こんなこと、信じられない!
こんなことシリーズ第四弾。
あまり出番がなかった王子の恋人視点。
まっとうな思考回路はしていません。
作中にはイジメ的な表現がありますのでご注意を。
小さい頃から、誰もが言って来る。
どうしてわからない。どうして出来ない。どうしてそうなんだ。
どうして、どうして、どうして。
私の話は誰も聞いてくれない。誰も取り合ってくれない。
どうして、どうして、どうして?
私には居場所がなかった。
あの日までは。
あの人との出会いで、私の世界は変わった。
◇◇◇◇◇
私の名前はキュスカ・マルベリック。
由緒正しいマルベリック伯爵家の長女として生まれたの!
我が家にはお父様、お母様、お兄様の他に大勢の使用人がいて、遠くにお父様の領地があって、そこにも大勢の人たちがいるの。
私の家は私たちのいる王国でもとても立派な家なんだって言っていたわ!
そんな家の娘。それが私!
私が小さい頃、お父様もお母様も、お兄様だって私の事をお姫様って呼んでくれたわ。
私が呼べば笑顔で答えてくれたし、抱きつけば優しく撫でてくれたの。
なのに、ある日突然それを止めるって言い出したの。
私は言ったわ。
お姫様には優しくするのが当然よ!
お母様や婆やが読んでくれた御本はそうだったし、いつも私のことを皆「お姫様」って呼んでたんだから。
お父様は変な顔で言うの。
学校に行くための準備だって。
学校は私と同じくらいの子供達がいっぱいいて、これからはそこでお友だちを作るんだって。
家にずっといられないから、ちょっとずつ慣らしていくんだって。
何をいってるのかしら。
お姫様はいつだってお姫様なのよ。それでそれで、皆に優しくされて、素敵な王子様が会いに来てくれて、幸せな結婚するの! いつまでも幸せに暮らしていくの!
だからお姫様の私はずっとお姫様なの!
でもお父様もお母様も、お兄様も私をお姫様って呼ばなくなったわ。
小学校に行くとお姫様じゃなくなる。私は怖くて小学校なんて行きたくなかった。そんな場所なんて絶対いや!
私が悲しいとき、頭を撫でてくれたのに、皆してくれなくなった。
小学校に行けば、自分でいろんなことをしなきゃいけないって言って、今まで使用人たちがやってくれてたことを自分でしなきゃいけなくなったの。
朝起きるのも、食事するのも、着替えるのだってそう! 全部してくれてたのに! ひどいわ! お姫様に意地悪するなんて、まるで御本にいた意地悪な人じゃない!
御本のお姫様のお話にはいっぱい悪い人がいたわ。魔女、継母、姉や妹に他の家の女の子。使用人だって悪い人がいたわ。
そこで私は気付いたの。
そうよ、御本のお姫様は悪い人たちにいじめられても、絶対それに負けなかったわ。
じゃあ私も負けちゃダメ! だって私はお姫様なんだから!
私は意地悪に負けないように頑張ったわ。
朝起きるのも、朝食を食べるのも、着替えも、お風呂だって一人でできるように頑張ったわ。
でも、皆がそれを笑うの。お父様もお母様もお兄様も、婆やたちもみんながクスクス笑うの。
意地悪な人はお姫様をこうやっていじめるの。私知ってるんだから!
ある日、婆やが小学校のことを教えるって、部屋に入ってきたの。
だから私は婆やを部屋から追い出そうと必死に抵抗したわ。悪い人はそうやってお姫様を部屋に閉じ込めて、誰にも見えないところでお姫様をぶつの。それが何度も続くの。
ぶたれるのはいや!
婆やが悲鳴をあげるけど、私にはきかないわ! 御本の悪い人のすることなんて知ってるんだから!
