3話 王女の失敗
入学式はひとまず終わり、それぞれのクラスに移ってホームルームということになった。
礼仁と雪野は、全三クラスある内の一組となり、そして、入学式でいきなりぶちかました王女は二組である。
それぞれのクラスでは担任の先生があいさつをし、ホームルームを始めていた。
「みなさん、ご入学おめでとうございます。今年度一年間、この一組の担任をすることになりました、綾部朋子といいます。皆さん、よろしくお願いします」
そうあいさつしたおっとりとした担任に、クラスの生徒からささやかな拍手があった。
その拍手が鳴り終わると、朋子は再び話し始めた。
「皆さん、お手元に配られているバッジを見てください」
生徒たちが、机に置いてあるバッジを手に取り、ある者はそれを眺め、ある者はもう胸元に付けていた。礼仁と雪野もすでにバッジを付けている生徒だった。
「そのバッジは、基本的にいつも付けていてください。それを付けていれば、本学園の生徒であることの証となります。いわゆる、校章というやつですね。
そして、その校章にはもう一つの意味があるのですが、それは明日のオリエンテーションで教えることにします。
本日は配布物を配るだけなので、もうホームルームは終わりです」
そう言うと、朋子は教室を出ていき、教室の中にざわめきが生まれ始めた。
しかし、当然といえば当然だが、礼仁はそのざわめきを鬱陶しそうにして、机に突っ伏していた。
そんな様子の礼仁を、カバンを持った雪野が話しかけた。
「レイさん、もう帰りましょう。寮はすぐそこなんですから、そこに行くだけの元気は出してください」
雪野が苦笑しながら話すと、礼仁はゆったりと体を重そうにしながら起こして立ち上がった。
「元気を出すも何も、こんな騒々しいところにはいたくないよ」
「でしょうね」
礼仁が教室から出ていくのに雪野はついて行った。
そして、もう出ようというところで、雪野は声をかけられた。
「なぁ、お前、Aランクの揚羽雪野だよな?」
その呼びかけに雪野も、そして礼仁も立ち止まった。
雪野を呼び止めた男は、第一印象から雪野の苦手なタイプに見えた。
それは実力に反して、自信だけは有り余っているような人間だ。
雪野はその顔を見た瞬間、反射的に嫌そうな顔をしてしまった。
「そんな顔すんなよ。これから一年間、仲良くしようぜ」
そう言いながら手を差し出してくるが、雪野は冷たい視線を送るだけで、手をピクリとも動かさなかった。
「私、あなたの名前を知らないんだけど。名前も知らない人と握手をする気は起きないわ」
「それもそうか」
男は気を取り直すように、いったん手を引っ込めた。
「俺の名前は七宮修次。Bランクの電気使いだ。よろしくな」
気を取り直しても、変わらず軽い感じではあったが、礼仁と雪野は別のところに驚いた。
「七宮?」
雪野がそう反応すると、七宮は興奮気味に話した。
「そうなんだよ。実は俺、あのSランクの七宮妃奈子の弟なんだよ」
その言葉で、教室内が一瞬静けさに包まれた。
しかし、次の瞬間。
「『静かなる破壊者』……」
そう誰かがつぶやくと、先ほどまでが何だったのかと思えるほどに、一気に騒がしくなった。
それもそのはず。Aランクも日本には七人、世界では五十人ほどと言われ、先覚者の総人口十万人の中では相当に少ないのだが、Sランクともなるとさらに少ない。
世界でもたったの十六人、日本では三人しかいないのだ。
そのSランクの親族ともなれば、珍しいなんてレベルではない。
本人たちの顔写真は公開されておらず、さらに、名前が公開されているのは三人のうちの二人だけ。残りの一人は、顔も名前も能力も、二つ名すら公開されていない。
よって、街中ですれ違ってもわからず、本人なのかを知っているのは、同じSランクかその親族、そして先覚者を統括している世界先覚者連盟の上位メンバーのみである。
「どうだ、すげぇだろ?」
教室内のざわめきを超えた歓声の中で七宮がそう言うと、雪野は冷めた表情で返した。
「私、妃奈子さんには会ったことがあるんだけど」
今度も爆弾発言だった。
それは当然のようにさらなる歓声を呼んだ。
「まじかよ……」
「すごい」
「なんでなんで?」
七宮も最初は驚いた表情をしていたが、すぐに調子を戻して言った。
「なるほどな。Aランクの中でもトップクラスのお前がSランクと顔見知りなのも、落ち着いて考えれば納得だな」
雪野は目の前の優秀ぶっている男が面倒になり、大きくため息をついた。
それを見た礼仁は、もういいだろうと思い、そのまま教室を出ていき、雪野も当然のようにそれについて行った。
「ちょっ、待てよ」
七宮はそう言って雪野の腕を掴もうと、手を伸ばした。
しかし、その手は何にも触れることはなかった。
雪野が七宮の手をかわすために、その場から少し先を歩いていた礼仁の隣に、瞬間移動したのだ。
突然のことに呆然とする七宮だったが、条件反射的に言った。
「それが、お前の能力……」
