第65話 剣士と従魔術師たち
最近ようやく慣れ始めた適切な森の歩き方。
足に負担をかけない様に、身体に疲労を貯めこまない様に、集中力を切らさない様にする技法。
自分なりに試行錯誤しながら身に付けたけれど、残念ながら今日使う事は無いのだろう。
何故なら今日は急ぎ足故にそんな事を意識する暇もないのだから。
何も喋らない剣士の後をただひたすらに追っていく、そんな時間だけが無情にも流れていく。
本音を言えば楽しくは無かった。
むしろいつも俺一人で歩く時の二倍くらい歩行速度が違うせいで苦痛ですらあったが、それを和らげる程度の目新しさも同時に感じた。
例えば、離れた先にあったものが目を離した次の瞬間には俺の後方にある。
至極普通のことだが、魔物のいるこの世界で走ることは体力の無駄に他ならない。
つまり、それくらいいつもとは違い、森の中を目まぐるしく移動していく。
それだけでなく、前に誰かがいることがこれ以上ないほど安心感を感じさせてくれるとは思ってもみなかった。
一人で行動するのが寂しいという訳では無いが、やはり全方位を一人で警戒するのとは訳が違う。
そういう意味では悪くは無い経験だが、いかんせん、することが無さ過ぎて気持ちがだれてくる。
面白いモノなんて何一つなく、魔物との戦闘も無い。
木の実や果物なんかの山の幸も拾えないと来れば、自分がなぜついて来させられたのか疑問を持つほどだ。
そうしてただただ何も無いまま時間が過ぎていき、集中力が途切れかけ始めた頃、一切喋りかけてこなかった剣士の男性が「見つけた」と声を漏らした。
その言葉で思考を放棄していた脳がようやくかと言わんばかりに稼働し始める。
働きだした脳は周囲の情報を得ようと、剣士の後ろから前を覗き見る。
そこには、数匹のゴブリンと武装した男達の姿があった。
「あれって……どういう状況なんだ……?」
身体が疲れているからか、それとも信じがたいからか。独り言のように言葉を漏れる。
この世界の常識で考えるならば、それほどあり得ないような光景だった。
通常ならゴブリンと戦闘しているはずだが、視線の先にいる者達はそういう状況になっていない。むしろ、ゴブリンに対する警戒よりも周囲に対して警戒しているように思える。
それに武装した男たちの中の一人がゴブリンに対し、なにやら命令しているようなのも気にかかった。
何故ならゴブリンに言葉は通じないはずなのに……。
「なるほど、そういうことか……」
「――何か分かったんですか?」
小さく独り言のように囁いた剣士。気になった俺は無意識に疑問を剣士へとぶつける。
剣士はこちらをジロリと見ると、何を思ったのか数拍の間を空けてから口を開いた。
「そうだな……ここまで黙って付いてきたのだから、それくらいは教えてやろう」
なんだか上から目線で言われたが、好奇心には勝てなかったので静かにしていることにした。
「奴等の中心にゴブリンへ命令している男がいるだろう。あの男はおそらく従魔術師だ」
「テイマー……?」
動物用のカット専門美容師のことを言っている訳ではないだろう。
……それはトリマーか。
「……もしかして、従魔術師を知らないのか?」
「はい」
テイマーとやらを知らないだけでそんなにも知識が足りませんかね……なんて内心で悪態をつきながらも素直に返事をした。
剣士は目を気持ち大きめに開くと、何故か息を吐いた。ちょっと納得がいかん。
「従魔術師というのは、魔物を使役する者のことだ」
「使役……つまり、魔物を従えると?」
「そうだ。そして方法によるが、大別すると調教師と従魔術師の二つに分けられるという」
「どういう違いが?」
「魔物を従わせる基礎的な部分に違いがあるらしいが……これ以上知りたければ自分で調べろ。そんなことより、聞け。従魔術師のような敵がいる場合、戦闘において大事なのは奴等がどの程度の魔物を従えられるのかを見極められるかが重要になってくる。例えば今回の場合、一見ゴブリンしかいなさそうに見えるが、地面に潜って姿を隠していたり、空中で周囲を警戒しているタイプの魔物がいる事がある。敵に油断させようと罠を仕掛ける性格の悪い従魔術師もいたり、優秀な奴は用途に合った複数の魔物を使役すると聞く。見た目に惑わされず、常識にとらわれるな。これは従魔術師に限った話ではなく、全ての戦闘に共通する話だ」