でも他の使用人たちが来て私を押さえつけて、無理やり椅子に座らせた。悪い人はこうやって皆でお姫様をいじめるのも知ってる私は必死に抵抗したわ。
諦めた婆やたちが離れたから、すぐに逃げたの。
屋敷の中を走って、走って、お庭に出て、お母様ご自慢のバラ園の隅に逃げ込んで、疲れた私はそこで寝てしまったの。
起きたら、お母様が私のことを撫でてくれてたわ。お姫様なんだから当然よね!
でも、お母様は言うの。
小学校に行くのは義務なんだから、婆やたちの言うことをよく聞きなさいって。
いやよ! 小学校に行くとお姫様じゃなくなるんなら、絶対行かない!
お母様はダメ! って大きな声で言うの。今までそんなことしなかったのに。
悲しくて、泣いてしまったわ。
私が泣いているとお父様もお兄様も来てくれた。でも二人ともお母様と話すと、お母様と同じ事を言うの。
小学校に行くのは皆同じなんだから、我が儘を言うんじゃありませんって。
何で私が悪いことになってるの? 悪いのは私なの? お姫様は悪くないわ!
私の訴えを無視して、皆御飯を食べて、御風呂に入って、寝ようとするの。
私はベットの上でどうしようか悩んだの。このままじゃ、私はお姫様じゃなくなる。悪い人たちの思い通りになっちゃう。そんなこと、だめよ。
お姫様は幸せになるんだから!
そうしたら、お兄様が部屋に来てくれたの。
私は訴えたわ。このままじゃ私は不幸になるって。
「いいかい? 学校と言うのは、淑女になるために行くんだよ」
「お姫様じゃなきゃいや!」
「お姫様はね、まず淑女にならなきゃいけないんだ。だから、きちんと学校へ行って、淑女になって、いっぱい頑張ってようやく立派なお姫様になれるんだよ」
お兄様はそう言ったけど、じゃあ私はお姫様じゃないの? お姫様だって皆言っていたじゃない! 嘘ついたの?
お兄様は笑って、私は絶対にお姫様になれるから、きちんと学校へ行こう。行かなきゃお姫様にはなれないって言うの。
そんなのいや!
お兄様は今のままじゃお姫様にはなれないって言うから、私は学校に行くことをお兄様と約束したの。
だから次の日から嫌だけど婆やたちの話を聞くようにしたの。いじめられることは無かったわ。昨日抵抗したから皆あきらめたのね!
小学校は私と同じ年の男の子と女の子が六年間通って、一緒に勉強して、頑張って男の子は紳士に、女の子は淑女になれるようにするんだって。
お姫様になるには、まず淑女にならないとってお兄様も言ってたし、私、頑張る!
小学校に初めて通う日、私はお母様と一緒にお出掛けしたの。
そこには私と同じ制服を着た子たちがいっぱいいて驚いちゃった。
それでね、それでね! 私たちの同い年の子達の中に王子様がいるって言うの! すごい! お姫様の私に会いに来たのね!
そう喜んだのに、いつまでたっても王子様は来なかったの。式典が終わっても、小学校に通い始めても。
小学校に通ってから、私は悪い人たちにいじめられた。
教師って大人たちは御本を読ませるの。でもね、私がちゃんと読んだのに違うっていうの。あと、数字? 計算? 不思議な歌を歌うの。スッゴク眠くて、お昼寝したら怒られちゃうの。ひどい!
刺繍っていうのも淑女はできなきゃいけないって言ってたけど、なんでそんなことをするの? お花なんて花壇にいっぱいあるじゃない。お歌は私、お母様にお上手だって誉められたのに、大人たちは誉めてくれないの。失礼しちゃうわ!
帰ってからもお父様やお母様にその事をいったら、練習しようって。とってもお上手だって誉めてくれたのに!
やっぱり悪い人たちなのね。お姫様をいじめる悪い人たちなんだわ。絶対負けないんだから!
