第39話 信念
ゴブリンアーチャーが倒れると、周りのゴブリンはどういう訳か動揺しているように見えた。
けれど油断はせずに、残りのゴブリンアーチャーとその周辺にいるゴブリン諸共、魔法の餌食にするため【氷の矢】の雨を降らせる。
「冷たき氷よ、其の形を矢に変え、我が敵を凍らし穿て!【氷の矢】!」
俺は気付かれない様に小さな声で、魔法大辞典に書かれてあった呪文を詠唱する。
そうすることによって魔法の威力が上がると記されていたためだ。
内心、そんな事で威力が上がるのか?と疑問視していない訳ではないが、疑ったまま信じずに大怪我するよりも、信じて恥をかいた方がマシだと考えたからだ。
呪文を詠唱し終わると魔法はキチンと発動した。
けれどその魔法はユートの思っていたよりも大きな効果を発する事となる。
【氷の矢】は空中に二十もの数となって俺の周りに生み出されると、真っ直ぐゴブリンアーチャーに向けて放たれた。
瞬間、ゴブリンの悲鳴じゃなく、ドドドドドッ!と土煙を上げて【氷の矢】が地面に突き刺さる音が響いた。
それほどの速さと威力があるとは俺も想定しておらず、耳元の近くで鳴ったのかと見紛うほどの振動音が聞こえたせいで、一瞬自分の耳がおかしくなったのかと勘違いしたほどだ。
けれどそれは現実の様で、ゴブリン達は半壊するような事態に陥っていた。
ところどころ血に塗れて肉片となっているグロテスクな状況が眼前に広がっている。
……残念ながらそのせいで、ゴブリンアーチャーの死体は確認できなかったが。
そのため、ゴブリンアーチャーが矢で撃たれた時よりも奴等は大慌てとなるが、上位種のゴブリンソードマンがそれを窘める様に警戒音に似た甲高い声を発すると、その場に居た全てのゴブリンが敵意を剥き出しにして武器を構え、周囲に大して最大限の警戒をし始めた。
突然の事態に場を収める危機管理能力と、死に対する臆病なまでの警戒ぶり。
どうやら奴等の精神的な支柱は上位種の中にいる、一匹のゴブリンソードマンらしい。
それを確認すると俺は【火球】を放つための詠唱をする。
「火よ、汝の其の熱き炎で、我が敵を燃やせ!【火球】!」
詠唱後、【火球】は直径二十センチ程のメロン大のものが出現する。
するとその数はどんどん増していき、ついには三十近くにまで膨れ上がった。
【氷の矢】とは違い【火球】は数が多いし、常時熱を発しながら周りに浮かんでいるせいで少し暑い。
そんな事を頭の片隅で考えながら、リーダー格のゴブリンソードマンへ気持ち多めに増やしておくのも忘れずに、【火球】を情け容赦なく放った。
――この時、俺は異世界で最初の失態を犯す事となる。
最初に気付いたのはやはり上位種のゴブリンだった。
奴等は【火球】を見たことがあるのかすぐに危険を察知して、けたたましい怒声を上げながら逃げようと画策する。
しかし、他のゴブリンがいるせいで道が塞がれて逃げようにも逃げられない。
中には、ゴブリンを押しのけて自分だけ助かろうとしている奴もいるが、既に逃げる場所も時間も足り無い。
だが、頭のいい何匹かのゴブリンには広場から逃げられてしまう。
そんな中、無慈悲にも【火球】は迫り、そして衝突した。
「ドドドドドドドドドッ!!!」とゴブリンにぶつかり爆発すると、連鎖するように他の魔法も爆発していく。
そして、それはまるで爆撃のような衝撃と音と熱をもたらし、自らのとこまで押し返してくる。
「ぐっ!?」
地面が抉れた余波か、爆風によって舞い上がった土煙だけでなく、飛んできた木の葉や塵などを腕を前に翳して防ぎながら体勢を整える。
危うく自らの魔法の威力によって樹から滑り落ちる所だった。
反対に、森の中でも開いている所に密集していたゴブリン達は、上から降ってくる魔法を防ぐ術を持たなかったため、もろに魔法を喰らっている事だろう。
しかも、ただでさえ樹の上で踏ん張るのが精一杯の風圧なのだ。
ゼロ距離でまともに喰らう羽目になったゴブリンなら、予想以上の威力に体ごと吹き飛んでいるかもしれない。
