8話 デート?
迫ってくる男が、おびえるアリサたちに剣を振り下ろした。
不思議と、目は閉じることができなかった。
しかし、それ故にはっきりと見えた。
空中に舞い散る鮮血が。
そして、男が遠くへ吹き飛ばされる姿が。
「どう……して……」
アリサには、自分を助けた人が予想すらしていなかった人だった。
「揚羽、雪野……」
男の剣を受け止めたのは、突然間に入ってきた雪野だった。
その状態のまま、何をしたのか詳しくはアリサにはわからなかったが、雪野が男の体に手を置いた瞬間、男の体中から血が噴き出し、吹き飛んだ。
「別に、あなたのためにやったわけじゃないのよ。レイさんが言うから」
決してアリサたちの方へ向けない顔は、雰囲気でわかる程度には不機嫌そうだった。
いや、むしろそのオーラが出まくって、アリサたちも若干引くレベルだった。
「まぁ、今回は特別ってことで」
今度は後ろから声がして、驚いて振り向くと、そこには礼仁がいた。
「どうして……」
アリサの頭は、急激な変化をする状況に追い付いていなかった。
ユリアも同様で、呆然と礼仁を見上げていた。
「それは」
その先を言おうとした礼仁だったが、視界の端に見えたものに咄嗟に反応した。
倒れた男が放ってきたナイフを、空中でその刃先をつかんだ。
その衝撃的なことに、男もアリサたちも唖然とした。唯一、雪野は特に驚いた様子もなかった。
別の感情は出てきたが。
「あんた、レイさんが話そうとしているときに、何邪魔してんのよ」
顔が向いておらず、雪野の顔は男にしか見えなかったが、気配でわかった。
これはとんでもなく怒っている、と。
(ていうか、ナイフを投げたことよりも、投げたタイミングにダメ出ししてるんだ)
おかしなところに怒るものだなと思ったアリサだったが、すぐにその考えに首を振った。
そうではない。
雪野にとっては、礼仁の邪魔になるのかどうかというところが重要なのだ。
先ほどの対処の仕方からして、ナイフ一本程度では、どれだけ不意を突こうとしても必ず止められただろう。
しかし、話が途切れたのは事実であるから、それが礼仁の邪魔ということなのだ。
改めてそう考えると、アリサもユリアも思った。
やはり、おかしな人だ、と。
そんな雪野の怒る様を見て、礼仁までもがため息をついていた。
「雪野、少し落ち着いて。ここでお前が暴れたら、二人を助けた理由が無駄になるんだけど」
礼仁の言った言葉は、気になる言葉だった。
「理由、ですか?」
座り込んだ状態から立ち上がりながら、ユリアが聞いた。
当然のごとく、アリサの方も立ち上がりながらも同じ表情をしていた。
「あぁ、まぁ、ちょっとしたお礼ってこと」
「お礼?」
アリサには疑問しか浮かばなかった。
「そう。今日のオリエンテーションが始まる前に、七宮が殴ろうとしたときに止めてくれたでしょ?そのお礼」
「でも、私、あなたのこと結構ひどく言ったと思うけど」
「ん?そうかな?あんま、大したことは言ってないんじゃない?」
その発言は礼仁の鈍感さゆえのことなのだが、アリサとしては複雑だった。
ひどく言ってしまったことを水に流してくれるのはいいが、まったくひどいこととは思っていないというのも、まるで自分の言葉は軽いと言われているみたいで、何かすっきりしなかった。
頭の中が混乱しているアリサに、礼仁は言った。
「けどさ、たとえひどいことを言われたからって、恩が消えるわけじゃないでしょ」
当たり前のように言う礼仁だが、それをするのはとても難しいということは、アリサにもわかる。
割り切っているというか、本当に気にしていないのだ。
その目に一種の畏怖のようなものを込めて、礼仁を見た。
「あなた、変な人って言われない?」
「日常茶飯事かな」
礼仁のそっけない回答に、アリサは吹き出さずにはいられなかった。
その様子を目を丸くして見るユリア、不満そうにしている雪野だったが、男が起き上がってきたのを見て、全員即座に臨戦態勢に移った。
しかし。
「あぁ、これはちょっと分が悪いな。さすがにAランク二人同時にはきつい。目的はまず果たしたんだし、今回はこれで良しとするかな」
「あんた、逃げる気?」
この場から立ち去ろうとする男に、アリサが食って掛かった。
「半分だけ違うぜ。確かに、Aランクを二人同時に相手にするのはきついが、お前も大して魔力が残ってないだろ」
「くっ……」
「だから、ここは痛み分けってことで、俺が引いてやろうってことだ」
あくまで上から目線な態度をとる男は、魔法を発動させた。
「<変換・空気>」
その瞬間、辺りに霧が立ち込め、男の姿を見失った。
「逃げるな!」
魔力が尽きて、相当精神的にもダメージがあるはずなのに、アリサは怒鳴った。
ただ、それは無駄な行為だった。