「……わかりました」
「よし、では俺は奴等から話を聞いてくる。お前はここにいろ。勝手に動かれる方が邪魔だ」
「えっ? ちょ、待っ……!? ホントに行っちゃったよ……」
そう言って剣士は何の躊躇もなく木陰から姿を晒すと、武装した男たちの前に踊り出た。
武装した男達たちは突然現れた剣士の姿に警戒しながら、武器に手を伸ばす者もいる。
一触即発の雰囲気に「どうするんだ……」と身構えながらそっと動向を見守る。
「――おいおい、いきなりビックリするじゃねえか。脅かせんじゃねえよ」
ゴブリンへと命令していた男は、何事も無かったかのように剣士へと向き直りながら軽口を叩いた。
「それで、ご同業だと思うがアンタここになんの用だ? 悪いがここら辺はいま俺らの狩場でなぁ、狩りをすんなら他所を探してくれや」
「まあ、用と言えるほど大した用事ではないんだが。ここら辺で人が群れる気配がしてな。何か悪事でも企む木端盗賊でも居るやもと思い、見に来てみたんだが……ちなみに聞くが、お前たちは盗賊か?」
男たちはほんの微かに言葉に詰まるような空気を醸し出すが、リーダーらしき男がそれを笑い飛ばした。
「くははっ、そりゃあ面白れぇ冗談だ! さっきも言った様にアンタと同じく同業だぜ。そんで、こいつらは俺の子分でな。ここら辺で魔物でも狩って、こいつらが飲みまくった酒代くらいは取り返そうと思ってたんだよ」
「なるほど。ついでにもう一ついいか? さっきから気になってたんだが、そこにいるゴブリンはお前らの仲間か?」
「ははっ、それも冗談か? アンタ才能あるぜ。それで質問の答えだが、アンタも見当はついてるんだろうが、こいつらは俺達の奴隷だ。で、それがどうした? まさか、「ゴブリンを解放しろ!」だなんて善人ぶるつもりはねえよな?」
リーダーらしき男はおどけながら笑うと、釣られる様に周りにいた男たちも一緒になって笑った。
そこには隠しているのだろうが、嘲笑の感情が混じっているように感じられた。
「それで、アンタの質問にはちゃーんと答えてやったんだ。だから、俺からの質問にも勿論答えてくれるよなぁ?」
ニタニタと含むような笑いをしながら男が調子づく。
周囲の男たちも同じ様に調子に乗りながら気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「――断る」
けれど予想は大きく裏切られた。
剣士は一切動揺することなく、堂々と言い切ったのだ。
「……はっ? おいおい、そりゃあねえだろ。それとも、なんだ? 俺が下手に出て何か勘違いでもしたのか? ああ?」
男は呆気にとられるもすぐに気を取り直すと、怒りを滲ませながら凄んできた。
残念ながら、後ろからでは剣士の表情は見れないものの、一歩も譲らないという意思だけは読み取れた。
「くくっ」
「……なにが可笑しい?」
突然、剣士が小さく笑い声をあげる。
男は不快感に顔を顰めながら、剣士へと問うた。
「いやなに、こんな簡単に事が運ぶとは思ってもみなくてな。それに……化けの皮が剥がれて来たぞ?」
その言葉に、男は柳眉を逆立てると怒りのままに怒鳴り散らして来た。
「テメェ……こっちが下手に出てるからって調子に乗りやがって! どうやらボコボコにされてえらしいな!」
「おい……そんなつまらない演技はもういい。お前たちが馬を狙った犯人だというのは分かっている。それとも……まだ隠し続けるつもりか?」
「――ちっ、クソがッ! テメェらが後を付けられたせいで俺の計画が台無しじゃねえか!! アアァッ!? どう責任とってくれんだよ!」
男は先程までの冷静さをかなぐり捨て、とうとう化けの皮を剥がすと隣にいたゴブリンを蹴飛ばした。
そして何度も蹴りを入れて苛立ちをぶつけ終えると剣士へと向き直り、隠していた敵意を露わにした。
「――仕方ねえ、テメェをここで殺して全てなかったことにすれば、今ならまだ間に合うからなぁ。わりぃがテメェにはここで死んでもらうぜ!」
