0001 逃走と勧誘
緑色の体色をした人型の化物が光の粒子へと変わり、左胸に吸い込まれていく。
「なるほど……」
手の震えはおさまっていた。血とかは出るものの、倒すとそれも含めて光になってしまうのなら精神的負担は少ない。
振り向くと、遠方に瓦礫の山が見えた。その奥には日本らしくない建物が立ち並んでいる。西洋風——いや、ここはRPG風、と言ったほうが正しいか。
『この世界の理を科学から魔法へと変える。ファンタジー、と言えば分かりやすいか?』
そんなことを言った彼女は、実際にそれを実現してみせた。神がいるのなら、あれが神なのだろう。妾が神だ、というようなことを言っていた気もするし。
動機が『暇なんだよ、神って』とのことなので、あまり認めたくないのだが。
ともあれ、これが実現したということはあの言葉にも信憑性が帯びてくる。
『——ゲームをしよう。なに、難しい話じゃない。妾を倒せれば諸君らの勝ち。討伐に参加した者全ての願いをどんなものでも一人一つだけ叶えよう。諸君らが負けるのは諸君らが死んだときだ。イージーモードだろう?』
笑わせる。なにがイージーモードだ。こんなことをするやつに勝てる気がしない。ある程度ハンディはつけるのかもしれないが、だとしてもあれを倒すとかぶっちゃけ現実的じゃねぇだろ。
「……倒してぇなぁ」
現実的ではない。そう感じるのはもちろん本音だけれど、それでもやっぱり、倒したくなってしまう。それはきっと、それがなによりの証明になるからだ。自分が一番なのだという、証明に。
あの女神さまを除けばいくらか現実味はある。今、この世界には俺みたいな能なしでも努力次第で頂点に立てる可能性があるのだ。
「行くか」
決意を固めるように呟いて、歩みを進めた。
× × × ×
数時間後のことである。
「なんだこれっ! なんだよこれぇっ! はぁっ——はぁっ! お前、どうなってんだよ、これ!!」
並走する黒髪の女に問い掛けると、女は顔を前に向けたまま叫ぶ。
「知らないわよっ‼︎ 私だってっ、巻き込まれた側、なのだからっ!」
キレ気味に言われ、思わず口をつぐんでしまった。なにこの人怖い。ちらと視線だけ向けると、その背には茶髪の女の子が背負われている。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「黙ってて!」
「はいぃっ!!」
これ以上なにかを言えば本気でキレられそうだった。仕方なく走ることに集中する。
背後から大量の足音が迫ってきていた。あまりの数に、地面が揺れているような気すらする。なにを、どうしたら、こうなんだよ。
「どこまで逃げりゃいいんだよ、くそ!」
「セーフティゾーンまで頑張って!」
「セーフティゾーンって……っ」
確かに魔物が入って来れない領域であるセーフティゾーンにまで行けば、俺たちを追う大量の魔物とはおさらば出来る。しかし、そう簡単な話でもない。
「どれだけ距離あると思ってんだよ! もたねぇぞ!」
このまま全力で走り続けたって十分以上は絶対にかかる。そんな長時間を全力疾走出来るはずがないので、遅かれ早かれ追いつかれるだろう。
「死ぬ気で逃げなさいっ! 男の子でしょう!?」
「んな理不尽な……っ」
前方を確認してから振り向けば僅か数メートル後ろに人型の魔物が迫っている。ゲーム序盤の雑魚敵として有名なゴブリンだが、その数が尋常じゃない。
「ああっ、くそっ! やってられねぇ!」
そのまま身体ごと後ろへ向き直り、懐に携えた刀の柄を握った。
「なにをっ——」
「今はダメージ無効だ! 俺が時間を稼ぐっ! あとで助けに来てくれ!」
チュートリアル期間。突然の世界革命に設けられたそれは、一週間ダメージが無効になる準備期間である。
無言で走り去っていくのを耳で確認しながら、突っ込んで来るゴブリン数体を切り裂く。そのまま踏み込んで、消えていくゴブリンたちの奥にいた魔物へと刀を振るった。
