第31話 巨大蜜蜂の巣
手に剣を持ちながら走る、走る、走る。
前方には一体の緑小鬼が隙だらけな背中を向けて歩いている。
仮にも森の中を走っているため全力とは言い難いが、それでも今出せる速さであることは間違いない。
奴に気取られる前に斬ってしまえば俺の勝ち。
逆に気付かれてしまえば俺の負け。
今俺はそんな一人ルールを決めて、見つけた緑小鬼を相手に戦っている。
「はぁっ!」
上段に振り上げられ陽の光を反射した剣は、本来の鈍色から色を変え白い刃と化す。
その白刃をユートは空を裂きながら緑小鬼の背中へと真っ直ぐ振り下ろす。
「グギャッ!?」
俺の気配と声に緑小鬼が驚いて振り向いた。
だが、無防備を晒すだけで肩から腰までをバッサリと切られた緑小鬼は、短い断末魔を上げながらと地面へと沈む。
それを数秒ほど警戒して奴の動きが無いことを確認すると、肩の力を抜いた。
「……ふぅ。ギリギリ俺の勝ち、かな?」
緑小鬼を見下ろしながら、俺は独り呟く。
ついでに剣の血糊を振り払うと、【洗浄】の魔法で残った汚れを完全に落とす。
血振りをしなければ血で錆びてしまうし、何より汚れたまま鞘になんて流石に仕舞いたくない。
まあ、やり方は時代劇の見様見真似なのだが。
そんなことを考えながら、魔石を取り出しに掛かる。
三十回もやっていれば慣れてくるもので、今では最初のような嫌悪感もだいぶ減っていた。
そのおかげかプロほどではないが、ほんの十秒と経たずに取り出すことが出来るようになった。
自分で言うのもなんだが野生根性逞しいな、と呆れるほどである。
森を彷徨いながら緑小鬼を探し続けて、早一時間。既に討伐した数は三十もの数に及んでいた。
どうやらどこかを中心にして広がっているようで、そこまで必死に探さなくても結構見つけられるようになっていた。
それと並行しながら薬草採取もちょびちょび進めていたのだが、そちらは既に規定数へと達してしまい、他にすることがなにも無い状態だ。
「さて、魔石も取り終えたし、次の獲物はどこかな?」
魔石を入れるための小さな布の袋に、先程の緑小鬼から取り出した魔石を仕舞いながら次の場所を考える。
その袋も三十個もの魔石が入っているため、ソフトボールほどの大きさに膨れ上がっている。
魔石用袋を暇つぶしに軽く弄りながら辺りを探す。
すると嗅いだことのあるような甘い匂いが、何処からか流れてくる。
「あっちからか……」
どうやら先程、緑小鬼が歩いていた方向に何かがあるようだ。
「面白そうだし、行ってみるか」
口元に笑みを浮かべながら緑小鬼に火を放ち処理をすると、そのまま見届けずに匂いのする方へと向かって行った。
──☆──★──☆──
甘い匂いのする方に進んでいくと、辺りが少しずつジメジメとした空気に変化してきており、奥の方はさらに暗くなっていて見通せない。
それに匂いもだんだんと強くなってきており、どうやら発生源に近づいているようだ。
更には、湿気が多いせいで足元が少しばかりぬかるんでいる為、地面には熊らしき大きな生物の足跡が残っていた。
大きさで言えば大体二十センチほどだろうか。
つまり、それに比例する大きさの生き物がこの先に存在し、そして進めば進むほど遭遇する危険性が増していくという事だ。
今ならば逃げることは容易だが……どうしたものか。
獣道の真ん中でん~と唸りながら黙考すること数分、最終的には進むことに決めた。
そう生き急ぐことのものでもないが、興味を引かれている事もまた事実。
中途半端に逃げ帰るくらいなら、遭遇してから考えるか。
とそんな楽観的に決めると、ユートは止めていた歩を進めていく。
「それにしても湿気がひどいよな……って、これは……!」
暗くて見通せなかった森の奥を抜けると、そこは先程とは全く趣きの違う森だった。
辺りの見える範囲はいわゆる常緑広葉樹林のみで構成されており、樹木の背が高く樹々の間隔が広いため、奥まで見通すことが出来る。
遠くには小さな蛇や蟲、インコっぽい生物なども散見しており、樹には蔓や毒々しい色の果物など、所々に密林でしか見かけない生物や植物があった。
それに霧こそないものの、ジメジメとした空気は変わっておらず、むしろひどくなっているかもしれない。
こうまで先程と様相が違うと、何というかアマゾンのような熱帯雨林にでも迷い込んだ気分だ。
残念ながらアマゾンに行ったことは一度も無いが。
「ていうか、出てくるモンスターデカすぎだろ!」
このジャングルのような場所に入ってからと言うもの、現れてくる魔物は巨大な蛙に巨大な蝶、巨大な蟻など元の世界の百倍以上もあるような巨大な生物ばかりだった。