「もういないな」
気配で、男がすでに逃げたとわかった礼仁はそう言った。
「追いますか?」
「いや、いいよ。今は、深追いして学園の外に出るのは良くない」
「わかりました」
雪野の言葉で、ひとまずはこの場における戦いが終わると、アリサは再び崩れ落ちた。
「姫!」
「無理もない。魔力がなくなれば、そういうことになる」
礼仁が近づいていき、アリサの前で立ち止まってしゃがむ。
「少し分けるから、それでしばらくは保たせて」
「どういう意味?」
「僕が、君に自分の魔力を与えるってこと。ていうわけで、ちょっと失礼」
そう言うと、問答無用で礼仁はアリサの手を取った。
『なっ!?』
アリサとユリアは驚き、雪野は動揺してそんな声が出てしまったが、礼仁は気にしなかった。
アリサも咄嗟に手を生き抜こうとしたが、魔力が尽きて力が入らなかった。
「じっとしてて。うまくできない」
礼仁はアリサを制すると、集中するように目を閉じた。
イメージするのは魔力の流れ。
アリサの中に流れる魔力の川に、自分の魔力を注ぎ込む。
川をびっくりさせないように、ゆっくりとゆっくりと、静かに流し込む。
礼仁が魔力を流し込むのと同時に、アリサはその流れを感じた。
(この感覚、覚えがある)
以前極限にまで集中した時に感じた、自分の中にある魔力の流れ。
その時は、自分の体のことが手に取るようにわかったが、今の感じはその時に似ている。
よくはわからないが、何となく悪い感じはしなかった。
「はい、終了」
礼仁が手を放すと、先ほどまでの研ぎ澄まされていたような感覚が途切れた。
「これで、今日一日普通に生活する分には問題ない」
「ありがとう」
礼仁がどうしてこんなことができたのかはわからないが、回復してくれたのは確かであるため、アリサは礼を言った。
「どういたしまして」
礼仁が立ち上がると、アリサも立ち上がった。
その時、礼仁たちの傍に急に翠が現れた。
「お前たち、無事か?」
「見ての通り、外傷はありませんよ」
「そうか」
翠はほっとしたような表情を見せたが、それは一瞬のことで、すぐに顔を引き締めた。
「しかし、お前がコルフォルンとセリステンのところに行くと言ったときは、心底驚いたぞ」
そう。雪野が翠に連絡していた時、本来なら二人のことは翠に任せるつもりだったのだが、礼仁が途中でそれを変更したのだ。礼仁たちがアリサたちを助けに行き、翠はあちこちで建物の修復や、逃げ遅れた生徒たちの非難を手伝っていた。翠の能力は、こういう時とても役に立つ。
「能力、ですか?」
ユリアが問いかけると、礼仁が答えた。
「時間の操作だよ。それで自分自身を加速させたり、壊れたものの時間を巻き戻して修復したりできるんだ」
礼仁が周りを示すと、確かに、壊れていたはずの校舎の大部分が直っている。
「まぁ、まだやることは残っているが、その前に、だ」
そして、翠は礼仁たち四人を指さして言った
「お前たちには、後で反省文を書いてもらう」
『えー!?』
礼仁だけは、やっぱりか、とでも言いそうな表情ではあったが、他の三人は叫んでいた。
「当然だろう。教師の言ったことを守らずに飛び出し、仕舞いには命の危険にまで陥ったのだからな。罰則は必要だろう。なぁ?」
そう語りかける翠の恐ろしい顔を見て、思わずアリサとユリアは頷いていた。
「ですが、理事長。レイさんと私は命の危険にまでは陥っていませんし、この二人を連れ戻すという名目もありましたよ」
必死に弁解をして、面倒な反省文を回避しようと焦る雪野だったが、翠は意にも介さなかった。
「それは建前だろう?それに、教師の言うことを聞かなかったのは事実だ。違うか?」
「そ、それは」
「違うか?」
再度問いかけた翠の目は本気だった。雪野が、恐れでつい頷いてしまうほどに。
反対することができなかったアリサとユリア、反対したが結局あきらめた雪野、そして、最初から反対する気がなかった礼仁は、揃って反省文の提出が決まった。
☆
襲撃が派手だった割に、翠のおかげでその日のうちに建物が修復された学園だったが、さすがに次の日は休校となった。
一体、誰がこんなことをしたのかがわからない以上、警戒を強めるために、調査をする必要があったのだ。
休校にして、外に出た学生が襲われるのではないかという懸念もあり、いっそのこと外出禁止にしようという意見もあったらしい。しかし、それでは逆効果にしかならず、精神的に傷を受けた生徒には、ちゃんとした休みが必要なのだという翠の意見で決まったそうだ。
とは言っても、やはり警戒が必要で、町に配備される連盟所属の先覚者や警察は、通常よりは多くなるようだ。
だが、礼仁にとってはそんなことはどうでもよく、休日の今日は一人でゆっくりと過ごそうと思っていた。
思っていたのだが。
