4話 アリーナでひと騒ぎ
入学式の次の日、朝に若干のホームルームをやった後、全クラス合同のオリエンテーションが行われることとなった。
服が汚れる可能性が高いということで、全員体操着に着替えてから参加するようにと言われ、各々が着替えてから別の棟にあるアリーナで集合となった。
「確か、この校章の説明だったか」
礼仁は体操着を着て胸元に校章を付けると、更衣室から出てアリーナに向かった。
案内図やアリーナに向かう生徒たちのおかげで、特に迷うこともなく進むことができた。ようやくアリーナの入り口が見えたというところで、礼仁は呼び止められた。
「おい、そこのお前」
声の感じから、自分のことだとわかった礼仁は、アリーナの入り口の脇で待っていたらしい男たちの方を向いた。
そこにはいかにも不機嫌そうな七宮と、その左右に取り巻きのような男が二人いた。
それを見た礼仁は、少しばかり感心していた。
(何かお約束みたいな感じだな……)
Sランクの弟ともなれば、いわゆるエリートのようなものだから、それだけでちやほやされる。本人が大した実力を持っていなくとも、それだけで特別扱いなのだ。
「何かな?」
通りの邪魔になるので、礼仁も脇にそれて、七宮たちに近づく。
「何かな、だと?せっかく修次さんが声をかけてるのに、なんだその態度は?」
「調子に乗ってんじゃねぇぞ」
取り巻き二人が、定番中の定番ともいえる態度で、礼仁に食って掛かってきた。
(なんか果てしなく面倒くさい)
そんなことを思いながらも、表情に出すことはなく、ただ冷静に目の前の三人を見つめた。
「あぁ?何だよ、その目は?」
「調子に乗ってんじゃねぇぞ」
脇にそれていても、アリーナの入り口付近であることに変わりはなく、アリーナに入る生徒たちの注目を集めていた。
七宮たちは気にしていないようだが、目立つことはあまりしたくない礼仁としては、こんな
ところにいつまでもいたくはないのだが。
「まぁまぁ、お前ら、そこまで言うことねぇだろ?呼び止めたのはこっちなんだし」
そう言って七宮は、礼仁に詰め寄っていた二人を下がらせた。
「お前を呼び止めたのは他でもない、聞きたいことがあったからだ」
「聞きたいこと?」
「あぁ、お前と揚羽のことだ」
七宮が聞いてきたことは、礼仁が予想していた通りのことだった。
厄介ごとが面倒な礼仁でも、これくらいは覚悟していた。
「お前らの関係って、いったい何なんだ?」
「何、と言われてもね……」
「とぼけるのか?」
「とぼけてるつもりはない。ただ、説明するつもりはないし、説明する義務もないでしょ。それに、説明するにしても、どう言えばわかりやすいかがわからない」
礼仁にとってはそれが真実だったため、それだけ言って、もう終わりのつもりでアリーナの入り口に向かった。
しかし、七宮にはそれがはぐらかされたように聞こえ、最初の温厚な対応が噓のように怒鳴った。元々嘘だったのだろうが。
「お前、ふざけんじゃねぇぞ!」
そのまま、背を向けている礼仁に向かって殴りかかろうとした。
礼仁はそのことに大して驚く様子もなく、ゆっくりと振り返って、自分に殴り掛かる腕を握ろうとした。
しかし、すぐに視界の端に移ったものに気付き、伸ばしかけていた手を引っ込めた。
そのことを不可解に思いながらも、七宮はそのままの勢いで礼仁に殴り掛かる。
だが、その手は礼仁に届くことはなく、途中で誰かに受け止められた。
その手は七宮よりも小さいにもかかわらず、しっかりと拳を受け止め、七宮の動きを止めていた。
「このようなところで喧嘩とは、日本人の程度が知れるわね」
七宮の拳を受け止めたその人は、揺れる銀髪の奥で、紫に光る目を七宮に向けていた。
「アリサ・コルフォルン……」
七宮はすぐさま条件反射で手を引っ込めると、アリサから距離をとった。
それを見て、アリサはそれ以上何も言わず、ユリアを引き連れてアリーナの中に入っていく。
呆然と見ていた七宮たちは、しばらくして我に返り、いつの間にか礼仁が消えていることに気付いた。
おそらく、七宮たちがアリサに驚いている最中に、もうアリーナの中に入ってしまったのだろう。
「あいつ!」
七宮は苛立たしげに、壁を蹴りつけた。
☆
アリーナはドーム状になっていて、中身は一般的に言うコロシアムのようになっていた。
生徒たちは周りに観客席のある、アリーナの真ん中のリングに集まっていた。