雨がずーっと降ってちょっと寒い時に、学校にいったら、靴を履き替える場所で男の子が立っていた。
淑女だから私は挨拶したの。そうしたらその子、返事もしないの。スッゴい失礼! だから注意したの。淑女は間違っている人には正しいことを教えてあげなきゃいけないんだから!
でもその男の子、まったく聞いてくれないの! ずーっと立ったままで、どこかを見てるの。
何を見てるのかと思って、見てる方を見たら、私より年上の女の子たちが雨に濡れた体を拭いていたの。
あんなの見て、何が楽しいのかしら。
授業の始まる鐘が鳴ったから、私は教室に急いだけど、あの男の子は……ま、いっか。
雨が降らなくなったら、今度はずーっとお日様が出て、いっつも暑くて嫌になっちゃう季節になった。
無くならないかなぁ。汗が拭いても拭いても出て来て、お洋服がすぐ濡れちゃうの。あと、お日様の下にずっといるとお肌が赤くなっちゃって、すっごく痛くなっちゃうの。
去年までは婆やたちがクリームを塗ってくれたし、お部屋に涼しい風が吹く道具を用意してくれたけど、小学校だとそれがないの!
教師はクリームを塗ってくれなくて、赤くなって痛くなっちゃったのが何回もあったし、教室は冷たい風じゃなくて温いの。もっと冷たくしてほしいのに、教師は体が冷えないようにって言うの。冷やしてよ! もう、婆やみたいなこと言うのね!
それだけでも嫌な気分になってるのに、もっと嫌なのが、テストっていうもの。
入学してから今まで勉強してきた内容をきちんと覚えているか確認するって言うけど、なんでそんなことするのかしら。教師は大人になるためには必要なものって言うのだけど、本当に?
テストは何枚かの紙に問題が書いてあって、答えを書く紙にきちんと書いていったわ。授業の種類毎にテストがあって、もう、すっごく疲れたの。
でも、テストが終わったら夏休みで、この季節はいっつも皆でお父様の領地に行くの。お父様の領地はここより涼しくて、過ごしやすくて、私とっても好き!
でも、夏休みに入る前にテストの結果が出たの。そうしたらお父様に怒られたの。
「キュスカ、何故、こんなことになった?」
「? なにが?」
「これを見なさい。名前は書いていないし、きちんとした答えを書くならともかく、何故花のようなものや動物のような絵を描いてあるんだ? それに、テストの時に歌を歌ったんだって?」
お父様は私のテストの結果が不満だったの。だから私いったの。全部のテストに大きなマルがついてるんだから、いいでしょって。
「これはマルじゃなくて、数字だ。ゼロ、つまり最低の評価。何一つ正解がない。お前は小学校でなにをしていたんだ」
キチンと勉強したわ! なのに、それが間違ってるなんて……そうだわ、教師たちが私のことをいじめてるのよ! 悪い大人たちはお姫様をいじめるんだから。
「いい加減にしないか! これはお前が何一つ勉強を覚えていない証拠だ。これでは、これからの学校生活で苦労するぞ」
お父様はお熱でもあるのかしら?
私が心配したのに、お父様ったら私に領地に行かずに屋敷で勉強しろっていったわ。何で!? 小学校じゃない場所で勉強しなきゃいけないの?
私の訴えを無視してお父様は部屋から出ていってしまったの。
そうしたら、本当に私だけ置いて、お母様もお兄様も領地へ行って、私だけ屋敷に残されたの。
ひどい! お父様も私をいじめるのね!? お母様も、お兄様も、信じていたのに、私をいじめるのね!
もう、誰も信じられない。
家族がいなくなった屋敷で、婆やが笑いながら勉強しろと言ってくる。他の使用人たちも同じ。皆揃って勉強、勉強、勉強!
なんなの、そんなに勉強が大事? 大人になるのに必要? じゃあ皆勉強したの? 本当に?
