そんなことも知らないんですか? ――研究者失格ですね。
「うっ、ううっ……」
夕日差す研究室の中。
一人の少女が、床に蹲って泣いている。
周りにはぐしゃぐしゃになった書類が散乱していた。
「ルナ……」
アイラはしゃがみこんで震える肩をそっと押さえる。どう声をかけていいか分からなかった。
本当は大声をあげて泣きたいだろう、衝動のままに壊したいだろう。
だけどそんなことをしても意味などない。
悔しさと無念で頬を濡らすルナの背中を、アイラは優しく撫でた。
しばらくそうしている内に落ち着いたのか、ルナはしゃくりあげながら言葉を紡ぎ出す。
「アイラ……、わたし、私、くやしいっ……!」
痛々しいその様子に、アイラは目を狭める。
荒れた指先が、白いハンカチを握りしめた。
「あと、あともう少しだった、のにっ……。もう少し、でっ、完成するところ、だったのにっ……」
「うん……」
知っている。
彼女が弟のために、研究を続けていたことは。
関連する論文を読み漁り、幾度となく実験を繰り返し、研究者たちと意見を交わし……。
だけどその努力は、呆気なく踏みにじられた。
ある一人の女によって。
床に落ちていた学術雑誌が、風でぺらりと捲られた。
『マリエル・クローネ研究員、またもや新術式を発表。先天性魔痕の治療に新時代到来』
そして彼女の『研究成果』が簡潔にまとめられた文書と、マリエルの写真。長く伸ばしたストレートの銀髪に、切れ長の深緑色の瞳は、見た者に理知的な印象を与えることだろう。
その慎ましくも、どこか誇らし気に微笑んでいるそれを見たくなくて、アイラは少々乱暴に雑誌を閉じた。
マリエル・クローネ。
王立魔法研究所に所属してからというもの、次々と新しい魔法術式を発表。そのどれもが新発見かつ画期的なものであること、また彼女が美人なこともあり、一気に注目を集める存在となった。
彼女の『活躍』は学術雑誌のみならず、日々の新聞や大衆雑誌にまで掲載され、王都でマリエル・クローネを知らぬものはいない、と断言できる程にその名を知らしめている。
……が、それを疑問視する者がいることもまた事実。
まず前提として論文発表は『早い者勝ち』。『私も出来ていた』などという理由は通用しない、シビアな世界だ。
よってマリエルが発表したことで苦渋を舐めた者もいる、ということは容易に想像が付く。
(いや、苦渋だけで済むならまだマシな方かもしれない。でも、これは)
研究論文の『盗用』。
そう考えるには充分過ぎる要素があった。
まず発表のペースが異様に早い。通常、研究というのは年単位かけて行われるもの。それなのにマリエルは、半年に一回程のペースで論文を完成させ、発表に至っている。
同時に複数の研究を行っているのなら出来なくもないが……それなら『天才』などと謳われているのも納得だが……いや、それにしては研究に熱心に取り組んでいる姿を見たことがない。研究にもよるが、経過を観察するため深夜まで残る、もしくは数日研究室に泊まり込み、ということもある。
彼女の研究成果から察するに、このどちらにも当てはまる程の日々を送っている筈。だというのに、マリエルはチャイムが鳴る午後5時には研究室を後にしている。
疑惑は深まるばかりだが、決定的な証拠がない。さらにクローネ家は研究所に多額の寄付をしていることもあり、表立って指摘も出来ずにいた。
……が、今回友人がその被害にあっては、もう確信するしかなかった。
アイラ・ヴェールとルナ・スピカは学院時代からの友人であり同期だ。席が近かったことから何となく話したのがきっかけで友人となり、共に研究者としての道を歩むこととなり……という話はさておき。
ルナが研究していた、『先天性魔痕の治療法』。それは、彼女の弟レグルスのためのものだった。
彼の顔には広範囲で生まれつきの赤黒い痣……魔痕がある。そもそも魔痕は病気ではなく、体内の魔力量が多すぎて余った魔力が皮膚の表面に現れているに過ぎない。昔は呪いだなんだなどと言われて差別が酷かったが、研究が進んだ今ではそういった理由が判明したことにより表面上は治まっているが、完全に無くなっている訳ではない。
さらに、有効な治療法も確立されておらず、完全に消し去ることは出来なかった。化粧をしても一時しのぎにしかならない。