そんな笑い事ではないことを想像しながら弓矢を構えていると、次第に土煙が晴れてくる。
そこは俺の魔法により、大惨事としか言いようのない様相を呈していた。
【火球】だけじゃなく、【氷の矢】によって凸凹に荒らされた大地。
爆発によって無残に根元から倒れた幾つもの木々。
そして、魔法によって肉体が木端微塵となったゴブリンの肉片や吹き飛ばされ息絶えたゴブリンの死体。
血と熱と塵が混ざり合った事によって生まれた不快な空気が己の鼻を刺激する。
そうして魔法によりほぼ全滅したゴブリンを見ると、弓を仕舞った。
別に油断している訳ではなく、ただ何となく空しくなったのと、ちょっとした自分への戒めである。
樹から飛び降りると、俺は一歩ずつ前に進みながら剣を取り出し抜剣する。
進む道にはゴブリンの血肉が所々に点々としていたり、足や腕が欠けたゴブリンが倒れている。
そして広場の真ん中に到着し佇むと、周りを見渡す。
何故こんな事をしているのかというと、流石の生命力というべきか未だ生きているゴブリンが居るのだ。
まあ、正確には“生きている”ではなく、“息をしている”という表現が正しいのだが。
その息絶え絶えという様子のゴブリンは何もしなくても数分とせずに死ぬだろう。
だが俺はそいつらのとどめを刺すために剣を抜いたのではなく、運よくか運悪くか生き残り、五体満足で軽傷のゴブリンをこの剣で斬るためだ。
泣きっ面に蜂ではないが、怪我をしている所に追い討ちを掛ける趣味がある訳ではない。
ただ奴等にとっては、匂いのするところに行くと同族であるゴブリンが沢山おり、いきなり攻撃されて瀕死に追い込まれているという理不尽な状況だろう。
俺は理不尽が嫌いだ。
誰かが理不尽な目に遭う事も、出来れば理不尽な事を自分がする事も。
そして今のこの状況は俺が嫌いな『理不尽をする事』だ。
樹の上から自分の攻撃によってゴブリンが死んでいくのを、まるで関係ないとばかりに見下ろすなんて俺はしたく無い。
もしも俺がゴブリンの立場だったら、自分を殺した存在すら分からず無様に死んでいきたくなんてない。
勝手に攻撃してきて、自らの死んでいく様を見下ろされたくもない。
せめて勝手に殺すのなら、せめてその姿を見せて殺してほしい。
――これは俺の自分勝手で傲慢だと思う価値観だが、俺がそう望んでいる事だ。
だから俺は剣を持っている。
この場で立ち上がるなら見下ろさずに殺してやろう、と。
対等だとは言えないけども、無様に死んでいく様を見たりはしない、と。
斯くして、俺の願いが届いたのか数匹のゴブリンが立ち上がった。
その中には、進化前のゴブリンだけでなく、上位種のゴブリンソードマンが一体だけいた。
そいつは特に怪我らしい怪我を負っておらず、あの状況で奇跡的といえる程に無傷の状態であった。
更に、運よく折れていなかったのか生体武具の剣は右手に収まっている。
他の四体のゴブリンは体中煤だらけになりながら所々焼け焦げている様で、重度と言える火傷を負いながらも何でもない様に立っている。
俺はそいつらに向けて剣を構えながら一言話しかける。
「準備は良いか?」――と。
残念ながらゴブリン達の声は帰ってこなかったが、強烈な殺意と闘志が混ざり合ったものを放たれ、一身に浴びる事で理解した。
こいつらはここで死ぬつもりなんだ、と。
否、刺し違えてでも殺すと言った方が良いか。
それを受けて場違いにも体が震え、どんどん口角が上がっていくのを感じた。
しかし、その体の震えは恐怖ではなく“武者震い”と呼ばれ、口元は三日月のような弧を描いていた。
風が吹く。
この場に似合わない程の爽やかな風だ。
両者とも武器を構え、来たる一瞬を逃がすまいと空気が張り詰める。
そして――――
「はぁっ!!」
「ギャアッ!!」
同時に咆哮し、地面を駆ける。
彼我の差は数メートルほどだ。
俺は手に持つ剣に力を込めて、振り下ろす。
同様に、ゴブリンソードマンも容赦なく上から振り下ろしてくる。
