ACT:07 甘い甘いベリーメリー
どうして、化学とか生物とか、いわゆる理科実験室の水道って無闇に勢い良いのかしら?
クラスの男子に「間抜けだー」って指差されたわよ! もう!
私、関崎香織はただ今半べそかきながらハンドタオルでブレザーのお腹辺りからスカートまでぐっしょり濡れた箇所を拭き拭き中です。うう、冷たいよー。
今日はこの後、教室には戻らずに終礼放送する為に放送室に行くから、ん~、部室にアイロンはなかったけど、ドライヤーあったかな? 流石にこの状態で電車乗りたくないしなぁ。寒いし。
あ、ちなみに授業は生物で、玉葱刻んで磨り潰してDNA取るってやつ。あはは、意味わかんないや。
ていうか期末テストもう直じゃん! うわ~、先輩のスパルタ始まるー。いーやー。
ああ、でも出来れば大学は先輩と同じ所行きたいしなぁ。高校同じって言っても、余裕で受かった先輩とぎりぎり合格の私とじゃあね。あは、が、がんばろう。
「言ってもこればっかりはなぁ」
「なにが?」
口に出てしまった考えに、反応したのは絵里だった。
生物Ⅱの教科書と筆記具を両手で胸の前で抱えて、絵里は首を傾げている。なあんか最近、絵里可愛くなったなぁ。恋? 恋ですか? って俗物的過ぎるか……。女子って急に垢抜ける事あるもんね。私も垢抜けたいぃ~。
どうしたの? と怪訝な顔をする絵里に私は慌てて顔の前で手を振る。
「や、たいした事ないよ。んと、受験の事。ほら、3学期入ったら直に進路相談あるじゃない? それそれ」
「ああ、香織は先輩と同じ大学受けるの?」
「ん~。出来れば、ね」
問題は成績の事もなんだけどね~。私学なんだよねー。妹の高校受験も重なってるし、夜に両親がこっそり夫婦会議してたの見ちゃってさー、すっごく頑張ってくれてるみたいだから、あーうー悩むー。
まあ、その前に成績あげなきゃ駄目なんだけどね……はう。
そうなんだよね。来年の今頃はセンター試験まで後一ヶ月! って感じになってるんだよね。
高校生じゃなくなる自分は、まだちょっと想像が付かないわ。
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いつも通りの終礼放送。今日の担当は絵里ね。
私もなんだけどやっぱり絵里も記事読むときは普段より可愛らしい綺麗な声音になる。ある意味女の子の真理よね。あ、電話出るときにお母さんの声が1オクターブは上がるのとは違うからね! ああ、でもおばさん真理も元は同じかぁ。
なんて事をつらつら考えていたら部活終了。
後は会議というお喋りタイムです。
今日は1年生も真面目に着てるから今後の話よね。
3学期からの部長決めなきゃならないし。話の流れ的に私が部長で絵里が書記会計、副部長は今の一年から選ぶんだけど。一番出席率のいい永田君に決まりそう。
なんかこういう話し合いって去年も思ったけど寂しいね。先輩たちがいなくなっちゃうって事だもんね。
後藤君は国立も受けるっていってたから、本当にセンター試験まで日がないしね。なんかひしひしと年の終わりを感じちゃう。
と・し・の・終わりと言えば! ふふ、言わずもがな!恋人たちの一大イベント! クリスマスが来ますですわよ!うふふん。
すれ違いが分かってから、私と先輩の取り巻く空気がちょこぉ~と変わりました! まあ、ちょこっとなんだけどね。
あ、後藤君には私と先輩、それぞれからこっ酷く叱っておいたから! もう許してあげてるの。真に受ける先輩も先輩だしね……。
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部活が終わってから私は電車を途中下車して、駅構内にあるファーストフード店に入った。私の恋人である河東耕一さんは先に来ていて、なんか食べながら文庫本読んでた。
私はぱたぱたと小走りで先輩の傍に向かった。
にっこり笑って、お待たせしましたと声を掛けた。
先輩は文庫本をカバンに仕舞いながら「何か食う?」と聞いてきた。
お腹は空いてるんだけど……。お腹のお肉が大変なのよ……。夏場は頑張ったんだけど……。
緩めるな、それは気持ちと腹の肉。
私は店内広告のホットアップルパイは見ない様にしつつ「帰ったらご飯なんで、紅茶買ってきます」
と、告げて、椅子にカバンとマフラーを置いてレジに向かった。うう、パイ美味しそう……。
「今日バイトは?」
「6時からです。あと1時間は平気です。先輩は?」
「今日は休み。それ飲み終わったら車取りに行くか? バイト先まで送ってく」
目の前がバラで埋め尽くされました。
こ、こういう発言がね! 前とちょっと違ってきてるの! まあ、メールのレス率は相変わらずなんだけどね。
もちろん私は断りなんかしない。本当は送って欲しいのに「え、迷惑なんじゃ」とか駆け引きめいた事は言わない。言ったら先輩本気にしてお開きになるから、先輩が言ってくれた事には素直に頷くに限るの。
他愛ない話も前よりも楽しさ倍増してる感じ。
やっぱりちゃんとお互いの気持ち確かめ合うって大事よね。『言わなくてもわかるだろ』は絶対通用しない。それは多分、差はあるだろうけど男女関係ないと思うわ。ね? 先輩。
車で送って貰えるならぎりぎりまで時間平気かな? って思っていたけど、先輩は長居せずに「行こう」と言ってきたから、私は素直に先輩の後を付いて店を出た。
ホットアップルパイさん、さようなら。
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結構乗りなれてきた軽自動車は先輩のお母さんのらしい。小回り効いて乗りやすいって言ってた。
先輩の家からなら車で15分くらいかな? バイト先のケーキ屋さんまでは。
15分のドライブデート。
黙っていても大好きな空間。
それって、先輩? 貴方とだからなんだよ? 分かってますか? なんてね!