皆、笑ってる。私を見て、笑ってる。
お姫様をいじめる悪い人たちみたいに。ううん、悪い人たちそのもの。
私は怖くて、泣いてしまったわ。これから私は、いじめられるの。お父様たちがいないから、誰も止めてくれないから、お姫様はすっごくいじめられるの。
次の日から、それは始まったの。
朝起きると、使用人が部屋に入ってきて、着替えを手伝うの。夏休みだからって言ってたけど、絶対に私が逃げないように見張ってるんだわ。
朝食を食べるときも、使用人たちが私の周りにいたし。
朝食後はすぐに教育係っていう人が来たの。優しそうな人だったけど、お姫様をいじめる悪い人はそういう人が多いの。勉強が始まるとよくわかったわ。
教科書を読むと読み方が違うって言うし、問題を出されて答えれば違うって言うし、数字を書けばこう書くんだって書き直されるし、眠くなってきたら大きな声で起こされちゃうし。怖くて泣いたら淑女じゃないって言われちゃうし。
なんなの! なんでいじめられるの!? もうやだ!
私が逃げ出そうとすると使用人たちがすぐにやって来て私を押さえつけるの。皆、笑ってるのにすごい力なの。
「お嬢様、我が儘はいけませんよ」
「大丈夫ですよ、すぐに分かるようになりますから」
「難しいのは最初だけですよ」
もう、逃げられないように取り囲まれてしまって、私はしぶしぶ勉強するふりを続ける。
だって、私が答えると違うって言われるんだもん。
十の次は二十でしょ? ここはウオエー王国だし、お日様が昇るのはあっちじゃないの? お勉強つまんない。
お歌は怒られるし、絵を描けば怒られるし、もう、ほんといや。
お父様やお母様、お兄様は今頃楽しんでいるんだろうなー。いいなー。私も行きたかったなー。
また怒られた。
それから毎日毎日勉強勉強。
お外に遊びに行けるのはほんのちょっとだし、お部屋は涼しいけど、ずーっと座ってばっかり。教育係の話は眠くなるし、答えても違うって言うし、テスト出されて全部答えたのに怒られちゃうし。
物語のお姫様はこんな風に過ごしていたのね。すごいわ。でも、私もお姫様なんだもの。私だって頑張るわ!
夏休みがあと少しで終わっちゃう頃、お父様たちが帰って来た。
出迎えに行きたかったのに、教育係に止められちゃった。まだ勉強中だからって。もう、本当に意地悪な人!
勉強の時間がようやく終わって、お父様に会いに行ったら、お父様ったら私を怒るの。
お帰りなさい、お土産はなぁに? そう聞いたのに、お父様はお勉強のことばっかり。それも私のことを悪くいうのよ? 教育係の嘘を信じちゃってるの。
だから本当のことを教えてあげたの。
教育係は意地悪で、私のことをいじめるんだって。
そうしたらお父様ったら、机で寝ようとしちゃったのよ。寝るならベッドで寝るように言ってあげたら部屋に戻れって。
お父様も疲れちゃったのね!
夏休みが終わってから、私の生活はすごく変わってしまったわ。
学校の授業で教師たちは私ばっかりに問題を出して、違う、違うってそればっかり! 教科書に書いてあるのに覚えていないのかって。書いてあるなら聞かないでよ! 覚えろって言われても、こんなにある文字なんて無理だもん!
家に帰ったら今度は教育係が待ってて、またお勉強だって言うし。教育係も教師と同じことしか言わないのよ。覚えろって、だから無理! ちょっとでもいいって? じゃあいいじゃない。大人になったら覚えていて当然なの? 私子供だもん。それにこの御本をその時にみればいいじゃないの。
物語でもそうだったけど、お姫様をいじめる悪い人たちって同じ事をずっとやるのよね。
私はお姫様なんだもの。負けないわって言ってあげたの。そうすればいじめるのを諦めて逃げていくと思ったの。
そうしたら教師たちはもっとしつこくなったの。帰る時間に私を捕まえて、お勉強しなきゃ淑女になれないなんておどかしてきて、教科書のここからここまで覚えろ、ここも、そこもって命令して来るのよ。
お姫様になんてこと言うのよ。あなたなんて怖くないわ! いつか王子様が迎えに来てくれたら、あなたたちなんてオシオキしてあげちゃうんだから!