レグルスも例外ではなく心無いイジメの標的にされ、幾度となく泣かされていたという。勝気な性格のルナが盾になって言い返したり庇ってやらなければ、彼の心はとっくに壊れていたことだろう。だが負った心の傷は治ることなく、部屋に引きこもって本ばかり読んでいるという。
だからレグルスが顔を上げて歩けるように、心の傷が少しでも癒えるようにと、ルナは懸命に研究を続けて来たというのに、その結果がこれである。
「……」
泣きじゃくるルナの背中を優しく撫で、アイラは息を吐き、そして口を開いた。
「ルナ、研究を続けよう」
びく、とその肩が震えるが、それでもアイラは言葉を続ける。
「この研究をここまで進めたのはルナでしょう? どうすれば『完成』するのかを知っているのも、ルナでしょう?」
そう、あの治療術式を完成させるにはあと一つ。『別の要因』が必要だった。
それが何かはアイラでもさすがに教えて貰ってはいない。だからルナだけが知っている。
それはつまり、ルナだけが術式を完成できることの証明に他ならない。
「……っ」
ゆっくりと顔を上げたルナの瞳には、まだ涙が残っているものの、強い光が宿っていた。
「……そうね」
震えた声ではあるものの、しっかりとした返事。それにアイラは、ふ、と目を細めた。
ルナは残った涙を拭き、きゅ、と唇を結ぶ。が、少し不安そうな顔で口を開いた。
「でも、アイラは大丈夫なの? 私が盗まれたってことは、次は」
「そうね、きっと次は私に目を付けていると思う」
アイラは出来るだけ冷静にそう返す。
薄々感じてはいた。遠くから観察するような、見定めるような、じっとりとしたマリエルからの視線を。
こうしてルナが標的にされ、被害にあった今となっては、もう見過ごすことは出来ない。
「大丈夫よ」
アイラは微笑んでみせる。
「だからルナは、研究に専念して」
ぽん、と背中を軽く叩くも、まだルナは心配そうな表情のままだ。
「私に出来ることがあったら、言ってね」
その頼もしい言葉に、アイラは微笑んだまま「ありがとう」と返した。
自身が研究者として平凡であることぐらい、よく分かっている。
外見は無造作に束ねたこげ茶の髪に、アーモンド色の瞳と地味な色合いだし、パーツも地味で特筆すべきところがない。
まあ、外見は研究に関係ないとしても、頭脳も平凡の域を出ない。
そんな中途半端かつ平凡であっても、自分なりに努力はしてきたつもりだ。実験を重ねては失敗して、指先が黒くなるくらいに研究ノートを取り、高名な研究者に意見を求め、同期の研究生と共に意見を交わして。
そうして突き詰めてみたい、と思った研究テーマは『魔力回路の可視化術式』。
魔力回路とは、簡単に言うと人体を流れる『魔力の通り道』だ。これを可視化することにより、魔力の種類や量などの正確な診断や、魔力枯渇症や暴走症、そして呪いによる『魔力病』の治療など様々な分野に応用することが出来る。
しかしながら魔力回路は極めて繊細な造りのため、現段階では約60%が観測限界であった。それをさらに研究していくことで、アイラはその観測限界を90%にまで引き上げる術式を編み出せる可能性に辿り着いた。
もしそうなれば主要な幹線回路はもちろん、全身に広がる極細の末端回路すらも充分に可視化することが出来る。
(そしてこれをルナの編み出した治療術式と組み合わせれば……って思っていたんだけど)
アイラは、ふ、と息を吐いて、ノートに走らせていたペンを少々強めに押さえて止めた。
チャイムの音に、もう昼か、と、ぐぐっと伸びをして、ぱたん、とノートを閉じる。
茶色の皮張りのこれが、アイラの研究ノートだ。少々擦り切れて、使い込まれた独特の色合いになった表紙をそっと撫でて、鞄の中へしまい込む。
鞄を持って食堂へ向かうと、同じように昼食を取りにきた研究員や職員で賑わっていた。
適当にメニューを頼み、すぐに出て来たそれをトレイへ乗せ、丁度開いていたテーブルへと座る。
いただきます、と手を合わせた。
その時。
「アイラ・ヴェールさん?」
この、声は。
動揺しそうになる心情を必死に隠し、顔を上げると。
「はい……」
とりあえず返事をすれば、その深緑の瞳は静かに細められた。
「ここ、よろしいかしら?」
