0003 否定と欲求
ふと立ち止まって空を仰ぐと暗雲が立ち込めていた。暗くなった街は、こんな世界になって元々どんよりしていたのも合わさって葬式でもしているかのような雰囲気になっている。
「……暗ぇな、おい」
勘弁して欲しい。どいつもこいつも、今にも死にそうな顔をしやがって。俺だって自分の気持ちを誤魔化すので精一杯なのに。
心の中で【接続】と呟き、見月の顔を思い浮かべる。
《あー、繋がってんのかこれ?》
《繋がってるわよ》
どうやら成功したらしい。念話、超能力におけるテレパシー。これも女神さまが革命と同時に人間に付与したものである。この世界で今のところ唯一の連絡手段だ。
《見つかったの?》
《いや……というか、多分、もう、この街にはいないんじゃねぇか?》
《そう、ね……》
茜を探し始めてかれこれ三時間。セーフティゾーン内をある程度探したが、茜は見つかっていない。見月に背負われていたことを考えると、それほど足が速いとは思えないし、街を出たと考えるのが自然だろう。
《とりあえず、武器屋に集合しよう》
《了解》
念話を終了し、武器屋へと向かう。さほど距離はなかったため数分で到着すると、ぽつりと鼻先に雫が当たった。
「入って待ってるか……」
木製の扉を開くと、からんころんと取り付けられていた鈴が鳴った。二度目のそれに特に反応することもなく、店内へ足を踏み入れる。
「いらっしゃいませっ!」
キャラメル色の毛をふわふわと揺らして、満面の笑みで店主が出迎えてくれた。頭部から生えた犬耳がぱたぱたと忙しなく動き、それに同調するように尻尾もぶんぶんと振られている。
何度見ても目を疑うが、これ、本物なんだよな……。じっと見ていると、犬耳お姉さんは恥ずかしそうに耳を隠す。端的に言って、かわいい。
「さーせん……」
なんだか気まずくなって謝罪を述べると、お姉さんはきょとんとした後にくすりと笑う。
「いえ、慣れていますので! ちょっと情熱的な視線だったので隠してしまいましたが……」
ぽっと頬を赤らめる。やめて! 情熱的とか言わないで! 恥ずかしい!
「ところで、本日はどういったご用件でしょうかっ?」
スイッチを切り替えるように営業スマイルを全開にしたお姉さんに感心しながら問いに答える。
「ランクがBに上がったので、武器を買い替えようかと」
「もう上がったのですか!?」
「え、はい」
とても驚かれてしまった。まさか、俺が初なのだろうか。いやでも、茜ですらあの時点でレベル9。あれから三時間が経ってる今、そんなに少ないとは思えないが。
「ああ……狩場にこもってるんじゃないですかね、他の方は」
「こもるって……戦いとは無縁の生活を送っていらしたのでは……」
「どこの女神になにを訊いたのかは知りませんけど、別に無縁ってことはないですよ」
日本に関してはかなり平和だったと言えるが、そういう設定のアニメや漫画は珍しくない。ダメージ無効なら、今のうちに出来る限りレベルを上げておこうと考えるのはおかしなことじゃないだろう。
外でもそれなりに人と遭遇したし。まあ、ほとんどが若者だったが。
「そう、ですか……でも、いくらなんでも順応が早過ぎでは」
「そんなもんですよ。特にこの国、周りの意見が自分の意見、みたいなとこありますし」
グループで行動してる者も多かった。恐らくは学校でのグループそのままだろう。その中には嫌そうな顔をしているやつもいたが、一人で生きていくには世界は変わり過ぎた。
「なるほど……」
神妙な顔で頷く。今更だけど立場逆じゃないか、これ。武器屋や飲食店、ギルドは女神さま運営の施設なんだから、俺が質問してお姉さんが答えるという構図が普通なのでは。
まあいいか、特に聞きたいこともない。ある程度は身体に埋め込まれたクリスタルというアイテムから閲覧出来るヘルプで把握済みだし。
「それで……新しい武器、でしたね。刀でよろしいでしょうか?」
「はい」
答えると同時、背後の扉が開く。入ってきたのは見月だった。彼女は店に入るなり、空間からタオルを取り出して濡れた髪を拭う。その間に鎖骨の辺りに溜まっていた水滴が胸元に吸い込まれていった。なにこれ、えっろ!