アリーナに入ったアリサとユリアもそこに向かうが、二人の周りにはどうしても空洞ができてしまう。まだ昨日のことで無理もないかもしれないが、アリサには少なからずショックを与えた。
そんなアリサのもとに、先に入っていた礼仁が近づいて行った。
周りの生徒たちが注目をしていて、礼仁には喜ばしくない状況であるが、何も言わないというのも失礼だと思ったので、礼だけは言っておこうと思ったのだ。
アリサの方も、近づいてくる礼仁に気付き、礼仁の方を向いた。
「さっきは、ありがとう、コルフォルン。助かったよ」
やっと話しかけてもらえたことに一瞬喜びそうになったが、それを表に出すと笑われてしまうような気がして、いつも通りの表情で対応した。
「いえ、大したことじゃないわ。私は、ああいう野蛮な人間が嫌いなだけだし」
「まぁ、僕もそういう類の人間は苦手だからね。君が相手してくれて助かったよ」
「そうね、私は皆に恐れられているものね」
「はははっ」
その自虐的な雰囲気に、礼仁は思わず笑ってしまった。
「何がおかしいのかしら?」
さすがに笑われると馬鹿にされているようで、アリサもユリアもカチンときた。
「だって、自分で蒔いた種でしょ。それで後悔するって、おかしいに決まってる」
「その言い方は、姫に対して失礼じゃないですか?」
「あぁ、ごめん。悪気はなかったんだ。ただ、君たちも大変だなって思っただけだよ」
「全員敵に回す宣言をしたからね」
「本当に残念だったね。テンパってただけなのに」
その瞬間、アリサとユリアは耳を疑った。
「今、なんて言った?」
「え?テンパってたから、あんなことは言っちゃったんじゃないの?」
二人の耳に聞き間違いはなかった。
「姫、わかってくれる人がいたんですね」
「えぇ、そうね。昨日の時点で、高校生活は終わったと思ったけど、次の日にこんなことになるなんて」
二人は感激したように言っているが、礼仁にとっては、自分が何か大したことをした感覚はなかった。アリサがテンパっていたというのも、半信半疑だったのだ。
昨日送られてきたメールの追記の部分に、アリサのあがり症のことが書いてあり、ただ確認したかったから言っただけのつもりだった。
「理解してくれて助かったよ」
「別に理解したつもりじゃないけど、助かったなら何より……」
アリサたちのオーバーの見える反応に戸惑いながら、どうしようかと思って苦笑いしていると、礼仁に声がかかった。
「レイさん、お待たせしました」
体操着に着替えた雪野が、アリーナに入ってきた。
「やっぱり、体操着のように薄い服だと、その腕のブレスレットが目立ちますね」
雪野は、礼仁の腕にしてある縁が金色になっている、青いブレスレットを覗き込む。
「まぁ、そうだね」
礼仁が返答すると、次が本題とでも言いたそうな感じで礼仁に聞いた。
「ところで、これはいったいどういうことなんですか?」
「あぁ、それは……」
礼仁がどう説明しようか迷っていると、時間になったのか、先生が生徒に呼び掛けた。
「まぁ、説明する機会があったらってことだね」
「そうですか」
雪野は渋々といった様子で、礼仁の言うことに納得した。
特にここから移動する理由もなかったので、礼仁と雪野は、アリサとユリアとオリエンテーションの内容を聞くことにした。
それぞれの組の先生と、理事長である翠までもがいた。
「まぁ、当然といえば当然かもしれないですね」
雪野がそうつぶやくと、礼仁が反応を示した。
「あぁ、たしか、元Aランクだったっけ」
「はい、第一線からは退いてますけど、いまだに、その実力はすさまじいらしいですよ」
「私の国でも、噂くらいは耳にしているわよ」
「そうなの?」
雪野が意外そうに尋ねると、ユリアが答えた。
「昔、こういうすごい人がいたっていう感じの噂ですけど、それでもたしかにこっちまで話は流れてきます」
そう話していると、ユリアは何か思い当たったのか、急に話を変えた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね」
「このタイミングで普通言うかな?」
今にも翠が説明を始めそうな空気なのに、そんなことを言い出したユリアに、礼仁は思わず突っ込んだ。
「そうよ、それは後でもいいじゃない。ひとまずは、理事長先生の話を聞いてからよ」
アリサがそう言うのと同時に、翠が話し始めた。
「さて、オリエンテーションということで、校章の説明をする。
昨日の段階で、それぞれの担任の先生から常に付けているように言われた校章だが、その校章にはある機能がある。