ぼんやりと幸福な時間をぶっ潰したのは先輩の一言だった。
「受験の事だけど、香織はウチ受けるんだよな?」
お・じゅ・け・ん。はう~。今凹むこと言わないでよ~!
ああでも先輩は私にやっぱり同じ大学来て欲しいんだよね。あ、それは嬉しい。今度は2年間は一緒の学校に通いたいって事だもんね。学園祭とかも一緒ね!
でもねー。
「今、判定うけたらBもないですよ……」ええ、それが現実です。そしてもう一つ「あと、ん~と、そのぉ」ちょっと言いにくいなぁ。
ちらっと先輩は見たら私の答えを待っているみたいで、う~ん話してた方がいいよね。
「その、妹が高校私学行きたがってて、あの子成績良いし? いい所通えるならその方がいいし……その、私も私学っていうのは難しいかも……なので、家族会議中?」
「そっか、まあ、よく話して決めろな? 取り合えず判定Aダッシュは取れる様に本気で勉強しろよ?」
あう。
「はぁい」
そしてスパルタが始まるのですね。うう。
大事な話なんどけどね。今は季節的に甘いお話したいんだけどね! 先輩ってこういう所硬いよね。まあ、ちゃらちゃらしている人より全然いいんだけど、もちょっといいんじゃないかなぁ、2人の距離を近づけても。うきゃー! 過激? 過激ですか、私?
内心悶絶している私の事は気付きもせず、気付かれたら困るけど、先輩が別の話題を振ってきた。
「そういや、初詣の予定あるのか?」
は? へ? お正月? なんか飛んでません先輩?
「3日に絵里達と行く約束してます。後は妹の合格祈願位かな? 元日に近所の神社で」
あのー、お正月より1週間前の話は?
「じゃあ、2日な。朝迎えに行く。時間はまた決める」
「あ、はい」
メモメモ。2日は先輩とデートっと。で?今月の事は?
「あの?」
「ん?」
「クリスマス、は?」
「バイトだろ?」
はうっ! って、だろ?
「あっ……!」
私のバイト先はケーキ屋さん。23日は昼からラストまで、24、25日は3時からラストまで。サンタさんの格好でケーキ売り。しかも今年は平日にイブとクリスマスかあるから26、27もケーキ買いに来るお客さんが多いはずで……バイト入ってます。
わ~す~れ~て~たぁっ!!
「あ、の、でも」
あう……。凹んだ。私は凹んだ。
けど。
「俺もバイト入ってるけど、もう冬休み入ってるだろ? 昼飯くらい食べに行くか?」
なんて、先輩が言うもんだから、再びバラが満開になりました。
「はい! 行きたいです!」
先輩に向けた笑顔こそ、お花みたいに写ってたらいいなぁ。
今年は甘いクリスマスになりますように!
******
車で香織をバイト先まで送る事にした。寒いし、少しでもゆっくり出来るかと思ったから。
助手席に座る恋人は、もう何の違和感もない。
後藤の所為で馬鹿げた勘違いをしていたけど、考える必要もなく思い出すだけで香織がちゃんと彼女として居た事が分かったから、その点はこいつに申し訳なく思ってる。
車を走らせて暫くして、タイミングを掴み損ねていた事を口にする。こういう事はさらっと言った方が色々とダメージが少ない。
「受験の事だけど、香織はウチ受けるんだよな?」
気付くかな? 名前で呼んだの。関崎って苗字て呼んでたけど、ま、あれだ、名前でいいよな? と。
内心、反応を期待した。けど。
「今、判定うけたらBもないですよ……」との事。しまった。話題がいけなかった。まずった。
「その、妹が高校私学行きたがってて、あの子成績良いし? いい所通えるならその方がいいし……その、私も私学っていうのは難しいかも……なので、家族会議中?」
なんて香織が続けたから、これは真剣に答えないと駄目だろ?
本気で進学したいのなら奨学金とか新聞配達とか? あるけど。
単に一緒の大学来て欲しいってだけて、そんな体力的にも精神的にもしんどそうな事進められない。
というかB判定ないって……受験自体出来ないだろ、それじゃ。
家庭の事情もあるけど、まずは親を納得させないと駄目だろ?
「そっか、まあ、よく話して決めろな? 取り合えず判定Aダッシュは取れる様に本気で勉強しろよ?」
と言ったら、唇を尖らせながら「はぁい」と答えた。
後は予定通り正月の時間を抑えて、クリスマスの時間も抑えた。
正月くらいなら大晦日から夜でも外出できるか?と思ったけど、家族と予定があるなら仕方がない。
つーか、俺より先に友達と予定立てるってどうなんだ?
まあいい。その内覚えてろ。
信号待ちしてる間に、香織を見たら急に首から耳まで真っ赤になっていた。
なんだろう? 逆上せた? エアコンきつかったか?
「あ、あの、先輩」
「ん?」
「今、その、さっきですけど、な、名前呼びました?」
今頃かよ……。
「……さぁ?」
「え? え?」
目を丸くした表情が可愛かったから、もう、答えないでいる。
これくらいは、いいよな?
友達は大事だろうけど、優先順位は忘れるなよ?
さて、付き合い出して来年で1年。それなりに何か変われんのかな?