ACT:03 メール活用法
恥ずかしいからって嫌がる子も結構いるけども、私はそんなに嫌じゃない。
私は硬くて長い棒にそっと手を添えて、乾いた唇を一舐めしてからそれに近づける。
そしてすっと息を吸い込み。
「それでは今日一日を振り返り黙祷します。黙祷始め」
マイクに向かいスピーカー越しに全校生徒に伝えて、私はマイクの電源をオフにする。
場所は我らが部室の放送室。
終礼放送ってやつね。連絡事項を伝えたりするの。これも大事な放送部の活動のひとつ。
私は後ろを振り返って部長の後藤君と絵里を見ながら。
「ねえ、今日は何秒にする?」
黙祷の時間って決められてないのよね。私たち部員の気分次第なの。たまぁに意地悪して長くしたり、マイクをオフにし忘れて雑談が全校放送されたり……うん、そんな感じ。
私が答えを待っていたら後藤君がプリントをひらひらさせて。
「3年にだけ連絡あるから早めに終わって、俺に替わってほしい」
「了解しました」
私はきっかり10秒後に再びマイクをオンにする。
「黙祷止め。今日の反省はできましたか? その反省を明日に活かして下さい。これにて終礼放送を終わります。なお、3年生は引き続き連絡事項がありますので、そのままお待ち下さい」
私は後藤君に場所を明け渡し、絵里の隣に行く。
ちなみに休み前は「明日明後日に活かして下さい」とかになるの。
夏休みが終わり、実力テストも終わった。受験を控えた3年生は本気で正念場ってやつね。
後藤君も3年生なんだけど、1年生部員がサボり気味で使えないって事もあって部活は続けて貰っている。困ったもんだね。
来年、新入部員来なかったらどうしようって思いが現実味を増してきたわ。
放送部は放送するだけじゃない。
全校朝礼や体育祭などのグランドに集まる時、体育館に集まる時等はマイクスタンドなどの機材を運ぶのも仕事だから、流石に私と絵里とじゃキツイ……まぁ先生も手伝ってはくれるんだけどね。
「お疲れー」
と、後藤君が言って部活動は終わり。ここからは部員の交流タイム、もとい、会議が始まる。
議題その1。文化祭中のBGMに何を流すか。これは事前にリクエストを募集していたのでそこから曲を選んでいくだけ。
議題その2。マン研部と毎年合同でスライド漫画をしているんだけど、アテコレってやつ? それの日時決め。
これ結構面白いんだよね。効果音なんか入れていって、マン研部員が話と絵を描いて、声は演劇部員がやるの。見てる方は紙芝居って感じになる。
文化部が3部集まってがやがやと楽しめて結構お客さんも入ってる。去年も視聴覚室に立ち見出るくらい観客がいて、ちょっと驚いた。
「んじゃ、日程は10月の第2週って事で調整して、音声の編集に3日か」
後藤君の言葉に私も絵里も異存なく頷いた。
文化祭まで後一ヵ月半。
運動部も文化部も各クラス毎の出し物も、何をするかは決まっている。うん、今からすっごく楽しみ。当日は卒業生であり部のOBでもある先輩も来るしね。私てきにはここが重要なんだけどね。
「そういや河東先輩の大学って学祭いつか聞いてる? 下見ついでに行きたいんだけど」
と、先輩と同じ大学が第一志望の後藤君はお菓子を食べながら聞いてきた。
「えっと、10月の22日だったかな?」
私は携帯のメールを確認して「うん。22日」と後藤君に伝えた。
大学の学園祭って芸能人くるの? 行きたい! と絵里が言い出して、何だかんだで三人で先輩が通う大学の学園祭に行くことになった。
部の皆で行くって事は夜に電話すればいいかな? う、でも今日は居酒屋でのバイトの日だから帰ってくるの11時くらいなんだよね。ってことはメールか。はぁ、声聞きたいのになぁ。
夏休みも結局はデート1回だけだったし。二度とない高二の夏休みだったというのに! クラスじゃ二学期になって急に大人びた子とかもいるのになぁ。
先輩、免許は取れたみたいだけど未だに乗せてくれないし。なんだかなぁ、つまんないの。
でも、あんまり我がまま言っちゃ駄目だよね? 運転慣れたら乗せてくれるって言ってたしね。
高校生と大学生だしお互いバイトしてるし、月2,3回は会えてるんだから、それ以上望むのは贅沢よね。
「また関崎がトリップしてるぞ?」
