第26話 師匠と弟子
「何を言っておるか、この馬鹿者め」
「えっ?」
自分の至らなさを深く反省し感傷に浸っていると、突然婆さんに怒られた。
「仮にもお主はたったの一週間で上級の位まで到達することが出来たのじゃぞ。もっと喜ばんか」
「はあ……そうは言うが、自分でも納得してないと言うか、何というか……」
俺の言葉を聞くと、婆さんは呆れたようにため息を吐いた。
それを見てふと、何だか見たことがあるような顔だ、とぼんやりしながら思った。
「これはお主がお主なりに努力した結果じゃろうに。それを真っ向から否定するような真似をするでない。確かにお主はある種の裏技に近い方法を使って上級に近づけたが、その方法は一種の秘技と呼ばれるものなのじゃぞ?」
黙って婆さんの話を聞いていたが、突然使った技が秘技のそれと同じものだとか聞かされても反応に困る。
自分的には「どうせ回復するんだから、ついでに癒しを与える神聖魔法も使ってみればいいんじゃね?」という適当な思い付きでやったのに……。
そんな真顔で「一種の秘技なのじゃ!」とかいきなり言われてもね。
困惑が顔に出ていたのか婆さんは俺の疑問に答えるように話を続ける。
「そもそも、長年生きた流石のわしでもお主がここまで出来るようになるとは思ってもみなかったわ。
つまりまあ、お主はわしの予想をはるかに上回ったということじゃ」
「……あれ? この前、魔法薬学を極めさせるとか言ってなかったっけ?」
「普通に考えればそんなこと、たった一週間ぽっきりで出来る訳が無かろうに。それが出来たら世の中、薬師だらけになるじゃろうが。あれはただの発破のつもりだったのじゃよ。それをお主が予想外の方法で易々と飛び越えて行っただけじゃ」
……婆さんめ、あんなことを言っておいて、ホントは適当に言っただけとかふざけんなよ。
ちょっとばかし俺も真面目にやろうとしたのが馬鹿みたいじゃないか。
それを何とも無さそうな顔をしくさりやがって、面の皮が分厚過ぎるだろ!
俺の内心に渦巻く感情に気付かず、諭すように言葉を重ねてくる。
「それにその方法は秘技と呼ばれるだけあって、難易度が高いんじゃよ。
一見、お主がやったように簡単そうに見えるかもしれんが、本来は完成された回復薬に魔法を付与するモノなのじゃよ。
だが、それすらも魔力操作を高いレベルで出来るようにならなければならぬのじゃ。
本来、薬師になる者は武術や魔法の才が乏しい者か、親の後を継ぐ者、今時はあまり少ないが進んで薬師に成りたい者かのいずれか。
つまり、魔法の才がありながら薬師の真似事をするというのは稀有なのじゃ。
何が言いたいのかというと、この秘技である“魔法添加”という技術は使い手の数が限られているということなのじゃよ。
そんな優れた才能を持っておるのじゃから、己を過小評価せずにもっと誇るのじゃ」
「でも、婆さんも同じことを出来るだろ」
「そりゃそうじゃ。わしがお主の何倍生きていると思っておるのじゃ。お主がやった工程一つ一つに魔法を掛ける“重ね掛け”と呼ばれるものもまた、高等技術の一つじゃ。遥か昔からある既存の技術の一つじゃがな」
「……ああ、よく分かったよ。もう出来る限り自分を過小評価しないようにするから。それでいいだろ?」
「当然じゃ。お主はわしでも出来なかった事をやってのけたのじゃぞ?」
「出来なかった事? そんなことあったのか?」
「ふぅ……まず前提条件として、一般的に存在する薬師は皆、誰もが通る道があるのじゃ。それは自分の師匠を見つけることじゃ」
「まあ、予想はつくけど、それで?」
「そう急ぐでない。お主は何故、師を見つけるか分かるか?」
そう問われて、考え込む。
まず、考えらえるのはレシピが分からないから?
でも、それだと実利目当てみたいに思われるし、最悪、情報を得たら逃げられるかもしれない。
「う~ん……やっぱり、レシピを知るため?」
「はぁ……それは次に大事なものじゃ。レイラは分かるかの?」
今までほとんど喋らずに黙って聞いていたレイラに婆さんは問いかけた。
「多分だけど……最初は信用が無いから師匠の下で信用を得るため、とか?」
それを聞いて、「なるほど、そういうことか」と俺は即座に理解した。
「何故、信用を得る必要があるのじゃ?」
「だって、信用が無かったら売られている薬が本物かどうか分からないじゃない? 違法な薬かもしれないし、危ない薬かもしれないから」
「そうじゃな。だがそれだけじゃなく、信用が無かったらそもそも薬の売り買いは出来ないのじゃよ。理由はレイラが言った通りじゃな」
こういう話をするということは、過去にそういう偽物の薬を売ったりしていた奴がいるんだろうな、と益体もないことを考えてしまった。
「でも、信用なんて目に見えないだろ? どうやって信用を目で見えるように確認するんだ?」
「簡単じゃ。生産ギルドでランクを得るのじゃよ。人によって違うのじゃが、生産ギルドで師匠を見つける者と、師匠を見つけてから生産ギルドに入る者との二種類の者がおる。お主とレイラは後者に属するのじゃがな」
「私はもうギルドに加入済みだけどね」
まあ、そりゃそうだよな。レイラは既に上級回復薬をいとも簡単に作れているからな。
「なるほど、生産ギルドなんてあったのか。その生産ギルドっていうのは入った方がいいのか?」
「基本的に入った方がメリットがある。だが、お主の場合はむしろ入らなければならぬのじゃ」
「えっ? 何で?」
「お主が入らなければ、この一週間で作ったお主の回復薬を納品出来んじゃろう」
「あっ、なるほどね」
さっき加入してなければ、信用が無くて売買出来ないって言ってたもんな。
「師の存在が大事な理由がこれで分かったかのう?
