第53話 貴族のドは、ド級バカのド。バカにならねば、守れぬ魂。
「知っての通り、リュシエンヌ様は焔王国の王家のみならず、隣国、ロザリス公国の大公血統をも引いておられる……高貴なる御方。その上、今や『回帰』なる異能さえ宿しておいでだ」
ロダンの声は、雷鳴の轟きに似ている。
眩く発せられてから、畏怖が届くのだ。
ああ、下手な怪物よりも、よほど恐ろしいとも。
「――ならば問おう。貴公は何の企みがあって、このような采配を振るう? その若き胸に、いかなる野心を秘めているのか。答えよ、アスタ・ド・ヤバマーズ!」
「企みなんて、あるわけがないだろうっ!」
それでも、ロダンの放つ威圧感にひるまず立ち向かった。
僕に、後ろ暗いところなど、万に一つもないっ! その事実だけが、この折れそうな膝を支えていた。
「僕の欲するところ、それはヤバマーズの安寧! そして、リュスが心休まる居場所を作ってやること! 彼女は今、不当に貶められ苦しんでいる。これを看過することなど出来ないっ!」
すると、ロダンは一笑に伏す。
「威勢だけはいいものだ、青二才め。だがな、貴公のその青臭い正義感が、よしんばそれが本心だとして――」
「本心だと言っている!」
「よかろう。ならば、貴公には覚悟があるのか」
「覚悟だと」
「そうだ。リュシエンヌ様を囲うことは、焔王家と聖王教会――双方の巨大勢力を、同時に敵に回すことなのだぞ」
「なんだとっ……!?」
背筋に、冷たいものが走った。
「リュシエンヌ様は、教会裁判に掛けられ、王太子の婚約者という栄誉を剥奪された。そこには当然、次代の王……王太子殿下の意向が含まれているっ!」
ロダンの言葉が、鋭く重い――こいつが振るう大剣の如く。
「リュシエンヌ様を守ると言うことは、国家を敵に回すも同然。生半可な同情で関わるならば、さっさと去ね。歪んだ企みがあるならば、吾輩が今度こそ首を跳ねてくれようっ!」
改めて、突き付けられる。
僕が今、踏み出そうとしている道は、一族の恥辱、三代目サキオンに限りなく近い。
たった女一人のために、一族も、領地も、民も。すべてを天秤にかけてぶち壊そうとしている。
『サキオンは……要するに、救いようのないバカだったんだよ。ただし、バカはバカでも家を潰しかけた――最低の害悪だ』
自分自身が吐き捨てた蔑みの言葉が、呪いとなって跳ね返ってくる。
幼い頃から、一番なってはいけない存在だと教え込まれた、色ボケのクズ。
(なぜ、こうなった? どうして、あんな男と同じ道を進もうとしている?)
王都の大学でも、その悪名は僕に付きまとった。
だからこそ、彼とは違うのだと、ずっと自分に言い聞かせてきたはずなのに――。
家族に刷り込まれた価値観が、思考を縛る。
震える手が、恐怖と困惑を物語っていた。
(もしかして、僕は……間違っている、のか――?)
そう思いかけた。でも……。
隣で、僕を見つめる視線があった。
見捨てられるかもしれない、と。揺れる、暗渠の瞳。
重なる。
弾劾の場に立たされながらも、誰よりも気高く正しくあろうとした、金髪の公爵令嬢。
そして、今――。
僕の隣で、不安げに上着の裾をぎゅっと握りしめている。変わり果てた、黒髪の彼女。
ここで手を離したら、次はもう、二度と――彼女に会えない。その、喪失感たるや。
(ああ、きっと――貴女こそが、僕の魂なんだ)
ならば。もはや、手離すべきではない。
「……うるさいやつだな、聖騎士ロダン」
「何だと?」
「お前こそ、いい加減に自分の立場をはっきりさせろよ」
僕は、ロダンの方へ踏み返した。
心臓が痛いくらいに、戦太鼓を打ち鳴らす。
「僕は決めたんだ。世界を敵に回そうが、三代目と同じ『害悪』だと罵られようが、リュスの居場所をここに作るってな!」
なめんなよ、聖騎士。これは、いつものホラじゃねえぞッ!