剣と剣が重なり鈍い金属音を立てると、剣身が悲鳴を鳴らす。
素の力はほぼ互角だ。
そのため俺もこいつも力で押しながら鍔迫り合う。
ゴブリンソードマンの剣は刃の部分に厚みがあり、全体的に叩き切ると言った形状をしているのに対し、どちらかと言うと俺の剣は細身で、ゴブリンソードマンの半分ほどの剣身のため強度が低く分が悪い。
だが、そこは魔力を纏わせることによって力と強度を高める事に成功する。
この方法を思いついたのはそんな難しいことでは無い。
ただ人間を強化できるなら、武器である道具も出来て当然だろう、という至極当然の結論によって導き出されたものだ。
それにより、一見厚みのある剣と細身の剣では細身の方が武器の差で劣っているように見えても、拮抗し、さらには凌駕することも不可能では無い。
これは魔法に類いするモノだ。
けれど、誰にでも使える魔法だからこそあえて使った。
ハニーベアも無意識なのか、本能故なのか使っていた様に。
だからこそ、そのギリギリのラインである飛び道具の魔法なんて無粋なモノは使わない。
折角の命を懸けた戦いなのだ。
魔法なんてつまらない方法で殺したりはしない。
ただ剣のみで殺意を込めて殺してやる。
そんな意思を込めて更に魔力を纏わせると、次第に力で俺が押すことになる。
奴は力が拮抗していたのに、時間が経つにつれ押し負けている事に気が付くと、驚いた顔をして声を上げる。
それを見て俺は、
「どうしたっ! お前の力はそんなものなのか!」
と笑みを浮かべ煽りながら前に押す力を強めると、最初のスタートの位置にまで押し戻した。
そのまま俺は走りながら薙ぎ払う様に剣を振るうが、奴も負けたくないのか跳ね返すように力で俺の武器を切り払うと、俺は手に持つ武器諸共かち上げられ隙が出来てしまう。
その隙を見逃しはしなかったゴブリンソードマンは、かち上げと同時に剣を振り降ろしてくる。
それをすんでの所で剣を間に挟み込む形で盾の役割にすると、左上腕で斜めに傾いた剣の腹を押さえ、右腕を額付近に翳すような体勢になる。
俺はその力に抵抗せず、すぐさまバックステップでゴブリンソードマンから離れると、きちんと自分の体勢を整えてから再び相対する。
心臓が飛び跳ね、背中にヒヤリと冷汗が流れたのを感じながら、「魔力で剣を強化していたからいいものの危うく左肩から袈裟懸けに斬られる所だった」と自省する。
やはり、調子に乗るモノではないなと冷静に自己に下し、先程の行いをいま一度反省し直していると、そう言えば後ろのゴブリンが動いていないと今更ながら気付く。
ゴブリンソードマンにばかり意識を取られていたが、それも奴等の作戦かもしれない。後ろの奴等にも警戒をしておくか。
……いや、それを逆手にとり、油断させて踏み込んできた所を斬ろうと、スキル【高速思考】を働かせて十全に効果を発揮させた。
剣を構えて睨み合う。
そして足を強化し地面を踏みしめて走ると、さながらスタートダッシュ張りの勢いで突進する。
俺の姿を見たゴブリンソードマンは真正面から挑むのでは無く、サイドを狙う様に回り込んで攻撃してくる。
俺はその勢いが乗ったまま剣を力いっぱい握ると、奴の中途半端な力が入った剣を先程俺がやられたように弾いた。
残念ながら真上に弾くことは出来なかったが、切って来た軌道である斜めにはじき返すと俺はその一瞬を狙って胴体を薙ぐ。
「グギャアッ!!」
痛みに鳴いたのかゴブリンソードマンは声を張り上げると、後ろで見ていたゴブリンが突如、こちらに向かって吼えながら攻撃してくる。
「ギャアギャア!!」
「ギャギャア!」
それを横目で確認すると、俺は目の前にいるゴブリンソードマンから反転する。
その時、同時に斬りつけた傷は浅かったが気にせずゴブリンの方に向かった。
最初は二体同時で怪我の度合いが高いゴブリン達が迫ってくる。
それを強化した肉体で何とか見切ると袈裟懸けに斬り、その反動を利用しもう一体を逆袈裟に斬り捨てる。
三体目は捨て身の特効で棍棒を振るって来るのを半身で避け、薙ぎ払う。