聞いてはいるが断定にも近い口調だ。
別に断ろうとも思っていなかったため、アイラは「どうぞ」と頷いた。彼女……マリエルは綺麗に紅を引いた唇を微笑ませて、向かい側の椅子へと静かに座る。
それに素知らぬフリをしながら、アイラはカトラリーを手に取り、食事を口に運ぶ。
マリエルもまた同じように食事を始めた。カトラリーを取る指は、白魚のように美しい。爪も磨いているのか健康的なピンク色で、動く度にきらりと艶めいている。
……とても研究者の手とは思えないが、恐ろしく手が丈夫なのかもしれない。
「ところで」
紅を引いた唇が紡ぎ出す言葉に、アイラは目だけを向けてみせた。
「貴方が研究なさっているのは、魔力回路に関することよね?」
やっぱり探りを入れて来たか。もし同じ研究をしていた場合、ある程度教え合ったりすることはあるが、それは互いに無駄足を踏まないためだ。
が、彼女がそのような目的ではないことはとっくに分かっているため、アイラはカトラリーの手を止めぬまま答える。
「ええ、その通りです。クローネさんに知っていただけたなんて、光栄です」
心にもないお世辞を言ってやれば、マリエルは満足したように口元を持ち上げた。
それを内心冷めきった目で見ながら、サラダを口へと運ぶ。
マリエルはそれに構うことなく、言葉を紡いだ。
「今度、私の研究テーマの参考にさせていただこうと思っているの」
なーにが『参考』だ盗用女が、とあくまでも内心で毒づきながら、アイラは答えた。
「私などの研究が、クローネさん程の『天才』の参考になるかどうか……」
「あら、謙遜なさらないで。素晴らしい研究テーマだと思うの」
「いえいえ、地味なものなので……」
自分が『天才』だってことは否定しないのか、と内心で毒づきつつ、マリエルからの質問を当たり障りのない答えで交わしていく。すると思ったように情報を引き出せないことに苛立ったのか、マリエルの表情に余裕が無くなっていくのが分かった。
それを冷めた目で見つめつつ、アイラは食事を終えてカトラリーを置いた。
鞄からハンカチを取り出そうとした、その時。
「……そのノートは?」
ハンカチを取り出しつつ顔を向けてみれば、マリエルの目がぎらりと光ったのが分かった。
「研究ノートですよ」
ハンカチで口元を拭い、静かにノートを取り出して目の前に掲げてみせる。
濃い茶色の表紙の表面を、そっと撫でてみせながら。
「クローネさんも『当然』お持ちでしょう?」
そう言ってやれば、マリエルの顔が一瞬だけ引き攣った。
とある雑誌に彼女の研究ノートの一部が掲載されていたが、拙いマウスらしき絵と結果らしき10文字にも満たない簡潔過ぎる文字が添えられているという、何ともお粗末なものだった。
『天才』のノートの取り方は高尚過ぎて理解できない。
そんなことを思い出しながら、アイラはぺらぺらと研究ノートを捲ってみせ、ぱたん、と閉じてみせた。
「大切なものですから。管理は厳重にしないといけませんね」
そうして鞄の奥底へと大切にしまい込む。
マリエルのぎらぎらとした視線を痛い程感じながら。
「では、失礼します」
アイラは軽く頭を下げてトレイを持って、この場を後にした。
背中にまだ感じる視線に、気付かないフリをしながら。
そして。
「あれっ!? ねえ、ここに置いてあったノート知らない?」
研究室でアイラはきょろきょろと辺りを見渡しながら、そう叫んだ。
研究員たちは互いに顔を見合わせ、答える。
「いや、知らないな」
「うーん、見てないよ」
アイラの顔から、ざあっと血の気が引く。
「どうしよう、あれが無いと私……」
「落ち着いて」
かたかたと震える肩を、女性研究員が優しく押さえてくれた。
「ここは私たちが探しておくから、別の場所を探してみたら?」
「うん、そうしなよ。落とし物で届けられてるかもしれないし」
その言葉に「そうだね、ありがとう」とアイラは返し、出入口の扉をがらりと開けた。
ぱたん……
静かに扉が閉められた瞬間。
「……」
アイラの顔から、すうっ、と表情が抜け落ちたのを知る者は、誰もいなかった。
そして僅か二ヵ月程が経ったある日。
王立魔法研究所大講堂は、期待と不安による騒めきで満ちていた。
マリエル・クローネによる、特別講演。