怖くなったんでしょうね。教師たちは逃げていったわ。ふふん、やっぱりお姫様は悪い人たちには負けないのよ。
気分よくお家に帰ってきたら、今度は教育係。
いつもと同じ覚えろ覚えろ。それしか言わないのよ。
だから言ったの。
お姫様は悪い人たちに負けないわ!
「いい加減になさい! お嬢様、今この範囲のことを覚えることができないと、これから先、とても大変な思いをなさいますよ! あの時、どうして勉強しなかったのか。どうして真面目に覚えなかったのかって!」
教育係が大きな声で怒り出したの。
『アンナフォリス物語』に出てくる意地悪令嬢そっくりで驚いちゃった。あの子は主人公のアンナフォリスに言い返されるとすぐに大きな声で怒るの。それで、すぐにどこかにいっちゃうの。でも教育係は出ていかないの。
なんで?
大人たちの意地悪に負けないように頑張っていたら、暑かったのが寒くなって、またテストがあって、冬休みが来たんだけど……。
「キュスカ……お前はいったい、学校で何をしているんだ」
「お父様ったら。学校は勉強するところでしょ? 皆そういってるじゃない」
「……だったら、なぜまたテストが零点ばっかりなんだ?」
「大人たち皆、私をいじめるの!」
「…………」
お父様は私の訴えを無視して、使用人に何か言うとお部屋から出ていっちゃったわ。
つまんないわ。もっとお父様とお話したかったのに。
お部屋に戻って『アンナフォリス物語』を婆やに読んでもらおうとしたら、ちょうど婆やが来た。
「婆や、あのね」
「お嬢様、お部屋でお勉強しましょう」
私はすぐに逃げようとしたの。
そうしたらいつの間にか他の使用人たちが私を捕まえてお部屋につれていかれたの。
そこには、教育係がいた。
また、勉強ばっかりの毎日が始まった。
「ウオメーおーこく」
「違います。リュオメン王国です。一言ずつしっかりと発してください」
私がきちんと言っているのに、違うって意地悪される。
「きゅー、じゅー、にじゅー」
「違います。十の次は十一です。二十は十九の後です」
一の後は二でしょ! あなたがそう教えたんじゃない!
「お日様は、あっち!」
「私は方角を聞いているのです。東、西、南、北、太陽が出るのはどちらですか?」
だから、あっちでしょ!
「違います」
「違います」
「違います」
「違います」
…………。
……………………。
………………………………。
「はい、正解です。良くできました」
気がつけば、私は小学校の第四学年になっていた。
学校に入って最初の冬に、私は悪人に屈してしまったの。悪人のしつこさに負けて、言うことを聞いてしまったの。
悪人は言うことを聞いた私を誉めた。
使用人たちも誉めた。お父様も、お母様も、お兄様も。学校の教師なんか泣いて喜んでいたわ。
当時の私は、それでもういいやって諦めたの。だって、どんな物語の主人公も結局、悪人の言うことを聞いているんだから。
言うことを聞いていれば、皆、優しくしてくれる。お父様は頭を撫でてくれたし、お母様も一緒に笑ってくれる。お兄様だって、私と遊んでくれる。
だから、これでいいんだって、そう思っていたのに。
「キュスカ、会うのは初めてだったね。僕の婚約者、モルニア・ハルテリー伯爵令嬢だ」
「初めまして、キュスカさん。モルニアです」
お兄様の隣で笑っていたのは、見覚えのない年上の女の人。
婚約者。お兄様はそう言った。婚約者とは結婚するものだって聞いた。お兄様は結婚するのだ。この人と。
そう理解した時、私は怖くなったの。
だって、結婚して女の人が家のなかに入り込むと、その人は皆の前ではいい人だけど、物語の主人公にだけはすっごい意地悪をするのだから。
お姫様をもっと不幸にする、悪人。
私は嫌だった。だって、今でさえ悪い人たちに敵わないのに、棒でぶったりされたくない。お洋服を燃やされたくない。家から追い出されたくない!
