17話 アリサの空回り
アリーナは放課後になれば基本的にいつでも解放されており、そこでは常に多くの生徒が入る。
それは訓練であったり、摸擬戦であったり、それらを観戦したりと、様々な生徒がいる。
その中でも、特に目立っていたのは、入学そうそうに序列一位に上り詰めたアリサとそのお付きのユリアだった。
「はあぁぁ!」
覇気のこもった声と共に、アリサが<炎帝の神剣>を振るうと、ユリアの<ファングソード>が宙に撥ね上げられ、ユリアは尻餅をつく。
そしてその鼻先に剣先を突き付けて終わり。
「はぁ、相変わらず容赦がないですね、姫」
「あなた相手に手加減なんてできるわけないでしょ。そんなことしたら、あなたは怒るし、私だって負ける可能性があるもの」
「どうでしょうか?今の姫ならそうはならないかと思いますが」
「そんなこと言って、今の模擬戦も、ある程度まではあなたの読み通りに進んでいたんじゃないの?最後の最後は私の力押しだったし」
「そうであっても、姫の勝ちですよ」
そうしてユリアに勝利を認めてもらうが、アリサとしてはそれが少し不満だった。
アリサはもっと上を目指したいのだ。だからこそ、現状で満足せずに、もっと高く、もっと強くあろうとしたいから、そうやすやすと褒められたくはないのだ。
もちろん、自分が強いことをアリサはある程度は把握している。
だが、それでもアリサの脳裏には常に、あのテロリストを倒した最後の一撃がちらついている。
目覚めた後に聞いた話だとどうやら礼仁が手助けをしてくれたのは確かなようだが、それがどのような手助けだったのかがわからない。
そして、礼仁に助けてもらわなければ、あの戦いは勝つことができなかったということが、アリサには特に響いた。
アリサはこれまで、サルイ王国の中で生きてきて、負ける相手はいないと思っていた。
負ける相手はおらず、常に強者だった。
それでも、世界には最も強い人がいるということはわかっていたために、もっと強くあろうとはしてきたつもりだった。
しかし、そんなものでは不十分だったのだ。
いることをわかっているのと、それを体験したのでは全く別で、そこから得られる経験は雲泥の差がある。
それをアリサはあの時自覚した。
礼仁の助けがなければ一体どうなっていたのか、それはアリサの中ではまだわからない。勝てなかったことは間違いないだろうが、どんな負け方をしたのか。
思えば、テロリストに関する情報も、そのほとんどを礼仁から聞いているのだ。
つまり、アリサは礼仁から何一つ情報をもらわなければ、戦うことすらできなかった。
それほどまでに、アリサは礼仁の存在感というのを強く感じていた。
何があるのかはわからない不気味なところは、確かにある。それはいまだに拭えない。信用できないというのもある。
だが、少しだけアリサは雪野が礼仁のことを慕っている理由に触れることができたと思った。
相変わらず、アリサにとっては好評価ではないのだが、認めざるを得ないのも事実。
だから、アリサは強くあろうとして、こうして訓練して、摸擬戦をして、学内序列一位なんて地位にまで上り詰めた。
達成した直後は、その確かな一位という証に満足していた。
しかし、すぐ後に、それがとても虚しいということに気付いた。
アリサに負ける前までは、序列一位だった人も、その地位を噛みしめていたかもしれない。
だが、それでもアリサの方が強かった。必ずしも一位である人の方が強いということはないのだ。
ならば、こうしてアリサが一位になったとしても、アリサよりも強い人がまだまだ学内に入るかもしれないと思うと、アリサはいてもたってもいられなくなり、こうして訓練をしている。
もう自分自身に対してスパルタで。
そんな感じで訓練していて、ユリアはすごいと言ってくれる。
以前はそれが嬉しかったアリサだが、いまではそれが何だか虚しい言葉に聞こえてしまい、それがアリサを不満にさせているのだ。
アリサはデバイスをしまってユリアを引き起こすと、周囲から拍手が送られた。
それにももう慣れたもので、どうでもいいような気がしていた。
だが、突如感じた魔力の気配に、アリサは咄嗟に観客席の方に目を向けた。
「あ……」