そこでようやく状況を理解したのか、後続が足を止める。が電車のように長く連なる魔物の群れだ。前方の状況など分かるはずもなく、止まった魔物の背へとその身体をぶつけた。
圧巻のドミノ倒し。一気に視界がひらけ、五十メートルほど先まで続くその数に少し手が震えた。
呆気に取られている場合ではない。近くでこけた魔物を次々と殺していく。全体の一割、十数体を倒した頃には、すでに魔物たちは身体を起こして俺を包囲していた。
「はは……いい経験値稼ぎになりそうだ」
足止めは成功した。また別の魔物をトレインしたりしていない限りは無事にセーフティゾーンまで辿り着けるだろう。……早く助けに来てくれ、まじで。
泣きそうになりながら、魔物へと斬りかかった。
× × × ×
それから、どのくらい経っただろうか。おそらく、それほど時間は経っていないと思うが、いかんせん疲労感が凄まじく、半日くらい経過したような気分だ。
腹に突き刺した刀を抜き、あたりを睥睨する。
「……あと、十二体」
蛇に睨まれた蛙のように固まる魔物の首を容赦なく斬り落とす。
【アビリティ:殺気Lv.1を習得しました】
あの神と同じような声が脳内に響く。さっきからレベルアップがどうの、アビリティがどうのとうるさい。確認している暇もないので、無視して戦闘を続行する。
魔物は棒立ちもいいところだった。疲労からふらつく身体を足でしっかりと支えて刀を振り続ける。ようやく最後の一体を倒し、光の粒子が胸に吸い込まれれた。それと同時に、またしても声が響く。
【称号:一騎当千を獲得しました】
どかっとその場に座り込み、身体を倒して天を仰ぐ。現在位置が山の中腹だからか、空が近く感じる。
「だりぃ……」
ものすごく疲れた。力が入らず、そのままのんびりと流れる雲を見ていると、耳に地を蹴る音が届いた。その音の主は俺の横に着くなり膝を着いて顔を覗き込んでくる。焦っているのか、表情は険しい。
「だ、大丈夫っ!? どこか怪我をしたのっ!? びょっ、病院にっ!」
「お、落ち着け落ち着け。病院ねぇだろ、この世界。疲れただけだから……」
俺の言葉に彼女はほっと息を吐いたが、しかし、尚も心配そうに見つめてくる。ち、近い、恥ずかしいんですけど……。なにこれ、頑張ったご褒美かな? なら、大人しく受け入れよう。
「……美人だな」
「へっ? あ、え、わ、私のことっ?」
頬を染めて自分を指差す彼女に頷きを返す。女神さまのように整い過ぎたそれじゃない。自然な美形だ。美貌と言い換えてもいい。
「二重まぶたにぱっちりとした瞳、長い睫毛、筋の通った鼻に形のいい顎。肌とかめっちゃ白いし、女優も顔負けだろ。文字通り」
「そ、そそ、そんな褒めてもなにも出ないわよっ……! どうして急に、そんな」
「だって、お前しか見えねぇんだもん」
答えると、ただでさえ赤かった顔が茹でダコのように耳まで真っ赤に染まる。なにを勘違いしてるのか知らないが、本当に彼女しか見えないのだ。顔が近過ぎて、彼女の顔が視界を埋めている。
別に嫌というわけではない。むしろ嬉しい。なんかいい匂いするし。なんならもっと密着してくれてもいいんですよ? ウェルカム。
「わ、私も、その、雪のことは嫌いではないけれど! 私にも、心の準備とか! そういうのがあって!」
「え、なんで俺の名前知ってんの……」
はっとして口を押さえる。が、出てしまった言葉はもう戻らない。さーっと青ざめていく彼女の表情を見るに、なにか良からぬことでも考えていたのだろうかと勘繰ってしまう。
「……黙られると、ちょっと怖いんだけど」
現状、彼女は俺の両脇に手をつくという姿勢を取っている。見ようによっては床ドン、つまり俺が押し倒されているようにも見えるだろう。
体力は回復してきたので全く抵抗出来ないということはないが、相手は中学生女子を背負ってダッシュ出来る人間だ。情けない話だが、まったく勝てる気がしない。
「……す、すとーかー」