だが、まだ他にも理由があるのじゃが、それが先程お主が言ったようにレシピがその一つじゃ。
レシピと言っても薬師の数だけ違いがあると言っても過言ではないがのう」
「……料理人にとってのレシピと似た様なもんなのか?」
「そうとも言える。先祖代々積み重ねてきたものもあれば、一代で編み出したものもある、という事じゃ」
「じゃあ、婆さんから教わった回復薬の作製法は他人に教えてはいけないのか?」
「教えてはいけない訳ではないが、うむ、あまり教えない方がお主にとっては面倒ごとは避けられるじゃろうな」
「そうか、じゃあ極力教えない方向でこれから気を付けるか」
「そうする方が良いじゃろうな。それでは師の存在にメリットがあることが分かったじゃろうが、逆に師の存在が無い場合はどうじゃ?」
師匠が居ないならば、先程言った信用が得られないだろうしレシピも分からないだろう。回復薬を作るためには素材が必要だし、その為には金も必要になってくる。
師匠の存在があるのとないのじゃ雲泥の差だな。
「――という諸々を考えた結果、師匠というのはやはり見つけた方が良いんだろうな」
「うん、私もそう思うかな。分からなかったら教えてもらえるしね」
「それが正しいじゃろうな。わしの場合は最初は独学でやり始めたから、薬草を集めては失敗してを何度も繰り返したからのう。あの時は若かった」
なんだか遠い目をしながら、婆さんが語り始めた。
「幸いにも、魔法薬学についての本があったから自力でやろうと思ったが、それが無ければ何処かで躓いていたかもしれんのう。レシピなぞほとんど知らずに、一から試行錯誤していた日々が懐かしい。
お主が一週間で辿り着いた上級回復薬は、わしが作り始めてから三か月目じゃったかの。だから、もっと誇るのじゃ。それに魔法添加なぞ、わしがやり始めてから数年以上先の事じゃぞ!
わしが掛けた一%にも満たぬ時間でお主はここまで至ったのじゃ。そんな辛気臭い顔をされて堪るものか」
良いこと言っている風に見えたが、最後の部分が言いたかっただけじゃないか。
ほどんど俺への八つ当たりにしか聞こえない。
なんだかなあと思いながらも、ある種の叱咤激励にも聞こえたので、とりあえずもっと頑張ろうと、ひとり決意した。
「そういえば、これでもう終わりなのか?」
ユートが言っているのは大きな作業台に隙間なく置かれている回復薬の事だ。
それをユートとレイラで数えながら丁寧にアイテムバッグに入れている。
アイテムバッグは婆さんの私物で、納品専用の道具らしい。
そして、聞かれた本人は最後の回復薬を作っている。
「そうじゃな、もう結構な量を作ったしこれで終わりかのう」
「そうか、やっとか……」
この一週間……短いようでとても長かった。
毎日朝早くに起床し、朝食を食べたら駆けるように仕事場に向かい、15時間を優に超えて回復薬を作り続ける。
そんな一週間を送り続けて今更ながら思ったことは「俺、ワーカホリックすぎだろ!」の一言だけだった。
自分で言っててなんだが、胸がズキズキ痛いのは気のせいだと思いたい。
もし、ステータスの称号欄に“仕事中毒”とか書かれていたら膝を折るかもしれん。
それに釜を回し続けていたから腕の筋肉が色々とヤバい。
最初の頃は筋肉痛に悩まされていたけど、二日、三日と過ぎていくうちに痛みが段々と減っていき、最後の方では痛みすらしなかった。
元の世界では筋肉痛が結構長引いていたはずなのに、この異世界では治りが早いというか回復力が上がっているのかもしれない。
そう心の中で結論付けていると、婆さんも回復薬を作り終えていた。
「それも納品する奴なのか?」
釜に入ったモノを瓶へと丁寧に詰めているのを見て訊ねる。
「いや、これは違う奴じゃ。それより、納品する物は仕舞い終えたのかの?」
「ああ、もう終わったぞ。合計数は16800と端数24だ。それにしても随分、大量に入れられるアイテムバッグだな?」
「それは昔、迷宮で手に入れた物じゃよ。基本的には人間が作った物より迷宮産の方が効果が高い場合が多いのじゃ。欲しかったら自分で手に入れると良いじゃろうな」
「そうだな……いずれ行ってみるとするよ」
迷宮都市という言葉に胸を躍らせながら、いつか己が行くであろうことをこの時俺は確信する。
「それが良いじゃろう。……それでは最後の一仕事に行くとしようかの。お主たち二人はもう休んでよいぞ」
「何処へ行くんだ?」
「な~に、納品ついでにただの世間話じゃよ」