演題は『新型魔法回路可視化術式による観測精度の飛躍的向上』。
「幾つもの難題を解決した天才研究者」と称えられた彼女の発表を一目見ようと、研究者だけではなく王侯貴族や報道陣で埋め尽くされていた。
その中で、アイラは檀上から少し離れた……それでも全体が見える場所へと座っていた。
「ねえ、アイラ。この演題……」
隣に座ったルナは不安そうな顔だ。
「……大丈夫よ」
アイラは目を細めてみせてから、檀上へ顔を向けた。
マリエルの入場と同時に、周りの騒めきが収まっていく。銀の髪は一層艶を増し、化粧もバッチリ。手は相変わらず綺麗なものだ。深いネイビーのロングドレスは裾に銀糸の繊細な刺繍が施され、明らかに高級品と分かる。その上に纏う研究用白衣は皺ひとつなく、酷く眩しく感じられた。
騒めきが完全に収まったところで、マリエルはマイクに向かって口を開いた。
「本日は特別講演にお越しいただき、ありがとうございます。早速本題へ移らせていただきます」
投影幕が明るくなり、演題が映し出される。
「本研究で、私は往来の術式では約60%が限界だった魔法回路の可視率を、約90%まで引き上げる新たな術式を開発いたしました」
ざわっ、と聴衆が沸いた。
なんという革命的な術式、医療のみならず全てのことに応用が可能だ……そんな囁き声が聞こえる。
マリエルは笑みを浮かべたまま、映像を切り替えてすらすらと説明しだした。
人体の魔法回路図の対比、主幹回路から末端回路までの可視率、そして総合値の対比図、この術式によってもたらされる利益、可能性について触れた瞬間は、拍手が沸き起こる。
それに深緑色の瞳が、静かに細められた。
満足そうに、誇らしげに。
「……」
それをアイラはただ黙って見つめていた。ルナの気づかわしげな視線を感じながら。
そして。
「では、実際に可視化をご覧いただきます」
マリエルは静かに檀上中央に設置された、結界魔法陣の中央へと移動した。
「私の身体に『直接』術式を循環させることで、魔力回路を浮かび上がらせ、可視化いたします」
今度は不穏に満ちた騒めきがあがった。
当然だろう。
術式を直接身体に流すなど、今まで前例がない。いや、『実験』としてのデータはあるが、どれもが『失敗』に終わっている。
よって魔力回路の可視化も、投影幕等に投影させるための術式しか開発されていなかった。
だが、マリエルはその『常識』を今、覆そうとしている。
「……それでは、始めます」
しなやかな人差し指が宙を舞うように動いた。
瞬間、術式が発動し、青白い光が輝いた。淡いその光はマリエルの身体を静かに包み込み、その顔に、一本、また一本と魔力回路の道筋が浮かび上がる。
感嘆の溜息が観衆から零れた。
「信じられん……」
「これはまさに革命だ……!」
その反応に、マリエルの唇が吊り上がった。
成功だ。
そう確信した、瞬間。
ピシッ……!
何かがひび割れるような、小さな音が響いた。
「……?」
マリエルの表情が怪訝そうなものに変わる。
頬に、じわり、と焼けるような痛みが走った。
「え……」
瞬間。
バチィッ!!
紫色の閃光が走り、不快な破裂音が大きく響いた。
「きゃああああっ!!」
同時に悲鳴が講堂中に響き渡る。
マリエルは顔を咄嗟に両手で覆った。その指の隙間から、焦げたような黒い煙がじわじわと噴き出している。
よろよろと床へと膝をついたマリエルに、辺りは騒然となった。
「魔力の逆流だ!! 術式を止めろ!」
「治癒魔法を!!」
控えていた魔術師たちが、マリエルの元へ駆け寄る。
術式が強制的に止められたのを感じたマリエルは、顔を覆っていた手を外した。
「……っ!」
周りから押し殺したような悲鳴が次々とあがる。
マリエルの顔には、亀裂のような赤黒い痣が幾つも刻み込まれていた。
魔術師たちが治癒魔法をかける。だが、痣は消えない。
それどころか、輪郭をより濃く変えて、皮膚へと深く刻み込まれていくようだ。
「わ、わたし、わたしの、かお……」
止める間もなかった。
マリエルは白衣の胸ポケットからコンパクトを取り出し、顔の前で開く。
「ひ、い、いやああああーーーー!!」
かつての美貌が見る影もなくなった己の顔を目の当たりにし、マリエルは絶叫した。
カシャン……!
