おらの世界に魔王さ来い
「おお、儀式は成功だ!」
「我等をお救い下さい、魔王様!」
これが今巷で流行りの異世界トリップだと気づくのにそう時間は掛からなかった。
童心に帰り横断歩道の白い所だけを踏みながら渡っていたところ、最後の一歩を踏んだ瞬間気づけばこの状況である。
のちに知った事だが、白と黒は『対』や『異なるもの』を表し、これが描かれた図形というのは転移の意味を持つ魔法陣となるらしい。
ちょいと昔ならば人喰い横断歩道だの神隠し交差点だのと呼ばれてホラースポットと化していた事だろう。
が、現在は違う。
異世界トリップが日常茶飯事となった昨今、昨日まで一緒に遊んでいた友人が姿を消し、逆に何年も行方不明となっていた人がどこぞの世界を救ってきたなどという土産話を携えて帰ってくる事などザラである。
つい先日もクラスメイトのゆっちゃんが高校からの帰り道に姿を消した。お人よしでNOと言えない典型的な日本人であった彼女の事だ、きっと今頃しぶしぶ世界を救わされているに違いない。
「しかし変だな。ニホンだかニッポンだかという国の出身者は黒目黒髪が多いと聞くが、魔王様は目の色はともかく、髪の色が……」
「うっ、こ、これは……!」
私は反射的に自身の焦げ茶色の髪を手で隠した。
そう、私の髪の色は焦げ茶色だ。しかし生まれつき髪の色が明るいとかでも何でもなく、単に染めているだけだ。
しかも白髪染め。
べ、別に金やらピンクやらのド派手な色に染めているわけじゃないんだからいいじゃないか!カラーリングは私達若白髪にとっては最後の希望なんだよ……!
そういえばゆっちゃんも若白髪同盟のメンバーだった。
今にして思えば、モノクロ模様の横断歩道が転移魔法陣となるくらいだ、若白髪による白と黒のコントラストは異界の扉を呼び寄せやすくしてしまうのではあるまいか。しかもその性質は染料で覆い隠していたとしても揺るがぬらしい。なんて恐ろしい世の中なんだ……!
ちなみにゆっちゃんは地毛至上主義である為染めていない。
他者の目を気にせずありのままに生きるその勇姿、まさに勇者と呼ぶに相応しい。
しかし勇者である彼女に引き換え、私は……。
「いや、見た目がどうであろうと関係ない。魔王様が我等の救世主である事に変わりないさ」
「そ、そうだな。大変失礼しました、魔王様」
先程から私に向けられているこの言葉……『魔王』。
異世界に召喚されたからといって、皆が皆勇者や聖女として喚び出されるわけではない。魔族達に彼等魔の者の長となるべく喚び出される者も少なくない。しかし……。
私はぐるりと周囲を見渡した。
どうやらここはお城の広間のようだ。そして私を囲むようにして兵士やローブに身を包んだ魔法使いらしき人達が立っている。見るからに王様っぽい恰好の人もいる。
彼等は耳も尖っていなければ角や尻尾も生えていない。まるで人間のようだ……いや人間だ。
「あの、つかぬ事をお伺いしますが……」
私はおずおずと隣にいる甲冑姿の騎士らしき男に尋ねた。
「あなた方は人間ですよね……?」
「は?当然だろう」
「えっと……この世界の人間達って、魔物の恐怖に脅かされているとかでは……?」
「いかにもその通りだ」
騎士さんは厳かに頷いた。
「……それって魔王を倒したら世界が平和になってめでたしめでたし、ていう話では……」
騎士さんはきょとんとしながら目をしばたたかせると、「なーに言ってんだおめ」と素の口調が露わになった。
彼は語った。元の厳かな口調で。
今、魔物達は好き勝手に暴れ回っている。それは彼等を治め、諌めるべきリーダーが不在であるからだと。
そう、この世界には現在魔王がいないのだ。
それゆえに異世界から喚び出したのだ、魔物の頂点に立つべく存在を。つまり私を。
……よもや人間側から魔王として召喚されるとは……日本に帰ったらクラスメイト達に自慢しよう。
「でも具体的に何をすればいいんでしょう?」
「そうだな……まずは旅をしながら魔物達と少しずつ心を通わせてゆけば良いのではないか?なに、万が一魔物に襲われたとしても、この私が護衛として同行するゆえ心配はいらぬ」
「騎士さんが?それなら安心ですね!」
甲冑に隠れているのでよく見えないが、少なくとも長身で、そこはかとなく強そうな気がする。
すると彼は「騎士?それは違うぞ」と首を横に振った。
「私は勇者だ」
「ゆ、勇者!?」
「うむ、異世界から召喚された魔王を守るのが勇者の使命だ」
最初は敵対していた勇者と魔王にだんだんと友情が芽生えてきたり恋仲になったりという話は数あれど、まさか勇者の仕事が魔王の護衛とは……!