「どうせ河東先輩絡みでしょ? 香織愛してるよ、私もよ耕一さん、とか妄想してんじゃないの?」
「トリップも妄想してない!」
勝手なことを言う絵里と後藤君に私は言い返した。でも絵里さん、今じゃないけど間違ってはいないよ。言われてみたいな先輩から。
付き合おうって言われたけど、好きだとは言われてないのよね。
ううう。
******
その日の夜10時に先輩にメールを入れた。
先輩のメールのレス率は6割。んーその気にさせるメールテクニックとかも読んだんだけどな。うん、読んだのよ。4割空振ってるけどね。
私はピンクの花柄のベッドカバーの上に寝転がりながら返信を待った。
先輩はまだバイト中。返信のしようがないのは分かってる。
けど。
「寂しいな」
小さく漏れた自分の言葉に胸が痛くなる。
キスを、あの日キスをしてから、どうしようもなく寂しくなる時がある。
先輩の態度は変わらない。キスなんかなかったみたいに私に興味を持たない。
唇を触れ合わせただけで良し悪しって分かるのかな? 気に入らなかった? 駄目だった? どうして距離を縮めてくれないのか、私にはちっとも分からない。
「知っていなくちゃいけないのかな?」
分からないものは分からない。どうしてキスをしてくれないのか? なんて聞けるわけもなく。変わらない関係性を甘んじて受けるだけ。その意味を、知らないと駄目なのかな?
とりとめもない事を私が考えていたら携帯がブブブッと振動した。
夜はマナーモードにしている。
小さいディスプレイには『着信:耕一さん』の文字。
え? うそ! バイトは?
私は慌てて電話に出た。
「はいっ」
上擦ってしまった私の声。耳に聞こえて来たのは細くて低い大好きな声。
『起きてたか?』
「はい」
私は答えながらベッドの上に正座した。
『学祭、後藤たちと来るのか? 受験場所の下見なら午後からなら案内してやれるから、後藤にそう伝えててくれ』
「はい」
『じゃ』
はい?
「せ」
んぱい、と続ける事も出来ずに、切られた。なにこれ?なんで? 業務連絡?
愛想のない人だとはいう事は理解している。でも、これは、曲りなりにも恋人に対して行う態度なのかな? 違うよね?
知らなきゃいけないの? 変わらない先輩の態度。変わらない関係性。
駄目だ。嫌な方向に考えてしまう。
先輩の告白って、卒業前のその場ののりだったの?
めげるものか! と思ってきたけど、ちょっと俯きな事を考えていたから結構きつかった。
******
眠る事も出来ずに思考を停止させて、気がついたら日付が変わっていた。
午前1時。家の中は静まり返っている。両親も妹もきっと寝ている。週末なら夜更かししている時間だけども、皆寝てる。
先輩からの連絡は、メールも電話も、あれから無い。
バイト中で暇を見つけて電話をくれたのかもしれない。やっと、どうにかそう思えた。
私は携帯を開いてメールのボタンを押した。
『寂しい』
送信してしまってから激しく後悔した。
真夜中にこんなメール迷惑でしかないに決まってる。
あーもう、なにやってるだろう私。めげるなめげるな! 私はちゃんと彼女なんだから!
返信はない。
そりゃそうよね。こんな時間。寝てるよね。
私はごそごそと起きだして1階の台所に向かった。
常夜灯だけのそこは、なんだか物悲しい気がする。
携帯電話って必ず持ち主に即繋がるわけじゃない。私だって寝ている間のメールには気付かないし、学校では(校則違反なんだけど)マナーモードで鞄に入れてるから昼休みか放課後しか着信があっても気付かないし出れない。
だから、返信がないのは当たり前。寂しがるのは私の勝手な我がまま。
溜息を一つついて、私は冷蔵庫を開けペットボトルのオレンジジュースをコップに注いで部屋に戻った。
こんな寝れないのって初めての経験。なんとなくテレビを点けて深夜番組を見る。
明日、もう今日ね、授業中寝ちゃいそう。遅刻とサボりはしたこと無いんだけど、居眠りは何度かあるの。無視する先生と課題出す先生がいるんだけど、今日の授業何だったかな?体育はないからまだ楽かな。
つらつらとそんな事を思っていたら、番組が終わってしまった。1時半か、流石にもう寝ないといけない。
わかんない。何で寝れないんだろう?