その言葉に対して雪野は何も言わず、ただ少しだけ視線を向けただけで、すぐに礼仁と一緒に教室を出て行ってしまった。
七宮たち一組の生徒はしばらく沈黙していたが、すぐにまた騒ぎ出していた。
何やらテンションの上がり下がりが激しいクラスだなと思った雪野だったが、それも仕方ないとも思い、クスリと笑っていた。
そんな雪野を見て、礼仁は廊下を歩きながら言った。
「雪野、前にも言ったと思うけど、あまり日常生活で能力は使わないように」
咄嗟にやったこととは言え、礼仁に言われてハッと気付いた雪野は、申し訳なさそうに下を向いた。
「ごめんなさい、レイさん」
「まぁ、気を付けていればいいよ。さっきのも、全面的にお前が悪いということでもなかったし」
礼仁が落ち込んでいる雪野に笑みを向けると、雪野は息を吹き返すように明るい顔になった。
「レイさん……」
その顔は礼仁にとっては望ましいことで、久々にいい感じがした。
(新しい環境というのは、そういうもんなのかね)
礼仁は、自分が高校生活というものを楽しみにしているのかもしれないと思い、こそばゆい感じがしたのと同時に、なんだか心の中が乱されるような嫌な感じもあった。
「まあ、一日目はあまり悪くはなかったんじゃないかな」
礼仁は誰に対して言ったわけではなかったが、雪野はそれを聞いていたので、先ほどよりも幸せな気分になった。
そして礼仁が自分の失態に気付いたのは、雪野が弾丸のように話し出してからだった。
「それじゃ、明日からも楽しみましょう、レイさん」
「いや、そこまで気合を入れる必要もないと思うんだけど」
「いえいえ、新しいことに早くなれるためには、自分から動かなくてはならないんですよ」
「僕はそんなに真剣に取り組もうとは思ってないからね」
「じゃあ、私がリードしましょうか?レイさんの期待に絶対に応えてみせます」
「なんでそうなっちゃうのかな。僕は一切まったく全然これっぽっちも少したりとも期待してないんだけどね」
礼仁はこの時本気で、雪野を慰めるような言葉を言うんじゃなかったと思った。
少しだけいいと思ったものが、たった一つの失態でどんでん返しになってしまう気分を、礼仁は今味わっていた。
☆
一組のホームルームが終わるのとほとんど同時に、二組の方も終わり、今日のところは解散となった。
つい先ほど、隣の一組で騒がしかったようだが、今のアリサにとってはどうでもいいことでしかなかった。
「姫、もう帰りますよ」
教室の中で落ち込んでいたアリサに声をかけたのは、アリサと一緒に日本に来た、アリサ専属の付き人、ユリア・セリステンだった。
サルイ王国では珍しい黒髪をショートカットにしているのだが、それは日本に来る前に覚
悟の表れだと言って、アリサが止めたにも関わらず切ってしまった結果だ。
「ユリア、今更だけど、その髪、ほんとに切ってよかったの?」
ユリアの黒髪を結構気に入っていたアリサにしてみれば、その行為はもったいないと思えて
仕方がなかった。
「はい、これでいいんです。それに覚悟だなんだ言っても、実はショートカットというものに少し憧れていたんです。ですから、いい機会だったんだと思います」
「あなたね、それ、国の人には絶対に言うんじゃないわよ。あの人たち、あなたが髪を切るのをかなり必死になって止めてたじゃない。それが憧れてたからってわかっちゃうと、がっくりくる人もいると思うのよね」
「そこのところは、本当に申し訳なく思っています」
そう謝るユリアの小さく揺れる黒髪を見たら、小さいころから一緒にいるアリサとしては、これ以上何かを言う気も起きなくなってしまう。
「あなたがそれでいいなら、私もとやかく言わないわよ」
そう言って笑みを浮かべたアリサは、自分のカバンを持って席を立った。
「さ、帰りましょう」
「はい」
ユリアは、先に出ていくアリサを追いかけて教室を出て、廊下のところでアリサの隣に着いた。
「それにしても姫、今日は散々でしたね」
もうすでに立ち直っているだろうと思ったユリアが何気なく話しかけると、アリサはゆっくりとユリアの方を向いた。
「ユリア、どうしよう?」
ユリアも驚くほどの半泣きの状態で。
「姫、まだ引きずっていらしたのですか?」
「だってしょうがないでしょ。こんな失態をするなんて思ってなかったのよ」
アリサは今にも泣き出しそうな表情でユリアと話す。
まだ涙を流していないのは、まだ廊下という人がいる場所にいるからだった。
「あんなことになるなんて、あなた、予想できてた?」
「予想できていたら、事前に姫に言ってますよ」
「そうよね。あぁ、なんであんなことを言ってしまったのかしら。新入生全員、いや、もしかしたら全校
生徒を敵に回してしまったかもしれないわ。私には、そんなつもりは全然なかったのに」
朝の入学式での宣戦布告。
あれはアリサの絶対的な自信によるものではなく、もっと単純な、そして面倒な理由があったのだ。
