第86話 救出
オークが腕を伸ばす。
服に引っかかりそうになって、追い詰められたその時。
どこからか氷の魔法が飛んできた。
「な、なに!?」
ノーナは突然の出来事に理解が追い付かない。
何故なら、死に物狂いでオークから逃れようと走っていたら、目の前に氷の槍がものすごい勢いで飛んできて、後ろを追ってきていたオークに突き刺さったのだ。
そんなことが偶然起こりうる訳も無い。
現実を受け止めきれないノーナを他所に、オークの前に一人の人間が立ちふさがった。
「ど、龍人族……!? どうしてこんなところに……」
「いや、アンタを助けるためだろうが」
ノーナの疑問に後ろから知らない人間が現れると、バッサリと切り捨てるかのように答えた。
慌てて後ろを振り返るとその男は想像よりも年若く、一瞬幻覚を疑った。
というのも、革鎧の上に黒いコートを身に纏っている様子から、先程の氷の魔法を放った張本人だと直感したものの、明らかに若すぎる姿とこの状況に慌てることなく堂々としている姿が全くと言っていいほど一致しなかったからだ。
もしかして自分より年下なのではないかという疑問も芽生えたものの、ノーナは現状を考えて心の奥底に仕舞った。
「あ、アンタたちは冒険者、なの……?」
その代わりに次の疑問が浮かんできた。
目の前にいる龍人族と人間の男が実在するとして、ふと、どういう存在なのか気になったのだ。
「逆にそれ以外何に見えるんだよ」
質問に対し、不愛想に男は答える。
そう言われてしまうとノーナは何も言い返せなかったが、同時にその返答が冒険者であることの信憑性を上げさせた。
「あの……なんで助けてくれるの……?」
「悪いけど、それ以上の質問は後にしてくれ」
男が質問を遮り、私の前に出ると腰から剣を抜いた。
(えっ、剣……?)
魔法を使うのではないのか。
どうして剣を抜いたのか。
そもそも剣を使えるのか。
疑問ばかりが溢れ出るが、それを今すぐ解消してくれる人はいない。
何故なら、あれほど恐ろしかったオークを龍人族が赤子の手をひねるように蹴散らしており、目の前の魔法使いは無言で剣を構えている。
そうして観察していると、こっそりとここから逃げた方が良いのではないかという思いがノーナの頭に浮かぶ。
しかし――
(何が起きてるのか分からないけど、命からがら助かったんだ。それにどうしてかトレジャーハンターとしての勘が囁いている! これはチャンスだと!)
何のチャンスかは分からないが、ノーナのトレジャーハンターとして積み重ねて来た経験がここから逃げるよりも、多少危険があってもここに居た方が良いと直感が疼くのだ。
(だから、とりあえずこの男の後ろにいよう……)
ノーナは自身の直感に従い、安全な場所で傍観する事を決めた。
──☆──★──☆──
五階層で女の叫び声を聞き、向かった先でオークに追われている女が声の主なのだとすぐに気付いた。
駆け付けたユートとアギトはアイコンタクトで、戦闘と救出の二手に分かれ対応した。
アギトは戦えることに喜びを感じているのでいいとして、ユートは戦闘を俯瞰しながらいつでも戦いに参加できるよう心構えをしていた。
だというのに、後ろで質問ばかりしてくる女のせいで気が散るなと思うものの、言葉に出さないだけの分別はあった。
何故なら、オークに襲われた女というのを初めて見たため、どれくらい怖かったのか、そして怯えているのかが分からないので無碍に扱えなかったのだ。
とはいえ、服装が乱れていないため最悪の事態は防げたようなので、そろそろ面倒くさ――離れても問題ないだろうと強制的に質問を打ち切り、戦闘に集中する。
不躾に質問してくるくらいの元気があるのなら、相手をしなくても大丈夫だろうと結論付けての事だ。
それに一人でダンジョンに潜っているようには思えないので、もしかしたら他のパーティーメンバーは手遅れの可能性があり、不要な質問をしてしまいそうなので自分から離れたという意味もあった。
そうして剣を抜き、周囲を警戒している風に見せていると、上に随分とデカい蝶(?)がいる事に気付いた。