私はどうやら異世界を甘く見ていたようだ。予想の斜め上を行く展開が後を絶たない。
「ではこれから宜しく頼むぞ、魔王(仮)」
「まおうかっこかり!?」
「うむ、お前はまだ魔物達の王とは呼べぬ半人前、いや四分の一人前だからな」
「いやいや、だからってその呼び方はないでしょう!?」
私には真理という立派な名前が……!と言おうとしたものの、騎士さん改め勇者さんに阻まれた。
「不服か?ならば略してマリと呼ぶ事にしよう」
……図らずも私の本名を言い当ておった。これが勇者の引き起こすミラクルというものなのか。
私は「じゃ……それでお願いします……」としか言えなかった。
そんなこんなで私は勇者さんと共に旅に出る事になった。
魔物とのエンカウント率は、日本で言えばだいたい道路で野良猫に遭遇する程度の確率らしい。テキトーに歩いていればそのうち現れるだろう。
とはいえ魔物と心を通わせるには一体何をすべきなのだろうか?
そもそも仮にも王の肩書きを持つ身ならば、どこかに拠点を作って活動していくべきなのではないか?
そんな事を考えながら歩いているうちに喉が渇いてきた為、水を飲みながらしばし休憩していると、近くの草むらがガサリと揺れた。そしてその中から現れたのは一匹のゲル状の生き物。様々なRPGの雑魚敵として登場するあれである。
勇者さんが腰に差した剣の柄に手を伸ばそうとしていたので、私はそれをやんわりと制した。
彼としては恐らく、念の為すぐに剣を抜けるよう身構えただけなのかもしれないが、むやみに武器をちらつかせてしまっては相手の警戒心を一層強めてしまうだろう。……それに、この子なら多少攻撃されても大した怪我にはならなそうだし……。
ゲル状の生き物は細長い20センチ程度の体を這わせながらこちらにやってきた。私は小学校の理科の実験でせんたくのりとホウ砂と絵具で作ったスライム(紙で作った目玉付き)を思い出した。あれによく似ている。なんかかわいい。
ゲルっ子は私から放たれる魔王オーラを感じとっているのか、上半身(?)をもたげて真摯な瞳で話し掛けてきた。
『ピキュ!ピキュピピキュ!』
「ほう」
『キュキュピキュキュ』
「ほうほう」
『ピキュピキュピピー!』
「ほほう!」
なるほど、わからん。さっぱりわからん。
魔王として召喚されたのだから魔物の言葉がわかる能力を与えてくれていても良かろうに……!
さてどうしたものかと思案しようとした丁度その時、ゲルっ子が私の傍らに置かれた水筒に近寄ってきた。
……もしかして水が欲しいのだろうか?見るからに水分の多そうな体をしているし。
私は水筒の水を手の平に溜め、ゲルっ子に差し出した。するとビンゴだったようで、ゲルっ子はごくごくと水を飲みだした。
やった!意思の疎通が出来たぞ!やはりコミュニケーションに大事なのは言葉よりもボディランゲージだよね!