私はお兄様にお願いしたの。あんな女に騙されないでって。
そうしたら、お兄様に怒られたの。
「彼女はそんなことしない! それはお前の被害妄想だ。いつまでお姫様ごっこを続けるつもりだ!?」
お兄様は女の人を連れて去ってしまった。
いつも穏やかだったお兄様が豹変したのに驚いて、私はただ立ち尽くすことしかできなかったの。
それから少ししたある日から、学校である噂を聞いた。
キュスカ・マルべリック伯爵令嬢は意地悪。初めてあった人を悪人だと決めつける。近付けば悪人にされる。
今までも、話しかけてもすぐに何処かへ行ってしまっていたクラスメイトたちだったけど、そんな噂がたってからは私に近づかなくなった。
話しかけようとすると、逃げていく。御飯の時に一緒のテーブルにもつけない。放課後におしゃべりもできない。
皆が、私を避ける。
家に帰っても、それは変わらなかった。
あの女は良く家に来てお兄様を独占している。お兄様はあの日から私にあの女の話をよくするようになった。あの女がどれだけいい人なのか、聞きたくもないのにしつこく話す。
部屋に戻って鍵をかけて、耳を塞ぐ。そうしないといつまでもお兄様の声が聞こえてきて、眠れなくなるから。
お母様もあの女と仲が良くなったみたいで、よく一緒にお茶をしている。私も誘われるけれど、絶対に嫌。だって、お母様が席をはずしたらすぐに私をいじめるはずだ。
お父様は怒りっぽくなった。あの女と仲良くしろ、といつも言うの。私の姉になるのだから、と。
いじめられるのは嫌。絶対に嫌。だからあの女は嫌。
そういい続けていたら、いつに間にか何も言われなくなった。
小学校を卒業して、中学校に入ることになった。
この頃になると、家族は私のことよりお兄様とあの女のことばかり気にして、私のことなんてどうでもよくなった。だって、話しかけても相手してくれないんだもの。
婆やたちもそうだ。今まで見たことないくらい忙しそうに動き回っていて、話しかけても「はやく!」みたいな感じできちんと聞いてくれないの。
だから私、怒ったの! 皆がそういう態度なら私だってそうするって!
しばらくしてお母様が私に話しかけてきたけど、すぐに私は部屋に戻ったの。それでもしつこくついてきて、部屋にまで入ってきたから一生懸命追い出したけど、使用人たちも加わって連れ出されてしまったの。
「あなたのお兄様の結婚式が行われるのよ。あなたも出席するのだから……」
そう言われ、頭が真っ白になった。
だって、お兄様が結婚するって、あの女が家に住むって言うんだもの。
それは私を、お姫様を、いじめる悪人がずっと側にいることになるんだから。
その後のことはよく覚えてない。
気がついたら朝になってて、婆やに起こされていた。学校に行かなきゃいけない時間が迫っていたの。
中学校には正直行きたくない。
だって、皆が私を悪者にするんだもの。
私がお兄様の婚約者のあの女が嫌いと言ったら、クラスの子たちはあの女じゃなくて私の方が酷いって言うの。
そこで私は分かったの。これは全部あの女のせいなんだって。
お姫様をいじめる悪者は、お姫様以外の人たちを味方にして、お姫様をいじめるのがいつものやり方なんだから。あの女はそうしたに違いないわ。
私は胸を張って皆を説得したけど、ダメだった。
皆、私の話を聞いてくれなくて、私のことを悪い子だって言って、私から逃げていくの。
