第9話 マグダリアは微笑む、光の届かぬ礼拝堂(前半)
石造りの建物は、遠目に見た外観だけなら、まだかつての威厳を保っていた。
尖塔は灰色の空に突き刺さり、色褪せた聖印が正面扉に刻まれてる。
だが、近づけばすぐに分かる。
壁面には細かな亀裂が走り、ところどころ割れた窓は、板切れで不器用に塞がれている。どこもかしこも汚れが付着して、明らかに手入れが行き届いていなかった。
聖騎士ロダンは、思わず苦々しげな表情を浮かべてしまう。
「これが、聖王教の『祈りの家』だというのか。あまりにも、ひどすぎる」
「確かに。ここで孤児たちを育てている、とは思えないほどです」
「……もはや、廃墟ではないのか」
「僻地では廃教会も、別に珍しくはありませんが。……ですがロダン、見てください。あの子たちを」
リュスが、指さした先。
庭先には、痩せこけた子供たちが数人、身を寄せ合いながら、怯えと好奇の混じった目で見つめていた。
――警戒されている。
「どうぞ、お入りください」
執事ゲロハルトが扉を開けた。ギィ、と耳障りな音。
埃っぽい。だが、土と蜜が入り混じったような湿った匂いが鼻を突いた。
礼拝堂の長椅子は薪にでもされたのか、まばらだった。
「おや……珍しいお客様ですねぇ。クスクス……」
ねっとりと、耳奥に絡みつくような声。
音もなく現れたのは、一人の修道女。
深い紫色の修道服に身を包んだその女は、細められた瞳で微笑を浮かべていた。
年齢は二十代後半から三十代といったところか。
だが、その妙に張りのある肌の艶と、修道服の上からでもわかる豊かな肉体の曲線美は、不毛の地ヤバマーズには似つかわしくない、どこか淫靡な生命力と色香に満ちていた。
「シスター。このお二人は、教会本部からお客人でして」
「そうでしたか。いつもご苦労様ですね、ゲロハルトさん♡」
奇妙なのは、女が浮かべている表情だった。常に糸のように、目を細めて微笑んでおり、瞳の奥がまったく見えないのだった。
「あたくしは、ここを任されておりますシスター・マグダリアでございます。聖騎士様と、祓魔女様でいらっしゃいますね? 教会本部から、はるばるヤバマーズまで。ようこそ、いらっしゃいました」
マグダリアが礼をすると、胸元が危うげに揺れる。
(うっ、なんだ。この女は――っ!?)
聖騎士ロダンは、得体の知れない気配――あるいは、あまりに不釣り合いな色気――に、思わず一歩身を引いた。
慎ましやかなはずの装いが、冒涜されている気さえした。
「……吾輩はロダン、こちらはリュス。我々は教区再調査のため派遣された。拠点としてここを借りたい。ヤバマーズ男爵の許可は得ている」
「まあまあ。それはそれは随分と急なお話でございますね。……あんな、ひねくれ坊やの許可をよく取れましたこと。クスクス……」
アスタを「坊や」と呼ぶその口ぶりに、眉を動かしたのはリュスだった。
「マグダリア様。あなたは、ここの管理を?」
「管理、だなんて。あたくしはただ、この迷える子羊たちと一緒に、神の慈悲と男爵様に縋っているだけの……か弱い女に過ぎません」
そう話す女が胸の前で手を合わせると、いっそう修道服がはちきれんばかりに強調される。あまりにわざとらしい仕草だ。
「どうぞこちらへ、粗末な場所でございますが。……ああ、ゲロハルトさんは、お帰りくださって大丈夫ですよ」
「おお、よろしくお願いいたします。一刻も早く、若様のお傍に戻らねば」
祭壇横の案内された法衣室は、想像より整っていた。清潔だ。
机一つなく貧しいが、決して乱れてはいない。棚には帳簿が並び、整然と記録が残されているようだ。
リュスは、さりげなく目を走らせた。
(管理能力は高い……)
寄付はほぼゼロ。教区税も事実上未収のはず。だが、置かれている木箱。孤児たちも、維持されている。
……食糧が、断続的に供給されている形跡があった。
視線に目ざとく気付くと、マグダリアはくすりと笑う。
「男爵様が、時折お持ちくださいますの。領民からの、善意だとおっしゃって」
マグダリアが言う。
「ご自分は、なにも召し上がっておられないだろうに」
ロダンは眉を寄せた。
「その話は事実か」
「ええ、見たわけではありませんけれど。でも、無理をなさっているのは明らかです」
「……ヤバマーズ男爵が食い詰めてでも、教会に喜捨していると?」
「クスクス、そう言っているつもりですが。男爵様は、確かに己の身を削っておられるのです。なにか御納得できませんか?」
尋ね返されると、ロダンはどうにも居心地悪そうに身をよじらせた。
(男爵もそうだったが、このシスターもひどくやりづらいな)
ロダンは、この不愉快さの正体を言葉に出来なかった。