その手からコンパクトが滑り落ち、皹割れる。
「こ、こんな、こんなことがぁ……」
マリエルは顔を歪ませ、己の髪をがしがしと掻きむしった。
そのぎょろぎょろと動く深緑色の瞳が、アイラを捉える。
ああ、待っていた。
この瞬間を。
アイラは無言で、口角を僅かに持ち上げてみせる。
それだけで充分だった。
マリエルの顔が、見る見る内に怒りに染まる。
檀上から駆け下り、騒めく群衆を押しのけてアイラの胸ぐらを掴み上げた。
「アンタ、この私を嵌めたわね!?」
アイラは冷静な表情のまま、マリエルの手を取り外して払いのけた。
「……何のことでしょうか?」
そう返せば、マリエルの顔がますます歪んだ。赤黒い痣と相俟って悪鬼のような形相だが、生憎と指摘してやるつもりはない。
「とぼけんじゃないわよ!! アンタの研究ノートに書いてあったじゃない! この! 術式が!!」
ざわっ、と辺りが不穏な騒めきに満ちた。
しかしマリエルはそれに気付きもしない。ここまで怒りを募らせると周りが見えなくなるのか、とアイラはどこか冷静に分析していた。
それはともかくとして、好都合だ。遠慮なく、切り込ませてもらおう。
「何故、私の研究ノートを貴方が持っているのですか?」
瞬間、マリエルの顔から血の気がざあっと下がった。己の失言に今頃気付いたらしい。
「先日紛失してしまったので、何所にあるのかと思ったのですが……クローネさんが拾ってくださったとは思いもしませんでした」
「……っ」
そう煽ってやれば、マリエルは唇を噛みしめた。
アイラはそれに目を狭め、言葉を続ける。
「まあ、紛失したのは『予備』のノートだったので、研究を続けるのに支障はなかったのですが……」
「なっ!?」
「ですがアレには『確実に失敗する』だろう術式を書いてあったので、心配はしていたんですよ。万が一発動されたら、危険な目にあいますからね」
じろじろとその顔を見ながらそう言えば、マリエルは顔を両手で覆って隠した。
が、指の間から憎々し気に睨みつけながら叫ぶ。
「な、なんで失敗するって書いておかなかったのよ!? それに、擬似魔力を施したマウスでは成功したのに!」
「擬似魔力で作られる魔力回路は、人体のそれよりも遥かに単純な造りです。だからこそ成功したのでしょう」
マウスで実験……もとい練習をすることなど予測済みだ。かといって他人を使って万が一のことがあっては困る、が、美意識が高い彼女が自身の身体を使って事前練習などする筈がない。
ここまで予想通りだと、笑うを通り越して呆れてしまった。
「ああ、そういえば」
さらにアイラは今思い付いた、という風に頷いて、こう言った。
「紛失したノートの方には、失敗する、と書くのを忘れていたかもしれません。いやあ、うっかりしていました」
「な、にを、白々しい……! 失敗したことなんか書くんじゃないわよ!!」
「研究ノートには失敗データも書く必要があります。そこから新たな発見が生まれることもありますからね。……まさか、このような『基本的なこと』をご存知ないなんて……」
すとん、とアイラの顔から表情が抜け落ちる。
「貴方、本当に『研究者』なんですか?」
指の間から見える瞳が見開かれたのが分かった。その喉から、ひゅ、と悲鳴のような音が零れる。
それを真っすぐに見据え、アイラは言葉を続けた。
「ああ、他人の研究成果を盗用し、自分のものとして発表した時点で」
すう、とアーモンド色の瞳が狭められる。
「研究者失格ですね」
その言葉は容赦なくマリエルを射抜いた。
がたがたと震える彼女に、失望と蔑みの視線が容赦なく浴びせられる。
「ち、違う、違うわ、これは、そう、単なる行き違いで!!」
見苦しく悪あがきをする彼女に、アイラは、ふ、と息を吐いてみせた。
「それなら、自分で治せますよね?」
すう、と目を狭め、言葉を続ける。
「確か先日、発表なさっていましたよね? 先天性魔痕の治療法について」
マリエルの肩が、大きく震えた。
「ああ……ですが発表の時点では、確か『未完成』でしたっけ? 『完成』すれば、先天性魔痕だけではなく『後天性魔痕』にも応用が出来る、と発言なさっていましたよね?」
随分と大口を叩いたものだ、とアイラは冷めた目で見据える。
「あ、あ、ああ……」
マリエルはその場にへたりこんだ。
救いを求めるかのように彷徨うその瞳は、今度はルナを捉える。
だが。
「……」
ルナは冷たく目を狭め、視線を逸らした。
「あ、あ、ああああ……!?」
言葉にならない悲鳴がマリエルの喉から迸る。
パシャッ!