ゲルっ子はその後家来になりたそうにこちらを見つめていた(ような気がした)ので、そのまま連れていく事にした。うい奴め。
こうやって魔物を懐かせていけばいいわけか。とはいえあまり大所帯になっては旅がしにくくなる。それに魔物達の生態について、私には知らない事が多すぎる。このままでは餌付けもままならない。もっと彼等について学んでいく必要があるだろう。という事で――……。
「あの、勇者さん、お願いがあるんですけど……」
***
「こら、他の子のご飯取ったらめっ!あ、君、柵の外に出たら駄目だってば!」
風薫る緑あふれる草原。近くには川が流れており、また少し行けば山や岩場などの地形が広がっている為、様々な資源を調達する事が出来る。
草原の一部にはぐるりと柵が施されており、また入口に立てられた看板には『魔王城』と書かれている。
私は今、魔物達を集めて飼育する、いわば牧場のような事をしている。
ちなみにこの看板の文字、なんと漢字である。
実はこの世界、大まかな文化は異世界トリップでおなじみの中世ヨーロッパ風であるが、言語や文字に関しては現代日本とほぼ同じである。つまり名称の違いこそあれど、平仮名、片仮名、漢字、ローマ字等に当たるものがあるのである。
異世界トリップではよく召喚された際に自動翻訳の魔法が掛けられていたりするわけだが、魔物の言葉が理解出来なかった事からもわかるように、私には翻訳魔法は掛けられていない。まあ、発する言語は同じという異世界もなくはないが、流石に文字まで同じっていうのはどういう事なの、と考えた瞬間、はたと気づく。
よくよく考えてみれば全くの別次元であるのに世界観が地球の中世ヨーロッパである時点で十分不可思議なわけで。
いや、それを言ったら、異世界の人々がどのような進化の過程を辿っているのかは定かではないが、ヒト科だの霊長類だのと言われる我々地球人と同じ容姿と価値観を持っているというのもこの上なくおかしいわけで。
そもそも人とは一体何ぞや……?
という答えのない謎掛けのアリジゴクに嵌まってしまいそうになり、私は深く考えるのをやめた。
それはともかくとして、一カ所に留まって彼等を観察する事により、様々な事がわかってきた。
例えばあのゲルっ子。実は雑食性であり、肉だろうと野菜だろうと何でも食べる。しかしあのゲル状の体のどこに食物が入るのかと不思議に思い、私はゲルっ子達の食事を丹念に観察した。そして見てしまった。
彼等は餌が口の中に入ると、分泌された消化液により一瞬のうちに食物を消化してしまうのである。私はヒトデの中には口から胃を出して直接獲物を消化する種がいるという話を思い出した。見た目的にはヒトデというよりナマコに近いけれども。
彼等の攻撃方法は主に体当たりと敵に絡みつく事だが、もし噛みつき等による消化液を用いた攻撃方法をとったなら……と思うとぞっとする。この子なら多少攻撃されても大した怪我にはならなそう、などと考えていたあの時の自分を叱咤してやりたい。
私の中の最強危険生物ランキング1位:イモガイの座がぐらついた瞬間である。
なお、魔物は『魔物』という非常に大雑把な分類しかされていない為、それぞれの種族の名前という物が存在しない。それではこの先呼びづらかろうと、ゲルっ子含め、今この魔王城にいる魔物計3種に種族名を付けてみた。
ゲル状の生き物→スナマック(ナマコ+胃)
額に赤い宝石を宿したリスっぽい小動物→ジュエリス(ジュエル+リス)
火を吹く赤いトカゲ→コンロ(火を出すから)
ちなみに私のネーミングセンスの最初の犠牲者は実家の飼い猫のポチ(♀)である。
「お~いマリー!今けえったぞー!」
大きめの石がごろごろ入ったリヤカーを引きながら、勇者さんが帰ってきた。最近は素の訛り口調を隠そうともしない。
仮にもここは魔王城という事で、彼はお城を造りたいらしく、日々岩場で石を切り出してはこの場所まで運び、せっせと敷き詰めている。