「——違うわよっ! そんなんじゃなくて! その、何度か、会ったことがあるの。あなたは覚えていないかもしれないけれど……」
唇を噛み、寂しそうに目を伏せる。そんな仕草も絵になるのだから、隙のない美人である。だからこそ、信じられない。
彼女のことなんてこれっぽっちも記憶にないのだ。こんな美人と出会ったら、嫌でも忘れることはないと思うのだが……。
ううん、と悩んでいると、彼女はゆっくりと俺の上から退き、脇に腰を下ろす。
「……別に、信じなくてもいいわ」
「いいのか?」
「いいわよ……自分の知らない誰かが自分のことを知っているだなんて、そんなの、気持ち悪いに決まっているもの」
なにもそこまで言わなくても。俺の名前を知っている人間なんて、俺が把握している以上にいて当然だろうし。確かに少し不気味ではあるけれど、なんというか、やっぱりかわいい子とはお近付きになりたいのが男の子。欲塗れですみません。
「俺としては、こんな美人に知ってもらえてるなら、例えストーカーだったとしても大歓迎なんだが」
身体を起こしてへらへらと笑ってみせるも、彼女の表情は変わらない。
「いつもそうやって、女性を口説いているの?」
それどころか、妙な勘違いまでされる始末。ちょっとその目やめてくれません? ぞくぞくするんですけど。
「口説いてねぇよ、失礼なやつだな……俺は事実を述べてるだけだ。口説かれてくれるのならそれも悪くないが。いや、むしろ、とてもいい」
是非、口説かれてください。お願いします。土下座も厭わないよ、嘘だよ。……うーん、あまりの急展開に思考が頭おかしいやつになってんな、これ。
「……私のことが好きなの?」
「嫌いじゃないな、かわいいし」
「容姿の問題なの……?」
「いや、だって容姿しか知らないし、仕方ないね」
どうしようもないだろ、そんなの。さっき会ったばっかだよ、容姿以外どこで判断すんだよ。
「名前も知らない相手によくそんなことが言えるわね……」
「名前なんてただの記号だろうが、そんなもんで人を測れるのなら地球はもっと平和な星になってたと思うが?」
「……性格だって知らないじゃない」
「よく分からないな。そもそも性格なんてころころ変わるもんだろうが、どうせ全てを知り尽くせないのなら一を知ろうが、二を知ろうが変わらない。どうしてわざわざ規制する。条件をつける。お前さては友達いないな?」
「余計なお世話よ!」
「すみませんでした!」
こっわ。めっちゃ睨まれたんですけど……こいつ絶対友達いねぇよ、間違いない。
「……友達なんて、いたところでなんの得になるのよ。煩わしいだけじゃない」
「ああ、なるほど。いるよな、損得で考えるやつ。自分が友達いないから、デメリットを提示して逃げるんだ。いるいる。むしろこの世界——っていうより元の世界か? 合理的に生きるなら友達はいた方がメリットあんのに」
「……っ」
意図せず虐めてるような雰囲気になってしまった。いやでも……うん、どう考えても俺が悪いね。
「別に責めてるわけじゃねぇよ。友達に重要性を感じなくても、それは個人の自由だからな。どうでもいい。ああ、どうでもいいよ、そういうの」
どうでもいい。話がずれている。友達がどうのこうのなんて今話すべきことじゃない。そんな終わらない論争はドブにでも捨てておけ。
「俺は誰と仲良くするとか、こいつが好きとかこいつが嫌いとか、そういうのは感覚派なんだ。俺が思って、俺のしたいようにする。俺がお前に言いたいのはそういうことなんだよ。信じる信じない、知ってる知らないはぶっちゃけそこまで気にしてない」
「なら、なにを——」
「俺とチームを組まないか?」
彼女の言葉を遮って提案すると、彼女は間の抜けた声を漏らした。
「気が合う気がするんだ。そう、気がするだけ。理由なんてそれだけで充分なんだよ」
うまく言葉に出来ないのか、なにかを言いたそうにしながらも口を開かない彼女に、俺は言葉を続けた。
「もう一度言おうか。——俺とチームを組まないか?」
それが俺と彼女の出会いだった。