シャッターの軽い音が響いた。
パシャッ! パシャッ! パシャパシャッ!!
報道陣たちの写影機の閃光が、容赦なくマリエルを照らし出す。その顔に刻み込まれた刻印を、さらに刻みつけるように。
「いや、いやあ、撮らないで、撮らないでえええ!!」
鼓膜を切り裂かんばかりの絶叫が講堂に響いた。
それに背を向け、アイラは出入口に歩き出す。ルナを始めとした研究者たちも後へ続いた。
「おい、待ちたまえ!」
「所長、これはどういうことでしょうか?」
「マリエル嬢の研究論文の盗用について、黙認していたということですか!?」
所長たちが止めようとしたが、報道陣たちの詰問によって阻まれる。
アイラたちは一切振り返ることなく、ますます酷くなる騒ぎを背に、講堂を後にした。
そして。
アイラ、そしてルナを始めとした研究員たちの告発により、王立機関より監査が入った。
結果、全研究論文においてマリエルが研究課程を実施したことを示す客観的な資料の確認が出来なかったこと。さらに実際に研究していたのは、全て別の人物であったこと。
研究ノートや、術式設計図、魔道具の使用履歴、研究室の入退室記録。全ての客観的記録がそう結論付けた。
よって、王立機関は本件を『重大な不正研究行為』と認定。
マリエルは王立魔法研究所を懲戒免職、さらに今後、王国公認研究機関における研究職への就任資格を失効された。
これは実質的に、研究学会から永久追放されたも同然である。
最も、この事実が大々的に報道されたこと、そしてその顔に大きく刻み込まれた痣が、彼女の尊大なプライドを大きくへし折ったことは間違いない。
もう二度と表舞台に出て来ることはないだろう。
そしてそれを良しとしていた王立魔法研究所にも処分が下った。
研究所の管理体制、論文審査の経緯、内部通報への対応。
その全てが洗い出された結果、所長は無期限の停職、審査責任者は降格、研究管理部門責任者には訓告処分が下った。
マリエルの美貌と口車に乗せられた、という余りにも軽薄な理由によって杜撰な手続きをし、不都合な意見を退けた組織の責任は重いと判断されたのだ。
これはもうマリエル一人の問題だけでなく、組織ぐるみの管理不全として、研究所自体が厳しい改善命令を受けることとなった。
これでめでたし……と言いたいところだが、アイラは研究ノートの管理不届きについて、事情聴取を受けることとなった。
それに対し
「確かに、大切な研究ノートを『うっかり』、誰でも手に取れるような場所に置いていたことは私の管理不届きです。ですがまさか、クローネさんがあろうことがそのノートを『盗んで』自身の成果にするなんて、思いもしないのが当然ではないでしょうか?」
そうノンブレスで言った後、アイラは目を狭めた。
「わたくしは紛失したと分かった時、すぐに届を提出しました。それは一刻も早く見つけないと、重大な事件が起こる可能性が高かったからです。ですがもう、手遅れなのです。クローネさんが、私の研究ノートを『盗んだり』しなければこんなことには……」
と暗に『管理体制が甘かったのは認めるけど、盗んだ方が100%悪いだろ。窃盗は普通に犯罪じゃ」ということをネチネチネネチと言いつのれば、『誠意』が伝わったのだろう。
監査局からは、資料の管理体制についての講習受講及びレポートを提出するだけに留まった。
それから色々とゴタゴタが収まった、その数ヶ月後。
「こちらが治療を施してから一ヵ月後、それからさらに二ヵ月が経った経過写真です」
治療前の写真と比べ、明らかに赤黒い痣が薄くなったそれに、「おお……!」と会場がどよめいた。
ルナはそれに頷いてみせてから、言葉を続ける。
「そして、現在の症状がこちらです」
それを受けて、布で顔を覆った人物がルナの手を借りて檀上へと昇った。
しゅる、と微かな衣擦れの音と共に、その布が取り払われる。