切り出された石の断面は非常に滑らかであり、彼が腰に差している剣で一刀両断されたのは想像に難くない。流石勇者である。既にレベルがカンストしていそうだ。彼と戦う魔王として召喚されたのではなくて本当に良かった。
それにしても勇者と言うのは魔王城の建築にまで携わるらしい。勇敢なる者の肩書きとは一切関係が無いように思えるが、まあ気にしないでおこう。
「ふう、ちぃと一休みすんべか」
勇者さんは私の横に腰を下ろすと、被っていた兜を外した。その顔は金髪碧眼眉目秀麗、騎士や勇者の肩書きを飛び越え、もはや王子様と形容しても過言ではないその容貌。
しかし訛っている。
いや、別に騎士だろうが勇者だろうが王子だろうが、訛っていてはいけないといういわれはないし、故郷の言葉を大事にするのはとても素敵な事だと思う。
しかし美形であるがゆえにそのギャップの破壊力たるや凄まじく、注目せざるを得ない怒涛の違和感。
まあ最初は厳かな口調をしていたくらいだし、彼自身もそれなりに気にしてはいるのだろう。最近はどういうわけか随分と開けっ広げだけれど。
「おらな、自分でマイホーム建ててめんこい嫁さんと暮らしてくのが夢だっただよ」
夫婦の愛の巣は己が力で作っていくというわけか。なんて気概のある御仁なんだ。
「へー、ならこの魔王城の建築のノウハウが将来役に立つと良いですね」
「あー……、うん、そだな……。あ、あとな!おら犬が好きでよ、将来飼おうと思ってるんだけんど、マリは犬好きかや?」
「ええ、好きですよ。でもどっちかっていうと猫の方が好きかな。実家でも猫飼ってましたし」
「そ、そか……」
「いつか犬好きな女性と巡り会えるといいですね」
彼が良縁に恵まれる事を心から願っていると、ふいに「ええい、まどろっこしいのはやめだ!」と勇者さんが立ち上がった。何事かと勇者さんを見上げれば、彼はいつになく真剣な面持ちをしていた。
「おらおめぇが――」
「あー!柵から出ちゃ駄目だってば!!」
勇者さんの背後ではコンロの一匹が柵をよじ登ろうとしていた。
魔物達は種族により懐かせ方が違い、スナマックは餌、ジュエリスは背中を撫でる、コンロはフィーリング(勝手についてきた)であり、コンロはとにかく自由奔放で好奇心旺盛、風の向くまま気の向くままに行動してしまうのである。
揚げ句の果てには他のコンロが火をふく始末。まるで火事現場のような表現であるが、あながち間違ってはいない。このままではせっかく勇者さんが立ててくれた柵が燃え尽きてしまうのだ。
好き勝手に暴れ回る魔物を取り締まる事こそ魔王の役目、という事でやっとこさコンロ達の暴走を止めた後、勇者さんに「さっき何か言おうとしてませんでした?」と尋ねてみたが、「いや、何でもねぇ……」と、何故か答えてくれなかった。
その時の勇者さんは妙に悲しげな顔をしていた気がするが、きっと気のせいだろう……。
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我が友ゆっちゃんへ
ゲズィラの花(私のいる世界に生えている、べんがら色の花です)が咲き誇る今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?
心優しく勇敢な貴女はきっと、勇者となって魔王討伐の旅に出ている事でしょう。
対する私は、魔王(仮)として現地の勇者さんに保護してもらいながら牧場主をやっています。
え?何を言っているかさっぱりわからないって?うん、私にもよくわかりません。でもこれがありのままの事実なのです。
まあ積もる話はいつかお互い日本に帰った時にでも致しましょう。
さて、私はこれからこの手紙を、日頃の労いとしてお城の魔法使いさん達が特別に描いてくれた魔法陣の中に入れようと思います。見た目はどう見ても横断歩道ですが、れっきとした転移の魔法陣です。
この手紙が違う次元で活躍する貴女に届く事を願って。
四分の一人前魔王、真理より
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