だが、その前に説明しておくことがある。頭上にあるスクリーンを見てくれ」
翠の言葉で、生徒たちは一斉にスクリーンを見上げた。
そこに表示されたのは、何やら表のようなもので、左側に上から順番に数字があり、その右側にそれぞれ名前があった。
誰もがすぐに理解した。
これはランキングだ、と。
「これを見てわかった者も多いと思うが、皆が予想した通り、これはランキングだ。
しかし、これはこの神坂学園内にのみ限定したランキングで、いわゆる学内ランキングというやつだ。諸君は、まだ入学したばかりなので、これらのリストには入っていない。同じ校章を持った者同士が戦えば、その勝敗に応じてリストに登録される仕組みになっている。
そういう意味で、その校章は重要である。
また、それにはもう一つ機能があり、それは同じでも別のでも、魔法学園の校章を持った者同士が戦うとき、『ディバイン・フィールド』というものが展開され、その中では物理的なダメージは最小限に抑えられる。そのかわり、本来受けるはずだった痛みは変わらず、体力はその分削れることになる。
これで比較的安全で、命まで失うことのない決闘が実現しているわけだが、注意点が二つある。
まず一つ目は、そのフィールドはお互いが校章を持っていなければ、展開はされないということ。
二つ目は、たとえお互いが校章を持っていたとしても、お互いが了承しなければ、フィールドが展開されないということ。
つまり、この二つから言いたいことは、強引な決闘はしないということだ。万一、そんなことが起きた場合は、それ相応の処罰があるから覚悟しておけ」
入学式と同じように、またしても翠が脅しを交えてきたわけだが、今回は反応が分かれた。
脅しを怖がる人や、脅しを冗談半分で聞き流す人、そして、決闘という言葉に反応して沸く人たち。
礼仁は特に何も思わなかったが、決闘にワクワクしている人の気持ちは理解できなくもなかった。
なぜなら、中学までは公式大会でもないのに能力を使って戦うのは禁止とされていた。
ゆえに、その使用が限られている状況に不満を覚えていた人は少なからずいたらしく、もっと自由に能力が使いたいという人が絶えなかったと聞く。
もっとも、連盟の方はそれらの要求を一切聞き入れなかったようだが。
「それでは、これより先着で何人か、摸擬戦をやってもらう。やりたい奴から名乗りを上げろ。私の独断で判断する。
それと、相手の承諾が絶対条件だ」
翠が言い終えると、十人ほどの手が一斉に上がり、翠に向かってアピールしていた。
礼仁は自分に関係のないものと決め込んで、もう完全に上の空だった。
しかし、それは突然だった。
「俺は、あいつを相手に指名する!」
「は?」
聞き覚えのある声がして、その声の方を見ると、案の定それは七宮だった。
そのことには驚かなかった。
驚いたのは、七宮が礼仁の方を指差していたことだ。
アリサの周囲に人が寄り付かない以上、その指がどの集団を指しているかは疑いようもない。そして、先ほどの一件で七宮が敵意を抱いていることがわかった礼仁は、億劫に思いながらも、七宮が指名したのは自分であることがすぐにわかってしまった。
そのことにため息をつきそうになったが、礼仁は忘れていなかった。
翠は相手の了承がなければ、決闘は認めないと言っていた。ならば、ここで断ってしまえば、礼仁の嫌う面倒ごとを避けることができる。
礼仁は特に取り乱すことなく、断る、と口にした。
いや、正確には、口にしようとした。
見えてしまったのだ。期待に目を輝かせている雪野が。
(僕のためを思うんだったら、そんな目をしてほしくないんだけど)
今度は飲み込むことなく、ちゃんとため息をついて、仕方ないという気持ちで言った。
「その勝負、受けるよ」
その瞬間、アリーナが沸いて、周囲の人たちが騒いだ。
各々、これから始まる決闘に胸を膨らませているのだろう。
その様子を見ると、礼仁は馬鹿々々しいように思えてきた。
「そんなに面白い戦いをするつもりはないんだけどなぁ」
そんな風に、周りとのテンションに差がある礼仁に、周りと同じようなテンションの雪野が話しかけた。
「レイさん、頑張ってください」
そんな言葉と一緒ににっこりと笑みを向けられると、あまりやる気がない礼仁には後ろめたい気分がした。
「じゃ、頑張って」
「ご武運を」
アリサやユリアまでもが応援するものだから、礼仁はますます、決闘を受けるんじゃなかったと思ってしまった。