18話 弱い『過去と今』
気付いたら一気にPV数が増えていましたし、昨日は一万を超えてましたね。ありがとうございます。
それに、投稿していないのに千を越えること自体初めてだったので、驚き過ぎました。
頭の整理が追い付いていない気分です。
そんな明るい前書きからの、本編は暗い話です。
ある日、地獄を見た。
十年前のことだ。初めは楽しい日々だったような気が、礼仁にはしていた。楽しく過ごすことができ、友だちと呼べる、親友と呼べる人たちができた。
礼仁はそこに集められた十一人の一人で、その中で礼仁はレイと呼ばれていた。
楽しく、とても楽しい日々だった。最初の一年は、そうだった。
ただ勉強して検査して、勉強して検査しての繰り返し。それだけでは退屈だったが、それ以上に親友たちと過ごせる時間はとても濃密で、甘く、すぐに溶けてしまいそうになり、また一緒に過ごし、遊び、話し、本当に多くの時間を一緒に過ごした。
しかし、ある時からその日々は、地獄へと変わっていった。
最初の一年だけだったのだ。本当に幸せだったのは。
度重なる人体実験。そのたびに味わう、耐えがたい苦痛。親友の叫び声を何度聞いたことか。隣で泣き叫ぶ親友の声を聞き、恐怖し、そして自分も同じ声を上げていく日々だった。
いつもいつもそんな日々が続いていた。
何度も何度も、全身に激痛が走り、歩くことすら、息をすることすら苦しく、そして生きることすら嫌になった
礼仁たちはそれからしばらくしてから知った。
自分たちが金で親に捨てられたということを。道理で親とは会えないわけだ。
しかし、それでも精神が崩壊してしまうような子は、誰一人として出なかった。
それはなぜか。
それは、仲間がいたからだった。
かけがえのない仲間がそこにいて、同じ痛みを味わっているのだから、と自らに言い聞かせ、そして精神を保った。
この場所からは絶対に逃げられない。
だから、最後の最後まで耐えてやろうと思った。
そう心に強く誓ったのだ。みんなで生きてここを出るのだ、とそう誓った。
最初の幸せな一年を含めて五年が経過した。度重なる人体実験は四年の歳月をあっという間に過ぎさせた。
そして、その日、最後の地獄を見た。
辺り一面、血だまりが広がり、歩く場所どこもかしこも血、血、血、血、血。
赤で埋め尽くされるその世界の中で、二人の子どもがいた。
片方はその場で膝をついて項垂れる子。もう一人はその場に立ち尽くす子。
膝をついている方が礼仁だ。白い簡素な服が赤で染まるが、そんなことに意識は向かない。この場がまさに地獄だった。
そして立ち尽くすのは、仲間からはリンと呼ばれていた女の子。礼仁と同い年の女の子だ。
礼仁はその場で泣きわめき、リンは呆然と立ち尽くす。
辺りには他に人はいない。研究者たちはもう全員逃げてしまった。この建物からは逃げてしまったのだろう。
二人には、彼らを追いかける気力も、体力もありはしなかった。
そして、辺りに広がる血の海には、九つの死体。
それらは、礼仁とリンが仲間と呼び、親友と呼んだ子どもたちの死体だった。この血の海は全て、その九人の子どもたちの血だ。
つまり、たった二人なのだ。
最初十一人いた子どもたちは、今では礼仁とリンの二人しかいなくなってしまったのだ。他の九人は、もうすでに死んでいる。
この日、全員が死んだのだ。
それが、最後の地獄。その地獄を目の当たりにしていた二人は、呆然とする以外なかったのだ。
「わ、わた、しは……」
リンは震える唇を動かし、声を絞り出そうとする。
よく見ると、リンの服や、さらには顔にまで血は付いていた。彼女は決してそれを拭うことはしない。
礼仁はリンの声に反応を示しながらも、俯いたまま、何も言わない。
何も言えない。何かを言葉にする勇気がない。
「わた、しは……私は……こんなのは嫌だ……」
礼仁は視界の端で、血の海に波紋ができるのを見て、そして見上げる。
すると、リンは両目からとめどなく涙を流していた。溢れ続ける涙は頬、そして顎を伝い、血の海に落ちる。
リンは深く息を吸い込むと、声を吐き出す。
「私は、こんなのは嫌だ!あいつらが……あいつらのせいだ!あいつらのせいで、この子たちは!何で!どうして!」
これまで耐えてこれたのは、大切な仲間がいたから。いつでも、隣に大切な仲間がいたから、二人は頑張ってこれた。どんなに苦しいことも、耐えてみせようとした。そして、実際にここまで耐えてきた。