「姫が人前で話すのが苦手なのはわかっていましたけど、まさかここまでになるとは思ってなかったです。ここが異国の地であることを完全に忘れていました。これは姫の付き人である私
の責任です。どうかお許しください」
「いいわよ、そんなことを言わなくても。私が自分のことを過大評価していたってことなんだから。現状認識は必要よ」
「過大評価だなんて、そんなことを言わないでください」
「言ったでしょ、現状認識は必要だって」
そう言って周囲を見渡すアリサにつられて、ユリアも自分たちの周りを見た。
そしてわかった。
それは明らかだった。
他の生徒が、アリサとユリアを避けていた。
いや、もっと正確に言えば、アリサを避けていた。
「これが現状よ」
「はい……」
これにはさすがにユリアも何も言い返すことができなかった。
「あの、私が変なことを言い出さなければ……」
「そんなことはないわ。逆にいい機会だったのよ」
高校生活初日が、ある意味すごい始まり方をした二人だった。
☆
寮に戻った礼仁は、特に着替えることなく奥の部屋のベッドに仰向けに倒れこんだ。
「はぁ、やっぱ、外に出るのは疲れるな」
入学初日ということもあっただろうが、元々、礼仁はあまり行動的ではないため、今日のように様々な行事があるのは精神的にかなり疲れるのだ。雪野の方はそういうことに関しては大丈夫そうだから、今度心構えのようなものでも聞いておきたいと思った礼仁である。
寮といういつもの自分の家ではない場所だが、一人だけの部屋というのもなかなか落ち着くシチュエーションであるから、この疲れも十分に取れるだろう。
ここ神坂学園では、基本的に二人一部屋が寮のルールとなっているが、男子の人数が奇数となっているため、礼仁の部屋は一人部屋になっているのだ。
しかし、そういう事情だけで礼仁がこの部屋に入れたわけではないのだが、それを考えると礼仁は嫌な気分になった。
「結局、ここまでされちゃうと、高校に行かなきゃいけないってことかな。さすがに、このまま無視する
わけにもいかないし」
礼仁にとっての恩人がここまでする人だとわかっていれば、助けを求めるようなことはしなかったのか。
その考えに、礼仁は首を振った。
わかっていたとしても、必ず、礼仁は助けを求めていただろう。
礼仁とその人の関係は、礼仁と雪野の関係に似ている。
礼仁は雪野ほどではないにしても、少なからずその人を尊敬はしているし、また、雪野と同じように礼仁には返しきれないほどの恩がある。それを返すのが、今の礼仁の生きている目的なのだが、それが当の本人によって邪魔されている気がする。
「なんだかなぁ」
この高校入学という状況にいまだに納得がいかない礼仁だったが、あきらめて受け入れる力も必要だ、と自分に言い聞かせることで、納得しなくても、そういうものだと受け入れることにした。
「雪野は実際はどう思ってるんだろう」
朝の様子からすると、高校に行くのはまんざら悪い気はしていないようだったが、どこまでが本当なのかは礼仁にもわからない。
雪野が礼仁を乗せるためにやっていることとも考えられる。
そもそも、雪野は礼仁のためと思うと、どんなことでもやるところがあるから、礼仁でも雪野が何をどこまで考えているのかなかなか理解できないのだ。
考えるたびに行き詰まり、毎回毎回、人の考えを理解することの難しさを痛感する。
そして、何度も思ってしまう。
人と人のつながりなど、馬鹿々々しい、と
それでもそう思うと、雪野のことでさえ馬鹿々々しいということになり、なんだかそれも認めたくはなかった。
結局、答えが出ないままここまで生きてきている。
以前、雪野に対してそのことを言ったら、礼仁が予想もしない答えが返ってきた。
『たとえ悩んでいても、それで生きていけるなら、悩みは悩みのままでいいじゃないですか』
その時はその言葉の意味がよくわからず、実際今でもよくわからない。
悩みは解決してこその悩み、というのが礼仁の考えなのである。
礼仁が雪野に出会って二年になるが、いまだにあまりかみ合わない。相性が悪いわけではないのだけど。
礼仁は考えるのも飽きてきて、天井に広がる模様をただじっと見ていた。
朝や昼間に見るのとはまた違った夕方の模様。模様それ自体が変わっているわけではないが、時間によって変わっていく雰囲気というものが、礼仁は意外と気に入っていたりする。
ゆえに、この時間はできればだれにも邪魔してほしくないのである。
ましてや、携帯が鳴って集中力が切れようものなら、その相手に八つ当たりしてしまいそうになる。
そんな礼仁の携帯が、今鳴ってしまった。
着信音からではメールか電話か判断できない礼仁は、重い体を起こして、仕方なく携帯をとりに行く。その足取りはまるでゾンビを思わせるものがあり、面倒くさいオーラが体中からあふれていた。
そして、鬱陶しそうに携帯を見た礼仁は、それがメールであることを知り、起きたついでに中身を見た。
しかし、それは礼仁のイライラする気持ちを吹き飛ばすには十分な内容だった。