しかも、どいつもこいつも遠距離からしか攻撃してこないので、自分も熟練度の一番高い氷魔法で遠距離から応戦してみたが、どういう訳か全て避けられてしまったので剣での対処をせざるを得なかった。
流石に火魔法を使っては山火事になる恐れもあるので、使うに使えなかったというのが現状である。
「匂いの元もそろそろかな」
魔物と遭遇するたびに足を止められていたので、時間がかかってしまったが匂いも明瞭になっている事から、近づいているのは分かっている。
それにこの甘い匂いに熱帯雨林のようなエリアにあるモノと言えば、大方の想像はついた。
「蜂蜜、つまり蜂か……」
その言葉を放つのと同時に、密林の中にある不自然な広場に着いた。
直径およそ二十メートルの広場の中心には、これまた巨大な蜂の巣が大樹にぶら下がる――では無く、幹を取り込む様にして存在していた。
その様はまるで大樹さえも飲み込む怪物か巨大な謎の生物の卵を連想させた。
「魔物もデカければ、蜂の巣もデカいとか…全然嬉しくねぇな」
確か元の世界にある蜂の巣の大きさが直径約三十センチほどなのに対し、この樹を取り込んだ巨大蜂の巣は大体二メートルを優に超えて、三メートルまで達しているかもしれない。
それだけじゃなく、蜂の巣の一部が何かに壊されたように抉れている。
これは道を通るときに見た、足跡の生物の仕業かもしれない。
「是非とも蜂蜜は欲しい所だけど、アレに容易に近付く訳にはいかないよな……」
体長十数センチほどの蜂型と思しき魔物が、最低でも五十匹近く巣の周りを飛んでいたり、巣にへばり付いている。
――あんな大きさの蜂に体へ纏われつかれた日には、夢にでも出て来そうだ。
その光景を思い浮かべてゾッとしてしまうが、頭を振ってクリアな思考に戻す。
先に蜂型の魔物を片付けて採るだけなら、そう難しくは無いだろう。
だが、問題はその後なのだ。蜂の巣を奪ったら十中八九、蜂に追いかけられる事になるだろう。
「とりあえず【鑑定】しておくか。でも発動するのか……?」
少しだけ疑問に思いながらも、スキル【鑑定】を蜂の巣に向けて発動する。
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巨大蜜蜂の巣:ハニービーが作り上げた巣。正六角形を隙間なく並べたハニカム構造になっており、強度と素材を兼ね合わせた合理的な仕組みになっている。中にはハニービーが集めてきた栄養豊富な蜂蜜がぎっしりと詰まっている。
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名前:---
種族:ハニービー
称号:
Lv:23
HP:324/324
MP:278/278
スキル
毒針
飛翔
蜜採取
花の蜜を加工して、巣に蜂蜜として蓄える習性がある魔物。攻撃性は少ないが、敵と判断したときは仲間を呼び多勢で一斉攻撃する。毒性は弱いが人によっては拒絶反応を起こす場合がある。
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あれ?蜂の巣にしかスキルは使っていないのに、すぐ近くを飛んでいた蜂まで一緒に【鑑定】されている。
しかもステータス表記まで表示されている始末。
――これってつまり、生物にも効くって事なのか?
そう思い、一応他の蜂にも使ってみたが、どれもほぼ同じ鑑定結果が出た。
どうやらこの前疑問視していた俺の【鑑定】は、世間一般とは違うものだと言うことが分かった。
今更ながら分かっても……とは思うものの、状況を把握するのに一役は買ってくれたので、ラッキーだと考える事にした。
「……よし、まぐれながら情報も得たし、覚悟を決めるか」
とりあえず、巨大蜜蜂の巣を少しばかり頂いたら森の外縁部まで逃げて、最悪の場合は緑小鬼に蜂を押し付けるとしよう。
ニヤリと内心そんなせこい作戦を考えながら、飛んでいる蜂に牽制としていきなり魔法を飛ばす。
「【氷の矢】!」
十本ほどの氷の矢が出現すると、ハニービーに向けて勢いよく放たれた。
この魔法は【氷の投槍】よりは威力も範囲も弱いけれど、魔力消費が少なく連射性が高いのが特徴の魔法だ。
それに、どうせ避けられるのは目に見えているので当たったら大儲け程度ってところだ。
事実、当たりはしなかったものの予想以上にハニービーが混乱してくれたので、その隙に剣を抜き巣へと駆け抜ける。
ついでとばかりに、飛んでいるハニービーに対して気流を乱すため風魔法の【風衝】も使用する。
風の塊がハニービーの飛翔を邪魔して飛びにくくさせる。