現れたのは、ルナと同じ紺色の髪と、金色の瞳を持った青年……弟のレグルス。かつてその顔の大部分にあった赤黒い痣……魔痣は影も形もない。
「素晴らしい……! しかも半年もかからず、ここまで綺麗に治るとは!」
「まさに革新的だ!」
感嘆に満ちた声が口々にあがり、自然と拍手が沸き起こった。
檀上のルナの顔が何だか輝いて見えて、アイラも拍手をする手に自然と力が入る。
ルナの目の端に光るものが見えたが、彼女は素早くそれを指先で拭った。
「正式なものは『追試』を経てからになりますが、一刻も早くこの治療術式と、併用する『治療薬』を、市場に流通できるよう励みます!」
わあっ、と歓声があがり、拍手の音が大きく、高く響いた。
そう、『別の要因』とは『薬』のこと。術式により魔力回路を正常化させた後、安定させるための薬剤が必要だったのだ。しかも主原料となるのは、『朝露草』という道端や草原にごく普通に自生する多年草。
(まさかあの草の根に含まれる微力の安定成分が、魔力回路の再生を促すなんて)
灯台下暗し、とはこのことか、とアイラは少しだけ苦笑する。
「……姉さん」
そんな中、レグルスがルナに向き直って微笑んだ。
「今まで、迷惑かけて、心配かけて、ごめん。……ほんとうに、ありがとう」
お礼の言葉は、涙で震えてしまっていた。
ルナは息を呑み……もう堪えきれなかったのだろう、その目からぽろぽろと涙が零れていく。
「迷惑だって、心配だって、かけて当たり前よ! だって、アンタは私の弟でしょう!? これからだって、ずっとそうなんだから!!」
「姉さん……! ほんとに、ほんとに、ありがとう……!」
手を取り合って泣く2人に、さらに拍手が浴びせられた。
中にはつられて泣いてしまっている人もいる。アイラもその一人だったが、何とかぐっと堪えていた。
ぐす、と鼻を鳴らしてハンカチで涙を拭ったルナは、言葉を紡ぎ出す。
「この治療法を完全に確立できたのは、私一人だけの力ではありません」
その金色の瞳が、アイラを捉えた。
「アイラ・ヴェール。どうぞ、檀上へ」
アイラの喉が、ひゅ、と鳴った。込み上げる何かを堪えながら、ゆっくりと立ち上がり、檀上へと足を進める。
ルナが差し出してくれた手を迷うことなく取れば、酷く暖かく感じられた。
実験と、そして薬品で荒れてしまったそれは、お世辞にも触り心地が良いとは言えない。だけど、これは彼女が努力してきた証だ。
「アイラ、ありがとう。この術式を無事に完成させることが出来たのは、貴方のおかげよ。貴方の研究成果である『魔力回路の可視化』で、レグルスに適切な治療をすることが出来た」
「僕からもお礼を言います。ヴェールさん、姉を支えてくださって、ありがとうございます」
2人に頭を下げられ、アイラは驚きと戸惑いに目を見開いた。
「そんな……私はただ……」
声が震える。
駄目だ、堪え切れない。
「ルナが、頑張っているのを知っていた。だから、力になりたいと思えたのよ」
金色の目が見開かれた。
そして。
「アイラ!」
がばっ、と抱き着かれて驚いたが、アイラもまたその背に優しく手をまわす。
「ありがとう、アイラ。本当にありがとう……!」
「私こそ、ありがとう。ルナがいてくれたから、私も頑張ろうって思った……!」
涙が溢れて止まらない。
酷い顔になっているのは分かっていた。
だけど、2人は顔を見合わせて、笑いあう。
パチパチパチパチ……!
割れんばかりの拍手が、祝福するかのように檀上を包み込んだ。
その中で、アイラはこっそりと思った。
発表が始まる前に廊下で、黒いベールを被った女が、講堂の中に劇薬が入った瓶を投げ込もうとして、警備隊に取り押さえられて連行されていったのを聞いてしまったことは。
当分の間は、内緒にしておこうと。
(終)