「ようやく尻尾を出したと思ったら既に勝った気でいるとは……。予想よりもつまらない男だな」
剣士は嘆息をもらして吐いた言葉には失望が込められている。
「テメェが敵と分かれば、そんなくだらねえ挑発には乗らねぇよ、バーカ! おいテメェら、こいつを殺せ!!」
リーダーの声によって男たちは一斉に剣を抜き放ち、切っ先を向けてきた。
敵の数はおよそ十三人。多勢に無勢で流石に俺も出るべきかと悩み始めた頃、剣士は背中に背負ったツーハンデッドソードを抜くと、何も言わずただ自然な動作で構える。
「はんっ! テメェまさか、たった一人で俺達相手に勝てるつもりかよ! どんだけ頭がおめでたいんだ!」
男たちは威圧的な態度を隠すのを止め、獣の様に目をギラギラとさせる。
そして、剣士のことを蛮勇や愚かだと揶揄しながら、笑い者にして見下している。
それを見続けていた俺は敵の言葉にイライラが込み上げてくるのを感じ、ただ約束を守ってジッと我慢している自分が馬鹿馬鹿しくなっていくのを感じた。
――あー、このまま身を隠した状態で魔法をぶっ放してやろうか。
などと剣士の言葉を無視して不穏な事を考えていると、ブンッという空気が押されるような低い音が響いた。
潜っていた思考から頭をもたげると、目の前には三人の首が斬り落とされ、鮮血が迸る光景が広がっていた。
「な、なにが起きたッ!?」
男たちは一瞬で引き起こされた惨事に訳が分からず慌てふためく。
同じように何が起きたのか分からず見ていた俺だが、あの剣士がやったんだろうという妙な確信があった。
それは事実だったのか、続けて二人も瞬く間に斬り殺される。
男たちの前で剣を振り抜いた姿勢の剣士は、息一つ乱さず五人もの人間の命を奪ってみせた。
そこでリーダーは我に返ると、怒りと恐怖に顔を歪めながらゴブリンへと命令した。
「く、くっそがああああっ!? ゴブリンどもおぉっ!! こいつを殺せえええ!!」
ゴブリンは命令されると統率が取れないまま、ただ剣士へと向かっていく。
その姿は誰が見ても無謀といえるものだったが、ゴブリンは声を発しながら恐れを知らず立ち向かった。
剣士は薙ぎ払う様に何度か剣を振るうと、ゴブリンは抵抗も出来ないままバラバラのブロックに解体され、そのゴブリンよりも後方にいたはずの男達もまた、どういう訳かまとめて斬り裂かれた。
それを見ていた俺は、剣士がどういう手品を使っているのか何となく理解した。
「――そ、そいつは剣から衝撃波を出してくるぞ!! 剣の射線を避けながら、数の力で押し潰せ!! 奴はたったの一人だぞ!」
リーダーも同じく理解したのか、数の多さを強調しながら希望をちらつかせ奮い立たせる。
部下の男たちはそれを受け、もしかしたら勝てるかもしれないと思いを一つにしながら突撃した。
剣士は再び剣を振るうが男たちもそれで学習しないほど馬鹿ではなかったのか、各々の武器で防いだり、避けながら近づいていく。
「死ねぇええ!!」
上段から振り下ろされた剣は剣士の持つツーハンデッドソードによって受け流されると、その隙を突かれ一刀のもとに斬り伏せられる。
そのまま二人、三人と剣士が切り捨てると、敵も怯えて攻撃するのに躊躇した様子を見せた。
あの人、技なんて使わなくても素の実力だけで強いのか!
そんな貧相な感想しか浮かばなかったが、剣士は本当に強かった。
中、遠距離からの衝撃波で威嚇や牽制をしながら相手を焦らし、そして近づかなければ勝てないと思わせてから、あのツーハンデッドソードで斬り伏せる。
あの動きの滑らかさと言い、躊躇いの無さと言い、一朝一夕で身に付きはしないだろう。
つまり、それだけ多くの戦いを経験してきたということだ。
当の剣士はまるで散歩にでも行くかのような自然な動きで一歩、また一歩と近づいていく。
男たちはこちらの方が数が多いにもかかわらず、攻めきれない事に焦りを感じながら苛立ちを募らせる。
それからは早かった。
ただただ剣士が圧倒していき、向かってくる敵は全て薙ぎ払い、逃げようとした敵も容赦なく屠っていった。
そうして傷を負わず、返り血も浴びることなく剣士は一方的な勝利を収めた。