するとさらに状況が良くなっていくが、油断はせずに周りを警戒しながら走る。
ブブブブブブブッ
混乱から立ち直りの早かったり、最初から混乱しなかったハニービーが、巣には近づけぬとばかりに立ちはだかってくる。
「はぁっ!邪魔だ!」
それを剣で切り捨て、時には魔法も使いながら無理矢理押し進む。
「ぐっ!」
だが、四方八方から襲い掛かられるため、捌ききれずに死角である背中側が無防備になると、その度に突撃されて攻撃をくらってしまう。
けれど、服の性能が良いのか衝撃だけはもろに受けるものの、ハニービーによる毒針攻撃を何度も防いでくれる。
この時、ベイドルフとついでにセシルには、心の中で感謝の念を送った。
ハニービーから二回も三回も背中側をくらっていれば流石に慣れてくるもので、後ろから攻撃してくるタイミングが何となくだが分かってきた。
それに合わせて攻撃すれば、面白いほどカウンターがハマって倒すことが出来た。
それを繰り返して周りの敵を排除する。
その時一緒に倒したハニービーも【無窮之亜空間】で無駄なく回収しておくのは忘れない。
――やってることは、犯罪者から守る家族と容赦なく奪いに来た強盗の絵面だな。
そんな事を思いながら、心の中で苦笑する。
何故なら現在の状況を説明するのに、これ以上ないほど当て嵌まっていたからだ。
けれど残念ながら今目の前にいる人物は、この状況で逃げ帰ってあげるほどお人好しではない。
近くにいる未だ混乱しているハニービーを倒しながら、巣へと近づいていく。
剣で斬り裂き、魔法を無造作に撃ち、たまに足で蹴り飛ばす。
そうこうしていると、最初の撹乱で混乱していた蜂が少しづつ立ち直ってこちらに迫ってくる。
仲間を殺されて怒り狂っているかと思ったが、ハニービーは淡々と邪魔ものである俺を排除しようとしているらしい。
「ちょっとまだ数が多いな……」
巨大蜜蜂の巣を背にしてハニービーと向かい合う形で打開策を考える。
周りは弧を描くように三方を囲まれている。
相対する蜂の数は最初と比べて7割弱にまで減っているが、依然として脅威なのは変わらない。
逃げ場は無く、最悪の場合、後ろから蜂が羽化する可能性すらある。
何か良い手は無いかと周りを探しながら知恵を振り絞っていると、少し面白いことを思いついた。
それを実行するため、剣を構えながら後ろへ追い詰められるそぶりをしつつ下がる。
そうして後方にある巣に近づいたら左手で触れる。
それを見てブブブブッと警戒音のように羽音を立ててくるが、そんなことも構わずある魔法を発動させる。
次の瞬間、大樹を取り込むように存在していた巨大蜜蜂の巣がその広場から姿を消した。
自分たちの棲み処であり、帰る場所であった大切な巣が目の前から消えたことに、流石のハニービー達も動揺を隠せていない。
驚くことも無理はないだろう。なにしろやった本人である俺も驚いているのだから。
方法は単純だ。
【無窮之亜空間】の指定を巨大蜜蜂の巣のみにして収納しただけ。
その結果が大樹から巨大蜜蜂の巣のみが消え去るという、不思議な現象を起こしたのだ。
現に、幹の周りを囲まれていた大樹が蜂蜜まみれになっている。
まあやろうと思えば大樹ごと収納出来たかもしれないが、もう一度巣を作るかもしれないので、期待を込めてあえて仕舞わなかった。
それに巣だけ無くなった方がインパクトもデカいと思ったが、どうやら成功だったようだ。
この隙を狙って、俺は近付いて来ていたハニービーへ【氷の矢】や【火球】などの弱い魔法を撃ちまくる。
扇状に放たれた魔法はハニービーへ飛んでいくと、なんと避けずにもろに受けた。
そのことに不自然に思うが、ハニービーの包囲に穴が開いたので考える事は後にし、そこを抜けて一直線に走り出す。
そして、偶々当たらなかったハニービーだけが、案の定追いかけてきた。
意外と飛翔速度が早く、しかも尻の針がこちらに向いているので少し恐怖感が蘇る。
追いつかれたら死ぬというのを再認識しながら、魔法を進路の妨害をする様に放ち、剣は邪魔にならない様鞘に仕舞うと全力で走り続ける。
流石に下級の魔法といえど沢山撃ってしまったので、残り魔力量も半分を切ってしまっている。
だが相手も諦めてはおらず、既に三十匹の数を下回りながらも敵意は衰えていない。
「仕方がないか…【炎の壁】!」
ハニービーと俺の間に炎で出来た壁を出現させる。
蜂の本能なのか魔物の本能がなせる業なのか分からないが、このままだと万が一にも追いつかれるので【炎の壁】を使い、一網打尽にして時間を稼いでる間に逃げる。
念のため距離を離れてから振り返ると、ハニービーはもう追ってきてはいなかった。