「びしょ濡れよ……」
「……らしいな」
俺と同じローブを羽織っていたが、それを躊躇なく脱ぐ。ローブは元々なかったかのように掻き消えた。クリスタルの収納機能だろう。ちなみに念話もクリスタルの機能だったりする。
俺が一人いるよりも役に立つ。それがクリスタル。分かりやすいけど泣きたくなる。
黒いタンクトップにボロいズボンという目のやり場に困る姿になった見月はふぅと一段落したしたように息を吐いて、俺へと顔を向ける。
「……そんなに見てて愉快な格好かしら?」
「いや……背徳感すごい。なんか意図せず同級生の着替えを見ちゃったみたいな……」
堂々としている。羞恥心はないのだろうか……まさか男として見られてない? うわなにそれ、つっら。
「興奮する?」
「余裕で」
「少しは隠しなさいよ……」
呆れたように言いながら頬を染める。よし、勝った。
謎の優越感に浸りながら、改めてケモ耳に話しかける。
「ランクBの一番高い刀をください」
「私は銃を二丁」
「二丁拳銃? あれってフィクションの産物じゃねぇの?」
拳銃は実際に撃つと相当な衝撃がある。とても片手でバンバン打てるものじゃない。エアガンじゃあるまいし。
「反動がないのよ、この銃。魔力が弾になるから装填の必要もないし」
「なるほど……魔力が尽きたら使えないわけか」
メリットが大きくなる代わりにデメリットも大きくなっている。下手をすれば戦闘中に武器がなくなるということもありうるだろうし。
魔力、MPと呼ばれるそれは魔法を使うのに必要なものだ。HPも当たり前のようにあって、女神さま降臨時にそのことについて触れていたのだが、『ニュアンスで分かれ』とかひどいことを言っていた。
ニュアンスで分かれって、そりゃあねぇよ……俺はなんとなく分かるからいいけど。
「お待たせしました!」
しばらくするとそれぞれの武器を持ったお姉さんがやってくる。Bランク昇格云々でギルドから金を貰っていたのもあり、余裕を持って支払いを済ませ武器屋を出る。
ざあざあと降り注ぐ雨に一瞬で服が重くなる。ローブを脱いでタンクトップ一枚になると、見月が声を掛けてきた。
「防具も替えてく?」
「いや……ダメージ無効だし、いいだろ。あんまり時間を掛けて本格的に見失っても困る」
「……本当に探しに行くの?」
その問いに疑問を覚える。飲食店にいた頃は結構ノリ気だったと思うのだが……今になってどうして。
「なにか問題でも?」
「……少し、考えてみたのよ」
なんとなく言いづらそうに、見月は言葉を続ける。
「あの子の言ってた台詞。……誰かといると、その誰かが危険になるっていう」
「ああ、あれね……」
今思い返してもにわかには信じがたい。が、真実だと考えてはいる。本当にただの偶然が重なっているという可能性はあるし、そちらのほうが信憑性があるけれど、茜にとってはそれが真実なのだろうから。
「それを本当に事実だと仮定すると、私たちがいないほうが、あの子……茜にとってはいいことなのではないのかしら。だって、一人でいれば危険にはならない、ということでしょう?」
「なるほど……誰かといるとってのは、文字通りそのままの意味ってことか」
「ええ……」
確かにそれならずっと一人でいたほうが、彼女にとって心が安らぐのかもしれない。けれど、それは、イコールで彼女がそれを望んでいる、ということにはならないだろう。
「自分が誰かと一緒にいるのはいけないことだとあいつは言ってた」
泣きながら、そう言っていた。関わらないで欲しい、親しくしないで欲しい、助けないで欲しいと確かにそう言ってた。その言葉はしっかりと覚えている。
「でも、それは、あいつの否定の言葉全てが、俺には『一緒にいたい』という意味にしか聴こえなかった。誰かと関わりたい、親しくしたい、助けて欲しい。そう言ってるようにしか見えなかった。それは、事実だろ」
いつからそうだったのだろう。あいつは、如月茜はいつから一人だったのだろうか。考えてしまう。その孤独を。
彼女の笑顔はとても人が嫌いな人間の出来る表情じゃない。彼女は間違いなく誰かと笑い合うのが、一緒にいるのが好きな人間だ。
それを殺して誰とも関わってこなかったのだろう、と考えると、ぞっとする。とても14歳の少女の耐えられる孤独ではない。俺だって、そんなのに耐えられる気がしない。
「あいつが、心の中で誰かと一緒にいることを望んでいるのなら、俺は行くよ」
「……それはあなたの予想でしかないわ。エゴよ」
言われて頷いてしまう。その通りだろう。これはエゴだ。でも、それでいい。
「エゴでいい。誰かのためになにかを出来るような人間じゃない。だから、俺は俺のために茜を仲間にしたい。あいつの近くにいたい。あいつを一人にしたくない」
それは自分が一人になりたくないだけなのかもしれない。沢山の人間をそばに置いて、自分は一人じゃないんだと安心したいだけなのかもしれない。
「いいよ、それで。それが俺のしたいことだから。やりたいことをやってるのが、一番性に合ってるから。だから——」
いつだったか、こんな言葉を誰かに言った気がする。相手を見て言ったわけじゃないから、その姿は分からない。言葉が返ってきたわけじゃないから、その声も分からない。
それでも、ただ静かに聞いていたあいつと、目の前の女の姿が重なった。その心地よさに昔からの友人と話しているような気分になる。
「——探しに行くぞ。如月茜を」
「あら、拒否権がないのね」
「欲しいか?」
返ってくる言葉を予想しながら言うと、見月は微笑んで予想通りに、
「いらないわ。仕方ないから、エゴイストに着いて行ってあげる。行きましょう」
力強く地を蹴った音が、一瞬、雨音を掻き消した気がした。