「っ!?」
急に震えだした携帯に心臓がびっくりした様にどくんと強く打った。
ベッドの上に放り出された小さい機械。
手を伸ばして引き寄せて、え? と私は目を見開いた。
『着信:耕一さん』
******
私は慌てた。かなり慌てた。真夜中なのでばたばたとは出来ない。その事が余計に焦りを生む気がする。
パジャマを脱いで、素っ気無いTシャツとホットパンツを穿いて、足音を立てない様に玄関に向かった。
混乱しているのは自分でも分かる。
ドアチェーンを外す時間がもどかしい。鍵を開ける音が大きく響く。親が起きてしまわないかと、少しどきどきした。
そっと扉を閉めて門までの短いポーチを私は走った。
残暑が酷くてこんな時間でも蒸しっとしている外気。少し離れた道の角に軽自動車にもたれて立っている先輩がいた。
私は駆け寄って、先輩を見上げた。
先輩は私を見て戸惑った様な、というより怒った顔をした。
うっ、怖いんですけど。
話しかける言葉が出てこなくて、私は視線を泳がせた。
口を開いたのは先輩からだ。
「何だよあのメール」
苛つきが伝わる低い声。私はしゅんと肩を落とした。私自身が後悔しているメール。そんなものを受け取らされた先輩はどう思ったんだろう?
「ごめんなさい」
こんな気弱な声、出したくないのにな。好きな人の前では明るく笑っていたいのに。
うっわ。駄目だ私。どうしたんだろう? へこたれる時って人間一気にくるのね。
沈黙が、どれだけのものだったのか分からないけど、泣きそうになったのは先輩から聞こえた溜息のせいだ。
「何かあったのか?」
そう問う先輩に私は首を振る。言葉を発したら嗚咽になりそうで、唇を引き結ぶ。
「お前、時間大丈夫なのか?」
「お、お母さんとか、見つかる前に戻らないと」
しどろもどろ答える私に先輩は「学校もあるしな」と呟いた。
そういえばどうして先輩がここにいるんだろう? 今頃私ははっとした。自分の事ばかりで聞くこともしていない。
「先輩、あの、なんでここに?」
「車」
「っと。そうじゃなくて」
戸惑う私に先輩はむっとした様に眉を顰めた。
「あんなの送られて放って置けるか?」
あんなの、とはメールの事だろう。
私はぱちぱちと何度も瞬きをした。気にしてくれた? それでこんな時間にわざわざ車で来てくれたの?
『寂しい』なんてメールに会いに来てくれたの? 返信するとか電話するとかじゃなくて?
私はちょっと泣いてしまった。多分理由は『河東耕一』が不足したからだと思う。変な言い方だけど、他にいいようがないもん。きっと先輩との糖度が不足し過ぎたんだと思う。
ぎょっとした先輩が私の肩を抱いてくれた。それだけで乾いていたものが満たされていく様で。
私、本当に寂しかったんだなって鼻を啜った。
たった一言のメールで会いに来てくれるなんて想像も妄想も出来なかった。凄く嬉しくて私は先輩を見上げて笑った。
先輩は困った様な顔をしてから、キスをしてくれた。
「学校あるんだからさっさと戻って寝ろ」
って早口で言われたけど、照れ隠しだって分かる。
でも。
「先輩、なんで口にじゃないんですか?」
私は恋人の柔らかな唇が押し当てられたおでこを右手で触った。
「さっさと寝ろっ」
あ、やばい。本気で怒ってきた。この目は本気モードだ。付き合って半年以上経つんだもん、それくらいは分かる。
うう。甘いままじゃ無理か……胸焼けしちゃうもんね。私は胸焼けしたいんだけどな。
15分程の真夜中の逢瀬。それで私の元気が充電された。
「はい。先輩、来てくれてありがとう」
そう言って私が笑って見上げたら、先輩も小さく笑ってくれた。
糖度不足には、多少の我がまま言って甘える事も必要なんだって、しみじみ思い知りました。