「私も行かなくて大丈夫?お婆ちゃん?」
「心配せんでもそこまで遠くないから一人で大丈夫じゃよ」
「そう、分かった。気を付けてね!」
「うむ、行ってくる」
レイラが母親の様に心配し、それを微笑ましそうに笑いながら婆さんが見送られていった。
──☆──★──☆──
~ダラムの町 領主館 応接室~
コンコン
「カトレア様をお連れ致しました」
執事服を着た壮年の男性がドアをノックし、中にいる人物に対して訪ねる。
その仕草に一切の迷いは無く、長年この屋敷で勤めていることを感じさせた。
「入ってくれ」
年若い二十代前半の男性が少しばかりの声の震えを精一杯隠しながら、部屋の中から応答する。
「失礼します」
外から入ってきたのは先程の執事と黒いローブに身を包んだ老練さを感じさせる老婆。
だが、ただの老婆ではないことは一目見て感じられる。
(やはり、この方と相対すると緊張するな……)
「ようこそ御出で下さいました、カトレア様。何もない所ですが、御ゆるりとしていってください」
「減点じゃ、坊主。相手に対しいきなり下手に出るでない。そんなことを馬鹿貴族共の前ですれば難癖をつけられるぞ。お主は仮にも辺境伯家の当主じゃろうが」
「す、すいません! ですが、“坊主”とは呼ばないで下さいと何度も言っているじゃありませんか! 今年でもう二十ニなんですよ!」
「ダメじゃな。お主にはまだまだ坊主がお似合いじゃ」
「そ、そんな~……」
情けない声を出すその男性を視界に入れながら、壮年の執事は二人の前に紅茶をスッと音を立てずに置く。
その顔には自分の主に対する慈しみと笑みで顔に溢れている。
「全く、坊ちゃんはまだまだですね。カトレア様ももっと坊ちゃんに厳しくしてください」
裏切ったな! という顔をしながら自分の執事に向けて睨みつける。
それを柳の様に受け流しながら、執事は黙って自らの主の後ろに立つ。
「それもしたいところじゃが、今日のところは早く終わらせるとしようかのう。弟子が待っているのでな」
それを聞いていた坊ちゃんと呼ばれた細身の男性は驚きに目を丸くする。
後ろに立っている壮年の執事は長年、執事をしているだけあってか驚きを顔には出さなかった。
「えっ! カトレア様がお弟子を取られたのですか!?」
「一週間ほど前にじゃがな。もう既に上級まで出来るようになった才の持ち主じゃ。いずれはわしさえも越えていくじゃろう」
あの魔女と謳われたカトレア様にそこまで言わせるなんて、とんでもない者がこの領に居たとは……と勘違いしながら半ば呆然としていると、後ろにいる執事のアレクにちょんちょんとつつかれる。
誰も勘違いとは訂正してくれずに。
我に返ったその男性は、驚きを隠そうとしながら精一杯言葉を話す。
「あ、ああ、ってたったの一週間でそこまで到達させるとは……流石カトレア様ですね」
「いや、わしはほとんど何もしてない。ただ、素材とレシピを与えただけで、後はたった一人で上級へと辿り着いて見せたのじゃ。あやつの才能じゃよ」
「そこまでの才を持つ者がこの領に現れてくれるとは何ともありがたいですね。あともう少しで『大氾濫』が起きてしまうので、これも神の思し召しでしょうか」
執事のアレクが何ともなしにそう宣う。
それを聞いて、カトレアは馬鹿馬鹿しいと一笑する。
「ふん、あやつはそんな玉じゃないと思うがのう。あやつはただ自分の好きなことを全力でやるだけじゃろうて。まあ言いたいことはそれだけじゃ。あと、回復薬を納品しに来たからの。全く、ちゃんと時間的に余裕をもって依頼をせんか」
カトレアは目の前にいる孫と同じような世代の男性に向かって、八つ当たりのように言う。
「ええっ!? 私は『無理かもしれないですが、時間一杯までで出来得る限り作ってくださいませんか?』と前もって言ったじゃないですか!」
「そうだったかのう? もう忘れてしもうたわ。これも年齢のせいかのう……」
ニヒルな笑みを浮かべながら黒いローブを着た魔女はそう嘯いた。
そう、初めから分かっていた。一週間前に青年が現れることも。
その青年を自らの弟子にすることも。
だから依頼をして回復薬を作らせるようにワザと仕向けた。
本来なら必要過ぎるほどの大量の回復薬を用意するほどに。
それはいずれ来る大氾濫を乗り越えるため。
その者は――――魔女。
数十年前に“時読みの魔女”と恐れられ、今もなお存在する生きる伝説その人である。