「あの二人ですか……」
ユリアも気づいたようで、そちらに目を向けると、観客席に座ってフィールドを眺める、礼仁と雪野の姿が見えた。
「あ、姫!」
これにはいてもたってもいられなくなったアリサは、すぐさま走り出し、フィールドを後にした。
呼び止めようとしたユリアだったが、アリサが聞く耳を持たないことがわかり、諦めてそのままアリサの後を追いかけることにした。
☆
礼仁は頬杖をついて座っていると、慌てるような気配が近づいてきて、それを少し面倒に思った。
(はぁ、ちょっとした好奇心が失敗だったかな。まさか、こんなだとは思ってなかったけど……まぁ、あれからの調子を聞きたいとも思ってたから、それくらいは我慢すればいいかな)
礼仁はもうそうやって納得することにして、面倒ごとに備えた。
「レイさん……普通に帰った方が良かったですね」
「今後悔してるよ。仕方ないけど。結局のところ、二人とも、というか姫さんの方も人間なんだから、ある程度は大丈夫でしょ」
「そのアバウトさはいいですけど……疲れますよ」
「予想してる」
礼仁はこの時、自分の興味に従って動くことで面倒ごとになるのは何度目だろうかと思っていた。
礼仁の場合は、立場上はそうなってしまうことが多々あるのである。
「神部礼仁!」
そう言いながら、礼仁の所まで来たアリサに、礼仁はため息を隠すことはしなかった。
「それで、何かな?もうそろそろ帰ろうかなと思ってたんだけど」
「その前に、聞きたいことが山ほどあるのよ。それに答えてもらう」
「答えられないと思うんだけどね。だから、するだけ無駄だよ、それは」
「じゃあ、どうしたら答えてくれるの?」
「何もしなくていい。そして僕は答えない、以上」
「あなた、馬鹿にしてるの?」
「まぁまぁ、姫、落ち着いて」
少しして追い付いてきたユリアが、礼仁につかみかかろうとしたところで間に入った。
それでアリサは、渋々下がった。
「礼仁さん、少しくらいなら教えてくれてもいいんじゃないですか?」
「前に、僕が水使いだということを教えたでしょ。それで十分だと思うんだけどね」
「それだけじゃ、足りないからこうしてお願いしてるんでしょ!」
礼仁が何か言うたびにからんでくることに疲れないのか、と礼仁は呆れた。
第一、礼仁はこうして人が集まってする会話というのは得意ではない。
しかも、一方的に何かを言われ続けるというのも、好きではない。
「お願いしてるのかどうか、というのはこの際置いておくとして、他人にそうそう自分の手札を晒す馬鹿がどこにいるの?普通はそうでしょ。だったら、お願いされても言うわけない。違う?」
「それは……そうかもしれないけど……。じゃあ、こっちの能力について詳しく教えるから、あなたの能力についても教えて。それでいいでしょ」
このセリフに、雪野は眉をひそめ、嫌そうな顔をした。
そして、礼仁はまたしてもため息を吐く。
さらには、ユリアでさえも呆れているような表情をしていた。
「え、ユリア、この雰囲気何?」
「姫、頭に血が上ると思考力が低下するのはわかっていますが、少しは考えてください。彼は私たちにあのテロリストに関する情報を頂きました。それは彼の戯れの一つかもしれませんが、それでもその恩義があります。さらには、それ以上にテロリストに勝てたのは、彼の力あってこそで。それこそ、命の恩人です。そのお返しもしていないにもかかわらず、何かを求めるのなら、同等であってはいけないんですよ」
「それは、そうかもしれないけど……」
声がしぼんでいくアリサに、雪野が苛立たしげに畳みかける。
「それと、あなたは勘違いしている。ユリアは同じ知らないにしても、仕方がないと思える。でも、アリサ、あなたの方は腹が立った。あなたの能力の情報とレイさんの能力の情報が同等?まさか、本気で言ってるの?それだったら、自惚れも甚だしいというものよ」
「それは雪野の意見として、僕が断る理由は別にあるんだけどね」
「え?それは一体何なの?」
「まず考えてみてよ。僕がどうやってあのテロリストの能力について調べたのか。そして、それはかなり正確だったはず。それなら、僕が君の能力を調べていないわけがないでしょ?一応、Aランクの先覚者なんだから、力はそれなり。調べない理由がない。僕は君の能力については、君よりも詳しく知っている」
