第2話:エラーだらけの日常
一命を取り留めたカイを待っていたのは、平和な日常……ではなく、さらなる波乱の予感でした。
カイがゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは眩しいほどに清潔な白だった。
カーテン越しに差し込む陽光と、高価な花瓶に活けられた百合の香りが、鼻腔をくすぐる。
体を起こそうとした瞬間、脇腹に走った鋭い痛みに、記憶が急速に引き戻された。
(そうだ。俺はあの時、確かに怪物の爪を受けたはずだ……)
おそるおそる視界を走らせると、脳内のUIが現在の状況を映し出した。
【状態:回復中 / HP:15%】
死んではいない。
それどころか、あのアラートまみれだった視界は嘘のように穏やかだった。
「あ、気がつきましたか?」
ベッドの横から、涼やかな声がした。
リンゴを剥くナイフの手を止め、身を乗り出してきたのは——赤城レナだ。
制服ではなく、仕立ての良い私服姿。彼女の頭上には、相変わらずバグのような数値が浮かんでいる。
【好感度:測定不能】
「レナ……? ここは?」
「王立中央病院の特別室ですわ。あなたが倒れてから丸二日、私が手配しましたの」
レナは剥き終わったウサギ型のリンゴをフォークに刺すと、カイの口元に突き出した。
「ほら、あーん」
「……え?」
「命の恩人への、ささやかなお礼です。拒否権はありませんわ」
強引だ。
カイが戸惑いながらもリンゴを口に含むと、レナは満足そうに微笑んだ。その笑顔は、初対面の時の高慢さとは違い、どこか艶っぽい。
「カイ。……あの時のこと、覚えていますか?」
「ああ。なんとかドラゴンの因果を断ち切れたみたいだな」
「ええ。ですが、もっと大事なことです」
レナは椅子から立ち上がり、カイの顔を覗き込んだ。
長い赤髪がさらりと肩からこぼれる。
「あなたが言った『生存率100%』という言葉……。あれで私の運命は書き換えられました。ですから、責任を取っていただきますわ」
「責任?」
「そうです。私の命は、もうあなたのモノも同然。つまり——これからは私があなたの『パートナー』として、一生お側で管理されるということです!」
「……は?」
カイの思考がフリーズした。
管理? 貴族の令嬢が何を言い出すんだ。
バン!!
その時、病室のドアが勢いよく開いた。
「ちょっと! 抜け駆けは許さないわよ、泥棒猫!」
「ふえぇ……高級メロンの匂いがすると思ったら、ここでしたかぁ」
飛び込んできたのは、息を切らした七海アオイと、その後ろでお見舞い用の果物カゴをじっと見つめる小金井ユズだった。
「アオイ、ユズ……お前らまで」
「当たり前でしょ! あんたが死にかけたって聞いて、授業どころじゃなかったんだから!」
アオイが大股でベッドに歩み寄り、レナとカイの間に割って入る。
「で? 何が『一生お側で』よ。カイの面倒を見るのは、幼稚園の頃からの私の役目なんだから!」
「あら、幼馴染というだけの『過去』には退場願いたいですわね。私はカイに命を救われた『運命』なんですのよ?」
「はぁ!? 重いのはその勘違いだけでしょ!」
火花を散らす赤と青。
その横で、ユズが「お見舞いのメロン、時価二万円……これを転売すれば……」とブツブツ計算しながらカゴを漁っている。
(……やれやれ。グリッチより厄介かもしれないな)
カイは頭を抱えた。
だが、UIには彼女たちの頭上に【安心】【信頼】【好意】といったプラスの感情パラメータが表示されている。騒がしいが、これが彼の守りたかった「日常」なのだと実感する。
「……ま、悪くはないか」
——その予感が、ただの希望的観測だったことに気づいたのは、数分後のことだ。
騒ぎがひと段落し、三人が「飲み物を買ってくる」と部屋を出て行った後。
カイは少しの静寂を求めて、ふらりと病室を出て中庭へ向かった。
夕暮れの風が心地よい中庭。
ベンチに座ろうとしたカイの視界に、一人の少女が映り込んだ。
車椅子に乗った、儚げな少女。
長い緑色の髪が風に揺れている。膝の上には分厚い聖書のような本。
病弱で、今にも消えてしまいそうな雰囲気——。
だが、カイの足が止まったのは、彼女の美しさのせいではない。
彼女の頭上に浮かぶ『UI』が、異常だったからだ。
【名前:西園寺 セイラ】
【状態:虚無 / 信仰心:——ERROR——】
【危険度:測定不能(※接近注意)】
(……なんだ、あれは)
通常、危険度なんて表示はモンスターにしか出ない。
か弱い少女に、なぜ?
カイの視線に気づいたのか、セイラがゆっくりと顔を上げた。
目が合う。深緑の瞳には、光がない。
「……あ」
セイラが小さく唇を動かした。
その視線は、カイの顔ではなく、カイの「空間」——あるいは彼に見えている「UI」そのものを見透かしているように見えた。
「……見つけた」
風の音にかき消されるほどの、小さな呟き。
だが、カイのUIが一瞬だけ、激しくノイズを走らせた。
『警告。特異点との接触を確認』
「え?」
カイが瞬きをした次の瞬間、彼女の姿は、迎えに来た黒服の男たちによって車椅子ごと運ばれていくところだった。
後に残されたのは、甘いお香のような不思議な香りだけ。
「西園寺……セイラ……」
カイはその名前を反芻する。
まだ彼は知らない。この儚げな少女が、いずれ彼の「最強の剣」となり、同時に「最も重い絆」となって彼を縛ることになる未来を。
病室に戻ると、レナたちが「誰がリンゴを剥くか」でまた揉めていた。
「カイ! どこ行ってたのよ!」
「もう、安静にしてなきゃダメですわ!」
騒がしい日常に引き戻されながら、カイは胸の奥で、先ほど検知した「緑色の警告」が静かに波打っているのを感じていた。
第2のヒロイン、セイラの登場です。
彼女の持つ「危険度エラー」の正体とは?
次回、第3話は少し雰囲気を変えて、プライベートビーチでの休息回です。