家でもそう。学校のことを他の家の人から聞いたお父様たちに怒られたの。
変なことを言うな。お前は何を考えているんだ。いい加減にしろ。もうお前は黙っていろ。
……どうして皆分かってくれないんだろう。
家に居づらくて、学校でも落ち着かなくて、私は休み時間になると学校の裏庭に行くようになった。
一人は寂しくて悲しいけど、教室にいても皆私を無視するから寂しいことには変わらない。
そう思うと、涙が出てきちゃう。
一生懸命泣くのを我慢してたら、誰かが来た。
そっちを見ると、まるで物語に出てくる王子様みたいな、すごく格好いい男の子がいた。
金色の髪の毛は日陰でも綺麗に光っていて、他の子たちと同じ制服なのにパーティーで着るようなタキシードに見えた。
「初めまして、レディ。私の名はインゼル・ヒュイス・リュオメン。この国の王子だ。君の名を聞かせてくれないか?」
私、すっごく驚いちゃった。
だって、王子様だよ? 本物の王子様だよ? みたいな、じゃなくて本物なんだもの!
「こんなこと、信じられない」
私は、思わず呟いていた。
◇◇◇◇◇
あの日、インゼルと出会ってから私の人生は変わったの。
インゼルは私の話をキチンと聞いてくれたわ。皆すぐにどこかへ行ってしまうけど、彼はしっかりと相づちをしてくれて、私を慰めてくれた。
彼は私のクラスへ行ってすぐにいじめを止めるように言ってくれたの。
皆も驚いていたけど、さすが王子様だよね! それから皆私とお話ししてくれるようになったわ! うれしくてついお話しすぎちゃうんだけど、皆きちんと聞いてくれるの。でもね、あんまり時間を気にしないでいるとインゼルが焼きもち妬いて私を迎えにくるの。ごめんね。でも私はお姫様なんだから、王子様の隣にずっといるわ!
彼のお陰で家族とも仲直りできたわ。お兄様はあの女と結婚してしまったけど、王子様と出会った私にはあの女も手を出せない。だって王子様なんだもの。これでいじめられる心配はなくなって安心したの。
それからはもう最高に幸せで、インゼルと一緒にいる時間はあっという間に過ぎていく。でも目を閉じれば全部はっきりと思い出せるわ!
今までの事は私が幸せになるために必要な出来事だったんだわ。
中学校最高学年になるまで、そう思っていたのに。
インゼルがすごく悲しそうな顔をしていて、私、勇気を振り絞って聞いてみたの。
そうしたら、彼に婚約話が持ち上がったって。
政略結婚で、インゼルでもどうにもならないって。
ああ、可哀想なインゼル。
王様は酷すぎるわ。愛し合う私たちを引き裂くなんて!
でもね、インゼルは私のことを愛していて、私も彼を愛してる。愛し合う二人は……ウフフ、恥ずかしい!
私たちが結ばれてから少しして、大臣の娘って子が彼の婚約者だって聞かされた。
「キュスカ。私を信じていてくれ。絶対になんとかするから」
うん、信じてる。インゼルは王子様なんだから!
でも、やっぱり寂しいわ。時々、大臣の娘と嫌々会わなきゃいけないインゼル。本当なら私との時間なのに。大切な時間が、愛する二人を邪魔する悪人に奪われるなんて……。
ああ、何人いるのかしら。あとどれだけ悪人を見れば王子様と幸せになれるのかしら。
私、高校に入れるなんて思ってなかった。
だってお父様ったら、私の婚約者を探してて、中学校を卒業したら知らない男の人のお嫁さんになれって言うのよ?