それなのに、最後の最後で、二人を残して全員が死んでしまった。
礼仁は、もしも、こんなことが初めからなければ、と無意味な仮定をする。
しかし、それは本当に意味がない。ただの現実逃避だ。
「私は、絶対にあいつらを許さない!全員見つけ出して、殺してやる!!」
憎悪しかないその声は、ひどく強く、悲しくその場に響いた。
その言葉に、礼仁は涙した。
なんて悲しい言葉なのだろうと思い、涙せずにはいられなかった。
リンは目元の涙を拭うと、礼仁の方を向く。拭ったとしてもまだあふれる涙は、それだけリンの思いが強いということを表している。
「レイ、私はこれから力を付けて、あいつら全員を殺す。レイは、どうする?」
どうする、とそう聞かれたが、その時の礼仁の頭の中は真っ白で、何も考えられない。そして、何も考えられなければ、何も答えることができない。
礼仁は再び、俯いてしまう。
その様子を見て、リンは決めた。
「そう、それならそれでいいわよ。あなたは、ずっとここにいなさい。ずっと止まったままでいなさい。ずっと、何も決められないあなたでいなさい」
その言葉に対して、礼仁は何も思うことはなかった。
何も考えることができず、何も答えられない。
それからすぐに、大人数の大人たちが来た。
その大人たちは礼仁とリンを保護した。その人たちの計らいで死んだ子供たちの墓も立てられることになり、事情を聞かれることになったのだ。
しかし、リンはいつの間にか、姿を消してしまっていた。
☆
礼仁は重たい目をまぶたを開けて、まぶし朝日を見て、一度開いた目を細める。
「朝か……。随分と、嫌な夢を見たなぁ。久しぶりだけど」
礼仁は夢は夢と考えて気持ちを切り替えようとする。
そして、深呼吸をするとゆっくりと起き上がった。
「レイさん、おはようございます」
予想外の声と姿に、礼仁は驚いた。
「あれ、雪野?おはよう。ビックリだよ」
「ビックリしたのなら、もう少しビックリしてそうな言い方というものがあると思いますが……まぁ、いいです。起きるのが遅そうだったので、様子を見に来ました。と言っても、杞憂でしたけど。もう少し遅かったら、私が直接起こしたんですが」
礼仁は枕もとの時計を確認すると、朝の六時半。いつも通りの時間だ。礼仁は目覚ましの音が嫌いなので、基本的に目覚ましのアラームはセットしない。朝の習慣があれば、アラームなどなくても自然に起きられる。
だが。
「いや、ありがとう。もしかしたら寝過ごすこともあったかもしれないからね。来てくれたのは助かったよ」
「そうですか。そう言ってもらえるのなら、私はうれしいです。それでは、朝食は私が用意しますので、レイさんは早く着替えてくださいね」
「…………わかった」
「それでは、失礼しました」
そう言って、雪野は寝室から出て行った。
雪野のことだから気付いているとは思っていたが、それでも雪野が聞かなかったことに、礼仁は少なからず感謝していた。
「本当に、聞かれたら何て答えたらいいかわからなかったしね。お世話になりっぱなしだね、これは」
礼仁はクローゼットから制服を出して、着替えをする。姿見の前に移動してネクタイを締める。
その時に、自分の顔が良く見えた。
「これは……このまま学校に行くのはさすがにまずいな。ちゃんと顔を洗わないと」
礼仁はネクタイを締めるのを後回しにして、寝室を出て洗面台に向かった。
今の礼仁の顔は、見ていられないほどにひどかった。一目見れば、誰もが昨夜何かがあったのだろうということがわかってしまう。
水を思いきり出して、顔をバシャバシャと洗う。たびたび跳ねる水だが、それで床や制服が濡れないように、ちゃんと力を使って水を制御する。
こういう時、この力が便利だと思う礼仁なのだ。そのありがたみを毎朝実感しているところなのだが、今日は少しだけ感じ方が違った。
自分にとって、忌まわしい五年前のことを夢に見たからかもしれなかった。
(……どうしようもないな、僕は。五年経った。千日以上たった。数えていれば面倒になるぐらいは日数が経ったんだ。立ち直っていると思ってたけど……全然だめだな)
礼仁は正確に顔の表面に付いた水だけを排除した。これで加減を間違えると、皮膚などの体の水分まで抜き取ってしまうことがあるので、注意が必要だが、今の礼仁でも問題はない。いつもの日課になっていることで、多少の精神の乱れがあっても、正常に使える。
そして、礼仁はそのまま鏡に映る自分の顔を見る。