朝の十時、雪野から電話が入り、町に遊びに出かけることになった。
雪野が基本的に礼仁の言うことを聞くように、礼仁も基本的には雪野の言うとおりにしている。
そのため、電話が来た時、断る気は最初から起きなかった。
「それで、今日はどうするの?」
ただ遊びに出かけましょうと言われて出てきた礼仁は、どこに行くのかすら聞いていなかった。
「そうですね、軽くショッピングして、昼食食べて、ゲーセンとかで遊んでって感じですね」
礼仁の隣を歩いている雪野は、学園の校門前で待ち合わせして、礼仁が来た時から、ずっと笑顔のままだった。
礼仁は今日はさすがに制服ではなく、私服で来ていたが、特にパッとするような服装でもなかった。
対して雪野は、もともとが美人ということもあるが、上には黒のラインが入った白のブラウスに、下は膝の少し上までの丈の黒いスカートで、シンプルながらもコントラストのある服装で、よく周囲の視線を集めていた。
その視線の一部が礼仁に向けられているが、その視線に込められた意味がわかってしまうため、人の気持ちに鈍感な礼仁でも内心あまりいい気分ではなかった。
まぁ、気にしないようにすればそれまでのことなのだが、なにせ視線の数が多く、完全に無視しきるのも大変だった。
そういう意味では、雪野はうまくやっていて、周りのことなど言葉通り眼中になかった。
常に笑顔を向ける先には礼仁がいて、周りが何を思おうが、雪野にはどうでもいいことであった。
「その行程に異論はないけど、具体的には決めてないんだね」
「決められていない目的地を探す、というのも、遊びの醍醐味の一つじゃないでしょうか?」
「僕にはよくわからないんだけど、雪野がそう言うならそうなのかね」
「はい、私を信じてください」
「これ、信じる信じないの問題かな?」
「わかりません」
はっきりと笑顔で答える雪野が、礼仁には少しまぶしかった。
「ひとまず、洋服、買いませんか?」
「お前の?」
「レイさんのです。レイさん、あまり服を持っていないでしょう?」
「そりゃ、ね」
「興味がないのは別にいいんですけど、少し気を遣うようにしませんか?最低でも一枚、どんなものにでも合わせられる何かを買えれば、今回はそれでいいです」
「そう。まぁ、お前が誘ってくれたんだし、お前のペースに任せるよ」
特に不安もない礼仁は、投げやりとも思える答え方をしたが、雪野にとってはうれしかった。
「ありがとうございます!」
「そこまで張り切って言う必要はないけど」
雪野は礼仁の手を引いて、近くの洋服屋に入った。
礼仁にはあまりよくわからなかったが、雪野は礼仁の服を楽しそうに選んでいた。
それに対して何か不快に感じるということは全然ないのだが、やはりよくわからないのだ。なぜそこまで楽しそうにできるのか。
雪野が楽しそうにしていれば、礼仁も悪い気はしない。
ただ、もやもやが消えない以上、礼仁としては申し訳なく思えてしまうのだ。
礼仁があらゆる人の中で、最も信頼しているのは、間違いなく雪野だ。それは、礼仁も自覚している。
それを直接雪野に言ったことはないが、向こうもある程度察してくれている。
しかし、だからこそ今の関係が礼仁には苦しい。
礼仁も雪野も、二人の間にできている上下関係を甘んじて受け入れている。
雪野はそれでもいいらしいが、礼仁としてはその状況はあまり気の休まるものではなく、余計に疲れてしまう。
(やっぱり、妃奈子さんたちとは違うな)
大人ぶってはいても、まだまだ子どもなのだと痛感させられてしまった。
「レイさん、これにしましょう」
意識を手放していた礼仁は、その声で現実に戻ってきた。
雪野は手に持ったパーカーを礼仁の前にかざして、それを着た時の様子を想像していた。
そのパーカーは、白を基調としていて、所々に灰色や黒が入った、明るいとは言えないようなものだった。だからこそなんにでも合わせられると言えなくもないが。
「さっきのテンションだと、派手な服を選びそうだと思ったんだけど」
「はい、私もそんな気はしていたんですけど、やっぱりこういうのの方がレイさんには合っていますし」
礼仁が着ているところをイメージできたのか、雪野は頷いた。
「それに、せっかく買ったのに来てもらえなかったら、とてもショックですから。レイさん、こういう感じの服は好きですよね?」
「まぁね」
礼仁が同意すると、雪野はまたしても笑顔を浮かべた。
「それは良かったです。それでは、会計を済ませてしまいましょう」
そう言って雪野がパーカー一着だけ持って会計に行こうとしたのが、礼仁には意外だった。
「雪野は何も買わないんだね」
「はい、私は十分に服はあるので」
「そうなんだ」
「そうです」
雪野がレジへと向かうので、礼仁もついて行った。