「私より?それは随分と言ってくれるじゃないの」
礼仁の言ったことにアリサは苛立ち、語気が強くなったが、礼仁はそれをどこ吹く風と受け流す。
「そうだね。僕は今の君の実力の全てと、この先どう成長していくのか、それをもう知っている。僕はね、君の成長した先というのが非常に面白いから、あのテロリストの時に協力したと言っていい。つまり、あの時の情報や手助けが、僕が君の能力を調べた対価、という扱いだね。そうなると、ユリアが言ったようなまだ返していないからというのは、別に気にしなくていい。それでも、そっちのお願いを聞く義理はないけどね。少しは自分で考えてみなよ」
そう言うと、礼仁はその場で立ち上がり、それに雪野も合わせて立つ。
「じゃあ、雪野、もう行こうか」
「はい。了解しました」
そうして、一気に言われたアリサは呆気に取られながら、礼仁たちを無言で見送ることになった。
そして、ユリアの方はと言うと、引き留めることはできなかった。
何だか、それをするのは絶対にダメという感じがしていたのだ。
礼仁が、ではなく、雪野から発せられる空気が、ユリアにそう感じさせていた。
☆
アリーナでは雪野はほとんど黙ってはいたが、それでもイラついてはいたのだ。
アリサのことが初めから気に入っていなかったというのもある。ユリアの方は礼仁が悪い印象を持っていないために雪野も気にしないようにしているが、それでもアリサの方はどうにもならない。
雪野にとっては、礼仁が全てだ。
雪野は礼仁のために行動し、礼仁のために在り続け、礼仁のためならば死すらいとわないと自分で決めている。
二年前に、礼仁に命を救われてから、雪野は礼仁のために生きると決めているのだ。
もっとも、礼仁としてはそれを認めることはなく、自分のために生きるようによく言われているが、それでも雪野はその姿勢を変えない。
今この姿勢を手放してしまえば、雪野の中で何かが崩れるような予感がしているからである。
だからこそ、雪野はどこまでも礼仁のために、とこだわるのだ。
おそらく、雪野は礼仁のためなら世界すら敵に回してしまうだろう、と自分で思っている。
本当にそんな事態になることなど、そうそう起きないと信じたいところだが。
「ごめんね、雪野。こっちの勝手で面倒になって」
アリーナから出ての帰り道、いつも通り礼仁の斜め後ろに付いて歩く雪野に礼仁が言った。
「いえ、大したことではありません。レイさんがそうしたかったのなら、私はそれに従うだけです」
「相変わらずだね。もう二年だけど」
「まだ二年です。あまり時間は経過していません」
「そういうものかな」
「そうだと思いますよ。レイさんも、もう五年、ではなく、まだ五年と思うのではないですか?」
雪野がそう言った時、礼仁は足を止め、雪野も立ち止まった。
「あぁ、そっか、五年か。ある意味では十年とも言えるけど……まぁ、そうだね。雪野の言う通りかもしれない。まだ五年。まだ二年。なるほどね。納得だ」
雪野は礼仁がそう言ったことに、心底ほっとしていた。
雪野としては、今かなり危ういところを言ったのだと自覚していた。
しかし、たびたびこういうことを言わなければ、礼仁は自分の中だけですべてを解決させてようとしてしまうため、その心の内を外に出さなくてはならなかった。
だから、直接的ではなく、間接的にその時のことを言う。しかし、それで機嫌を悪くされるのも雪野が嫌うところで、常に綱渡りだ。
「二年か、そうか。まぁ、そこはやっぱり個人的な感覚にゆだねられるよね。僕にとっては、もう二年なんだけど。まだ五年ってところに納得できるから、雪野もそうなんだろうと思えるよ。まぁ、気長に、かな」
「そうですね」
「頑張るのはお前だよ。そこら辺は間違わないようにね」
「もちろんです。承知しています」
「……僕も、かな」
最後の言葉は、ぼそっと小さく言われた。
それは雪野にも聞こえたが、あくまで礼仁が自分自身に向かって言ったのだということはすぐにわかったので、何も返さなかった。
二人は夕日を浴びながら再び歩きだして、帰路についた。