上を見上げていなかったら奇襲されていたことだろうそいつを、一応【鑑定】で確かめてみると魔物と出たので容赦なく攻撃することにした。
――たまには違う魔法も使うか。
「【散水】」
目の前に水で出来たビー玉のようなものを五、十、二十と次々と数を増やしていき生み出す。
そしてそれを一斉斉射すると無数の弾丸が空へ放たれた。
イエローモスと呼ばれる魔物は何かが向かってくるのを確認すると上昇しようとするが、百近くまで増えた水の玉に攻撃されて墜落する。
たかが水とはいえ、それが百以上になれば避けられるはずもなく、面制圧により綺麗な羽が金魚すくいのポイのように穴だらけになる。
そしてそこに石を生成する【石礫】の魔法を放ち、止めを刺した。
イエローモスは飛べなくなったため、避けることも出来ずもがきながら潰されたのだ。
「あ、グッチャグチャじゃん……」
練習でしか使わない魔法だったため、素材の事が頭から抜けていた。
いつもと違う事をすると大体失敗するといういい例である。
「ユート!」
「ん?」
アギトが呼ぶ声がする。
前を向くと、オークがこっちに向かって走ってきてた。
「すまぬ! そっちに行ったぞ!」
「ちょ、お前、言うの遅いだろ!?」
突然の出来事で魔法の準備すらできていない。
――こうなったら、剣を強化して……いや、やっぱり壁!
咄嗟に剣を体の前に翳し防御の姿勢を取りながら、焦りのあまり、そう胸の中で言葉を口にする。
すると、手を伸ばすほどの彼我の距離になった時、ユートとオークの間に氷の壁が生み出される。
オークは突然の壁の出現に止まることが出来ず、突進の威力を自らの体でもって体感する事となる。
「え? え?」
「はぁ……間一髪だった」
後ろにいる女も何が何なのか分からないといった表情をしている。
冷や汗をかきながら、俺も同感したい気持ちだった。
魔法を発動する意図は全くなく、本当に偶然発動されたようだ。
これがなかったら、後ろにいる女も含めて吹き飛ばされていたかもしれない。
偶然とはいえ、氷の壁が出てきたことに感謝した。
――それにしても今の感覚は何だったんだ?
魔法を放つというよりかは、どちらかというと念じたと言った方が良いか。
ただ念じただけで魔法が放てるというなら、それほど喜ばしい事はないが、同時に念じるだけで魔法が発動するかもしれないというデメリットも生まれてしまった。
どうせならサイコキネシスとかも併用して使えるようになると、日常や戦闘の幅がさらに広がり、便利になりそうで良いんだが、それについては後で考えることにしよう。
それよりも――
「とりあえず、死んどけ」
氷の壁に激突したオークは死にはしなかったものの、頭から血を出しながら気絶していたので、生み出した氷の壁を操作してきっちりと止めを刺しておいた。
魔法を消し、オークを亜空間に入れながら前に歩いていく。
「さて、残るはあの鎧を纏ったやつだけか」
「うむ。先程から一切攻撃してこなかったが、よほどの自信があるのだろう」
横に並んだアギトはこれまで一度も浴びてこなかった返り血を少しばかり被っている。
五、六体ならまだしも十体近くの数は流石のアギトも捌き切るのは難しかったのだろう。
とはいえ、怪我をしている訳ではないようでアギトの実力が垣間見れる。
「おい、アギト。そんなうずうずした顔をしてもダメだぞ。折角待ってやったのに遅すぎだ。だから俺も参加するからな」
アギトがその顔に「一人で戦ってみたい」と書いてあったが、下に行けば目の前のこいつよりも強い奴と出会えるんだろうから、今回は諦めてもらおう。
そんな事を考えながら、目の前のオークに視線を向ける。
「くっ、致し方あるまい。ではこれまで通りに」
「ああ」
何も言わずにアギトが疾走する。
二体が斬り結び始めたのを見ながら魔法の準備に入っていると、後ろから声が掛かった。
「そいつ、オークジェネラルらしいよ! 気をつけな!」
(オークジェネラル? こいつがあのゴブリンジェネラルと同格の奴なのか?)