だが、身体を半ばまで斬られてもそのゴブリンは俺に向かって突進して来た。
いきなりの行動に俺は避ける事に集中しすぎて体勢を崩してしまうが、そいつを最後に迫って来たゴブリンに向けて蹴り飛ばして時間を稼いだ。
体勢を直していると後ろから気配がして振り向く。
するとゴブリンソードマンが怒った顔で追ってきている。
だがその動きは最初とは違い、血を流し過ぎているのか精彩を欠いている。
そのため、先にゴブリンの方から仕留めようと、もう一度魔力で肉体を強化するが体に少し違和感を感じた。
多分、この強化はやりすぎると身体にダメージが積み重なって、一時的にだが肉体が使えなくなるかもしれない。
その予感を半ば確信しながら、つまりもう残り時間は少ないという訳だ。
ならばさっさと終わらせる! という思いで、瀕死のゴブリンとそのゴブリンの血で汚れたもう片方のゴブリンを視界に入れながら走る。
瀕死のゴブリンは後回しにして、血に塗れた方の心臓目掛けて突きを放った。
俺はそいつが避けると思った。
けれどそいつは一切避けずに抵抗のないままおれの剣によって貫かれた。
「えっ……?」
一瞬、動揺を隠せず呆然としたが即座に剣を抜こうとすると、そいつは素手で刃を掴んで離そうとしない。
――くそっ! これがこいつらの狙いか!
俺はすぐにそう確信すると、後ろを振り向いた。
ゴブリンソードマンはもう後ろにまで迫ってきており、剣を振り上げて降ろす寸前にまで動作に入っていた。
――このままじゃ死ぬ……!
刹那、俺は走馬灯を見るのではなく、自分が斬られた後の状況を予知するかのように幻視した。
――調子に乗って剣なんて使わなければ、死ななかったのに……。
地面に倒れ伏し、血を流しながら深く沈潜する。
――何であんなことをしたんだろう……。
ゴブリンソードマンが剣を振りかぶるのが視界に入る。
――俺って何て、カッコ悪いんだろう……。
首に剣が振り下ろされる直前、現実に戻ってくる。
時が止まったかのように色が無い世界で、身体からほんの三十センチ程離れた上から切っ先が向けられている。
それを見て、俺はふと思う。
――何故、剣にこだわっているのか。
その言葉が頭を巡ると、どういう訳か口元が緩んだ。
――――そして、俺はそのまま剣を手放した。
世界に色が戻り、時間が動き出す。
俺はその瞬間、右手に魔力を集中させ振り向いたままその場で回転すると、振り下ろされる剣の側面に手を当て攻撃を横に逸らした。
少し失敗したせいで手に傷が出来るが、気にせずゴブリンソードマンを思いっきり蹴り飛ばす。
その隙に、ゴブリンに刺さっている剣を掌で逆に押し込めてから、引き抜くと同時にそのゴブリンもまた蹴り飛ばした。
「ふふっ、そうだ。別に剣に頼らなくても腕さえあれば十分だよな」
剣を持ったまま自分の腕を見比べながら、笑みを浮かべる。
武器は強いがそれは腕があってのものだ。
古来から一番強いのは自分自身の素の身体と相場が決まっている。
なのに俺は、武器を重視しすぎたせいでその事を忘れていた。
そのせいで、武器を掴まれ隙が出来るという愚行を犯してしまった。
そのことを心に刻みつけていると、ゴブリンソードマンに目を向ける。
どうやら俺が一人物思いに耽っている間に、奴も立ち上がったようだ。
奴の傷は浅くなく、胴体から横一文字を描くように血が流れ続けている。
対して、俺の魔力ももう残り少なく次で最後だろう。
つまり、次の一撃でこの戦いは終わるという訳だ。
俺も奴も何も喋らない。
ただ剣を構えて静かに終わりがくるのを待つだけ。
「はあぁっ!!」
「ギャアァッ!!」
二人は最後の咆哮をし、その一撃に全て乗せた。
キーンという鉄の音を響かせると、両者による剣撃は終わりを迎える。
そして、ドンッと地面に倒れ伏す音と剣身の半ばで断たれたものが地面に刺さる甲高い音が聞こえた。
その場には一つの人影のみがただ立ち尽くしている。
――――最後に立っていたのはユートだった。