私、インゼルに言ったの。絶対にいやだって。インゼル以外の人じゃ嫌って。
そうしたらインゼルがお父様を説得してくれたの! 素敵だったわ。お父様ったらすごく慌てて、ちょっと格好悪かったわ。
私とインゼルは愛し合ってて、誰も引き離せないの。当たり前のことを皆分かっていなくてちょっとだけ嫌になったけど、私の婚約者探しは無くなって、高校にはそのまま進学できたわ。
試験? インゼルがしなくていいって言ってくれたからしてないわ。
高校じゃインゼルがしっこうかい? とかいう集まりに行ってしまったけど、すぐに自分の部屋を用意していたの。そうしたら、そこで私とずっと一緒だって言ってくれて! 幸せすぎて困っちゃう~!
高校って、いい場所ね!
いっぱい、い~っぱいインゼルと一緒にいられるんだから!
でもね、楽しい時間があっという間に過ぎて、もう高校も最後の一年っていう時にあの悪者が現れたの。
大臣の娘。とっても失礼な子!
インゼルと一緒にいる私のことも知らないし、自分の名前も言わないとっても嫌なやつ!
でもインゼルに怒られてすぐに逃げていったわ。いい気味ね!
あんな子には絶対に負けないわ!
……なんて思ってたのに、あの子、捕まっちゃった。
すっごく嬉しそうなインゼルから教えてもらったんだけど、お城の宝物庫に盗みに入ったんだって。
大人しそうな顔ですっごい悪い人だったんだ。怖い。
でもでも、これでインゼルはあの女と会う必要が無くなって、ずっと私といられるって言ってくれたの!
ああ、お姫様はやっぱり王子様と結ばれるのね! これは運命だったの。こうなることは絶対に決まっていたの。
だって私はお姫様なんだから! 王子様が私を救って、二人はずっとずっと幸せに暮らすの。
なのに、大臣の娘が捕まってからしばらくして、インゼルが学校に来なくなったの。
私、心配で心配で、クラスの子たちに聞いてみたの。高校に入ってからほとんど話したことのない子たちだったけど、そんなことは気にしないわ。
「知らない」
「あなたの方が知っているのでは?」
「そんなの知るわけないでしょ?」
「自分で聞け」
皆、すっごく冷たかったの。
インゼルと一緒にいた時は皆黙ってお辞儀してたじゃない。お姫様には礼儀を尽くすのが当たり前なんじゃないの? なんで!?
「お前、バカか? 王太子殿下がいなければ、たかが伯爵令嬢のお前なんぞに礼などするか」
「勘違いするな。同じ伯爵家でも格は私の家の方が圧倒的に上だ。そんなことすらわからぬか」
「ああ嫌だ。耳障りな羽虫が飛んでいるわ」
「行きましょう。ここは空気が悪うございます」
なんなの? なんでみんなそんなこと言うの?
インゼルがいないから? 私は? 皆、インゼルがいたから私に礼してくれたの? じゃあ私は?
「ねぇ! なんでそんなこと言うの?
私はお姫様なんだよ? ひどいことする人はインゼルに言ってオシオキしてもらうんだからね!」
叫んでも、誰も答えない。
皆、私から離れてく。
なによ……なんなのよ? インゼルがいないとダメなの?
私を無視しないで! お姫様をいじめる人は牢屋行きなのよ!? わかってるの? ねぇってば!
どんなに説得しても、聞いてくれない。
「なんで……どうして……こんなこと、信じられない!」
登場人物
キュスカ・マルべリック
お姫様であることに執着する少女。
王子
中身を知っている人間からすれば「誰だお前!?」と叫ばれそうなほどイケメン補正がかかっている。
マルべリック伯爵一家
娘を可愛がっていたら手がつけられなくなった挙げ句、婚約者のいる王子を恋人として連れてこられたせいで心労がマッハ。
大臣の娘。
勝手に悪役にされ、居なくなって喜ばれる不遇の少女。
某傭兵団に拠点で穏やかに庶民生活満喫中。
教師・教育係たち。
心労で頭髪が消えた方々。