程こんな会話を、会話のキャッチボールと言えるか怪しいものを、僕たちは何度繰り返しただろうか。
話し相手の彼女は法律で認められた立派な成人で、教師で、カウンセラーだ。
その話し相手の僕は未成熟で、未成年で、学生で、現在カウンセリングを受けている真っ最中だ。
カウンセリングといってもどんな悩みを抱いていて、どのような解決方法があるかを教えてもらうなんてことはしていない。見ての通りの不毛な会話をただ淡々と続けているだけだ。長々と続けているだけだ。
「そろそろ君は大人になるべきだと思うよ。蛹から蝶へ、なんて無茶なことは言わないさ。ただ、そろそろ先を見据えて日々を過ごさないと土の中で腐ってしまう。それは非常にもったいないことだろう?」
「土の中の虫、と聞くと僕の知ってる中だとカブトムシか蝉しか出てこないんですが。7日であの世に去ってしまうのですが。」
「物の例えだ本気にするな。しかし何年もの間、土の中で閉じこもっているというのは的を射ているかもしれないな。ど真ん中、ストライク、ヘッドショットだ。」
「最後即死していますよ。それと自分の問題は自分が一番わかっています。どうにかしなきゃいけないことも分かっていますよ。それがどうしようもないことも。」
「君はすぐそうやって結論を急ぎたがるな。大丈夫だ安心しろ。それをどうにかするために私は君に声をかけた。どうにでもなるからここに連れてきて話をしているんだ。」
「確かにこんなことをされたのは先生が初めてですけど、その話は3回目で、ここに連れてこられたのは5回目です。誤解のないように言いますけど、先生のことは信頼していますし信用もしています。ただ解決する兆しが見えないので不安になるんですよ。」
「君が不安に?だとしたら成長じゃないか。感情が表に出やすくなったのだろう?
私がこうやってカウンセリングをしたことは無駄じゃなかったんだ。私はそれが何より嬉しい。今夜はお祝いだな、何が食べたい?」
「うどんで」
これは普通の人とは違う体を持つ一人の男子生徒と、そんな男子生徒を見つけ出した女性教師のカウンセリングの記録