それはさきほどよりはましだったが、それでも見た目は悪かった。
(結局のところ、逃げていただけか。向き合うことすらしないで……。いや、できなかったんだな、僕は。ずっと怖かったんだから)
礼仁は今でもしっかりとリンの言葉が耳に残っている。
紛れもなく憤怒で塗り固められた言葉を、礼仁は知っている。
あの後、あの実験に関わっていた研究者が次々と殺され、仕舞いには全滅。研究を支援していた団体も壊滅し、その人員も皆殺しとなっている。
それは最後の地獄を見てから、数か月後のことだった。
それがリンの仕業だというのはすぐにわかり、礼仁はリンが宣言通りに皆殺しにしたのだとわかった。
それに対して何を思えばいいのか、礼仁は今でもよくわからない。
あの時と変わらず、答えを出すことができない。
(やっぱり、僕は弱いということか。あの時から、何一つ変わることなく)
礼仁はため息を吐いた。
「レイさん……」
突然、後ろからかかった声に礼仁は驚いて、すぐさま振り向いた。
そこには、雪野が困ったような表情をしながら立っていた。
「雪野か……」
「今度は先ほどよりも明らかに驚いてましたね」
「そりゃ、ね。タイミングもあるし」
「ですね。それはそれとして、朝食ができました」
「早いね」
「ある程度は準備をしていましたから。あまり時間はかかりません。ですから、レイさん。行きましょう」
雪野にしては珍しく、礼仁を強引に連れて行く。
普通なら礼仁も問題なく抵抗できるのだが、今の自分では無理だと直感でわかった礼仁は、そのまま雪野について行った。
朝食の並ぶテーブルについて、礼仁と雪野は向かい合った。
礼仁の目には、変わらず困ったような表情をする雪野がいる。そして、その表情をさせているのが自分であることは、当然のようにわかっている。
いつもは礼仁は他人のことなど大して気にしない。雪野に対しても、ある程度甘いとはいえ礼仁は自分を通す。
しかし、今の礼仁はそんな気分にはならなかった。
「レイさん、私は何も聞こうとは思いませんよ。私はレイさんのこれまでのことを知っていますから、今のレイさんから何かを聞くなんてことはできません。何があったのか、どんな夢を見たのかは、大体予想は付きます」
予想がつく、と雪野が言ったところで、礼仁は身を固くした。
それくらいはわかっている。雪野は礼仁のことを誰よりも知っているから、おそらく礼仁の不調ならその原因には大抵のことには思い当たってしまうということはわかる。
それでも、何となく知られたくないと思っているところが、礼仁は嫌に思う所だった。
「予想は付きますが、それでもやはり口にはしません。それはレイさん自身の問題なのでしょう?私が関わるところではないことくらいわかっています。私はレイさんが、いつかその悪夢を克服できると信じています。私が想うあなたは、そういう人です」
雪野の言う言葉は優しかった。礼仁にしか見せない優しさだった。
「ですから、今は話をしましょう。何でもいいです。楽しい話でも、くだらない話でも、何にも身にならない話でも、何でも」
雪野の表情は、困ったようなものから、微笑みへと変わっていく。
人の感情に鈍感な礼仁でも、雪野が今自分を励まし、そして慰めてくれているのがわかった。
「そんな何でもない話をして、普通の日を過ごしましょう。いつか、悪夢が取り払えるようにしましょう。悪夢を、ただの悪夢で終わらせないために、今は普通の日を過ごしましょう」
雪野は全部をわかっているからこそ、そうやって礼仁に言うことができる。
ただ無責任に言うのではなく、優しく無責任に言うのだ。
事実として、雪野は礼仁の問題は背負えない。背負うことができるのは、どうあっても礼仁だけ。
だから、雪野は礼仁に期待をして、そして今は普通に過ごそうと言う。
そこには礼仁への優しさと、厳しさと。
優しさの方が成分多めでも、確かに雪野はそれを言った。
こうなると、礼仁も答えないわけにはいかなかった。
他の誰であっても、雪野から言われたら、礼仁には向き合う以外の選択肢がないのだから。向き合わなければ、それは礼仁自身のポリシーに反することだ。
「……わかった。じゃあ、話をしようか」
「はい」
雪野は優しく、本当に優しく微笑んだ。
今回は礼仁のトラウマについてですね。
この過去は第一部千変万化編の中心に関わってくることですので、頭の片隅にでも入れていただければ幸いです。