確かに鎧を纏った奴はあいつ一体しかいなかったし、見た目の威圧感も半端ない。
しかし、ダラムの町で戦ったゴブリンジェネラルと同等の強さを持っているようにはどうしてか見えなかった。
(まあ、戦闘のド素人が敵の実力を測ろうとしても無駄か。そんな能力ある訳ないんだから)
くだらない事を考えた自分に呆れながら、思考を放棄する。
とりあえず、殺せば勝ちなのだ。考えるのはそれからでも遅くない。
「【氷の矢】! 【火の矢】!」
アギトが後退した瞬間を狙い澄まし、瞬時に魔法を放つ。
十数本の氷と炎の矢がオークジェネラルに向かって放たれた。
オークジェネラルはそれを視界に入れると、なんと鈍重な体で俊敏に避けてみせた。
その隙をアギトが逃さず斬りかかるが、オークジェネラルも剣で対抗する。
キーンという甲高い音が鳴ると、そのまま二撃、三撃と剣の打ち合いで金属音が鳴り響く。
若干、アギトの方が優勢なようで少しずつ押している。
「【大地の槍】!」
アギトの邪魔にならない様にほんの少し距離が開いた瞬間に地面から土の槍を出現させる。
【大地の槍】はオークジェネラルの足元から出現し、丸太程のデカい太ももに突き刺さるかと思われた。
「なっ! 【土壁】だと!?」
しかし、【大地の槍】は標的ではなく【土壁】へと突き刺さり不発に終わる。
どうやらオークジェネラルは魔法を使えるらしい。
そんなオークジェネラルはユートを睨むと、アギトを剣で吹き飛ばし【火の矢】を放ってきた。
ユートは【氷の壁】で防いでみせるが、オークジェネラルは突撃しながら剣を横に薙いだ。
一度、魔法を防いで脆弱になっていたためか、それとも壁を上回る怪力のせいか、魔法で創った氷の壁が一撃のもとに両断されて破壊される。
ユートは目を丸くさせるが、オークジェネラルは止めとばかりに剣を振り上げる。
防がなければ致命傷を与えるだろう攻撃に対し、ユートは避けるでも剣で防ぐでもなく、【火球】を生成、一瞬の内に自爆させることで無理矢理攻撃から逃れた。
ボンッ!という爆発音とともに、ユートと思しき人影は煙を漂わせながら吹き飛ばされる。
「ユート!」
土に塗れたアギトがユートの名を叫ぶ。
後方で樹の陰に隠れていたノーナも驚きの目で煙の漂う場所を凝視する。
「――ケホッ、ケホッ、熱ッ!?」
そんな二人の心配をよそに、煙の中からユートは立ち上がった。
ところどころ体を焦がし、髪の毛もチリチリと燃えていて、口から煙を吐いている。
けれど、十分と言っていいほどピンピンしていた。
「くっそー……」
ユートは悪態をつきながら、体内で魔力を流動させる。
「熱かっただろうがっ! お返しだ! 【炎柱】!」
ただの逆切れでしかなかったが、力いっぱい魔力を込めて発動する。
煙を纏わせたオークジェネラルの足元から炎の柱が生み出される。
オークジェネラルは魔法が来るのを分かっていたかのようにバックステップで避けようとするが、左手と左足だけ範囲内から逃れられず火傷を負う。
「GUUUAA!?」
痛みに叫び声を上げるオークジェネラル。
どうやら、オークジェネラルも至近距離での【火球】はそれなりにダメージを与えたらしい。
その目には先程までなかった怒りが宿るのを感じた。
ユートは続けざまに【氷の矢】、【氷の投槍】、【火の矢】、【炎の投槍】を容赦なく放っていく。
オークジェネラルは先程同様【土壁】で防ごうとするが、威力と物量に耐え切れず、破壊と生成を繰り返してどうにか耐える。
その隙をアギトは逃さなかった。
ユートの魔法を防ぐためにオークジェネラルは前に集中しなくてはならない。
それを分かっているから、ユートはさらに大盤振る舞いして魔法を放つ。
オークジェネラルは攻勢に回ることが出来ず、ただじっと耐え続ける。
そして、【土壁】が破れかけたその瞬間、アギトが仕掛けた。
「ハァッ!!」
後方からのアギトの渾身の一撃によって、オークジェネラルの首が宙を舞う。
ボトッという首が落ちた音が聞こえると、オークジェネラルはゆっくりと後ろ向きに倒れた。