僕の魂を賭けた、本気の宣言だ。
「お前こそ、どうなんだ! 聖王教会の番犬として彼女を追い詰めるのか、それとも違うのか。今すぐここで、白黒つけろッ!」
見上げるほどの巨躯。
その胸倉に掴みかかる勢いで、僕は声を張り上げた。
「生半可な態度で立ち回るなら――お前の掲げる騎士の誇りなど、そこまでだ! だったら、僕がここで盛大に引導を渡してやるッ!」
――沈黙。
それから、どれほど経ったか。
思ったよりも、短かったのかもしれないし。長かったのかもしれないが。
ようやく返って来た言葉は、やはりどこか予想外れだった。
「吾輩はな。辺境貴族などという人種は、どいつもこいつも、救いようのないろくでなしだと思っている」
僕は驚いて、思わず頷く。気勢が削がれてしまった。
「……僕が言うのもなんだが、その認識はおおむね合っていると思うぞ。否定する材料がどこにもない」
選べるものなら、僕だってこんな貧乏くじを引くような生き方は御免だ。
王都のふかふか絨毯を歩き、ワイン片手に贅沢三昧できる。そんな上位貴族が良かった、切実に。
「貴様らはな。戦場に引きずり出されれば、勝ち馬に乗るしか考えぬ卑怯者のくせに、利権と金の話になると、誰より早くワンワン吠えおる。誇り誇りと抜かしながらも、マントからは、家畜のフンの臭いが染み付いているのだ!」
ロダンの舌鋒は、容赦がない。
だが、辺境貴族には辺境貴族の理屈がある。
率いる兵は、ただの駒じゃない。自分の食い扶持を支えてくれる領民だ。
そりゃあ、死なせたくはない。
金に汚い? 当たり前だ。出兵しても恩賞より出費が嵩むことなんてザラなんだから。
そんな事情を、ぜんぶ飲み込んで……結局は、僕は頷く。
「……情けなく見えるのは、否定しないぞ」
「かと思えば、手垢のついた勲章を見せびらかし、聞かれもしない先祖の武勇伝を延々と語り出す。真ん中の『ド』の音節を、この世で一番尊い響きであるかのように発音しおって! 大した爵位でもないくせにな!」
「うん……そこは、ぐうの音も出ないな」
ヤバマーズ男爵家には、ろくに自慢できる話はないがな。
しかし、どうしたことか。
聖騎士ロダンは、口を開けば開くほどに加熱していく。
煮え滾った眼は、もはや僕ではなく、もっと別の、根深い何かを睨んでいるようだった。
「貴様らは、農民が汗水たらして育てた作物を食い荒らし、特権と言う名のブーツで人々を踏みにじる! では、己の罪を問われたらどうだ? そら見ろ、今度は決闘で善悪を煙に巻き、剣を振り回し暴れだす! 辺境貴族めっ……貴様らこそが、真の害獣だっ!」
ああ、ここまで言われたら、さすがにわかる。
これは正義感や、潔癖さゆえの憤りではない。
理由こそ語られないが、聖騎士ロダンという男は――。
「いっそ、斬首刑になることだけを、唯一の矜持にしておればよいのだ! 『見よ、我らは平民とは違うのだ。無様に吊るされる絞首刑ではなく、誉れ高き斬首だぞ!』となあッ!」
「なかなか、過激なジョークを飛ばすやつだ」
「ジョークなものか! そうすればよいと言っているッ!」
――心底、辺境貴族という生き物を憎悪しているのだ。
聖騎士としての立場ではなく、ロダン個人の……過去に刻まれた、執念に近い憎悪。
出会った頃のトゲトゲしさは、ヤバマーズ家への評判ではなく……『僕が辺境貴族である』という、この一点に向けられた嫌悪だったのだ。
「だが……貴公。ヤバマーズ男爵、若き領主よ」
不意に、ロダンが深く、重くるしい溜息をついた。
肺の中の毒を、すべて吐き出すように。
「そなたは――どうやら、吾輩が知るあの醜悪な連中とは、少しばかり毛色が違うらしい」
またもや。あまりの落差に、呆気にとられてしまった。
「いや……基本的には同じだと思うぞ?」
「いや、違ったのだ」
「いいや、根本の理屈は同じだ。ほら、僕はアスタ・ド・ヤバマーズ。紛れもない辺境貴族だ」
「吾輩が、違うと言っているだろうっ! なんというか、その……」
聖騎士ロダンは、屈辱を噛みしめるように唸り。
絞り出すように言った。
「そう、性根が……違うのだ」
だから、どいつもこいつも似たようなもんだって。
さっきから僕もお前も、言っていただろうに。
「吾輩は嘘がつけん男だ」
「そうだろうな」
「ああ、貴公と違ってな」
「やっぱ、喧嘩売ってんのか。決闘すんぞ、オラ」
ガラ悪く、啖呵を切ってやると。
聖騎士ロダンは仏頂面のまま――拳で軽く、僕の胸を小突いた。
……なんだよ、文句あっか。
「条件がある」
「なんだ?」
「『魔の森』の調査に、今後も手を貸せ。いや、今まで以上にだ」
「今まで以上に?」
「そうだ。そうすれば……吾輩は、嘘をつかずに済む。貴公を『聖王教会に忠実な信徒』だと……リュスは『使命を全うしている』と報告できる」
不器用すぎる、言葉の裏側。
つまるところ、聖騎士ロダンは……リュスの味方であると宣言したのだった。




